映画を語る

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吉田喜重の1973年の映画「戒厳令」は、北一輝の半生を描いた作品。吉田は、大杉栄をテーマにした作品とか戦後における日本共産党の盲動ぶりをテーマにした作品を作るなど、日本現代史に取材した作品をいくつか作っている。「エロス+虐殺」は、大杉栄をかなり戯画化していたし、「煉獄エロイカ」は日本共産党を誹謗するような意図を感じさせる。それに対してこの「戒厳令」は、北一輝という人物を徹底的に矮小化している。北をどう評価するかについては、政治的な見方を含めて様々だろうが、かれが日本近代史におけるある種の巨人であったということは、無視できるものではないので、それをこの画のように矮小化するのは、やはり問題があるのではないか。

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吉田喜重には、人を食ったような悪ふざけに興じるところがある。1970年の作品「煉獄 エロイカ」はそうした傾向を強く感じさせるものだ。前年に作った「エロス+虐殺」にもそういう傾向があらわれていたが、この作品はそれをもっと表面化させ、そのことである種のグロテスク趣味に陥っている。

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吉田喜重の1966年の映画「女のみづうみ」は、中年女の婚外性交をテーマにした作品。婚外性交とは、いまふうに言えば不倫である。映画の中では浮気という言葉も使われている。その浮気ないし不倫のツケというべきものが、この映画の主題的なテーマである。

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吉田喜重の1962年の映画「秋津温泉」は、頭のちょっと弱い女と、頭のかなりいかれた男との、支離滅裂な恋愛劇である。支離滅裂というのは、互いに惚れあっていながら、結びつくことが怖くて、かえって心中したほうがましだと思いながら、それでも結びつくことを求めて呻吟し、呻吟しているうちに年をとってしまうからである。その支離滅裂な恋愛劇が、岡山県の山間部にある秋津温泉を舞台にして展開する。秋津温泉そのものは実在しない。実在するのは奥津温泉である。

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グレタ・ガーウィグの2017年の映画「レディ・バード(Lady Bird)」は、思春期の少女が大人になる過程を描いた青春映画である。日本では、少女を主人公とした青春映画は、無知な子供だった少女が、大人の人間関係や社会的なルールを身に着けていく過程を描くものが多く、恋愛が絡んでいてもプラトニックなレベルにとどまるのが普通だが、この映画は、少女のセックスを正面から取り上げ、大人になることはセックスを思い通りにするようになることだというような描き方である。やはり民族性の相違だろうか。

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2013年のアメリカ映画「それでも夜は明ける(12 Years a Slave スティーヴ・マックィーン)」は、アメリカの奴隷問題をテーマにした作品。19世紀前半のアメリカが舞台。その頃のアメリカ合衆国は奴隷制度が合法だったのだが、北部では自由黒人という範疇の人たちが存在していて、自由人として暮らせていた。自由黒人証明書というものが発行され、その証明書がかれらの安全を保障していた。ところが、悪い白人の手にかかって、南部に奴隷として売られ、ひどい目にあう黒人が多くいたらしい。この映画は、自由黒人でありながら、白人のならず者に騙され、南部の奴隷所有者に売られた黒人を描いている。

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クリント・イーストウッドの2009年の映画「インビクタス(Invictus)」は、南アフリカ初の黒人大統領になったネルソン・マンデラの人種融和政策をテーマにした作品。イーストウッド映画でなじみのモーガン・フリーマンがマンデラを演じているが、そのフリーマンが、原作の映画化権を手に入れて、イーストウッドに監督を依頼したといういきさつがある。

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クリント・イーストウッドの2008年の映画「グラン・トリノ(Gran Torino)」は、いわゆるラスト・ベルト地帯を舞台にして、頑固な老人と新来の東洋人家族との触れ合いを描いた作品。イーストウッド演じる頑固な老人が、隣人の子供らが苦境に苦しんでいることに同情し、命をかけて守ろうとするところを描く。その老人はたびたび吐血に見舞われ、死を覚悟していた。どうせ死ぬなら意味のある死を死にたい。そんな切実さが伝わってくる映画である。

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クリント・イーストウッドの2008年の映画「チェンジリング(Changeling)」は、失踪した息子のかわりに他の子供を、警察によって息子として押し付けられた母親の戦いをテーマにしたもの。警察の横暴ぶりと、それに立ち向かって自由と正義を実現しようとするキリスト教社会の行動ぶりなど、いかにもアメリカらしいテーマである。この映画を見ると、クリント・イーストウッドが敬虔なキリスト教徒であることが伝わってくる。イーストウッドは、日本では右翼的な印象を持たれているが、この映画を見る限り、右翼というよりは、まっとうなキリスト教徒(穏健な保守派)とう印象を受ける。

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クリント・イーストウッドの2004年の映画「ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby)」は、プロボクサーを目指す貧しい女性が、実力と運で人気ボクサーになりあがった末に、試合中に被った怪我がもとで廃人になる過程を描く。スポーツ根性ものの要素に、ヒューマンドラマの味を加えたような作品だ。

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クリント・イーストウッドの1995年の映画「マディソン郡の橋(The Bridges of Madison County)」は、ロバート・ウォーラーの同名の小説を映画化したもの。原作は1992年に刊行されるや爆発的なヒットを記録し、日本でも早速翻訳されて大評判となった。小生もその評判につられて読んだ一人だったが、読んでの印象はあまりはかばかしくなかった。中年男女の不倫の恋を描いたこの小説のどこが面白いのか。発想が子供じみているし、官能的なところもない、などと思ったものだ。

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クリント・イーストウッドの1992年の映画「許されざる者(Unforgiven)」は、賞金稼ぎをテーマにした西部劇である。賞金稼ぎというのは、一時期の西部劇ブームで大きな存在感を示していた。こういう輩が開拓時代のアメリカで活躍したのは、その時代のアメリカ社会の治安の悪さのためである。犯罪の被害者となった者が、司法に期待できないために、自力で正義を実現しようとする。その正義の実現のために手を貸すのが賞金稼ぎである。したがって賞金稼ぎには一定の存在理由が認められ、社会的に排斥されることは少なかったらしい。

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クリント・イーストウッドの1988年の映画「バード(Bird)」は、伝説的なジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーの伝記映画である。伝記といっても、パーカーの生涯を満遍なくカバーしているわけではない、パーカーをめぐるいくつかのエピソードをコラージュ風につなぎあわせたものである。

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山田洋次の1963年の映画「下町の太陽」は、山田の駆け出し時代の作品で、かれにとっては二作目の劇場用長編映画だった。それに倍賞千恵子が主演した。この若い女性の青春を描いた映画は、同名の主題歌と共に大ヒットし、山田にとっても賠償にとっても出世作となった。以後かれらは、「寅さんシリーズ」をはじめ、山田のほぼすべての作品で協力し合った。監督と俳優がこれほど親密な関係を築いたのは、世界中を探しても、他に例がないだろう。

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2022年の日本映画「PLAN 75(早坂千絵監督)」は、老人問題をテーマにした作品。社会に存在する意味がなく、しかも自身死んでもよいと考えている老人を、国が積極的にかかわり、死なせてやる政策をとったことで、多くの無用な老人が始末されるというような内容の作品である。国家が権力的に国民を始末する(殺す)というのは、究極的なディストピアだと思うが、今の日本ならそれがおきかねないという恐怖を感じさせるような映画である。実際今の日本は、無用な年寄りは早く死ね、と言ってはばからぬ人間でも総理大臣が務まるような国柄である。この映画の中のことが、絶対に起きないとはいえない。

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深田晃司の2019年の映画「よこがお」は、日本社会の陰湿ないじめ体質をテーマにした作品。甥が少女誘拐事件をおこしたために、事件とはなにも関係のない女性が、社会からすさまじいバッシングをうけ、居所を失うさまを描く。深田晃司の映画にはわかりにくいところが多かったのだが、この映画はわかりやすい。しかしそのわかりやすさが、テーマ設定の性格からして、非常な気味悪さを感じさせる。

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深田晃司の2016年の映画「淵に立つ」は、なんともいいようのない不思議な映画である。一応、サスペンス仕立てになっていて、繰り返される暴力の意味を考えさせるような意図が感じられるのだが、それにしては、しまりというか、一定の結末感がない。暴力はなぜふるわれたか、その理由が明らかにならないまま、映画は中途半端なエンディングを迎えるのだ。

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深田晃司の2015年の映画「さようなら」は、近未来の日本を舞台に、原子力で汚染された日本から人々が海外非難するという設定の作品だ。原子力による汚染は原発の爆発がもたらしたということになっている。おそらく福島原発事故を意識しているのであろう。だが、その程度の原発事故で、日本人の多くが海外避難するまでに追い込まれるというのは、どう考えても不自然であるから、この映画はいささか滑稽さをまぬがれない。

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深田晃司の2013年の映画「ほとりの朔子」は、思春期後期の女子を描いた作品。思春期の女子をモチーフにした映画としては、内藤洋子主演の1967年の作品「育ちざかり」が思い浮かぶ。「育ちざかり」は鎌倉の海を背景にして女子の初恋を描いたものだったが、この「ほとりの朔子」は、やはり海を背景にして女子の青春を描く。恋情もあるが、それにこだわらない。この年頃の女子が抱えている悩みとか疑問とか、成長にともなうさまざまな事柄が幅広く取り上げられ、描かれている。

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2006年のアメリカ映画「不都合な真実(An Inconvenient Truth デイヴィス・グッゲンハイム監督)」は、地球温暖化防止を訴えるアル・ゴアの活動を描いたドキュメンタリー作品。アル・ゴアが、世界各地を飛び歩いて行っているキャンペーン講演の様子を映し出しながら、アル・ゴア本人の私生活も懐古的に語られる。

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