映画を語る

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ジョシュア・オッペンハイマーのドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」は、1965年から翌年にかけてインドネシアで起こった大規模虐殺事件を取り上げたものである。この事件は日本のメディアでもとりあげられ、ブンガワン・ソロが死体で埋まったなどと伝えられたが、事件の背景や実態については、あまり明らかにはされなかった。当時高校生だった筆者などは、新聞や雑誌で事件の真相に迫ろうと思ったが、雲を掴むようで、わからないことが多かったことを覚えている。

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「ハーツ・アンド・マインズ( Hearts and minds )」は、ベトナム戦争を取り上げたドキュメンタリー映画である。公開されたのは1974年。アメリカがベトナムから撤退したのが前年の1973年、ベトナムでの内戦が終結するのが翌年の1975年、ということで、この映画の公開時には、ベトナム戦争はまだ過去のことではなく、現在進行中のことであった。そんなこともあってか、べトナム戦争に対して批判的な視点が強く現れているとはいえ、批判一辺倒ではなく、アメリカの保守派の言い分にも大きく時間を割くなど、なるべくフェアに扱おうとする意気込みも感じられる。

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アラン・レネの「夜と霧」は、アウシュヴィッツにおけるナチスの蛮行をテーマにしたドキュメンタリー映画である。作られたのは1955年のことで、その当時のアウシュヴィッツの荒涼たる光景をカラー映像で映し出しながら、そのわずか十数年前に、そこを舞台にして行われていたナチスのおぞましい犯罪、すなわちユダヤ人をはじめとした膨大な数の人々に対するホロコーストを、記録映像をもとにして再現し、重ねあわせた。公開されるや、世界中からすさまじい反響が巻き起こり、映画の内容を含めて論争が繰り返されたという。

ゆきゆきて神軍:原一男

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「ゆきゆきて神軍」は、アナーキスト奥崎謙三の戦争犯罪追及を追ったドキュメンタリー映画である。奥崎は、昭和天皇の一般参賀の場で天皇に向けてパチンコを打ったり、東京の繁華街のデパートの屋上から皇室を中傷する卑猥なポルノ画像をばら撒いたことなどで世間の注目を浴びた。彼のそうした行為の背景には、戦争で多くの人々を殺した国家への激しい憎悪があり、その憎悪が国家の象徴である天皇に向けられたと言われた。もっとも、彼はこれらの事件の前に傷害致死事件をも起こしており、その性格には明らかに異常があったとも評された。ともあれ、普通の人間の想像を超えたところのある人間には違いない。そのユニークな人間による戦争犯罪の追及の過程を、このドキュメンタリー映画は忠実に追っていくわけである。

上海:亀井文夫

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亀井文夫のドキュメンタリー映画の傑作「上海」は、「支那事変後方記録」という副題にもあるとおり、日支事変後の上海の様子を中心に、中国大陸における日本軍と中国民衆との接触を描いた映画である。日支事変が起きたのは1937年8月、この映画の公開は翌年の2月である。映画の作成は日支事変を遂行した陸海軍の意向による。軍部は、映画を通じて、日支事変の正当性を国民に訴えるとともに、日本軍がいかに中国民衆の信頼を集めているか、また中国に租界を有する大国の利益を守り、日本が世界の平和のためにいかに貢献しているかについて、宣伝することを目的としたようである。いわば国民大衆の戦意高揚と、正義の戦争の宣伝を旨としたプランであったわけだ。

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「静かなる男( The quiet man )」は、アイルランドにルーツを持つジョン・フォード( John Ford )が、その美しい故郷に捧げたオマージュのような映画である。豊かな自然を背景に、人々の心のこもった交流を描く。それを見ていると、人間の理想的な生き方とはこういうものなんだ、というフォードの確信のようなものが伝わってくる。

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「荒野の決闘( My Darling Clementine )」は、「駅馬車」と並んでジョン・フォードの西部劇の最高傑作と言われる。ジョン・フォードの最高傑作と言えば、西部劇の最高傑作と言い換えてもよい。フォードは西部劇最大の巨匠だからだ。

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ジョン・フォード( John Ford )の映画「わが谷は緑なりき( How green was my valley )」は、家族の情愛と人間同士のつながりの大切さを描いた実に感動的なヒューマン・ドラマである。恐らく世界の映画史上最も良質のヒューマン・ドラマとして人類史に残るのではないか。その感動的なことは、筆者のように単純にできた人間には、見るたびに泣かされてしまうほどだ。筆者ならずとも、この映画を見て涙を流さぬものは、人間だとは言われぬだろう。

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ジョン・フォードの映画「怒りの葡萄( The Grapes of wrath )」は、ジョン・スタインベックの同名の小説を映画化したものである。小説の刊行が1939年、映画の公開はその翌年の1940年、どちらも大変なセンセーションを巻き起こした。フォードはこの映画で、社会派のチャンピオンのような存在になったし、主演のトム・ジョードを演じたヘンリー・フォンダは、アメリカ映画史上最も存在感のある俳優の一人になった。

駅馬車( Stagecoach ):ジョン・フォード

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ジョン・フォード( John Ford )の1939年の映画「駅馬車( Stagecoach )」は、西部劇の古典的名作との評価が高い。西部劇といえば、開拓者とインディアンとの戦い、熱血漢とならず者の決闘、そして無骨な男同士の熱い友情といったテーマが定番だが、この映画はそうした要素のすべてを兼ね備えている。アメリカ人はこの映画の中に、古きよき時代のアメリカ精神とも言うべきものを見出し、心の震えるのを覚えると言う。そうした点では、単に西部劇の傑作と言うにとどまらず、アメリカ映画の金字塔とも言えよう。

埋もれ木:小栗康平

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小栗康平の映画「埋もれ木」は実に不思議な感覚に満ちた映画である。普通の映画が持っている筋書きのようなものをほとんど持たないし、登場する人々も普通の人間のような存在感を持たない。ある種のファンタジー映画でありながら、普通のファンタジーでもない。というのも、この映画は、三人の少女たちが語る架空の作り話の世界が、現実の世界の人間たちの物語と交じり合い、もつれ合っているおかげで、純粋のファンタジーでもなく、かといって現実の出来事でもない、といったきわめて曖昧な世界を、曖昧に描き出しているといった映画なのである。

死の棘:小栗康平

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「死の棘」は、「泥の河」「伽耶子のために」に続く小栗康平の第三作目の映画である。「泥の河」では小さな子どもの目を通して戦後日本の絶対的な貧困を描き出し、「伽耶子のために」では在日コリアンたちの、これもまたすさまじい貧困を描き出していた小栗だが、この映画では、そうした社会的な視線は後退し、かわって人間の内面に踏み込んでいる。この映画は、夫婦のすさまじい葛藤を描いた心理劇なのである。その心理劇の内面的な世界が、小栗特有の(反技巧的な)カメラワークで、時にはゆったりと、時にはドラマティックに、緩急をつけて展開される。

伽耶子のために:小栗康平

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小栗康平の第二作「伽耶子のために」は。在日コリアンの生活をテーマにした作品だ。どういう理由か詳しくはわからぬが、一般の映画館で上映されることはなく、東京の岩波ホールと大阪の三越劇場でひっそりと上映されたのであったが、右翼のいやがらせにあって、短期間で終了、その後劇場やテレビで取り上げられることもなかった。仏独伊各国の映画祭で受賞するなど、海外では高い評価を受けたことを考えると、内外の激しい落差を感じさせられる。

泥の河:小栗康平

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小栗康平の映画「泥の河」は、日本の映画史上十指で数えられるべき傑作だと思う。すぐれた映画というのは、それが描いている時代の雰囲気を凝縮した形で盛り込んでいる一方、その時代に拘束されない、永遠の時の流れといったものを感じさせるものだが、この映画もまた、そうした特別の時代感覚に満ちている。

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アルフレッド・ヒッチコック( Alfred Hitchcock )の1946年の作品「汚名( Notorious )」は、女スパイとCIA捜査官との、恋と冒険を絡めた映画である。この映画には、1946年という時代の背景が強く影を落としている。この映画で二人の主人公が立ち向かう相手は、ナチスドイツの残党と言うことになっており、彼らがアメリカとの再戦を目的に開発している兵器の情報を探ろうというのが、この映画のストーリーになっているからだ。

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アルフレッド・ヒッチコックの1945年の作品「白い恐怖( Spellbound )」は、それまでの彼の作品と比べて、ミステリー映画としての完成度が高いといえよう。少なくともこの二年前の作品「疑惑の影」よりも数段上である。「疑惑の影」では、ミステリーの仕掛けが映画の早い時期に観客に明らかにされてしまったし、また、サスペンスという点でも中途半端だった。それに対してこの映画は、ミステリーの全貌は最後の最後になって初めて観客に明らかになる。また、そこに至るまでの間、スクリーンには緊張感が張りつめている。というわけでこの作品は、ミステリーとしても、サスペンスとしても、申し分がない。

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アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)の1942年の映画「疑惑の影(Shadow of a doubt)」は、ヒッチコックにしては出来の悪い作品だ。ミステリーと言うには、ミステリーの要素が弱い。というのも、ミステリーの内容が映画の比較的早い時期に明かされているからだ。また、サスペンスと言うには、サスペンス特有の逼迫感がない。というのも、サスペンスの主体が、あまりにも中途半端な人格になっているからだ。

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アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)の映画「迷走迷路」の原題「Saboteur」は、破壊工作員という意味である。この映画はこの原題の通り、一人の工場労働者が破壊工作組織の活動に巻き込まれて警察に追われることになり、その嫌疑を晴らそうとして破壊工作組織を追求する過程を描いたものである。その破壊工作組織と言うのは、アメリカに存在する全体主義的な組織ということになっており、そのリーダーは、アメリカをドイツのような全体主義国家に作り直したいと思っている。彼らの破壊活動は、その一つの手段なのだ。こういうストーリーは、この映画が作られた1942年という時代背景を思い出すと判りやすい。この映画のなかでは、主人公はアメリカ的な価値の体現者として、破壊工作組織はナチスのような全体主義的勢力として描かれているわけである。

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アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)の映画「断崖(Suspicion)」は、原題を「疑惑(Suspicion)」というが、この方が映画の内容をよく表している。この映画は、結婚したばかりの妻が、夫の異様な行動に疑いを持つようになり、ついにはそれが疑惑から妄想に発展し、精神衰弱へと追い詰められていくという話なのである。

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アルフレッド・ヒッチコックの1940年公開の映画「海外特派員(Foreign Correspondent)」は、ミステリー・サスペンス映画の傑作である。というより古典といってもよい。ミステリーの要件たる謎解きやどんでん返し、鬼気迫るサスペンス、そして要所で差し挟まれるアクションシーン、そうした要素が盛り込まれていて、それらが壮大な時代状況を背景にして展開されていく。その濃密な世界は、これこそミステリー・サスペンスの見本だと思わせる。

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