映画を語る

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西部劇ばかり作って来たサム・ペキンパーにとって、1971年の作品「わらの犬」は、はじめての現代劇だが、これは暴力描写が得意のペキンパーの映画のなかでも、とりわけ暴力的な作品だ。その暴力は、ほかの作品の暴力より一段度を超した印象を与える。西部劇の暴力は、だいたい拳銃を通じて行われるので、ある種メカニックな印象を与えるが、この映画の中の暴力は、棍棒とか鉄棒とか、いわば人間の身体の延長を通じて行使されるので、露骨に人間的な暴力といった観を呈しているのだ。

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「昼下がりの決斗」は、西部劇の名手サム・ペキンパーが1962年に作ったもので、彼の西部劇の特徴をよく見せたものだ。ペキンパーの西部劇は、良心的な拳銃使いが、粗暴なガンマンを相手に、ひと働きするというのが定番で、そういう筋書きの西部劇を、かれはテレビ映画として夥しい数の作品を作った。この「昼下がりの決斗」は、そうしたテレビ西部劇の延長にあるもので、迫力には欠けるが、一応楽しめるようにはできている。もっともこの映画は、興行的には失敗で、製作費の回収もできなかったそうである。

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小泉堯史の2008年の映画「明日への遺言」は、大岡昇平の小説「ながい旅」を映画化したものである。原作は、一BC級戦犯の裁判をテーマにしている。東海軍司令官だった岡田資が、名古屋空襲中に捕虜になった米兵たちを簡易裁判で有罪にし、斬首して処刑したことが、戦争犯罪に問われた事件だ。岡田自身はこの裁判の結果絞首刑になったが、法廷で米軍による無差別空襲の非人道性を指弾し、また罪を一人でかぶるなど、人間として高潔な態度を終始とったことを、大岡なりの視点から評価した作品だ。映画は大岡のそうした意図を、よく表現し得ていると思う。

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赤目四十八滝とは、三重県の山中にある大小多くの滝の総称だそうだ。そこへ小生は行ったことがないが、この映画「赤目四十八滝心中未遂」で見る限り、なかなか見どころの多いところらしい。この映画は、そこを心中の舞台に選んだ男女の恋を描いているのだが、その恋というのが、なんとも言われず物悲しいのだ。

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吉田大八の2014年の映画「紙の月」は、不倫にのめりこんで男に貢ぐあまり横領を繰り返した銀行員の話である。同じようなことが実際の事件としてあったので、それに触発されたところもあるのだろう。また、中年女が若い男に入れ込むことはよくあるようなので、これを見た観客には、思い当たるところがあるに違いない。

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題名の「百円の恋」からは、百円くらいにしか値しない恋といったイメージが浮かんでくるが、この映画のなかで描かれている恋は、別に金がどうのこうのというものではない。安藤さくら演じる女主人公が、ひょんなことから百円ショップに努めることになり、そこを舞台にして彼女の恋が展開する、ということらしいのだ。

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東陽一の2010年の映画「酔いがさめたら」は、アルコール依存症がテーマだ。アルコール依存症になった男が、そのことが理由で妻子に去られたのだが、その妻子の励ましを受けながら立ち直ろうとするものの、アルコール依存症とは別の病気、癌で命を落とすところを描いている。その描き方がやや違和感を抱かせるように感じるのは、主人公のアルコール依存症患者の人格が、かなりゆるく描かれているためだろう。この男は、自分自身に甘えがあるのだが、その甘えを別れた妻子までが助長している。また、かれが治療のために入院した精神病院のスタッフや患者たちも、かれを励ます役割を果たしていて、これで立ち直れないようでは、どうしようもないと感じさせるからだ。実際、かれは癌で死ぬことになるわけだから、何のために治療を受けたのか、腑に落ちないと思わせるところが、この映画にはある。

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東陽一の2004年の映画「風音」は、沖縄戦がテーマである。沖縄戦といっても、戦争シーンが出て来るわけではない。沖縄戦そのものを描いているのではなく、それが後日に及ぼした影響のようなものに言及しているだけである。それも、直接的な影響ではない。何故なら、この映画に出て来る人々は、沖縄戦そのものを全くと言ってよいほど意識していない。沖縄戦の残した遺産とでもいうべきものに、心の一部を捉われているようなのだ。

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東陽一の2003年の映画「わたしのグランパ」は、筒井康隆の同名の小説を映画化したもの。思春期の少女と、その祖父の交流を描いている。祖父は13年ぶりに刑務所から娑婆に出て来たことになっている。その祖父が、いじめられている孫を励ましたり、不良少年たちを更生させたり、悪人たちと戦う姿を、少女は見ながら、次第に強い人間に成長していく過程を描いている。そんな少女が成長した姿を見送るように、祖父は最後に死んでしまう。それも川でおぼれた小さな女の子を救った後で、自分自身が溺れてしまうのだ。そんな祖父の死にざまを、孫の少女は自殺願望の実現だったのではないかと解釈する。

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1979年の日本映画「もう頬づえはつかない」は、東陽一の出世作になった作品であり、またユニークな女優桃井かおりが初めて主演した作品だ。若い女性のセックスライフともいうべきものを描いたこの映画は、同じような体験を共有している女性たちを中心にして大いに反響を呼び、一種の社会現象まで起こしたと言われる。その割に、ドラマチックな内容ではない。むしろほとんど物語らしさのない退屈な作品というべきである。にもかかわらず大きな社会的反響を呼んだのは、そこに日本人の新しい生き方が反映されていたからではないか。

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是枝裕和の2018年の映画「万引き家族」は、一種の社会現象といえるようなブームを巻き起こした。カンヌでパルム・ドールをとったということもあるが、なによりもこれが、今の日本社会を如実に映し出しているからであろう。今の日本社会は、かつて言われたような総中流社会ではなく、アメリカ流の格差社会である。金持ちと貧乏人とが、勝ち組と負け組とに截然と別れ、負け組は野良犬のようなみじめな生き方を強いられる。そうしたあり方は、今の日本社会に生きている人のほとんどにとって他人事ではなく、いつかは自分の身に降りかかってくるかもしれない。この映画に出て来る家族は、そういう惨めな人々なのだが、そうした人々に、この映画を見た観客は明日の自分を見たのではないか。それがこの映画が、ある種の社会現象を引き起こした原因だと思う。

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2008年公開の映画「エレニの帰郷」は、テオ・アンゲロプロスの遺作となった作品だ。かれは「エレニの旅」に始まる20世紀シリーズ三部作の構想をもっていたが、これはその二作目。三部作とはいっても、一作目と二作目では、筋書きの連続性はないようなので、それぞれが完結した話と言えそうである。テーマは、ギリシャを含めたヨーロッパ現代史ということらしい。

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テオ・アンゲロプロスの2004年の映画「エレニの旅」は、ギリシャ現代史を生きた一女性の過酷な運命を描いた作品だ。ギリシャの現代史は、戦争と内戦で彩られていたわけで、多くの不幸な人間を生んだ。この映画の主人公エレニも、そうした不幸な人間の一人だ。その不幸は、女性にとっては、自分の力ではいかんとも為しがたい運命として、彼女に襲い掛かる。それに対して彼女は、なすすべもないままに、ただ絶叫するだけなのだ。この絶叫を聞きながら映画を見終わった観客は、なんともいえない脱力感にとらわれるに違いない。とにかく、迫力あるアンゲロプロス作品のなかでも、もっとも迫力に富んだ傑作といってよいのではないか。

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テオ・アンゲロプロスの1998年の映画「永遠と一日」は、ある老人の一日を描いたものである。その老人は癌が悪化して明日入院することになっている。そのことを老人は、旅に出ると言う。だから映画を見ている者は、どこか遠くへ旅するのだろうかと勘違いするのだが、老人にとっては、もしかしたら再び病院から出られぬかもしれない予感があるので、帰らざる旅に譬えているわけだろう。

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ユリシーズはギリシャ語ではオデュッセーアといって、もともとは古代ギリシャの壮大な叙事詩の題名である。ホメロスのその叙事詩は、英雄オデュッセーアの海の放浪を描いたものだが、現代のホメロスとも称されるテオ・アンゲロプロスは、1996年の映画「ユリシーズの瞳」のなかで、一人の男の陸の放浪を描く。男が放浪するのはバルカン半島諸国で、時期は1994年、ユーゴスラビアが解体して、大規模な民族紛争が勃発していた時だ。

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ロード・ムーヴィーの傑作は数多くあるが、これほど心を揺さぶられる作品もないのではないか。というのもこの映画は、幼い姉弟を主人公にしており、かれらのいじらしい目的が大人の共感を呼ぶ一方、かれらの体験する苦悩が、惻隠の情を呼び覚ますからだ。実際この姉妹は、小学校六年生くらいの女の子と、小学生にもならない幼い男の子なのだが、その幼い子供たちが、たった二人だけで、ギリシャからドイツまで、父親を捜しに行く旅に出るのだ。

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テオ・アンゲロプロスの1986年の映画「蜂の旅人」は、ギリシャの蜂飼いをテーマにした一種のロード・ムーヴィーである。蜂飼いとは、蜂を飼育する一方、果樹の受粉の季節になると、各地の農場を廻って、蜂を放ち受粉を手助けする仕事をいう。アメリカの農場では、この蜂飼いたちが大活躍し、彼らなしには農園経営がなりたたないと言われるくらいだ。近年、ミツバチたちが原因不明のまま激減して、大きな社会問題になったことは記憶に新しい。

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テオ・アンゲロプロスの1984年の映画「シテール島への船出」は、「旅芸人の記録」以来の、ギリシャ現代史に題材をとった作品の延長にあるものだが、いささか凝った作り方をしている。ギリシャ現代史を正面から描くのではなく、裏面から描いているといったふうなのである。戦後の内戦時にソ連に亡命した男が32年ぶりにギリシャに戻って来るが、自分の故郷の村で隣人たちから非難され、大事にしていた農作業小屋を焼かれた挙句に、ギリシャ当局から国外追放という仕打ちを受けて絶望するというような物語になっている。

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「アレクサンダー大王」は、ギリシャ史に拘り続けたアンゲロプロスの大作だというから、これもギリシャ史に取材した作品なのか、ギリシャ史に暗い小生にはわからないし、また、この映画でアンゲロプロスが何を言いたかったのか、その意図もよくわからない。とにかく、不思議な映画である。

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テオ・アンゲロプロスはギリシャの現代史に取材した映画を多く作った。彼の映画の作り方は、かなり象徴的な面があって、筋の展開よりも、人間の表情とか自然の描写に重きを置いているので、ギリシャ史に暗い人にとっては、わかりにくいところがあるかもしれない。しかも、長大な作品が多いので、見る人によっては忍耐を強いられるかもしれない。

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