映画を語る

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キートンの映画の重要な要素の一つとして、追われるキートンというものがある。「荒武者キートン」では、宿敵に追われたキートンが原野や急流を逃げ回るのであるし、「キートンの探偵学」入門では、探偵となったキートンが泥棒一味に追われて無人オートバイで逃げ回るといった具合である。こうした追跡劇は、アメリカのスラップ・スティック。コメディには、多かれ少なかれ見られる要素なのだが、キートンの場合には、それが映画の決定的な要素となっている。それ故キートンの映画を、追いつ追われつの追跡劇と特徴づけることができる。

キートンの探偵学入門(Sherlock Jr)

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「キートンの探偵学入門(Sherlock Jr)」は、キートンが探偵となってどたばた追跡劇を繰り広げるというもので、他愛ないながら、非常に面白い映画である。映画の冒頭で、「二兎を負うものは一兎を得ず」という趣旨の言葉が出てくるが、それはキートンが映画技師でありながら探偵の真似をするのはよくないという意味だ。この映画の中のキートンは、基本的には映画技師で、探偵はその趣味ということになっているのである。趣味とはいえ、大変な騒動を巻き起こして、さんざんな眼に合うので、やりつけないことはやらないほうがよい、という教訓が伝わってくるようになっている。いづれにしてもこの映画は、どたばた喜劇にしては教訓に富んだものなのである。

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バスター・キートンは、チャップリン及びハロルド・ロイドと1920年代のサイレント喜劇映画の人気を分けた。チャップリンの映画が人間的な温かみを感じさせるのに対して、キートンの映画は徹底的にスラップ・スティック・コメディに拘った。それが今日の視点から見てもなかなか新鮮に映る。山口昌男はかつてキートンの映画を評して、宇宙論的な深遠さを感じさせると言ったが、そんなに大げさに受け取らなくても、彼の映画は実に痛快である。とりわけ見ものなのは、キートンがつねに喜怒哀楽を表に出さず、全く無表情といってもよいのに、そのなすことが仰天動地の猥雑さを示すところだ。猥雑な行為を無表情に行うというのは、どこかしら不気味さを感じさせるものだ。

サニーサイド(Sunnyside):チャップリン

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「サニーサイド(Sunnyside)」は、「担え銃」から一転して田園地帯の長閑な生活を描いたものである。題名にある「サニーサイド」とは、日の当たる場所という意味だが、この映画の中では舞台となるホテルがある村の名称とされている。そのホテルで住み込みで働いている給仕のチャップリンの、ずっこけた働き振りと甘い恋がテーマである。大した筋書きはない。折角見つけた恋人を、一度は優男に取られてしまうが、それは転寝で見た夢の中の出来事で、現実のチャップリンは抜け目なく彼女と結婚できたという話である。

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「担え銃(Shoulder Arms)」は、第一次世界大戦についてのチャップリンなりの反応である。チャップリンは、基本的には反戦主義者だったので、第一次世界大戦は愚かな戦争だと思っていた。だがアメリカの世論は、英仏連合に味方してドイツ・オーストリアの枢軸国と戦うべきだと盛り上がり、ついにはアメリカも参戦する事態になった。そんな世の中の動向に、疑問をぶつけ、戦争の愚かさを改めて訴えたのがこの映画だといえる。もっとも正面から反戦を唱えることは、当時のアメリカの世論からすれば非常に危険な行為だったわけで、チャップリンは、戦争への抗議を笑いのオブラートに包んで披露して見せた。

犬の生活(A Dog's Life):チャップリン

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チャップリンの1918年の映画「犬の生活(A Dog's Life)」は、ルンペンプロレタリアートの惨めだが自由気ままな暮らしぶりを描いたものである。一人の宿無しが、野良犬のような暮らしをしているうち、一匹の野良犬と仲がよくなり、その犬とともに人生を切り開いてゆくという話である。短編映画にしては、四十分という長さであり、一応物語としてのまとまりは持っている。チャップリンにとっては、従来のスティックスラップ・コメディから本格的な劇映画への足がかりとなった作品だ。

チャップリンの冒険(The Adventure)

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「チャップリンの冒険(The Adventure)」は、アメリカの警察をあざ笑った映画である。アメリカの警察は、移民社会の自警団のようなものから出発しており、国家権力の象徴という意味合いよりは、白人社会の自己防衛装置としての色彩が強かった。自己防衛ということは、よそ者に対して攻撃的であることを身上とする。攻撃されるほうは、たまったものではなく、警察に対して強い不信感を持たざるを得ない。この映画は、攻撃される立場の目から見た、アメリカ警察への不信感とか不快感をもとに、アメリカ警察をあざ笑ったものと言える。権力に対して常に距離感をとっていたチャップリンらしい作品だ。

チャップリンの移民(The Immigrant)

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1917年の短編映画チャップリンの移民(The Immigrant)」は、ヨーロッパからアメリカへ来た移民をテーマにしたものだ。この時代のアメリカは、労働者不足を補うために大量の移民を受け入れていたし、ヨーロッパには仕事にあぶれた人々にこと欠かなかったので、需給がマッチして、大量の移民がヨーロッパからアメリカへと流れた。アメリカを目指した人々は、そこに希望の大地を夢想したわけだが、多くの場合それは幻想に過ぎなかった。アメリカに渡った人々には苦い現実が待っていた、というのがこの映画の描くところである。とはいっても、苦い現実を告発調で描くわけではない。一部の諦めと一部のペーソスをまじえて、いわばほろ苦く描くのである。

チャップリンの勇敢(Easy Street)

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「チャップリンの勇敢(Easy Street)」は、いわゆるチャップリン風の映画の確立を物語る記念碑的な作品だ。1914年以来、他愛ないドタバタ喜劇を六十本以上作ってきたチャップリンが、1917年のこの映画で、しっかりしたストーリーを持ち、しかもパンチの効いた社会風刺を盛り込んだ本格的な喜劇映画を作った。以後チャップリンは、この映画で示した傾向を深める形で映画作りを進めてゆくのである。

淑女は何を忘れたか:小津安二郎

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小津は、1932年のサイレント映画「生まれては見たけれど」で、子供の目から見た大人社会の滑稽さを描いたが、それから五年後に作った「淑女は何を忘れたか」では、同時代の日本の夫婦関係の滑稽さを若い女の視点から茶化して見せた。「生まれては」では、しがないサラリーマン一家が舞台となっていたが、こちらでは麹町の住宅地に住むプチブル一家が舞台だ。その一家の亭主は大学の教授なのだが、どういうわけか細君に頭が上がらない。もしかして養子なのかもしれないが、映画はその点を明らかにしない。あくまでも、気の強い細君と、彼女に頭の上がらない気の弱い亭主の組み合わせとして描いている。

東京の宿:小津安二郎

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小津安二郎は、社会的な視線を感じさせる映画はあまり作らなかったが、それでも戦前にはいくつかそういう作品がある。1935年に作った「東京の宿」はその代表的なものであろう。これは不況が吹き荒れていた当時の世相を踏まえて、宿無しになった父子を描いたものだ。宿無しは子連れの父親だけではない、子連れの女まで宿を失って途方に暮れている。そんな女に半分同情から、半分は恋心から、父親が金を作ってやろうと思い強盗を働くという、なんとも切ない話だ。小津のことだから、そうした切なさを露骨には表さずに、男の恋心に焦点を当てながら、ほんのりと描く。傑作とはいえないまでも、なかなか見ごたえのある映画だ。

浮草物語:小津安二郎

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「浮草物語」は、小津の戦前のサイレント映画の傑作である。山田洋二が松竹 蒲田製作所へのオマージュとして作った「キネマの天地」では、蒲田の歴史を彩る名作として、映画のストーリーの中に組み込まれていた。そこでは日本の映画の青春期を代表するような扱いだったが、たしかにこの映画にはそんなところがある。

出来ごころ:小津安二郎

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「出来ごころ」はいやみのない人情コメディだ。小津と言えば、中流市民の悲哀を描いた戦後の一連の作品が有名だが、戦前には下層の庶民社会を舞台にした心温まる人情コメディを多く手がけた。「出来ごころ」は、そんな傾向の映画の中で出来のよい作品だと思う。

非常線の女:小津安二郎

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小津の映画「非常線の女」は、1933年のサイレント映画で、小津にはめずらしくギャング(映画では「与太者」となっている)をテーマにしたものだ。小津がどんなつもりでこんな映画を作ったのか、よくはわからない。興業を当て込んだ映画会社の意向なのか、小津自身のアイデアなのか。内容は当時流行のアメリカのギャング映画を焼きなおしたようなもので、それに日本的な情緒をアレンジしてある。映画の出来栄えがよくないのは、小津がこの手合いの世界とあまり縁がないからだろう。

東京の女:小津安二郎

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小津の1933年のサイレント映画「東京の女」は、わずか50分足らずの小品である。こんなに短いのにはわけがある。映画会社のローテーションの都合で、やっつけ仕事をしたためだ。小津は脚本もろくに用意しないで、たったの九日間でこの映画を仕上げたという。それでこんなに短くなった。映画としての体裁が整えばよかろう、という配慮だけで成立した作品なのだ。小津は同時期に「非常線の女」を平行して製作していた。映画監督としての精力は、もっぱらそちらのほうに注いでいたらしいのである。

東京の合唱:小津安二郎

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小津安二郎は、1920年代の末から30年代にかけて多くの作品を作り、すでに大家のイメージを確立していた。欧米では30年代に入るとすぐにトーキーが主流となるが、日本ではやや遅れ、小津の場合には1934年の「母を恋はずや」までサイレント映画を作っている。小津の映画の特徴は小市民の生活をコメディタッチで描くことにあったので、サイレントに適していた。そんなこともあって小津のサイレント映画は、いまでも十分鑑賞に耐えるものが多く、しかも溝口と違って多くの作品のフィルムが現存している。

帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da)

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先日ドイツのある街角でヒトラーそっくりに扮装した男が逮捕されるという事件があった。こういうことを聞くと、ドイツではいまだにヒトラーがタブーなのだと感じさせられるが、この映画「帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da)」は、そんなタブーをあざ笑うようなものといえる。なにしろあのヒトラーが現代のドイツに生き返り、さんざんやりたいことをやりながら、人々の喝采を浴びるというのであるから、見ようによってはヒトラー礼賛映画だといってよい。そんな映画が許されて、ヒトラーの扮装をしただけの男が逮捕される、というのはある種カフカ的世界と言えまいか。

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「顔のないヒトラーたち(Im Labyrinth des Schweigens)」は、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判をテーマにしたものだ。この裁判は、ナチスのホロコースト犯罪をドイツ人自身の手で裁いたもので、アウシュヴィッツの所長などが訴追され、20ヶ月の審理を経て、1963年に結審、17名が有罪になった。映画は、検事による犯人の追跡の過程を、フィクションをまじえながら描く。この映画が公開されたのは2014年のことだが、それがきっかけになって、ナチスの犯罪をテーマにした作品が、多く作られるようになったようだ。

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ドイツ映画にとって、ヒトラーはある種のタブーになっていて、その人間性がリアルに描かれることはほとんどなかった。描かれるときには、「悪の化身」といったステロタイプに陥りがちだった。2004年のドイツ映画「ヒトラー最期の12日間(Der Untergang)」は、そんなヒトラーを正面から取り上げて、その人間性の一面を描こうとしたものである。近年のドイツ映画では、ヒトラーを多面的に描こうとする動きが強まっているようだが、この映画はその先鞭をつけたということらしい。

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パゾリーニの映画「王女メディア(Medea)」は、エウリピデスのギリシャ悲劇を下敷きにしている。エウリピデスの原作は、夫に裏切られたメデアが、夫に復讐する話である。その復讐というのも、夫が心を奪われた若い女を呪い殺すばかりか、夫との間に生まれた二人の子まで殺すという陰惨な行為だった。そこにエウリピデスは、人間の運命の過酷さを読み込んだわけだが、パゾリーニはそれに加えて、メデアの夫たるイアソンの前史のようなものを組み合わせて、壮大な物語に仕上げた。

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