美を読む

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ルオーは、キリストの受難をテーマにした絵を夥しく描いた。「辱めを受けるキリスト(Le Christ aux outrages)」と題するこの絵は、その代表的なものの一つである。「この人を見よ」という言葉で知られている、ピラトの官邸におけるキリストの受難を描いたものだ。

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「老いた王(Le vieux roi)」と題するこの絵は、ルオーの最高傑作のひとつに数えられる。ステンドグラスを思わせるその画風が、もっともルオーらしさを感じさせるとともに、ルオー特有の内面的な深さをも表現し得ているからだろう。ルオーはこの絵の完成に20年以上をかけたと言われるが、それほど彼自身もこの絵に特別のこだわりをもっていたのであろう。

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ルオーは、キリストの顔をアップで描いた絵がおびただしい数に上る。その大部分は、首から下のない頭部だけを描いたもので、文字どおりキリストの顔と呼べるものである。ルオーはまたそのほかに、首から下を入れた、半身像のような絵をたくさん描いた。この作品は、その代表的なものである。

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宗教画家としてのルオーは、生涯に夥しい数のキリストの絵を描いた。それらはキリストの顔であったり、また新約聖書に取材したキリストの行いや蒙った迫害をモチーフにしたものだ。この絵「十字架の道(Via Crucis)」は、キリストの受難をテーマにしている。

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ルオーは1912年以降、キリストの顔、聖顔を繰り返し描き続けた。その大部分は、文字通りキリストの顔をアップで映し出すように描いたものだ。顔だけで、首から下のないものである。その顔は、長く伸びた鼻、大きく見開いた目、おちょぼぐちのように小さな口という特徴をもっている。その顔を画面の中心にどっかりと据え、その周辺を比較的単純なパターンのようなものでかたどっている。

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「傷ついた道化師」と題するこの絵は、「小さな家族」と同じく1932年に描かれた。この絵にも、親子らしい三人の道化が出てくる。真ん中にいる母親らしいものが、傷ついたのだろう。それを夫らしい右側の男と、子どもらしい左側の少年が気遣っている。

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ルオーは生涯を通じてサーカスにモチーフをとった作品を多く描いた。1903年ごろから描き始めたそれらの絵は、当初は道化などの人物をアップにしたものが多かったが、1930年代に入ると、複数の人物を主題にして、複雑な構図の絵が増えるようになる。1932年に描かれた上の絵は、そうした新しい傾向を感じさせるものである。

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「赤鼻の道化師」と題するこの絵は、1906年ごろに描いたものを、1925年ごろから28年ごろにかけて描きなおしたものだ。原型がどうだったか、伺いしれないが、おそらく構図はそのままで、色彩がかなり暗かったのだと思われる。それをルオーは、色彩を中心に描きなおした。その結果、コントラストの激しい、このような形に収まった。

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今日いわゆる「ルオー的な」絵として知られる絵をルオーが描くようになるのは、1920年代の半ば頃である。上の絵は、1925年に描かれたものだが、これなどは、いかにもルオーらしい。この一年前に描いたサーカスの道化の絵と比べて、相違は一目瞭然である。だから筆者は、この絵をもってルオー的な様式を確立したものだとし、また1925年をルオーにとっての決定的な転換の年だとしたい。

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ルオーは1903年のサロン・ドトーヌ展に出品することで画家としてのキャリアを出発した。その頃から1910年代の半ばごろまでにおけるルオーの主なモチーフは、サーカスとか娼婦といったものだった。これらのモチーフは、ピカソなども手掛けており、またそれ以前から多くの画家が好んで描いたものであって、ルオーに限らず時代の流行と言ってよいものだった。だが、ルオーの描き方には、ある特徴がみられた。それはサーカスの芸人や娼婦たちを、好奇の視線の先にあるものとしてではなく、精神的な存在として描くことであった。その精神性がやがてルオーを、キリスト教的な精神世界の表現に向けさせることになるのである。

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(ジョルジュ・ルオーの自画像)

ジョルジュ・ルオーは、20世紀最高の宗教画家と言われる。彼の絵は深い宗教性を感じさせるのであり、それを見る者を宗教的な恍惚にいざなう。彼のそうした宗教的な芸術表現は、14歳で弟子入りしたステンドグラスの職人としての修行に根差していることはよく言われる。というのも彼は生来敬虔なキリスト教信者であったわけではなく、カトリックに入信したのは1892年、21歳のときであった。その彼がキリスト教をテーマにした宗教的な作品を多く描くようになったのは、ひとつには少年時代のステンドグラスの修行と、生まれながらでなく自分の意思によって選び取った信仰の賜物と言ってよいのではないか。

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これもクリムトの遺作の一つである。完成度はかなり高い。あと一筆といったところだ。この肖像画のモデルとなったヨハンナ・シュトラウスと思われる女性の未完成の別の肖像画が残されているが、それを見るとクリムトの肖像画制作のプロセスがわかる。クリムトはまず、顔の部分をほぼ完成させ、その後に衣服や背景に映ってゆくのである。

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「花嫁(Die Braut)」と題したこの絵もクリムトの遺作の一つ。テーマは花嫁だが、アダムとイヴが聖書から伝わるイメージとかけ離れているように、この絵もまた花嫁のイメージとあまり結びつかない。花嫁のイメージを画面から読み取ろうとすれば、中央上部で顔を横に傾けた女性ということになろうが、それでも彼女から花嫁らしさが伝わってくるとはいえないようである。

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クリムトは55歳の若さで死に、多くの未完成作を残した。「アダムとイヴ(Adam und Eva)」と題するこの作品もその一つである。テーマは聖書にあるアダムとイヴの物語らしいが、絵からはそのようなイメージは伝わってこない。イヴはクリムトの作品に出てくる他の女たちとほとんどかわらないし、アダムのほうはあまり存在感を感じさせない。

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クリムトは「水蛇」などの作品で女性の同性愛らしきものを描いたが、「女友達(Die Freundinnen)」と題した晩年のこの作品もその延長上のものだろう。タイトルは「女友達」だが、一見してレズビアンのカップルとわかる。

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「死と生(Der Tod und Leben)」と題されたこの絵は、20世紀初頭に流行したフロイトの思想を踏まえた「エロスとタナトス」の具象化とも、ヨーロッパ中世を席巻した「死の舞踏」の現代的解釈とも言われた。

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「エリザベート・バホーフェン=エヒトの肖像」に見られたオリエンタリズムを更に押し進めたのがこの「フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像」だ。背景に中国風ともモンゴル風とも区別がつかないが、雰囲気としては東洋風のイメージが、隙間なくびっしりと描かれている。モネやゴッホの絵に見えるジャポニズム的な要素とはかなり違っている。

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「エリザベート・バホーヘン=エヒトの肖像」と題するこの肖像画は、装飾的なパターンを背景にして、女性の全身像を描いたものだ。女性を十頭身以上の極端なプロポーションで描くのは、クリムトの一貫したポリシーだ。その女性が、シルクの肌触りを如実に感じさせる白いドレスに包まれて、こちら側を正面を向いて立っている。構図としては、クリムトにおなじみのものだ。
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晩年のクリムトの絵には、無地に近い単調な背景に人物の群像を浮かび上がらせるタイプのものと、賑やかな装飾的パターンを背景にして単身の全身像を配置するタイプのものとが共存している。「乙女(Die Yungfrau)」と題されたこの絵は、前者の代表的なものである。

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「メーダ・プリマヴェージの肖像(Boldnis Mäda Primavesi)」は、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」と並んで、クリムトの前期から後期への過渡期を代表する作品だ。前期の特徴である「黄金様式」から、後期の特徴であるやわらかい色使いの装飾画への移行を読み取ることができる。

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