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ベラスケスは1617年3月に、パチェーコのもとでの6年間の修行を終えて独り立ちし、画家組合にも登録されて、画家としてのキャリアを始めた。19歳の年である。以後1623年10月に、国王フェリペ四世の宮廷画家に抜擢されるまでの6年間を、セビーリャを拠点にして活動した。

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ディエゴ・ベラスケス(Diego Velazquez 1599-1660)は、スペイン最初の偉大な画家であり、また世界美術史上に屹立する巨匠である。様式分類上は、バロック美術の巨人ということになる。強烈な明暗対比とリアルな画風は、バロック美術の完成であるとともに、近代絵画を予感させるような先駆性を内在している。

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レンブラントは1693年の10月に63歳で死んだ。その年に描いた作品の一つと思われるものに「家族の肖像」がある。この作品は当時のレンブラントの心の風景を映し出していると考えられる。というのもレンブラントは、その前年に最愛の息子ティトゥスを失い、この年の三月にはティトゥスの遺児ティティアが生まれていた。順調なら、息子の家族を暖かい目で見守ってやれたものを、という無念の気持が、この絵からは読み取れるのである。

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「ユダヤの花嫁」と呼ばれるこの絵は、レンブラント最晩年の作品だ。モデルの二人が誰をあらわしているのか、長らく議論があったが、今日ではイサクとリベカだとするのが通説だ。イサクはアブラハムの長子で、ユダヤ人の祖先とされる人だ。そのイサクがリベカと結ばれるところを描いたということだ。

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1662年の作品「織物組合の評議員たち」は、レンブラント晩年の集団肖像画の傑作。「夜警」に比べると単純な構図で、「トゥルプ博士の解剖学講義」と似た雰囲気を感じさせる。「解剖学講義」のほうは、主任教授を中心にして解剖の現場の雰囲気が如実に伝わるように描かれていたが、こちらは組合評議員の会議の様子がやはり如実に伝わって来る。

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レンブラントの数多い自画像のうち、もっとも有名なものが、この「パレットを持つ自画像」だ。晩年のレンブラントは、モデルを雇う金が無くて、自分をモデルにして描いたのだと、よく言われる。レンブラントにとって、生きることとは描くことだったのである。

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レンブラントは息子ティトゥスの肖像画を、子どもの頃から何枚も描いた。これは1656年のもの。この時のティトゥスは15歳だった。絵の中のかれの表情は落ち着いており、ずっと年上に見える。このティトゥスの為にサスキアが残した遺産を、レンブラントは本人に渡してやろうとして、豪邸の所有権をティトゥス名義にしたいと思ったのだったが、裁判所はそれをみとめず、残った財産のうちのわずかな部分しか渡してやることができなかった。レンブラント自身の割り当ては、借金返済のために競売に付されてしまったのである。その際に、手元に保有していた自分の作品の多くも流出した。

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レンブラントが「トゥルプ博士の解剖学講義」を手掛けたのは1632年のことだが、それから24年後の1656年に、同じようなテーマで追加注文を受けた。注文主は、トゥルプ博士の後任デエイマン博士だった。博士は、同年中に強盗罪で死刑になったヨーリス・ファン・ディーストの死体解剖を行ったのだが、その折の様子を、集団肖像画として描いて欲しいと依頼してきたのである。

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パテシバにまつわる話は、旧約聖書の「サムエル記」に出て来る。パテシバは、ヒッタイト人ウリアの妻であったが、ユダヤのダヴィデが彼女を見初めて強引にセックスした。その結果パテシバは妊娠したのだが、ダヴィデは己の罪を隠そうとして、ウリアを亡き者にしようと画策する。すなわち戦場に赴かせ、味方の軍人に殺すよう命じるのである。

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「川で水遊びする女」と呼ばれるこの絵は、水浴するスザンナのモチーフを援用したものだとか、あるいはパテシバだとかとの説があるが、そんなことを抜きにして、一人の無邪気そうな女性を描いたものと受け取ってみても、なかなかの味わい深さを感じさせる一点。レンブラントの女性像のなかでも、もっとも魅力的なものだ。

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ヘンドリッキエ・ストッフェルスは、1648年にレンブラントと同棲するようになった。彼女の登場で立場を失ったヘールヘトは裁判を起こし、レンブラントの婚約不履行を訴えた。裁判所は彼女の主張を受け入れ、毎年200グルデンの慰謝料を支払うよう命じた。その頃のレンブラントは、放蕩と浪費がたたって借金苦に悩んでいた。

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水浴するスザンナをめぐる逸話は聖書外典「ダニエル書」に出て来る。スザンナは名士ヨアキムの妻だったが、その美しさにユダヤの裁判官の長老二人が横恋慕し、強姦しようとする話である。これをレンブラントは視覚的イメージとして描いた。師のラストマンがチョークで描いたデッサンを参考にしたというが、構図を大胆に変えてある。ラスマトンのデッサンは、腰かけるスザンナと、背後から彼女に話しかける老人たちが描かれているが、この絵では、老人の一人がスザンナに襲い掛かり、スザンナは怯えた表情を見せている。

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今日「夜警」の通称で知られるこの絵は、正式には「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ヴァン・レイテンブルフ副長のひきいる部隊」という。部隊とは、当時オランダに存在した市民軍の一部である。この市民軍は、対スペイン独立戦争で大活躍したのだったが、戦争が終わったあとも、引き続き維持され、いざというときに備えていたのだった。市民軍はいくつかの部隊からなっていたが、そのうちの一つからレンブラントに集団肖像画の注文があった。注文主は、フランス・バニング・コックである。コックは俄か成金で、豊かな財を持っていた。その金でレンブラントに自分が属する市民軍部隊の集団肖像画を描かせたのであった。かれの部隊に限らず、ほかの部隊も競って自分たちの集団肖像画を描かせたそうである。

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「皮をはがされた牛」は、レンブラントとしては珍しいモチーフなので、その真偽が問題になったこともあるが、今日ではレンブラントの真作と広く認められている。こうしたモチーフを選んだのは、なにごとにも挑戦を惜しまないレンブラントの向上心の現われだと解釈されている。

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「目をえぐられるサムソン」も劇的な一瞬をとらえた作品。サムソンは旧約聖書の士師記に出て来るユダヤ人の英雄で、ユダヤ人を苦しめていたペリシテ人を相手に、たびかさなる武勇を示したが、それは神の力添えの賜物だった。ところがある時一時的に神の加護が無くなったところをペリシテ人に襲われ、両目をえぐられてしまう。この絵は、その場のシーンを再現したものだ。

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「ペルシャザルの饗宴」と呼ばれるこの絵も、ドラマチックな雰囲気を強く感じさせる作品だ。旧約聖書のダニエル書に出て来る逸話に取材したもの。ペルシャザルは、バビロン王ナボニドゥスの子で、次期バビロン王になるはずだったが、ユダヤ人を迫害したことで滅亡したというような話である。

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レンブラントには、モチーフとなったものをなるべくドラマチックに描くという傾向が強くあった。この「イサクの生け贄を天使に止められるアブラハム」も、そうした傾向が強く現われている作品だ。これを見る者は、あたかも自分の眼前で実際に起きていることを目撃しているかのような錯覚を覚えるほどだ。

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レンブラントは、自分自身の自画像と妻サスキアの肖像画を熱心に描いたのだが、二人そろってポーズをとっている絵は、この作品くらいだろう。レンブラントは、放蕩息子を気取って酒場で気勢を上げ、妻のサスキアはそれを鷹揚に見守っているというような構図だ。

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レンブラントは生涯に夥しい数の自画像を描いた。油彩、版画を併せると百点を超える。こんなに多くの自画像を描いた画家は他にいない。ゴッホも多くの自画像を残したが、その数はレンブラントの半分以下だ。レンブラントは、自分の肖像をモチーフにしたばかりではない、作品のなかで群衆の一部に自分の姿を描き加えるなど、要するに自分の姿にこだわったのである。

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新婚当時のレンブラントは、新妻サスキアの肖像画を多く描いた。サスキアのほうも我慢強く夫の仕事に付き合った。もっともその仕事は、金のためというより、とりあえずは二人の結婚記念といった性格が強かったようだ。「フローラに扮したサスキア」と呼ばれるこの絵は、そんな一点。春の女神フローラに扮したサスキアをモデルにしている。

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