元ブッシュ政権の国防長官としてアメリカの対イラク侵略戦争を主導したラムズフェルドが死んだ。そこで日本のメディアを含め各国のメディアが論評を出しているが、ほとんどが否定的な評価を下している。事実に基づかず、勝手な思い込みで外国を侵略したあげく、その国つまりイラクを破滅的な混沌に追いやったというような評価だ。そうした論評の中には、ラムズフェルドの人間性を疑うものもある。ラムズフェルドは自分の犯した行為の意味を理解できず、したがって反省することもなかった。だから彼は、いわば、「気違いに刃物」ということわざを体現するような男だ、ととりあえず日本人ならそう言うところだろう。気違いは自分の行為に責任を負うことはないから、何でも好き勝手なことができる。だからその気違いに因縁をつけられたイラクは、天災に見舞われたと思うほかはないだろうというわけである。
世界情勢を読む
トランプがアメリカ大統領に選出されたとき、世界中が驚いた。だが、それはバイアスのかかった目で見たからであり、事実を虚心に受け取っていれば、十分予測できたことだと言われもする。2016年のアメリカには、トランプを大統領に押し上げるような要因があったのであり、トランプはなるべくしてなった、という見方も出来る。金成隆一のルポルタージュ「トランプ王国」は、そうしたアメリカの動きについて、アメリカ国民の懐に飛び込むかたちで、生々しく描き出している。
米共和党の連邦下院議員十数名が、バイデンに対して認知症テストを要求する書類にサインした。この書類を作成したのは、かつてトランプの公式主治医だったロニー・ジャクソン。ジャクソンはバイデンの公式主治医であるケヴィン・オコナーと医療アドバイザーであるアンソニー・ファウチに対して、バイデンに認知症テストを施すよう求めた。理由は、アメリカ国民には、大統領の知的適格性を知る権利があるというものだ。
イギリスで開催された今年のG7は、アメリカのバイデン政権の強い意向に引きずられる形で露骨な対中包囲網形成への意思をあらわにした。バイデンの対中政策は、人種的な偏見を伴なったもので、19世紀末から20世紀初頭のアメリカで吹き荒れた黄禍論の再現といった様相を呈している。その時代には西洋列強による中国に対する帝国主義的な干渉・侵略が進んでいたわけだが、そうした帝国主義的な対中政策も、今回のG7には認められる。今は古典的な帝国主義がまかり通る時代とは言えなので、G7の対中政策は、時代遅れの帝国主義と言わねばなるまい。
韓国で元徴用工の遺族らが日本企業に対して損害賠償を求めた裁判に関して、ソウル地裁が原告の訴えを却下した。そのこと自体は、日本側は評価し、また韓国内でも法理論的に支持する意見もあるようだが、司法制度の基本的なあり方から照らしてみると、異様といわざるをえない。
なかなか連立政権が結成できなかったネタニアフに代わって、反ネタニアフ連合が政権を担うことになった。この反ネタニアフ連合は、中道政党の「イェシュ・アティド」を中心にして八つの政党が加わったもので、その中には極右政党「ヤミナ」のほか、アラブ系の政党「ラーム」を含んでいる。要するにネタニアフ率いる「リクード」以外のすべての政党が反ネタニアフで一致したということだ。かくも異なった政党を結びつけたものはただ一つ、ネタニアフへの嫌悪だった。
アメリカが「米韓ミサイル指針」を撤廃し、韓国に射程800キロを超える長中距離弾道ミサイルの開発を容認したと伝えられた。この報に接した小生は、いくつかのことが念頭に去来するのを抑えられなかった。
イスラエルのユダヤ人と西岸及びガザ地区に住むパレスチナ人との衝突が止まらない。ガザ地区からは3000発以上のロケット弾がイスラエル内に向けて発射され、それへの報復と称してイスラエル軍はガザへの空爆を繰り返している。これまでに200人以上のパレスチナ人が死亡し(ユダヤ人側は10人)、その中には多くの子どもも含まれる。深刻な人道問題との認識が高まり、国連では各国が一致して停戦を呼び掛ける案が出されたが、バイデン政府の頑固な反対で実現しない。ネタニアフのイスラエルはそれをいいことに、空爆をやめる気配がない。このまま放置しておけば、2014年以来の大惨事になるだろう。
米大統領バイデンが、100年以上前に起きたトルコによるアルメニア人の迫害をジェノサイド認定した。その前には、中国政府によるウィグル人迫害をジェノサイド認定している。理由は、国連の定めたジェノサイドの定義にこれらの迫害が該当しているというものである。国連によるジェノサイドの定義は次のようなものだ。
「強権中国の野望」とは刺激的な言葉だが、これは雑誌「中央公論」最近号の特集のタイトルである。文字通り、中国を強権国家と決め受け、それへの警戒心と対抗心をむき出しにした記事が多い。比較的穏健な中央公論でさえ、中国をこのように罵倒するのであるから、大衆向けの論調がどのようなものか、推して知るべしだろう。
ミャンマーの情勢が混沌としてきた。国軍によるクーデタに反発した市民に対して、国軍が厳しい弾圧を以て臨み、大勢の死者と逮捕者を出している。国軍が市民側に譲歩するか、市民側が国軍に屈服するか、そのどちらかが起らないかぎり、事態は収まりそうにない。今のところ国軍が譲歩する見込みはまったくないようだし、市民も屈服することはないようなので、事態はますます泥沼化する恐れがある。この調子だと、シリアのような内戦に発展するだろうと予想する向きもある。
プーチンの宿敵といわれるアレクセイ・ナヴァーリヌイが、あやうく毒殺されかかって一命をとりとめたことは、世界中を賑わせた。そのかれが、ドイツでの治療を終えてロシアに返った途端に逮捕されたというので、世界中で非難が高まる一方、ロシア国内では各地で釈放を求めるデモが繰り広げられ、数千人が拘束されたという。ロシアとしては近年にない民衆の政権批判の動きだ。この動きは、プーチン体制に穴をあけることにつながるのか。
世の中のルールや人間の倫理的感情を一切無視して、自分の個人的な利益のためにはどんな悪事も躊躇わない人間をならず者と定義するなら、トランプはならず者そのものだった。この男は、アメリカ大統領という地位を利用して、自分の個人的な利害のために悪事の限りを尽くした。それを大多数のアメリカ国民から非難されて、大統領の地位から追われると、最後まで抵抗し、あまつさえ暴力によって自分の地位を保とうとまでした。人類史上希に見るならず者であり、近年これに匹敵するのはわずかにヒトラーだけであろう。
エズラ・ヴォーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者として日本では人気がある。一方、鄧小平の伝記を書いたことで中国人にも人気がある。そのヴォ―ゲルが、1500年にわたる日中関係の歴史を研究した本「日中関係史」を書いた。本人は日中どちらかに肩入れしているわけではなく、かえって日中両国の双方の味方だと言っている。その日中両国の関係が、近年あやしくなっている。日中両国は本来友人同士であり、仲よく共存すべきである。ところが対立がエスカレートしている。どうしたら対立を乗り越えて、本来の望ましい関係に戻ることができるか。そんな問題意識からこの本を書いたそうだ。読んでの印象は、第三者の視点から日中関係のこれまでの歴史を振り返り、未来に向けて望ましい関係を築いてもらいたいという気持ちが込められていると感じた。
雑誌「世界」の最新号(2021年1月号)が、「ポスト・トランプの課題」と題する特集を組んでいる。トランプ以後というよりは、アメリカは何故トランプという現象を生んだのか、という問題のほうに重点がある。何本かの興味ある文章が寄稿されていて、小生は現代政治を考えるうえでのいくつかのヒントのようなものを得た。中でも最も参考になったのは、金子歩の小論「犬笛政治の果てに」だ。
タイトルにある中国の行動原理とは、政府を中心とした中国の主に対外的な行動を動かしている原理のことを、著者は意味している。その中国の対外行動を著者は困ったものだと見ているようだ。かなり自己中心的で一方的だ。それは日本に対する官民あげての攻撃ぶりを見れば明らかだ(2012年に日本政府の尖閣諸島国有化直後の反日暴動はその最たるものだった)。一方で中国人は、「中国は・・・相互に尊重しあい、公平で正義に則った、協力的で互恵的な新しい国際関係を推進してく」と、世界に対して大見得を切る。そういう中国の行動ぶりが、著者の目にはかなり特殊に映るということらしい。
イランの核科学者モフセン・ファフリゼデが殺害された事件は、状況証拠からしてイスラエルの仕業と思われている。なぜそんな無法なことをしたのか。イスラエルはイランの核開発に脅威を感じており、それをマヒさせるために、イランの核開発をリードしてきたファフリゼテを殺害したのだろうとする見方が流通している。この殺害に対して、イラン側がすくさま報復を声明するなど、過剰な反応を示したことがそれを裏付けていると見られてもいる。
著者は中国史の専門家のようだが、中国は嫌いだという。ではなぜ中国を専門にするかというと、それは中国が面白いからだという。我々日本人は、長い歴史的な背景から中国を理解したつもりになっているが、じつはわかっていない。中国人の発想がわからないのだ。だから不気味に感じたり、著者のように嫌いになる日本人が多い。今の日本に充満している中国嫌いは、そんなことが原因で起きている。だから、中国と付き合おうと思ったら、中国人の発想の仕方と、それにかかわる論理を理解しなければならない。どうもそんなことを著者は言いたいようである。
今回のアメリカ大統領選挙では、現職の大統領であるトランプが、根拠もなく選挙の不正を訴え、なかなか敗北を認めなかったが、ついに敗北を認めたようで、バイデンへの政権移行に妥協する旨を表明した。その言い方には玉虫色の所もあり、不正の追及は引き続き行うなどと強気なことも言っているが、事実上の敗北宣言だと大方には受け取られている。それを踏まえて、今回の事態はアメリカの民主主義が機能した証拠だとする意見が圧倒的だ。だが、中には否定的な意見を言う者もいる。今回の事態は、アメリカ民主主義の脆弱性を衆目の前にさらしたと言うのだ。
毛利和子の近著「日中漂流」は、タイトルにあるとおり、21世紀に入って漂流する日中関係に大きな懸念を投げかけている。日中関係は、戦中戦後の不幸な時期を経て、日中国交正常化によって、一時期きわめて良好な関係を築いたかに見えたが、それも束の間のこと、21世紀に入ってからは、険悪な状況に陥り、政府関係はもとより国民感情のレベルにおいても、相手方への不信が高まって、かえって史上最悪の関係に陥っている。その関係は、近い将来武力衝突にも発展しかねない危うさを抱えている。そういう不幸な事態に陥らないために、両国、特に日本は何に心掛けねばならないか、そういった切羽詰まった毛利の問題意識が、この本からは切々と伝わって来る。
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