美を読む

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1863年から1866年にかけて、クリミア半島を舞台にして、英仏及びオスマントルコの同盟軍とロシアと間で戦争が起こった。世に「クリミア戦争」と呼ばれている。この戦争にドーミエは関心を示し、フランス人の立場から野蛮なロシア人をこき下ろす版画を作った。「北方の熊(L'oues du nord)」と題したこの石版画は、ロシアを罵倒した最たるものである。

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ナポレオン三世は1853年にオースマンをセーヌ県知事に任命し、首都の大改造を指示する。オースマンは壮大な計画をたて、パリの大改造を実施する。今日のパリの街の姿は、その結果実現したものである。道路を広げ、大きな広場を作り、整然とした街並みを整備する一方、パリの街区も従来の十二区から二十区へと拡大する。パリ大都市圏の成立である。

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「シャンゼリゼへ!( Aux Champs-Elisee)」と題されたこの石版画も、「観閲の日」と同じく、ラタポアールらナポレオン派の策動を批判した作品。これは、仕込み杖をたくさん抱えたラアポアールが、シャンゼリゼ大通りに向かう群衆に対して、仕込み杖で大統領官邸を警護しようと呼びかけている様子を描くとされる。

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ルイ・ナポレオンがクーデタを起こすのは1851年12月のことで、その翌年には皇帝に即位するのだが、ナポレオン派は、それ以前から活発な活動ぶりをみせていた。「観閲の日々(Un Jour de Revue)」と題したこの石版画は、そうした策動の一端を批判したもの。

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ルイ・ナポレオンが大統領に当選したことを記念して、「十二月十日博愛主義協会」という組織が結成された。ナポレオンの最大の支持組織である。その組織は、ラタポアールとカスマンジューという二人の人物によって代表されていた。「ラタポアールとカスマンジュー(Ratapoil et Casmanjou)」と題するこの石版画は、かれらを批判的に紹介した作品である。

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ヴィクトル・ユーゴーといえば、フランスのロマン主義文学を代表する作家であり、また政治的な活躍でも知られている。この石版画は、文学者としてのユーゴーではなく、政治家としてのユーゴーを描いたものだ。ユーゴーは二月革命後の普通選挙で立候補し、みごと代議士に当選したのである。

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二月革命の熱気を受けたかたちで、マルクスとエンゲルスが有名な「共産党宣言」を書いた。この挑発的なパンフレットが、フランス社会に大きな影響を及ぼすということは、しばらくの間はなかった。だが、革命の熱気は、さまざまな社会主義運動を活発化させた。フランスには、サン・シモンやフーリエ以来の社会主義の伝統があったのだ。


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二月革命はフランスを共和国体制に導いた。新たに憲法が制定され、大統領選挙が行われることになった。その選挙に、イギリスに亡命していたルイ・ナポレオンが立候補する意思を示した。ルイ・ナポレオンとは、あのナポレオン・ボナパルトの甥である。とはいえ、かれはフランスでは忘れられた存在だった。そのかれが、船に乗ってドーヴァー海峡を渡り、フランスに上陸したことで、世間は俄然騒がしくなった。

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二月革命によってルイ・フィリップの王政は崩壊したが、新しい共和制はまだ明確な姿を結んでいなかった。一応、21歳以上の男子による普通選挙が4月に行われ、制憲議会のもとで新憲法が制定される。それによって第二共和政といわれるものが生まれる。これは、穏健なブルジョワ支配体制をねらったもので、労働者を中心とした左翼から強い批判を浴びた。その批判は武力蜂起に発展した。いわゆる六月蜂起である。

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二月革命が勃発すると、難を恐れた国王ルイ・フィリップはイギリスへの亡命をはかり、テュイルリー宮を脱出した。その王のいなくなった宮殿に、群衆が殺到した。その様子を描いたのが、「テュイルリー宮の腕白小僧(Le Gamin de Paris aux Tuileries)」と題されたこの石版画である。

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1848年2月、いわゆる二月革命が勃発すると、ドーミエは多大な関心を寄せ、一時期控えていた政治的な風刺版画を再び手掛けるようになる。「最後の閣僚会議(La dernière réunion du cabinet des ex-ministres)」と題したこの石版画は、二月革命によせるドーミエの共感を示したものである。この石版画を通じてドーミエは、王政の打倒と共和国の復権を訴えたのであった。

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よきブルジョワ:ドーミエの風俗版画

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ルイ・フィリップは立憲君主制を標榜し、選挙で選ばれた議会に一定の権限を与えた。しかしその選挙は制限選挙制であり、選挙権を持つのは一部の金持だけだった。全国で85ある選挙区で、1000人以上の選挙権者があるのは27にとどまり、パリが属するもっとも大きな選挙区セーヌ二区でも、3000人に満たなかった。

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「優等賞の授与(La distribution des priz)」と題されたこの作品は、「人生の幸福(Les beaux jours de la vie)」シリーズの一点。幸福そうな表情をした父娘を描いたものだ。父親が抱えているのは、娘が優等賞の副賞としてもらった本である。それをうれしそうに抱えた父親のとなりで、娘が得意げな表情をしている。

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「さあ!デディ-ヌ(Eh1 Didine)」と題されたこの石版画は、ドーミエとしては珍しく、男女の閨房での様子をテーマにした作品。男が女に向かってやさしく話しかけると、女はそれをセックスへの誘いの言葉と勘違いして、あらいやだわ、と答えている。

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「コレラ流行の記憶(Souvenirs du Choléra-Morbus)」と題されたこの石版画は、1840年に出版されたフランソワ・ファーブルの書物「絵入り医学のネメシス」の挿絵として制作されたもの。原文は、1832年にフランスで起きたコレラのパンデミックを解説していた。

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「時計の安全鎖売り(Vendeurs de chaîne de sécurité de montre)」と題するこの石版画は、「パリのボヘミアン」シリーズのひとつ。ブルジョワ紳士に時計の安全鎖を売りつけるスリたちを描いている。「ロベール・マケール」シリーズではないが、スリの中には、マケールとベルトランを思わせる人物像が登場している。

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ドーミエは政治的な風刺版画のほかに、同時代のパリの風俗をテーマにした版画も多く作った。とくに、「カリカチュール」が発行できなくなってからは、そうした風俗版画を多作したが、それらにもやはり、政治的な視線を感じさせるものがある。

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この作品も「ロベール・マケール」シリーズの一つ。ここではロベール・マケールは慈善家に扮している。慈善家というのは皮肉で、健康増進剤として浣腸を売りつけ、大儲けしていた商人をモチーフにしたもの。その商人は、自分のやっていることはただの商売ではなく、慈善行為だと開き直っていた。

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「聖書商人ロベール・マケール(Robert-Macaire Md de bibles)」と題されたこの石版画は、新聞王ジラルダンを風刺した作品。ジラルダンはラ・プレスほか有力な新聞を発行し、それに広告の機能を持たせることで、巨万の富を得た。そのやり方は、誇大広告で人々の購買意欲をあおるというもので、それに対してシャリヴァリによるフィリポンとドーミエは強く反発した。

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