映画を語る

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1988年の日中合作映画「敦煌」は、井上靖の同名の小説を映画化した作品。小説の内容をかなり忠実に再現したということらしい。そこで原作がどのような意図で書かれたかが気になるところだ。これは一応歴史小説ということになっているが、登場人物の何人かが実在した人物だということ以外、歴史を思わせることろはない。ほとんどは井上の創作によるものらしい。井上ともあろうものが、なぜそんな中途半端な小説を書いたのか。ただのエンタメ小説なので、やかましいことはいわない、という手もあるが、井上は一応純文学の大家と言われているので、そういい加減なこともできないと思うのだが。

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伊藤俊也の1985年の映画「花いちもんめ」は、老人の認知症をテーマにした作品。この映画の中では、認知症は痴呆と呼ばれている。認知症という言葉には差別的な価値感覚はないと思うのだが、痴呆という言葉にはそういうトーンが明らかに認められる。じっさいこの映画の中の痴呆老人は、人間でなくなった動物のような存在として見られている。やはり時代の空気だろう。有吉佐和子が1972年に「恍惚の人」を発表したことで、認知症への社会の受け止め方には多少の変化はあったが、この映画が作られた頃には、まだまだ差別の対象であり、医療や介護をはじめ、社会全体で認知症患者やその家族を支えようとする雰囲気には程遠かった。そんななかで、認知症患者を抱えた家族の壮絶な毎日を、この映画は淡々と描きだしたわけで、そのことで多少は社会の認知症理解を広げたかもしれない。

化身:東陽一

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東陽一の1986年の映画「化身」は、渡辺淳一の同名の小説を映画化した作品。原作は、前年の1985年から同年にかけて日経新聞紙上に連載され、大いに評判になった。これは要するによく工夫されたポルノ小説なのだが、当時は男の間でポルノ小説が人気になっていて、そうした時代の風潮に日経が乗じたかたちだった。日経としては、企業戦士たちの味方として、日々奮闘しているかれらのための息抜きとでも思って、ポルノでは定評のあった渡辺に書かせたということだろう。渡辺はその期待によく応え、この作品はかれの代表作となった。

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東陽一の1980年の映画「四季・奈津子」は、前作「もう頬杖はつかない」に続き、若い女性のなんとなく流されながら生きていくさまを描く。青春映画といってよいが、底抜けの明るさはなく、かえって分別くささを感じさせる作品である。この映画で主人公役の奈津子を演じた烏丸節子は、その豊満な肉体が男たちの気持ちをそそった。決して美人ではないが、プリッとした尻の描く優美な線が独得のエロスを感じさせたものだ。
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原一男の1994年の映画「全身小説家」は、作家井上光晴の晩年に肉薄したドキュメンタリー作品である。原はこの作品の制作に5年間を費やしたというが、なぜ一映画人としてそこまでの執念を以て井上を追いかけ続けたのか。井上といえば、虚言癖や奇行で知られ、前代未聞のユニークな作家として変な名声があったので、それに惹かれたのかもしれない。たしかにこの映画は、井上のグロテスクな部分を包み隠さずさらけだしている。それを見て井上に敬意を感じることはむつかしいであろう。井上本人としても、自分の姿があからさまに暴かれることには抵抗があるのではないか。だがそう感じるのは、小生のようなお人よしくらいなもので、井上本人はかえってそれを楽しんでいる風情がある。とにかく不可思議な人物をとりあげた不思議な作品である。

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東陽一の1978年の映画「サード」は、かれにとっての出世作になった作品。翌79年の「もう頬杖はつかない」とともに、ユニークな青春映画作家としての名声を確立した。東の代表的な映画は、子どもや青年の感性のようなものをテーマにしているので、「サード」はそうした東の映画的な感性が前面に出た作品といえよう。

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今井正の1959年の映画「キクとイサム」は、混血児への差別をテーマにした作品である。社会派の巨匠と呼ばれた今井正の作品の中でも、もっとも鋭い社会意識を感じさせる作品で、しかも深いヒューマニズムに裏付けられており、今井の代表作たることを超えて、日本映画史に残る傑作といってよい。

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2017年のフランス映画「田園の守り人たち(Les gardiennes)」は、第一次世界大戦下のフランスを舞台に、男たちを戦争にとられて働き手を失った女たちが、けなげに銃後を守る様子を描いた作品。フランス映画としてはめずらしく社会的な視線を感じさせる。もっとも映画の舞台は、100年も前のことなので、大方のフランス人にその時代についての現実感覚があるかどうかは疑わしいが。

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オリヴィエ・アヤシュ・ヴィダルの2017年の映画「12か月の未来図(Les grands esprits)」は、フランスの教育格差をテーマにした作品。それにちょとした失恋を絡ませて、観客を不思議な気持ちに導いてくれる。味わい深い映画である。

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ステファヌ・プリゼの2016年の映画「女の一生(Une vie)」は、モーパンサンの有名な小説を映画化した作品。小生は学生時代に原作を読んだことがあるが、内容は大方忘れてしまった。ただ、プチブルの俗物根性を描くのが得意なモーパッサンが、フランスの貴族階級に属する人間たちをモチーフにとりあげたのが、以外に思われたことを覚えている。

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すりは、世界中どこでもいる。日本にも無論いる。日本のすりは、生活に迫られて余儀なくやるタイプと、ある種のゲーム感覚でやるタイプとに大別できるようだが、フランスのすりには、実存主義風の理屈をつけて自分の行為を正当化するのもいるらしい。ロベール・ブレッソンの1959年の映画「すり(Pickpocket)」は、そんなフランスならではのユニークなすりを描いている。

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ロベール・ブレッソンの1956年の映画「抵抗( Un condamné à mort s'est échappé )」は、ドイツ軍によって監獄に収容されたフランスの軍人が、脱獄を試みる様子を描いたもの。対独レジスタンスの一コマといってよい。原題に「死刑囚が逃げた」とあるように、主人公のフランス兵はナチスによって死刑を宣告され、絶望的な状況を生き残るために、脱獄を選ばざるを得なかたったのである。

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ロベール・ブレッソンは、戦後フランス映画界に独自の存在感を示した監督である。ルネ・クレマンやジョルジュ・クルーゾーのような派手さはないが、堅実な映像作りを通じて、独特の雰囲気をかもし出した。1951年の映画「田舎司祭の日記(Journal d'un curé de campagne)」は、ブレッソンの代表作である。

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ウニー・ルコントの2015年の映画「めぐりあう日(Je vous souhaite d'etre follement aimee)」は、実母を知らないまま養子として育てられた女性が、実母を求めて捜し歩くさまを描いた作品である。それに、フランスらしい人種差別問題とか、プライバシーの問題とかを絡めている。

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ジュリアン・デュヴィヴィエの1955年の映画「わが青春のマリアンヌ(Marianne de ma Jeunesse)」は、フランス人好みのおとぎ話をイメージ化した作品。日本でも大変な評判になった。小生も青年時代に見たが、結構興奮させられたことを覚えている。デュヴィヴィエはフランスよりも日本でのほうで高い人気を誇ったのであるが、この映画は中でもかれの代表作として迎えられた。

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ジュリアン・デュヴィヴィエの1932年の映画「にんじん(Poil de carotte」は、ジュール・ルナールの同名の小説を映画化したもの。原作は児童向けの、いわゆる児童文学ということになっているが、それにしてはテーマが深刻であり、児童を主人公にした大人のための文学といってよい。大人の心無い振る舞いがいかに子供を傷つけるかを描くことによって、世の大人たちに反省を迫るものといえよう。

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ルネ・クレールは1935年にフランスを離れイギリスに渡った。前年に作った「最後の億万長者」が興業的に失敗したことにショックを受けたためといわれる。その映画をクレールは、隣国ドイツで独裁者になりつつあるヒトラーを意識して作ったのだったが、フランスではヒトラーはまだ大して注目を集めておらず、したがってその映画も大きな話題になることはなかったのだろう。

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1927年のサイレント映画「イタリア麦の帽子(Un chapeau de paille d'Italie)」は、ルネ・クレールのサイレント映画の代表作たるのみならず、サイレント映画の傑作と言ってよい。モンタージュ手法をはじめ、映画の基礎的なテクニックをほぼ網羅しており、映画史上にも重要な位置を占める。

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1924年のフランス映画「眠るパリ(Paris qui dort)」は、巨匠ルネ・クレールの映画デビュー作である。フランスは映画先進国として世界の映画界をリードしてきたのであるが、ルネ・クレールはそんなフランス映画界の申し子よろしく、以後世界の映画に大きな影響を及ぼしていく。チャップリンの傑作「モダン・タイムズ」や「独裁者」が、クレールの「自由を我らに」や「最後の億万長者」から大きなインスピレーションを得たことはよく知られている。

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長谷川和彦の1976年の映画「青春の殺人者」は、中上健次の短編小説「蛇淫」を映画化したもの。原作は1974年に千葉県市原市で起きた親殺し事件を下敷きにしたものだが、そこには中上らしい事件の読み方が働いていたように思える。この事件は、裕福な家庭の息子が一時の激情に駆られて刹那的に両親を殺してしまったといわれるが、中上はそこに、激情の背景にあったものを見ているようなのだ。現実の犯人は、娼婦まがいの女との交際を両親に咎められてかっとなったと言われたが、この映画の中の息子はもっと鬱屈した感情をもっていたように描かれている。この映画の中の女は、母親の連れ合いの男からレープされたり、複雑な過去を背負っており、そんなこともあって、社会的に差別されているように描かれている。中上自身は、差別に対して非常に敏感なので、この小説の中の若い男女も、社会の差別意識の犠牲になったのではないかと思ったフシがある。

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