映画を語る

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D・W・グリフィスが1915年に作った「国民の創生(The birth of a nation)」は、世界の映画史上特筆されるものだ。それは主に映画編集の技術上の進歩に貢献したという理由からである。グリフィスはこの映画の中で、クロスカッティング、クローズアップ、カットバックといた多彩な技術を駆使することで、従来の映画には見られなかったダイナミックな映画作りに多大な影響を及ぼした。そのためにグリフィスはアメリカ映画の父と呼ばれる光栄に浴している。

赤い橋の下のぬるい水:今村昌平

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「赤い橋の下のぬるい水」は、潮吹きと呼ばれる異常体質の女とリストラで首を切られた冴えない男との切ない恋を描いた映画だ。潮吹きというのは、筆者は出会ったことがないので実感がわかないのだが、女が性交時に出す愛液の量が異状に多いために、あたかも潮が吹いているように見えることだという。この映画の中の潮吹き現象は、生半可なものではなく、抱き合っている男女の周辺が水浸しになるほどなのだ。これは、正常と異状との境界を踏み越えて、明らかに異状の領域に大きく傾いているので、それを見ているものは、そこにシュールなものを感じる。そのシュールさが男にも気持ちがよいらしく、この男女は潮吹きの水を通じて深く結ばれるのだ。

うなぎ:今村昌平

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今村昌平の映画「うなぎ」は、「楢山節考」につづいて今村にとっては二度目のカンヌ映画祭グランプリを取った。それには相応の理由があったと筆者は思っている。この映画は、いわゆる寝とられ亭主の悲哀を描いた作品なのだが、この寝取られ亭主というのは、フランスの文化的伝統のようなもので、従ってフランス人の関心にも高度なものがある。この作品はその高度な関心を見事に満足させたことで、フランス人から「パルム・ドール」に相応しいと判断されたのだと思う。「楢山節考」が、親捨てという日本独自の文化を通じてフランス人に訴えたとすれば、この映画は寝取られ亭主という日仏に共通するテーマを通じてフランス人の心を捉えたのであろう。

黒い雨:今村昌平

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井伏鱒二の小説「黒い雨」といえば、原爆の悲惨と被爆者の苦悩を描いた文学の代表的なものと言える。筆者も昔読んだときには、しばらくの間沈うつな気分から脱せられなかった。それほどシリアスな雰囲気の作品である。ところがそのシリアスな作品を、笑いの精神を常に忘れたことのない今村昌平が映画化するというのはミスマッチな感じがしないでもない。およそ笑いとは縁のない世界を、世の中を笑い飛ばしてきた今村が、どのように表現するか。

神々の深き欲望:今村昌平

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今村昌平の全盛期には、日本の歴史に題材をとり、日本人の古層を探ろうとするような一連の作品があるが、「神々の深き欲望」はその嚆矢となるものである。この作品は現代日本の一隅を舞台にしている点で、純粋な歴史物ではないのだが、その舞台というのが現代とはいっても、古代がそのままに息づいているような空間なので、我々は現代の日本を見ながら、そこに古代が再帰しているような感覚に陥る。

エロ事師たちより人類学入門:今村昌平

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小沢昭一は日本映画史上に独特の存在感を残した個性的な俳優だったが、その彼の始めての主演映画で、圧倒的な小沢的世界を見せてくれたのが1966年の映画「エロ事師たちより人類学入門」だ。小沢は川島雄三に見込まれ、端役ながら川島の映画に数多く出ていたが、川島の助監督を長く続け、川島を師匠と仰ぐ今村のこの作品で主役に抜擢された。

武士道残酷物語:今井正

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今井正の1963年の映画「武士道残酷物語」は、ベルリン映画祭でグランプリを受賞した。この映画に描かれた人間が、日本人の本質を表現していると評価されたからだと思う。日本人というのはヨーロッパ人にとっては、なかなか理解しにくい人間たちだった。なにしろお国のためなら何の疑問もなしに死んでゆくわけだし、自己を殺して集団に同調する特異な生き物と見られていた。そんな日本人の特異性の秘密が、この映画によって多少解明された、そう多くのヨーロッパ人は感じて、この映画を高く評価したのではないか。

米:今井正

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今井正の1957年の映画「米」は、霞ヶ浦地方の貧農の暮らしぶりをテーマにしている点で、内田吐夢の戦前の作品「土」と似ている。実際今井は「土」を意識してこの映画を作ったようである。しかし、「土」の場合には、同時代の小作農の生活の実態が描かれていたのに対して、今井がこの映画を作った時代には、「土」で描かれたような小作農は、すでに存在しなかったはずだ。それ故、この映画は当時の農村の実像とはかなりずれたところがあると思うのだが、今井自身はそのことにあまり頓着している様子がない。あたかも戦後十年以上たった日本においても、小作農と呼ばれる貧農層が最低限の生活を強いられているといったイメージを持ち続けていたようである。

真昼の暗黒:今井正

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今井正の映画「真昼の暗黒」は、冤罪事件として有名な八海事件を取り上げたものである。この事件は1951年に発生し、最高裁判所による最終判決が1968年に出されたという非常に息の長いものだったが、裁判が進行中の1956年に今井が映画化し、被疑者の冤罪を訴えたために大きな話題となった。係争中の事件を取り上げ、あたかも国家権力の暴力によって冤罪がおきたといわんばかりの内容だったので、司法当局側から厳しい批判を受け、国民の間からも大きな関心が寄せられた。そんなことが災いしたか、冤罪被害者の無罪が確定するのは、事件後十七年も経ってからであり、そこには国家権力の面子への配慮が働いていたと思わせたものである。

山びこ学校:今井正

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今井正の1952年の映画「山びこ学校」は、生活綴り方運動で知られる無着成恭の実践記録を映画化したものである。無着成恭は、戦後山形の師範学校を卒業した後、山県県内の僻地の中学校の教師となり、そこで生徒の貧困に直面しながら、民主主義教育に邁進した人物である。彼は、生徒の低い学力を高める方法として、生徒に綴り方を書かせる運動をはじめ、その運動の経緯を記録にして出版したところ、それがベストセラーとなった。綴り方運動は、戦前の寺田寅彦たちの運動など前例もあって、国民の関心を集めていたこともあり、無着の運動は大いに注目を集めたわけである。民主主義の理念を普及することを使命に思っていた今井が、それを映画化した次第だ。

どっこい生きてる:今井正

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日本の映画人が敗戦直後の日本の混乱を正面から描くのは、戦後かなり経ってからだ。そこには進駐軍の強い意図が働いていたと思われる。敗戦による混乱を描くよりも、軍国主義から解放され民主主義が実現した喜びを描くべきだ、というような進駐軍の意向が、日本の映画人に作用して、戦後の混乱を正面から描くことをためらわせたフシがある。

また逢う日まで:今井正

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「また逢う日まで」といえば、ガラス戸越しに接吻する男女のせつない姿が、戦後の日本人の心を揺さぶった、という伝説がある。何しろ終戦直後の日本人は、いわゆる民主的な空気が社会を覆うようになって、男女の愛についても従来ほど因習的ではなくなっていたとはいえ、若い男女がガラス戸越しに接吻する姿は、やはりショッキングに映ったものと見える。そんなこともあってこの映画は、色々な意味で、日本映画にとってエポックメーキングな作品だったといえる。

青い山脈:今井正

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今井正の1949年の映画「青い山脈」は、戦後日本を象徴するような映画だった。新憲法が発布されて二年後に作られたこの映画は、ある意味新憲法の精神を国民に訴えるプロパガンダ作品のような面を持っていたし、またそこで描かれた男女の愛の素晴らしさとか、個人の自立を強調するところなどは、いままでそんなことを見聞したことのない日本人に大きなインパクトをもたらした。そんなこともあって、この映画は賛否どちらの立場からも大いに議論されたし、一般国民の関心も引き寄せた。興行的には大成功し、主題歌も大ヒットした。この歌は今でも人々に愛唱されており、その人気の根の深さは誰もが認めるところだ。内田樹などは、この歌を日本の国歌にしたいと言っているくらいだ。

カティンの森:アンジェイ・ワイダ

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「カティンの森」は、アンジェイ・ワイダが2007年に作った映画だ。第二次大戦勃発後まもなく起った「カティンの森」事件を題材にしている。この事件は、長い間真相が不明瞭であったが、世紀の変わり目前後に全貌が明らかにされ、ポーランドは無論世界中の関心を集めた。この映画はそうした関心に応える形で作られたのだと思う。アンジェイ・ワイダはその時八十歳になっており、老後の情熱をこの映画に傾けたようだ。そのわりにややしまりのないところもあるが、ワイダの年齢を考えれば仕方のないことだろう。

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「戦場のピアニスト(The Pianist)」は、ワルシャワ・ゲットーの生き残りであるユダヤ系ポーランド人ウワディスワフ・シュピルマンの手記を映画化したものである。この手記は1946年にポーランドで出版された際には、すぐさま絶版処分されたのだったが、1998年に息子のアンジェイによってドイツ語訳が出版されると大きな注目を浴びた。ポランスキはそれを2002年に映画化したわけである。

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1962年のソ連映画「僕の村は戦場だった(Иваново детство)」は、第二次世界大戦、ロシア語でいう「大祖国戦争(Великая Отечественная война)」の一齣を描いたものだ。この戦争はソ連にとって、対ナチスドイツの戦争だったわけだが、実に2000万人の国民がドイツ軍によって殺された。これがどんなにすさまじい数字であるか。当時のソ連の人口はロシア以外のソ連構成国を合わせても二億に満たなかったと思われるし、ロシア人だけでは一億程度だったろう。そのうちの2000万人が殺されたわけであるから、半端な数字ではない。だからドイツ人に対するロシア人の恨みは深いのであって、その恨みは戦後20年もたっていない1962年の時点では、まったく薄まっていなかったはずだ。この映画はそうしたロシア人側の心情を強く反映したものになっている。この映画の迫力は、ロシア人の怨念に根ざしているといってよい。

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「アラビアン・ナイト(Il Fiore delle mille e una notte)」は、「デカメロン」及び「カンタベリー物語」に続く猥褻小話映画だが、前の二作に比べるとやや冗長な感じが否めない。時間が長いということもあるが、全体にいまひとつぱっとしない。というのは、原作の「千一夜物語」は、猥褻が売り物ではなく、その点で、猥褻を生命とするこの映画とはフィットしない上に、映画自体も、前の二作に比べて猥褻のポリシーが不徹底であるように思える。観客はこの映画の中で、男女の裸を散々見せられるのだが、男女の裸そのものは別に猥褻とはいえないし、その裸の男女が絡み合うところも、あまり猥褻さを感じさせない。恐らくこの映画には、猥褻と滑稽との結びつきが弱いために、猥褻が生真面目な印象を与えるのであろう。猥褻は本来笑いを伴うもので、生真面目な猥褻は形容矛盾のようなものだ。

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「カンタベリー物語」は、「デカメロン」と並んでヨーロッパ中世の滑稽小話集の双璧と言われる作品だ。構成や語り口に共通するところが多いので、前者が後者の影響を受けたと指摘される。筆者は学生時代に両方とも読んだが、「カンタベリー物語」のほうにより深い感銘を受けた。「デカメロン」のほうはほとんど忘れてしまったが、「カンタベリー物語」のほうは、男にキスさせると見せかけて屁をかませた女の話とか、木の上で密通する男女の話とか、一夜の宿を借りた二人の学生が宿の亭主の女房と娘を寝取る話とか、おぼろげながら覚えているのは、これらの話が強烈に猥褻だったからだろう。

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「デカメロン」は、十四世紀のイタリア人ボッカチオによる小話集である。十人の男女がペストの災いを逃れてある邸に避難し、気晴らしのために十日間にわたって各自が一話ずつ小話を披露し、合計百の小話が語られる。筆者が原作の日本語訳を読んだのは学生時代のことだから、内容の詳細は忘れてしまったが、卑猥な話が多かったように記憶している。男女が気晴らしに喜ぶ話だから、話題が下に傾くのは無理もなかろう。

乱れ雲:成瀬巳喜男

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1967年の映画「乱れ雲」は、成瀬巳喜男の遺作となった作品である。成瀬の遺作としては多少の物足りなさを感じさせる。溝口(赤線地帯)や小津(秋刀魚の味)の遺作がそれなりの迫力を感じさせるのに比較して、成瀬のこの映画は、燃え尽きたエネルギーの残り糟のような感じを与える。成瀬は晩年まで駄作の少ない作家だったといえるのだが、この映画は、駄作とはいえないまでも、傑作でないことは誰しも認めるだろう。

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