日本の政治と社会

安部晋三総理がプーチンと会談した結果、懸案の北方領土問題については、1956年の日ソ共同宣言を基礎にして交渉を進めることになったと発言した。この発言をめぐって、さっそくさまざまな憶説が飛び交っている。政府としては、これは四島が日本に帰属するとした従来の立場を一歩も踏み出るものではないというような言い方をしているが、実際上は、歯舞・色丹の返還を上限とし、国後・択捉は永久に棚上げ、あるいは放棄することを意味している。

雑誌「世界」の最近号(2018年12月号)が「移民社会への覚悟」と題した特集を組んでいる。安倍政権が打ち出した実質的な移民推進策への反応だろう。安倍政権は、「これは移民ではない」と言い訳しながら実質的な移民の受け入れを進めようとしている。その背景には深刻な労働力不足があり、経済界からの外国人労働力の受け入れ要請がある。こうした事情を背景に、この特集は、日本の移民政策の問題点を指摘しているのだが、その論調には、やや首をかしげたくなるところがある。収められた論文の多くに、移民はいいことだ、あるいは避けられないことだという前提があって、日本が移民受け入れ国家としてどう対応していくかといったことばかりが強調され、そもそも移民政策がこの国の未来にどのような意味をもつのか、そしてまた、移民受け入れを拡大していくことが本当にいいことなのか、といった本質的な議論が置き去りにされている感じがあるからだ。

沖縄の知事選で、翁長前知事の後継者を任じる玉城氏が安倍政権の全面的支援を受けた候補者を破り当選した。この選挙を筆者などは、壮絶な死をとげた翁長市の弔い合戦と見ていたので、それが勝利するのを見て感慨深いものがある。

深刻な人手不足を背景に、経済界が外国人の受け入れを拡大して欲しいと安倍政権に強く要望したところ、安倍晋三総理はそれに応える決断をしたと言う。ただし条件付きで。これは移民を容認することではなく、あくまでも短期的な外国人労働の需要に応えるものだと。

NHKが放映した特集番組「駅の子」を見て、色々考えさせられた。「駅の子」というのは、戦後大量に生まれた戦災孤児たちが、上野を始めとした大都市の駅周辺にたむろしていた様子を表現する言葉だ。こうした戦災孤児は、大都市の駅に限らず、戦後日本のあちこちに大量にいたと思われるのだが、その実態についてはこれまであまり知られることがなかった。この番組はその間隙のようなものを埋めようとする意気込みが感じられ、その意味では評価できると思うのだが、なにせ戦後時間が経過しすぎたこともあり、全貌にせまることは出来ていない。

日本ボクシング連盟が、会長を先頭にして不正を働いていたというので、大騒ぎになっている。それを見ていると、どうもこれはボクシング連盟だけの問題ではなく、日本的な組織そのものの持つ病理と言うか、生理のありようが反映していると思わざるを得ない。

慣例に従って長崎の原爆平和記念式典に参加した安倍晋三総理が、何故あなたは被爆国の首相として核兵器禁止条約に署名しないのかと、被爆者の代表者たちから質問されたときに、その質問には答えないで、次のように言った。日本としては、核兵器保有国と非保有国との橋渡しをすることが大事だ、と。


翁長沖縄県知事が壮絶と言ってよい死を死んだ。辺野古への米軍基地建設を巡って安倍政権と鋭く対立し、内地の日本人の心ない中傷にさらされながら、沖縄人としての誇りと意地をかけて戦っていた最中での突然の死であり、その壮絶な死に方はまさに戦死と言ってもよかった。

広島で行われた原爆平和記念式典に、今年も安倍晋三総理は慣例にしたがって出席し、演説した。その演説には、広島の人々を始め核兵器の廃絶を願う人々が、安倍晋三が総理大臣として核兵器のない世界の創出への決意と、その具体的な意思表示として、122か国が賛成した核兵器禁止条約へ参加するように決意する言葉を期待したが、安倍晋三はこの条約の名も出さず、核兵器の廃絶を強く主張する言葉も言わなかった。数年前にオバマとともにこの式典に臨んだ時は、オバマと口裏をあわせるかのように、核兵器の廃絶を叫んでいたわけだから、これは大きな転換というべきだろう。

栃木女児殺害事件の控訴審判決で、一審の判決が、被告の自白した場面を録音・録画した映像から犯罪事実を認定したのは違法だと指摘したうえで、複数の状況証拠を総合的に判断して有罪だと認定し、あらためて無期懲役の判決を下した。この判決に対しては、法曹界から大きな批判で出ている。その批判を判決に照らし合わせながら読むと、我が国の刑事司法が抱えている問題点が浮かび上がって見える。それを一言でいえば、冤罪の温床がいまだそのままに残っているということだ。

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上の写真は目下SNSなどを通じて日本中津々浦々まで出回っているので、それをここで引用したからといって、著作権侵害などとわめきたてないで欲しい。この写真は、今回の西日本大水害がおしせまる中で、安倍政権党の人々が赤坂自民亭と銘打ったところで催した宴会の一こまだ。写したのは安倍晋三総理の腹心政治家。いかにも楽しそうな面々の表情だが、これを見た日本中の良識ある人々が、国民が大水害で苦しんでいる最中に、酒を飲みながら騒いでいたとはけしからぬと批判を寄せて、これをSNSにアップした件の政治のサイトは炎上したそうだ。

オウム関連の死刑囚十三人のうち、教祖麻原彰晃こと松本智津夫はじめ七人に死刑が執行された。このことは海外にも大きな反響を呼び、日本の死刑執行制度に批判の声もあがっているようだ。批判の論拠は、死刑は残酷な制度であり、前時代の野蛮さを引きずっているものであるから、文明化された国においては認められるものではない、というものだ。実際いまどき死刑を執行している国は、日本とアメリカの一部の州に過ぎないのだから、日本がいかに野蛮な国であるかを物語っている。日本人が西洋並みに文明人と思われたいのなら、死刑などという野蛮な制度は即刻やめるべきだ、というのが大方の論調である。

セクハラ罪という罪はない、と言ったのは放言居士として知られる麻生太郎副総理兼財務大臣だが、彼の盟友である安倍晋三総理大臣は、これを安倍内閣の公式見解としたそうだ。内閣が閣議でそう決定したわけだから、世の中のセクハラ亡者たちは、今後胸を張ってセクハラが出来ると喜んでいるだろう。セクハラは罪にはならないんだから、安心してセクハラが出来るというわけだ。

度重なる放言・暴言で世間を騒がし続けている麻生太郎副総理兼財務大臣が、また放言をしたというので世間を賑わしている。今度は自分が率いる派閥の政治資金集めのパーティで講演した際に、「暗いヤツを選ぶか、頭の悪いヤツを選ぶか、だったら、おなかの悪いヤツが一番いいぐらいじゃねぇか」と言ったそうだ。この発言は、2012年に行われた自民党総裁選に関連したもので、「暗いヤツ」は石破茂、「頭の悪いヤツ」は石原伸晃、「おなかの悪いヤツ」は安倍晋三の各氏をさすそうだ。

今回米朝対話へ向けての機運が高まったことについて、トランプはこれを、米側による最大限の圧力に北朝鮮が屈した結果だと言っている。日本の安倍政権もその見方を共有し、日本を含めた国際社会が最大限の圧力をかけてきた成果が現れたもので、今後もその圧力を弱めるべきではないと主張している。

官僚劣化

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中央公論の最新号(2018年6月号)が、「官僚劣化」と題して、最近の日本の官僚たちの不祥事に代表されるような官僚の劣化について特集している。かつては日本という船の舵取り役として自他共に認め、認められていた日本の官僚が、何故ここまで劣化してしまったのか。何人かの論者が、それぞれの視点から分析している。それを読むと、首相官邸が強くなったために、相対的に各省の力が弱くなり、それに伴って各省の官僚統制力が弱まって、官僚たちが直接官邸のほうを向いて仕事をするようになったとか、かつてはどんな官僚も持っていた国家国民のために働いているという気概が薄くなり、もっぱら自分自身の出世の為に働く自分本位で小粒な官僚が増えたとか、いろいろな指摘があって面白い。

北朝鮮をめぐって劇的な変動が起きている中で、安倍晋三はなんとか存在感を保とうとして必死になっているようだ。いままで放置してきた拉致問題を、急に持ち出したのもそのひとつのあらわれだろう。ここで拉致問題を表面に出すことは、少なくとも国内向けには一定のアピールになる。実際拉致被害者の家族団体は、安倍晋三が急に拉致問題に熱心になったことに期待しているし、大方の日本人も悪くは受け取っていない。

北朝鮮をめぐる国際関係がドラスティックに変化していく中で、安倍政権は後手後手どころか、蚊帳の外に閉め出されているかのような状態だ。このままではみっともないと思ったのだろう、安倍晋三は大向こうに対して強がって見せ、このたび北朝鮮が軟化したのは、我々(つまり安倍晋三自身)が見せてきた圧力の方針に北朝鮮が屈服した結果だなどと、およそ説得力のない言訳をしている。

一時は破竹の勢いを誇り、自民党総裁三選も間違いなしと思われていた安倍晋三が、ここに来て急速に勢いを失ったばかりか、破滅に向かって進み始めたような印象を与える。最近のNNNの世論調査で支持率が20パーセント台になったのがそれに拍車をかけて、小泉前首相などは安倍の三選はないばかりか、安倍政権は長くはもたない。早ければ今国会の終了とともに終わりになるだろうと言った。それに呼応する形で、自民党内には安倍後をにらんだ駆け引きが本格化してきた。そういう光景を見せられると、安倍政権の終焉もあながち夢ではないと思わされる。

先日親しい友人たちと昨今の日本のメディアについて話していたところ、日本の新聞は、いわゆる西山事件を契機にして権力に対して卑屈になり、権力を刺激しそうな記事を自主規制するようになったという話が出た。あれがきっかけで新聞社全体が権力の攻撃にさらされた上に、経営まであやうくなっていったことを目にして、権力と正面から対立するのはうまいいき方ではない、そういうふうに新聞各社が思うようになった。日本のこれまでの状況からすれば、新聞が権力と立ち向うなど、朝夢のごときものと受け取られてきたわけである。新聞は自ら直接権力に立ち向う代わりに、週刊誌にそれをやらせた。そして週刊誌の報道によってある事件が国民の関心を引くようになったところで、おもむろに権力追求の戦線に加わる。それが自己保身を踏まえた日本の新聞のやり方だった。そんなふうな議論になったものだ。

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