映画を語る

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ポン・ジュノの2013年の映画「スノーピアサー」は、アクション仕立てのSF映画である。一応韓国映画ということになっているが、様々な国の俳優が演じ、言葉もさまざまである。というのもこの映画は、地球の破滅を生き残った人間たちの物語なのである。生き残った人間が一台の列車を拠点にして、地球をグルグル回っている、という想定だ。その生き残った人間は、さまざまな民族を集約しており、したがって多国籍な社会を構成しているわけである。

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ポン・ジュノンの2009年の映画「母なる証明」は、殺人罪で逮捕された息子の無罪を証明しようとする母親の必死の努力を描いたものだ。真犯人は誰か、をテーマとする点では、推理ドラマといってよい。推理ドラマは普通ドライなタッチで描かれるものだが、この映画の場合にはかなりウェットである。というのも、息子を溺愛する母親の、息子への愛が映画を推進する動力になっているからだ。

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ポン・ジュノの2006年の映画「グエムル-漢江の怪物」は、韓国版ゴジラといった作品だ。ゴジラの場合には、水爆実験の結果怪物が生まれ、それが人類に対して科学利用への反省をせまったものだが、この映画の場合には、化学物質による汚染で怪物が生まれ、それが人類に破壊的な攻撃を加えるというものだ。水爆実験はアメリカがやったことだったが、この映画の中でソウルの河川漢江を科学物質で汚染するのは在韓米軍ということになっている。ポン・ジュノには、在韓米軍に対する反感があるようだ。

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ポン・ジュノの2003年の映画「殺人の追憶」は、猟奇殺人事件をめぐるサスペンス映画である。普通のサスペンス映画では、謎は最後には解消されるのだが、この映画では解消されないままに終わる。それは犯人の狡猾さよりも、警察の無能によるものだというメッセージが伝わって来るかぎりで、かなり反権力的な所を感じさせる。その警察は、自白を捏造する一方、今日では科学捜査のイロハであるDNA鑑定の能力もないということになっている。とにかく全くいいところがないのだ。

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韓国映画が国際的に評価されるようになるのは21世紀に入ってからだ。ポン・ジュノはその代表選手といったところ。2019年には「パラサイト 半地下の家族」がカンヌでパルム・ドールをとった。かれの作風は、韓国社会の矛盾をコメディタッチで描くというもので、社会派の監督と言ってよい。長編映画デビュー作である2000年の「ほえる犬は噛まない」には、かれのそういった傾向が早くも強く現われている。

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遠藤周作の小説「沈黙」は、世界中のさまざまな言語に翻訳されて、日本文学としては国際的な反響の大きかった作品である。中には、これを20世紀を代表する優れた小説だとするグレアム・グリーンの肯定的な評価などもあったが、おおよそは批判的な反応が多かった。というのも、この小説が取り上げた、宣教師の棄教というテーマが、キリスト教社会においては、あまりにもスキャンダラスに映ったからだろう。キリスト教の伝道の歴史においては、殉教は輝かしいものとしてたたえられる一方、棄教は悪魔への屈服として、嫌悪を持って受け止められたのである。

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マーティン・スコセッシの1978年の作品「ラスト・ワルツ」は、ロックバンド「ザ・バンド」が解散記念に催したラスト・ライブのドキュメンタリー映像である。ザ・バンドのリーダー、ロビー・ロバートソンがプロデュースしているから、かれらが望んで記録映画を作ったということだろう。

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1981年のアメリカ映画「黄昏(On Golden Pond)」は、アメリカ人の家族関係をわかりやすく描いた作品だ。小生はこの映画を見ながら、小津の「東京物語」をたえず想起した。この映画に描かれた家族家系が、小津の描く日本人の家族関係とあまりにも対象的で、色々考えさせられることが多かったのだ。

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1942年のアメリカ映画「偉大なるアンバーソン家の人々(The Magnificent Ambersons)」は、「市民ケーン」に続くオーソン・ウェルズの第二作である。「市民ケーン」では、新聞王といわれたウィリアム・ハーストをモデルに、アメリカの俄成金を描いたものだったが、第二作目もやはりアメリカの俄成金がテーマとなっている。一時は豪勢を極めた俄成金の一家が、あっけなく没落する過程を描く。それにアメリカ人流儀の恋がからむというわけだ。

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ジョージ・スティーヴンスの1951年の映画「陽のあたる場所「(A Place in the Sun)」は、セオドア・ドライザーの小説「アメリカの悲劇」を映画化したものである。原作はアメリカ文学史上もっともアメリカ的な文学だとの評価が高い。アメリカ的な文学とは、アメリカ的な生き方を描いたものということになろうが、そのアメリカ的な生き方とは、常にチャンスを求めて這い上がろうとする上昇志向の生き方をさす。原作の小説は、アメリカ人の一青年のそうした上昇志向と、その犠牲になった哀れな娘との不幸な恋を描いた。

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1934年のアメリカ映画「痴人の愛(Of Human Bondage)」は、ベティ・デヴィスを大女優にした記念すべき作品である。というのも、小生のようなベティ・デヴィスのオールド・ファンにとっては、彼女を一躍大女優に押し上げたこの映画は、実に記念するに値するのだ。

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ベティ・デヴィスはアメリカ映画史上最高の女優の一人だと言われる。独特の風貌と妖艶な雰囲気が強烈なインパクトをもって迫って来る。小生が彼女を映画で見たのは、ウィリアム・ワイラー監督の「黒蘭の女」が最初だったが、それ以来すっかり彼女にのぼせ上ってしまい、是非こんな女を愛人にしたいと、未成年にして思ったものだ。

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ジョゼフ・L・マンキウィッツはポーランド系のユダヤ人である。映画作りではあまり思想性を出すことはなかったが、なぜか保守派から目の仇にされ、いわゆるマッカーシズムの嵐のなかで、レッド・パージされそうになったこともある。監督協会会長になったときに、人種差別主義者のセシル・B・デミルから攻撃され、ジョン・フォードに擁護されたというエピソードは有名である。

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フィリップ・カウフマンによる1988年制作のアメリカ映画「存在の耐えられない軽さ(The Unbearable Lightness of Being)」は、チェコの亡命作家ミラン・クンデラの同名の小説を映画化したもの。20世紀後半における世界文学最高傑作といわれるこの作品を、小生は大変感心して読んだので、どのような映画化されているか非常に関心があった。ごく単純化していうと、原作の雰囲気をかなり忠実に再現している。筋書きはほとんど原作をなぞっているのだが、映画向けに多少脚色しなおしている。原作は、時間の流れを無視して、前後関係が入り乱れているのだが、この映画は一直線の流れの中に再編成している。つまり主人公たちが出会ってから死ぬまでの間を、直線的に描いているのである。

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侯孝賢が2015年に作った「黒衣の刺客(刺客 聶隱娘)」は、一応台湾映画だが、中国の古代史に題材をとった武侠映画である。武侠映画というのは、武術の達人が悪党相手に暴れまわるというのがパターンだが、この映画の場合には、その武術の達人は女ということになっている。しかも、その女に武術を教えたのも女の導師である。これは中国が男女平等を重んじる文化を反映しているのかといえば、そうでもないらしい、中国でも女が武侠になって暴れまわるという伝説はほとんどないらしいし、また道教の導師に女がいたという話も聞かないから、これは侯孝賢の創造ということなのだろう。女が武術で活躍する話は、日本ではくノ一伝説として残っているが、中国では、そういう伝説は聞いたことがない。やはり中国は、男尊女卑の国柄なのである。

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侯孝賢の親日家ぶりは日本映画界でも評価されて、松竹は会社設立百周年記念映画の製作を、かれにまかせたほどだ。かれはそれに応えて、日本にわたり、日本の金で、日本人の俳優をつかい、日本語の映画を作った。2004年の作品「珈琲時光」がそれである。このタイトルは、コーヒータイムとかコーヒーブレークを意味する台湾言葉で、これだけからは、台湾映画を連想させるが、中身は純粋な日本映画に仕上がっている。

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侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は、台湾近現代史にテーマをとった作品をいくつか作っている。1989年の「非情城市」はその代表作で、先の大戦で敗戦国となった日本が台湾から去ったあとに、大陸からやってきた蒋介石の一派が、現地の反抗分子を弾圧するところを描いていた。1995年の「好男好女」は、戦前戦後に生きた二組の台湾人男女の生き方がテーマである。二組のうちの一組は、戦前には抗日戦への参加を望んで大陸にわたり、戦後は台湾に戻って来るも、反国民党の運動を弾圧されて、不幸な一生を終えるという筋書きである。

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台湾の映画監督侯孝賢には、台湾近現代史に題材をとった一連の作品がある。1989年の映画「悲情城市」は、1945年の日本の敗戦に始まり、蒋介石の国民党政権が台湾に樹立されるまでの期間を描いている。流通している見方では、日本による植民地支配から解放されて、国の自立に向って動き出した時期ということになるようだが、この映画の視点は、それとは微妙に異なっている。日本への批判意識はほとんど現前化せず、そのかわりに国民党への批判意識が前面に出ているのだ。あたかも、日本による統治時代のほうがましだったと言いたいかのようである。

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1984年の台湾映画「冬冬の夏休み」は、侯孝賢監督自身の少年時代の回想を描いた作品だそうだ。侯孝賢は、どういうわけかは知らぬが、日本贔屓と見え、「非情城市」では、大陸からやってきた蒋介石より、追放された日本人のほうがずっとましだといった描き方をしていた。この「冬冬の夏休み」でも、そうした日本へのこだわりが垣間見える。舞台となった屋敷は日本風の建物だし、映画の冒頭とラストシーンでは、日本の唱歌が流される。冒頭の卒業式のシーンでは「仰げば尊し」が歌われるのだし、ラストシーンでは「兎おいしふるさと」のメロディが流されるのだ。これらは日本統治時代の名残ということだろうか。

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河瀬直美の2017年の映画作品「パラレルワールド」は、20分たらずの小品である。筋書らしいものはない。若い男女の初恋らしいものを、情緒豊かに描いている。映画としては、大胆な試みといえる。短編小説という分野が成り立つのであれば、短編映画も成り立つだろう。それも映画独自のロジックに基づいて。そんな意欲を感じさせる作品である。

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