映画を語る

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2018年のノルウェー映画「キング・オブ・トロール勇者と山の巨神」は、ノルウェーの伝説に題材をとった作品。トロールというのは山の精霊のような動物で、北欧諸国の伝説に出てくるのだそうだ。ハイネの長編詩に「アッタ・トロル」というのがあるが、それもトロールのことだと思う。アッタ・トロルは熊の姿をしている。この映画の中のトロールも熊の怪物としてイメージされている。

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松岡錠司の2007年の映画「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン」は、リリー・フランキーの自叙伝を映画化した作品。リリー・フランキーは、「そして父になる」や「万引き家族」など、是枝正和映画の常連として知られているが、エッセーやイラスト、ラヂオ放送などをこなすマルチ・タレントだそうだ。その彼が、若くして書いた半生の自叙伝が大変話題となり、テレビドラマになったり映画化されたというわけだ。

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奥田瑛二の2006年の映画「長い散歩」は、家族崩壊で孤独になった老人と、母親から虐待されている少女の心の触れ合いを描いた作品。この二人は、現実の過酷さを逃れて旅をすることになるので、日本人には人気のあるロード・ムーヴィーとしてもよくできている。旅の先にはむろん理想郷は待っていない。老人は児童誘拐で監獄に入れられる。だがそのことを悔いはしない。かといって、自分の行為に満足はしていないようだ。答えなどありようはずがない中で、老人はまたあてもない旅に出るようである。

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深作欣二の2000年の映画「バトルロワイアル」は、ある種のサバイバルゲームを描いた作品。ある種のというのは、文字通り命を懸けたゲームで、数十人の中から生き残れるのはたった一人だけというものだ。そのゲームを、どうも日本国家が率先して実施している。健全な青少年を育成するには、腐敗分子を間引く必要があるという思想が、そこには感じられるのである。したがってこれは、明らかに優勢主義思想の落とし子である。この映画は、日本でより欧米で評判になったそうだが、欧米ではこんなにあからさまな優生主義思想は受け入れられる余地がなく、したがってこんな映画は作られないからであろう。

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2006年のイギリス映画「アメイジング・グレイス(Amazing Grace マイケル・アプテッド監督)」は、イギリスの奴隷貿易廃止に取り組んだ政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの奮闘ぶりを描いた作品。それに、讃美歌「アメイジング・グレイス」を絡ませている。この讃美歌は、ロンドンの教会の牧師ジョン・ニュートンが作詞したものと言われるが、歌詞の内容は神をたたえるものであり、奴隷解放とは関係はない。映画はそのニュートンを登場させて、あたかもこの曲が奴隷解放を呼びかけたもののように描いている。

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1998年のイギリス映画「アナザーワールド鏡の国のアリス(Alice through the Looking Glass)」は、ルイス・キャロルのファンタジー小説「鏡の国のアリス」を映画化したもの。テレビ放送のために制作されたが、のちに劇場でも上映された。キャロルの作品のうち、「不思議の国のアリス」は多くの国で映画化されたが、「鏡の国のアリス」そのものを映画化した例は他にはないのではないか。その点、この映画は貴重なものであると言えよう。

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2010年のイギリス映画「わたしを離さないで(Never Let Me Go マーク・ロマネク監督」は、日系のイギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説を映画化した作品。テーマは臓器提供型アンドロイドである。この映画のなかのアンドロイドは、人間の遺伝子をコピーした人造人間だが、身体も心も人間と全く異なるところはない。だが、生きたまま人間に臓器を提供するように仕組まれており、生後ある一定の年齢になれば、自分の臓器を摘出される。最初の手術で死ぬものもいるが、だいたいは三回の手術を受けて終了を迎える。終了とは死ぬことである。

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1993年のイギリス映画「日の名残り(The Remains of the Day ジェイムズ・アイヴォリー監督)」は、日系のイギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説を映画化した作品。小生は、原作を未読なので、それと比較することははばかられるが、歴史家の近藤和彦によれば(「イギリス史10講」)、原作の雰囲気は映画にもよく反映されているようである。

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2021年のアイルランド・イギリスの合作映画「ベルファスト(Belfast ケネス・プラナー監督)」は、北アイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの宗教対立を描いた作品。この対立は、1969年にカトリック側がIRA(アイルランド共和国軍)」を結成してイギリスからの独立とアイルランドとの統一を求めて戦いに踏み切ったことから始まり、1970年代から80年代にかけて大規模な軍事紛争に発展した。この映画は、その対立の初期の局面を描く。カトリックに反発したベルファストのプロテスタントが、自衛段を結成してカトリックへの攻撃をするところを描くのである。

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2017年のアイルランド映画「メアリーの総て(Mary Shelley)」は、イギリスの最も偉大な詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの妻であり、怪奇小説「フランケンシュタイン」の作者としても知られるメアリー・シェリーの青春時代を描いたものである。本屋の娘として生まれたメアリーが、家族関係のいざこざからスコットランドに送られ、そこでシェリーと出会い、以後シェリーとの複雑な関係を続けるさまが描かれる。映画は、メアリーが「フランケンシュタイン」の出版にこじつけるところまで描き、その後のことは省いてある。したがって、ホッグやバイロンは出てくるが、キーツは出てこない。

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2023年の日本映画「ロスト・ケア(前田哲監督)」は、介護従事者による患者殺人を描いた作品。その殺人を、犯人は人を殺したのではなく、救ったのだという。その男は、数年の間に41人もの患者を殺していたのだ。そのことについて、担当の検事が追及すると、自分は患者とその家族を楽にしてやるために、死なせてやったのであり、なんらやましいとは思っていないという。そんな犯人を検事は法の裁きに服させるが、実は心のどこかで犯人の主張に共鳴する、というような内容である。

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荒井晴彦の2019年の映画「火口のふたり」は、従兄妹同士の性愛をテーマにした作品。日本では、血のつながりが近い従兄妹の間の性愛は、強いタブーとはいえないまでも、忌避される傾向が強い。だから、愛し合ってしまった従兄妹のカップルは、それに悩んだ挙句、あきらめることが多い。この映画は、そんな、一度は愛し合った従兄妹同士のカップルが、焼棒杭に火がついたように激しく愛しあうところを描く。

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2019年の日本映画「宮本君から君へ(真利子哲也監督)」は、恋人を強姦された男が、強姦した相手に復讐するさまを描いた作品。凄惨な暴力シーンが話題になったが、それ以上に世間を騒がせたのは、日本芸術文化振興会がこの映画への補助金の交付を取り消し、それに対して制作者側が訴訟を起こして、最高裁で原告が勝ったということである。振興会が助成金取り消しの理由にあげたのは、出演者の一人ピエール滝が薬物使用で逮捕されたことだ。一審では原告勝利、二審では原告敗訴、最高裁で逆転判決という劇的な経緯をたどった。

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福澤克雄の2018年の映画「祈りの幕が下りる時」は、殺人事件の解明をめぐる推理ドラマである。非常に手の込んだ筋書きで、最後まで事件の真相がわからない。担当の刑事まで迷宮入りを予想するくらいなのだが、一刑事の執念が事態を明らかにする。その刑事(阿部寛)は、事件に密接なかかわりを持った女性の息子だった。それがかれに事件を解明させた、というような内容の作品である。原作は、人気作家東野圭吾である。

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2010年の映画「告白」は、幼い娘を殺された母親の復讐劇である。その復讐というのが、実に陰湿なものであり、見ていて胸糞が悪くなるテイのものである。だから、大方の観客はマイナスのイメージをもったと思うのだが、なかにはプラスのイメージをもったものも多くいた。そういう連中が何を感じてこの映画を面白いと思ったのか、小生には想像がつかないが、そういう人間が多くいるということは、社会がかなり病んでいることの現れだろうと思ったりする。

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2005年の映画「ガーダ パレスチナの詩」は、日本人の古居みずえが、ガザのパレスチナ人女性を取材したドキュメンタリー映画である。1993年から2000年の第二次インティファーダまでを追っている、1993年はいわゆるオスロ合意がなされた年であり、パレスチナ人に国家再興の希望が生まれかけていた。しかしその希望は、イスラエル側の植民地政策によって踏みにじられ、パレスチナ人はあいかわらずイスラエルによる抑圧に苦しみ続けていた。その挙句に第二次インティファーダが起きたわけである。

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2014年のトルコ映画「雪の轍(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)」は、トルコ人の家族関係とか人間同士の付き合いを描いた作品。チェーホフの短編小説「妻」にヒントを得たというが、チェーホフの原作はロシア人の夫婦関係を描いており、したがってロシア的な家族関係を踏まえているが、この映画はくまでも、トルコ人のトルコらしい社会関係を踏まえているとみてよいのだろう。単純には言えないが、家族関係においては家父長の権威が強く、社会関係については打算的で金にうるさい社会だという印象が伝わってくる。

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2011年のトルコ映画「昔々、アナトリアで(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)」は、犯罪捜査をテーマとしながら、トルコ人の生き方とか考え方を表現した作品。この映画を見ると、トルコ人の生き方のユニークさが伝わってくる。

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2008年のトルコ映画「スリー・モンキーズ(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)」は、トルコ人の人間関係をテーマにした作品。他人が犯したひき逃げ事件について、身代わりになって刑務所に入る男とその家族を描いている。男は他人の罪をかぶって刑務所に九か月入れられたばかりか、ひき逃げした男に妻を寝取られる。いわば踏んだり蹴ったりの扱いをされる。そうした境遇の彼らを、タイトルが表現しているとしたら、彼ら三人の家族はサルにたとえられているわけだ。

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2008年のトルコ映画「ミルク(セミフ・カプランオール監督」は、同監督の作品「卵」の続編と言われている。ユスフという人物の生涯の断片をそれぞれ描いたというのだ。これに後の「蜂蜜」を加えてユスフ三部作などと言われるが、内容上のつながりがあるわけではなく、批評家によるこじつけのように思える。全く別の作品として受け取ってよいものだ。
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