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コレッジオ(Correggio 1489?-1534)は、北部イタリアのモデナ近くの村コレッジオで生まれ、主にパルマで活躍した。コレッジオとは生地にもとづくあだ名で、本名はアントニオ・アレグリという。少年時代、マントーヴァの画家マンテーニャのもとで学んだらしい。初期のかれの作品には、マンテーニャの強い影響が指摘される。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio 1488/90-1576)は、ヴェネツィア派最高の画家である。ルネサンス美術は、フィレンツェで始まり、ローマを経てヴェネツィアに中心地が移っていったのだが、ティツィアーノはそのヴェネツィアの美術を一躍最高レベルまで高めたのだった。ティツィアーノの画風の特徴は、華麗な色彩感覚にあり、以後のヨーロッパ絵画に多大の影響を及ぼした。長命だったこともあり、膨大な作品を残している。

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アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto 1486-1531)は、フィレンツェ派の最後の巨匠であり、その弟子からはマニエリスムの画家を多く輩出した。自分自身もマニエリスムへの移行を用意したと評価される。後期ルネサンスを代表する画家の一人である。

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<ラファエロは1508年にローマに移住し、それ以来1520年に死ぬまで、ローマを根拠地にして活動した。かれをローマに呼び寄せたのは、時の教皇ユリウス二世であり、ヴァティカン内の自らの居室をフレスコ画で飾るという注文を出した。これに対してラファエロは、大規模な工房をあげて、この注文に取り組んだのであった。
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ラファエロ・サンティは、日本では単にラファエロとして知られる。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、ルネサンスの三代巨匠と呼ばれる。この三人のうちでは、ラファエロが一番若かったので、彼にはダ・ヴィンチやミケランジェロの影響を指摘できる。しかし、ラファエロにはラファエロの魅力があり、それは優美さと典雅さといってよい。

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ミケランジェロはフィレンツェのメディチ家と深い関係があった。そのことから、メディチ家出身のクレメンス教皇から、メディチ家の主要人物4人の霊廟の制作を命じられた。その霊廟は、サン・ロレンツォ聖堂に付属させる形で作ることになり、ミケランジェロはその建物の設計と、霊廟を飾る彫刻の作成を請け負った。それが今日フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂と、それを飾る彫刻群である。

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ミケランジェロは、ルネサンスを代表する美術家であり、また人類史に屹立する巨人だといえる。画家としてはダ・ヴィンチと並び称されることがあるが、彫刻や建築をも含めた総合的な芸術家としては、ダ・ヴィンチをしのぐと言ってよい。彼は史上最大の彫刻家としての名声に相応しいし、また建築の分野でも著しい業績を上げた。

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ジョルジョーネ(Giorgione 1477-1510)は、ヴェネツィア派を代表する画家で、非常に大きな影響力を及ぼしたとされるが、三十代の若さで死んだこともあり、残っている作品は多くはない。その中には、真偽の明らかでない作品も多く、一説には真筆と保証できるものは六点しかないともいう。

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ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio 1449-1494)はミケランジェロが最初に師事した画家として知られている。当時の多くの画家同様、ギルランダイオとはあだ名で、花飾りという意味。父親のトマーゾが花模様の髪飾りを作っていたことから名づけられた。本名はドメニコ・ビゴルディという。

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サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli 1445-1510)は、日本人には人気の高い作家で、ダ・ヴィンチやミケランジェロとならんでルネサンスを代表する芸術家として知られる。ボッティチェッリは、小さな樽と言う意味のあだ名で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピという。フィリッポ・リッピのもとで修業し、25歳の時に画家として自立した。

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アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435年頃-1488年)は、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェッリの師匠として有名である。彫刻家が本業であるが、絵の制作でも才能を発揮した。その名ヴェロッキオは、若い頃のパトロンであるフィレンツェの有力貴族ヴェロッキオ家に由来するという。本名はアンドレア・ディ・ミケーレ・ディ・フランチェスコ・チオーニであると。

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ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini 1430頃 - 1516)は、ヴェネツィア派美術の先駆者である。ヴェネツィア派はフィレンツェ派と並んで、イタリア・ルネサンス美術を牽引した。柔和で華麗な色彩が特徴である。ジョヴァンニ・ベッリーニは、画家の一族に生まれ、父ヤーコボ、兄ジェンティーレも美術史に名を残した。
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アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno 1419-1457)は、フィレンツェ郊外の村カスターニョ・ダンドレアに生まれた。彼の呼び名は、生地の名前から来ているらしい。もっとも生前は、アンギアーリの戦いで絞首刑にされた市民を描いたことで、首くくりのアンドレア(Andrea degli Impiccati)と呼ばれたようだ。

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ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca 1412-1492)は、トスカナのボルゴ・サンセブクロの靴職人の子として生まれ、商人になるための教育を受けた。画家としての活動を始めるのは、三十歳以降である。画法の勉強は、フィレンツェの画家ドメニコ・ヴェネツィアーニに師事したが、フィレンツェ風の画法とはかなり違った画風を見せた。

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フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi 1406-1469)は、修道士の出身だったが、俗名で呼ばれているのはわけがある。かれは50歳の頃、フィレンツェ郊外プラートのサンタ・マルゲリータ修道院の司祭に任命されたのであるが、そこの修道女であったルクレツィアに懸想し、彼女を修道院から連れ出して、結婚してしまった。このことで破門になりそうになったが、メディチ家のとりなしで、波紋を逃れ還俗することができた。そんなことから、自由奔放なイメージがある。

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パオロ・ウッチェッロ(Paolo Uccello 1397-1475)は、ルネサンス時代の芸術家のなかでは変わり種である。生前は高い評価を受けていたが、ルネサンス後一旦評価が下がり、20世紀になって再び高い評価が復活した。そのわけは、同時代の他の画家のように、リアリズムを徹底したわけではなく、幻想的ともいえる、非リアルな画風のためだった。

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フラ・アンジェリコ(Fra Angelico 1390?-1455)はあだ名であり、本名はグイド・ディ・ピエトロといった。フラは修道士という意味であり、アンジェリコは天使のようなという意味である。この綽名は、ヴァザーリが「美術家列伝」のなかで使って以来普及したもので、生存当時はフラ・ジョヴァンニと呼ばれていた。

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マサッチオ(Masaccio 1401-1428)は、ロレンツォ・モナコらのゴシックの雰囲気を残した装飾的な画風が流行っていた15世紀初期のフィレンツェにあって、ブルネレスキから受け継いだリアルな表現に拘った画家だ。画家生命は非常に短かったが、後世に大きな影響を及ぼした。

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ロレンツォ・モナコ(1370?-1425)のモナコとは修道士という意味で、かれの本名はピエロ・ディ・ジョヴァンニといった。修道士と綽名で呼ばれたのは、1391年にフィレンツェのカマルドリ修道会に入ったため。後年は脱会して画業に専念したが、相変わらずモナコと呼ばれた。

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ドナテッロ(1386?-1466)は、若年の頃ブルネレスキとともに彫刻制作に携わったことがあり、ブツネレスキから大きな影響を受けた。その影響とは、人物をリアルに表現することにあった。ドナテッロはルネサンス時代の彫刻家のなかで初めてリアルな人物像を制作した作家として、以後のルネサンス美術に大きな影響を及ぼしたのである。

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