映画を語る

生きものの記録:黒澤明

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「生きものの記録」は、黒沢には珍しく、時事問題を正面から取り上げた社会派ドラマ映画である。この映画が作られた1950年は、米ソ冷戦が過熱して、核軍拡競争が繰り広げられていた。軍拡競争の最たるものは核開発競争だ。そのあおりでビキニ環礁の水爆実験の犠牲者が日本人から出た。広島・長崎に原爆を落とされてから数年しか経っていない時点で、またもや原水爆の脅威にさらされた日本人の中には、この世の終わりが近いという深刻な恐怖を抱くものが出たのも不思議ではない。この映画は、そうした日本人の原水爆への恐怖をテーマにしたものだ。

白痴:黒澤明

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黒澤明の1951年の映画「白痴」は、ドストエフスキーの同名の小説を映画化したものだ。小生がこの小説を読んだのは半世紀以上も前のことなので、筋書きの詳細は忘れてしまい、したがって厳密な比較はできないのだが、雰囲気としてはかなり原作に忠実なようである。ただ一つ違うところは、映画の中の白痴の青年が、死刑判決を受けて銃殺されそうになったことを回想する場面だ。これは原作にはないのではないか。ドストエフスキーには、政治犯として銃殺されかかった経験があり、それを映画の中に取り入れたということなのだろう。

醜聞:黒澤明

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1947年の「素晴らしき日曜日」以降、「酔いどれ天使」、「静かなる決闘」、「野良犬」といった具合に、黒澤明は日本の敗戦(及びそれによる日本社会の混迷)にこだわった映画を作り続けたが、1950年の「醜聞」に至って初めて、そうした呪縛のようなものから解放され、いわゆる映画らしい映画つくりに励むようになった。しかしこの映画でも、社会に対する批判的な視点が強く感じられることは、それまでの作品の延長上にある。

静かなる決闘:黒澤明

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黒澤明は、「すばらしき日曜日」や「野良犬」などで敗戦直後の庶民の日常を描いたことはあるが、そしてそれは戦争映画の偉大な達成という面を持っているのだが、戦争自体を正面から描いた作品は作っていない。1949年の映画「静かなる決闘」は、主人公が軍医ということもあって、戦争が一つのテーマになってはいるが、戦争自体を描くことが主題ではない。戦争中の出来事がきっかけで自分の人生に狂いが出てしまった男の悩みを描いたものだ。それ故戦争は物語のきっかけになってはいるが、戦争がなければ物語が始まらなかったというわけでもない。

わが青春に悔なし:黒澤明

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「わが青春に悔なし」は、黒澤明の戦後第一作だ。敗戦の翌年1946年の10月に公開された。そんなこともあって、占領軍への配慮がにじんでいる。黒澤の戦後第一作は、本来なら「虎の尾を踏む男たち」のはずだったが、この映画は封建的な人間関係を礼賛しているところが占領軍の検閲に引っかかることを恐れた東宝が、公開を自主規制した。そのかわりに黒澤に作らせたのが、この「わが青春に悔なし」で、これは当時占領軍の検閲の基準になっていた民主主義の振興という項目に大いに合致していると、考えられたのである。

虎の尾を踏む男達:黒澤明

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黒澤明の作品「虎の尾を踏む男達」は、敗戦の前後に作られたが、公開されたのは1952年だった。配給会社の東宝が、占領軍の検閲を憚って自主規制したのである。映画の内容が、封建的な主従関係を賛美しており、それが占領軍の逆鱗にふれることを恐れた会社側が、占領が解かれて日本が独立を回復するまで、この映画の公開を封印したというわけである。

姿三四郎:黒澤明

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姿三四郎は小説の主人公の名で、架空の人物ではあるが、日本人はこれをあたかも実在の人物のように取り扱ってきた。いまでも小柄で強い柔道選手を〇▽三四郎と呼ぶが、それはモデルとなった三四郎のイメージを投影したもので、大柄な選手には決して三四郎とは言わない。

ブラザーフッド:朝鮮戦争を描く

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2004年の韓国映画「ブラザーフッド」は、朝鮮戦争を韓国人の視点から描いた作品だ。この手の映画はとかく、韓国は正義のために北朝鮮の不正義と戦ったという具合になりがちだが、この映画はそのように単純には割り切っていない。北朝鮮は共産勢力の傀儡であり、それと戦うのは正義にかなったことではあるが、それでは韓国が正義の国であるかといえばそうとも言えない。当時の韓国政府は自国民に対して必ずしもフェアではなかった。そういう視点がこの映画にはあって、単純な見方を許さない。

華氏451:フランソア・トリュフォ

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フランソア・トリュフォの1966年の映画「華氏451」は、ディストピアを描いた作品だ。ディストピアにはいろいろなタイプがありうるが、この映画が描くディストピアは、人々が本を読むことを禁じられている社会だ。本を読むだけでなく、文字を読むこと自体が禁じられているらしい。というのも、新聞というものがあるにしても、それには一切の文字が省かれており、絵だけで構成されているからだ。ただ、消防署の壁には「451」という文字が書かれている。これは「華氏451」を現わす文字で、紙が燃え上がる温度を示している。あらゆる文字を追放するために、その媒体である紙が、この社会では消滅の対象となっているのである。

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フランシス・フォード・コッポラの1979年の映画「地獄の黙示録(Apocalypse Now)」は、ベトナム戦争を批判的に描いた作品である。ただし多くのベトナム反戦映画と違って、アメリカによる戦争を一方的に悪いという描き方はしていない。戦争そのものがトータルとして悪いのであり、そこではアメリカもベトナムも戦争マニアという点では同じ穴のムジナだというシニカルな視点が読み取れる。それはベトナム戦争が終わって何年かたったあとで、戦争を第三者的な視点から見る余裕がアメリカの映画界に生まれてきたことを反映しているようである。

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第一次世界大戦を描いた映画が少ないのは、映画の歴史からいって致し方のないことだった。第一次大戦が終わったのは1918年のことだが、映画が本格的に作られるようになるのは20年代以降のことだからだ。そういう映画の歴史において、1930年にアメリカで作られた「西部戦線異状なし」は、第一次世界大戦を描いた作品のうちでは最高傑作との評価が高い。これは、前年にレマルクが発表した同名の小説を原作としたものだが、ドイツ軍の視点から戦争を描いている。それをアメリカの映画人がとりあげたわけである。

誰が為に鐘は鳴る

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ヘミングウェーは、スペイン内戦の早い時期から共和国政府側に立って参戦し、ファッショ勢力と戦った。その体験から生まれたのが「誰が為に鐘は鳴る」である。この小説は、ファッショ勢力と戦うアメリカ人の義勇兵を主人公にしているが、この主人公には多分にヘミングウェーの自己像が投影されていると考えられる。この義勇兵は非常に魅力的な男に描かれているが、ヘミングウェー自身もマッチョでしかも正義感の強い男だった。彼はすでに十代の頃、第一次世界大戦に際してイタリア戦線に衛生兵として従軍したが、それもまたドイツ・オーストリアの抑圧的な勢力から民主主義を守ろうとする気持ちに出たものだった。

武器よさらば:ヘミングウェーの映画化

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「武器よさらば」をヘミングウェーが書いたのは1929年で、その三年後に映画化された。原作の小説も映画もどちらも大きな反響を呼んだ。その小説を筆者が読んだのは20代の終わりのことだったが、深刻な影響を受けた。というのは、この小説は至る所に主人公の俄か軍人が酒を飲むシーンが出てきて、それがいかにもスマートな飲みぶりなので、あたかも洒落た酒の飲み方こそがこの小説のテーマだと思わせられたものだ。これがきっかけで、それまで飲酒習慣のなかった筆者は自他共に認める酒飲みになってしまった。

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1981年のドイツ映画「U・ボート」は、文字通り潜水艦U・ボートの戦いぶりを描いたもので、一応戦争映画のジャンルに入る。ドイツは、かなり複雑な事情から敗戦したこともあって、戦争を正面から見つめるような映画を作ることを長い間ためらいっていたかのような感じを受けるのだが、1981年ともなれば、戦争の記憶にもヴェールがかかってきて、戦争を過去の出来事として客観的に見つめようとする姿勢が出てきたのだろう。この映画には、そうした戦争に対する客観的な視線が働いているように見える。

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スタンバーグとディートリッヒはドイツで「嘆きの天使」を作った後、一緒にハリウッドにわたって映画史に残る名作を作った。「モロッコ」である。この映画では、マレーネ・ディートリッヒの妖艶な美しさが引き続き披露されたほか、アメリカ映画永遠の二枚目と言われるゲーリー・クーパーが、ディートリッヒの相方として存在感を示した。

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1930年のドイツ映画「嘆きの天使(Der blaue Engel)」は、マレーネ・ディートリッヒを一躍世界の大女優に売り出した作品だ。ディートリッヒの名声はいまでも色あせていない。とりわけドイツ人にとっては永遠の女性として愛されている。筆者は先日ベルリンのポツダム広場にある映画博物館を見物したが、そこでもディートリッヒの扱いぶりは半端ではなかった。ドイツ映画と言えばまずディートリッヒがあげられるほど、ディートリッヒはドイツ人に敬愛されているばかりか、ハリウッドで活躍したこともあって、世界の映画史に燦然とした輝きを放っている。

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「私は貝になりたい」は、1958年にフランキー堺を主演にテレビドラマ化され大きな反響を呼んだものを、翌年映画化したものである。橋本忍が監督を、フランキー堺が主演をつとめた。テーマはBC級戦犯死刑囚の生き方と死に方をめぐるものである。

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戦時中にはおびただしい数の戦意高揚映画がつくられたが、そのほとんどは幼稚な日本軍礼賛であったり、逆に兵士の困難な境遇ばかりを強調する厭戦映画のようなもので、本当の意味での戦意高揚映画はなかなか作られなかった。そんな中で山本嘉次郎が1942年に作った「ハワイ・マレー沖海戦」は、傑作と言ってよい作品である。傑作というのは、当時の海軍の様子が、飾らないタッチで詳しく紹介されており、そのドキュメンタリータッチな描き方が、日本史の一こまを如実に表現し得ているという意味である。

日本の黒い夏 冤罪:熊井啓

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熊井啓の2001年公開の映画「日本の黒い夏 冤罪」は、1994年の夏に起きた「松本サリン事件」を描いた作品だ。副タイトルにあるように、冤罪がテーマになっている。この事件は当時、事件の第一通報者が誤って被疑者扱いされ、その後オウム真理教の起こした犯罪だということが判明したのであるが、何故第一通報者が被疑者扱いされ、そのことによって言うにいわれぬ苦痛をこうむったか、そのことを考えさせる内容となっている。

海と毒薬:熊井啓

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「海と毒薬」は、遠藤周作の同名の小説を映画化したものである。遠藤がこれを書いたのは1957年のことで、それを読んだ熊井が早速映画化の承諾を取り付けシナリオまで書いたのだったが、テーマが重すぎて制作者があらわれず、やっと1986年になって自主制作にこぎ着けた。テーマが暗鬱なわりには大きな評判をとった。

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