「ほどけた髪の浴女(Baigneuse aux cheveux dénoués)」と呼ばれるこの絵は、ルノワール晩年の傑作である。ルノワールは、1890年代に画家としての名声がとどろきわたるようになり、それに伴って経済的にも豊かになったので、自由に自分の好きな創作に身を打ち込むことができるようなった。そんなルノワールがもっとも熱心に打ち込んだのが裸婦の表現だった。
1890年代に円熟期を迎えたルノワールは、数多くの裸婦像を描いたが、中でもこの「長い髪の浴女 Baigneuse aux cheveux longs」はもっとも完成度が高い。腰のあたりまである長い髪を垂らしながら、一人の少女がいまにも水を上がろうとする一瞬を描いている。ルノワール独特の、スナップショット的な、動きを感じさせる絵だ。
アングルに学ぼうとしてルノワールは、アングルがもっとも得意とした裸婦像に取り組むようになった。晩年のルノワールの傑作は、大部分が裸婦を描いたものである。その最初の傑作が、「浴女(Les grandes baigneuses)」である。この大作をルノワールは、1885年に取り掛かってから、ほぼ2年かけて完成させた。完成させた作品は、ジョルジュ・プティの画廊で催された「国際絵画彫刻展」に出品した。プティは、ルノワールの保護者だったデュラン・リュエルのライバルの画商だった。
ルノワールはイタリア旅行から戻ると、古典主義を意識した大作の制作に取り掛かり、翌1883年の春に完成させた。縦長の画面の三部作で、いずれもダンスのヴァリエーションを描いていた。一つは「ブージヴァルのダンス(La danse a Boujival)」といい、残りの二つは「田舎のダンス(La danse a la campagne)」と「都会のダンス(La danse a la ville)」のペアだった。これらの絵には、イタリアで研究したラファエロの最初の影響が見られる。
19世紀の末に流行したジャポニズム趣味に、ルノワールはあまりかぶれはしなかった。ゴッホやマネなど多くの画家が、作品の中でジャポニズム趣味を発散させているのに対して、ルノワールにはジャポニズムを感じさせるものは、ほんの少ししかない。「うちわを持つ女(Jeune fille au ventilateur)」と題されたこの絵は、その代表的なものだ。
1879年頃から、ルノワールは再びセーヌ河畔を訪れ、舟遊びする人々を描くようになった。「舟遊びする人々の昼食(Le déjeuner des canotiers)」と題したこの作品は、代表的なもの。パリ近郊のシャトゥーにある島のレストラン、フルネーズを舞台にして、そこのテラスで昼食をとる人々を描いている。
ルノワールは、第三回目の印象派展を最後に、セザンヌやシスレーとともに、印象派展への出典を取りやめ、再びサロンに出展するようになった。当時の取り決めで、両方とも出展するわけにはいかなかったのである。そのサロンには、1879年に「シャルパンティ夫人と子どもたち(Madame Georges Charpentier et ses enfants)」を出展して、みごと入選した。それが彼に、画家としての名声と、将来への見通しをもたらした。ルノワールは、あのやかましかった美術批評家たちの支持を取り付けたのである。
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