映画を語る

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増村保造の1967年の映画「華岡青洲の妻」は、有吉佐和子の同名の小説を映画化した作品。この小説は大変な評判を呼んだので、出版の翌年に早くも映画化された。日本人おなじみの嫁・姑関係をウェットに描いていることが世間に受け、以後テレビや舞台に繰り返し取り上げられた。

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増村保造の1966年の映画「赤い天使」は、増村にはめずらしく戦争をテーマにした作品だ。だが単なる戦争映画ではない、主人公を若尾文子演じる看護婦に設定することで、女の視点から見た戦争を描くとともに、その女をめぐる男女の愛を絡ませることで、とかく不毛になりがちが戦争映画に、一定の色気を醸し出している。

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増村保造の1965年の映画「清作の妻」は、一人の不幸な女の激しい愛を描いた作品。その不幸な女を若尾文子が演じている。若尾文子が不幸な女の役にはまっていることは、前稿「妻は告白する」評でも延べたとおりだが、この映画の中ではさらに一皮むけて、鬼気迫る演技ぶりを見せている。こんなに不幸な雰囲気をストレートに表現できる女優は、そうざらにいるものではない。

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増村保造は若尾文子と相性がよかったとみえ、監督デビュー第二作目の「青空娘」(若尾24歳)で主役に起用してから、実に20作品も付き合っている。その中で1961年の「妻は告白する」は、増村にとっても若尾にとっても転機になった作品だ。若尾はこの同じ年に、川島雄三の「女は二度生まれる」にも出演しており、両作品あいまって本格女優の風格を身に着けるようになった。増村は増村で、単なる娯楽映画ではなく、技巧派の巧者という評判を享受するようになった。

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瀬々敬久の2021年公開の映画「護られなかった者たちへ」は、生活保護制度をめぐる人間の怨念をテーマにした社会派ドラマ。それに東日本大震災をからませてある。社会問題を背景にして人間相互の葛藤を描くのは、瀬々の基本的な傾向として指摘できるが、この映画はそうした瀬々らしさを最もストレートにあらわれた作品。

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瀬々敬久の2020年の映画「糸」は、中学生一年生のときの初恋の感情に生涯拘った男女の物語を描いた作品。究極の恋愛映画といってよい。瀬々はピンク映画から出発したとはいえ、社会派の巨匠としてのイメージが強いので、このような恋愛映画は場違いに見えなくもないが、これはこれで見る者を泣かせる迫力ある映画に仕上がっている。さすが映画作りの名人芸というべきであろう。

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瀬々敬久の2017年の映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」は、冒頭に「実話にもとづく」ということわり書きがあるように、実際にあったことを映画化したものである。その実話とは、結婚直前に脳の難病により意識不明に陥った恋人の回復を願い、寄り添い続けた若者の話である。若者の執念が実を結び、恋人は意識を取り戻したが、恋人との関係はなにも覚えていなかった。しかし、恋人の献身的な姿を見ているうちに、その姿に感動し、あらためて彼を好きになるというものである。意識を失ってから、二人が再び結ばれるまで、八年かかったというわけである。

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リンゼイ・アンダーソンの1987年の映画「八月の鯨(The Whales of August)」は、人間の老いをテーマにした作品。老いた姉妹の生き方を通じて、人間が老いることの意味を考えさせるように作られている。その姉妹を、リリアン・ギッシュとベティ・デヴィスが演じている。リリアン・ギッシュはサイレント映画の大女優であり、この時には93歳になっていた。またベティ・デヴィスは、トーキー映画初期の大女優であり、その風貌とか演技ぶりは、小生のようなものも魅了されたものだった。この映画の時点では79歳になっていた。

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1967年のアメリカ映画「招かれざる客(Guess Who's Coming to Dinner)」は、アメリカにおける白人と黒人との人種間結婚をテーマにした作品である。その頃のアメリカは、公民権運動の高まりの中にあったが、まだ白人と黒人との結婚など考えられなかった。なにしろ、ジャッキー・ロビンソンが大リーグでプレイするだけのことで国中が大騒ぎになったのは、わずか20年前の1947年のことだ。野球でさえそんな騒ぎになるのだから、黒人男が白人女性と結婚するなどありえないとされていた。つまりタブーだったわけだ。そのタブーをあざわらうかのように、この映画は黒人の男が白人女性との結婚に成功する姿を描いている。今日では、人種間結婚の問題を正面から取り上げた作品として高く評価されているが、当時の評価は賛否極端に分かれた。評価するものも、けなすものも、自身の人種的な偏見に無縁ではなかったのである。

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1953年のアメリカ映画「シェーン」は西部劇の名作である。日本でも大ヒットし、小生のような団塊の世代に属する人間は、見ていないものがいないほどである。この映画のどこがそこまで日本人の心を掴んだのか。西部劇に普通の日本人が期待したものは、チャンバラ映画とたいしてかわらぬ勧善懲悪劇だったと思うのだが、この映画にはそれがふんだんに盛り込まれているばかりでなく、それ以外にさまざまな工夫がみられる。その工夫がなかなか行き届いているので、当のアメリカ人はともかく、日本人までが魅了されたということだろう。

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2019年のフィンランド映画「世界で一番しあわせな食堂」(ミカ・カウリスマキ)は、フィンランド人と中国人の触れ合いを描いたものだ。いわば両国間の交流促進を目的としたような映画である。同じ北欧でも、ノルウェーは国家関係の悪化がもとで、両国民の相互感情はよくないが、フィンランドでは、国民の対中感情はよいらしい。そうでなければ、わざわざ中国との交流を強調するような映画が、フィンランドで作られるはずがない。

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2012年の映画「アイアン・スカイ」は、フィンランド、ドイツ、オーストリアの共同制作ということになっているが、監督のティモ・ヴォレンソラがフィンランド人なので、一応フィンランド映画として分類してよい。とはいえ、フィンランド人ではなく、アメリカ人が活躍し、映画を流れている言語は英語である。そんなわけで、無国籍映画といった観を呈している。

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アキ・カウリスマキの2017年の映画「希望のかなた」は、フィンランドにおける難民問題をテーマにした作品。それに一フィンランド人の生き方をからませている。その二つのテーマには、密接な関係はない。生き方を変えたフィンランド人がたまたま難民の男と出会い、その男との間に友情を築くということになっているが、なぜ、その二人が出会うことになったのか、そこにはたいした理由があるわけではない。

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2015年のデンマーク映画「ある戦争」は、デンマーク軍人の戦争犯罪をテーマにした作品。デンマークは、ブッシュの始めたアフガンの対タリバン戦争につきあって、多国籍軍に加わる形で参戦したのだが、そのデンマークの一軍人が、アフガンの民間人11人を殺害した容疑で起訴され、裁かれる。その裁判の結果、容疑者は無罪になるのであるが、自分が犯したことに対しては、割り切れない気持ちを抱えたままだ、というような内容である。

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「ファニーとアレクサンデル(Fanny och Alexander)」は、イングマール・ベルイマンの最後の作品である。その作品をベルイマンは、映画としては異例の五時間超の長大作に仕上げた。ふつう五時間を超える長さの映画は、一時の鑑賞に堪えるものではない。そこで、独立した五つの部分からなるというような構成をとったりして、長時間観客を引きとどめておくための工夫も見て取れる。しかし、作品自体に魅力がなければ、そんなに長い時間見続ける者はいないだろう。この映画には、人をかくも長時間くぎ付けにするだけの魅力があるのである。

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イングマール・ベルイマンの1978年の映画「秋のソナタ(Höstsonaten)」は、母娘間の葛藤をテーマにした作品である。ベルイマンはこの映画をノルウェイで作ったのだが、それは当時色々な事情でスウェーデンにいられなかったためで、映画自体はスウェーデン語で語られており、スウェーデン人の母娘関係がテーマということになっている。もっとも、画面の中にはフィョルドの風景なども出てきて、ノルウェイを感じさせる部分はある。

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イングマール・ベルイマンの1963年の映画「沈黙(Tystnaden)」は、「鏡の中にある如く」(1961)、「冬の光」(1962)とともに「神の沈黙」三部作といわれる。「冬の光」にはたしかに神の沈黙を思わせる表現ぶりを感じることができるが、この映画を見る限り、神がテーマになっているわけでもなく、また登場人物は決して寡黙ではない。かえって饒舌なくらいである。

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イングマール・ベルイマンの1958年の映画「魔術師(Ansiktet)」は、19世紀半ばのスウェーデンを舞台に、旅の魔術師一座の受難を描いた作品。19世紀もなかばともなれば、科学的な思考が普及して、伝統的な魔術はうさん臭い目で見られるようになっていた。そういう時代状況を背景にして、魔術師たちが迫害されるところを描いたわけである。21世紀の今日では、魔術は手品のようなものと思われて、娯楽として消費されるのであるが、19世紀の半ばのスウェーデンにおいては、魔術はまだ民衆の心をとらえるものをもっており、単なる娯楽とは思われていなかった。そんな魔術使いたちを、権力者たちが迷妄と決めつけ、迫害するのである。

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大林宜彦の2020年の映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は、大林にとって遺作となった作品。大林が最初の商業映画「HOUSEハウス」を作ったのは1977年のことだから、それから40年以上も経っているわけである。その間に作った長編映画の数は44作というから、実に多産な監督だったといえよう。

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濱口竜介の2018年の映画「寝ても覚めても」は、かれにとって出世作というべき作品だ。「ドライブ・マイ・カー」が面白かったので、ついでに見たのだったが、これもやはり面白く感じた。その面白さは、最近の若い日本人の、異性愛の変化を、この映画が敏感に反映しているからだろう。異性間の恋愛は、女性がリードするというのは、日本では昔から一定程度散見されることではあったが、近年の日本人は、男の引っ込み思案が高じて、異性間恋愛が始まるためには女がリードしなければならないし、その成功の度合いも女の努力にかかわる割合が大きくなってきている。この映画は、そうした近年の日本の異性愛の傾向を象徴的に示しているように思えるのである。

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