「希望の木(Árbol de la esperanza mantente firme)」と題されたこの絵も、ニューヨークで受けた手術を回想した作品。彼女はこの絵を、パトロンのエドゥアルド・モリージョ・サファのために描いたのだったが、創作意図については、アレハンドロ・ゴメス=アリアス宛ての手紙の中で述べている。その中でフリーダは、手術の結果背中に巨大な傷ができたと嘆いている。
マーティン・スコセッシの1990年の映画「グッドフェローズ(Goodfellas)」は、アメリカのイタリア系犯罪集団マフィアの生態を描いた作品。スコセッシは自身がイタリア移民の子であり、イタリアのマフィア社会の実態にも通じていたらしい。そうした当事者意識からこの映画を作ったともいわれる。だから単なる犯罪映画ではなく、人はなぜ犯罪に走るかを考えさせるような内容にもなっている。「タクシー・ドライバー」でアメリカ社会を批判的に描いたスコセッシのことだから、この作品もただの暴力映画にはしたくなかったのであろう。
正法眼蔵第五十九は「家常」の巻。家常とは家庭における日常のことをいう。現代の言葉でいう日常茶飯事というものに近いニュアンスの言葉である。その日常茶飯事を通じて、仏教の修行が行われるということを、道元はこの巻で言っている。仏教の修行は、なにも特別な行いではなく、日常茶飯事を通じて行われるべきだというのである。
「千のプラトー」の第十二のプラトーは「1227年―遊牧論あるいは戦争機械」と題する。テーマは遊牧民、戦争機械、国家についてである。戦争は国家の専権事項だというのが常識的な理解だが、このプラトーはそうした理解をくつがえし、戦争は国家の外から国家にやってくると説く。戦争機械はもともとは、国家ではなく遊牧民のものなのだ。遊牧民は国家をもたない。国家は領土と領民からなっているが、遊牧民は領土をもたないからだ。領土を持たない民は領民とはいえない。その二重の意味で、遊牧民は国家をもたない。その遊牧民の首長であり、戦争機械の権化ともいうべきチンギス・ハーンが死んだ年が1227年である。なぜその年をタイトルに含ませたのか。
1946年、フリーダはニューヨークで脊椎の大手術を受けた。18歳の時の事故で脊椎を損傷し、それ以後ずっと苦しんできた。手術によってその苦しみから解放されるという期待をもって、彼女は手術に臨んだのだが、結果的には失敗だった。痛みはかえってひどくなったのである。「傷ついた鹿(El venado herido)」と題されたこの絵は、自分の傷だらけの身体を傷ついた鹿にたとえたものである。
井伏鱒二が「黒い雨」を書く気になったのは、原爆のある被災者から、日記を提供するのでぜひ是非書いてほしいと言われたのがきっかけだったと自身明かしている。だが、それ以前から、彼にはいつかこのテーマを書いてみたいという気持ちがあったはずである。広島に原爆が落とされたとき、かれは広島から100キロあまり離れた福山の山中の郷里にいた。広島の悲惨な状況は、非常に身近に感じられた。身の周りに犠牲者も多くいた。それらの人々の悲惨な運命を直に見聞すれば、作家として、これを書くことを自分の使命と感じるようになるのは自然のことである。
高畑勲の1991年のアニメ映画「おもひでぽろぽろ」は、岡本蛍の同名の漫画作品を映画化したもの。原作では、小学校5年生の少女の日常が描かれるが、映画は、その少女が27歳になったという設定で、その大人の彼女が小学校5年生の自分を回想するというかたちをとる。大人の彼女をめぐっても、あたらしい出来事が生じる。彼女は山形の紅花農家に農業体験のために滞在するのだが、その農家の人々とか、ある青年との間で、新しい体験をするのだ。
フリーダは、有力な後援者ホセ=ドミンゴ・ラビンから借りて読んだフロイトの著作「モーゼと一神教」に夢中になり、読書の印象をイメージ化した。「モーゼあるいは太陽の核(Moisés o Núcleo Solar)」と題されたこの絵がそれである。彼女はこの絵を二か月かけて完成させ、国立芸術宮殿の美術展で受賞した。
観世清和が主宰する清門別会の第二回公演が、今年の六月銀座の観世能楽堂で催された。その様子をNHKが放送した。「三輪」全曲と「安宅」の一部である。「三輪」は清和がシテを演じ、安宅は息子の三郎太がシテを演じた。ここでは「三輪」を取り上げたい。
1982年公開のアニメーション映画「セロ弾きのゴーシュ」は、宮沢賢治の有名な童話をアニメ化した作品。高畑勲が演出し、五年をかけて完成した自主制作作品である。原作の映画化はこれで四本目だが、もっとも完成度が高い。
ガザにおけるイスラエル国家のジェノサイドをめぐって、バイデンの言動ぶりの混乱が目立つ。イスラエルの自衛権を支持すると言う一方で、一般市民の安全を保障せねばならぬと言っている。ネタニヤフは、そんなバイデンの言うことを無視して、パレスチナ人の虐殺を楽しんでいるかのようである。バイデンがイスラエルを見放すことはないとタカをくくっているからだろう。バイデンが言っていることには、イスラエルにとって都合の悪いこともあるが、大局的にはイスラエルを支持してくれる。そう確信しているからこそ、安心してジェノサイドを進めているのだろう。
「希望もなく(Sin Esperanza)」と題されたこの絵は、フリーダの陥っていた絶望的な状況をイメージ化したもの。背骨の矯正手術を受けて以来、彼女の体調はかえって悪化し、ベッドに伏せる日が続き、食欲がなくなって、体重は劇的に減った。主治医のエレッサーは、彼女にベッドでの安静を命じ、二時間ごとにピュレー状の食料を漏斗で摂取することにした。それをフリーダは苦痛に感じた。
1968年公開のアニメーション映画「太陽の王子ホルスの冒険」は、高畑勲の初の長編アニメーション作品である。宮崎駿もキャラクターのイメージつくりに加わっている。原作は北海道のアイヌ社会を舞台としたものだというが、アイヌでは興行的な成功は望めないとの判断で、北欧に舞台をうつすことにした。それでも興行的には失敗だったといわれている。
正法眼蔵第五十八は「眼晴」の巻。眼晴は、もともとは目玉という意味だが、そこから転じて要点を見抜くとか真実を見極めるといった意味を持つ。真実を見極めるとは、道元の場合さとりを得るとほぼ同義である。眼晴は、さとりを得るためには真実を見極める力が必要だという意味である。
東京体育館の仕事は変化に富んでいて、しかも楽しかったから、小生はしばらくの間いてもいいなと思っていた。だが、役人の世界というのは、動きたいと思う時には留め置かれ、留まりたいと思う時には動かされるということになっている。事業課長としては一年しかたたないで、動かされることになった。異動先は教育庁体育部である。そこの学校健康担当副参事というポストに横転した。局内での異動ではあるが、一応出向先から戻ってのことであるから、教育文化財団からは「東京都教育委員会の事務部局へ出向を命じる」という辞令をもらい、教育長からは「学校健康担当副参事を命じる」という辞令をもらった。その際次長から特命があった。都内の全公立学校を対象に、労働安全衛生法を施行せよというものだった。これは行政監察からの指摘事項なので、至上命令だとも言われた。
「千のプラトー」の第十一のプラトーは「1837年―リトルネロについて」と題する。リトルネロとは、音楽用語で、同じ主題を何度も繰り返すことをいう。ベートーベンの第五で、あの衝撃的で短い主題が何度も繰り返されるのがその例だ。だが、このプラトーの真の意図は、リトルネロではなく領土化である。なぜリトルネロが領土化と結びつくのか。それは小鳥が介在することによってである。小鳥の鳴き声は、同じ旋律を繰り返すことからリトルネロといってよい。小鳥はそのリトルネロのような鳴き声を、テリトリーの宣言として用いる。なわばりの主張なのだ。なわばりは領土といってよいから、小鳥においてリトルネロは領土と強く結びつくわけである。このことをかれらは次のように表現する。「リトルネロはテリトリーを示すものであり、領土性のアレンジメントだということ。たとえば鳥の歌。鳥は歌を歌うことによって自分のテリトリーを示す・・・リトルネロは、本質的に、<生まれ故郷>や<生来のもの」と関係しているのだ」(宇野ほか訳)。
フリーダは、18歳の時に交通事故で脊椎を損傷して以来、その後遺症に苦しんだ。1944年には、脊椎の矯正手術を受けざるをえなかった。手術の後は、金属製のコルセットでぐるぐる巻きにされた。その気が滅入るような自分の状況を、フリーダは「折れた背骨(La Columna rota)」と題されたこの絵で表現した。
井伏鱒二には、大衆受けを狙った通俗的な作品もある。「駅前旅館」と題した中編物はその代表的なものだ。旅館の番頭の独白というような体裁をとっている。それも、作家に頼まれて、番頭としての自分の生きざまを語るという形である。作家がそれを頼んだのは、すでに過去のものとなりつつある番頭という職業の持つ独特の美学を記録しておきたいという考えからだということになっている。たしかに、戦後のあわただしい近代化の波を受けて、旅館経営も近代化し、徳川時代以来の番頭という身分は次第に消え去り、近代的なマネージャーなるものが、それに代わりつつあった。井伏は、そんな傾向に一抹のわびしさを感じ、番頭というものの美学的な雰囲気を多少とも記録しておきたいと思ったのであろう。当の番頭自身に語らせることで、その美学を生々しく再現しようとしたのであろう。
旧友鈴生と久しぶりに船橋で会い、さるスペイン料理屋で歓談した。鈴生と会うのは実に六年ぶりのことだ。この六年間彼からは何の音沙汰もなかったので、もしや死んでしまったのかと思っていたくらいなのだが、先日いきなりメールをよこして、無沙汰をわびたうえで、是非一杯やりたいと言ってきた。そこで小生は次のようなメッセージを返した。「お便りありがとうございます/ずっと気になっていたのですが/また、もしかしてこの世に存在していないのかなどと心配していたのですが/お便りに接することができてうれしく思います/母君のご様子はいかがですか/前回お会いした時に母君の百寿祝いの扇子をいただいたことを思い出します/小生はいたって元気です/この分では百歳まで生きそうな勢いです/いつでも出かけることができますので/都合の良い日をご連絡ください/船橋あたりで会いましょう」
ピエル・パオロ・パゾリーニの1969年の映画「豚小屋(Porcile)」は、前作の「テオレマ」に劣らずスキャンダラスな作品である。前作のようにキリストが出てくるわけではないが、堕落したキリスト教徒たちが出てきて、人倫を嘲笑するような振舞いをする。しかもキリスト教徒は、現代だけではなく、過去の時代からずっと堕落していたのだ。この映画は、現代と過去の時代(中世?)の出来事が交互に描かれるのであるが、現代の話の中心人物は、豚とのセックスを楽しんだあげく、豚どもに食われてしまうのであるし、過去の時代の中心人物は、父親を殺し、人肉を貪り食ったあげく、キリスト教会によって処刑される。そのやり方がおぞましい。身体を拘束されて野原に放置され、野犬の餌に供されるのである。
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