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「砲兵たち」は「戦争」と同じ時期に描かれたと思われる。「戦争」のほうは戦争の残酷さを描いているが、こちらは戦士たちの勇敢な姿を描いている。ルソーには約五年間の軍隊生活があり、これはその体験を踏まえた作品かとも思われているが、実はそうではないらしい。ルソーはこの絵を、実在の歩兵部隊を前にしてではなく、記念写真をもとに描いたらしいのである。

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「戦争(La guerre)」と題したこの絵は、ルソーの初期の代表作というべきもので、1894年春の第十回アンデパンダン展に出展された。ルソーは前年の1893年の12月に長年つとめていたパリの入市税関をやめたが、それはこの作品の制作に打ち込むためだったともいわれる。ルソーはいよいよ画家としての自分に確固たる信念を抱くようになったのであろう。

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ルソーの肖像画には著しい特徴がある。風景と一体となっていること、人物が正面を向いており、ほとんどの場合立っていることだ。バラ色の服の少女(Jeune fille en rose)」と題したこの絵は、その典型的なものだ。

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1892年は、フランス革命を経て共和国宣言が出されてからちょうど百年目にあたり、フランス各地で祝祭が催された。パリにおけるその祝祭の様子を描いたのが「独立百年祭」と題したこの作品だ。同年のアンデパンダン展に出展された。

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ピエール・ロティは、フランス海軍士官として世界中をまわり、立ち寄った各地の印象を、エッセーや小説に書いた。日本にも縁があり、鹿鳴館の舞踏会にも参加したことがあった。フランス人特有のエリート意識の持ち主で、日本人を醜悪な生き物として軽蔑していた。そんなロティと、ルソーとの直接的な接点はない。ルソーにはエキゾチズム趣味があり、「マガザン・ピトレスク」といったエキゾチズム雑誌を読んでいたようだが、それにインスピレーションを受けて、ロティのこの肖像画を描いたのだろうと思われる。

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「風景の中の自画像(Moi-Meme, Portrait-Paysage)」は、ルソーの数少ない自画像の一つ。かれはこの絵を死ぬまで手元に置き、加筆していた。パリ万博が行われた1890年、ルソー46歳の時に描かれ、その年のアンデパンダン展に出展された。現代の「肖像=風景」が示すように、風景と一体化した肖像画である点で、ルソーの作品の特徴である風景の中に溶け込んだ肖像というモチーフを典型的にあらわしている。

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「森の中の散歩(La Promenade dans la Foret)」は、「カーニバルの夕べ」とほぼ同じ頃に描かれたと思われる。こちらは昼間の森の中を歩く一人の婦人をモチーフにしている。モデルは妻のクレマンス、舞台はクレマンスの実家があったサン・ジェルマン・アン・レイだとされる。

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「カーニバルの夕べ(Un soir de carnival)」と題したこの作品は、現存するルソーの作品のうちもっとも古いものである。ルソーはこれを1886年の第二回アンデパンダン展に出品した。ルソーの画家としてのデビューは、その前年1885年のサロンへの応募だったのだが、これは落選となって公衆の目に触れることはなかった。その同じ年(1885年)に始まったアンデパンダン展は、会費さえ払えば誰でも出展できたので、これが公衆の目に触れたルソーの初めての作品になったわけだ。もっともその時には、全くといってよいほど反響はなかった。日曜画家の殴り書きと受け取られたのである。

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アンリ・ルソーが画家として出発したのは40歳代半ばのことで、まがりなりにも名が知られるようになったのは60歳を過ぎてだった。その遅咲きの画家人生も、66歳で中断された。かれはその年で、脚にできた癌性の壊疽がもとで死んでしまったのである。それも極貧のうちで。かれは墓を建てるために必要な資産を残さなかったので、パリの共同墓地にひっそりと葬られたのであった。

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クールベは反権力的な傾向が強くて、若い頃から政治的なメッセージを発することが多かった。その傾向が高じて、1871年にはパリ・コミューンに深くかかわった。これは独仏戦争にフランスが敗れたことで、ルイ・ボナパルトの第二帝政が崩壊し、その権力のスキをついて、労働者が一時的に新しい権力を掌握しようとした運動だった。それにクールベは、労働者の立場に立って参加したわけだった。

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「波(La vague)」は、クールベの自然主義的画風を代表する傑作である。画面を二分して、下半分に砕け散る波を、上半分に荒れ狂う空を配した構図は、至極単純なように見えて、かえって自然のたたずまいを如実に感じさせる。

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「女とオウム(La Femme au perroquet)」は、クールベの1860年代半ばの裸婦像の一つだが、これを1866年のサロンに出展したところ、好意的な反応があった。エロチック性を抑えて、ギリシャ神話を思わせるような物語性を打ち出したことが、裸婦像の伝統に反しないと思われたためだろう。

クールベには、裸婦へのこだわりがあって、「画家のアトリエ」では、そのこだわりが突然吹き出てきたように感じさせたものだが、1860年代の半ばごろには、興が高じたとみえて、多くの裸婦像を描くようになる。その中にはポルノ写真を思わせるものがあって、クールベの性的な嗜好に眉をひそめさせることもある。

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「画家のアトリエ(L'Atelier du peintre)」は、「オルナンの埋葬」と並んでクールベの最高傑作というべき作品。かれはこれを、1855年のパリ万博に出展したいと思ったが、拒絶されたので、当時彼のパトロンであった画商のブリュイアスの協力を得て、万博会場近くに独自のパヴィリオンをたて、そこで個展を催したのであった。これは、絵画史上初の個展といわれている。

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クールベは、1855年のパリ万博に合わせて、会場近くで個展を開いた。「こんにちは、クールベさん」と呼ばれるこの作品は、「画家のアトリエ」などとともにこの個展で展示した作品。その際には単に「出会い」と題していたが、会場のものすごい反響を受けて、「こんにちは、クールベさん(La rencontre, ou "Bonjour Monsieur Courbet")と呼ばれるようになった。

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「浴女たち(Les Baigneuses)」と題するこの絵をクールベは1853年のサロンに出展したが、すさまじい反響を巻き起こした。それは否定的な反響であって、スキャンダルと言ってもよかった。裸婦の描き方が、あまりにもあけすけで、下品だと攻撃されたのである。なかには、こんなものをサロンに出させるべきではないという意見もあったが、この頃のクールベは無審査でサロンに出展する資格を持っており、誰もそれをとめることが出来なかったのである。

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1850年のサロンに「石割り」とともに出展した「オルナンの埋葬」は、賛否に渡って大変な反響を巻き起こした。肯定的な評価は、民衆の姿に、1848年の革命における庶民のエネルギーを感じ、否定的な評価は、題材の卑近さが芸術を冒涜していると叫んだ。クールベ自身がこの絵につけた「オルナンの埋葬に関する歴史画」というタイトルが、従来の歴史画の常識を覆したからである。それまで歴史画というのは、歴史上の有名な事件をドラマチックに再現していた。ところがこの絵は、田舎の葬式を描いたに過ぎなかったのである。

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ボードレールが「悪の華」を刊行したのは1855年のことだ。それ以前のかれは、美術批評家として知られていた。サロンの批評を書く傍ら、フランス美術の歴史的な概観などを書いて、一部の美術関係者に注目されていた。そんなボードレールとクールベが、どのようないきさつで仲良くなったのか、よくわからない。1847年には互いに親しく出入りし、クールベはボードレースの肖像も描いた。

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クールベは、庶民の厳しい暮らしを正面から取り上げた作品を描いたことから、「社会主義絵画」の代表選手のように言われることがあるが、「石割(Les Casseurs de pierres)」と題するこの作品は、クールベのそうした傾向の代表的なもの。

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ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet 1819-1877)は、バルビゾン派の画家たちの中では最も若い。コローとは二十三歳の年齢差がある。しかし、1840年代半ばごろにはサロンで入賞を重ねており、他のバルビゾン派の画家たちと、ほとんど同時代人として振る舞った。違うのは政治的な姿勢である。バルビゾン派の画家たちには、庶民の暮らしをありのままに描くという自然主義的な傾向がもともとあったのだったが、クールベはその傾向を前面化し、庶民の暮らしぶりを写実的に描くことで、社会の矛盾を告発するようなところがった。そういった傾向は、1870代にパリ・コミューンにかかわったかどで、政治的な迫害をもたらしたほどである。

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