旅とグルメ

真鶴で手料理を振る舞われる

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先日の四方山話の例会の席上、浦子が真鶴に持つ別荘で一席設け、そこで自分の手作りの料理を振る舞おうと言うので、その場に居合わせた何名かが手を上げて応じた。そんなわけで、十月末の木曜日の午後一時に、真鶴駅前に五名が集まった。招待主の浦子のほか、石、岩、梶の諸子及び小生である。六谷子も参加するはずだったが、急に知恵熱が出たとかいって来なかった。

物流の理念を聞く

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四方山話の連中と新橋の古今亭で例会をやった。会場に着いてみると三階の狭い仕切りの部屋に案内され、そこには浦・柳の両子が先に来ていた。席が五人分しか用意されていないので、今日は随分少ないねというと、石子が詰めの手を抜いたんだろうと浦子が言う。今日は石子が自分史を語る番なので、人を糾合するのがためらわれたんではないかと言うのである。そのうち当の石子が来たので事情を聴くと、こんなもんじゃないのか、と涼しい顔をしている。俺のところに参加通知がきたのはこれだけさ、と。だが実際に蓋をあけてみると、参加通知のなかったものも現れ、最終的には八人になった。上述の四人のほか、岩、六谷、小、梶の諸子である。

豊穣たる熟女たちと戦場ヶ原を歩く

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昨夜来風雨の音すさまじくしばしば眠りを破られたが、夜明け過ぎには勢いが弱まった。起床して朝風呂を浴びる。すこぶる気持ちがよい。髭を剃り、八時前に一階の大広間に下りて朝食をとる。バイキング方式だ。よく眠れましたかと熟女たちに聞くに、雨の音がうるさかったけど、十分睡眠を取ることができましたという。では今日も頑張って歩きましょう。

豊穣たる熟女たちと硫黄の湯を楽しむ

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バスは四時近くに湯元温泉に着いた。湯守釜屋という旅館に投ずる。かなり古い旅館で、あたり一面から館内まで硫黄の匂いが充満している。硫黄の匂いが嫌いな人にはかなり厳しい条件だ。我々はさほど気にしないので、部屋に案内されるとまずお茶を飲み、それから風呂につかることとした。T女とY女はその前に湯の湖の辺を散歩してくるという。明日そのあたりを歩くのだから、なにもいま行かなくても、と言ったが、明日は明日、今日は今日よといって出かけていった。小生は湯を浴びに行くことにした。

豊穣たる熟女たちと日光に遊ぶ

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豊穣たる熟女の皆さんと久しぶりの温泉旅行を楽しんだ。奥日光の湯元温泉に一泊して硫黄の湯を堪能しながら、日光の世界遺産を見物したり、戦場ヶ原を散策しようという欲張りな計画だった。四人とも寄る年波に体力の限界を感じ、万事計画通りには運ばなかったが、なんとか無事に歩き終えることができて、それなりに充実したハイキング旅行にもなった。雨もよいの予報だった天気のほうも、例の晴女の効験のおかげでひどい目にあわずに済んだ。まあまあ楽しい旅行だったわけだ。

台風に感じて飛んでる議論をする

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先日本郷にある梶子ゆかりの社員施設で四方山会の例会をやったとき、次回もここでやろうやと言う話になったが、その後肝心の梶子が所要で出られなくなり、それでは居候のようで茶碗も出しにくいので、行きつけの新橋でやるということに変った。その夜(8月30日)は、台風が接近していて剣呑な雰囲気がただよっていたのだが、みな雨風をものとせず参集した。メンバーは筆者のほか、石、柳、六谷、田、小、岩、七谷、鷲、浦、錦の諸子合わせて十一名。常連の福子はドクターストップをかけられたといって参加しなかった。

芝公園の高層ホテルで和食を食う

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芝公園の高層ホテルにある食堂で和食を食った。といっても空中の高いところからあたりを睥睨しながら、というわけではない。地下にある一和風料理屋で懐石風のコース料理を食った次第だ。だから高層ホテルと言っても、別に高層の雰囲気を楽しんだわけではない。地下の穴倉のようなところで、壁を見ながら出された料理を食い、同席の諸子と罪のない話に打ち興じたというわけだ。同席したのは、山子夫妻と松子。落子は家内に事情があるといって参加しなかった。

真夏にすき焼きを食いながら時事を談ず

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例の四方山話の連中と久しぶりに会った。場所は本郷の一角、梶子の勤め先の会社が運営する厚生施設のようなものだ。そこの二階の座敷を借りて、真夏だというのにすき焼き鍋をつつきながら、今日は六谷子が用意してきた自分史の話をみんなで聞いた。参加したのは、筆者及び六谷子のほかに、石、浦、岩、福、柳、小、梶、越の諸子だ。場所がわかりにくいせいで、道に迷うものが続出し、全員揃ったのは予定時刻を三十分近く過ぎた頃だった。

京橋の美々卯でそばを食う

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昨日(6月19日)、久しぶりに都心に出て昼飯を食った。現役時代の知人某から電話がかかって来て、暇を持て余しているから飯でも食いながら馬鹿話をしないか、と誘われで出かけた次第だ。東京駅の八重洲口で待ち合せる。しばらく見ないうちに、駅前の様子は劇的な変貌を遂げている。かつて大丸のあった場所は建て替えられて全く違う雰囲気になっているし、周辺には超高層ビルがいくつも立ち並んでいる。筆者がこの界隈を歩き回っていたのはつい30年ほど前のことだが、その間に全く別の街かと思われるほどに変ってしまったわけだ。日本経済の停滞が叫ばれてから久しいが、こと東京の都心を見る限り、停滞どころか日々前(?)に向かって進んでいる、という印象を受ける。

山陽紀行(その五):しまなみ海道

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(瀬戸内海クルーズ船)

六月十日(金)朝方より快晴にて暑気甚だし。昨夜と同じ部屋にて朝餉を供せらる。窓より海を眺むるに、折から引き潮の底にあたり海底ありありと見えたり。これならば人が浸かりても背がたつべし。仲居の老嫗が言ふには、引き潮の折にはこの海に下りて胸まで水に浸かりながら熊手様の道具もてあさりを掬ひ取る客もあると。余はいはゆる金槌なれば、大事を考慮して海に浸かることはせず。他人のとりたるあさりを味噌汁にして食ふのみなり。

山陽紀行(その四):浄土寺

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(浄土寺山門)

食後バスに乗りて浄土寺を訪ふ。山陽道より直接石段を登るなれどその途中を山陽線貫通したれば線路を潜って石段を登るなり。上ること数級にして山門あり。この山門前はかの「東京物語」において老いたる笠智衆と若き原節子が肩を並べて海を見るシーンの舞台となりしところなり。我らは山門の内側より海の方向を見下ろしたり。

山陽紀行(その三):尾道市街

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(千光寺山ロープウェー)

六月九日(木)夜来雨激しく降りをりしが九時頃にやむ。昨夜の仲居朝餉の案内に来りていふ、大変な降りやうですが雨漏りはせなんでしたか、と。おいおいしょっちゅう雨漏りがするのかね、と聞くに、なにしろ建物が古うござりますから、と呑気な顔つきなり。確かに雨漏りこそせざれ、床が音を発するなど、古さを感ぜしむる建物なり。

山陽紀行(その二):尾道の旅館魚信

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(尾道の旅館魚信)

三時半頃福山駅に戻り、山陽本線に乗りて尾道に至る。列車は尾道市街に入りて海岸沿を行けり。左手に日立造船所の工場を見る。これは尾道市街とは狭隘なる海峡を隔てたる向島の造船所にて、これを目にしたるときは先日見し映画「故郷」の一齣を思ひ出しぬ。

山陽紀行(その一):福山・鞆の浦

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(福山城)

余嘗て薇芸両陽に遊びしことはあれどその中間なる尾道には未だ嘗て足を踏み入れしことなし。志賀直哉の小説やら二三の映画を通じて、その風光明媚なることを知れるのみ。この度自らの目をもてその風景の美しきさまを堪能せんと思ひ、共に旅せんやと旧友英生に声をかけしところ、子もまた尾道に遊びたしとかねて思ひ定めをりしなりとて、大いなる賛同を得られしかば、水無月の初めの八日といふ日に、ともに旅装に身を包み、東都を発して西国に向かふこととはなりたり。

生命倫理の講義を聞く

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例の四方山話の連中と新橋の古今亭で会った。今日は福子から学者人生についての回想話が聞けるはずだというので、合せて十一人が集まった。筆者と福子の他、石、浦、岩、柳、六谷、七谷、田、梶、越の諸子だ。越子はこの会には初参加だ。彼は我々より二年後輩だが、先輩から声をかけられ、面白そうだから参加させてもらったと言う。

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近江町市場の次に金沢城を訪ねた。石川門から入って、五十間長屋の脇を通り、三十間長屋のある高台に上った。金沢城は明治維新後陸軍に接収されたが、天守閣はじめ主要な建物は火災で焼失し、徳川時代のままの姿をとどめるのはこの三十間長屋だけだという。高台の周りに掘られている空堀は敵を防ぐ役目より、馬を遊ばせるために使われたそうだ。小生の出身地下総佐倉の城跡にある空堀もやはり馬を遊ばせるために作られたことを思い出した。

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翌日(四月十五日)六時前に起床し、朝風呂を浴びてテレビをつけると、熊本で大地震が起きたというニュースをやっていた。震度七の揺れを記録し、熊本城が崩れるなどしたほか、大勢の死傷者が出ているという。最初の揺れは昨夜九時過だというから、筆者は体調が悪くて床に潜り込んでいた時だ。しかし同室の二羽(オーさんあひるとあんちゃんあひる)も、揺れを感じるでもなくテレビも見なかったので、こんな地震が起きていたことは知らなかったという。ともあれ熊本城が崩れるくらいだから、よほどすさまじい地震だったに違いない。

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今年のあひるの新年会の席上、幹事役の横ちゃんあひるに、今年の春の旅行の計画はどうなっているかね、と聞いたところが、帰ってくる返事が一向に要領を得なかったので、静ちゃんあひるに応援を頼んだのだったが、そこは静ちゃんあひるのこと、てきぱきと要領よくことを運び、北陸地方に一泊の温泉旅行を計画してくれた。かくして我々あひるの一族は、今年の春も楽しい旅を楽しめることとあいなった次第だった。参加したあひるは、絵かきあひること小生及び静ちゃんあひるのほか、オーさんあひる、少尉あひる、あんちゃんあひる、それに横ちゃんあひるを加えた六羽だった。常連の今ちゃんあひるは、仕事の都合がつかなかったとの理由で、参加しなかった。

企業戦士の栄光と挫折の物語を聞く

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四方山話の会で、メンバーが交互に自分史を語るという取り決めになって、筆者がその先陣をおおせつかったことについては先述したとおりだが、二回目の話者は柳子が勤めることになった。前回同様一同新橋の古今亭に集合して、彼の話を聞いた次第だ。いつもはかならず遅れてくるという柳子が、今宵は珍しく時間通りに来た。

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山、落、松の諸子と越中のおがわ温泉に一泊の湯治の旅を楽しんだ。北陸新幹線に乗って黒部宇奈月温泉駅で降り、そこから差し回しのバスに乗って旅館に直行し、一晩ゆったりと温泉につかったあと、翌日真直ぐ駅まで送られ、そのまま東京に戻るというもので、観光地にはいっさい寄らず、ただひたすら温泉につかるという、至極あっさりとした旅だった。

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