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コンタレッリ礼拝堂では、聖マタイをモチーフにしたカラヴァッジオの二作品が非常に気に入ったので、祭壇画を追加で注文してきた。「聖マタイと天使」である。早速制作にとりかかり、一年近くかけて描きあげた。ところが祭壇に取り付けると、見栄えが悪すぎると言って受け取りを拒否された。そこでカラヴァッジオは代替策の制作を、契約期間内に終えた。

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カラヴァッジオは、聖ヨハネのモチーフが好きだったようで、折に触れていくつかの作品を描いているが、上のものはマッティ枢機卿の求めに応じて描いたらしい。枢機卿の甥にジョヴァンニ・バッティスタという少年がいたが、その名はイタリア語で「聖ヨハネ」を意味する。そこでその少年のために「聖ヨハネ」をモチーフにした絵を贈ったというふうに考えられてきたわけである。

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「勝ち誇るキューピッド」(上の写真)は、ヴィンチェンツォ・ジュスティアーニのために描いたもの。ジュスティアーニは、デル・モンテ枢機卿邸の隣に邸宅を構えており、カラヴァッジオの熱心なファンの一人だった。「リュートを吹く人」のほか、「聖マタイと天使」の第一バージョンを引き取ったりした。

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1601年の夏に、カラヴァッジオはデル・モンテ枢機卿の邸宅からジローラモ・マッティ枢機卿の邸宅へ移った。ジローラモはほかの兄弟ともどもカラヴァッジオの熱心なファンで、かれらの為にカラヴァッジオは世俗的な作品を描いてやった。上の写真は「エマオの晩餐」といって、マッティ枢機卿のために描いたものである。

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「聖ペテロの磔刑」の、第一作目が受領拒否されて描きなおされたもの。「聖パウロの回心」もかなりなリアルさを感じさせるが、こちらはそれ以上にリアルだ。実際に現場でこの絵を見た人は、皆一様に圧倒される。とにかくすごい迫力である。構図は単純そのもの、十字架の台に乗せられた聖ペテロを、三人の男たちがかつぎあげようとしているところだ。男たちは、顔を見せないでいるか、あるいはちらりと見せているだけで、自分の仕事に集中している。一方ペテロのほうは、十字架に両手足を釘付けされた状態で、うつろな目を虚空に向けている。

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コンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ」のシリーズが大変な評判を呼んだため、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のチェラージ礼拝堂に、聖パウロと聖ペテロをテーマとした同じような作品を作って欲しいと注文された。注文主はティベリオ・チェラージ。チェラージは高位聖職者だ。この礼拝堂については、当時の一流画家アンニーバレ・カラッチが装飾画の作成を依頼されており、正面の祭壇画「聖母被昇天」は完成していたのだったが、アンニーバレの主人であるファルネーゼ家に呼び出されて、残りの作業が中断していた、そのおはちがカラヴァッジオのところへ廻ってきたわけである。

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聖マタイは「マタイによる福音書」の著者であり、エジプトで殉教したと言われる。その殉教は、国王の恋を邪魔したことで憎まれ、暗殺されたのだという。その前にマタイは、死んだ王女を生き返らせる奇跡を行っていたのだったが、新しく王になったヒルタコスが、その王女の美しさに恋をして妻にしようとしたところ、聖マタイが反対した。そこで怒ったヒルタコスが、刺客を派遣して、マタイを殺させたというのである。

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デル・モンテ邸に隣接してサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂がたっている。その聖堂のコンタレッリ礼拝堂を飾る絵を、カラヴァッジオは受注した。この礼拝堂は、枢機卿マッテオ・コンタレッリが買い取ったもので、ここを優れた絵で飾ることはかれの念願だった。ところがその念願がかなう前に死んでしまったので、自分の死後その念願を実現せよとの遺言を残した。遺言執行人は、当時ローマで一流と言われた絵師の中からカラヴァッジオを選んで、「聖マタイの召命」及び「聖マタイの殉教」の連作を註文したのである。数ある絵師の中からカラヴァッジオが選ばれたのは、聖堂と近所付き合いのあったデル・モンテの口利きもあったのではないか。

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ホロフェルネスの首を切るユーディットの話は、聖書の「ユディト記」にもとづいており、さまざまな画家がモチーフとしてきた。もっとも有名なものとしては、ミケランジェロの天井画やクラナッハの連作があり、また近代ではクリムトが取り上げた。サロメと違って妖女ではなく、ユダヤ民族の救世主なのであるが、男の首をナイフで切り落としたという行為が、烈女としての彼女のイメージを形成した。

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アレクサンドリアの聖カタリナは、四世紀初頭に殉教した聖女。殉教して天国に召されたカタリナは、聖母マリアに気に入られ、イエスと婚約させられたという伝説があるくらい、聖女の中の聖女とされる。彼女が殉教した原因は、時のローマ皇帝マクセンティウスの誘惑をはねのけたからとされる。それ以前に彼女は、皇后をキリスト教徒に改宗させていた。

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これもマグダラのマリアの悔悛あるいは回心をモチーフにした作品。福音書におけるマグダラのマリアの事跡は、イエスの晩年にかかわるもので、すでにイエスに従う女性として描かれており、それ以前の回心についての記述はない。したがって、マグダラのマリアの回心にかかわる話は、みな伝説とか臆見のたぐいである。それゆえ、その場面をテーマにするものは、作者の創造によるものが多い。カラヴァッジオの場合も例外ではないだろう。

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マグダラのマリアは、イエスの処刑の場に立ち会った女性として、福音書の中に出て来る。イエスの死体に香油を塗るため、油を収めた器をもっていたとされるので、彼女を描いた絵は、その器を持った姿であらわされることが多い。「悔悛のマグダラのマリア」と題したこの絵では、マリアは器を以てはおらず、そのかわりに足元に置いている。

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聖家族のエジプト逃避は、ジョット以来多くの画家が取り組んで来たテーマだ。ロバに乗った聖母子と、ヨハネの組合せというのが多いが、ほかに何人かの人間を配する構図もある。また、聖家族が休息しているところを描いたものもある。カラヴァッジオは、休息する聖家族の前に、天使があらわれて、かれらを慰藉するために楽器を弾いているところを描いた。こういう構図は珍しい。おそらくカラヴァッジオの独創ではないか。

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カラヴァッジオは、ダルピーニのもとにいた時、多くの人間と知り合いになった。画商のヴァランタンもその一人だった。カラヴァッジオをデル・モンテ枢機卿につなげたのもヴァランタンだとされる。ヴァランタンはカラヴァッジオの多くの作品を売りたてる一方、売れる絵の制作を強く勧めた。当時よく売れた絵と言えば、宗教画だった。ジュビリーを控えて、需要が多かったのである。

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「バッカス」は、若者をモチーフにしたカラヴァッジオ初期の風俗画の仕上げのような作品である。これ以後カラヴァッジオの作風は、風俗画から宗教画の方へと移っていくのである。この「バッカス」は、デル・モンテ枢機卿が、友人のトスカーナ大公にプレゼントすることを目的に描かせたもの。バッカスをモチーフにしたのは「病めるバッカス」以来のことだが、この二つを比べて見れば、長足の進歩を見て取ることができる。

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「リュートを弾く人」は、カラヴァッジオの初期を代表する傑作である。これには二つのヴァージョンがある。上の絵は、サンクト・ペチェルブルグのエルミタージュ美術館にあるもので、デル・モンテ枢機卿の友人、ヴェンチェンツォ・ジュスティアーニの注文を受けて描いたもの。リュートを弾く若者の表情をスナップ風に描いた風俗画である。

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「女占い師」は、ローマの粋な若者がロマの女占い師に手相を見て貰っているところを描く。女は手相を見ると見せかけて、若者の手を握り、指輪を抜き取ろうとしているようにも見える。そんなところから、この絵は、「いかさま師たち」と似たような題材であり、描かれたのも同時期ではないかとの推測もなされたが、デル・モンテ邸に移ってからの作品だという解釈が有力である。

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1595年から数年間、カラヴァッジオはデル・モンテ枢機卿の世話になる。枢機卿の屋敷は、ローマのナヴォーナ広場の東隣にあった。パラッツォ・マダーマという広大な邸宅だ。ここにカラヴァッジオは、弟分の美少年で、男色相手と目されるマリオ・ミンニーティとともに移り住んだ。この邸宅滞在中に、カラヴァッジオは一流の画家としての名声を確立していくのである。

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カラヴァッジオは、プッチのもとを飛び出したあと、二三の画家のところに寄食したり、放浪同然の暮しを経て、カヴァリエール・ダルピーノの門人になった。ダルピーノは、カラヴァッジオよりわずか三歳年長だったが、当時はすでに一流の画家として、ローマでは有名であった。折からローマでは西暦1600年のジュビリーを控えて、方々で教会の建築や都市の改造が進んでいて、それらを飾るための絵画の需要が高まっていた。ダルピーノのもとには、大勢の注文が舞い込んでいたようだ。そんなダルピーノにとって、カラヴァッジオもそれなりの戦力になったはずだ。もっともカラヴァッジオは、ダルピーノが得意としたフレスコ画は、苦手であった。

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「トカゲにかまれた少年」も、「病めるバッカス」とともにカラヴァッジオの最初期の作品であり、おそらくプッチの家に寄食していたころに描いたものだろう。この絵にも、まだ稚拙さが感じられる。全体が暗い印象で、人物像がその暗さのなかに沈み込んで見えるほど、めりはりのはっきりしない絵である。しかし、なんとなく気迫のようなものは感じられる。

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