映画を語る

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2003年のイタリア映画「輝ける青春(La meglio gioventù )」は、イタリア人の家族の37年間の時の流れを描いた作品。日本でいう「大河ドラマ」だ。大河ドラマの特徴は、特定の事象に焦点をあてて、それを劇的に表現するのではなく、時間の流れを追うことで、その時代が帯びていた雰囲気をなんとなく分からせるところにある。この映画の場合、その雰囲気とは、イタリア人家族特有のあり方が醸し出すものだ。この映画を見れば、イタリア人の家族関係の特徴がわかる。それは濃密な触合いに支えられたものだ。そうした濃密な家族関係は、いまの日本では珍しくなってしまったので(あるいはほとんどなくなってしまったので)、非常に新鮮にうつる。

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1949年のイタリア映画「にがい米(Riso amaro)」は、ロンバルディア地方の水田地帯を舞台に、イタリア人女性の季節労働をテーマにした作品。それに、二組の男女の数奇な関係を絡ませてある。

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2019年のアメリカ映画「SKIN/スキン(Skin)」は、アメリカのネオナチの暴力をテーマにした作品。トランプの登場によってアメリカの極右団体が勢いづき、ナオナチやKKKといった人種差別主義者が暴力的な活動を激化させていった。2021年1月6日におきた連邦議会襲撃事件は、その象徴的な出来事だった。この極めて異様な現象に対して批判的な目を向け、頭のおかしくなったアメリカ人たちに反省を迫ろうというのが、この映画の趣旨のようである。

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トッド・フィリップスの2019年の映画「ジョーカー(Joker)」は、人気漫画バットマンのキャラクターであるジョーカーがどのようにして生まれたかをモチーフにした作品と捉えられているようだが、小生のようにバットマンを知らない人間にとっては、アメリカの格差社会のひどい現実を描写したもののように受け取れる。

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アンドレイ・ズビャギンツェフの2017年の映画「ラブレス(Нелюбовь)」は、現代ロシア社会における家族の崩壊をテーマにした作品。それに警察の腐敗を絡ませてある。ズビャギンツェフには、地方行政の権力の腐敗をテーマにした作品「裁かれるは善人のみ」があり、権力の腐敗ぶりによほど意趣を持っているようである。警察も権力そのものなので、それを批判することは、政権批判を意味するだろう。じっさいズビャギンツェフはプーチン政権に眼の仇にされているそうだ。

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アンドレイ・ズビャギンツェフの2014年の映画「裁かれるは善人のみ(Левиафан)」は、カフカの不条理小説を思わせるような作品だ。悪徳市長から家財産を略奪されそうになった男が、モスクワから古い友人の弁護士を呼び寄せて戦おうとする。弁護士はいろいろな手を使って市長を倒そうとするが、返り討ちになって尻尾を巻いて逃げ去り、男も妻を殺害した容疑で裁かれる。妻は海で死んだのだが、どのようにして死んだのかわからない。だから男は冤罪を着せられたともいえる。その男はまた、信頼していた弁護士に妻を寝取られた。そんなわけで、男にとっては往復びんたをくらったようなものだ。男は善人なのだが、その善は市長が体現する悪の前では何ものでもない。正義は権力にあり、裁かれるのはいつも善人なのだ。

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チェコ・ウクライナ合同制作による2019年の映画「異端の鳥」は、ナチス時代のユダヤ人への迫害をテーマにした作品。一人のユダヤ人少年が、ナチス支配下の東欧において、途端の苦しみをなめながら放浪するさまを描く。せりふがほとんど発せられないので、観客は強いストレスを感じる。かれが迫害される理由がユダヤ人であることも、映画がかなり進んだ時点で理解されるのである。そのたまに発せられるせりふというのが、インタースラヴィックという、スラヴ諸国語を合成した人工言語だというから、よけいにわけのわからぬところがある。実験的な色彩の強い映画といってよい。

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2001年のチェコ映画「ダーク・ブルー」は、ヤン・スヴェラークがイギリスを舞台にチェコ人の生き方を描いた作品。チェコ軍のパイロットだった男達が、ナチスドイツに占領されたチェコを脱出し、イギリス空軍の志願兵となって、ドイツ空軍と戦うさまを描いている。

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神代辰巳の1983年の映画「もどり川」は、大正ロマンポルノというふれこみだった。大正時代に舞台設定して、自分本位な男が女たらしを繰り返すというよな内容だ。神代らしく、濡れ場だけではなく、ストーリーでも観客を楽しませようと思ったようだが、観客としては、この映画のストーリーに興味をもてることはないのではないか。ストーリーはごく退屈である。その退屈さを絶え間なく続く濡れ場のシーンがおぎなっているというのは、ポルノ映画であるから当たり前のことだ。この映画から、濡れ場の迫力を取り除いたら、気の抜けたビールのように味気ないものになってしまうだろう。

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高橋伴明の1982年の映画「TATTOO<刺青>あり」は、1979年に起きた銀行強盗事件に取材した作品。それ以前の高橋はポルノ映画を作っていたのだが、普通の映画を作るにあたって、最初に選んだテーマが、銀行強盗に失敗して死んだあるならず者の青春だったわけである。そのならず者は、本物のやくざにはならなかったが、胸に彫った刺青を見せびらかして他人を脅迫し、それで世の中を渡るというケチな人間だった。そんな人間になぜ高橋が興味を覚えたか。それはわからない。

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神山征二郎の1983年の映画「ふるさと」は、認知症になった老人の人生最後の日々を描いた作品。それにダム建設にともなう「ふるさと」の消失をからませてある。老人にとっては文字どおり人生最後の日々であるが、かれの家族や村落の人々にとっても、ふるさとですごす人生最後の日々というわけである。

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2012年公開の映画「のぼうの城」は、秀吉の小田原攻めの一エピソードを描いた作品。秀吉は備中高松城の水攻めで名声を博したが、家臣の石田三成がその真似をしてうまくいかなかったというような内容である。犬童一心と樋口真継が共同監督して、2011年9月に公開の予定だったが、東日本大震災の影響で、2012年11月まで延期された。映画に出てくる洪水の場面が、大震災における津波を想起させて、人の感情を逆なでするおそれがあると判断したからだという。

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犬童一心の2007年の映画「眉山」は、母娘の絆を描いた作品。原作のさだまさしがウェットを売りものにする人間だから、これもウェットな作品に仕上がっている。ウェットすぎてしらけるほどである。

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犬童一心の2003年の映画「ジョゼと虎と魚たち」は、田辺聖子の同名の短編小説を映画化した作品。その小説を小生は未読だが、小川洋子が絶賛していた。「若いカップルの心のみずみずしさ、まだ稚拙だけれども一所懸命でひたむきな愛を、どうしてこんなに鮮やかに描けるのだろうかと驚きます」と書いている(心と響き合う読書案内)。そんな若いカップルの心のみずみずしさが、映画にもよく表現されていた。心温まる映画である。

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クロード・オータン=ララの1954年の映画「赤と黒(Le Rouge et le Noir)」は、スタンダールの有名な小説を映画化した作品。原作は近代小説の手本といわれるもので、小生は青年時代に読んだ。その折には、体が震えるほど感動したことを覚えている。小生にとって決定的な文学体験であった。

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1949年のフランス映画「美しく小さな浜辺(Une si jolie petite plage イヴ・アレグレ監督)」は、どうということもない、駄作といってよい映画だが、若い頃のジェラール・フィリップが出ているので、フィリップ・ファンにとっては見逃せないということだろう。

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今年(2022年)は、かつて大変人気のあったフランスの映画俳優ジェラール・フィリップの生誕100年とあって、日本でも記念上映会が催されている。小生もジェラール・フィリップのファンで、ルネ・クレールものの「夜ごとの美女」とか「悪魔の美しさ」といった映画がとりわけ気に入っていた。記念上映会でもこれらの映画が上映されているが、中には小生のまだ見ていない作品もある。そこで、気軽に入手できる範囲で、未見の映画を見る気になった次第。

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ローラン・カンテの2008年の映画「パリ20区、僕たちのクラス(Entre les murs)」は、フランスの中等教育の現場を描いた作品。公立中学校のクラス運営を巡って、教師が生徒との間で奮闘する様子が描かれている。クラスは規律に欠け、生徒は勝手なことばかりする。それに対して教師が立ち向かい、クラスの秩序を保って、生徒の学習を励まそうとするが、なかなか思うようにならない。教育とはいいながら、実情は教師と生徒との戦いである。ふつうの日本人からみれば、学級崩壊の特異な例ということになるのだろうが、フランスでは珍しいことではないらしい。

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1999年のフランス映画「クリクリのいた夏(Les Enfants du marais)」は、貧しいながら誇り高きフランス庶民のつつましい生き方を描いた作品。監督のジャン・ベッケルは、「モンパルナスの灯」などで知られるジャック・ベッケルの息子である。父親はエンタメ性の高い映画を手掛けたが、息子のほうは、ほのぼのとした人情劇が得意なようだ。

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ジャック・ベッケルの1960年の映画「穴(Le Trou)」は、刑務所からの囚人の脱獄をテーマにした作品。実際に起きた脱獄事件について、その当事者の一人が書いた文章をもとに映画化したものである。当事者の証言に基いていることもあって、かなりな迫力を感じさせる。

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