日々雑感

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ヘビクイワシは、その派手な見かけもあって、一見して猛禽類には見えませんが、タカの仲間のれっきとした猛禽類です。サハラ砂漠以南のアフリカ大陸に生息しています。勇ましい名前は、コブラ類などの毒蛇をいとも簡単に捕食することからつきました。もっともこれは、日本だけの命名で、学術名は射手座の射手という意味です。

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上野動物園でもっとも種類の多い動物は鳥類です。なかでも猛禽類と水鳥が多く集められています。まず猛禽類から見ていきましょう。上の写真はオオワシの勇壮な姿を映したもの。オオワシは猛禽類の王者といってよいでしょう。カムチャツカ半島や樺太で繁殖し、冬になると北海道あたりにまで南下してくる渡り鳥です。日本で見られる猛禽類としてはもっとも大きいといわれています。

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バクは奇蹄目の一種で、ウマの仲間です。ウマよりずっと小型で、しかもずんぐりむっくりした体形が特徴です。バクには、白黒の派手な模様のマレーバクと、グレー一色の地味な色合いのアメリカバクがいます。上野動物園にいるのはアメリカバクです。東園の広場に面した、比較的目立つ場所にいるので、まず見逃すことはないと思います。

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カワウソはイタチの仲間の哺乳類で、水の中が得意です。日本カワウソは絶滅したと言われていますが、ユーラシア大陸には、まだ多数生息していることが確認されています。上野動物園では、ユーラシアカワウソが二頭元気にしていました。これは二頭ともメスのカワウソで、名前はモモとサクラと言います。2012年に、アクアマリン福島から引き取られてきました。

昨夜(4月21日)、NHKが「いまを切に生きる 瀬戸内寂聴さん愛と苦悩の99年」と題して、作家でかつ仏教者であった瀬戸内寂聴尼の生き方に焦点をあてた番組を放送していた。生前の尼の大ファンだった小生は、それを感慨深い気持ちで見た。なにしろ、尼が一昨年の秋に亡くなった時には、「瀬戸内寂聴尼の成仏を祝う」と題した小文をしたためて、ブログにアップしたくらいである。小生が尼の死を「成仏」と呼んで祝福したのは、尼が仏教者としてさとりの境地に達していたと思ったからだ。生前すにでさとりを得たものが、二度と死ぬことはないのだが、尼の場合には、己の死を通じて、煩悩に生きるひとを少しでも励ましたいと思い、死を恐れるなと言いたかったのだと思う。

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上野動物園にはかつて多くの猛獣がいたと記憶しますが、いまではトラだけになってしまったようです。絶滅が危惧されて、動物園といえども、入手することが困難になっているためかもしれません。そのトラは、東園の東のはずれ、サル山の反対側にあります。

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サル山の隣には北極グマの住処があります。数の割には大きな面積を享受しています。せまいところでは、生きられないのかもしれません。大規模な岩場のほか行水用のプールもついていて、機嫌のいいときには、そこを舞台として、色々なパフォーマンスで子供たちを楽しませてくれます。小生も、上野動物園でもっとも好きな動物の一つです。

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上野動物園でサルに見とれる話の続き。これは、サル山に向かって左半分の集団を監視しているサル。序列第三位といったところか。下にいるサルたちに向かって、これもやはり「仲良くやれよ」と言っているようです。その足元には、別の二匹のサルがいて、上と下との中継ぎ役をいやっているように見えます。

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上野動物園の花形といえば、サル山のサルたちである。小生のこの日の目当ても、パンダを除けばサル山のサルたちであった。パンダは順番待ちが長くて、短気な書生には待ちきれなかったが、サル山のまわりはそんなに混んでおらず、ゆっくりと観察することが出来たうえに、いい写真も撮ることができた。ここではその写真の中からいくつか紹介しようと思う。

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今日(4月11日)は朝から晴天が広がり、気持ちのいい陽気なので、荊婦がいうとおり、家の中に閉じこもっていないで出かけることにした。目標は上野動物園。久しぶりに動物たちと触れ合ってみたいと思ったのだ。そんなわけで、午前九時半ごろ家を出て、船橋から京成電車に乗って、十時半過ぎに上野動物園にたどり着いた。ウィークデーということもあるし、春休みも終わったので、園内は小さな子供を連れた母親とか外国人ばかりが目立った。

岩波書店の読書誌「図書」の最新号(2023年4月号)に「バーリンとドイチャー、論敵と友人」と題する一文(近藤和彦作)が載っているのを、なつかしい気持ちで読んだ。これは、マルクス主義の歴史家アイザック・ドイチャーとマルクスを「ただのユダヤのイカサマ師」と罵ったアイザイア・バーリンを取り上げ、それに論者が孤高の学者と呼ぶEH・カーを絡ませている。この三人は、小生も若い頃によく読んだものだし、とりわけドイチャーには敬服していたので、そのドイチャーにオマージュを捧げたようなこの小文は、小生にとっては、懐かしい気分にさせられるものだ。

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歌舞伎「女殺油地獄」をNHKのテレビ放送で見た。近松門左衛門の同名の浄瑠璃を歌舞伎化したものだ。小生は日頃歌舞伎を見ることはほとんどないのだが、近松の浄瑠璃を歌舞伎化したものは、なるべく見るようにしている。この「女殺油地獄」は近松最晩年の作品で、一応世話物に分類されるが、ほかの世話物が心中を中心にして義理と人情を描いているのに対して、これは悪漢の極道ぶりをテーマにしたもので、近松の作品の中でも異質なものである。享保年間に初演されて以来、徳川時代を通じて再演されることがなかったのは、題材のあくどさが庶民の共感を得られなかったからだ。明治に入って坪内逍遥がこの作品を再評価し、歌舞伎にも取り上げられるようになった。特に上方歌舞伎がこれを取り上げたのだが、このNHKの番組も、上方歌舞伎の片岡一座が手掛けていた。

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船橋の天沼公園は、JR船橋駅の北口を出て徒歩数分のところにある。今日(3月31日)はその天沼公園に花見に出かけて、思いがけない体験をした。桜を楽しんだのはともかく、大勢の鳩と心温まる交流をすることができたのだ。小生が天沼公園に行く気になったのは、家人にそそのかされたためである。家人が言うには、折角の花見の季節なんだから、家に閉じこもってないで出かけなさいよ、海老川沿いの桜がきれいだから、そこへ行ってみなさいよ。こういうので小生は、海老川までは遠いなと言ったところ、じゃあ天沼公園にいったらどうなの、あそこにもたしか桜があるはずよ。こう言われて小生は、先日長津川の桜を見たばかりだったが、場所を変えて花見を楽しむのもよかろうと思い、出かけた次第だった。

トランスフォビアとは、トランスジェンダーに憎悪を向けることを意味する言葉だ。その言葉によって激しい批判を浴びている者がいる。「ハリー・ポッター」シリーズの作者として知られるJ.K.ローリングだ。彼女はこの数年、トランスジェンダーへの偏見を煽ってきたとして、強い批判を浴びてきたのだったが、この度トランスジェンダーをテーマにした動画「The Witch Trials of J.K. Rowling」をポドキャストに投稿したことで、声高な批判が沸き起こった。

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今年は桜が咲くのが早かった。東京では3月23日には満開になったというし、小生の地元船橋でも24日ごろに八分咲きの状態になった。ところが24日から三日間雨天続きで花見というわけにはいかなかった。それがこの日(27日)には天気も回復し、桜もほぼ満開になったので、小生は例年通りすし屋に立ち寄ってから近所の桜の名所長津川公園に出かけた次第だ。

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WBCにおける日本チームの優勝を素直に喜びたい。決勝戦の行われたこの日、小生は朝七時前に起きて、荊婦の出勤を見送り、洗面、朝食を済ませたあとテレビの画面に向かった。八時過ぎに始まった試合は、最終回まで緊迫した展開で、じつに見ごたえのあるものだった。決勝戦の相手アメリカチームは、今年は大リーグの実力プレーヤーを擁し、史上最強のチームといってよかった、そのアメリカチームと日本チームは互角に戦ったうえ、ついには優勝したのだ。その瞬間、小生は思わず鬨の声を上げたのだった。

大江健三郎が、老衰で、死んだ。五・六年ほど前まで、読書誌「図書」にエッセーのようなものを連載していたのが、近年は文業からほとんど遠ざかっているように見えたので、老衰が進んでいるせいだろうかと思ったりしたものだが、そのとおりだったわけだ。だが、八十八歳という年齢は、老衰死というにはなじまないのではないか。たとえば鈴木大拙は、九十歳を超えてもなお、旺盛な執筆意欲をもっていたし、親鸞聖人も、あの時代に生きながら、八十代の半ばまで知的活動をやめなかったものだ。それを思えば、八十八歳で死んだ大江は、死に急ぎすぎたのではないか。

昨晩、飯の支度ができるのを待つ間、部屋でくつろいでいると、いきなり耳を弄するような大音響が起こって、おもわず腰を浮かしてしまった。尋常な音ではない。まるで近くで巨大な爆発があったかのような不快な音である。そこで、台所で食事の支度をしている家人のところに行って、「この音はなんだ」と聞くに、「雷でしょ」とあっさりした反応。小生にはこれは、雷鳴というよりは爆撃音のように聞こえたので、その旨を話すと、「何を馬鹿なことを言っているんですか」と冷笑される。「外を見なさいよ、雨が降ってきたでしょうが」と言うのである。たしかに、外では雨が降り始めている。ということは、やはり雷鳴だったのか。


小生は例年中山法華経寺に初参りするのであるが、今年は趣向を変えて市川の弘法寺に詣でた。法華経寺同様日蓮宗の寺である。戊辰戦争の際には、官軍・幕府軍双方が拠点の一つとした。幕府軍は撒兵隊がここに本営を設けて官軍を迎えうち、ここに市川・船橋戦争が勃発した。この戦争で、市川から船橋にかけて、佐倉街道沿いが官軍によって焼き討ちされ、一帯は焼け野原となった。たまたま、この戦争の直後佐倉街道をとおりがかった依田学海が焼け跡の様子を目撃している。

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昨年秋に妻の母が亡くなったので、年末年始の挨拶はひかえるつもりでいたところ
いざ年があけてみると、世界は昨年と同じくかわりなく動いているので
なんとなくうれしくなって、読者のみなさんに挨拶したくなった、
この年になると、一つ年を重ねられることに喜びを感ずるものなのである

もっとも、昨年はひどい年だった
コロナ騒ぎが一向に収まらず、むしろコロナで死ぬ人の数が増えた
これは基本的には、日本の国力が衰えたことによるものと考えられる
日本は、いまだに有効なワクチン開発もできず、コロナの治療薬も
外国からの供給に頼っている始末
目先の利益ばかりを考え、国家百年の計を考える日本人がいなくなったせいだと
小生などは考えている、そういうことを家人にいうと、
そんなに日本人を馬鹿にしないでほしいと返されるのであるが
やはり事実は事実として受け止めねばなるまい

昨年はまた、物価上昇が人々の生活を直撃した
悪性インフレーションといってよいほどである
これは、黒田日銀の狂気じみた振る舞いに加え
折からのウクライナ戦争の影響によるところもあった
ウクライナ戦争をめぐって感じさせられることは
今や世界はプーチンとかバイデンといったボケ老人に命運を握られていて
いつ何時核戦争が勃発し、亡びないともかぎらないという不安である

今年が昨年よりましになる可能性はそう大きくはないと思うが
とにもかくにも、また一年生きのびることができるよう
祈らずにはいれらない

なお、今年はウサギ年なので、ウサギの絵をお届けする
十二年前のブログに掲載したものの再掲載である

壺齋老人 謹白


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