先日「日本はレイプ天国か」と題した小文を小生のブログ「続壺齋閑話」に投稿した。これはハワイ在住のアメリカ人デヴィッド・T・ジョンソンが雑誌「世界」に投稿した文章「日本でレイプは犯罪なのか」に触発されて書いたものである。ジョンソンは、日本の刑事司法の場では、女性へのレイプ事件が真剣に扱われておらず、したがって被害者の権利が侵害される一方で、加害者はやりたい放題という状況が生まれている、という危惧を示していた。また、これは刑事司法だけの特殊な問題ではなく、日本という社会が抱えている構造的な問題を反映しているのではないか、といった問題意識も感じさせた。小生は、一人の日本人として、ジョンソンの指摘を謙虚に受け止め、この問題、つまり日本のレイプ容認文化ともいえる問題領域について、掘り下げて考えてみたいと思った次第だ。
「千のプラトー」の第十二のプラトーは「BC7000年―捕獲装置」と題する。テーマは、直前のプラトーに続き、国家についてである。タイトルにある「捕獲装置」とは、国家の機能の一つ。ドゥルーズらは、国家の政治的な至上権力を、デュメジルに従って、二つの極にわける。「政治的な至上権力は二つの極をもつ。捕獲、絆、結び目、網を操る魔術師としての恐るべき皇帝という極と、条約、協定、契約といった手続きを行う法律家、司祭としての王という極・・・戦争の機能は、政治的な至高権力の外部に存在し政治的至上権を構成する二つの極のいずれにも所属せずそれらから区別される」(宇野ほか訳)。
「太陽と生命(El Sol y la Vida)」と題されたこの絵は、自然の豊饒さへのフリーダの憧れを表現したものだと解されている。フリーダ自身は、事故のために子を産めない体質になってしまったが、子を持つことへのこだわりを捨てることができなかった。この絵には、そうしたフリーダの複雑な気持ちが込められている。
小説「黒い雨」は、重松とその家族の被災日記を中心として、それに重松の知り合いである細川医師の知人岩竹博の被災日誌とか、親戚二人(シゲ子方で一人は矢須子の実父)の見聞談などからなっている。それらを読むと、かれらが原爆投下直後に広島の街をあちこち歩き回る様子がわかる。特に重松は、市域の南から北の郊外にかけて、実に幅広く歩き回っている。小説であるから、地理について正確なイメージを持つ必要はないのかもしれないが、原爆災害という事柄の特殊性からして、やはり広島の地理を頭に浮かべながら読んだ方が、よりインパクトのある読み方になるだろう。そんなわけで小生は、具体的な地名が出てくるたびに、一々地図にあたり、その場所を特定しながら読んだ次第だ。それによって、広島の原爆災害の地理的な特徴がかなり具体的なイメージをもって浮かび上がってきた。
マーティン・スコセッシの1995年の映画「カジノ(Casino)」は、ラスベガスのカジノに群がるマフィア集団を描いた作品。マフィアをテーマとしていた「グッドフェローズ」の延長上にあるものだ。「グッドフェローズ」におけるマフィアは、ただの悪党ではなく、それなりの義理人情でつながっているところがあったが、この映画の中のマフィアは、義理人情とは無縁な実利オンリーの連中である。そのマフィアのなかにあって、主人公格のサム・ロススティーンだけはユダヤ人である。ユダヤ人は、マフィアの多数派イタリア人とは感情的に折り合いがつかず、義理人情にこだわらずクールに振舞い、イタリア人どもはそんなユダヤ人を金儲けの手段と心得ている。かれらの間に人間らしい関係はありえない。
フリーダは、1946年にニューヨークで脊椎の手術を受けた後、1950年にはメキシコで七回に及ぶ手術を受けている。手術は彼女の体を回復するには及ばず、1953には片足の切断という苦痛に直面した。彼女が死んだのは1954年、47歳のときであった。
マーティン・スコセッシの1991年の映画「ケープ・フィアー(Cape Fear)」は、いいかげんな弁護で有罪となり、刑務所暮らしを強いられたと思い込んだ男が、その弁護士と家族に復讐するという内容。犯罪者が弁護士を逆恨みするというのは,日本では珍しいのではないか。だが、アメリカでは、裁判とくに刑事裁判は、弁護士の腕の見せ所と思われており、明らかに有罪と思われる事件が、弁護士の手腕で無罪になるケースは多いという。そういう国柄だから、弁護士が手を抜いて被疑者が有罪になるのはある種の職業モラル違反と受け取られることもあるのであろう。
「希望の木(Árbol de la esperanza mantente firme)」と題されたこの絵も、ニューヨークで受けた手術を回想した作品。彼女はこの絵を、パトロンのエドゥアルド・モリージョ・サファのために描いたのだったが、創作意図については、アレハンドロ・ゴメス=アリアス宛ての手紙の中で述べている。その中でフリーダは、手術の結果背中に巨大な傷ができたと嘆いている。
マーティン・スコセッシの1990年の映画「グッドフェローズ(Goodfellas)」は、アメリカのイタリア系犯罪集団マフィアの生態を描いた作品。スコセッシは自身がイタリア移民の子であり、イタリアのマフィア社会の実態にも通じていたらしい。そうした当事者意識からこの映画を作ったともいわれる。だから単なる犯罪映画ではなく、人はなぜ犯罪に走るかを考えさせるような内容にもなっている。「タクシー・ドライバー」でアメリカ社会を批判的に描いたスコセッシのことだから、この作品もただの暴力映画にはしたくなかったのであろう。
正法眼蔵第五十九は「家常」の巻。家常とは家庭における日常のことをいう。現代の言葉でいう日常茶飯事というものに近いニュアンスの言葉である。その日常茶飯事を通じて、仏教の修行が行われるということを、道元はこの巻で言っている。仏教の修行は、なにも特別な行いではなく、日常茶飯事を通じて行われるべきだというのである。
「千のプラトー」の第十二のプラトーは「1227年―遊牧論あるいは戦争機械」と題する。テーマは遊牧民、戦争機械、国家についてである。戦争は国家の専権事項だというのが常識的な理解だが、このプラトーはそうした理解をくつがえし、戦争は国家の外から国家にやってくると説く。戦争機械はもともとは、国家ではなく遊牧民のものなのだ。遊牧民は国家をもたない。国家は領土と領民からなっているが、遊牧民は領土をもたないからだ。領土を持たない民は領民とはいえない。その二重の意味で、遊牧民は国家をもたない。その遊牧民の首長であり、戦争機械の権化ともいうべきチンギス・ハーンが死んだ年が1227年である。なぜその年をタイトルに含ませたのか。
1946年、フリーダはニューヨークで脊椎の大手術を受けた。18歳の時の事故で脊椎を損傷し、それ以後ずっと苦しんできた。手術によってその苦しみから解放されるという期待をもって、彼女は手術に臨んだのだが、結果的には失敗だった。痛みはかえってひどくなったのである。「傷ついた鹿(El venado herido)」と題されたこの絵は、自分の傷だらけの身体を傷ついた鹿にたとえたものである。
井伏鱒二が「黒い雨」を書く気になったのは、原爆のある被災者から、日記を提供するのでぜひ是非書いてほしいと言われたのがきっかけだったと自身明かしている。だが、それ以前から、彼にはいつかこのテーマを書いてみたいという気持ちがあったはずである。広島に原爆が落とされたとき、かれは広島から100キロあまり離れた福山の山中の郷里にいた。広島の悲惨な状況は、非常に身近に感じられた。身の周りに犠牲者も多くいた。それらの人々の悲惨な運命を直に見聞すれば、作家として、これを書くことを自分の使命と感じるようになるのは自然のことである。
高畑勲の1991年のアニメ映画「おもひでぽろぽろ」は、岡本蛍の同名の漫画作品を映画化したもの。原作では、小学校5年生の少女の日常が描かれるが、映画は、その少女が27歳になったという設定で、その大人の彼女が小学校5年生の自分を回想するというかたちをとる。大人の彼女をめぐっても、あたらしい出来事が生じる。彼女は山形の紅花農家に農業体験のために滞在するのだが、その農家の人々とか、ある青年との間で、新しい体験をするのだ。
フリーダは、有力な後援者ホセ=ドミンゴ・ラビンから借りて読んだフロイトの著作「モーゼと一神教」に夢中になり、読書の印象をイメージ化した。「モーゼあるいは太陽の核(Moisés o Núcleo Solar)」と題されたこの絵がそれである。彼女はこの絵を二か月かけて完成させ、国立芸術宮殿の美術展で受賞した。
観世清和が主宰する清門別会の第二回公演が、今年の六月銀座の観世能楽堂で催された。その様子をNHKが放送した。「三輪」全曲と「安宅」の一部である。「三輪」は清和がシテを演じ、安宅は息子の三郎太がシテを演じた。ここでは「三輪」を取り上げたい。
1982年公開のアニメーション映画「セロ弾きのゴーシュ」は、宮沢賢治の有名な童話をアニメ化した作品。高畑勲が演出し、五年をかけて完成した自主制作作品である。原作の映画化はこれで四本目だが、もっとも完成度が高い。
ガザにおけるイスラエル国家のジェノサイドをめぐって、バイデンの言動ぶりの混乱が目立つ。イスラエルの自衛権を支持すると言う一方で、一般市民の安全を保障せねばならぬと言っている。ネタニヤフは、そんなバイデンの言うことを無視して、パレスチナ人の虐殺を楽しんでいるかのようである。バイデンがイスラエルを見放すことはないとタカをくくっているからだろう。バイデンが言っていることには、イスラエルにとって都合の悪いこともあるが、大局的にはイスラエルを支持してくれる。そう確信しているからこそ、安心してジェノサイドを進めているのだろう。
「希望もなく(Sin Esperanza)」と題されたこの絵は、フリーダの陥っていた絶望的な状況をイメージ化したもの。背骨の矯正手術を受けて以来、彼女の体調はかえって悪化し、ベッドに伏せる日が続き、食欲がなくなって、体重は劇的に減った。主治医のエレッサーは、彼女にベッドでの安静を命じ、二時間ごとにピュレー状の食料を漏斗で摂取することにした。それをフリーダは苦痛に感じた。
1968年公開のアニメーション映画「太陽の王子ホルスの冒険」は、高畑勲の初の長編アニメーション作品である。宮崎駿もキャラクターのイメージつくりに加わっている。原作は北海道のアイヌ社会を舞台としたものだというが、アイヌでは興行的な成功は望めないとの判断で、北欧に舞台をうつすことにした。それでも興行的には失敗だったといわれている。
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