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敗者を略奪:ゴヤの版画

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(彼らはここまでむしり取る)

ゴヤの時代には、戦いに勝ったものが負けたものから略奪するのは当然のことだった。負けた当事者が、都市や村の住民だった場合には、都市ごと、また村ごと略奪にあった。財産が奪われるのは無論、生き残った男は殺され、女は強姦された。この時代の戦いは、そういう面で非常に人間的なスケールだったわけだ。なにもかもが可視的なだけに、その残虐性は目を覆うほどである一方、人間的なスケールをはみ出すことはなかったわけだ。

抵抗もむなしく:ゴヤの版画

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(その連中のためでもない)

これはフランス兵によって陵辱されるスペイン女たちを描いたもの。女たちはフランス兵相手に戦いを挑んだものの、あえなく敗れてこのような目にあっているのだろう。前出の「やはり野獣だ」に描かれた場面の続きだとみれば、わかりやすい。

勇敢な女性たち:ゴヤの版画

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(やはり野獣だ)

スペインの対ナポレオン戦争には、女性たちも大勢参加したといわれる。スペイン側の兵力は民兵が中心で、その戦いぶりは、正規戦というよりは、ゲリラ戦のごときものだったから、そのゲリラ戦に、男たちに混じって多くの女も加わったわけだ。ゴヤは、版画集「戦争の惨禍」の最初の部分で、そんな女たちの勇敢な戦いぶりを描いた。

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(来るべきものの悲しき予感)

版画集の冒頭に予定されていたのが、「来るべきものの悲しき予感」と題するこの作品である。これとほぼ同じ構図の宗教画「オリーブ山でのキリスト」を、世俗風に描きなおしたものと言える。この構図でゴヤは、来るべき戦争の惨禍への予感を表現しているものと思われる。

戦争の惨禍:ゴヤの版画

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ゴヤの版画集「戦争の惨禍( Los desastres de la guerra )」は、スペインの対ナポレオン独立戦争を題材にしたものである。この戦争(対仏戦争ともいう)は、1808年から1814年まで続いたもので、ナポレオンの弟ジョゼフのスペイン王戴冠に始まりナポレオンの没落によって終わる。この戦争の様子をゴヤは1810年頃から版画に表現し始めた。

束縛:ゴヤの版画

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(我々を解き放してくれる者はいないのか)

この絵は、結婚の束縛を描いたものだとされる。二人の男女が互いに縄で結びあわされ、離れようとしても離れることができない。一羽の巨大なフクロウが飛んできて、女のほうを連れ去ろうとするが、束縛があまりにも強いために、女だけを連れて行くわけにはいかない。

妖術の修行:ゴヤの版画

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(美しい女教師)

老婆と若い女が箒に跨って空を飛んでいることから、これは妖術の訓練を描いたものだと、題名からも推測できる。老婆が前で若い女が後と言うことは、若い女のほうが教師なのだろう。題名もそのように仄めかしている。年長者が年少者を教育するというのが普通だから、これはその普通の想念から外れているわけだ。魔女の世界には、このようなことは当たり前だ、といわんばかりに。

変身:ゴヤの版画

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(何と勿体ぶった奴らだ)

ゴヤの場合、人間が動物に変身するのは、強欲や怠惰といった悪徳のむくいとしての意義を持たされている。この絵の中では、二人の人物がロバに変身し、それぞれ猛禽類の顔を持った男と豚面の男を背中に担いでいる。彼らは何ゆえに、動物に変身したのだろうか。

魔女たち:ゴヤの版画

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(修行)

魔女たちは、ゴヤの版画を彩るアンチ・ヒロインである。アンチ・ヒロインというのは、彼女らには恐怖よりも滑稽のほうが似合っているからだ。ゴヤの版画に出てくる魔女たちは、どことなく憎めないところがある。これは、ゴヤの時代にはまだ魔女の存在を人々が強く信じており、しかもそれが恐怖の対象であったことを考えると興味深いことだ。

生への執着:ゴヤの版画

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(死ぬまでは)

人間、いつまでも若々しく、できるだけ長生きしたいという願望は持っている。その願望は、それ自体としては健全なものだが、あまり度を過ぎるとグロテスクさを呈することになる。とりわけ、年老いたものが、年相応に振舞わず、いつまでも若いつもりでいるような場合に、そのグロテスクさは頂点に達する。

空疎な権威:ゴヤの版画

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(仕立屋のなせる業)

聖職者の格好をした大きな人物の前で一人の若い女性が跪き、その周辺にも沢山の人々が跪いたりお祈りを捧げたりしている。この作品をゴヤは、「仕立屋のなせる業」と題したわけだが、その訳は、人々はこの人物の徳性にではなく、その見せかけに反応しているということを現している。つまり、仕立屋の仕立てた服装のおかげで、人々がありがたく跪いているのである、と言いたいわけであろう。

妖怪:ゴヤの版画

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(小悪鬼たち)

ヨーロッパには妖怪とか妖精とか呼ばれたものの実在が、中世から近世にかけて広く信じられていた。これは一方では聖書に出てくる悪魔との関連性を感じさせるが、他方ではキリスト教の普及によって抑圧されたヨーロッパ土着の信仰に起源があるとも考えられている。それには従って、邪悪な存在としての側面と同時に親しみやすいといった側面もある。シェイクスピアの喜劇に出てくるパックやアリエル、そしてキャリバンといったものたちは、こうした妖精の両義的特徴を最もよく備えたものだと言えよう。

非理性としての怪物:ゴヤの版画

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(理性の眠りは怪物を生む)

この絵は、もともとは版画集「きまぐれ」の扉絵として考案された。題名の「理性の眠りは怪物を生む」からして、「きまぐれ」全体に共通するテーマをあらわしているかのようである。もっとも、この作品は最終的には、第43番目の枠に挿入されることになった。

ロバの学習:ゴヤの版画

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(弟子のほうが物知りか)

人間の愚行を動物の姿に託して描くのはゴヤの常套手段だったが、そのなかでもっとも頻繁に登場するのはロバだ。ロバは、ゴヤにとってのみならず、ヨーロッパの言説空間の中では、愚昧と無知の象徴として活躍してきたのだったが、ゴヤもまた、ロバを無知の化身として使っている。

牢獄:ゴヤの版画

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(感じやすかったがために)

ゴヤの時代のスペインは、他の西洋諸国と比べて歴史の歯車がひとサイクル遅れていたので、いろいろなタイプの人々が牢獄に入れられていた。牢獄は、犯罪者を処罰する所という側面の外に、社会の常軌から外れた連中を排除し、隔離するための場でもあったわけだ。

怠惰と貪欲:ゴヤの版画

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(これこそまさに読書だ)

小さな椅子にちょこんと腰かけた老人。背後の暗闇には二人の男がいて、一人は老人の髪を手入れし、もう一人は老人に靴を履かせている。当の老人は、組んだ膝の上に本を広げているが、それを読んでいるわけではない。居眠りをしているのだ。

異端審問:ゴヤの版画

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(あの塵埃)

ゴヤの生きていた時代には、異端審問所がまだ存在して活動していた。それは、もともと宗教裁判として始まり、異端の考えを持った者を断罪していたのだが、ゴヤに時代になると、宗教的な異端者ばかりでなく、政治的な反政府分子を弾圧する手段としても使われていた。実際多くの自由主義者たちが異端審問の対象になったのであり、ゴヤ自身にも、異端審問所から呼び出されるということがおこった。ゴヤが晩年フランスへ移住したのは、ひとつには異端審問から逃れるためだったとも言われる。

むしられる鳥たち:ゴヤの版画

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(みんなひっかかるだろう)

この奇妙な絵で、ゴヤは一体何を言いたかったのか、様々な憶測がなされてきた。図像的には、画面の下で、人間の顔をした鳥が、女たちによって羽をむしられ尻の穴に串を突っ込まれているのと、一本の枯れ木の枝の上やその周囲にいる、これもやはり人間の顔をした鳥たちが目を引く。この鳥たちは、何の隠喩をあらわしているのだろうか。

遣手婆:ゴヤの版画

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(けっこうな忠告)

版画集「きまぐれ」には、遣手婆(セレスティーナ)が多くあらわれる。遣手婆の仕事は女の売春相手を斡旋することで、決して忠告などをすることではないが、この絵の遣手婆は、題名通りだと、若い女になにかしら忠告していることになっている。

貪欲な聖職者たち:ゴヤの版画

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(かっかしている)

版画集「きまぐれ」の中でゴヤがこだわったテーマの一つに聖職者への批判がある。聖職者は、欺瞞と貪欲の権化として描かれることが多いが、なかでも修道士がその最たるものとされる。

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