美を読む

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ゴーギャンは、「悪魔の言葉」でイブのイメージを暗示的にあらわしたが、「かぐわしき大地(TE NAVE NAVE FENUA)」と題した絵では、それを明示的に表した。ここで描かれているのは、タヒチのイブのイメージなのだ。

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マタイエアの海岸は、さんご礁の砂洲に囲まれて、内海のようになっている。だから泳ぐには都合がよい。この絵は、その海辺で遊ぶ女たちと、銛で魚をとる男を描いている。

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ゴーギャンは「死霊が見ている」で、死霊におびえているテウラの裸の姿を描いたが、この「悪魔の言葉(Parau na te Varua ino)」では、悪魔に語りかけられているテウラの裸体を描いている。ゴーギャンは「ノアノア」の中でタヒチの神話についてかなりくわしく触れているが、悪魔については触れていないので、この絵のイメージが何を物語っているのか、判然としない。

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テウラとの生活は、ゴーギャンにとって幸福な毎日だったようだ。彼女は年のわりに大人びていて、ゴーギャンが仕事をしているときは黙って邪魔をしないようにつとめ、暇なときには現地の神話を語ってくれたりした。そんな折に、テウラが神話の中に出てくる死霊に脅かされるという出来事が起った。それをゴーギャンは「ノアノア」のなかで次のように書いている。

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ゴーギャンは、第一次タヒチ滞在中に、現地人の少女を妻にした。テウラという名の十三歳の少女で、ゴーギャンは偶然彼女と出会い、一目見て妻にすることを決心したのだった。「ノアノア」には、その折の様子が次のように記されている。

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「いつ結婚するの(NAFEA Faa ipoipo)と題したこの絵は、ゴーギャンの第一次タヒチ滞在時代の傑作の一つだ。長らくバーゼル美術館が保存してきたが、2015年に所有者が匿名の相手に売却した。その時の価格は三億ドルだったそうだ。

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「気晴らし(Arearea)」と題したこの絵は、女たちの楽しいひとときを描いたものだ。マタイエアの珊瑚の浜辺で、木陰に座った二人の女。一人は縦笛を吹き、もう一人がその音に聞き入っているが、何故か表情はこちら側を向いている。あたかもポーズをとっているようだ。

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「市場にて(Ta Matete)」と題したこの絵は、パペーテの市場の様子を描いたものだ。南洋の島の市場にかかわらず、果物や魚などを売る様子は描かれていない。描かれているのは、派手に着飾った女たちだが、実はこれも売り物なのだ。女たちは着飾って媚びを売るような表情を見せ、自分の体をフランス人に売り込んでいるのである。

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「マンゴーを持つ女(Vahine no te vi)」は、「花を持つ女」とともに、ゴーギャンが西洋流の構図で描いた肖像画の傑作だ。「花を持つ女」のほうは、ダ・ヴィンチのモナリザを想起させるのに対して、この「マンゴーを持つ女」は、同じくダ・ヴィンチの「白貂を抱く女」を想起させる。「白貂を抱く女」は、両手で白貂を抱いた女が、頭を体と反対向きにしているところを描いているが、この絵でも、女は体と反対の方へ顔を向けている。

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「浜辺のタヒチの女たち」と非常に良く似た構図の絵だが、微妙に違うところもある。二人の女のうち左側は、ポーズも服装も全く同じといってよいが、右側は腕と脚を露出させ、タヒチ風と思われる衣装を身につけており、ポーズも違っている。ただ表情はよく似ている。もっともこちらの方が、ピリッとした表情に見える。

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「砂浜のタヒチの女たち」と呼ばれるこの絵には、マオリ語の題名はついていない。右下にゴーギャンの署名と91年の年期が記されているだけである。

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タヒチの人々との係わり合いについて、ゴーギャンは「ノアノア」のなかで次のように書いている。「野蛮人と私との、親睦の始まりだった。野蛮人! このことばは、食人の歯をしたこの黒人たちのことを思うと、避けがたく私の唇にのぼってくるのだった・・・私にとって彼らがそうであるように、彼らにとっても私は『野蛮人』であった。そしてたぶん私のほうが間違っていたのだろう」

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ゴーギャンは、タヒチの原地人(マオリ族)の宗教感情について、彼らがヨーロッパ人とは違うものを持っていることに気付いたが、それをイメージであらわす際には、ヨーロッパ的な表現を採用した。この「マリアを拝す(Ia Orana Maria)」と題した絵は、その典型的なものだ。

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「ふくれつら(Te Faaturuma)」と題したこの絵のモデルは、「花を持つ女」と同じ女性と思われる。ノアノアによれば、ある日隣人の女がゴーギャンの小屋にやってきて、絵を見せてくれと言った。そこでゴーギャンはマネのオランピアの複製を見せてやったところ、彼女は特別な関心を以てそれを眺めながら、「これはあなたの奥さんか」と聞いた。ゴーギャンはそうだと嘘を言ったが、そのことにいくばくかの疚しさを感じながらも、その女の表情をスケッチする誘惑に駆られた。すると女は「ダメ」と言って去ってしまった。ゴーギャンはがっかりしたのだったが、一時間後にその女が着飾って舞い戻り、ゴーギャンのためにポーズを取ってくれた。それが「花を持つ女」だ。

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1891年6月28日にタヒチの首都パペーテに下船したゴーギャンは、フランス政府のエージェントの資格で、現地のフランス人社会から大歓迎を受け、女まで世話してもらったが、やがてうんざりして、パペーテの南東50キロのマタイエアという部落に移り、そこの掘っ立て小屋に住むことにした。タヒチ滞在記「ノアノア」によれば、マタイエアにおちつき、仕事に取り掛かろうとしていたとき、ゴーギャンは是非タヒチの女性の肖像画を描いてみたいと思っていた。そんな矢先に一人の女性が現れて、ゴーギャンのためにポーズをとってくれた。その絵がこの「花を持つ女(Vahine no te tiare)」である。

ゴーギャン:タヒチの夢

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ポール・ゴーギャンは、生涯に二度、南洋の島タヒチに行った。一度目は、1891年から1993年にかけての二年間で、この時には、ヨーロッパの俗悪振りから解放されて、純粋な芸術を追及したいという目的が働いていた。二度目は1896年以降であって、この時は、ヨーロッパに絶望し、タヒチに骨を埋めるつもりで行った。実際ゴーギャンは二度とヨーロッパに戻ることはなかったのである。死んだのはタヒチではなく、マルキーズ諸島のヒヴォア島であったが、ヨーロッパからはるかに離れた南海の絶島で生涯を終えることは、ゴーギャンにとっては本望ではなかったかもしれないが、それでもヨーロッパで死ぬよりはましだと思ったことだろう。

偶像(L'idole):マティス、色彩の魔術

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マティスは1941年にリヨンで腸の手術を受けたことがきっかけで臥床がちになった。そんなマティスの夜間の看病をするために、一人の女性が雇われた。モニック・ブルジョワという若くて信仰深い女性だった。マティスはこの女性をモデルにして多くの絵を描いた。「偶像(L'idole)」と題するこの絵は、その代表的なものである。

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「1940年の夢(Le rêve de 1940)」と題するこの絵は、「ルーマニア風のブラウス」と対をなすものである。マティスはこの二つの作品を非常に気に入り、自分のアトリエの壁に、並べて架けていたほどだった。

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「ルーマニア風のブラウス(La blouse roumaine)」と題したこの絵は、非常にシンプルに見えるが、シンプルなだけにいっそう、構図の決定にはかなりな時間を要した。マティスがこの絵を完成させるにあたって描いた習作が十三枚も写真に残されていることからも、そのことがわかる。

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マティスは、いろいろなタイプの絵を描いたが、もっともマティスらしさを感じさせるのは女性の肖像だ。いろいろな技法を用いて、時代ごとに描き方は変遷したが、女性の美、それは肉感的な美といってよいが、それをキャンバスの上に定着させようとした。一群のオダリスク像はそのもっとも完成された形だ。

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