フリーダは、有力な後援者ホセ=ドミンゴ・ラビンから借りて読んだフロイトの著作「モーゼと一神教」に夢中になり、読書の印象をイメージ化した。「モーゼあるいは太陽の核(Moisés o Núcleo Solar)」と題されたこの絵がそれである。彼女はこの絵を二か月かけて完成させ、国立芸術宮殿の美術展で受賞した。
「私とオウム(Yo y mis pericos)」と題されたこの絵は、一時期恋愛関係にあった写真家ニコラス・ムライを念頭に置いた作品と解釈されている。二人は、フリーダの最初の個展(1938年)で知り合って以来、恋愛関係になったという。フリーダがディエゴと離婚・再婚をするあいだ、ムライはフリーダに付き添っていた。その二人の関係は、1941年に終わる。この絵は、その愛の終わりに促されて描いたということらしい。
「茨の首飾りの自画像(Autorretrato con collar de espinas)」と題されたこの絵は、「ドクター・エレッサーに捧げる自画像」と前後して制作された。両者とも、フリーダは茨の首飾りをつけている。茨の首飾りは、自分につらく当たるディエゴを象徴的に表現していると考えられる。この時期のフリーダは、ディエゴと離婚したばかりだったが、ディエゴを憎んでいたわけではなかった。ディエゴと一緒にいることができないことの代償として、他の男と付き合ったりしたが、まもなくやめてしまった。だから、男一般への複雑な気持ちを、この茨の首飾りで表現したかったのかもしれない。
「ドクター・エレッサーに捧げる自画像(Autorretrato dedicado al Dr. Eloesser)」と題されたこの絵は、サンフランシスコ滞在中に世話になり、その後深い交際を続けてきたメキシコ人医師レオ・エレッサーに捧げられたものである。エレッサーは、医師としてフリーダを支えたばかりではなく、彼女のよき理解者として心の支えにもなった。そんなエレッサーへのフリーダの感謝の気持ちを込めた作品だと解釈されている。
「断髪の自画像(Autorretrato con pelo cortado)」と題されたこの絵は、ディエゴと離婚した直後に描かれた。おなじみのテワナをぬぎ、男物のスーツを着て、男のような髪型になったフリーダが、じっと我々を見つめている。これは、フリーダの中にあったバイセクシャルの傾向のうち、男性的な面を強調した作品である。
「森の中の二人の裸婦(Dos desnudes en un bosque o La tierra misma o Mi nana y yo)と題されたこの絵は、副題に「大地あるいは乳母と私」とあるように、大地に横たわった乳母とフリーダをイメージした作品。フリーダはこれ以前に「乳母とフリーダ・カーロ」と題した絵を描いており、そこでは乳母との表面的なつながりが強調され、二人の間には深い愛情を感じることはなかった。この絵の中の二人は、親密とはいえないまでも、よそよそしい関係にも見えない。
フリーダ・カーロは、1939年の11月6日に正式に離婚した。その年の夏には、フリーダはコヨヤカンの両親の家で別居を始めたのだが、秋に離婚に合意、11月に書類上離婚したのだった。離婚を言い出したのはフリーダではなく、ディエゴだったという。フリーダは、自分がディエゴに捨てられたと思い、絶望したそうである。「ふたりのフリーダ(Los dos Fridas)」と題されたこの絵は、離婚直後に描かれたものである。
「水の中に見たもの、あるいは水がくれたもの(Lo que vi en el agua o Lo que el agua me dio)」と題されたこの絵は、フリーダ・カーロの自伝をイメージ化したものといわれる。バスタブの中にさまざまなイメージが描かれているが、それらのイメージのそれぞれが彼女の人生のある時期をあらわしているというのである。なかでも、水の上に飛び出した両足先とその水面への反映が、画面を支配しているので、この絵には「足の自画像」という別名もある。
「ドロシー・ヘイルの自殺(El suicidio de Dorothy Hale)」と題されたこの絵は、雑誌「ファニティ・フェア」の編集者クレア・ブース=ルースの依頼を受けて制作したもの。モデルのドロシー・ヘイルは、ニューヨーク社交界の花形で女優志望だったが、1831年に夫が死んだあと経済的困窮に陥り、1938年10月に、ニューヨークのハンプシャー・ビルの窓から飛び降り自殺した。ドロシーの親しい友人だったクレアが、ドロシーの生前の肖像画を母親に贈ろうと思ってフリーダ・カーロに制作を依頼したのだった。
「猿のいる自画像(Autorretrato con mono)」と題されたこの絵は、ニューヨーク現代美術館の館長コンガー・グッドイアーの注文を受けて制作したもの。グッドイアーは、ジュリアン・リーヴィ・ギャラリーでのフリーダの個展に展示されていた「フラン・チャンとフリーダ・カーロ」を欲しがったのだったが、すでに他の人のものになっていたので、同じような構図の絵を描いてほしいとフリーダに頼んだ。それを受けてフリーダは、メキシコへ旅立つ前に、ニューヨークのホテルでこの絵を完成させた。
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