日本の政治と社会

今年の統一地方選は、あいかわらず低投票率が目立った。前半の十一道府県知事選こそ47.72パーセントで、前回をかろうじて上まわったが、それでも五割に満たない。そのほかの、道府県義選や市長選、市議選の多くは過去最低だ。これには色々な要因があるだろうが、有権者にとって地方選が活力を感じさせないことが大きく影響しているのではないかとの指摘がある。

新しい元号令和が、時の総理大臣安倍晋三のイニシャティヴで作られたことは、いまや公然の事実だ。元号案の候補収集過程から決定に至るまで安倍晋三の強い意向が反映しているので、安倍晋三は令和という元号の生みの親のように、多くの国民から見なされている。元号は、時の天皇のおくり名となるものだから、その元号の生みの親ということは、天皇の名付け親というに等しい。だから安倍晋三は天皇の名付け親になれるか、という問題設定は正確ではない。ことの性質を踏まえれば、安倍晋三は天皇の名付け親にふさわしくなれるか、といったほうがよいだろう。

旧優生保護法にもとづいて障害のある人たちに強制的な不妊手術が行われてきた問題で、被害者の救済を目的とした議員立法が成立した。その法律の前文には、「我々」を主語とした反省の言葉が書かれている。そのことについて、被害者やかれらを応援する人の中から、「我々」とは誰をさすのかという疑問の声が起っているという。かれらの考えでは、この問題の本当の責任者は、優生保護法を制定した国であり、また被害者の苦痛を放置してきたのも国であるからして、反省と謝罪の主体は国であるべきだ。したがって「我々」などと曖昧な書き方をするのではなく、国と明記したうえで、国を主語として謝罪と反省の言葉を述べるべきだということになるようだ。

最近、リベラルな編集方針で知られていた Japan Times に異変が起きたようだ。これまで「forced laborers」と表記してきた徴用工を「wartime laborers」と変更し、従軍慰安婦を「women who worked in wartime brothels, including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers」に変更したことに、異変の兆候が窺われる。

ジャーナリストの田原総一郎が、体験的戦後メディア史と題して、戦後政治家とのインタビューのやりとりを、雑誌「世界」に寄稿している。田原は、歴代の総理大臣にインタビューをしたが、ほとんどの総理大臣経験者が、戦争をするのはよくないと言っていたそうだ。田中角栄がそうだったし、宮澤喜一や竹下登もそうだった。また中曽根康弘や佐藤栄作も、戦争をできるように憲法を改正しようとはしなかった。

公立福生病院で、人工透析患者に対して、医師が人口透析にかかる医療方針の相談のなかで、透析中止の選択肢を示し、それに応じた患者が一週間後に死亡したということが明らかになった。この患者は、透析中止についての合意を文書の形に示しており、一応患者の意思を尊重してのことだったと病院側では主張しているが、その患者は、死ぬ直前に透析をまた受けたいとも言っていたらしく、果たして病院側の対応に問題がなかったのかどうか、疑問を呼んでいる。その疑問に応える形で、東京都が調査に入ったほか、透析学会も立ち入り調査をする意思を表明している。

日産元会長カルロス・ゴーンが、逮捕されて以来108日ぶりに保釈された。これは日本の刑事司法の歴史上きわめて異例のことだ。日本の刑事司法では、逮捕された場合には、自分の犯罪を自白しない限り、保釈してもらえないと言う「伝統」があった。それが国の内外で「人質司法」と批判されてきたわけだが、その強固な伝統が崩されたわけだ。これをどう受け取るかは、人それぞれだろうが、筆者は日本の刑事司法のあり方にとって、非常にいいことだと思っている。

いわゆる統計不正問題をめぐって、ひと騒ぎになっている。国会でも取り上げられ、質疑がなされているが、テレビでそのありさまを見ていると、あきれて苦笑する気にもなれない。政府の役人が、野党議員の質問に答えて、珍妙な答弁をしているからだが、その答弁というのが、隠蔽という言葉をめぐって、その常識上の意味とは別に、自分たちが定義した意味もあると、公然と言い放ったものだったのである。

先日安倍晋三総理がある集会で、民主党政権の時代を悪夢と表現したことで批判を浴びた。それに対して安倍総理は、自分にも言論の自由があると答えた。かれにも言論の自由があるのは当然のことだが、その自由を行使したことで批判を浴びたのはどういうわけか。

ゴーン事件をめぐっては、日本の刑事司法手続きに対する海外からの批判は見られるが、こと日本国内に関して言えば、メディアはゴーンの有罪を当然の前提とした書き方をしているし、一般国民も、ゴーンは当然罰せられると思い込んでいるようである。それにはどうも理屈を超えたところがあるように見受けられるので、小生などは不気味な思いをさせられるところなのだが、なかにはこの事態の日本的な特殊性を指摘し、日本の検察には、この裁判で負ける可能性があると考えているものもいるようだ。

安部晋三総理がモスクワまで出向いて行って、プーチンと直談判した。これに先立って安倍総理は、この会談で北方領土問題を解決し、日ロ平和条約の締結に向けた動きを加速させると国民に言っていたので、小生などもその成り行きに大いに注目していたのだったが、結果的には何事も起こらなかった。安倍総理の国民向けのメッセージは、空手形に終わった形だ。小生はそれでよかったと思っている。

ゴーン事件をめぐっては、ゴーンの罪状が次々と明らかにされるにつれて、ゴーン本人の強欲さもさることながら、そうした強欲さが現代の資本主義に内在している動きに根差したものだとの感を強く抱かされる。人間の欲望にはキリがないものだが、その欲望を極端なまでに先鋭化させる勢いが現代の資本主義にはあるということだろう。

無覚先生:どうも、あけましておめでとうございます。わたしの年になると、ひとつづつ年を重ねるのがほんとうにめでたいことのように思えるんです。これから先、自分にいかほどの時が残されているのか、心もとない感覚があって、時間の濃度が段々と薄くなってゆくとはいえ、やはりすこしでも長く生き永らえることに、大きな意義を感じるものです。

昨夜(2018年11月18日)放送のNHKスペシャルが、「人生100年時代を生きる」と題して、死に方の選択について考えさせる番組を流していた。それを見た筆者は、一方では自分のこととして受け止めるとともに、他方では、いつまでも人に迷惑をかけているよりも、すみやかに死んだ方がいいですよと、他人からせかされているようにも感じた。

ジャーナリストの斎藤貴男が雑誌「世界」2018年12月号に寄せた小文「体験的『新潮45』論」のなかで、最近の日本における保守論壇の劣化を嘆いている。斎藤によれば、保守論壇の劣化は、小泉政権の頃から始まったのだそうだ。この頃から、保守論壇は権力にこびるようになり、"保守政権に無条件で服従しない奴はみんな敵だ、サヨクだ"と叫んで、ネトウヨ化してきたということらしい。今回起きた「新潮45」の廃刊事件は、そうした保守論壇の劣化を象徴するもののようだ。

安部晋三総理がプーチンと会談した結果、懸案の北方領土問題については、1956年の日ソ共同宣言を基礎にして交渉を進めることになったと発言した。この発言をめぐって、さっそくさまざまな憶説が飛び交っている。政府としては、これは四島が日本に帰属するとした従来の立場を一歩も踏み出るものではないというような言い方をしているが、実際上は、歯舞・色丹の返還を上限とし、国後・択捉は永久に棚上げ、あるいは放棄することを意味している。

雑誌「世界」の最近号(2018年12月号)が「移民社会への覚悟」と題した特集を組んでいる。安倍政権が打ち出した実質的な移民推進策への反応だろう。安倍政権は、「これは移民ではない」と言い訳しながら実質的な移民の受け入れを進めようとしている。その背景には深刻な労働力不足があり、経済界からの外国人労働力の受け入れ要請がある。こうした事情を背景に、この特集は、日本の移民政策の問題点を指摘しているのだが、その論調には、やや首をかしげたくなるところがある。収められた論文の多くに、移民はいいことだ、あるいは避けられないことだという前提があって、日本が移民受け入れ国家としてどう対応していくかといったことばかりが強調され、そもそも移民政策がこの国の未来にどのような意味をもつのか、そしてまた、移民受け入れを拡大していくことが本当にいいことなのか、といった本質的な議論が置き去りにされている感じがあるからだ。

沖縄の知事選で、翁長前知事の後継者を任じる玉城氏が安倍政権の全面的支援を受けた候補者を破り当選した。この選挙を筆者などは、壮絶な死をとげた翁長市の弔い合戦と見ていたので、それが勝利するのを見て感慨深いものがある。

深刻な人手不足を背景に、経済界が外国人の受け入れを拡大して欲しいと安倍政権に強く要望したところ、安倍晋三総理はそれに応える決断をしたと言う。ただし条件付きで。これは移民を容認することではなく、あくまでも短期的な外国人労働の需要に応えるものだと。

NHKが放映した特集番組「駅の子」を見て、色々考えさせられた。「駅の子」というのは、戦後大量に生まれた戦災孤児たちが、上野を始めとした大都市の駅周辺にたむろしていた様子を表現する言葉だ。こうした戦災孤児は、大都市の駅に限らず、戦後日本のあちこちに大量にいたと思われるのだが、その実態についてはこれまであまり知られることがなかった。この番組はその間隙のようなものを埋めようとする意気込みが感じられ、その意味では評価できると思うのだが、なにせ戦後時間が経過しすぎたこともあり、全貌にせまることは出来ていない。

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