映画を語る

出来ごころ:小津安二郎

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「出来ごころ」はいやみのない人情コメディだ。小津と言えば、中流市民の悲哀を描いた戦後の一連の作品が有名だが、戦前には下層の庶民社会を舞台にした心温まる人情コメディを多く手がけた。「出来ごころ」は、そんな傾向の映画の中で出来のよい作品だと思う。

非常線の女:小津安二郎

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小津の映画「非常線の女」は、1933年のサイレント映画で、小津にはめずらしくギャング(映画では「与太者」となっている)をテーマにしたものだ。小津がどんなつもりでこんな映画を作ったのか、よくはわからない。興業を当て込んだ映画会社の意向なのか、小津自身のアイデアなのか。内容は当時流行のアメリカのギャング映画を焼きなおしたようなもので、それに日本的な情緒をアレンジしてある。映画の出来栄えがよくないのは、小津がこの手合いの世界とあまり縁がないからだろう。

東京の女:小津安二郎

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小津の1933年のサイレント映画「東京の女」は、わずか50分足らずの小品である。こんなに短いのにはわけがある。映画会社のローテーションの都合で、やっつけ仕事をしたためだ。小津は脚本もろくに用意しないで、たったの九日間でこの映画を仕上げたという。それでこんなに短くなった。映画としての体裁が整えばよかろう、という配慮だけで成立した作品なのだ。小津は同時期に「非常線の女」を平行して製作していた。映画監督としての精力は、もっぱらそちらのほうに注いでいたらしいのである。

東京の合唱:小津安二郎

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小津安二郎は、1920年代の末から30年代にかけて多くの作品を作り、すでに大家のイメージを確立していた。欧米では30年代に入るとすぐにトーキーが主流となるが、日本ではやや遅れ、小津の場合には1934年の「母を恋はずや」までサイレント映画を作っている。小津の映画の特徴は小市民の生活をコメディタッチで描くことにあったので、サイレントに適していた。そんなこともあって小津のサイレント映画は、いまでも十分鑑賞に耐えるものが多く、しかも溝口と違って多くの作品のフィルムが現存している。

帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da)

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先日ドイツのある街角でヒトラーそっくりに扮装した男が逮捕されるという事件があった。こういうことを聞くと、ドイツではいまだにヒトラーがタブーなのだと感じさせられるが、この映画「帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da)」は、そんなタブーをあざ笑うようなものといえる。なにしろあのヒトラーが現代のドイツに生き返り、さんざんやりたいことをやりながら、人々の喝采を浴びるというのであるから、見ようによってはヒトラー礼賛映画だといってよい。そんな映画が許されて、ヒトラーの扮装をしただけの男が逮捕される、というのはある種カフカ的世界と言えまいか。

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「顔のないヒトラーたち(Im Labyrinth des Schweigens)」は、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判をテーマにしたものだ。この裁判は、ナチスのホロコースト犯罪をドイツ人自身の手で裁いたもので、アウシュヴィッツの所長などが訴追され、20ヶ月の審理を経て、1963年に結審、17名が有罪になった。映画は、検事による犯人の追跡の過程を、フィクションをまじえながら描く。この映画が公開されたのは2014年のことだが、それがきっかけになって、ナチスの犯罪をテーマにした作品が、多く作られるようになったようだ。

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ドイツ映画にとって、ヒトラーはある種のタブーになっていて、その人間性がリアルに描かれることはほとんどなかった。描かれるときには、「悪の化身」といったステロタイプに陥りがちだった。2004年のドイツ映画「ヒトラー最期の12日間(Der Untergang)」は、そんなヒトラーを正面から取り上げて、その人間性の一面を描こうとしたものである。近年のドイツ映画では、ヒトラーを多面的に描こうとする動きが強まっているようだが、この映画はその先鞭をつけたということらしい。

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パゾリーニの映画「王女メディア(Medea)」は、エウリピデスのギリシャ悲劇を下敷きにしている。エウリピデスの原作は、夫に裏切られたメデアが、夫に復讐する話である。その復讐というのも、夫が心を奪われた若い女を呪い殺すばかりか、夫との間に生まれた二人の子まで殺すという陰惨な行為だった。そこにエウリピデスは、人間の運命の過酷さを読み込んだわけだが、パゾリーニはそれに加えて、メデアの夫たるイアソンの前史のようなものを組み合わせて、壮大な物語に仕上げた。

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「汚れた顔の天使(Angels with dirty faces)」は、ギャング映画のスター、ジェームズ・キャグニーをフィーチャーした作品だ。「民衆の敵」と並んで、キャグニーの代表作とされる。キャグニーといえば、ハード・ボイルド・タッチのアクションが売り物だが、この映画の中のキャグニーは、人情を重んじるヒューマンなギャングとして描かれている。ヒューマンなギャングとは形容矛盾に聞こえるが、それを矛盾と感じさせないのが、キャグニーの持ち味だ。

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1932年公開の映画「暗黒街の顔役(Scarface)」は、前年公開の「犯罪王リコ」、「民衆の敵」と並んで1930年代アメリカギャング映画の傑作である。ギャング同士の抗争が、前二作以上になまなましく迫力を以て描かれており、その後のギャング映画に大きな影響を与えた。その影響は1970年代に大ヒットした「ゴッドファーザー」や日本のやくざ映画「仁義なき戦い」シリーズにまで及んでいる。ギャング映画はそれ自体がハードボイルド・タッチだが、これは究極のハードボイルド・ヴァイオレンス映画である。

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ジェームズ・キャグニーは、エドワード・G・ロビンソンと並んで、1930年代アメリカギャング映画を代表する俳優である。二人とも、小柄ながら不敵な面構えで、いかにもたたき上げのギャングといった風格を感じさせる一方、人間的な弱さも感じさせて、複雑な陰影を漂わせた。そこがアメリカギャングの心意気を感じさせたのだろう。ギャングスターといえばこの二人が自然と浮かび上がるほど、人々に受け入れられた。そんなキャグニーにとって、「民衆の敵(The Public Enemy 1931年)は、彼を一躍スターダムにのし上げた作品である。

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1930年代のアメリカでギャング映画が多数作られたのには、それなりの背景がある。1920年に禁酒法が施行されると、全米で密造酒の売買が横行し、その利権にギャングたちが群がって、この連中の無法行為が市民の目にあまるようになった。アル・カポネといった伝説的なギャングが大活躍したのは、この禁酒法の時代だ。ギャングたちは互いに反目しあって派手な抗争を繰り返したが、それが映画にとってはスリルに富んだ材料を提供することとなった。1930年代のギャング映画は、そうしたギャングたちの生態に焦点を当てたものが多い。

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1916年のアメリカ映画「イントレランス(Intolerance)」は、「国民の創生」と並ぶグリフィスの代表作で、映画技術の発展の上で大きな意義を持つとされる作品だ。そうした意義を別にすれば、この映画はつかみどころのない作品である。題名にあるとおり「不寛容」をテーマにしたものだが、何故グリフィスが「不寛容」をテーマにした映画を1916年に作ったか。その意図がいまひとつ明らかでない。1916年といえば第一次世界大戦の最中で、人類の歴史の上でももっとも激しい不寛容が支配した時代だった。ところがこの映画は、そうした同時代への視線が全く感じられない。この映画は、不寛容を人間の悪徳の一つとして、それを百科事典的な関心から説明しているようなところがある。

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D・W・グリフィスが1915年に作った「国民の創生(The birth of a nation)」は、世界の映画史上特筆されるものだ。それは主に映画編集の技術上の進歩に貢献したという理由からである。グリフィスはこの映画の中で、クロスカッティング、クローズアップ、カットバックといた多彩な技術を駆使することで、従来の映画には見られなかったダイナミックな映画作りに多大な影響を及ぼした。そのためにグリフィスはアメリカ映画の父と呼ばれる光栄に浴している。

赤い橋の下のぬるい水:今村昌平

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「赤い橋の下のぬるい水」は、潮吹きと呼ばれる異常体質の女とリストラで首を切られた冴えない男との切ない恋を描いた映画だ。潮吹きというのは、筆者は出会ったことがないので実感がわかないのだが、女が性交時に出す愛液の量が異状に多いために、あたかも潮が吹いているように見えることだという。この映画の中の潮吹き現象は、生半可なものではなく、抱き合っている男女の周辺が水浸しになるほどなのだ。これは、正常と異状との境界を踏み越えて、明らかに異状の領域に大きく傾いているので、それを見ているものは、そこにシュールなものを感じる。そのシュールさが男にも気持ちがよいらしく、この男女は潮吹きの水を通じて深く結ばれるのだ。

うなぎ:今村昌平

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今村昌平の映画「うなぎ」は、「楢山節考」につづいて今村にとっては二度目のカンヌ映画祭グランプリを取った。それには相応の理由があったと筆者は思っている。この映画は、いわゆる寝とられ亭主の悲哀を描いた作品なのだが、この寝取られ亭主というのは、フランスの文化的伝統のようなもので、従ってフランス人の関心にも高度なものがある。この作品はその高度な関心を見事に満足させたことで、フランス人から「パルム・ドール」に相応しいと判断されたのだと思う。「楢山節考」が、親捨てという日本独自の文化を通じてフランス人に訴えたとすれば、この映画は寝取られ亭主という日仏に共通するテーマを通じてフランス人の心を捉えたのであろう。

黒い雨:今村昌平

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井伏鱒二の小説「黒い雨」といえば、原爆の悲惨と被爆者の苦悩を描いた文学の代表的なものと言える。筆者も昔読んだときには、しばらくの間沈うつな気分から脱せられなかった。それほどシリアスな雰囲気の作品である。ところがそのシリアスな作品を、笑いの精神を常に忘れたことのない今村昌平が映画化するというのはミスマッチな感じがしないでもない。およそ笑いとは縁のない世界を、世の中を笑い飛ばしてきた今村が、どのように表現するか。

神々の深き欲望:今村昌平

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今村昌平の全盛期には、日本の歴史に題材をとり、日本人の古層を探ろうとするような一連の作品があるが、「神々の深き欲望」はその嚆矢となるものである。この作品は現代日本の一隅を舞台にしている点で、純粋な歴史物ではないのだが、その舞台というのが現代とはいっても、古代がそのままに息づいているような空間なので、我々は現代の日本を見ながら、そこに古代が再帰しているような感覚に陥る。

エロ事師たちより人類学入門:今村昌平

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小沢昭一は日本映画史上に独特の存在感を残した個性的な俳優だったが、その彼の始めての主演映画で、圧倒的な小沢的世界を見せてくれたのが1966年の映画「エロ事師たちより人類学入門」だ。小沢は川島雄三に見込まれ、端役ながら川島の映画に数多く出ていたが、川島の助監督を長く続け、川島を師匠と仰ぐ今村のこの作品で主役に抜擢された。

武士道残酷物語:今井正

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今井正の1963年の映画「武士道残酷物語」は、ベルリン映画祭でグランプリを受賞した。この映画に描かれた人間が、日本人の本質を表現していると評価されたからだと思う。日本人というのはヨーロッパ人にとっては、なかなか理解しにくい人間たちだった。なにしろお国のためなら何の疑問もなしに死んでゆくわけだし、自己を殺して集団に同調する特異な生き物と見られていた。そんな日本人の特異性の秘密が、この映画によって多少解明された、そう多くのヨーロッパ人は感じて、この映画を高く評価したのではないか。

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