映画を語る

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石井裕也の2019年の映画「町田くんの世界」は、石井の作品の中ではかなりユニークなものである。この映画の中の主人公の少年も、やはり生き方が下手なのではあるが、ほかの映画の中の人物たちとは違って、生き方が下手なためにひどい目にあっているわけではない。逆に周囲の誰からも愛されるのである。もっともかれは誰彼なく愛してしまうので、自分だけを愛してほしいと願う者にはストレスを与える。かれは特定の人だけを独占的に愛することができないのだ。

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石井裕也の2011年の映画「ハラがコレなんで」は、貧しい人間たちの助け合いというか連帯をコメディタッチで描いた作品。石井裕也は、いわゆる負け組と称されるような人々のみじめな生き方を描くのが得意だが、この映画は、貧しいながらもみじめ一点張りではなく、それなりに自分に誇りを持ち、貧しいもの同士で助け合うことの大事さを強調したもの。いわば貧者の連帯がモチーフである。

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三宅唄の2022年の映画「ケイコ目を澄ませて」は、耳の聞こえない女性プロボクサーの生き方を描いた作品。元プロボクサー小笠原恵子の自伝「負けないで!」を映画化したものだ。彼女は、東京下町(荒川区)の小さなジムを拠点にして、プロとしてのみがきをかけ、試合に勝つことを目標に生きている。試合に勝つことは簡単ではない。耳が聞こえないというのは、かなりなハンディである。それでもこの女性は、自分のハンディに立ち向かい、勝つことにこだわる。

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石井裕也の2011年の映画「あぜ道のダンディ」は、金がないのに見栄っ張りな中年男の涙ぐましい生き方を描いた作品。妻に死なれ、男手で二人の子供を育ててきたはいいが、子供とのコミュニケーションがうまくとれないことに悩む。唯一幼馴染の友人を相手にうさばらしをするのが生きがいになっている。二人の子供は年子らしく、浪人中の長男と高校三年生の長女が同時に大学入学をめざしている。父親は金の自信がないのだが、金はあるから心配するなと子供らに見栄をはる。

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三宅唄の2018年の映画「きみの鳥はうたえる」は、若い男女の奇妙な三角関係を通じて、現代日本社会における若者の生きざまを描いた作品。本屋に働く男女がまず結びつく。男にはルームシェアする友人がいて、その友人も女に関心を示す。そのうち女は友人とできてしまう。その女は以前、勤め先の本屋の店長ともできていたので、その尻の軽さが際立って見える、といった内容の映画である。

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1994年のニュージーランド映画「乙女の祈り(Heavenly Creatures ピーター・ジャクソン監督)」は、少女同士の同性愛をテーマにした作品。映画の舞台は1953年頃のニュージーランドの都市部ということになっており、その時代のニュージーランドでは、同性愛は許されなかった。社会には同性愛者を受け入れる余地は全くなく、異常性格あるいは若気の至りの逸脱と思われていた。そんな社会で未成年の少女同士が同性愛に陥ったらどういうことになるか。実の親を含めた社会全体から、異分子として排除されるほかはない。そういった息苦しさを描いた作品である。

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1993年のニュージーランド映画「ピアノ・レッスン(The Piano ジェーン・カンピオン監督)」は、ニュージーランドの開拓地を舞台に、ある女性の愛と悲しみを描いた作品。これを小生は、もう30年近くも前に劇場で見たのだったが、その折には、手の込んだ恋愛映画くらいにしか受け取らなかった。異常な恋愛ではあったが、また理解しがたい結末だったが、男女の恋愛がテーマと言えたからだ。

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1996年の映画「シャイン」は、オーストラリアに実在したピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた作品。メルボルンに生まれ育ったデヴィッドが、厳格な父親との葛藤に直面しながら、父の反対を押し切ってイギリスの王立音楽院に入学し、一流のピアニストになっていく過程を描く。どういうわけか彼は精神障害を患うようになり、オーストラリアに戻ったのちも父親との和解がうまくいかず、ピアニストとして前途を絶たれるのであるが、ある女性と出会うことで、生きることに自身を取り戻す、というような内容である。

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1982年のオーストラリア映画「危険な年(The Year of Living Dangerously ピーター・ウィアー監督)」は、1965年9月30日にインドネシアで起きたクーデターをテーマにした作品。このクーデターの背後関係など詳細はわからないが、これがきっかけでスカルノが権力を失い、スハルトが新たな権力者になった。スハルトが主導したクーデター鎮圧作戦は、共産党員や反政府分子の弾圧を伴い、100万人以上のインドネシア人が虐殺された。ブンガワン・ソロが血で染まったことは有名な話である。その虐殺の様子については、2012年のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」がショッキングな描き方をしている。

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1981年のオーストラリア映画「誓い(Gallipoli ピーター・ウィアー監督)」は、第一次大戦に英軍側にたってトルコ軍と戦うオーストラリア兵を描いた作品。オーストラリアがなぜ英軍の友軍として参加したかについては、色々な事情があるのだろう。映画はそのことについては触れない。オーストラリア人がイギリスのために戦うのは当然だという前提にたっている。オーストラリアがイギリスから独立したのは1901年のことであり、第一次大戦の時期には独立国家だったわけだから、なにもイギリスに義理立てして戦争に参加することはないと思うのだが、オーストラリアはイギリスの植民地として始まり、イギリスを本国視する慣習が身についていたようなので、イギリス側にたってトルコと闘うのは当たり前のことだったようだ。

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1975年のオーストラリア映画「ピクニックatハンギング・ロック(Picnic at Hanging Rock)」は、寄宿制女学校の生徒たちの謎の失踪事件を描いた作品。生徒たちが学校近くのハンギング・ロックという岩山にピクニックしたさいに、三人の生徒と一人の教師が謎の失踪をする。そのため、学校は無論、地元の警察や住民も大騒ぎをする。生徒のうちの一人は生きて見つかるが、他の三人はついに見つからない。一方、この学校の校長は、生徒の命より学校の経営のほうを大事に考え、貧しくて授業料を払えぬ生徒を追い出そうとする。それに絶望した生徒は自殺し、校長もまた事故死する、というような内容だ。

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2014年のノルウェー映画「バレエボーイズ Ballettgutteneケネス・エルベバック監督」は、プロのバレエダンサーを目指す少年たちを追跡したドキュメンタリー作品。同じダンススクールに通っていた三人の少年たちの成長する様子を、四年間かけて記録したものを編集した。男子がバレエダンサーを目指すというのは、おそらくノルウェーでも珍しいのであろう。だから、その少年たちに注目して、時間をかけてドキュメンタリーに仕上げようというアイデアが出てくるのは、不自然ではない。


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2011年のノルウェー映画「15歳、アルマの恋愛妄想」は、思春期の少女の性衝動をテーマにした作品。15歳のアルマが、性衝動に駆られて、マスターベーションに耽る一方で、好きな男子とのセックスを妄想するというような内容である。少女の性衝動の現れは常軌を逸しているように見えるので、母親は娘が色きちがいになってしまったのではないかと心配する。また、その色情が学校の同級生にも疎まれ、アルマは孤立を感じる。日本人にはちょっと考えにくい設定だが、発育が速い大柄なノルウェー人には珍しいことではないのだろう。

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2002年のノルウェー映画「キッチン・ストーリー(ベント・ハーメル監督)」は、ノルウェー人とスウェーデン人との奇妙な関係を描いた作品。スウェーデン側が、ノルウェー人を実験材料につかって商売上の研究を進めることに、材料にされたノルウェー側が複雑な反応をする。その反応ぶりを見ていると、ノルウェーにはスウェーデンへのコンプレックスがあるのではないかと感じさせられる。スウェーデンはデンマークに対しては劣等感を抱いているようなのだが、ノルウェーに対しては優越感情を持っているようである。そんなことが伝わってくる映画である。

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2017年のノルウェー映画「ザ・ハント ナチスに狙われた男」は、第二次大戦中ナチスドイツに侵略されたノルウェーの対独抵抗作戦をテーマにした作品。事実に基づいているとのアナウンスがあるので、実際にあったことなのだろう。イギリスで訓練を受けたノルウェー人12人が、対独工作要因としてノルウェーで活動するが、一人を残して捕らえられ、捕らえられたものらは拷問を受けたうえで殺される。残った一人は、作戦の報告を目的に、スウェーデンへの脱出をはかる。それをナチスの一将校が執拗に追う、というような内容。見方によっては、対独レジスタンスとも、サバイバル・サスペンスとも受け取れる。

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2018年のノルウェー映画「ウトヤ島、7月22日」は、2011年7月22に日に起きた右翼の連続テロ事件のうち、ウトヤ島で起きた事件を描いた作品。この事件は、たった一人の右翼の男が引き起こしたもので、まずオスロ市内の政府庁舎を連続爆破したのち、夕刻にはウトヤ島でキャンプを張っていた数百人の青年たちに襲いかかり、無差別に銃殺したというもの。全体の規模としては77人の死者と319人の負傷者を出した。そのうち69人がウトヤ島で殺されたという。このショッキングな事件が、たった一人の男によってなされ、それに対して警察が有効な対応をとれなかったということで、世論の厳しい批判を巻き起こした。もっとも警察当局は、適切な対応をとったと強弁して、涼しい顔をしたそうである。

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2018年のノルウェー映画「キング・オブ・トロール勇者と山の巨神」は、ノルウェーの伝説に題材をとった作品。トロールというのは山の精霊のような動物で、北欧諸国の伝説に出てくるのだそうだ。ハイネの長編詩に「アッタ・トロル」というのがあるが、それもトロールのことだと思う。アッタ・トロルは熊の姿をしている。この映画の中のトロールも熊の怪物としてイメージされている。

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松岡錠司の2007年の映画「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン」は、リリー・フランキーの自叙伝を映画化した作品。リリー・フランキーは、「そして父になる」や「万引き家族」など、是枝正和映画の常連として知られているが、エッセーやイラスト、ラヂオ放送などをこなすマルチ・タレントだそうだ。その彼が、若くして書いた半生の自叙伝が大変話題となり、テレビドラマになったり映画化されたというわけだ。

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奥田瑛二の2006年の映画「長い散歩」は、家族崩壊で孤独になった老人と、母親から虐待されている少女の心の触れ合いを描いた作品。この二人は、現実の過酷さを逃れて旅をすることになるので、日本人には人気のあるロード・ムーヴィーとしてもよくできている。旅の先にはむろん理想郷は待っていない。老人は児童誘拐で監獄に入れられる。だがそのことを悔いはしない。かといって、自分の行為に満足はしていないようだ。答えなどありようはずがない中で、老人はまたあてもない旅に出るようである。

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深作欣二の2000年の映画「バトルロワイアル」は、ある種のサバイバルゲームを描いた作品。ある種のというのは、文字通り命を懸けたゲームで、数十人の中から生き残れるのはたった一人だけというものだ。そのゲームを、どうも日本国家が率先して実施している。健全な青少年を育成するには、腐敗分子を間引く必要があるという思想が、そこには感じられるのである。したがってこれは、明らかに優勢主義思想の落とし子である。この映画は、日本でより欧米で評判になったそうだが、欧米ではこんなにあからさまな優生主義思想は受け入れられる余地がなく、したがってこんな映画は作られないからであろう。

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