エリック・ロメールの1986年の映画「緑の光線(Le Rayon vert)」は、「喜劇と格言劇」シリーズ第5作。若い女性の悩みを描く。この女性デルフィーヌは、他者との間に良好なコミュニケーションがとれずに、孤立感を抱いている。夏休みを一緒に過ごす相手がいない。家族はアイルランドに行くというが、自分はその気になれない。比較的仲のよい女友達の誘いに応じて、シェルブールで一夏過ごすことにする。ところが、その女友達の仲間との共同生活になじめない。自分一人が仲間はずれにされているという疎外感に悩まされるのだ。
映画を語る
エリック・ロメールの1984年の映画「満月の夜(Les nuits de la pleine lune)」は、若いフランス女の奔放な生き方を描いた作品。性的にも道徳的にも、なにものにも束縛されず、自由気ままに生きる一人の若い女の生きざまを描いたものだ。フランス女の尻の軽さは昔から広く知られていたが、この映画の中のフランス女は、出会ったばかりの男ともあっさり寝るほど尻が軽い。寝るのは挨拶がわりと言わんばかりだ。村上春樹の小説の人物たちが挨拶代わりにセックスするのは架空の世界のことだが、この映画の中のフランス女は、どうやら実際に存在しているように見える。
エリック・ロメールの1983年の映画「海辺のポーリーヌ(Pauline a la plage)」は、「喜劇と格言劇」シリーズの第三作。十五歳の少女の一夏の体験を描く。その少女ポーリーヌは、年の離れた従姉と夏休みをノルマンディの別荘で過ごす。その従姉は結婚に失敗し、新しい愛を求めている。そんな彼女を見ながら、ポーリーヌも恋をしてみたいと思う。ふたりを巡っていろいろなことが起こる。その体験を通じてポーリーヌは大人になる準備をする、といった内容だ。だから、少女版教養映画といってよい。
エリック・ロメールの1982年の映画「美しき結婚(Le beau marriage)」は、「喜劇と箴言」シリーズ第二作。テーマは、若いフランス女性の結婚願望である。既婚の男とセックスを続けていた若い女が、突然正式の結婚を望む。できれば明日にでも結婚したいのだが、その相手がまだいない。そこで友人の援助を得ながら結婚相手探しをするものの、なかなかうまくはかどらない、といったような内容である。
エリック・ロメールはヌーヴェルヴァーグの最後の作家で、処女作「獅子座」を公開したのは1963年のことだ。ヌーヴェルヴァーグの運動は1960年代の半ばごろには終わり、その後はそれぞれ独自の映画作りをするようになった。エリック・ロメールは、作家としては遅咲きであり、彼の名声が高まるのは1980年代以降である。
2002年の香港映画「インタナルアフェア(無間道)」は、香港マフィアと警察の攻防をテーマにした作品。互いに相手を出し抜こうとしてスパイを送り込む。優秀なスパイを持った方が相手を出し抜く。警察側ではそうしたスパイを潜入捜査員と呼んでいる。若手の優秀な警察官を、マフィアのメンバーにさせ、マフィアの動向を報告させて、その動きを封じるのだ。マフィアのほうでも同じようなことをする。それらのスパイの活躍の度合いが、組織の命運を決めるのだ。
2018年の韓国映画「工作黒金星と呼ばれた男(ユン・ジョンビン監督)」は、北朝鮮に潜入した韓国のスパイの活躍ぶりを描いた作品。そのスパイは韓国軍の将校なのだが、国家安全企画部によってスパイに仕立てられる。コードネームは黒金星(ブラック・ヴィーナス)である。使命は、北朝鮮の核開発の動向をさぐること。北朝鮮が核武装能力を持つことは、南にとっては死活的に重要な関心事だ。戦後深い分断に陥った南北は、互いに相手を不倶戴天の敵とみなし、その動向を探り合っている。この映画が描いたスパイの世界は、実在のスパイをモデルにしたそうである。
キム・ギドク(金基徳)の2016年の映画「The NET 網に囚われた男」は、朝鮮半島の南北分断に翻弄される漁師を描いた作品。船のモーターが網に絡んで故障し、海上を南に漂流して韓国の岸辺に乗り上げた北朝鮮の漁師が、韓国の治安当局からスパイ容疑で尋問される。尋問は厳しいもので、拷問もこうむる。でも漁師はめげない。自分はスパイなどではないし、正しく生きたいだけだ。韓国側から転向という名の脱北を迫られても、北にいる妻子を思ってなびかない。結局漁師は嫌疑不十分で北に送還される。ところが北でも、スパイ容疑で尋問される、といった内容である。
イングマール・ベルイマンの1953年の映画「道化師の夜(Gycklarnas afton)」は、サーカス団員の人生模様をテーマにした作品。座長アルベルト(オーケ・グレンベルイ)の生き方を中心に展開していく。そのアルベルトは、妻子の住んでいる町に立ち寄り、一緒に人生のやり直しをしないかと申し入れるが拒絶される。かれには愛人がいるのだが、その愛人が激しい嫉妬心を抱き、腹いせに他の男と寝る。それを知ったアルベルトは、相手の男に戦いを挑むが、返り討ちにあってのされてしまう。逆上したアルベルトは、一時は自殺しようともするが、思い直して、うっぷんばらしをクマを殺すことでやる、といった内容だ。
イングマール・ベルイマンの1950年の映画「歓喜に向かって(Till Gladje)」は、スウェーデン人の男女関係のあり方を感じさせる作品。スウェーデン人は、女性の自立性への希求が強く、男女は平等だという意識が強い。それに比べて男性のほうは、まだ男尊女卑的な気持ちを捨てられないでいる。そのギャップが男女関係を不安定にし、夫婦の関係に波乱をもちこむ、といったことを考えさせるようにできている。世界の映画史上、ベルイマンはもっとも早くフェミニズムの傾向を表現した作家といえるが、この映画はそんなベルイマンのフェニミズムが盛り込まれた作品である。
イングマール・ベルイマンの1949年の映画「渇望(Torst)」は、スウェーデン人女性の生き方を描いた作品。その女性は二人の男と関係をもつのだが、どちらもうまくいかない。最初の男は妻子持ちで、自分を妾のように扱っている。男が妾をもつのは当然のことだという意識の持ち主だ。当時(1940年代)のスウェーデンでは、そのような価値観がまだ生きていたのであろう。ともあれ、その男には捨てられ、その男との間にできた子どもは流産してしまう。その挙句子どもができない体質になる。
イングマール・ベルイマンの1948年の映画「愛欲の港(Hamnstad)」は、港湾労働者と不幸な工女の愛を描いた作品。1946年の「危機」で監督デビューしたベルイマンにとって五作目の作品で、いわゆるベルイマンらしさが確立される前の実験的な雰囲気を感じさせる。男女の愛に、当時のスウェーデンの社会的な問題を絡ませており、単なる恋愛映画ではない。
2002年のアメリカ映画「フリーダ(Frida)」は、メキシコ人の画家フリーダ・カーロの半生を描いた作品。メキシコ人であるサルマ・ハエックが制作し、自身フリーダを演じている。顔つきがそっくりなので、フリーダ本人が出てくるドキュメンタリー映画かと思えるほどだ。じっさい、フリーダ自身の写真らしいものも出てくるようなので、どれが本人でどれが役者なのか区別がつかないくらいである。
2020年の日本映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶のレビュー (太田隆文監督)」は、文字通り太平洋戦争末期の沖縄戦をテーマにしたドキュメンタリー映画。沖縄戦では、日米あわせて20万人が死に、そのうち日本人死者は軍民あわせて18万以上、民間人の死者は9万人を超えた。その壮絶な戦争を生き延びた人々へ取材したのが、この映画である。
綿井健陽の2005年の映画「Little Birds イラク戦火の家族たち」は、アメリカのイラク侵略をテーマにしたドキュメンタリー映画。アメリカとイギリスの軍隊がイラクへの侵略を開始するのは2003年3月20日、その12日前の3月8日のイラク市民の様子を写すところから始めているのは、ブッシュ倅の予告を受けて、あらかじめ現場にスタンバイしたからだろう。侵略が始まると、イラク市民は激しい空爆にさらされ、多くの市民が殺された。このドキュメンタリー映画は、殺される側のイラク人の立場から、米英の侵略を批判的な視点で記録している。なにしろ何の関係もない子供たちが、米英の無法な暴力によって殺されたり、不具にされたりする。家族を失ったイラク人の悲しみは深い。
2011年のオーストリア映画「ドロホーブィチの最後のユダヤ人(Der letzte Jude von Drohobytsch ポール・ロズディ監督」は、タイトルから連想されるようにホロコーストを生き残ったユダヤ人に密着したドキュメンタリー映画。ホロコーストをテーマにした映画はおびただしい数に上るが、サバイバーに密着したドキュメンタリー映画はそう多くはないのではないか。この映画に出てくるユダヤ人アルフレッド・シュライヤーは、ウクライナのドロホーブィチでホロコーストの嵐を迎え、強制収容所をたら回しされたあと、ドイツ国内の強制収容所で終戦を迎えた。そのかれを、ドロホーブチの町を歩かせながら、そのホロコースト体験を語らせるという構成である。
1993年のドイツ映画「レニ(Die Macht der Bilder: Leni Riefenstahl レイ・ミュラー監督)」は、ドイツ人の女性映画監督レニ・リーフェンシュタールの晩年に取材しながら、彼女のナチスとのかかわりや映画技術の発展に果たした業績を紹介するドキュメンタリー映画である。これは彼女が90歳のときに制作されたものであるが、それは彼女自身の意思によって実現したということだ。彼女は自伝の執筆と合わせ、自分の伝記映画の制作にも意欲的だった。年をとったまま世間に忘れられるのが無念だったのだろう。
ニコラ・フィリベールの2007年の映画「かつて、ノルメンディで(Retour en Normandie)」は、ノルマンディの農村地帯に暮らす人々をドキュメンテリータッチで描いた作品。その人々は、ルネ・アリオが1976年に制作した映画「私ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した」に素人俳優として出演していた。フィリベール自身は助監督としてその映画製作にかかわったのだったが、それから30年を経て、かつて映画に出演した人々を訪ね、映画の思い出とか、現在の暮らしぶりなどを、インタビューという形で話してもらうというような内容である。その合間に、当該映画の断片が紹介される。
ニコラ・フィリベールの1996年の映画「すべての些細な事柄(La Moindre Des Choses)」は、或る精神科診療所の日常を追ったドキュメンタリー作品。その診療所はラ・ボルドといって、精神分析家のフェリックス・ガタリと精神科医のジャン・ウーリーが1953年に立ち上げたものである。独自の方針で患者に接するという。ガタリは日頃、「気違いは病気ではない」と言っていたが、その言葉通り、この映画の中の患者は、ちょっと変わった生き方をしているが、それは生き方の違いであり、決して病気ではないというスタンスが伝わってくる。
ニコラ・フィリベールはフランスのドキュメンタリー映画作家。1990年以降ドキュメンタリーの話題作を次々と発表した。作風は、一定の対象に密着して、その日常を淡々と描くというものだ。代表作は「僕の好きな先生」(2002)や「かつてノルマンディで」(2007)などがある。
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