美を読む

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「ギターを弾く女」は、フェルメールの最晩年に近い頃(1670年代初め)の作品だと考えられる。最晩年のフェルメールは、全盛期に比べて構図に締りがなくなり、彩色技術にも手抜きが目立つという厳しい評価があるが、この絵はそうした評価が(残念ながら)あてはまる作品だと言えよう。

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「手紙を書く女と召使」は、手紙を読んだり書いたりする女を描くことで、手紙にこだわり続けてきたフェルメールにとって、手紙をモチーフにした最後の作品である。このモチーフでの最後の作品とあって、それまでに現れていた要素が繰り返され、いわばこのモチーフの絵の集大成のようなところがある。

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「レースを編む女」は、「牛乳を注ぐ女」と同様家事にいそしむ女性の姿を描いたものである。レースに限らず布を編んだり裁縫をしたりは、当時のフランドル社会では最も女性に相応しい仕事とされ、それらにいそしむ女性の姿は非常に素晴らしいと受け取られていた。そのような社会的背景があったために、当時はこのような主題の風俗画が多く製作された。フェルメールのこの絵も、そのような時代の動きを反映したものと考えられる。

恋文:フェルメールの女性たち

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「恋文」も、「女主人と召使」同様、女主人と彼女のもとに手紙をもたらした召使をモチーフにしている。「女主人」のほうは、テーブルを前にして手紙を書いている途中の女主人のもとに、召使が届いたばかりの手紙、おそらく恋文を手渡そうとしているところを描いているが、こちらは暖炉のそばに腰掛けてマンドリンを弾いている最中の女主人に、召使が手紙を手渡した瞬間を描いている。

女主人と召使:フェルメールの女性たち

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「女主人と召使」は、構図的には「手紙を書く女」と似ているところがある。どちらも、大きなテーブルを前に女が座って手紙を書いている。テーブルにかけられたクロスや女の着ている上着も全く同じものだ。女の配置の仕方が画面の前に出てきているのも共通している。一方異なっている点は、女のほかにもう一人の人物である召使が加わっているのと、女がその召使のほうへ顔を向けているところだ。

手紙を書く女:フェルメールの女性たち

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フェルメールは絵の中に手紙を取り入れることが好きだったようで、手紙を読む女を二点、手紙を書く女を三点描いている。これは、手紙を書く女のうちの一点。このモチーフとしては最初のものだ。フェルメールが、手紙に拘ったのは、時代の流行と関係があるらしい。1650年代のフランドルでは、手紙を書く女をモチーフにした絵が流行したが、フェルメールはそれを意識して、1660年代に手紙をモチーフにした絵を描いたのではないか。

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「フルートを持つ女」は、「赤い帽子の女」とともにフェルメールの真筆に疑いをさしはさまれることがあるが、その疑いの度合いは「赤い」よりも強い。美術家のなかには、「赤い」を真筆として、「フルート」をそうではないとするものもいるが、それは間違いだとするべきである。この二つには決定的な共通点があり、同じような時期に同一の作者によって描かれたと考えるのが自然だからである。

赤い帽子の女:フェルメールの女性たち

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「赤い帽子の女」は、次に取り上げる「フルートを持つ女」とともに、フェルメールの真筆を疑われることのある作品である。フェルメールの絵のほとんどは、中サイズのカンヴァスに描かれているのに対して、この二つは非常に小さいサイズの板に描かれていること、いづれも20世紀になって発見されたが、それまではこれらの存在を裏付けるような手がかりが存在せず、発見者の直感によってフェルメールの作品だとされたこと、などによる。だが今日では、これらをフェルメールの作品と認める美術関係者が多数派を占める。

少女の頭部:フェルメールの女性たち

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「少女の頭部」は、「真珠の耳飾りの少女」と比較されることが多い。どちらも漆黒の背景に浮かび上がった少女のトルソーを描いていること、その少女の顔が横向きになった上半身の肩越しにこちらを向いていること、髪のうしろにベールをたらしていることなど、共通点があるからだ。

合奏:フェルメールの女性たち

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「合奏」は、「音楽の稽古」とよく比較される。構図や雰囲気に似ているところがあるからだろう。構図については、両者ともモチーフの人物を画面奥に配置し、その手前に大きなテーブルを持ってくることで、広い空間を感じさせる。その空間は遠近法によって演出されており、床の市松模様の角度を有効に利用することで、奥行きの深さを感じさせる工夫をしているのである。

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「真珠の耳飾りの少女」は、フェルメールの作品の中でもっとも人気が高いといってよい。日本人にも大人気で、2000年に始めて日本にやって来たときには、すさまじい数の人々が、一目見ようと押し寄せた。フェルメール自身が日本人に深く愛されているなかで、この絵はもっとも愛されているのである。

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「水差しを持つ女」は、構図的には「牛乳を注ぐ女」とよく似ている。女性の単身像であること、どちらも窓辺で家事にいそしんでいる女性の姿を捉えているところに共通点がある。相違と言えば、「牛乳を注ぐ女」が、自分の仕事に没頭しているのに対して、こちらの絵の中の女性は、水差しを持ったまま顔を窓のほうへ向け、仕事とは関係のない別のものに関心を取られているところだ。

音楽の稽古:フェルメールの女性たち

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「音楽の稽古」は、「紳士と共にヴァージナルの前に立つ女」とも呼ばれる。一人の若い女がヴァージナルの前に立って、鍵盤を弾き、それを脇にいる紳士が見守っている。紳士は恐らく音楽の教師で、女は彼の指導を受けながら音楽の稽古をしている、というふうに解釈できる。

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「真珠の首飾りの女」は、フェルメールの肖像画の一つの到達点を示すものとして、「手紙を読む青衣の女」「天秤を持つ女」と並んでフェルメールの最高傑作のひとつに数えられている。いずれもフェルメールがもっとも円熟を示した1662-1664年頃の作品である。

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フェルメールは、音楽をモチーフにした絵を何点か描いている。そのなかには楽器を演奏する場面を描いたものがいくつかあるが、「リュートを弾く女」はその早い時期の作品だ。一人の若い女が、窓辺に置かれたテーブルの前に座り、リュートを弾いているさまを描いたものだ。

天秤を持つ女:フェルメールの女性たち

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「天秤を持つ女」は「手紙を読む青衣の女」とほぼ同じ時期に描かれた。どちらも女性の立ち姿を大写しで描いているところが共通している。また、一方は手紙を読み、もう一方は天秤を測る、と言う具合に、していることは異なるが、その行為に熱中している女性の表情を描いているところは共通している。

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「手紙を読む青衣の女」は、女性のとっているポーズが「窓辺で手紙を読む女」とよく似ているが、似ているのはそれだけで、他の部分には共通点はない。にもかかわらず全体的なイメージとして両者は非常に似た作品だとの印象を与える。おそらく女性のとっている姿勢が、強いインパクトを持っているからだろう。そのインパクトとは、無心に手紙を読む一人の女性の内面から浮き出てくるような精神性だと考えられる。

稽古の中断:フェルメールの女性たち

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「稽古の中断」も、愛の誘惑をモチーフにしたものだとの解釈がなされている。ワイングラスを手にしたり、グラスからワインを飲んでいる女性たちとは異なり、この絵の中の女性は、男から手渡された手紙を読もうとしているところだ。ワインが女性への誘惑を直接感じさせるのに対して、手紙からはそのような感じはストレートには伝わってこない。しかし、この絵をよく見ると、愛への誘惑を感じさせる要素がいくつか認められる。

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「二人の紳士と女」は、「士官と笑う娘」、「紳士とワインを飲む女」同様ワインによる女性の誘惑をテーマにしている。この絵は特に後者の「紳士」との連続性を強く思わせる。四葉のクローバー模様をあしらった窓、市松模様の床のカーペットなどから、同じ部屋を背景にしていることがわかるし、男が女にワインを飲ませようとしている構図も共通している。そんなところからこの二つの作品は、相前後して描かれたと考えられる。

牛乳を注ぐ女:フェルメールの女性たち

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「牛乳を注ぐ女」は、フェルメールの絵の中では「真珠の耳飾の少女」と並んで有名な作品である。この作品は早い時期から特別の評価を得ていた。そのことは1696年にフェルメールの遺作が売りに出されたとき、小品であるにかかわらず破格の値段が付けられたことに現れている。この作品の何が、高い評価につながったのか。

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