映画を語る

日本侠客伝:マキノ雅弘

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「日本侠客伝」は、1960年代後半に爆発的に流行したいわゆるやくざ映画のさきがけとなった作品である。高倉健主演のこの映画は、「東映やくざ」映画と称される膨大な作品群の手本となったものであり、ストーリー展開や人物設定などさまざまな面で、以降のやくざ映画に大きな影響を与えた。

少年H:降旗康男

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降旗康男の映画「少年H」は、妹尾河童の自伝的小説を映画化したものである。妹尾が小学六年生から中学生にかけての少年時代に体験した同時代の日本がテーマだ。その時代はちょうど太平洋戦争の開始から敗戦までの、戦争の時代に相当する。だから少年の目から見た戦争時代の日本を描いているということになるわけだが、その少年の時代を見る目は非常に批判的である。少年の目には、日本のやっている戦争は無謀きわまりなく、また、それに向き合っている大人たちの態度は欺瞞だらけに映る。そんなことから、作品全体から反戦のメッセージが感じられると言う具合に、少なくとも映画の作り方のうえでは、なっている。

単騎、千里を走る:張芸謀・降旗康男

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「単騎、千里を走る」は日中合作の映画である。中国側がイニシャティブをとり、日本が協力する形で作られた。中国側の監督は人気作家の張芸謀である。張芸謀は、出世作となった「紅いコーリャン」で、日本軍の残虐非道振りを描き、反日的な映画監督のように思われていたと思うのだが、それが親日的ともいえるこんな映画を作ったのは、彼の高倉健にたいする特別な思いが働いているようである。日頃高倉健の映画を愛していた彼は、是非とも高倉を主演にした映画を撮りたかった。そんなわけだから、高倉にふさわしい、格調の高い映画でなければならない。そういう思いが、張に国境を越えたヒューマンドラマを作らせたのだろうと思う。

ホタル:降旗康男

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降旗康男の映画「ホタル」は、鹿児島の知覧にあった陸軍の特攻基地を舞台にした映画である。この基地は、いまでは「知覧特攻平和会館」という形で受け継がれ、特攻で死んでいった1300人余りの若者の写真や遺品を保存している。筆者もこの会館を訪ねたことがあるが、深い感動なしに接することはできなかった。死んだ若者一人ひとりの声が聞こえてくるようであった。

鉄道員:降旗康男

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降旗康男の1999年の映画「鉄道員」は、生涯を鉄道に捧げた男の、職業へのこだわりを描いた作品である。職業にこだわる余りに、自分のプライバシーを犠牲にするような生き方は、かつての日本人に多く見られた。というより、そういう生き方のほうが人間らしい生き方として称揚されたものだ。今でも、一部の日本人には、仕事をプライバシーに優先させる人がいないでもないが、そういう生き方は少数派になってきつつある。この映画が公開された1999年というのは、仕事とプライバシーのバランスが逆転する分水嶺というべき年だったような気がする。

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スティーヴン・スピルバーグの1993年の映画「シンドラーのリスト(Schindler's List)」は、1000人以上のユダヤ人をナチスによるホロコーストから救ったあるドイツ人をテーマにした映画である。したがって映画の主人公は一応シンドラーというそのドイツ人であるし、実際映画も彼を中心にして作られているのだが、彼はナチスドイツによるユダヤ人虐待の現場におり、自分の目でつねにユダヤ人が殺されたり虐待されたりするさまを見ているということで、映画全体がナチスによるユダヤ人虐待を記録しているようなところがある。三時間十五分に及ぶ長大な作品にもかかわらず、全編が緊張感にあふれ、冗長さを全く感じさせないのは、この映画の持つ記録的な性格から来るのだろうと思う。この映画は、ドラマであると同時に、ホロコーストを記録した映画でもあるのだ。

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サム・ペキンパーの1977年の映画「戦争のはらわた(Cross of Iron)」は、第二次大戦末期のドイツ軍の退却戦を、ドイツ側の視点から描いたものである。それまで第二次世界大戦を描いた映画といえば、ドイツ軍は加害者として描かれるのが普通で、ドイツ軍の視点に立ったものはないに等しいとされていたという(当のドイツ国内でもそうだったのかどうか、事情に疎い筆者にはよくわからないが、どうもドイツにおいてもドイツ軍を英雄視する映画ははばかられていたらしい)。そんなところに、ドイツ軍寄りの視点で戦争映画が作られたというので、この映画は結構話題になったようだ。

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シェイクスピアは、巨大な名声のわりに実生活に不明な部分が多いので、とかく作家たちの想像力を刺激してきた。映画作家の場合もその例外ではなく、シェイクスピアの「実生活」に題材をとった作品が多く作られてきた。1995年の映画「恋におちたシェイクスピア」は、そうしたシェイクスピア物の中でも、最も優れた部類に入る。

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ジョナサン・デミの1991年の映画「羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」は、シリアル・キラー(連続殺人犯)をテーマにした作品である。こういう映画は事柄上サイケデリックになりやすい傾向がある。このジャンルの映画の代表作と言われるヒッチコックの「サイコ」は、連続殺人よりも犯人の異常な人間性のほうに焦点が当てられていたし、今村昌平の「復讐するは我にあり」も、殺人の動機がはっきりしていないと言う点で、非常な不気味さを感じさせる。動機と言えば、人を殺すことそのものが快感だからというほかはない、というのはかなりエクセントリックなことだ。

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1982年のアメリカ映画「ランボー(First Blood)」は、ベトナム帰還兵の不幸を通じてベトナム戦争で蒙ったアメリカの傷を描いたなどと評されているが、筆者などにはそれ以上に、アメリカ警察の暴力的体質を描いたものだという印象が強い。この映画は、警察官がベトナム帰還兵である主人公を、流れ者だと言う理由で排除しようとしたあげく、手ごわい抵抗にあうと見るや、警察の総力を挙げて相手を抹殺しようとするところを描いている。その過程で見せる彼等のやり方は、暴力団と全く変わらない。変わっているのは彼等が権力を持っているということだけだ。こういう映画を見せられると、アメリカの警察と言うのは、基本的には、権力を持った暴力団に他ならないという印象を強く持たされる。

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「クレーマー、クレーマー(Kramer vs. Kramer)」は、離婚大国アメリカでの、子供の親権をめぐる争いをテーマにした映画である。世界的な反響を呼び、日本でも評判になった。というのも、この映画が公開された1979年当時は、日本でもようやく離婚が小さからぬ社会問題となってきていたからである。アメリカ人ほどではないが、日本人のなかでも離婚を経験するものが増えてきていた。離婚した夫婦に子供がいれば、当然親権をめぐる問題が生じてくるわけで、この映画を見た当時の日本人も、今すぐと言うわけではないが、いつか経験することになるかもしれない、離婚とそれに伴う子供の親権の問題について、この映画を通じて考えさせられるところがあったに違いない。

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ハンフリー・ボガート( Humphrey Bogart )とイングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman )が競演した映画「カサブランカ( Casablanca )」は、映画史上最高のラブ・ロマンスとの評価が高い。単にラブ・ロマンスの傑作と言うにとどまらず、オーソン・ウェルズの社会派映画「市民ケーン」、アルフレッド・ヒッチコックのサスペンス映画「めまい」と並んで、映画史上の三大傑作とも言われる。

終の信託:周防正行

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周防正行の映画「終の信託」は、いわゆる尊厳死あるいは安楽死をテーマにした作品である。原作となった朔立木の同名の小説は、2002年に問題化した川崎共同病院事件を取り上げている。この事件は、重症の喘息患者から安楽死を懇願された医師が患者の意向に従って安楽死させたところ、殺人罪に問われたというものである。裁判の結果医師の有罪が確定したが(2009年12月)、何を以て尊厳死あるいは安楽死となし、何を以て殺人となすべきなのか、その境界についての社会的な合意が深まったとは、必ずしも言えなかった。周防は、そういう状況を踏まえ、尊厳死あるいは安楽死についての社会的な議論を深めたいと言う気持を込めてこの映画を作ったようである。

それでもボクはやってない:周防正行

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周防正行の映画「それでもボクはやってない」は、冤罪をテーマにした作品である。「シコふんじゃった」と「Shall we ダンス?」でエンターテイメント系の映画作家として人気のあった周防が、一転して日本の司法システムの人権軽視体質を批判した社会派の作品を作ったわけだが、テーマが重い割には、人々の関心を引き、映画はヒットした。恐らく周防と同じような問題意識を持つ人々が多かったと言うことだろう。冤罪の中でも痴漢をめぐるものは、男なら誰でも巻き込まれる恐れがあるわけで、その恐怖心の表れというか、一時、電車に乗るときには両手を上に持ち上げて乗ろうというジョークめいた合言葉が流行ったくらいだった。

Shall we ダンス?:周防正行

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周防正行の映画「Shall we ダンス?」は、前作の「シコふんじゃった」との間で色々な共通点がある。まず、相撲と社交ダンスという違いはあるが両者とも競技をテーマにしていること。しかもその競技を通じて登場人物たちが友情で結ばれていくと共に人間的にも成長していく過程を描いていること。また、両者とも競技についての観客の認識を改める効果を発揮していること。そのため「シコふんじゃった」は相撲人気を高める効果をもたらしたし、「Shall we ダンス?」はそうした効果を超えてダンスブームのようなものまでもたらした。かく言う筆者も、この映画に触発されて社交ダンスを始めようと思った一人だ。

シコふんじゃった:周防正行

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周防正行の映画「シコふんじゃった」は、いわゆるスポーツ根性ものの傑作である。このジャンルの作品は、テレビドラマを含めると、それこそ星の数ほど作られた。日本人の好みにあっているのだろう。この作品は、スポーツの中でも相撲という、伝統はあるがどちらかと言うとマイナーな競技にスポットライトをあててストーリーを組み立てたのが新鮮に映った。若くてイケメンな男子たちが、余り格好の良くない競技のために、青春を燃やし尽くして踏ん張る姿、それがユーモアとアイロニーを生みだし、何とも言えない雰囲気を醸し出す、そう言う感じの作品である。

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チャップリンの映画「ライムライト(Limelight)」は、ミュージカル・コメディともいうべき作品だ。パントマイムを身上とするチャップリンは、映画に台詞を挟むことは無用だと考え続けていたようだが、音楽の効用は認めていた。「黄金狂時代」を初めとして、多くのトーキー作品を再編集した際、音楽を活用することで、映画に新たな命を吹き込んだのは、そのしるしだ。しかも、彼自身に音楽の才能があったので、音楽のプロデュースを自らこなした。「ライムライト」は、チャップリンのこうした音楽への嗜好が反映された作品である。彼はこの映画を通じて、自分なりのミュージカルを作りたかったのだろう。

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チャップリンの映画「殺人狂時代(Monsieur Verdoux)」は、いわゆるチャップリンらしさを大きくはみ出した作品だ。それまでのチャップリン映画の基本的な要素である、あの放浪者のイメージに代わって、いささか滑稽さは伴っているとはいえ、シリアスな人物が主人公だし、その行動は、善良だが常識を逸脱した、いわば愛すべき行動ではなく、憎むべき犯罪だ。というのもこの映画の中でチャップリンが演じたのは、女たらしの結婚詐欺師であり、金のために次々と女を騙しては、都合が悪くなると殺してしまうという、身の毛もよだつような殺人者なのである。主人公自らが自分の死後に回想して言っているように、彼は20世紀の青髭なのだ。

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チャップリンの映画「独裁者(The Great Dictator)」は、ヒトラーの独裁専制を痛烈に批判したものとして、映画史上特筆すべき作品である。チャップリンがこの映画を公開した1940年は、第二次世界大戦が勃発してまもなくのことだったが、アメリカはまだ参戦しておらず、ドイツに対するアメリカの世論には複雑なものがあった。そういう状況の中でチャップリンは、ヒトラーの専制政治が民主主義に対する脅威であるばかりか、ユダヤ人への迫害を通じて人間性そのものをも蹂躙していると訴えた。チャップリンの映画の大きな要素であった政治的な視点が、この映画では最大限に発揮されているといえよう。

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チャップリンの映画「モダン・タイムズ(Modern Times)」は、20世紀の機械文明を批判した作品として映画史上屈指の名作に数えられる。人間の文明とは人間の生活を豊かにするはずのものなのに、20世紀の機械文明は、人間が機械を使うのではなく、人間が機械に使われると言う皮肉な現象を生むことによって、かえって人間の生活を惨めなものにしつつある。そんなメッセージがこの映画には含まれている。

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