2012年11月アーカイブ

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豊穣たる熟女の皆さんと紅葉を求めて鎌倉を散策した。北鎌倉駅で降りて、鎌倉市街に向かう街道沿いに、円覚寺、東慶寺、浄智寺、建長寺、鶴岡八幡宮と巡り歩き、午後は江ノ電に乗って長谷までいき、長谷寺の観音様と高徳院の大仏様にお参りしようという計画だった。夕方東京へ戻ってからは、新橋の高架下で一杯やろう、とも申しあわせていた。

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能「雷電」は菅原道真の怨霊をテーマにした能である。藤原時平らの陰謀によって失脚し、大宰府に流された道真が、死後怨霊となって都にあらわれ、時平らを呪い殺したり、自然災害をもたらして人々を恐れさせる。それは道真に不実の罪を着せたことへの報復だと考えた朝廷は、道真に天神の称号を贈り、厚く遇することで、怨霊の怒りを鎮めた。こうした道真にまつわる伝説を作品化したものが「雷電」である。

マックス・ウェーバーがミュンヘン大学での講演原稿に手を加えたものを「職業としての政治」と題して発表したのは1919年このことだ。ウェーバーはその翌年に死んでいるから、図らずも彼にとっては最後の仕事となった。しかし最後の仕事と言うには、この作品はペシミズムに満ち満ちている。

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写真は、道路のど真ん中に立っている家。普通の感覚では理解しがたい光景だが、道路建設の現場ではよく見られるものだ。道路整備当局による立ち退き要求に不満をもった住民が、最後まで抵抗した挙句に残る光景だ。かつての日本各地の道路建設現場でもよく見られたものだが、それらはやがて可及的速やかに撤去されたものだった。というのも、住民の抵抗には自ずから限界がある。そこへもって来て、道路当局は一部の住民の不合理な反対行動によって、公共の利益が損なわれると、声高に主張することができる。そこまでいけば、住民のささやかな抵抗など、屁の重みさえもたない。

高橋英夫氏が雑誌「図書」に連載している荷風に関する記事が面白くて、ずっと楽しみにしている。フランス語の弟子になった阿部雪子との淡い師弟関係や、晩年になって荷風に近づいてきた相磯凌雪との交友が、興味深く描かれている文章からは、「断腸亭日乗」を丁寧に読み込んだもののみが発見できる、荷風独特の心象風景が浮かび上がってくる。一荷風ファンとしては、答えられない贅沢だ。
中国のインターネット上に、一人の中年の男が真っ裸になって、若い娘を相手に性的快楽に耽っている場面が流れ、それをめぐって、大騒ぎになっているそうだ。それもそのはず、画面に映っていた男は、重慶市北碚区書記の雷政富、相手の若い女性は18歳になったばかりの愛人だというのだから。
大嶽秀夫氏は「日本型ポピュリズム」の中で、日本型ポピュリストの一人として小泉純一郎を取り上げていたが、この著作「小泉純一郎 ポピュリズムの研究」は、その小泉一人に焦点をあてたポピュリズム研究のケーススタディである。前著が書かれたのが2003年、小泉の評価はまだ現在進行中であったわけだが、この著作は小泉政権が終了した後の2006年に書かれている。小泉についての評価材料が一応揃った時点だったわけである。

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クリストフォロスとは、ギリシャ語で「キリストを担う者」という意味である。そんなことから、聖クリストフォロスの像には、このように、キリストを背負ったイメージが結びついた。実際のクリストフォロスは3世紀頃の人であり、キリストの同時代人ではなかった。

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ちびっこ王子は、ある高い山に登ってみた。王子が今まで見たことのある山といえば、三つの火山だけだったけれど、みんな王子の膝くらいの高さしかなかった。休火山なんかは、腰かけがわりにしてたもんね。

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イギリス映画協会は、世界の映画史上最高の傑作を10年ごとに選んで発表している。これまでは、オースン・ウェルズが1941年に作った映画「市民ケーン(Citizen Kane)」が、数十年間にわたって、映画史上最高の傑作だとされてきた。ところが、今年異変が起きた。アルフレッド・ヒッチコックが1958年に作った恐怖映画「めまい(Vertigo)」が、「市民ケーン」を押しのけて、堂々一位になったというのだ。

陸游は夢を詩の題材にとることが多かった。そのなかで、沈園での唐婉との出会いは、何度となく夢見たらしく、それを詩の題材にしたものがいくつかある。開喜元年(1205)81歳の時に作った詩(絶句二首)も、そんななかの一つだ。

ガザの停戦

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ガザを舞台にして戦闘を続けていたイスラエルとハマスとが、停戦で合意した。一時はイスラエルによる大規模な地上戦まで予想され、1400人の死者を出した2008年の武力衝突以来の惨劇が憂慮されたが、とりあえず最悪の事態は避けられることになったわけだ。しかし、油断はできない。イスラエルとハマスとの対立構造は、基本的に解消されたわけではないし、また、今回の停戦にむけた合意のプロセスにも、不安定さを感じさせる要因があるからだ。

雄略天皇の迫害を逃れたオケ(意祇)とヲケ(袁祇)の兄弟は、播磨の国で馬飼いと牛飼いになって身を隠していたが、やがて雄略天皇が死んだ後で、表舞台に踊り出すチャンスがやってくる。雄略天皇の跡を継いだ清寧天皇には子どもがなく、またほかに日嗣の皇子がいなかったので、オケとヲケの兄弟が、皇位に最も近い地位に立ったからだ。
中国の反体制詩人として知られる李必豊(Li Bifeng)氏の裁判が四川省射洪県の裁判所で開かれ、懲役12年の刑が言い渡されたという。罪名は契約違反というが、詳細は公表されていない。李氏の妻によれば、氏は海南省のアパートの売買をめぐる案件で契約をしたことがあり、その直後に相手側から契約違反で訴えられたということだが、相手側の主張には全く根拠がないということだ。

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地球で発生する地震のうち、考えられる限り最大規模の地震はマグニチュード10前後、こんな想定結果を東北大学の松澤暢教授が発表した。これまで確認されている最大の地震は、1960年におきたチリ沖地震のM9.5だったというが、それをはるかに上回る。昨年の東日本大地震はM9.0だったが、それと比較して32倍の規模になるという。気が遠くなるような数字だ。

シュンペーターは日本では、経済学者としてより政治思想家として有名になってしまったところがある。彼の「資本主義、社会主義、民主主義」は、社会の経済的な発展が、政治体制に与える影響について、骨太の視点を提供したものである。彼によれば、資本主義の発展は必然的に社会主義(厳密に言えば社会民主主義的な混合体制)をもたらし、それが民主主義の拡大につながるというものだ。いわば必然史観というべきもので、彼はこれを若い時代に洗礼を受けたマルクスに触発されて思いついたようである。
井上靖の小説「あすなろ物語」を読んだ。先日読んだ「しろばんば」がなかなか面白かったので、やはり井上の自伝的小説として名高いこの作品も読んで見ようという気になったのである。だが読後感は、期待していたほどのものではない、と言うのが正直なところだ。「しろばんば」に比べて非常に粗削りだし、自伝的小説と言うより、自伝そのものを読まされているような気がした。「しろばんば」にくらべると、文学的な香気というものが足りない、そんな印象を持った。
安倍自民党総裁がインフレターゲット論を主張して、ちょっとした注目を集めている。市場はその主張に反応して、株高円安に傾いているほどだ。それなりに期待されているということか。
日本の敗戦と戦後改革に関する著者の視点は、断絶ではなく連続を重視するものである。まず、敗戦については、「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下とソ連の満州への侵攻が決定的だったとよく言われるが、果してそうだろうか」と問い、敗戦が必ずしも強いられた決定だったのではなく、日本国内に敗戦を望む潮流が成立していたことが、敗戦を可能にしたとして、日本国内の条件を重視している。
政党とは、一定の政治理念の実現を目標にして、理念実現に至る道筋を示した政策を掲げ、それをもとに有権者の支持を取り付けて、政治権力の維持・獲得をこととする団体である、というのが大方の国民の共通理解だろう。だから、明確な政治理念を有せず、政策も曖昧なまま、政治権力の獲得のみを目的とした集団は、政党とはいえない。そういう集団は、普通の日本語では徒党という。

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バプテスマのヨハネはキリストの前駆者ともよばれ、キリスト教の聖人たちの中でも特別の尊崇を受けている。その生涯は波乱に富み、最後にはサロメの願いにもとづいて、ヘロデ王に首を切られたのだった。オスカー・ワイルドはその物語を「サロメ」のなかで、迫真の力を込めて描き上げた。

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イスラエルによるガザへの攻撃が激しいものになっている。攻撃の対象は軍事施設からハマスの関連施設へ、そして武器の貯蔵施設へと拡大している。そうした攻撃によってガザ地区の一般市民も巻き添えを食い、これまで(11月18日)に50人ほどのパレスチナ人が死亡した。

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 ちびっこ王子が、砂漠を歩いているうちに出会ったのは、一輪の花だけだった。花びらが三つあるだけの、どうってことない花だった。
「こんにちは」 と王子は言った。
「こんにちは」 と花は言った。
「人間はどこにいるの?」 と王子は丁寧に尋ねた。

慶元五年(1199)75歳の春、陸游は沈園を再訪した。40年前に訪れたときには、思いがけず愛する人唐婉と出会ったのだったが、今は無論誰とも出会わない。

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中国共産党の大会が閉幕し、次の10年の国家運営を担う新しいメンバーが確定した。この10年ぶりの権力移行は、いまや世界第二の経済大国になった中国の今後の動向を占うものとして、当然ながら、世界中の注目を集めた。筆者も注目していた一人だが、この超大国の権力移行が、相変わらず闇の中で行われた、その奇怪さに改めて感じ入ったところだ。

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オバマが有権者の支持においてはきわどいリードしか得られぬまま勝利できたことについて、さまざまな分析がなされている。そんな分析の中で目を引くのは、オバマの勝利は有権者の積極的な支持に支えられたものではなく、ロムニー側、つまり共和党による失策に利されたのだとする「敵失論」である。

日本の古代史を彩るものとして、天皇の地位をめぐる血みどろの権力闘争がある。記紀の作成を命じたとされる天武天皇自身も、骨肉の争いに勝利して天皇位についたのだ。そんな骨肉の権力闘争を勝ち抜いた先駆者として、雄略天皇があげられる。オホハツセワカタケルと呼ばれたこの天皇は、二人の兄と、前の天皇の継子、そして従兄弟など、自分にとって脅威になりそうな人間を次々と殺すことによって、権力を獲得したのである。そんなことから雄略天皇は、悪逆の王としての側面も指摘される。

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10月14日の国会の党首討論で、野田総理大臣が自民党の安倍総裁に向かって啖呵を切り、特例公債法案と衆議院の定数改正について一定の協力をすると約束すれば、16日にも解散すると明言した。このことを巡って様々な反響が伝えられている中で、英誌エコノミストはこれを"カミカゼ解散"と名付けて、そのむちゃくちゃぶりをあてこすっているが、いったい誰にとっての神風なのかは明らかにしていない。このいかにも日本的なやり方が、イギリス人の目には"カミカゼ"のように映っただけなのかもしれない。筆者などは、"行き詰まり解散"あるいは"行き倒れ解散"とでもいいたいところだ。

日本の異常なデフレを解消する策としてインフレターゲットを持ち出したのはノーベル賞経済学者のクルーグマン教授だった。日本人の学者の中では浜田宏一氏らリフレ派と称される人たちが唱えている。彼らは、経済全体がデフレで苦しんでいるのであれば、その反対であるインフレを人工的に起こすことで、経済を上向きにすることができると考えたわけである。
井上靖の自伝的小説「しろばんば」には、古き良き時代の日本の子どもたちが生き生きと描かれている。それを読んでいると、非常に複雑な気持ちにさせられる。かつては、日本のどんな片隅でも見られたこうした子どもたちの風景は、今では殆ど見られなくなってしまった。そんな半分哀惜の感情と懐かしさの感情とが入り混じる不思議な気持ちにさせられるのだ。
山口昌男氏の「挫折の昭和史」は、先日読んだ「敗者の精神史」とは姉妹篇のようなものらしい。前者が維新から明治にかけて生きた人々を取り上げているのに対して、こちらは昭和時代に生きた人間を取り上げている。時代的にはこちらが後だが、書かれた時期は先らしい。どちらも山口氏が深くかかわっていた雑誌「ヘルメス」に掲載された。

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聖ヒエロニムスを描いたもうひとつの作品「祈りを捧げる聖ヒエロニムス」においても、ボスはこの聖人を廃墟の中に位置させている。聖ヒエロニムスは自伝の中で、荒野での修行の苦しさを語っていたが、それをボスは廃墟と言う形で再構成したのだろう。

気の利いた言い方をしようとすると、どうしても嘘が混じっちゃうことがあるよね。この街灯の火を灯す人の話にも、ほんとじゃないことが混じってたんだ。地球のことを知らない人が聞いたら、間違ったふうに思うかもしれない。
陸游は20歳の頃結婚した。相手は母親唐氏の姪で、唐婉といった。二人は非常に睦まじく愛し合ったが、そのことが母親の嫉妬をかったのかもしれない。唐婉は母親によって追い出されてしまったのである。

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12月中に予定されていた野田首相のロシア訪問が延期されることとなった。ロシア側からの要求によるもので、表向きはプーチンの健康状態の都合ということになっているが、実際には、政権運営を巡って野田内閣の迷走が続き、直近の解散も視野に入ってきたことを踏まえ、ロシア側が様子見に入ったのだろうと推測されている。立場がふらついている人間を相手にはできないと考えるのは、ある意味当然のことだ。

オバマ大統領がかろうじて再選を勝ち取ったアメリカの新しい政局は、民主党が上下両院で議席を積み増したものの、下院においては共和党が引き続き過半数を制した。その結果、日本と同じようなねじれ構造の事態が継続することとなった。
古事記の下巻は仁徳天皇から始まる。中巻に出てくる諸天皇がなかば神話的な雰囲気を漂わせていたのに対して、仁徳天皇以下の諸天皇には、そうした神話的な雰囲気は乏しい。あくまでも人間的なのである。

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長距離レースを思わせるような長い選挙運動が終わり、米大統領にオバマが再選された。大統領を直接選ぶ選挙人の数では大きな差がついたが、有権者の投票はオバマの50パーセントに対してロムニーの48パーセントと、きわどい差であった。このことは、オバマが厳しい状況に見舞われていたことを物語っている。その厳しさを乗り越えて薄氷の勝利をつかんだわけだ。

1990年代以降の日本の不況をバランスシート不況だと定義づけるリチャード・クー氏は、問題を解決するカギは政府による財政出動だと主張する。そして現実の日本政府の財政運営が、おおむねそういう方向をとったために不況が深刻化せず、恐慌に陥らずに済んだと評価するわけであるが、日本経済はその過程で二度のゆり戻しを経験した。1997年から1998年にかけての不況の深刻化と、2002年以降の銀行危機である。どちらもマネタリスト的な発想による政策によって、経済に有害な影響を与えた結果であった、と氏はいう。

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中国は死刑大国として知られる。最近のワシントンポストの記事によれば、2011年の死刑執行件数は4000件、二位のイランが360件、5位のアメリカが43件だったから、ダントツの数字だ。それでも、2007年の執行件数8000件に比べれば、ここ数年の間に半減させてきた傾向が読み取れる。

井上靖は自伝的な小説をいくつか書いているが、「しろばんば」は彼の幼年時代を書いたものだ。井上が特異な幼年時代を過ごしたことは、彼の母親とのかかわりを描いた映画「わが母の記」で知ったところだったが、映画ではちらりとだけ言及されていた「おぬい婆さん」との共同生活が、「しろばんば」では実に情緒豊かに描かれていて、筆者は読みながら大きな感動に包まれた。

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もうすぐ選出される中国の新しい指導者たちにとって、当面の課題の中でもっとも大きなものは、腐敗の根絶だろう。なにしろ、役人による賄賂や職権乱用などの腐敗は、今や一般国民にとっても指弾の的になりつつあり、これを解決できないでは、新指導部の権威が保てないのは明らかだと思われる。

原敬と浜口雄幸は、ともに大正デモクラシーを代表する政治家ということになっている。二人とも大正デモクラシーの落し児としての政党政治の体現者であり、政党の力をバックに政権を握った。その為すところの目的は、薩長藩閥勢力から民衆の手へと、権力を取り戻すことだった。その結果ふたりとも右翼に憎まれて暗殺された。そこから、ふたりとも命を張って日本の民主主義の発展に尽くしたという神話が出来上がったわけだろう。
セックスがいやだなんて、とんでもない。セックスほど素晴らしいものはない。大部分の健全な人々はそう思っているのではないか。ところが、大部分の人がセックスに積極的であるのには、それなりの背景がある。その背景を取り去ると、人間というものは、そう簡単にはセックスを楽しめないものらしいのだ。

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聖ヒエロニムスを描いたこの絵は、「三隠者のトリプティクス」の中央部分である。左翼には聖アントニウスが女の誘惑と戦う姿が、右翼には聖エギディウスが祈りを捧げる姿が描かれ、この中央部分では、異教の寺院の廃墟で、キリストの十字架像を見つめる聖ヒエロニムスが描かれている。

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七番目の星が、地球だったんだ。

淳熙十四年(1187)63歳の時に、陸游は当時の任地厳州において初めて詩集を刊行し、剣南詩稿と名付けた。剣南とは蜀の異名である。陸游にとって蜀は、壮年時代の8年間を過ごした懐かしい土地であるとともに、金と対峙する第一線の地でもあった。それ故陸游にとっては、色々な意味で忘れられない土地であった。その土地の名を自分の詩集に冠したのには、陸游の蜀への深いこだわりがあることを感じさせる。

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ロシアには改革への必要性は乏しい。政治的にも社会的にも経済的にも、ロシアは安定と秩序を保っている。これ以上何を改革するというのか。

応神天皇は、仲哀天皇が神の託宣を無視したことを咎められて死んだときに、神功皇后の腹に宿っており、やがて皇位を継ぐと神によって告げられていたと古事記にはある。しかし実際に生まれたのは、神功皇后の新羅遠征後のことであり、仲哀天皇の死後かなりたってからのことである。そんなところから、その出生については不可解なところが多い。

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チベット人の焼身自殺が増加し始めたのは2011年の3月以降のことだが、それ以来これまでに60人以上が焼身自殺をしたという。先週(10月20日から25日まで)には、甘粛省の甘南県にあるチベットの聖地などで、一週間で7人もの人々が自分の体を火で包み、そのうち6人が死亡したということだ。

リチャード・クー著「デフレとバランスシート不況の経済学」を読んだ。この本が書かれたのは2003年のことだが、その時点で日本はすでに10年間にもわたる長い不況にあえいでいた。その不況の根本的な原因を、著者のリチャード・クー氏は企業のバランスシートの悪化に求めた。

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