美を読む

死と生(Der Tod und Leben):クリムト

| コメント(0)
klimt1916.2.1.jpg

「死と生(Der Tod und Leben)」と題されたこの絵は、20世紀初頭に流行したフロイトの思想を踏まえた「エロスとタナトス」の具象化とも、ヨーロッパ中世を席巻した「死の舞踏」の現代的解釈とも言われた。

klimt1916.1.1.jpg

「エリザベート・バホーフェン=エヒトの肖像」に見られたオリエンタリズムを更に押し進めたのがこの「フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像」だ。背景に中国風ともモンゴル風とも区別がつかないが、雰囲気としては東洋風のイメージが、隙間なくびっしりと描かれている。モネやゴッホの絵に見えるジャポニズム的な要素とはかなり違っている。

klimt1914.1.1.jpg

「エリザベート・バホーヘン=エヒトの肖像」と題するこの肖像画は、装飾的なパターンを背景にして、女性の全身像を描いたものだ。女性を十頭身以上の極端なプロポーションで描くのは、クリムトの一貫したポリシーだ。その女性が、シルクの肌触りを如実に感じさせる白いドレスに包まれて、こちら側を正面を向いて立っている。構図としては、クリムトにおなじみのものだ。

乙女(Die Yungfrau):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1913.1.1.jpg

晩年のクリムトの絵には、無地に近い単調な背景に人物の群像を浮かび上がらせるタイプのものと、賑やかな装飾的パターンを背景にして単身の全身像を配置するタイプのものとが共存している。「乙女(Die Yungfrau)」と題されたこの絵は、前者の代表的なものである。

klimt1912.2.1.jpg

「メーダ・プリマヴェージの肖像(Boldnis Mäda Primavesi)」は、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」と並んで、クリムトの前期から後期への過渡期を代表する作品だ。前期の特徴である「黄金様式」から、後期の特徴であるやわらかい色使いの装飾画への移行を読み取ることができる。

klimt1912.1.1.jpg

アデーレ・ブロッホ=バウアーはクリムトの恋人で、彼女の絵をクリムトは何枚か描いている。もっとも有名なのは1907年の作品だが、それとこの絵を見比べると、同じ画家の手になるとは思えないほど、違った印象を受ける。その要素はいくつかあるが、決定的なものは、色彩の使い方だろう。1907年のものが「黄金様式」の典型例として、金色を主体にして装飾性に富んだ作品なのに対して、この絵は、どちらかというと大人しい印象を与える。

klimt1910.1.1.jpg

1909年はクリムトにとっての転換の年になったといわれる。この年の展覧会で見たマティスやムンクの絵から、彼はそれまでの自分の絵が時代遅れになったのではないかとの深刻な悩みに直面し、絵画の様式の転換の必要性を強く意識するようになる。そこから彼なりの試行錯誤が続き、晩年の華やかな作品群が生まれたといえる。

ユーディットⅡ:クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1909.1.1.jpg

クリムトは、1901年に続いて1909年にもユーディットをテーマにした絵を制作した。世紀末をまたいだ時代のヨーロッパでは、サロメとかユーディットがファム・ファタールの典型として人気を博していたので、この絵もそうした人気に便乗したものだと思われる。便乗するということばかりではなく、クリムト自身にもファム・ファタールへの強い嗜好があったようだ。

ダナエ(Danae):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1908.2.1.jpg

ダナエはギリシャ神話に出てくるキャラクターである。その美しさをゼウスに見そめられたが、彼女が生んだ子は父親を殺すであろうとの予言を信じた父が彼女を塔の中に幽閉して、男を近づけさせないようにした。そこで彼女が恋しいゼウスは、黄金の雨となって塔の窓から侵入した。その結果生まれたのが英雄ペルセウスである。

接吻(Der Kuß):クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1908.1.1.jpg

金色を多用したクリムトの「黄金様式」を代表する作品である。男女が抱き合う構図はベートーベン・フリーズの中にも見られたが、そこでは男の大きな背中に隠れて女の表情は見えなかった。この絵の場合には女性の恍惚とした表情があらわにされ、彼女の顔に口付けする男の顔は半分見えるだけである。クリムトは、男女の接吻を描きながら、女のほうに比重をおいているわけである。

klimt1907.3.1.jpg

1905年から09年にかけて、クリムトはベルギーの大実業家アドルフ・ストクレの屋敷の壁画制作に従事した。これはストクレの屋敷の建築設計から装飾までを一括して請け負ったジョーゼフ・ホフマンらウィーン公房のプロジェクトの一環として行われたものだった。このプロジェクトは装飾性を最大のコンセプトにしていたが、クリムトもそのコンセプトを取り入れて、非常に装飾性の高い図柄を制作した。

水蛇Ⅱ:クリムトのエロス

| コメント(0)
klimt1907.2.1.jpg

「水蛇Ⅰ」とほぼ同じ時期に描かれたこの「水蛇Ⅱ」も女性たちの同性愛的な世界をテーマにしているようだ。Ⅰのほうが立ちながら抱き合っている二人の女を描いているのに対して、このⅡは思い思いに横たわる女たちを描いている。彼女らは互いに身体を密着させてはいないが、寛いだ雰囲気の中でもエロティックな感じをかもしだしている。

klimt1907.1.1.jpg

「水蛇」と題したこの絵は、写真で見ると大作のように見えるが、実際には小品(50×20cm)である。構図が非常に複雑で、モデルも表情に迫力があるので大作のように映るのだろう。そのモデルは二人の女性で、どうやら抱き合っているようである。抱き合いながら恍惚の表情をしていることから、一見してレズビアンだとわかる。世紀末は女性同士の同性愛たるレズビアンが、ヨーロッパ芸術の大きなテーマの一つになっていた。

klimt1906.1.1.jpg

この絵のモデル、フリッツァ・リートラーはオーストリア政府高官の妻ということ以外詳しいことはわからない。この絵がどのような経緯で描かれたかについても、詳細はわからない。肖像画の注文を受けて描いたというのが自然な解釈だが、クリムトが注文を受けて描いたほかの肖像画とは、かなり異なるところがある。

klimt1905.2.1.jpg

この絵のモデルは、ウィーンの実業家でクリムトのパトロンでもあったカール・ウィトゲンシュタインの娘である。二十世紀哲学の巨人ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは彼女の弟である。また、ラヴェルが「左手のためのピアノ協奏曲」をささげたというパウル・ウィトゲンシュタインも彼女の弟である。パウルは有能なピアニストであり、第一次大戦で従軍して右腕を失った後も、左手だけで演奏活動を続けた。

klimt1905.1.1.jpg

「一生の三時期(Die drei Lebensalter)」は、女性の生涯の三つの時期をイメージ化したものである。人間の生涯を三つの時期あるいは段階にわける考え方は、スフィンクスがオイディプスにかけた謎の神話以来ヨーロッパ人に馴染みの深いものだったが、クリムトはそれを、女性の人生に即して展開して見せたわけだ。

klimt1903.1.1.jpg

臨月の妊婦の裸体を真横から描いたこの絵は、発表当時、やはりすさまじい反響を巻きおこした。無論拒絶的な反響であり、スキャンダラスな騒ぎといってもよいものだった。あまりにもエロティックで、猥褻だという反応が強かったのだ。たしかに猥褻かもしれない。女性の裸体とか、妊娠した腹とかは、それ自体では猥褻ではないが、ある文脈の中におかれると、俄然猥褻な印象をあたえるものだ。クリムトのこの絵も、そのような猥褻さをかもしだすようなものだったと言えよう。

klimt1902.5.1.jpg

クリムトのベートーベン・フリーズ第三の壁画は、第九交響曲の第四楽章をイメージ化したもの。人類が敵対する勢力との戦いに勝利した喜びを描いている。大勢の合唱団が歓喜の歌を歌い、その手前では、合唱を浴びながら男女が抱擁しあう。合唱のイメージはともかく、男女が抱き合うことで喜びをあらわすというのは、クリムトらしいアイデアだ。

klimt1902.4.1.jpg

ベートーベン・フリーズのうち、第二の壁に描かれた部分は、人類に敵対する勢力をテーマにしている。批評家から激しい非難を浴びたこのプロジェクトの中でも、もっとも強い非難が集中した部分だ。縦220cm、横650cmの巨大な画面のうち、左側半分には人間に敵対する様々な魔物が、右半分には抑圧されて打ちひしがれる女が描かれている。

klimt1902.3.1.jpg

1902年、クリムトら分離派の芸術家が14回目の展覧会を開催した。テーマはベートーベンを中心にして総合芸術を追及しようというものだった。この当時、ベートーベンの名声は比類ないまでに高まっており、ワーグナーの音楽、ブールデルのマスク、ロマン・ローランの伝記などを通じて、ベートーベン礼賛が沸き起こっていた。分離派はこの動きに乗り、彫刻、音楽、絵画など様々な芸術を総合して、ベートーベンという偉大な人間をたたえようとしたわけである。

Previous 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11



最近のコメント

アーカイブ