映画を語る

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2009年のイラン映画「彼女が消えた浜辺」は、アスガル・ファルハディの出世作となったもので、イラン人の生き方とか考え方を、広く世界に認識させる効果があったといわれる。その効果とは、イラン人は一般に想像されているような宗教的で敬虔な人々であって、またその分因習にとらわれているといったそれまでの見方が訂正されて、かなり世俗的であり、かつ自分本位でドライな人間関係を取り結んでいるという発見だったように思える。実際この映画の中に出て来る人々は、前作の「別離」に出て来る夫婦に負けず利己的で、また宗教意識をほとんど感じさせないのだ。「別離」でもそうだったが、この映画の中の女性たちは、スカーフこそ被ってはいるが、顔や肌を見せることを躊躇しないし、また男同様ドライブを楽しんでいる。そういう光景を見ると、今でも女性のドライブが制約されているサウディ・アラビアなどとは、かなり違うという印象を受ける。

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アスガル・ファルハーディーによる2011年のイラン映画「別離」は、イラン人の日常を信仰にからめながら描いたものだ。信仰とはほとんど無縁な小生のような日本人にとって、実にショッキングな内容のものであった。この映画を見ると、イラン人というのは、生活のあらゆる部面で信仰に向き合っており、その信仰は貧しい庶民の間でより強固であって、それが故に、金や知識のある連中よりも不利な境遇に置かれていると伝わって来る。不利どころか、場合によっては、徹底的なダメージを蒙るのであるが、そのダメージをイランの貧しい人びとは、神の試練として受け止めて、なんら悔いることがないようなのである。

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モフセン・マフバルバフの2014年の映画「独裁者とその孫」は、ある独裁者の没落をテーマにしたものだ。この映画の中の独裁者が、具体的に誰かモデルがいるのか、それとも架空のモデルなのか、気になるところだ。というのも、イランの歴史には独裁者が君臨したことがあるからだが、この映画の中の独裁者は、イランの歴史上の独裁者とストレートには結びつかない。映画自体も、これは知られざる国での出来事だと断っている。

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モフセン・マフバルバフは、アッバス・キアロスタミと並んで、イラン映画を代表する監督である。キアロスタミは、イラン革命以前から活動していた巨匠だが、マフバルバフは、革命後に登場し、現代イラン映画をけん引する存在となっている。キアロスタミが、ゆったりとして拡散的な傾向が強いのに対して、マフバルバフは、畳みかけるような躍動感ある映画作りが特徴である。

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テオ・アンゲロプロスの1991年の映画「こうのとり、たちずさんで」は、国境がテーマである。国境というものを、日本人はあまり自覚することがないが、陸地で接しあっているヨーロッパの国々では、日常的に意識される。とりわけ、なにかのことで戦争とか動乱が起ると、難民が発生したりして、国境管理の問題が表面化し、一気に人々の意識に上る。この映画はそうした国境にかんする意識をテーマにしたものだ。時あたかもユーゴズラビアが解体し、民族紛争が激化するきざしを見せていた頃だ。ギリシャにもそうした動きが波及して、難民問題などを通じて、国境の問題がクローズアップされたということだろう。

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大島渚の1999年の映画「御法度」は、大島にとっての最後の作品だが、この中で大島は、新選組における男色を描いた。大島には男色趣味はなかったと思うが、その大島がなぜ男色をテーマに選んだのか、よくわからないところがある。根っからの男色者でない大島が男色を描くと、たとえばデレク・ジャーマンのような男色者の男色表現とはかなり違って、いささか差別的に見える。この映画の中で、男色行為はいかがわしい行為だという偏見に彩られているし、したがって男色者も変態者と見られている。じっさい、この映画のなかの男色者たちは、風紀を乱す不心得者として、粛清されてしまうのである。

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小津安二郎の1957年の映画「東京暮色」は、前年の「早春」と翌年の「彼岸花」に挟まれたかたちの作品で、小津としては「東京物語」を頂点とする一連の家族ものの後に位置するものだ。小津の家族ものには、伝統的な家族が崩れゆくことへの哀愁のようなものを感じさせるところがあり、その点ではもともと暗い要素を含んでいたのだが、「東京暮色」ではその暗い部分が、極端に前景化して、見ていていささか憂鬱になるくらいだ。

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高嶺剛は沖縄の石垣島出身ということもあって、沖縄に拘った映画を作り続けた。その映画のスタイルは、沖縄の民話を意識しながら、沖縄の人々の暮らしぶりを幻想的に描くというものだった。1989年の作品「ウンタマギルー」は、そうした高嶺の代表作である。この映画は、本土復帰直前における沖縄の人々の暮らしぶりを、沖縄県西原町に伝わる民話「運玉義留」を織り交ぜながら、幻想的な雰囲気の映像に仕上げたものである。

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中国は長らく外国映画の上映を禁止していたのであったが、改革開放政策が始まった1979年にその禁止を解いた。その時に最初に上映されたのが、高倉健主演の「君よ憤怒の河を渡れ」であった。中国語で「追補」と題されたこの映画は、大変な人気を呼び、実に八億人の中国人が見たという。主演の高倉健と中野良子は一躍人気スターとなり、高倉君は後に日中合作映画「単騎、千里を走る」で主演したほどだ。

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小林正樹の1962年の映画「切腹」は、落ちぶれた浪人の武士としての意地を描いたものだ。徳川時代の初期、寛永年間の話である。この時代は、藩の取りつぶしや改易が頻繁に行われ、その度に主家を失って浪人となる武士が輩出した。かれらはもとより生業もなく、生活の糧を得られないので、困窮のどん底に陥る者が跡を絶たなかった。そこで、諸藩の屋敷の玄関先に出没しては、ゆすり・たかりを働く者も多かった。そこで、食いつめて生きることに絶望し、切腹して死にたいので門先を貸してほしいと申し出、相手を驚かせて金品を巻き上げるようなことが流行っていた。この映画は、そんなゆすりまがいのことをする浪人を主人公にして、武士の意地を描いているのである。

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小泉堯史の2000年公開の映画「雨あがる」は、黒澤明が脚本を書いた。だから黒澤らしい雰囲気を感じるところがある。この映画は、安宿にしけこんだ貧しい庶民たちの生きざまを描いているのだが、その描き方に黒澤の作品「どん底」や「ドデスカデン」と共通するところがある。もっとも、こちらの方は、筋立てや人間描写に緊張感がなく、全体に緩いという印象を受ける。主演の寺尾聡とその妻宮崎美子が、どちらも茫洋とした感じで、いまひとつ締まりがないこともあるからだろう。

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レニングラードをめぐる攻防戦は、スターリングラードにおけるのと並んで独ソ戦最大の山場になったものである。レニングラードは、ソ連の軍需産業が集中していることと、地理的な条件からして、ドイツにとっては対ソ連戦の重要拠点と位置付けられ、独ソ戦の最初のステージから、最大の戦場となった。ドイツが、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するのは1941年6月のことであるが、その最初の段階でレニングラードが攻撃の対象となった。ヒトラーは、レニングラードを地上から殲滅すると豪語し、大規模な軍を差し向けた。ただし多大の犠牲を払って攻略するという戦略はとらず、周囲から孤絶させて、住民を餓死させるという戦略をとったために、攻防戦は長期化し、1941年9月8日から1944年1月8日まで、実に900日にわたる長さとなった。その間にソ連側の蒙った損害は、公式発表でも67万人、一説には100万人を超える死者を出したとされる。

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アレクサンドル・ソクーロフの2005年の映画「太陽」は、昭和天皇の敗戦前後の言動をテーマにしたものである。ロシア人の監督によるロシア映画であるが、昭和天皇を始め出て来る人間はほとんどが日本人であり、その日本人を日本人の役者が演じ、かれらのしゃべっている言葉も日本語である。だから、これがロシア映画とわかったうえで見ていないと、まるで日本映画を見ているような錯覚に陥る。もっともこの映画は、昭和天皇を始めとした日本人を、戯画化したところがあるので、こんな映画を日本人が作ったら、観客たる日本人から袋叩きにされたであろう。

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ヴィム・ヴェンダースの2015年の映画「誰のせいでもない」は、日本人にとっては理解しがたい内容の作品である。交通事故で小さな子どもを死なせた男が、法的には何の責任を負うこともなく、また死んだ子の母親からも責められることもなく、自分自身良心の呵責を感じている様子にも見えない。彼は作家なのだが、自分が犯したことよりも、自分自身の職業的な成功のほうが大事、というふうに伝わって来る。こういう話は、日本人には理解しがたいものだ。日本では、過失の程度が軽い場合にも、小さな子を交通事故で死なせた人間が無罪放免になることはほとんど考えられないからだ。

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アトム・エゴヤンの2015年の映画「手紙は憶えている」は、ナチスのホロコーストをテーマにした作品である。アルメニア起源のカナダ人であるアトム・エゴヤンが何故ナチスの犯罪を描いたのか。この映画の制作にはドイツ資本も加わっているので、ドイツ側からのアクセスがあったのか、よくはわからないが、ホロコースト映画としては一風変わっていて、ナチスの犯罪を糾弾するというより、ホロコーストに名を借りて、風変わりなミステリー映画に仕上げたといった趣の映画である。

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アラン・J・パクラの1982年の映画「ソフィーの選択」は、ナチスの絶滅収容所をテーマにした作品である。アウシュヴィッツを生き延びた女性が、自分の過酷な体験を物語るというのがメーン・プロットだが、その体験は彼女にとっては、克服できないトラウマとなり、最後にはそのトラウマに押しつぶされるようにして自殺してしまう。なんとも陰惨で、救いのない人生を描いており、大方の観客は、後味の悪い脱力感にひきこまれるはずだ。
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「シャーロック・ホームズ」シリーズは、小生が子供の頃はよく読んだことを覚えているが、いまでも人気は衰えず、世界中で読み継がれているそうだ。映画ドラマにも相性がよくて、これまで大変多くの映画が作られた。なかでも、バジル・ラズボーンをホームズ役にした1940年代半ばの映画のシリーズものは、もっとも洗練されているとの評判である。これは、日本では公開されなかったが、英米では大ヒットしたそうだ。

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ビリー・ザ・キッドは、ワイアット・アープやバッファロー・ビルと並んで、アメリカ西部開拓時代の英雄である。英雄とはいっても、強盗や殺人を繰り返した男なので、アンチ・ヒーローと言うべきだろう。かれが、アンチ・ヒーローとはいえ、なぜ英雄視されるようになったのか、その理由は、日本の鼠小僧と共通したところがあるらしい。鼠小僧は、強きをくじき弱きを助けるところに、人気の秘密があったが、ビリー・ザ・キッドにもそういうところがあったのだろう。サム・ペキンパーの1973年の映画「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯(Pat Garrett and Billy the Kid)」は、そんなビリー・ザ・キッドをテーマにしたものだ。ビリー・ザ・キッドを描いた映画は、数えきれないほどあるといわれるが、この映画はそのなかでも最高傑作と言われるものだ。

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西部劇ばかり作って来たサム・ペキンパーにとって、1971年の作品「わらの犬」は、はじめての現代劇だが、これは暴力描写が得意のペキンパーの映画のなかでも、とりわけ暴力的な作品だ。その暴力は、ほかの作品の暴力より一段度を超した印象を与える。西部劇の暴力は、だいたい拳銃を通じて行われるので、ある種メカニックな印象を与えるが、この映画の中の暴力は、棍棒とか鉄棒とか、いわば人間の身体の延長を通じて行使されるので、露骨に人間的な暴力といった観を呈しているのだ。

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「昼下がりの決斗」は、西部劇の名手サム・ペキンパーが1962年に作ったもので、彼の西部劇の特徴をよく見せたものだ。ペキンパーの西部劇は、良心的な拳銃使いが、粗暴なガンマンを相手に、ひと働きするというのが定番で、そういう筋書きの西部劇を、かれはテレビ映画として夥しい数の作品を作った。この「昼下がりの決斗」は、そうしたテレビ西部劇の延長にあるもので、迫力には欠けるが、一応楽しめるようにはできている。もっともこの映画は、興行的には失敗で、製作費の回収もできなかったそうである。

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