映画を語る

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2000年の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク(Dancer in the Dark)」は、デンマーク人のラース・フォン・トリアーが作ったデンマーク映画だが、なぜかデンマークではなくアメリカが舞台で、しかもデンマーク人は出てこない。主人公の女性はチェコからアメリカにやってきた移民ということになっている。その移民の彼女が辛酸をなめつつも一人息子とともに生きようとしながら、その思いを絶たれて死ぬというような内容だ。しかも殺人罪に問われて死刑判決を受け、監獄で吊るされるのである。

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フィンランド映画は、国際的な認知度は低い。そのなかでアキ・カウリスマキが2002年に作った「過去のない男」は、カンヌでパルム・ドールをとり、フィンランド映画の存在を世界に知らしめた。この映画を作ったカウリスマキは、社会的な問題意識を感じさせる映画作りを持ち味にしているそうだ。

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リューベン・オストルンドによる2017年のスウェーデン映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域(The Square)」は、現代スウェーデン社会が抱える矛盾のようなものをテーマにしているように見える。「見える」というのは、画面からあからさまには伝わって来ずに、行間を読むことではじめて頷かれるというような意味だ。そこでその矛盾とは何かということになるが、それは格差の拡大であり、人間の分断ということになるのだろう。この映画には、物乞いたちが数多く出てくるし、虐げられている少年とか、貧困を体現しているかのような類人猿もどきが出てきて、社会を牛耳っている支配層に向って抗議するのだ。その抗議が貧者の声として社会の分断を告発しているように「見える」のである。

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ロイ・アンダーソンの2014年の映画「さよなら、人類」は、見ていて捉えどころのない映画だ。筋書きのようなものはないに等しいし、いったい何が言いたいのか、よくわからない。映像とタイトルの組合せから伝わってくるのは、どうやら人類への批判らしいということだ。「さよなら、人類」という言葉は、あきれ果てた愚か者である人類とは、今後付き合いたくないというメッセージを込めているようである。

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1992年のスウェーデン映画「愛の風景」は、イングマール・ベルイマンがテレビドラマ向けに書いた脚本をもとに映画化されたものだ。ベルイマンはこれを、自叙伝の副産物として書いたそうだが、たしかにそう思われるフシはある。ドラマの主人公はヘンリク・ベルイマンという神学生・牧師であり、ベルイマンの実の父親も牧師だったから、おそらく自分の父親をモデルにしているのだろう。映画の中ではダグという男の子が生まれて来るが、これはベルイマンの兄だと思われる。ベルイマン自身は次男で、この映画の中ではまだ生まれてこない。

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1987年の映画「ペレ」は、デンマーク人の映画監督ビレ・アウグストがスウェーデン人たちを対象にし、デンマークを背景にして描いた作品である。だからスウェーデン・デンマークの協同制作ということになっている。映画にはスウェーデン人とデンマーク人が出て来るのだが、スウェーデン人はスウェーデン語を話し、デンマーク人はデンマーク語を話すのである。

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アンジェイ・ワイダの2016年の映画「残像」は、第二次大戦後にポーランドに成立した統一労働者党政権下での、芸術の国家統制を批判的に描いた作品。実在の前衛芸術家ヴワヂスワフ・ストゥシェミンスキをモデルにしている。一貫してポーランドの社会主義政権を批判してきたワイダの総決算のような作品である。かれにとってはこれが遺作となった。

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アンジェイ・ワイダは、「地下水道」や「灰とダイヤモンド」など、ポーランド現代史に題材をとった映画を数多く作った。2013年の作品「ワレサ連帯の男」は、ポーランド現代史上の英雄といわれるレフ・ワレサの、民主化運動指導者としての半生を描いたものである。

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2013年のポーランド映画「パプーシャの黒い瞳」は、ジプシー(ロマ人)出身の女性詩人ブロニスワヴァ・ヴァイスの生涯を中心にしながら、ジプシー(ロマ人)の生き方を情緒豊かに描いた作品である。ジプシー(ロマ人)は、東欧を中心にして流浪生活を送ってきた少数民族で、ユダヤ人と同じく厳しい差別に直面してきた。ユダヤ人が早くから定住したのに対して、ロマ人は長らく放浪にこだわり、その生活の実態はほとんど知られていなかったという。ボードレールのような変わり者の文学者が興味を示したり、ジプシー音楽と呼ばれる独特の音楽が注目を集めた程度だ。

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2019年のロシア映画「T-34 レジェンド・オヴ・ウォー」は、独ソ戦の一齣を描いたもの。ロシア映画であるから、ロシア人の兵士がドイツ軍を相手に勇敢に戦うところを描く。だからロシア人にとっては愛国映画であるし、場合によっては戦意高揚映画にもなる。21世紀の今になって、こういう映画がロシアで作られたわけは何か。いささか時代錯誤を感じさせられるが、今のロシアはある種の孤立状態に陥っており、世界を相手に戦っているといえなくもない。そうした時代閉塞の状況が、このような戦争映画への需要を生んだといえなくもない。

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2017年のキルギス映画「馬を放つ」は、キルギス人の馬へのこだわりをモチーフにした作品である。キルギス人は、もともと遊牧民であり、馬は生活のために欠かせない動物であって、またかけがいのない伴侶として深い愛着をもたれていた。しかし、キルギス人が定住生活に移行するにしたがって、馬への愛着は薄れ、役に立たない馬を殺して食用に供するようにもなった。そんな時代の傾向に強い違和感を持った男が、馬の自由のために戦う、というような内容の映画である。

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2010年のキルギス映画「明りを灯す人」は、キルギス映画として始めてカンヌの映画祭で上映されたという。それまでキルギス映画の存在はほとんど知られていなかったので、ヨーロッパ人にとっては非常に新鮮に映ったようだ。しかもこの映画は、崩壊しつつあるキルギス人社会を描いており、キルギス人が人間として生きていくことの困難さを訴えていた。そんなこともヨーロッパ人には衝撃的に映ったようだ。

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山田洋次の1993年の映画「学校」は、山田得意の人情劇に社会的な視点を絡ませた「社会派人情劇」ともいうべき作品。さまざまな事情で夜間中学で学びなおす人々と、熱血教師との触れ合いのようなものを描いている。山田はこのテーマを長い間温めてきたというが、あまり長くたちすぎたせいで、映画が公開された頃には、いささか時代遅れの観を呈した。公開された1993年は、日本のバブル経済の絶頂期にあたり、貧困は基本的に過去のこととなり、夜間中学に象徴されるような社会からの落ちこぼれも、大きな課題ではなくなっていた。だからその頃には、夜間中学は日本人よりも外国人を相手とする方向に変わってきており、社会の関心を引くことも少なくなっていたといえる。

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山本薩夫の1975年の映画「金環蝕」は、石川達三の同名の小説を映画化したもの。石川の原作は、1965年ごろに世間を賑わした九頭竜川ダム建設汚職事件に取材している。この汚職事件は、当時の与党政治家をほぼ全面的に巻き込むもので、その規模の大きさから大センセーションをひき起こした。結局事件はうやむやになってしまったが、それに義憤を感じた石川が、まだほとぼりのさめない1966年に小説にして発表したというものだ。映画はその原作の雰囲気をよくあらわしていると言われる。社会派の映画としては、もっとも成功した作品といえよう。

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1988年の日中合作映画「敦煌」は、井上靖の同名の小説を映画化した作品。小説の内容をかなり忠実に再現したということらしい。そこで原作がどのような意図で書かれたかが気になるところだ。これは一応歴史小説ということになっているが、登場人物の何人かが実在した人物だということ以外、歴史を思わせることろはない。ほとんどは井上の創作によるものらしい。井上ともあろうものが、なぜそんな中途半端な小説を書いたのか。ただのエンタメ小説なので、やかましいことはいわない、という手もあるが、井上は一応純文学の大家と言われているので、そういい加減なこともできないと思うのだが。

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伊藤俊也の1985年の映画「花いちもんめ」は、老人の認知症をテーマにした作品。この映画の中では、認知症は痴呆と呼ばれている。認知症という言葉には差別的な価値感覚はないと思うのだが、痴呆という言葉にはそういうトーンが明らかに認められる。じっさいこの映画の中の痴呆老人は、人間でなくなった動物のような存在として見られている。やはり時代の空気だろう。有吉佐和子が1972年に「恍惚の人」を発表したことで、認知症への社会の受け止め方には多少の変化はあったが、この映画が作られた頃には、まだまだ差別の対象であり、医療や介護をはじめ、社会全体で認知症患者やその家族を支えようとする雰囲気には程遠かった。そんななかで、認知症患者を抱えた家族の壮絶な毎日を、この映画は淡々と描きだしたわけで、そのことで多少は社会の認知症理解を広げたかもしれない。

化身:東陽一

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東陽一の1986年の映画「化身」は、渡辺淳一の同名の小説を映画化した作品。原作は、前年の1985年から同年にかけて日経新聞紙上に連載され、大いに評判になった。これは要するによく工夫されたポルノ小説なのだが、当時は男の間でポルノ小説が人気になっていて、そうした時代の風潮に日経が乗じたかたちだった。日経としては、企業戦士たちの味方として、日々奮闘しているかれらのための息抜きとでも思って、ポルノでは定評のあった渡辺に書かせたということだろう。渡辺はその期待によく応え、この作品はかれの代表作となった。

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東陽一の1980年の映画「四季・奈津子」は、前作「もう頬杖はつかない」に続き、若い女性のなんとなく流されながら生きていくさまを描く。青春映画といってよいが、底抜けの明るさはなく、かえって分別くささを感じさせる作品である。この映画で主人公役の奈津子を演じた烏丸節子は、その豊満な肉体が男たちの気持ちをそそった。決して美人ではないが、プリッとした尻の描く優美な線が独得のエロスを感じさせたものだ。
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原一男の1994年の映画「全身小説家」は、作家井上光晴の晩年に肉薄したドキュメンタリー作品である。原はこの作品の制作に5年間を費やしたというが、なぜ一映画人としてそこまでの執念を以て井上を追いかけ続けたのか。井上といえば、虚言癖や奇行で知られ、前代未聞のユニークな作家として変な名声があったので、それに惹かれたのかもしれない。たしかにこの映画は、井上のグロテスクな部分を包み隠さずさらけだしている。それを見て井上に敬意を感じることはむつかしいであろう。井上本人としても、自分の姿があからさまに暴かれることには抵抗があるのではないか。だがそう感じるのは、小生のようなお人よしくらいなもので、井上本人はかえってそれを楽しんでいる風情がある。とにかく不可思議な人物をとりあげた不思議な作品である。

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東陽一の1978年の映画「サード」は、かれにとっての出世作になった作品。翌79年の「もう頬杖はつかない」とともに、ユニークな青春映画作家としての名声を確立した。東の代表的な映画は、子どもや青年の感性のようなものをテーマにしているので、「サード」はそうした東の映画的な感性が前面に出た作品といえよう。

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