映画を語る

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賈樟柯は、いくつかの人生をオムニバス風に結びつけて一編となすような作品作りが好きなようだ。2013年につくった「罪の手ざわり(天注定)」もそうした作り方をしている。この映画には四人の人物をめぐる物語が、相互にかかわりなく展開される。人物の間に共通の出来事も起らないし、人物同士に共通した性格も見られない。まったく無関係な人々がそれぞれ無関係に生きているところが脈絡もなく展開されるだけだ。

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賈樟柯が2008年に作った「四川のうた」はちょっと変わった映画だ。四川省の成都にある軍需工場が一つの歴史を終えて解体されようとしているときに、その工場に生涯をささげたり、あるいはそこに深くかかわった人たちを登場させて、その人たちと工場とのかかわりを回想させる。日本ではNHKの報道番組によくあるパターンだともいえるが、NHKはプロデューサーが前面に出て語るのに対して、この映画では登場人物に語らせることに徹している。その点ではドキュメンタリー映画と言ってもよい。話の内容にドラマ性は認められるが、ドラマではなく事実を語るのだから、ドキュメンタリーと言えるわけだ。

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賈樟柯は、陳凱歌や張芸謀に続く中国映画第六世代を代表する監督だ。2006年公開の映画「長江哀歌」はその彼の名を世界的なものにした。

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陳凱歌の2008年の映画「花の生涯 梅蘭芳」は、伝説の京劇俳優と言われる梅蘭芳の生涯を描いたものである。梅蘭芳は大戦中に一貫して抗日の姿勢を貫いたことで、中国人には節制のある人物として人気があるが、その生涯を描いたこの映画は、日本人にとっては面白くない作品だと言えよう。日本人をあまりにも非人間的に描いているからである。

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陳凱歌の2002年の映画「北京ヴァイオリン(和你在一起)」は、中国人の親子愛をテーマにした作品だ。中国人の親子はとりわけ親愛の情が深いと言われる。そこには子によって老後を養ってもらいたいという親の側の打算もあるようだが、やはり4000年の歴史の中から、親子のつながりこそがこの世で最も大事なことだという思いが、中国人には染み込んでいるためだろう。その深い親子愛をこの映画はほろりとさせるような感覚で描いている。

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陳凱歌は張芸謀とともに中国映画第五世代の旗手として中国映画を国際的な水準に引き上げた作家だ。いわゆる紅衛兵世代に属し、共産党体制に対しては複雑な気持ちを抱いているとされる。1984年の作品「黄色い大地(黄土地)」は彼の処女作であり、中国映画に海外の注目を集めるきっかけとなったものだ。

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黒沢明が1975年に作った「デスル・ウザーラ」は、一応日ソ共同制作ということになっているが、金の出所から俳優までほとんどすべてがソ連からなので、実質的には純然たるソ連映画と言ってよい。黒沢はソ連に招かれて映画のメガホンをとったという形だが、誇り高い黒沢がなぜ外国映画の制作にかかわる気になったのか。おそらく日本国内では、自分の好きな映画が作れないので、外国の映画でも作ってやろうかという気持ちになったのだろうが、詳しいことは筆者にはわからない。

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黒澤明の1963年の映画「天国と地獄」はサスペンスドラマの大作である。黒沢は「野良犬」をサスペンスタッチで作ったが、この「天国と地獄」はそれを大がかりにしたもので、サスペンスドラマの命とも言える心理描写もきめ細かく、ストーリー展開も大胆で、長編ながらあっというまに見終わったかのような印象を与える。サスペンスドラマとしては、世界的な傑作といってよいのではないか。

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「生きものの記録」は、黒沢には珍しく、時事問題を正面から取り上げた社会派ドラマ映画である。この映画が作られた1950年は、米ソ冷戦が過熱して、核軍拡競争が繰り広げられていた。軍拡競争の最たるものは核開発競争だ。そのあおりでビキニ環礁の水爆実験の犠牲者が日本人から出た。広島・長崎に原爆を落とされてから数年しか経っていない時点で、またもや原水爆の脅威にさらされた日本人の中には、この世の終わりが近いという深刻な恐怖を抱くものが出たのも不思議ではない。この映画は、そうした日本人の原水爆への恐怖をテーマにしたものだ。

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黒澤明の1951年の映画「白痴」は、ドストエフスキーの同名の小説を映画化したものだ。小生がこの小説を読んだのは半世紀以上も前のことなので、筋書きの詳細は忘れてしまい、したがって厳密な比較はできないのだが、雰囲気としてはかなり原作に忠実なようである。ただ一つ違うところは、映画の中の白痴の青年が、死刑判決を受けて銃殺されそうになったことを回想する場面だ。これは原作にはないのではないか。ドストエフスキーには、政治犯として銃殺されかかった経験があり、それを映画の中に取り入れたということなのだろう。

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1947年の「素晴らしき日曜日」以降、「酔いどれ天使」、「静かなる決闘」、「野良犬」といった具合に、黒澤明は日本の敗戦(及びそれによる日本社会の混迷)にこだわった映画を作り続けたが、1950年の「醜聞」に至って初めて、そうした呪縛のようなものから解放され、いわゆる映画らしい映画つくりに励むようになった。しかしこの映画でも、社会に対する批判的な視点が強く感じられることは、それまでの作品の延長上にある。

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黒澤明は、「すばらしき日曜日」や「野良犬」などで敗戦直後の庶民の日常を描いたことはあるが、そしてそれは戦争映画の偉大な達成という面を持っているのだが、戦争自体を正面から描いた作品は作っていない。1949年の映画「静かなる決闘」は、主人公が軍医ということもあって、戦争が一つのテーマになってはいるが、戦争自体を描くことが主題ではない。戦争中の出来事がきっかけで自分の人生に狂いが出てしまった男の悩みを描いたものだ。それ故戦争は物語のきっかけになってはいるが、戦争がなければ物語が始まらなかったというわけでもない。

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「わが青春に悔なし」は、黒澤明の戦後第一作だ。敗戦の翌年1946年の10月に公開された。そんなこともあって、占領軍への配慮がにじんでいる。黒澤の戦後第一作は、本来なら「虎の尾を踏む男たち」のはずだったが、この映画は封建的な人間関係を礼賛しているところが占領軍の検閲に引っかかることを恐れた東宝が、公開を自主規制した。そのかわりに黒澤に作らせたのが、この「わが青春に悔なし」で、これは当時占領軍の検閲の基準になっていた民主主義の振興という項目に大いに合致していると、考えられたのである。

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黒澤明の作品「虎の尾を踏む男達」は、敗戦の前後に作られたが、公開されたのは1952年だった。配給会社の東宝が、占領軍の検閲を憚って自主規制したのである。映画の内容が、封建的な主従関係を賛美しており、それが占領軍の逆鱗にふれることを恐れた会社側が、占領が解かれて日本が独立を回復するまで、この映画の公開を封印したというわけである。

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姿三四郎は小説の主人公の名で、架空の人物ではあるが、日本人はこれをあたかも実在の人物のように取り扱ってきた。いまでも小柄で強い柔道選手を〇▽三四郎と呼ぶが、それはモデルとなった三四郎のイメージを投影したもので、大柄な選手には決して三四郎とは言わない。

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2004年の韓国映画「ブラザーフッド」は、朝鮮戦争を韓国人の視点から描いた作品だ。この手の映画はとかく、韓国は正義のために北朝鮮の不正義と戦ったという具合になりがちだが、この映画はそのように単純には割り切っていない。北朝鮮は共産勢力の傀儡であり、それと戦うのは正義にかなったことではあるが、それでは韓国が正義の国であるかといえばそうとも言えない。当時の韓国政府は自国民に対して必ずしもフェアではなかった。そういう視点がこの映画にはあって、単純な見方を許さない。

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フランソア・トリュフォの1966年の映画「華氏451」は、ディストピアを描いた作品だ。ディストピアにはいろいろなタイプがありうるが、この映画が描くディストピアは、人々が本を読むことを禁じられている社会だ。本を読むだけでなく、文字を読むこと自体が禁じられているらしい。というのも、新聞というものがあるにしても、それには一切の文字が省かれており、絵だけで構成されているからだ。ただ、消防署の壁には「451」という文字が書かれている。これは「華氏451」を現わす文字で、紙が燃え上がる温度を示している。あらゆる文字を追放するために、その媒体である紙が、この社会では消滅の対象となっているのである。

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フランシス・フォード・コッポラの1979年の映画「地獄の黙示録(Apocalypse Now)」は、ベトナム戦争を批判的に描いた作品である。ただし多くのベトナム反戦映画と違って、アメリカによる戦争を一方的に悪いという描き方はしていない。戦争そのものがトータルとして悪いのであり、そこではアメリカもベトナムも戦争マニアという点では同じ穴のムジナだというシニカルな視点が読み取れる。それはベトナム戦争が終わって何年かたったあとで、戦争を第三者的な視点から見る余裕がアメリカの映画界に生まれてきたことを反映しているようである。

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第一次世界大戦を描いた映画が少ないのは、映画の歴史からいって致し方のないことだった。第一次大戦が終わったのは1918年のことだが、映画が本格的に作られるようになるのは20年代以降のことだからだ。そういう映画の歴史において、1930年にアメリカで作られた「西部戦線異状なし」は、第一次世界大戦を描いた作品のうちでは最高傑作との評価が高い。これは、前年にレマルクが発表した同名の小説を原作としたものだが、ドイツ軍の視点から戦争を描いている。それをアメリカの映画人がとりあげたわけである。

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ヘミングウェーは、スペイン内戦の早い時期から共和国政府側に立って参戦し、ファッショ勢力と戦った。その体験から生まれたのが「誰が為に鐘は鳴る」である。この小説は、ファッショ勢力と戦うアメリカ人の義勇兵を主人公にしているが、この主人公には多分にヘミングウェーの自己像が投影されていると考えられる。この義勇兵は非常に魅力的な男に描かれているが、ヘミングウェー自身もマッチョでしかも正義感の強い男だった。彼はすでに十代の頃、第一次世界大戦に際してイタリア戦線に衛生兵として従軍したが、それもまたドイツ・オーストリアの抑圧的な勢力から民主主義を守ろうとする気持ちに出たものだった。

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