沖縄県辺野古の埋め立て工事についての知事の認可をめぐって、先の最高裁判決をうけて国側が知事に対して認可の「勧告」をしたところ、知事がそれに従う姿勢を見せないとして、今度は「指示」に切り替えた。指示にも従わねば、次は国による代執行の手続きに入る意向ということらしい。代執行というのは、この場合、国の国土交通大臣が知事に代わって認可を行うということだ。
日本の政治と社会
ウクライナ戦争をめぐって、日本でも様々な言説が飛び交っている。とりわけ防衛省関係の実務家が発する言説は、NHKをはじめ様々なディアで花形扱いの観を呈し、かれらの発する日米同盟堅持と日本の防衛力増強というメッセージが、いまや議論の基本的な前提のようになってしまっている。そういう風潮のなかで、小泉悠は比較的無色な立場をとろうとしているように見える。だが、今回彼が、雑誌「世界」の最新号(2023年10月号)に寄せた小文を読むと、彼もまた基本的には、防衛省の実務家と同じような立場に立っていることを、みずから認めているようである。だから防衛省的な見方はいまや、日本の安全保障論の標準になっていると受け取れる。
辺野古埋め立てをめぐる裁判で、最高裁が沖縄県の上告を退け、国側の言い分を一方的に飲み込む判決を出したことで、この問題はほぼ国側の意向にそって決着する見込みとなった。政府としては言い分が通って万々歳というところだろうが、日本のためには決してそうは言えない。なぜなら最高裁は、地方自治法の規定を恣意的に解釈して、実に政治的な判断をしたからであり、その政治的な判断は、一見日本政府に忖度しているように見えて、実はアメリカ政府の意向を踏まえたものだからだ。これでは、最高裁は日本国と日本国民のために存在するのではなく、ホワイトハウス(アメリカ政府)のために存在するということになる。最高裁は日本の国権を担う機関ではなく、ホワイトハウスの出先機関として、アメリカの利益を支えるための機関だというべきである。
日本が福島汚染水を海洋放出したことへの反応として、中国が日本の水産物の全面禁輸に踏み切ったことで、大変な騒ぎになっている。水産物を所管する農水大臣などは、中国がそこまでやるとは予想していなかったなどと馬鹿なことをいうありさまだ。本気でそう思っているなら、本物の馬鹿者というほかはない。岸田首相までが中国は科学的に振る舞えなどとわけのわからないことを言う始末だ。岸田首相がどんなに中国に批判めいたことを言っても、中国にとっては馬耳東風だろう。まして日本のメディアが、馬鹿の一つ覚えのように、中国は冷静に振る舞えと叫んでも、何を言っているのかと馬鹿にするばかりだろう。
岸田政権は、イギリス及びイタリアと共同開発する予定の戦闘機を、外国に輸出する方針を決めたそうだ。それとあわせ、殺傷能力のある武器を外国に輸出することも考えているようだ。もしそれが実現すれば、日本は従来の平和主義の政策を捨てて、欧米並みの軍事産業国家になることであろう。
岸田政権が、福島の汚染水を24日から海洋放出するよう決定したそうだ。21日に行った漁業関係者との面談で、一定の理解が得られたからというのがその理由だ。日本政府はこれまで、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」と約束してきたので、なんとかして関係者つまり漁業団体の理解を得たいと願ってきたわけだが、21日の面談では、漁業関係者は「反対変わらぬ」と明言しているので、さすがの岸田首相も、十分な理解を得たとは言えなかった。それでも、一定の理解を得たとして、今回の決定に踏み切ったわけだ。漁業関係者としては、なかなか納得できないところだろうが、しかしお上の意向には逆らえず、また、漁業補償を含めた対策の予算措置をちゃんとやってもらいたいと言ったようだから、なんでも反対ということではないらしい。いかにも日本的な決着の付け方である。
山口県の上関町が、使用済み核燃料の中間処理施設の建設に事実上同意した。いまのところ、施設建設に向けた調査を受け入れたということらしいが、建設を前提としない調査などありえないので、事実上建設を受け入れたといってよい。なぜそんな決断をしたのか。町長はじめ推進派は、町の持続可能な存続のためには、ほかに選択肢はなかったといっているが、果たしてそうか、という疑問はある。だが、何といっても町の当事者が自主的に判断したことなので、第三者があれこれ言うことはないかもしれない。
雑誌「世界」の最新号(2023年9月号)が、「台湾有事と日米中関係」という小見出しで、最近のあやうい日中関係について言及した小文を三つ載せている。いずれも、いわゆる台湾有事は、中国の強い国家意志から考えて不可避だと前提したうえで、日本としてそれにどう対応すべきかについて、論じたものである。
対中敵視の雰囲気が強まる風潮に乗じる形で、台湾マフィアというべき、台湾に利権を持つ連中が、中国を挑発する動きを見せている。このたびは、自民党副総裁の麻生太郎が台湾をおとずれ、台湾有事の際には、日本も一緒に戦うから台湾も戦うつもりになれ、と叱咤したそうだ。これに対して中国側は、当然のことながら、強く反発した。今の中国は、日清戦争の時代とは違うから、下関条約を再度押し付けられることには甘んじないと言って、いざという場合には、日本と戦う用意があるといった。つまり中国は、日本が台湾をとるつもりだと受け取っているわけである。
広島で行われた被爆78年目を記念した式典で、広島市長が、先のG7で確認された「核抑止有効論」を批判して、「世界中の指導者は核抑止論は破綻していることを直視すべきだ」といったそうだ。そのうえで、核廃絶を強く訴えたという。
中国電力と関西電力が共同で、原発の使用済み核燃料(放射能汚染物)の中間貯蔵施設を山口県の上関町に建設する方針を打ち出し、町役場に協力を求めたということだ。町では、最終的な決定には至っていないが、頭から拒否するのではなく、場合によっては受け入れる意向をもっているそうだ。町民の総意で受け入れるということなら、第三者がどうのこうのいうことではないかもしれぬが、住民の間には意見の相違もあって、町ぐるみ受け入れ賛成ということにはならないようである。
雑誌「世界」の最新号(2023年8月号)が、「安倍政治の決算」と題する特集を組んで、十数本の論文を集中掲載している。それを通読しての印象は、論者たちが安倍政治を「決算」しきれていないということだった。安倍政治の残した日本の情ない状態を前に、それを嘆く声は聞こえても、安倍政治の遺産を清算して、望ましい日本の未来を展望しようとする意欲を感じさせるものはなかった。それはおそらく、安倍政治がこの国をめちゃくちゃにした振舞いを見て、そのすさまじさにただただたじろくだけといった、いささかみじめな状態に、論者たちがおかれた状況を感じさせるテイのものだ。
雑誌「世界」に「日本を診る」という題で連載をしている片山善博氏が、最新号(2023年7月号)に「首相公邸『悪乗り忘年会』から見える病理」と題する一文を寄せている。これは岸田首相の長男の公私混同問題を取り上げたものだが、日頃個人攻撃とは距離を置く氏が、めずらしく名指しで強く批判した。話題の件については広く知れわたっているところなので、ここでは触れないが、その件をめぐる氏の批判の要点は、岸田首相の身内びいきがあまりにも度を超しており、首相が息子をつれて歩く姿は、北朝鮮の金正恩が娘を連れて歩く姿と変わらないということである。氏は、「日本は世襲の北朝鮮を笑えない」とまでいって、岸田首相の振舞いを厳しく批判している。
袴田事件をめぐる再審案件について、検察が強固な抵抗姿勢を見せている。袴田さんの有罪を改めて主張するというのだ。おどろくべき傲慢さといわねばならない。だいたい、「先進国」の司法制度の主流は、訴追する側の検察の都合よりも、被疑者の利益を優先するシステムをとっている。第一審で無罪となれば、控訴しないというのが検察のエチケットだというのがほぼ共通認識になっている。ところが日本の検察は、公訴権をやたらに乱用するばかりか、再審においても頑固な抵抗を見せる。これでは、日本の検察は、法の正義の実現より、自分たちのメンツを優先しているといわねばなるまい。
経済安保を合言葉にして、経済合理性の無視がまかり通っている。経済安保とはアメリカ政府が言い出したことで、要するに中国の封じ込めを狙ったものだ。それになぜか日本も便乗し、経済的にはわりにあわないことをやるようになった。半導体製品をはじめとした対中輸出制限や投資の抑制などはその最たるものだが、そのほか、軍事力の選択的輸出促進とか、特許にたいする税制上の優遇などがある。このうち軍事力の輸出促進は、目先の利益にかなうが、そのほかは経済合理性を無視したものと言わねばならない。
福島第一原発の放射能汚染水が、「科学的な」処理を経たうえで海洋に放出されることが既成事実になったようだ。IAEAがお墨付きを与えるようなので、日本政府としては、国際社会に向かって胸をはって海洋放出の方針を実施したいという姿勢である。じっさいその通りになるだろう。
岸田政権が国民に憲法上保証されている通信の秘密についての権利に、制約を加える方針を打ち出したと報じられている。非常に由々しい事態である。もしそんなことがまかりとおるなら、国民のプライバシーは丸裸にされ、権力による一方的な監視にさらされることになる。通信の秘密は人間としての最低限の尊厳保証のための規定だ。それを侵害しようとする岸田政権は、究極の専制支配をめざしていると言わねばならない。
広末涼子の不倫騒ぎについては、小生はこれを男女のプライベートな問題だと受け止め、あえてコメントする気はなかった。だが、週刊誌をはじめとしたこの問題の報道ぶりは、常軌を逸した過熱ぶりで、広末の人権を無視した野蛮な攻撃にまで発展しているので、座視するわけにもいかなくなった。広末涼子に対する一部日本人によるバッシングは、日本社会の病理のようなものをあぶりだしている。その病理を小生は日本社会の田吾作部落体質と呼んでいる。
岸田内閣が「骨太方針」なるものを提示した。目玉は日本的雇用の「改革」である。これまでの雇用の主流だった「終身雇用」とそれを前提とした諸制度を破壊し、アメリカ型のジョブ型雇用に替えようというものだ。日本型雇用は、明治以降の日本の資本主義システムを土台で支えてきたものであるから、それを破壊するというのは、歴史的な挑戦と言えるだろう。
入管法の改定案が6月9日にも参議院本会議で可決され、法律として施行されることが決まった。改定後の入管法は、事実上難民を日本から締め出す内容のものであって、難民問題の専門家や一部の野党の批判を浴びていたのであるが、与党とそれに同調する勢力は、そうした批判には耳を貸さず、難民を受け入れっるつもりはないということを、世界に向けて宣言したことになる。
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