映画を語る

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1979年のアメリカ映画「エイリアン(Alien)」は、SFホラー映画の古典的作品だ。太陽系以外の惑星で遭遇した生物体が人間の宇宙船に乗りこんで、船員たちを次々と襲撃して殺すというもので、不気味な生物に襲われる人間の恐怖を描いている。この生物が人間とは全く異なった形状・性質を持っているというのがミソだ。太陽系以外の生物で人間と対抗できるようなものは、人間に似たいわゆる異星人あるいは宇宙人として表象されるのがそれまでの常道だったが、この映画の中の異星生物は、卵生で恐竜のような形状をしているにかかわらず、人間を恐怖支配するほどの知性を持っているとされている。人間が恐竜に狩りされるといったイメージを喚起するわけで、そこが見ているものになんともいえない恐怖心をもたらすのである。

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アメリカ映画「2001年年宇宙の旅(A Space Odyssey)」は、宇宙を舞台にしたSF映画の古典である。未だに人気があるというから映画としては非常に長い生命を保っていることになる。人類の夢を物語っているからだろう。

テルマエ・ロマエ:人気漫画の映画化

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「テルマエ・ロマエ」は、人気漫画を映画化した作品で、いかにも漫画天国といわれる日本らしい作品だ。ローマ時代の公衆浴場設計家であるルシウスが現代日本との間を往復して、日本の温泉のアイデアをローマに適用して人気を博したあげく、皇帝ハドリアヌスから高い評価を受けるというような、荒唐無稽ではあるが、面白いアイデアを描いたものだ。

この空の花 長岡花火物語:大林宣彦

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大林宣彦の2014年の映画「この空の花 長岡花火物語」は、副題にもあるとおり、長岡名物の花火を中心にして、それに第二次大戦末期の米軍による長岡大空襲とか、さらにその前に長岡が体験した戊辰戦争とかを絡めて、戦争の意味を考えさせるとともに、2011年の3・11についても言及している。随分雑多な要素を盛り込んだわけだが、大林本人としては、地震のような天災がある意味避けがたいのに対して、戦争は人災であって、人間の知恵で避けられるということを訴えたかったようである。

赤い月:降旗康男

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降旗康男の2004年の映画「赤い月」は、作詞家中西礼の同名の自伝的回想記を映画化したものである。筆者は原作を読んでいないので比較は出来ないが、映画を見る限り、中西の家族の満州での生活と、敗戦後における引き上げをテーマにしている。この手の話題はとかく引き上げの苦労話に収斂し、エモーショナルなものになりがちなのだが、この映画を見る限りは、社会的な視点を強く感じさせ、日本側の加害責任とか権力の無責任ぶりが取り上げられている。

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緋牡丹博徒シリーズは、1960年代末から70年代初頭にかけて計八作が作られ、いずれも大ヒットした。東映やくざシリーズのなかでも異色のシリーズだ。映画の中のやくざといえばマッチョでセンチな男たちが義理と人情のはざまで悩みながら、悪を亡ぼし正義を実現するというのがパターンだが、緋牡丹博徒シリーズは女だてらにクールなやくざが、悪党どもを次々と退治するというもので、その聊か倒錯した振舞い方が全国の観客を魅了した。

不知火検校:勝新太郎の座頭もの

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1960年公開の映画「不知火検校」は、勝新太郎主演の時代劇やくざ映画である。座頭をテーマにしていることで「座頭市物語」シリーズを思わせるが、直接の関係はない。しかし勝による座頭のイメージが強烈で、かつ似たところもあることから、座頭市物語のさきがけのように受け取られている。筆者自身長い間この映画を座頭市シリーズの一つ、それも嚆矢をなすものと勘違いしていたほどである。

座頭市物語:時代劇やくざ映画

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座頭市物語シリーズは俳優勝新太郎の当たり役として大人気を博し、26本も作られた。寅さんシリーズをのぞけばもっとも多い。どの回も盲目の検校姿のやくざ座頭市が気ままな旅の途中土地のやくざのもとにわらじを脱いだことがきっかけで、やくざ同士の抗争に巻き込まれるところを描いている。座頭市は目こそ見えないものの、人の動きを掌にあるようにつかみ、当たるところ敵なしの強さを発揮する。その姿がかっこいいというので日本中の拍手喝さいを浴びたものだ。

あ・うん:降籏康男

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降籏康男の1989年の映画「あ・うん」は、向田邦子脚本の人気テレビドラマを映画化したものだが、一見して締まりのない作品である。これは原作がそうなのか、あるいは降籏の演出に理由があるのか、原作を見ていない小生にははっきりしかねる。ただこの映画の役を演じさせられた高倉健にとっては、イメージをこわされかねない危険がある。

居酒屋兆治:降籏康男

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降籏康男の1983年の映画「居酒屋兆治」は、高倉健の魅力を最大限に見せるよう作られた作品だ。時代遅れの居酒屋を舞台に、そこに集まってくるさまざまな人間たちがそれぞれ自分の人生の影を引きずりながら互いに支えあって生きているといった、或る種のヒューマンドラマを集約したような映画だ。同じような映画としては黒澤の「どん底」や「ドデスカデン」があるが、黒澤の作品がやや時代がかっているのに対して、降籏のこの作品はどこにでもあるような居酒屋と、どこにでもいるような人間が出てくる分、観客に親しみやすさを感じさせる。

駅 STATION:降籏康男

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降籏康男は高倉健と組んで多くの東映やくざ映画を作ったが、1978年に東映を退社してフリーになってから、やくざ映画以外の作品に意欲を持った。高倉もやくざ映画で埋もれることに俳優としての限界を感じていたので、そうした降籏に共感して、彼の映画に引き続き出続けた。1981年の作品「駅 STATION」は、彼らの最初の本格的なドラマ映画である。

永遠の人:木下恵介

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木下恵介の1961年の作品「永遠の人」は、実に暗い印象の映画である。テーマは戦前の日本の農村における身分差別だ。この身分差別のおかげで、許婚がいながら地主の倅から強姦された女が、泣き寝入りして、その嫁となったものの、この男を生涯憎み続ける一方、かつての許婚を思い続けるといったストーリーだ。いまではこんなストーリーはあり得ない話だが、戦前の日本では珍しいことではなかった。そういう思いを込めた映画だ。

女の園:木下恵介

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木下恵介の1954年の映画「女の園」は、京都のさる女子大学を舞台に、学校当局の封建的な指導に反抗する女子大生たちの戦いのようなものを描いている。この戦いは中途半端なものに終わるようなので、何かすっきりしないものを感じさせるが、女子大生の中からこういう運動が起きたこと自体日本の歴史上画期的なことだった、ということをアピールしたかった映画と考えてやればよいだろう。

カルメン純情す:木下恵介

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「カルメン純情す」は「カルメン故郷に帰る」の続編ということになっている。映画のエンディングで「第二部」と書いてあるところからも明らかだ。第一部では、頭の足りないストリッパーが久しぶりで故郷へ帰って巻き起こす騒動が描かれていたが、こちらはその数年後に、ストリッパーのカルメン(高峰秀子)が男に惚れるところを描いている。題名にある「純情す」とは、うぶな女が男に惚れる気持ちを表わした言葉のようだ。第一部で彼女のストリッパー仲間だった女(小林トシ子)は、子どもを背負って彼女の前に現れる。この女は男に惚れたあげく、子どもを抱えたまま捨てられてしまったのだ。そんな友達を見るにつけ、カルメンはしっかり生きてゆこうと決心するわけなのである。しかし頭の足りないこととて、決心はなかなかスムーズに実現しない。あげくの果ては、恋に破れて意気消沈してしまうのである。

北京の自転車(十七歳的単車):王小帥

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2001年の中国映画「北京の自転車(十七歳的単車)」は、一台の自転車をめぐって、田舎から北京に出て来た少年と、北京の胡同で暮らす貧しい少年とが繰り広げるかなりウェットなドラマである。二人とも自転車に対して異様な執着をするのだが、そうした執着は今の日本人には殆ど理解できない。しかし2001年頃の中国人にとっては、自転車はまだ高値の花で、ましてや田舎から出て来た貧しい少年にとっては、命の次に大事なものだとの印象が伝わってくる。それにしてもこの映画の中では、自転車はまだ大通りを所狭しと走っている。そんな映像を見ていると、今日の北京の繁栄ぶりを見ている者には、これがわずか20年もたたない頃のことだとはなかなか実感が湧かないのではないか。

鬼が来た!(鬼子来了):姜文

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2000年の中国映画「鬼が来た!(鬼子来了)」の「鬼」とは日本兵のことである。鬼のような日本兵が中国人を迫害して、罪のない人々を無残にも殺し尽くす。その非人間性をテーマにしたものだ。この映画を見ると、中国人がいかに日本人を憎んでいるか、肌で伝わってくる。それはあるいは無理のないことかもしれない。中国政府は先の大戦、それは中国にとっては抗日戦争だったわけだが、その戦争で1000万人の中国人が死んだと公表している。そしてその大部分は日本軍によって殺されたとなっているから、中国人が日本人を憎む気持に無理はない。その憎しみは、戦後半世紀くらいでは到底消えるものではないというわけであろう。

唐山大地震

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2010年の中国映画「唐山大地震」は、1976年7月28日に起きた唐山地震をテーマにしたものである。この地震はマグニチュード7・5の直下型大地震で、中国政府の公式発表で25万人の死者を出したと言い、実際にはその二倍から三倍の死者が出たのではないかと憶測されている。いづれにしても20世紀最大の被害を出した地震であった。映画はその地震によって引き裂かれた家族とその再会を描いている。

罪の手ざわり(天注定):賈樟柯

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賈樟柯は、いくつかの人生をオムニバス風に結びつけて一編となすような作品作りが好きなようだ。2013年につくった「罪の手ざわり(天注定)」もそうした作り方をしている。この映画には四人の人物をめぐる物語が、相互にかかわりなく展開される。人物の間に共通の出来事も起らないし、人物同士に共通した性格も見られない。まったく無関係な人々がそれぞれ無関係に生きているところが脈絡もなく展開されるだけだ。

四川のうた:賈樟柯

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賈樟柯が2008年に作った「四川のうた」はちょっと変わった映画だ。四川省の成都にある軍需工場が一つの歴史を終えて解体されようとしているときに、その工場に生涯をささげたり、あるいはそこに深くかかわった人たちを登場させて、その人たちと工場とのかかわりを回想させる。日本ではNHKの報道番組によくあるパターンだともいえるが、NHKはプロデューサーが前面に出て語るのに対して、この映画では登場人物に語らせることに徹している。その点ではドキュメンタリー映画と言ってもよい。話の内容にドラマ性は認められるが、ドラマではなく事実を語るのだから、ドキュメンタリーと言えるわけだ。

長江哀歌:賈樟柯

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賈樟柯は、陳凱歌や張芸謀に続く中国映画第六世代を代表する監督だ。2006年公開の映画「長江哀歌」はその彼の名を世界的なものにした。

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