フェルナンド・サーカスは、1875年に結成されたサーカス。ユニークな建築物が人気を集めたという。ドガはその近代的な建築が気に入って、それを見るためにも足しげく通ったという。「フェルナンド・サーカスのララ嬢(Mademoiselle La La au cirque Fernando)」と題されたこの絵は、建築空間を表現しながら、それに女曲芸師の躍動的な姿を組み合わせたものである。
ニュー・オリンズからパリに戻ったドガは、再び劇場に通って踊り子の群像を描いた。その中で、「舞台上のバレーのリハーサル(Répétition d'un ballet sur la scène)」と呼ばれる三点の作品がある。一つはオルセーにあるグリザイユ風の作品で、これは1874年の第一回印象派展に出展されたという。他の二つはニューヨークのメトロポリタン美術館にあり、パステルと油彩で描かれている。
ドガは舞台の上から踊り子を見るだけでは満足できず、楽屋や稽古場に立ち入って、そこで身近に踊り子たちを眺め、その生き生きとした表情を描きたいと思うようになる。「オペラ座の稽古場(Foyer de la danse a l'Opéra de la Rue le Peletier)」と題したこの絵は、そうした意図を込めた作品である。ドガは、知人のつてを使って、ル・ペルティエ街のオペラ座に立ち入る許可を得て、そこで踊り子たちをつぶさに観察することができた。
「オーケストラの楽師たち(Musiciens à l'orchestre)」と題するこの絵も、「オペラ座のオーケストラ」同様、知り合いのオーケストラ楽団の集団肖像画。「オペラ座」を完成させた後制作にとりかかり、三年後に完成させた。おそらくこれは、楽団の依頼によってではなく、自分の趣味から描いたので、時間に拘らなかったのだと思う。
ドガが舞台とか踊り子をモチーフにするのは1870年前後のことである。「オーケストラ・ボックスの楽師たち(L'Orchestre de l'Opéra)」と題するこの作品は、その最初のものである。ただし、この絵は「舞台の踊り子」には焦点をあてていない。踊り子は添え物あつかいで、主役はオーケストラ・ボックスの楽師たちである。
「若い婦人の肖像(Portrait de jeune femme)」と呼ばれるこの絵は、ドガの最も有名な作品の一つであり、かつ、近代美術史上婦人肖像画の最高傑作の一つとされる。ドガは若いころには、自画像を含めて数多くの肖像画を手がけた。生活に困っているわけではなかったので、金のために肖像画を描くということはせず、主として家族を喜ばせるために描いた。父親の威厳のある姿を描いたり、弟ルネの妻エステルの肖像をかわいらしく描いたものだった。
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