壺齋小説

学海先生の明治維新その三

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 その日は秋もようやく深まりつつある九月なかばの満月の日に当たっていた。旧暦でいえば八月の半ばになるから、この月は中秋の名月と言ってよい。小生の佐倉の家は、縁側を隔てて外気に直接接している。その間には雨戸のほか障子一枚しか介入するものがないから、障子をあけ放つと家の内外の境はなくなる。小生は中秋の名月とて雨戸も障子も立てないまま、天上の月とその光に煌々と照らされた庭を見やりながら、英策との歓談を楽しんでいた。

学海先生の明治維新その二

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 あるとき小生は、英策を佐倉の小生の家に招いて酒を飲みながら語り明かしたことがあった。その家というのは、小生の一家が佐倉に引っ越してきたときに父が借りたもので、後に父はそれが気に入って買い取ったのだった。小生は結婚するまでその家で暮らしたが、結婚すると船橋でマンション暮らしを始め、またただ一人の妹も結婚して家を出たので、長い間両親だけで暮らしていた。その両親が昨年あいついで亡くなった後、小生はその家を売らずにそのままにしておき、時々息抜きを兼ねて風を入れるために訪れ、半ばは別荘のようにして使っていたのだった。

学海先生の明治維新その一

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 依田学海という名を聞いて何か思い当たる人はほとんどいないだろう。明治の二十年代前後に演劇界にかかわったことがあるので、明治の演劇史に明るい一部の人に知られているだけではないか。彼の劇作家としての業績は、勧善懲悪風の古くさい演劇観に毒されていたようなので、今日彼を評価するものはいないに等しい。ここで「いたようなので」という曖昧な言葉を使った理由は、小生自身依田学海の演劇上の業績をひもといたことがないからで、彼の書いた戯曲が果たしてどのようなものか、確認したことがないからだ。にもかかわらず小生が依田学海に関心を持つに至ったのには別の理由がある。小生は小学生の頃に千葉県の佐倉に移住してきて以来そこで育ったのであるが、依田学海はその佐倉にゆかりのある人だと知ったことが機縁となって、興味を抱いたのだった。

小説「学海先生の明治維新」を連載

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かねてこのブログの記事でも予告していたとおり、小生はこのたび小説の連載を始めようと思う。題名は「学海先生の明治維新」という。小生にとっては第二の故郷というべき千葉県佐倉市の先達である依田学海を主人公とした小説だ。依田学海は彼なりの明治維新を生きた。その姿に思うところがあってこれを小説にしたいと思ったのはもうだいぶ以前のことだが、いよいよその構想を実現させるべく、この正月から筆を執り始めた。今の時点ではまだ執筆途上である。

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