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アルベール・コーデューは、アリスティード・ブリュアンと人気を二分するエンタテイナーだった。その彼からの依頼で、ロートレックが制作したポスターがこれだ。画面からわかるように、もっぱらコーデュー一人を宣伝している。今ではこういう宣伝ポスターは珍しくはないが、19世紀末のヨーロッパで個人を宣伝するポスターは画期的だったようだ。

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「断頭台の下で(Au pied de L'echahaud)と題したこのポスターは、同名の書物の宣伝のために作られた。その書物を書いたのは、ロケット監獄の教誨師を長年つとめていたアベ・フォール。フォールは在任中に立ち会ったギロチンによる処刑の様子を回想録としてまとめ、それを雑誌「ル・マタン」に連載した。このポスターは、その連載記事を宣伝したものである。

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ロートレックは、アリスティード・ブリュアンをフィーチャーしたポスターを四点作っているが、これはその代表作。ブリュアンはこのポスターを自分のトレードマークとして使い、自分が出る舞台にはかならずこれを飾ったという。舞台のみならずパリの街角をも長く飾ることとなり、ブリュアンはこのポスター共々パリ名物になった。

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ロートレックは、1892年のポスター「ディヴァン・ジャポネ」の中で、当時人気のダンサー、ジャンヌ・アヴリールを観客の一人としてそれとなく描いたが、今度は自分の名を主題にしたポスターを作ってほしいとジャンヌにねだられた。その結果作ったのが翌1893年のポスター「ジャルダン・ド・パリのジャンヌ・アヴリール」である。

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マルティール街75番地にあったキャバレーを、1972年にエドゥアール・フルニエが買収し、それを「ディヴァン・ジャポネ」と名付けて、徹底したジャポニズムを売りものにした。そのため店を全面改修し、内部を日本風に装飾したうえで、店の雰囲気を如実に物語るポスターをロートレックに依頼した。ロートレック自身ジャポニズムに興味をもっていたから、この仕事は楽しかったに違いない。

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ヴィクトル・ジョーズのペンネームで活躍していたポーランド人の作家ヴィクトル・ドブルスキーが、1892年に「喜びの女王」という小説を出版したが、その宣伝のためにロートレックにポスターの作成を依頼した。ジョーズは作家活動の傍ら「世紀末」という雑誌を発行したりしていて、なかなか活発な面があり、ロートレックとも日ごろ親しかった。そんなわけでロートレックは二つ返事でその仕事を引き受けた。

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ロートレックは、アンバサドゥールに続いてエルドラドのために同じようなポスターを作った。これについても面白い逸話がある。エルドラドは、ストラスブール街にあったカフェだが、そこの経営者にブリュアンが掛け合い、アンバサドゥールでの成功を再現すべく、ロートレックにポスター制作の依頼をすることを承知させた。ところがエルドラドの経営者はケチで、印刷実費に相当する金額しか出さなかった。そこで侮辱されたと感じたロートレックは、デザインに手を抜くこととした。アンバサドゥールに使ったデザインを、180度ひっくりかえしただけでそのまま使ったのだ。

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アリスティード・ブリュアンはロートレックの同時代における人気歌手だった。彼は自分自身で音楽カフェ(ミルリトン)を経営する傍ら、パリの人気カフェにも出場していた。このポスターは、そうしたカフェの一つである「アンバサドゥール」のために制作されたものだ。それについては面白い逸話がある。

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ロートレックが初めてポスターを制作したのは1891年の夏、26歳の時であった。その二年前の1889年に、シャルル・ジドレがモンマルトルにキャバレー、ムーラン・ルージュ(赤い風車)を開業していたが、その宣伝のためのポスターをロートレックに注文したのだった。この注文をロートレックが真摯に受け止めたことは、制作への意気込みを語った母親あての手紙の中で示されている。その中で彼は、自分がこの新しい芸術の旗手になることへの矜持を吐露している。

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トゥールーズ=ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec 1864-1901)は、36歳の若さで死んだが、その短い生涯におびただしい数の作品を制作した。1000点に上る絵画作品(油彩及び水彩)、400点以上のグラフィック作品、そして5000点以上のデッサンである。しかし彼の芸術家としての名声は、わずかな数のポスターによると言っても過言ではない。彼が生涯に制作したポスターは31点にすぎないが、もしこれらのポスターを制作することがなかったなら、偉大な芸術家としての名声を残すことはなかっただろう。

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「優しいベルナール(Gentil Bernard)」と題したこの絵も、「うらぶれた旅のサーカス」シリーズの一点である。「小さいルイ」と比較すると、こちらは彩度をぐっと低く抑えている。そのため全体として暗い雰囲気に見える。構図のほうはほとんど同じで、色彩感が正反対ということだが、そうすることでルオーは何を意図したのか。

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1948年から1952年にかけて、最晩年のルオーは「うらびれた旅のサーカス」という副題のもとで多数の絵を描いた。この「小さいルイ(Petit Louis)」もその一点である。ルイという名の道化を描いたのだと思われる。「小さい」というのは、まだ成年になっていないという意味なのか、それとも身体が小さいという意味なのか、詳しいことはわからない。単なる愛称かもしれない。

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「呪われた王(Roi maudit)」と呼ばれるこの絵は、キリストの聖顔を彷彿させる。キリストのかわりに、王冠を被った王の顔が描かれているが、その表情はキリストのそれに似ていなくはない。黒くて大きな瞳、そして長い鼻、口髭の影にかくれた小さな口などは、先に紹介したキリストの「聖顔」の絵とよく似ている。

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ジャンヌ・ダルクは、フランスの歴史に屹立する偉大なキャラクターだから、様々な画家によってモチーフに選ばれてきた。田舎の家の庭先で神のお告げを聞く少女の姿だとか、魔女として処刑される場面がとりわけ好まれたが、ルオーは彼女を、鎧をまとい、馬にまたがった英雄の姿として描き出した。宗教画を本業としたルオーとしては、いささか人を惑わせるところだ。

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「テベリアの湖のキリスト:門(Tiberiade:Au Portique)」も、聖書の福音書に取材している。「テベリアの湖のキリスト」は、ヨハネ伝第21章(付録)のなかで、キリストの三度目の復活についてのエピソードとして、また「門」は同じくヨハネ伝第10章のなかの「羊の門」の話として出てくる。ルオーは、これら全く違う話を一つの画面のなかにイメージ化したわけである。

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絞首台に首をくくられてぶら下がっているこの男は、どんなイメージを喚起するだろうか。まさか、信仰への受難をイメージさせるとは、誰も思わないのではないか。しかし、この絵の作者がルオーだと知らされると、もしかしたら受難を表わしているのではないか、と思わせられないでもない。キリストの受難は、十字架に張り付けられることであったが、現代の信仰者の受難は、首をくくられることであってもおかしくはない。

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「深き淵より(De Profundis)」と題するこの絵は、聖書の詩編130に取材している。この詩は、次のような言葉で始まる。「De profundis clamavi ad te, Domine:Domine, exaudi vocem meam. Fiant aures tuae intendentes in vocem deprecationis meae. (深い淵から、主よ、あなたに叫びます。主よ、私の声を聞き入れてください。あなたの耳を傾けてください、嘆き祈る私の声に)」

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「エジプトへの逃避(La fuite en Egypte)」と題するこの絵も、聖書に取材したものだ。福音書によれば、キリストの誕生を祝った東方の三博士が国へ帰ったあと、主の使いがヨセフの夢に現れて、生まれた子と母親を連れてエジプトへ逃れよと言った。ヘロデ王が、その子を殺そうとしているからというのだ。そこでヨセフは、夜の間に嬰児とその母親とを連れてエジプトへ逃れた、という話である。

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聖顔をモチーフにしたルオーの絵が、キリストの顔だけをアップで画いたことには、ヴェロニカ伝説が背景にある。前回に述べたように、キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと引き立てられていったとき、ひとりの女性が前へ進み出て、布でキリストの顔を拭いた。するとその布にキリストの顔が焼き付いた、というのがこの伝説の眼目だ。ルオーはその伝説を彼なりに斟酌して、布に焼き付いたキリストの顔を描き続けたのだと思う。

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キリストが十字架を背負わされてゴルゴタの丘へ向かう途中、大勢の群衆の中から一人の女性が前へ出て、布でキリストの顔を拭いてあげたところ、その布にキリストの顔が焼き付いたという話は、聖書にではなく、ニコデモの外典に出てくる話だが、聖書と劣らぬほど広く民衆の間に流布した。そして多くの画家が、その逸話をイメージ化した。ルオーのこの絵も、そうした伝統の上に立ったものである。

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