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ルソーの晩年に絵を買ってくれた画商には、ヴォラールの他、エッチンゲン男爵夫人とかアルデンゴ・ソフィッチといった人々がいた。エッチンゲン男爵夫人は、ルソーの画集を最初に手掛けた人である。またソフィッチは、以前見て感動した牛のいる風景をもう一枚書いてくれと頼んだ。それに応えて書いたのが、現在ブリジストン美術館にある「牧場」である。

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ジェニエ爺さんは、ルソーが晩年に暮らしていたペレル街の界隈で食料品店を営んでいた。ルソーはその店に多額のツケがたまったのだが、なかなか支払えないでいた。そこでツケのお詫びに描いたのが、この絵だという。これはジェニエ爺さんの一家が馬車に乗ってピクニックに出かけるところを描いており、家族にとってはよい記念になるものだった。

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アンリ・ルソーの絵が売れるようになったのは最晩年のこと、死ぬ二年前ほどのことだ。「蛇使いの女」の成功などで、画家としての名声が高まったのだ。しかし貧乏暮しは相変わらずだったし、死の前年の1909年には、前々年に引き起こした詐欺事件のために懲役二年の刑を宣告された。執行猶予がついたので投獄は免れたが、精神的なショックは大きかっただろうと思われる。

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1907年の「サロン・ドートンヌ」に出展された「蛇使いの女」は、ルソーの代表作と言ってよい。実際この作品が展示されたとき、人びとは沈黙して画面に見入ったと言う。それまでならかならず、ルソーの素朴さを揶揄するような評が出たものだが、この絵に限っては、そういう揶揄は一切聞かれなかった。それほど迫力があったのである。

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「平和のしるしとして共和国に挨拶に来た諸大国の代表者たち(Les représentants des puissances étrangères venant saluer la République en signe de paix)」と題するこの作品は、1907年のアンデパンダン展に出展された。大変な評判となり、絵の前には大勢の人だかりができたという。そして見る者はみな腹をかかえて笑ったそうである。たしかに、この絵には、人を馬鹿にしたようなところがあり、それが人々の笑いを誘ったのであろう。

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「第22回アンデパンダン展への参加を芸術家に呼びかける自由の女神(La Liberté invitant les artistes à prendre part à la 22e exposition des Indépendants)」は、タイトルどおり1906年の第22回アンデパンダン展の宣伝ポスターのような意味合いで描いた作品。ルソーがなぜこんなものを制作したのか、正確なところはわからないが、アンデパンダン展はルソーにとってほとんど唯一の作品発表の場であり、その名声があがることは、自分にとっても都合のよいことだったので、あえてそれを宣伝して見せる気になったものと見える。

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ブルターニュ地方は、素朴でおおらかな風景が多くの画家を魅してきた。アンリ・ルソーも魅せられた一人らしく、「ブルターニュ風景、夏(Vue de Bretagne, l'été)」という作品を残している。森林の中に開けた牧草地で、家畜に草を食ませている母子をモチーフにしている。

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フランスの美術界は、長いあいだ官選の展示会であるサロンが牛耳っていたが、その保守性を批判する芸術家たちが、サロンに対抗する形であらたな展示会を1903年に作った。春のサロンに対して、秋に行われたことから、サロン・ドートンヌと呼ばれるようになった。

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「田舎の婚礼(La noce)」と題されたこの絵は、アンリ・ルソーの集団肖像画の傑作である。1905年のアンデパンダン展に出展された。森の中でポーズをとっている人々は、今で言えば結婚式の記念撮影に応じているといった具合だ。

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アンリ・ルソーにはジャングルを背景にした女性の裸体像が数点、現在に伝わっている。「エヴァ」をモチーフにしたこの絵は、その代表的な作品。旧約聖書の創成記から、エヴァにまつわる話を視覚化したものである。

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「人形を持つ子供」と呼ばれるこの作品は、「ポリシネル人形を持つ」子供と並んで、現存するルソーの子供の肖像画四点のうちの一点。前作同様、人形を持って正面を向いた子どもを描いている。

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ルソーは子供の絵を多く描いた。アンデパンダン展の目録に乘っているものを数えると11点ある。子どもが好きだったということもあろうが、それよりも記念写真代わりに注文を受けて描いたようである。「ポリシネル人形を持つ子供」は、その代表的なもの。

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アンリ・ルソーは、同時代の大家で新古典派の重鎮レオン・ジェロームを尊重していて、度々自分の作品の手本とした。前に紹介した「眠れるジプシー女」はその代表的なものだが、1902年の作品「幸せな四重奏」にもジェロームの影響が指摘できる。

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1899年9月に、ルソーはジョゼフィーヌと結婚した。彼女はノルマンディ出身の庶民の娘で、敬虔なカトリックだったといわれる。そのほかのことはほとんどわかっていないが、ルソーはクレマンスの死後間もない頃に彼女に思いを寄せて以来、ほぼ十年越しの恋が実って結婚したのだった。

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「眠れるジプシー女(La Bohémienne endormie)」は、「戦争」とともにルソーの中期の代表作。1897年のアンデパンダン展に出展した。あいかわらずからかい半分の酷評が多かったが、好意的な評もあった。「ルヴュ・ブランシュ」誌には、ルソーの単純さを讃える評がのったが、それには当時のルソーの親友ジャリの意見が反映していたらしい。

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ピカソがルソーに深い敬意を表していたことはよく知られている。ピカソはその敬意の印として、大勢の友人を集めた夜会を開き、そこにルソーを招いた。美術史上有名な1908年のピカソのアトリエの夜会である。その夜会の席では、会場のもっとも目立つ場所に、ルソーの「女性の肖像(Portrait de femme)」という絵が飾られた。ピカソはこの絵を、ジャンク市場でたった五フランで買ったのだが、それ以来大事にしていた。いまでもピカソ美術館に保存されている。

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「砲兵たち」は「戦争」と同じ時期に描かれたと思われる。「戦争」のほうは戦争の残酷さを描いているが、こちらは戦士たちの勇敢な姿を描いている。ルソーには約五年間の軍隊生活があり、これはその体験を踏まえた作品かとも思われているが、実はそうではないらしい。ルソーはこの絵を、実在の歩兵部隊を前にしてではなく、記念写真をもとに描いたらしいのである。

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「戦争(La guerre)」と題したこの絵は、ルソーの初期の代表作というべきもので、1894年春の第十回アンデパンダン展に出展された。ルソーは前年の1893年の12月に長年つとめていたパリの入市税関をやめたが、それはこの作品の制作に打ち込むためだったともいわれる。ルソーはいよいよ画家としての自分に確固たる信念を抱くようになったのであろう。

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ルソーの肖像画には著しい特徴がある。風景と一体となっていること、人物が正面を向いており、ほとんどの場合立っていることだ。バラ色の服の少女(Jeune fille en rose)」と題したこの絵は、その典型的なものだ。

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