映画を語る

丹下左膳余話百万両の壺:山中貞雄

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丹下左膳シリーズはちゃんばら映画の定番として、戦前から戦後にかけて夥しい数の作品が作られた。左膳を演じた俳優の数も、この種のシリーズものとしては群を抜いて多い。筆者などは、団塊の世代の一員として、大友柳太郎の演じる左膳を、ことさらかっこよく感じたものだ。しかし、全時代を通じて最も人気の高かった左膳役者と言えば大河内伝次郎だろう。大河内伝次郎は、無声映画の時代から派手な立ち回りで左膳を演じ、トーキー時代になっても、「シェイはタンゲ、ナはシャジェン」というあの伝説的な台詞回しで一世を風靡した。

五人の斥候兵:田坂具隆

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先の戦争中にはおびただしい数の戦意高揚映画が作られた。大別すると戦場の模様をリアルに伝えるドキュメンタリー風の映画と、兵士の戦いや暮らしをテーマにした劇映画に分けられる。ドキュメンタリー映画については、亀井文夫がもっとも優れた業績を残したといえよう。一方劇映画については、田坂具隆が特筆されるべきだろう。「五人の斥候兵」は「土と兵隊」と並び、田坂の戦争映画の傑作と言うべき作品だ。

狂った一頁:衣笠貞之助

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衣笠貞之助が1926年に作った映画「狂った一頁」は、佐藤忠男によれば、日本の映画史上最初の芸術的な作品ということである。それまでの日本映画は、ただの娯楽であって、芸術とは縁がないと思われていた。ところがこの映画が出たことで、日本の映画もやっと芸術に目覚めた。日頃映画について無関心であった日本のインテリ層も、この映画を見ることで、映画を見直すようになった、というのである。

鳥:アルフレッド・ヒッチコック

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ヒッチコックは「サイコ」で、従来の正統派のミステリー・サスペンスからはみ出したホラー映画というべきものを作ったわけだが、それが新しさを感じさせたのは、狂った人間を主人公にした点にあった。狂った人間というのは、予測不可能な行動をする。そこが正常な人間にとっては不気味である。人間というものは、世界についての一定の了解の上に立って生きているわけだから、その了解が足場を失うと、不安に陥らざるを得ない。狂った人間ほどこの了解を破壊するものはないゆえ、彼らは人を不安にさせるわけである。その不安は無論、ホラーをもたらす。「サイコ」が映画として成功したのは、このホラーをもたらしたことにある。

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アルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ(Psycho)」は、今日サイコ・スリラーと呼ばれている映画のジャンルを確立した作品である。1960年にこの作品が公開されて以来、すべてのサイコ・スリラー映画はこの作品を手本にしているといってよい。ということは、この映画によってかなり強固なステロタイプが成立したということだ。そのステロタイプとは、人間の精神異常は他の人間の気晴らしになりうるという信念をさす。ステロタイプいうのは、ある種の信念無しには成立しないものなのである。

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アルフレッド・ヒッチコックには、国際スパイ組織の暗躍をテーマにした「スパイアクション」というべき一連の作品があるが、「北北西に進路を取れ(North by NorthWest)」はその集大成と言ってよい。ヒッチコックの映画の中でも、もっとも成功したものの一つだ。その理由は、タフな男の息をつかせぬ活躍ぶりに、美人の女スパイとの恋を絡ませたところにある。派手なアクションと男女の恋はアメリカ人のもっとも好むところであるから、それらをともに満喫させてくれるこの映画が大ヒットしたのは当然だろう。

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世界映画ランキングのベスト・ワンと言えば、長い間オーソン・ウェルズの「市民ケーン」の指定席のようなものだったが、21世紀になってまもなく、イギリス映画協会がヒッチコックの「めまい(Vertgo)」をベスト・ワンに選んで以来、多くの国でそれに追随する動きが広がり、いまやこれこそ世界映画史上最高の作品だと言う評価が定着するようになってきた。

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アルフレッド・ヒッチコックの1956年公開の映画「知りすぎていた男(The Man Who Knew Too Much)」は、暗黒組織の国家的な陰謀をテーマにしている点で、「三十九夜」とよく似ている。「三十九夜」は、陰謀に巻き込まれた男が、偶然知り合った女性とともに、少ない手がかりをもとに陰謀を解明し、自分の身の潔白を証明するところを描いていたが、「知りすぎた男」は、国家的な陰謀に巻き込まれたうえに息子をさらわれた夫婦が陰謀を暴いて息子を取り戻すところを描いている。

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ヒッチコックは「ロープ」において、マンションの一室を舞台にした一場ものの作品を作ったが、「裏窓(Rear Window)」もその延長といえる作品である。全編が一つの場面に固定されている。両者の違うところは、「ロープ」では部屋の中に据えられたカメラが、部屋の中だけを写すのに対して、「裏窓」では部屋の中に据えられたカメラが、部屋の中だけではなく、部屋の外も映し出すところだ。

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「ダイアルMを廻せ(Dial M for Murder)」は、完全犯罪の目論見を描いた映画だ。目論見というのは、完全犯罪が思惑通りに完結しないで、犯罪が最後には暴露してしまうからだ。暴露してしまった犯罪は完全犯罪とはいえない。そこで目論見というわけである。

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アルフレッド・ヒッチコック( Alfred Hitchcock )の映画「見知らぬ乗客( Strangers on a Train )」は、サイコ・サスペンスの秀作と言ってよいだろう。サイコ・サスペンスとは、精神異常者の異常な言動に善良な人々が振り回されるというパターンが主流で、同じくヒッチコックの作品「サイコ」がその頂点をなす。「見知らぬ乗客」は、その走りをなすものと位置付けてよい。

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アルフレッド・ヒッチコック( Alfred Hitchcock )の映画「ロープ( Rope )」は、色々な点で映画作りの常識を破るような作品である。まず、構成が型破りだ。作品全体が、ワンシーン・ワンカットでできている。舞台はマンションの一室で、そこに複数の登場人物が出てきて、様々な会話を交わすという設定だ。まるで、一幕ものの舞台を見ているような感じなのだ。舞台と違うところは、適度にカメラアングルを変えたり、クローズアップを挟んだりして画面にある程度の変化をもたらしているところだが、それにしても、普通の映画とは全く違うイメージでできている。

おくりびと:滝田洋二郎

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滝田洋二郎の映画「おくりびと」は、納棺業の世界を描いた作品だ。納棺というのは、葬儀にかかわる業務の一つで、死者を棺に納める仕事のことである。棺に納めるに当たって、遺体の清浄とか死装束を施すという作業を併せて行う。葬儀という儀式は、死者をあの世に送り出すということから、それにたずさわる人々はみな「おくりびと」と言ってよいのかも知れぬが、死者にかかわる葬儀の中でも、納棺という仕事をする人は、直接死者に触れるということから、この「おくりびと」という言葉がもっともふさわしいと言えよう。

ALWAYS 三丁目の夕日:山崎貴

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「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年(1958)頃の東京の庶民生活を描いた映画だ。昭和33年といえば、東京でアジア大会が開かれ、東京タワーが登場した年だ。東京が戦後の瓦礫を乗り越えて、復興に向けて前進の歩みを力強く加速させた年である。だから、人々の心の中には、戦争への辛い記憶と、将来への希望とが入り混じっていたことと思う。この映画は、その明るい希望に焦点をあてて、当時の人々の暮らしぶりを描き出した。

パッチギ!:井筒和幸

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2006年の1月に公開された映画「パッチギ!」は、在日朝鮮人と日本人の軋轢を描いたものだ。要するに民族同士の軋轢がテーマなわけだが、軋轢といっても、日本国内を舞台としてのことだから、日本人による在日朝鮮人の迫害というような色合いが強い。だが、弱い立場のものが強い立場のものに一方的に迫害されているところを描いているかといえば、そうではない。この映画の中では、在日朝鮮人は、たしかに弱者としては描かれているが、卑屈な人間集団としては描かれておらず、差別をする日本人に立ち向かう勇敢な人間たちとして描かれている。

誰も知らない:是枝裕和

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是枝裕和の映画「誰も知らない」は、児童遺棄(子供置き去り)を題材にしたものだ。1988年に実際にあった事件をもとに2004年に映画化した。親が子供を見捨てたおかげで、取り残された子供たちが悲惨な境遇に陥り、そのあげく兄弟の一人が死んだという事件だったが、是枝は詳細については脚色を加えながら、事件の骨格をほぼそのまま再現したという。

HANA-BI:北野武の暴力

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映画作家としての北野武を、作家の赤坂真理は「『ほとんど暴力だけ』の作品を何作も続けて撮った」と言っているが、「HANA-BI」もやはり暴力の描写だけで成り立っている作品だ。この作品はヴェネチア映画祭で金獅子賞をとったくらいだから、世界的に評価されたわけだが、それは暴力の描き方が世界中の共感を呼んだからなのか。赤坂は、北野が描いた暴力を「時代に抑圧された身体性の叫び」と言っているが、そのような叫びが、北野が映画造りをしていた1990年代以降世界中に蔓延していたということなのか。

月はどっちに出ている:崔洋一

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崔洋一の映画「月はどっちに出ている」は、在日韓国・朝鮮人を主人公に据えて、彼を取り巻く在日韓国・朝鮮人社会のあり方や、フィリピンからの出稼ぎ女性に象徴される日本社会の中のエスニックは要素について描いた作品だ。それまでは、在日韓国・朝鮮人たちが、映画の中で描かれることはあっても、日本にとっての他者として、あるいは憐憫の対象として描かれるのがほとんどで、この映画のように、彼らを一人の普通の人間として描いたものはほとんどないといってよかった。この映画は、その意味で画期的な意義を持つ作品だと言えるのではないか。

夢千代日記:浦山桐郎

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映画「夢千代日記」は、1981年2月から1984年3月にかけて、三回のシリーズにわけて断続的に放送されたテレビドラマを映画化したものだ。テレビ、映画とも主人公の夢千代を演じた吉永小百合は、この作品を通じて、それまでの清純派女優のイメージから脱して、陰影を感じさせる大女優へと成長した。吉永を女優として売り出した浦山桐郎が、その吉永を風格ある大女優にしたわけで、吉永本人にとってこの映画は感慨深いものがあろうと思う。

蒲田行進曲:深作欣二

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「蒲田行進曲」は、松竹蒲田撮影所の所歌として歌われたという。戦前の流行歌で、蒲田撮影所とは直接の関係はないようだが、なぜか蒲田撮影所のシンボルとして関係者から愛されたのだそうだ。その「蒲田行進曲」を冠した映画だから、当然蒲田撮影所が舞台になっているのだろうと、誰もが受け止めるところだが、この映画の舞台になっているのは、松竹蒲田撮影所ではなく、東映の京都撮影所なのである。しかもこの映画は、松竹の肝いりで作られたが、東映出身の深作欣二が監督を勤めている。妙な因縁を感じさせる映画である。

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