映画を語る

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2000年公開の香港映画「花様年華(王家衛監督)」は、既婚男女の恋愛をテーマにした作品。欧米特にイギリスでの評価が高く、BBCの「21世紀最高の映画100本」では第二位にランクされたほどだ。一つには、イギリス人は「逢引き」に描かれたような既婚男女の恋愛に非常な関心を持っていること、もう一つには、香港を中国に返還して間もないころのことで、イギリス人の香港への郷愁というべきものが、この映画へのかれらのこだわりを掻き立てたという事情があったのだろうと考えられる。

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婁燁(ロウ・イエ)は、2006年に作った映画「天安門」が当局の怒りをかい、5年間中国国内での映画製作を禁止されたのだったが、その禁止期間が終わるとすぐに、中国での活動を再開した。2011年の映画「二重生活(浮城謎事)」は、復帰第一作である。

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2019年のポーランド映画「赤い闇 (アグネシュカ・ホランド監督)」は、スターリン時代のソ連を批判的に描いた作品。批判というより、全面否定といってよく、スターリンによって支配されているソ連という国には、なんらの存在価値もないといった、激しい拒絶感をうかがわせる作品である。ポーランド人のロシア嫌いがすなおに反映されている映画といってよい。ポーランド国内はもとより西側諸国での評判もよかったそうだが、今やロシアの悪口を言うのは西側に共通した趣味となっているので、この映画はその悪趣味に悪乗りしているわけでもある。

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2012年のデンマーク映画「偽りなき者」は、デンマー式の村八分をテーマにした作品。その村八分が集団ヒステリーとなるところがいかにもデンマークらしいところだ。この映画を見ると、デンマークはろくでなしの天国だと言ったキルケゴールの言葉を思い出す。ちょっとしたゴシップが途方もないスキャンダルに発展し、罪もない人間をよってかたって迫害する、というのがデンマーク式の村八分の特徴であり、それをろくでなしどもが楽しむ。キルケゴール自身がそういう村八分にあう体験をしたので、かれの言うことには迫真性がある。



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2010年のデンマーク映画「未来を生きる君たちへ」は、デンマークにおける少年の社会適応や、家族関係のありかたをテーマにした作品。クリスチャンとエリアスという二人の少年の友情を中心にして、少年の家族関係とか、学校をはじめとする社会とのかかわりが、やや情緒的なタッチで描かれる。監督は女性のスザンヌ・ピアだ。

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2006年のデンマーク映画「アフター・ウェディング」は、ホームドラマ風のメロドラマである。それに、インドで貧民救援の活動をしている男などの善意を絡ませている。問題はその善意が本物でないことだ。だから非常に後味の悪い映画になるべきところ、そうもならないのは俳優たちの演技のたまものか。

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フレッド・ジンネマンの1966年の映画「わが命つきるとも(A MAN FOR ALL SEASONS)」は、「ユートピア」の作者として知られるトーマス・モアの殉教をテーマにした作品。モアは、ローマ・カトリックの忠実な信者として、国王ヘンリー八世の宗教上の改革に反対したため、国王の怒りをかってロンドン塔に幽閉され首をはねられた。それが殉教にあたるというので、1935年にカトリック教会によって殉教聖人に列せられた。この映画は、モアの国王側近たちとの戦いと、首をはねられるさまを描いている。

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フレッド・ジンネマンの1952年の映画「真昼の決闘(High Noon)」は、ジンネマンにとっては唯一の西部劇だ。いまでは、ジョン・フォードの「捜索者」及びジョージ・スティーヴンスの「シェーン」とならんで西部劇の最高傑作といわれている。通常の西部劇とは異なって、保安官の孤独な戦いを描いたもので、きわめて社会批判的な視線を感じさせるというのが通説である。映画評論家の中には、この映画が公開されていた時代のアメリカのマッカーシー旋風に関連付けて語るものもいるが、ジンネマン本人は、政治的な動機は一切ないとして否定している。

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フレッド・ジンネマンの1949年の映画「暴力行為(Act of violence)」は、第二次大戦中の米軍兵士の悲劇をテーマにした作品。ナチス・ドイツの捕虜になった米兵が、脱出する計画を実行しようとしたところ、その計画を米兵の一人がナチの将校に密告したことで、首謀者はじめ計画に加わったものが、むごたらしいやり方で殺される。一人生き残った兵士が、密告者に復讐するというような内容の作品だ。戦後間もないということもあって、戦争をめぐるこうしたエピソードは、まだ人々の関心を惹く時代だった。

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フレッド・ジンネマンの1948年の映画「山河遥かなり(The Search)」は、トーキー初期の頃にハリウッドにやってきて、長いこと下積み暮らしをしていたジンネマンにとって、始めての本格的な映画作品となった。テーマは、ナチスのホロコーストの犠牲になり、家族と別れ別れになったユダヤ人の少年が、母親を探し回った末に、見事再会を果たすというものである。ジンネマン自身ユダヤ人として、両親を殺されたりしているので、このテーマは彼にとっても痛切なものであった。とはいえ、自身のアイデアではなく、映画会社にあてがわれたものであった。

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2016年のフィンランド映画「オリ・マキの人生で最も幸せな日(ユホ・クオスマネン監督)」は、世界チャンピオンに挑戦するあるボクサーの生き方をテーマにした作品。結局かれのその夢は実現しなかったので、スター誕生というわけにはいかなかったが、そのかわりに、もっと素敵なものを手に入れる。好きな女性と結婚することができるのだ。だから、タイトルの「人生で最も幸せな日」というのは、ボクサーとしての夢が実現した日ではなく、恋人と共に結婚指輪を買いに行った日だったのである。

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1985年のソビエト映画「炎628(Иди и смотри エレム・クリモフ監督)」は、独ソ戦勝利40周年を記念して作られた。独ソ戦を、ベラルーシの一少年の視点から描いた作品。ベラルーシにおける独ソ戦といえば、ノーベル賞作家アレクシェーヴィチが「戦争は女の顔をしていない」で描写した女性の戦争参加が思い起こされる。こちらの映画は、少年の戦争参加をテーマにしているわけで、独ソ戦が、女や子供まで巻き込んだ凄惨なものだったということがよく伝わってくる映画である。

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ラウル・ベックの2017年の映画「マルクス・エンゲルス(Le jeune Karl Marx 独仏白合作)」は、マルクスとエンゲルスの若いころを描いた作品。原題に「若きカール・マルクス」とあるとおりマルクスが中心だが、エンゲルスにもかなりな役割が与えられている。1843年を起点に、1848年までの青春群像を描く。スタートの時点では、マルクスはライン新聞に扇動的な社会批判記事を書き、エンゲルスはマンチェスターにある父の工場の支配人である。その二人がパリで出会い、交流を深めながら、やがて「共産党宣言」を共同執筆するに到るまでの過程を描いている。

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1999年のドイツ映画「暗い日曜日(Ein Lied von Liebe und Tod ロルフ・シューベル)」は、ハンガリーにおけるホロコーストをテーマにした作品。それにハンガリー人が作曲し、世界的な大ヒット曲になった歌曲を絡めている。映画のタイトルと同名のこの歌曲は、人を自殺する気にさせ、事実大勢の人が実際に自殺したことから、自殺ソングと呼ばれた。フランスではダミアがシャンソン風に歌い、アメリカではビリー・ホリデイがジャズタッチで歌った。

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2017年のアメリカ製のドキュメンタリー映画「ラッカは静かに虐殺されている(City of Ghosts マシュー・ハイネマン監督」は、ISと戦うシリア人を描いた作品。いわゆるアラブ革命の一環としてシリアには反アサド運動が起き、北部を中心に内戦状態に陥った。その感激を縫うようにしてイスラム過激派のISが勢力を伸ばし、シリア北部を支配地におさめる勢いを呈した。ラッカは、そのISが本拠を置いた都市である。その町はまた、反アサド運動の経験を踏まえ、ISに対しても強固な抵抗運動をみせた。そんな抵抗運動の指導者たちに密着して、シリア人の反ISの戦いを描く、というような内容のドキュメンタリー作品である。

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2015年のスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち(En man som heter Ove ハンネス・ホルム監督)」は、妻に先立たれた孤独な老人が、死を求めてなかなか死ねないでいるところに、隣人との触れ合いを通して次第に生きることに前向きになってゆき、最後は人に看取られながら死ぬことができたというような、人生の意味を考えさせる作品である。

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ロイ・アンダーソンは、人類を神のような高みの視点から描くような、つきはなした描き方が得意だ。そういう一段上のレベルから見おろすことを、哲学用語では、超越論的という。ロイ・アンダーソンの映画には、そういう超越論的な視線を感じるのである。

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ロイ・アンダーソンは、不条理な雰囲気の映画を得意としているようで、2007年の作品「愛おしき隣人」も不条理たっぷりといったものだ。これは人間同士のコミュニケーションの不在をテーマにしたもののようである。だから「愛おしき隣人」とは、コミュニケーションを超えた他人という意味になるようだ。

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ロイ・アンダーソンの2000年の映画「散歩する惑星」は、かれとしては四半世紀ぶりに作った作品だ。前作が興行的に失敗し、長い間再制作に慎重だったのだが、やっとふんぎりがついて作る気になったということらしい。

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石井裕也の2021年の映画「アジアの天使」は、韓国を舞台とした日韓共同のロードムーヴィー。韓国在住の日本人三人と両親の墓参りに出かけた韓国人兄妹三人が、たまたま旅の列車の中で出会い、そのまま一緒に旅を続けるという内容。ロードムーヴィーの利点は、旅そのものがストーリーになることで、余計な細工をせずとも結構見せるものになる。この映画の場合には、二組の家族がそれぞれ格差社会の負け組である上に、複雑な過去を背負っており、生きるだけで精一杯ななかでも、一緒に旅をすることで、互いの感情が融和していき、新たな可能性を見つけるというような内容が付加されることで、映画としての厚みを感じさせる。

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