映画を語る

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河瀬直美の2015年の映画「あん」は、ハンセン氏病患者への差別をメインテーマにして、人と人との温かいつながりを描いた作品だ。題名の「あん」は、どら焼きのあんのことで、そのあんが三人の人々を結びつける。一人はハンセン氏病の患者で徳江という名の老婦人(樹木希林)、一人はどら焼き屋の店長千太郎(永瀬正敏)、そしてもう一人はそのどら焼き屋によく来る女子中学生ワカナ(内田伽羅)だ。

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西川美和の2006年の映画「ゆれる」は、一種の心理劇といってよいが、心理劇としては一風変わっている。普通、心理劇というのは、登場人物の不可解な心理の動きをテーマにするもので、観客はその心理の動きを自分なりにあれこれ推測するというのを醍醐味にしているが、その心理の動きの秘密のようなものは最後には明らかになる。そのことで観客は、それまで宙ぶらりんになっていた自分の疑問が解明されて、ある種のカタルシスを体験する。そのカタルシスが心理劇の眼目であって、それは劇中の不可解さの度合いが大きいのに比例して大きくなる。ところがこの映画では、不可解さが大きいだけでなく、それが最後まで解明されない。したがって観客は置き去りにされたような気持ちになって、とてもカタルシスを体験できるどころではないのだ。しかし観客の中には、それもよしとする人々も多くいるのだろう。でなければこうしたタイプの映画には拒絶反応ばかりが出てくるということになるはずだ。

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田坂具隆の1963年の映画「五番町夕霧楼」は、水上勉の同名の小説を映画化したものだ。原作は丹後の貧しい樵の娘夕子が、家の貧しさを救うため京都の五番町遊廓に身売りし、そこで好色な老人の慰めものになる一方、幼馴染の僧侶と再会し、つかの間の愛を育んだ後に、僧が寺に放火したうえで自殺したことを苦慮し、あたら若い命を自ら断つという内容だ。その若僧の寺の放火は、金閣寺炎上をイメージしている。金閣寺炎上をテーマにした小説とそれを映画化したものとして三島の金閣寺及び市川崑の「炎上」があるが、そちらは放火の原因を美への嫉妬などと言って、いまひとつ曖昧な所があったが、こちらは男女の恋の行き詰まりが背景にあったということにしている。果たしてどちらが事実なのか、第三者にはわからない。

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「江分利満氏の優雅な生活」は、1960年代の日本の典型的なサラリーマンの生活ぶりを描いた山口瞳のオムニバス風小説である。主人公の「江分利満氏」とは、英語のエヴリマンをもじったもので、どこにでもいる平凡なサラリーマンを象徴している。小説は随筆風なもので、筋書きらしいものはないが、それにある程度の筋書きを持たせたうえで、岡本喜八が映画化した。

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豊田四郎の1955年の映画「夫婦善哉」は、織田作之助の同名の小説を映画化したものである。大阪船場の化粧品問屋の道楽息子と芸者の繰り広げる痴話物語をコメディタッチに描いたものだ。息子柳吉(森繁久弥)は店の金で遊び歩き、妻子をほったらかして芸者にうつつを抜かしていることで、父親から勘当にされている。一方芸者の蝶子(淡島千景)は、男に身請けされて一緒に暮らし始めたものの、男のいい加減さになんどもげんなりされながらも、あきらめて男の面倒を見続ける。その二人の掛け合いが面白おかしく描写されるだけで、映画はなりたっている。だから大した筋書きはない。ただ映画が進行しているうちに、男の妻と父親が死に、女の両親も死んで、世の中に二人きりになりながら、あるいはそのためにかえって、別れがたくなるという人生の機微を観客は感じさせられるというわけだ。

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ミロス・フォアマンの1984年の映画「アマデウス」は、モーツアルトの生涯をテーマにしたものである。ウェスト・エンドやブロードウェーで大当たりした舞台を映画化したものだ。モーツアルトの死には不可解なところが多く、毒殺説もあるが、そうした憶測をもとに筋が組み立てられている。生前モーツアルトの好敵手だったイタリア人音楽家アントニオ・サリエリが、モーツアルトの才能をねたんで毒殺したという噂話をとりあげて、それを映画に組み込んでいる。ところが、映画では、サリエリは自分がモーツアルトを殺したと信じ込んでいるが、それは精神病者の妄想であって、実際には彼がモーツアルトを殺したのではなく、病気のために死んだのだと言う風に伝わってくる。

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「ファニー・レディ(Funny Lady)」は、ウィリアム・ワイラーの1968年の映画「ファニー・ガール」の続編である。「ファニー・ガール」は1920年代にブロードウェーで活躍した喜劇女優ファニー・ブライスの半生を描いたものだったが、この「ファニー・レディ」は、その後日談という形をとっている。前作に引き続きバーブラ・ストライザンドがファニーを演じているが、監督は別人が務めた。バーブラは俳優としてだけではなく、プロデュースにも深く関わっている。

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どんなにつらくても、努力すれば必ず報われる、何故ならこの世界は神の意志によって動いており、その神が努力する人を見捨てることはありえないからだ。こういう考え方を、ほとんどのアメリカ人が抱いている。そこにアメリカ人の根本的に楽天的な性格を感じ取ることができる。フランク・キャプラはそうしたアメリカ人の楽天性を、暖かいタッチで描き続けた映画作家だが、「素晴らしき哉、人生(It's a Wonderful Life)」はそんなキャプラの映画世界を代表する作品である。アメリカ人のほとんどは今でもこの作品を愛しており、この映画を見ると、生きていることの素晴らしさを心から実感するのだと言われている。

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フランク・キャプラは、1942年から45年にかけて「我々は何故戦うかWhy We Fight」と題される戦意高揚映画のシリーズを作った。これらは劇場向けの一般公開を目的としたものではなく、軍人向けの教育映画として作られたものであり、アメリカ軍の依頼に基づくものである。全部で七作からなり、日独伊の枢軸国による無法な侵略を糺弾し、米軍兵士たちの戦意を高揚することをねらっていた。六作目までは、日独伊三国の無法行為を国別に紹介する手法をとり、最後の七作目は「アメリカの参戦」と題して、何故アメリカが第二次世界大戦に参戦したかについて、その経緯を描いている。それまでの六作についての総集編という位置づけを持つとともに、アメリカ参戦をオーソライズするものである。

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フランク・キャプラの1939年の映画「スミス都へ行く(Mr. Smith Goes to Washington)」は、アメリカ上院の議事の様子をテーマにしたものである。アメリカ上院にはユニークな議事慣行があって、いかなる議員も他の議員の妨害を受けずに自己の主張を続けることができる。基本的には無制限に演説を続けることができるのである。これはおそらく少数意見の尊重を目的としたものだと思われるが、場合によっては議事妨害の手段にもなる。実際映画の中でも、議事妨害だと言っているものもいる。しかしそれによって少数者の意見が尊重される効果はたしかにある。とかく少数派の意見がコケにされる日本の議会にも、見習う価値があるのではないか。

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フランク・キャプラは楽天的なアメリカン・ライフを軽快なタッチで描き出すことが得意だった。1938年に作った「我が家の楽園(You Can't Take It With You)」はその彼の代表作と言える。この映画には底抜けの楽天主義と、それを支える人間たちへの無条件の信頼がある。それでいて、アメリカ映画にありがちなプロテスタント臭さがない。徹底して現世主義的である。原題の You Can't Take It With You とは、金はあの世までは持っていけない、という意味だが、これは主人公の老人が金持ちの老人に向かって吐く言葉だ。いくら金を稼いでも、あの世までは持っていけない。人間の幸福は金では測れない。あの世ではなくこの生きている世の中を楽園に変えるには、もっとほかにやることがあるだろうと言うわけである。

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フランク・キャプラの1937年の映画「失はれた地平線(Lost Horizon)」は、欧米版桃源郷物語といってよい。また竜宮城物語にもいささか似ているところがある。現世の人間が山奥の理想郷に遊び、再び人間世界に戻ってくると言うのは、陶淵明を始め中国人が好きなテーマだ。また、久しぶりに人間界に戻ったものが、一気に数十年も年をとるというのは日本の浦島太郎を思わせる。ちょっと違うところは、その桃源郷が自然のものではなく、どうやら人工的に作られたことになっているところだ。しかもそれを作ったのが欧米人であるベルギー人の牧師になっているところが、いかにも欧米人らしい。地球上の事柄は、何につけてもすべて欧米人の支配下にあるといった文明論的な思い込みが感じられる作品である。

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フランク・キャプラの1938年の映画「オペラハット(Mr. Deeds Goes to Town)」は、純朴な田舎者と都会ずれした女記者との一風変わったラブ・ロマンスである。バーモントの田舎町でチューバを拭いていた青年(ゲーリー・クーパー)が、叔父が死んだことで2000万ドルの大金を相続することとなり、ニューヨークに移り住む。するとその金を目当てに色々な連中がたかりにやって来る。その中で、新聞記者のベーブという女性(ジーン・アーサー)は、俄成金を面白おかしく笑う記事を書くことを目的に彼に近づく。

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フランク・キャプラはウィリアム・ワイラーと並んで初期のハリウッド映画を代表する監督だ。1934年の作品「或る夜の出来事(It Happened One Night)」は、そのキャプラがはじめてアカデミー賞をとったもので、彼の代表作の一つである。いわゆるロードムービーの古典的傑作と言われている。ロードムービーというのは、一定の目的を持って或る場所をめざす人物が、その旅の途中で経験する様々な出来事を描くというものだが、この映画はそれに男女の恋愛をコメディタッチで絡ませ、楽しい雰囲気のものになっている。

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藤田敏八は神代辰巳とならぶロマンポルノの旗手として、1970年代に活躍した。ポルノだけではなく、一般の映画でも佳作を作ったことは、神代と同じだ。藤田の場合には、山口百恵などを起用したいわゆるアイドル映画を作った。

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「恋人たちは濡れた」というタイトルからは、男女が性交のエクスタシーの中で濡れに濡れそぼつというイメージが思い浮かんでくるが、このタイトルにはそれ以外のメッセージも込められているようだ。この映画に出て来るカップルは、最後には嫉妬した第三の男によって襲撃され、海に向かって自転車で疾走した挙句に、水につかってしまうのだが、その水に濡れる不幸な恋人たちというようなイメージも含んでいるのである。

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日活は1970年代から80年代にかけて、ロマンポルノと称される一連のポルノ映画を制作した。ポルノとはいえ、今日のアダルト映画とは異なり、芸術性を感じさせる作品もあった。神代辰美は日活ポルノを代表する監督である。その神代が作った作品で、しかも日活ポルノの代表作といわれるのが「四畳半襖の裏張りしのび肌」である。題名からして荷風散人の手慰み「四畳半襖の下張り」を思い出させ、実際筆者などはてっきりその映画化だと思い込んで見た次第だったが、内容は荷風散人の「四畳半」とは全く無関係だった。

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吉田喜重の1970年公開の映画「エロス+虐殺」は、一応成人映画ということになっているが、今日の眼から見れば実に穏やかなものだ。性的な描写がないわけではないが、女の裸を中年親爺がなめ回す程度のことで、セックスの現場をなまなましく映し出しているわけでもなく、今日的な意味でのポルノ映画とはほど遠い。にもかかわらず「エロス+虐殺」などと大袈裟な題名を付けたのはどういうわけか。「虐殺」ということについても、おぞましい虐殺シーンがあるわけでもない。主人公等の殺された後の死体が海岸の砂浜に転がっているところを映している程度だ。

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1966年公開の映画「胎児が密猟する時」は、前年の「壁の中の秘事」と並ぶ若松孝二のピンク映画の傑作である。テーマはサディズムだ。サド趣味の男が少し頭の足りない女をマンションの一室に連れ込み、そこで二人きりになったのをいいことに、女に対して暴虐の限りを尽くし、サド趣味を満足させるというものだ。その淫乱で残忍なところは、同じ趣味を持つ人々にとどまらず、多くの人々を魅惑する。

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日本でポルノ映画という言葉が使われるのは1970年代以降のことで、それ以前には成人映画とかピンク映画とか言われていた。その時代の性道徳はいまよりずっと偽善的なものだったので、性描写も慎ましいものだった。だからポルノを期待して見ると、がっかりさせられるものが多い。その中で若松孝二が1965年に作った「壁の中の秘事」は、ピンク映画の傑作と称すべき作品だ。決して猥褻ではない。若松自身がこれをピンク映画と考えていたかは疑問で、性描写を伴う芸術作品くらいに考えていたフシがある。この映画はベルリン映画祭にも出品されているのである。

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