映画を語る

遥かなる山の呼び声:山田洋次

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1980年公開の山田洋次の映画「遥かなる山の呼び声」は、1950年代に大ヒットした西部劇映画「シェーン」の主題歌の日本語題名である。そんなこともあってこの映画は、「シェーン」を連想させるものがある。風来坊が突然やってきて一家にいつき、一家のためにいろいろ手助けをしているうちに、その家の子どもやその母親から愛されるようになる。だが最後には風来坊は何も言わずに去ってゆく。その去りゆく風来坊の背後から小さな男の子が「シェーン・カム・バック!」と叫ぶ。その場面を記憶している人もいるだろうと思う。

幸福の黄色いハンカチ:山田洋次

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四十年近く前に「幸福の黄色いハンカチ」を暗い映画館の中で見たとき、筆者はなんともいえない強い情動に捉われ、闇の中を涙が流れてくるままにしたものだった。四十年ぶりに自分の家の中でDVD装置で見返したときも、やはり同じような情動に捉われた。今度は自分の家の中であるから、涙が流れるのを遠慮することはない。

同胞:山田洋次

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山田洋次の映画「同胞」が公開されたのは1975年のことだが、その時点でもこれは日本社会をかなりアナクロニスティックな目で捉えているという印象が否めない。この映画は表向きには農村の啓蒙とか、農村青年たちの団結とかをテーマにしているのだが、高度成長が絶頂期にさしかかっていたこの時期は、日本の農業が大きな転換期、つまり解体に向かっての歩みを始める時期に当たっているので、こうしたテーマはすでに時代遅れになっていたことは否めないのである。しかし別の見方もありえないわけではない。

故郷:山田洋次

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「故郷」は、「家族」同様家族の絆を描いた作品だ。「家族」では故郷を捨てて北海道に新天地を求めに行く家族の姿が描かれていたが、この作品では一家が故郷を捨てるまでの過程が描かれている。

家族:山田洋次

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山田洋次は、「男はつらいよ」シリーズを年二回のペースで作り続け、その合間に単発的な作品を結構多く作った。1970年の「家族」はその走りといえるものだ。映画評論家の中には、「男はつらいよ」シリーズを盆・正月用の興業を当て込んだ娯楽作品とし、「家族」を含めたその他の作品を芸術的な作品だと分類するものもいるが、そんなふうに単純に分けられるものではない。作品に流れている叙情的な雰囲気は共通しているし、人間を感傷的に描き出しているところも同じだ。要するに、人間の心のふれあいに拘っている。

男はつらいよ:山田洋次

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「男はつらいよ」シリーズは、1969年から1995年までの26年間にわたり48本の作品が作られた。日本はもとより世界的に見ても、息の長い人気を誇ったシリーズで、ギネスブックにも登録されたほどだ。なぜこんなにも長い間、高い人気を誇ったのか。それを明らかにするためには、改めて全作品に目を通したうえで、多角的な視点から構造的な分析を施す必要があると思うが、筆者は一映画ファンに過ぎないので、とりあえず、第一作を見た限りでの印象を述べてみたいと思う。

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ブニュエルは「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」で、ヨーロッパのブルジョワたちの不道徳な生き方をあっけらかんとしたタッチで描いたのだったが、その続編ともいうべき「欲望のあいまいな対象(Cet obscur objet du désir)」は、不道徳な欲望そのものが生き方を支配するに至った、呪われた無信仰者をウェットなタッチで描き出した。異星人がこの映画を見れば、地球人の本質がわかるだろう、そんなブニュエルの思いが込められた作品だ。

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ルイス・ブニュエルが1972年に作った「ブルジョワジーの秘かな愉しみ(Le Charme discret de la bourgeoisie)」は、現代人の虚妄振りを描き続けてきたブニュエルにとって、中間決算のようなものといえる。ここでブニュエルは、現代人の虚妄のカタログから、愚かしさ、不道徳、無信仰といったものに加え、好色、貪欲、暴力といったさまざまな要素を取り混ぜて料理している。まさに七つの大罪のオンパレードといったところだ。ひとつ嫉妬が含まれないのは、飽食した現代人には、嫉妬の感情は無縁になった、とブニュエルが考えたためだろう。

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ルイス・ブニュエルの映画「哀しみのトリスターナ(Tristana)」は、フランス資本で作られたフランス映画ということになっているが、舞台はスペインだし、カトリーヌ・ドヌーヴはじめ登場人物はすべてスペイン語をしゃべっているので、実質的にはスペイン映画と言ってよい。だが、映画の内容には、スペインを舞台に選ばねばならぬ決定的な理由はない。フランスを舞台にして、フランス語をしゃべっていてもなんら問題はないわけだ。なのに何故ブニュエルは、こんな手の込んだことをやったのか。その理由は、やはりこの映画の不道徳なところにあるようだ。ブニュエルはフランスで映画造りを再開して以来、フランス人の愚かさや不道徳さや無信仰ぶりを執拗に描いてきたわけだが、それがフランス人の愛国感情に触れた側面もあった。だからまたしも同じようなことをして、フランス人を怒らしては、今後フランスで映画造りを続けられなくなる恐れがある。そこでブニュエルは、日頃フランス人に対して抱いていた皮肉な感情を、そのまま祖国のスペイン人に投影して、わずかに自分の創作意欲を満足させようとしたのではないか、どうもそんなふうに受け取れる。

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スペイン人として隣国の民フランス人の愚かさや不道徳振りをあばき続けてきたルイス・ブニュエルは、「銀河(La Voie lactée)」では、フランス人の無信仰について、もしそう言ったら言い過ぎになるなら、フランス人の信仰の欺瞞性について暴きだした。もっとも(この映画のなかで描かれた)フランス人はカトリックであるから、その欺瞞性をあばくことは、同じカトリック教徒であるスペイン人に跳ね返ってこないとも限らない。どちらにしてもブニュエルは無神論者なので、その立場から見た宗教の欺瞞性を、この映画のなかで描き出したともいえよう。

昼顔(Belle de Jour):ルイス・ブニュエル

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スペイン人であるルイス・ブニュエルは「小間使いの日記」でフランス人の愚かさを描いたが、「昼顔(Belle de Jour)」では、愚かさに加えフランス人の不道徳な生き方を描いた。ブニュエルの目にはフランス人はとことん不道徳に映ったようだ。といってもブニュエルは、なにも特別なことをことさらに描いたわけではない。フランス人にとってはごく日常的でありふれたことを描いたに過ぎない。それでも出来上がった作品は十分な不道徳さを感じさせる。フランス人は生きながらにしてそのまま不道徳な人間だからだ、そんなブニュエルの思いが、この映画からは伝わってくる。

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ルイス・ブニュエルは第二次大戦後、メキシコとスペインで映画を作ったあと、1963年にフランスにやってきて、以来フランスで映画を作り続けるようになる。ブニュエルはスペインの生まれであり、メキシコでも活躍しているのだが、一応フランスを代表する映画作家の一人に数えられている。それは初期の作品とともに、晩年の多くの作品をフランスで作ったことにもとづいている。「小間使いの日記(Le Journal d'une femme de chambre)」は、フランス復帰後最初に作った映画である。

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ルイス・ブニュエルは第二次大戦後メキシコへ渡り、そこで低予算映画を何本か作った。1950年の作品「忘れられた人々(Los Olvidados)」はその代表作である。メキシコ・シティの下層社会を描いたこの映画は、よくイタリアのネオ・レアリズモと比較される。社会の底辺で貧困にあえぐ人々の生き方をドライなタッチで描いていることに共通性があるからだ。しかし同じ貧困といっても、戦後のイタリアとメキシコでは根本的に異なる。戦後のイタリアは戦火の打撃からまだ回復できず、いわば戦争の犠牲者たちが一時的に貧困状態に陥っていたのに対して、メキシコの貧困は恒常的なものだ。それはメキシコ社会の根本的なあり方を表している。だからそれを正面から描き出すことは、メキシコへのドラスティックな批判を伴わざるを得ない。

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ルイス・ブニュエルがサルヴァドーリ・ダリと共同で作った映画「アンダルシアの犬(Un Cien Andalou)」は、映画におけるシュル・レアリズム宣言だと言われている。この映画によってルイス・ブニュエルはシュル・レアリストの映画作家と認められ、ダリはシュル・レアリストの芸術家としてデビューした。もっとも、ダリはその後もシュル・レアリズムと密接な関係を持ち続けたが、ブニュエルのほうはかならずしもそうではなかった。この作品に続く「黄金時代」はまだシュル・レアリズムへの傾斜を感じさせるが、その後は次第にシュル・レアリズムから遠ざかり、戦後はガチガチのレアリズム作品を作るようにもなった。

滝の白糸:溝口健二

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溝口健二はサイレント時代に大家としての風格を示した。彼のサイレント映画は新派狂言を映画化したものが殆どだ。それらは彼の属していた日活向島撮影所のカラーを反映していた面もあったようだ。残念なことにそれらの殆どは失われてしまったが、「滝の白糸」については、現存する痛んだフィルムをもとに編集されたデジタル・リマスター版を見ることができる。これは「カチューシャ」のメロディをバックに、字幕と弁士による読み上げをともなったもので、わかりやすい。

エノケンの法界坊:斎藤寅次郎

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斎藤寅次郎は日本の喜劇映画の草分けで、サイレント時代に夥しい数の喜劇映画を作った。その殆どは失われてしまったが、現存する作品などを見ると、アメリカのスラップスティックコメディを思わせるような軽妙なドタバタ喜劇といった趣向のものだったようだ。山田洋次の「キネマの天地」のなかで、斎藤寅次郎の演出ぶりの一端が紹介されているが、それを見る限り、かなり洒落た感覚の持ち主だったと思われる。

風の又三郎:島耕二

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童話「風の又三郎」は、宮沢賢治の死の翌年(1934年)に刊行された。これは草野心平の努力による賢治全集刊行の一環としてなされたことで、この全集によって、生前無名に近かった賢治は一躍注目を浴びた。中でも「風の又三郎」は賢治の童話を代表するものとして、多くの日本人に受け入れられた。島耕二はこの童話を1940年に映画化したが、この映画によって「風の又三郎」人気にさらに拍車がかかったといわれている。映画評論家の佐藤忠男は、この映画が「風の又三郎」を世に知らしめたというような言い方をしているが、映画が童話を有名にしたのか、童話の人気の高さが映画化を促したのか、筆者には判断がつかない。

兄いもうと:木村荘十四

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木村荘十四の1936年の映画「兄いもうと」は、室生犀星の同名の短編小説を映画化したものだ。この短編小説は戦後も、成瀬巳喜男、今井正によって映画化されたほか、テレビドラマにもなったくらいから、日本人の気持にしっくりするものがあったのだろう。

小島の春:豊田四郎

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豊田四郎が1940年に作った映画「小島の春」は、ハンセン病患者の隔離をテーマにしたものだ。瀬戸内海の長島にあるハンセン病隔離施設の医官をしていた小川正子が、前々年の秋に出版した手記をもとにしている。この手記は、小川が医官としての立場から各地のハンセン病患者を施設に隔離する経緯を記録したもので、刊行されるや大きな反響をよんだ。その反響に答える形で、一年ちょっと後に映画化された。

若い人:豊田四郎

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豊田四郎は文芸作品の映画化を得意とした。文芸作品というと漠然としているが、昭和時代にこの言葉を使うと、それには西洋かぶれの作品というイメージがまといついていた。それまでの日本の伝統的な文芸といえば、説経や講談など語り物の延長で、それを芝居にすると新派劇のようなものになった。それに対して新しい文芸作品は、洋風のハイカラさを感じさせた。豊田は映画の中にそうしたハイカラさを持ち込んだわけである。

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