2013年11月アーカイブ

縄文土偶

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(ハート形土偶:群馬県郷原出土、縄文後期)

縄文土偶は土器よりも遅れ、縄文前期中ごろのものから出土する。粘土を低温で焼いた人型である。初期の土偶は人体をイメージさせるだけのシンプルなものが多いが、縄文中期から、目鼻、胴体、四肢を備えた人間らしい形態になる。なかには、人体の部分を極端にデフォルメさせた抽象的なデザインのものもあり、また、土器と同じような縄文をほどこしたものもある。

虚偽の社会を描く:魯迅「阿Q正伝」

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阿Q正伝」は魯迅の代表作であり、中国文学にとって記念碑的な意義を持つ作品であるから、幾通りもの読み方を許容するような広がりと深みを持っている。もっとも素直な読み方としては、阿Qという人物を通して、辛亥革命が中国の一般社会にどのようなインパクトを与えたのか、それを考えさせるものだとする読み方もあるだろうし、また、そもそも辛亥革命が矮小なものに終わりがちだった所以、それを暴露するのが主な目的だとする読み方もあるだろう。そして、そこで暴露されているのは、中国社会に蔓延する虚偽なのであり、それは、いいかえれば、「狂人日記」のなかで主人公が糾弾していた旧弊、つまり食人道徳というべきような、非人間的な道徳観念なのだということになる。こうした見方に立てば、「阿Q正伝」は「狂人日記」の中で提示されていたテーマを、ぐっと進化させたものだということもできよう。

香嵐渓の紅葉を見る

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バスは旅館を出発した後、木曽川の名所寝覚めの床に立ち寄った。ここも以前来たことがある。その折は道路沿いに間近に眺めたものだったが、今回ははるか上の方から、それも鉄道の線路を挟んで、眺め下す形になった。だから景色はあまりよくない。名前は同じでも、とても同じ場所とは思えない。

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1904年にピカソがパリにやってきて住みついたのは、モンマルトルの安アパートだった。詩人のマックス・ジャコブが洗濯船(Bateau Lavoir)とあだ名したこのアパートには、アポリネール、モディリアーニ、コクトー、マティスといった芸術家たちも出入りしたが、ピカソは恋人のフェルナンドとここで暮らしながら、芸術家たちとの交流を楽しんだといわれる。

「天皇制ファシズムの成立は、北一輝、大川周明、西田税、井上日召、橘孝三郎、天野辰夫など、民間の行動的右翼の思想と運動をぬきにして論ずることはできない」(<近代の超克>論、第五章)廣松渉はこういって、日本の天皇制ファシズムの成立に果たした民間右翼の「貢献」を強調する。

木曽駒高原から木曽御嶽を見る

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投宿先は木曽駒高原ホテルといって、木曽駒ヶ岳の北西斜面に立っていた。周囲は一面の林で人家らしいものはどこにも見えない。聞くところによると、木曽駒ヶ岳の広大な山麓にゴルフ場を作り、そのゲストハウスを兼ねてこのホテルを作ったのだそうだ。だが、その分ホテルとしての格式が劣るというのでもないらしい。たたずまいは堂々としているし、サービスも非のつけどころがない。温泉も出るようだ。

暴走する安倍政権

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最近の安倍政権を見ていると、有効な抑止勢力が存在しないことをいいことに、やりたい放題という印象を受ける。さまざまな点で問題のある「特定秘密保護法案」を巡るやり方などは、まさしく暴走というべきだ。向かうところ敵なし、敵があっても踏み潰して進む。誰がどんな批判をしようとも、そんなことを聞く耳は持たぬ。そんな不遜な態度を感じさせる。

遠藤周作の短編小説

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遠藤周作の短編小説を二篇「男と九官鳥」、「四十歳の男」を読んだ。いずれも、結核患者の病院生活と、その中で患者に飼われる九官鳥をモチーフにしている。遠藤自身の体験を基にしたもので、その意味では私小説の系譜に属するものと思ってよい。遠藤自身、30代の末頃に結核の手術を三回にわたって受け、死ぬ覚悟までしていたというが、その時に飼った九官鳥によって慰められたと言っている。そしてその九官鳥は、「四十歳の男」の九官鳥と同じように、遠藤の三回目の手術が成功裏に終わった時に、遠藤の身代わりのように死んでいったということだ。

木曽を歩く

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あひるの仲間たちと共に紅葉を見に行った。バスの一泊旅行で、一日目は木曽の古い宿場町を散策し、木曽駒高原というところに宿泊して、二日目は紅葉で名高い香嵐渓を散策しようというものだった。幹事役はいつものとおり静ちゃんあひるが勤めてくれたが、格安のパックツアーを見つけてきたのは今ちゃんあひるだったようだ。今回はひさしぶりに安ちゃんあひるも参加した。このほか、少尉あひると横ちゃんあひる、それに絵かきあひること吾輩を加えて総勢六羽の旅になった。

山の音:成瀬巳喜男の世界

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成瀬巳喜男の映画「山の音」は、川端康成の同名の小説を映画化したものである。「雪国」と並んで川端の代表作とされるこの作品は、「雪国」とは違った意味で川端らしさが溢れた小説であるが、その川端らしさが、成瀬らしさとは衝突するところがあったらしく、成瀬はこれを自分の好みに合わせて大きく作り変えている。

擬音語や擬態語を語根とする言葉

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擬音語や擬態語、いわゆるオノマトペから発した言葉が日本語には非常に多い、ということを筆者はかねて考えていたが、大野晋もその考えを裏付けるようなことをいっている(日本語の水脈)。大野によれば、オノマトペはハングルや中国語にも多く、とくにハングルなどは、単語の半分がオノマトペ由来だという。しかし、ハングルや中国語では、オノマトペが語根となって、様々な品詞に展開するということは、日本語に比べて多くはないようだ。日本語の場合はとにかく、ひとつのオノマトペをもとに、名詞、形容詞、副詞、動詞といった具合に、どんどん広がっていくのである。(たとえば、ゆらゆら、ゆらめき、ゆれる、ゆらり、と言った具合に)

縄文土器3:縄文後期、晩期

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(黒色磨研土器:九州、縄文晩期)

縄文時代の後期から晩期にかけて、日本各地の土器の形や文様は引き続き多様な展開を見せていくが、それでも西日本と東日本との間の大きな相違のようなものを認めることができる。西日本では、装飾性が抑えられ、次第に無文化する傾向が認められる。これは、土器の実用性が高まったことの反映と思われる。無文化とともに土器を研磨することによる薄手化の進行がその推測を裏付けている。

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1904年、ピカソはパリに四度目の旅行をしたのをきっかけに、そのままパリに定住するようになった。そんなピカソがもっとも深く交際したのは詩人のアポリネールである。二人の交際ぶりは、サルタンバンクの軽業師を好んで自分たちの芸術のインスピレーションにしたことにもあらわれている。ピカソは、サルタンバンクを度々描く過程の中から、次第に青の時代を脱して、バラ色の時代と呼ばれる、明るい色彩の世界へと踏み込んでいくのである。

コクトーの八つの歌から「マリー・ローランサン(Marie Laurencin)」(壺齋散人訳)

  フォーヴとキュビストたちの間で
  小さな雌鹿が罠にかかった

  芝生と貧血で
  友達の鼻が青白くなる

  フランス 娘たちの国

  クララ・デレブーズ
  ソフィー・フィチーニ

  もうすぐ戦争が終わる
  そうしたらおとなしい家畜たちが
  君の扇の上で跳ねるだろう

  フランス万歳!

縄文土器2:縄文中期

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(加曾利式E型土器:関東地方、縄文中期)

縄文時代中期の土器になると、造形的な意思が強く働くようになる。それはひとつには腹面の模様の多様化につながり、もう一つには広口部分の装飾性の強化に向かった。この時期以降になると、意匠は単純化する方向に向かうので、縄文中期が造形的にもっとも華やかな時期だったということができる。

民衆の痴愚蒙昧を描く:魯迅「明日」

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魯迅は短編小説「薬」の中で、人肉で作った饅頭を食えば、どんな病気も忽ちに治るという迷信の犠牲となって、むざむざ息子を死なしてしまう親たちの蒙昧ぶりを描いていたのだが、続いて「明日」という短編小説の中でも、同じようなテーマ、つまり民衆の痴愚蒙昧というテーマを取り上げた。

スープ:ピカソ、子どもを描く

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ピカソは青の時代を通じて母子像を多く描いた。それらの多くは、どこかさびしさと云うか、悲惨さを感じさせ、親子の情愛の喜びといったものとは縁遠い雰囲気のものだった。それは1901年のパリ滞在中にサン・ラザール監獄で見た、受刑者母子の印象に、引きずられていたからだろうと推測される。

廣松渉は「近代の超克」論を目して、日本における上からのファシズムに下から呼応する動きとしたのであるが、日本ファシズムの二大要素たる全体主義的「国体」と対外戦争のうち、後者を見事に合理化したものとして、京都学派の学者高山岩男を取り上げている。

「砂の上の植物群」と言う一見奇妙なタイトルは、クレーの絵のタイトルからとったものだ。この小説の進行途中で、書き手の作家がいきなり割りこんできて、クレーの絵の講釈を始めるのだが、その絵の中の一枚に、このタイトルを冠したものがあった。それは、あのクレー独特のパターンを色鮮やかに描いたものなのだが、作家はその絵がことのほか気に入って、そのタイトルを自分の小説にも使ったというのだが、その小説とクレーの絵とが、どんなふうにつながっているのかは、明らかにしていない。

悪いニュースを伝えるタイミング

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良いニュースと悪いニュースでは、悪いニュースを先に伝える方が有効、こんな研究結果がナショナル・ジオグラフィックに紹介されていたが、それを読んだ筆者は首をかしげてしまった。というのも、筆者の日頃の印象では、悪いニュースは最後に伝えた方が、少なくとも伝え手にとってはメリットがあると感じていたからだ。それに対して良いニュースは、真っ先に伝えた方が良いと。

稲妻:成瀬巳喜男の世界

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成瀬巳喜男が「めし」の中で描いて見せたのは、明確な意思を持たず、あるいは持っていてもそれを表現することが苦手で、受動的に流されるままに生きている日本人だった。そんな日本人は今では少なくなりつつあるが、でも全くいなくなったわけではないし、そうした人間を実際に目の前にすると、そんな人間がいても不思議ではないという気にさせられる。というのも、そういう人間たちは、ついこの前までの日本には大勢いたのだから。成瀬の映画が根強い人気をもっているのも、こんな事情があるからだろう。

犬の起源はヨーロッパ?

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家畜としての犬は、中国を中心とした東アジアから始まったとするのがこれまでの有力な説だったが、狼から犬への家畜化はヨーロッパから始まったとする新しい見解が現れた。この見解は、フィンランドのトゥルク大学の進化遺伝学者オラフ・タルマン(Olaf Thalmann)氏のチームの研究結果からもたらされた。チームはDNAの比較分析を行った結果、犬の直接の先祖は、ヨーロッパの、今は絶滅している狼であると結論付けたという。

さかい:理由や原因をあらわすことば

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「そやさかい」といえば、「そうですから」という意味の関西言葉だ。この中に含まれる「さかい」について、筆者は、古語の「かれ」から発展してきたもので、関東言葉の「から」が「かれ」からの発展であることとパラレルなものだ、という趣旨のことをいったことがある。ところが、この「さかい」の起源を別の所に求める意見があった。大野晋の説である。

核のゴミの処理見込みが立たない

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小泉純一郎元首相が脱原発を主張している最大の理由は、核のゴミを処理する見込みが立たないということだ。ゴミの処理場を持たない原発というのは、便所のないマンションと同じで、まともに機能できるわけがない、という至って明快な理屈だ。そこで、日本における核のゴミの処理の実態がどのようになっているのか、気になるところだが、その一端を朝日新聞が報道している(11月18日朝刊)

海辺の母子像:ピカソ、子どもを描く

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1901年の二度目のパリ滞在中、ピカソはサン・ラザール監獄に足しげく通った、そこに収監されていた娼婦たちをモデルに絵を描くのが目的だった。ピカソに限らず多くの画家の卵が、タダでデッサンさせてくれるこの場所に出かけていったものだという。

中国が一人っ子政策を緩和

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中国で1970年代から続けられてきた「一人っ子政策」を、更に緩和することになった。その結果、これまで夫婦とも一人っ子の場合に認められていた二人目の出産を、夫婦のいずれかが一人っ子のケースにも拡大されることになる。

コクトーの八つの歌から「アンヴァリード広場(Place des Invalides)」(壺齋散人訳)

  神がうつろな天空で猫なで声をあげる
  オンファールの糸車 諸国民
  輝かしい装飾の回復
  アンヴァリード広場

  黄金のドーム
  勘定が迫る 雲の請求書
  三色のリボン飾り

  簗みたいに宙吊りになったエッフェル塔
  それが黙ったまま
  世界中の電報をキャッチする

パレオダイエット(Paleo Diet)

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飽食時代の今日、肥満を気にする人々の間でパレオダイエットが人気を集めているそうだ。パレオダイエットのパレオとは Paleolithic のパレオのことで、要するに旧石器時代の人類が食べていた食事という意味だ。我々現代人と違って彼らは肥満とは縁がなかった。肥満するほど大量の食事をとらなかったこともあるが、そもそも彼らの食事に肥満をもたらなさない効果があったことがわかってきて、これなら食事量を減らさなくてもダイエットができそうだというので、人気が出たということらしい。

縄文土器1:縄文早期、前期

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(貝殻文沈線文系土器、東北縄文早期)

日本の歴史上最初の美術作品と称されるものは縄文時代の土器と土偶ということになっている。縄文土器がまず現れ、ついで土偶が現れた。土器の方はもともと美術品として作られたわけではなく、生活上の必要に迫られて作られたのであろうが、その制作にあたっておのずから、日常の用途に応じた目的と並んで、形や模様といった遊びの要素が付け加わった。その遊びの要素が、縄文土器を日本史上最初の美術品にせしめたのだと考えることが出来る。土偶の方は、土器におけるような日常生活上の用途があったとは考えがたいから、それを超えた要素、たとえば宗教的・儀礼的な要因があったと考えることが出来る。それ故、土器に比べると、土偶の類の美術的な性格はいっそう強まることとなる。

魯迅の処女小説「狂人日記」は、色々の点で中国文学にとって画期的な先品である。まず、口語体で書かれた初めての小説だという点。語彙や文法の点で、まだ文語の面影を完全には払しょくしていなかったが、句読点の用い方などを工夫することによって、なるべく日常の話し言葉に近づけようとする意図が伺われる。円熟した口語体が自在に用いられるようになるには、翌年発表の「孔乙己」を待たねばならないが、とにかくこの作品は、中国文学にとって、口語体で文章を書くという画期的な方向性に、初めて応えた作品なのである。

グルメ:ピカソ、子どもを描く

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「グルメ(Le Gourmet)」と題されたこの絵は、別名を「食いしん坊の子ども」ともいうとおり、夢中で食事をしている少女を描いたものだ。小さな少女がテーブルによりかかるようにして、大きなボールを両手で抱え、匙でスープを掬い取ろうとしている。その表情は真剣そのものだ。

廣松渉「<近代の超克>論」

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廣松渉がこの本で取り上げた<近代の超克>というのは、雑誌「文学界」の昭和17年10月号に掲載された伝説的に有名な座談会のテーマとなったものだが、その座談会というのが、日本思想史の上で重要な意義をもったというのが大方の評価になっている。評価といっても積極的なつまりプラス方向の評価と、消極的なマイナス方向の評価があるわけだが、この座談会はどちらかと言えば、マイナスの評価の方が強い。というのも、時節柄やむを得ない面があったにしても、日本の対外侵略や国内の全体主義を合理化しているという点で、上からのファシズムに下から呼応した民間のファシズムのひとつの現れだという評価が強いのである。

吉行淳之介の短編小説

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筆者は、所謂「第三の新人」の中でも、吉行淳之介の作品は比較的沢山読んだ方だと思うのだが、内容は大方忘れてしまっていた。そこで今回、初期の短編小説をいくつか読んでみたところ、筋は初めて読むような気がしたが、雰囲気の方は何となくなつかしいものを感じさせた。ということは、この作家は独特の雰囲気を身に着けていて、読者は小説の筋書を忘れても、雰囲気だけはどこかにしまって残している、といった不思議な体験をさせられるらしい。

小泉純一郎元首相の脱原発に向けたメッセージが政治的な波紋を広げている。昨日(11月12日)は日本記者クラブで会見し、一時間かけて脱原発の必要性を訴えた。単に訴えるだけではなく、安倍首相に向けて原発「即ゼロ」を決断するように呼びかけた。首相が決断すればできる、できることはやればよい、と言うスタンスだ。

めし:成瀬巳喜男の世界

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成瀬巳喜男は日本の映画史上、溝口健二、小津安二郎、黒沢明とならんで四大監督などと呼ばれ、世界的な評価を受けている。だが、他の三人とはちょっと異なったところがある。他の三人がそれぞれ強烈な問題意識というか、生涯をかけたテーマのようなものを持っていたのに対して、成瀬の場合にはそうしたところが希薄である。彼は、溝口のように社会の矛盾に対して批判的な目を向けるわけでもなく、小津のように家族関係の変化を歴史の必然として眺めるでもなく、また黒沢のように人間の内面に目を凝らすというのでもなかった。彼が映像を通じて描いたのは、同時代のごく平凡な男女のごくごく平凡な日常生活なのであり、そこにはイデオロギーとかヒューマニズムとかいった、大袈裟な気負いはいささかもない。しかし、そんなところがかえって、映画作家としての成瀬巳喜男の独自性というものにつながったのではないか。そんな風に思わせる不思議な作家なのだ。

好き:愛情を表現する言葉

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古代日本語で愛情を表現する言葉を見つけようとして「伊勢物語」にあたったところ、「思ふ」と「恋ふ」とが用いられていたことについては、先稿で述べたとおりだ。このほかに愛情を表現する言葉が古代にはなかったのか、注意深くしていたところ大野晋が、「好き」という言葉が、古代に愛情表現の言葉として用いられていたことを教えてくれた。(日本語の水脈)

国産メーカーが開発する自動運転車に試乗した安倍首相が、その性能に感心し、「さすが日本の技術は世界一だなということを体で感じさせていただいた」と満足げに語ったとメディアが伝えたところ、さっそくネット住民たちから「Googleのほうがずっと進んでるだろ!」とツッコミが入りまくったそうだ。

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鳩を持った子ども(L'enfant au pigeon)は、ピカソ初期の傑作の一つであり、いわゆる「青の時代」の始まりを画す作品である。ピカソが20歳にして描いたこの作品は、ピカソの生涯の画業を暗示させるものを持っていると評されている。豊かな色彩感覚と、単純なフォルムへのこだわりである。この作品においても、単純な構図と大胆な色彩配置がよく見て取れる。

アグラエ(Aglaé):コクトーの八つの歌

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コクトーの八つの歌から「アグラエ(Aglaé)」(壺齋散人訳)

  冷たい水をぐびぐびとわたしは飲む
  もういちど短剣のひとつきをわたしは飲む
  重い重いかたまりが
  暗黒の体内を疾走する

  水柱がちょろちょろと盛り上がり
  ベゴニアのかたまりのようなしぶきをあげる
  そのかたちはまるで草のなかにいる
  塗れたざりがにのよう

  海の底の方で
  綺麗な鰓をした二匹の魚が
  白い木の上で歌ってるけど
  だれもそれを聞いていない

  アンフィトリスには会えないと思うわ
  鱒たちのこの陽気な行列には

吶喊:魯迅を読む

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魯迅が日本に留学したそもそもの目的は近代医学を学ぶことだったが、彼はその目的を途中で放棄して、文学を志すようになった。何故そうしたのか、その経緯なり理由について、魯迅は処女作品集「吶喊」自序の中で書いている。

風化する?北方領土への国民の関心

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内閣府が実施した北方領土問題に関する特別世論調査の結果、官民による北方領土返還要求運動について「参加したくない」と答えた人は59.5%だった、という報道を読んでいささか考えさせられた。尖閣や竹島と比べると、北方領土に対する国民の関心が薄くなってきたということか。もっとも2008年の前回調査でも59.4%と、今回とほぼ同じだったそうだから、薄くなったというよりは、もともと薄かったということかもしれない。

泉のニンフ:クラナッハの裸体画

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クラナッハは、横たわる裸婦の像を何点か描いているが、最も有名なのは「泉のニンフ」と題した1534年のこの作品である。


ムツゴロウのデュエット

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ムツゴロウといえば有明海の名物として知られていたが、最近は干拓が進んだので、ムツゴロウも住みにくくなったことだろう。この写真にあるムツゴロウは、有明海のムツゴロウではなく、タイのリゾート地クラビの干潟で目撃されたものだ。ムツゴロウはトビハゼとともに東アジアの干潟に広く分布するのだ。泥の中をスキップする姿から、英語ではマッド・スキッパー(Mudskipper)という。

放屁抄:安岡章太郎の屁へのこだわり

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「放屁抄」という愉快な題名を冠した小品は安岡章太郎の屁へのこだわりを材料にしたものだ。屁というものに対する日仏間の文明論的な相違への言及から始まって、屁を巡る自分自身の体験を記しているうちに、話題が品川女郎の放屁の話に飛ぶ。軽妙なエッセーのつもりで読み始めたところが、いつの間にか小説として展開するわけで、そこがいかにも安岡らしい。

アメリカが敵性国だけでなく同盟国も対象にして政治指導者等に対する盗聴活動や監視を行ってきたことについては、先日このブログでも取り上げたところだが、その際メディアに質問された日本の安倍政権の官房長官が、大した調査もせずに、日本については「まったく問題ない」と答え、安倍政権のアメリカに対する信頼がゆるぎないことを紹介した。ところがそれからいくばくも経たないうちに、日本もやはり監視対象だったということが明らかになった。

無法松の一生:稲垣浩の世界

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「無法松の一生」は、映画化だけでも四回、テレビドラマや民衆芸能の題材として数限りなく取り上げられたほか、浪花節や歌謡曲でも歌われた。ということは、一時期の日本人たちから、こよなく愛されたということだ。一時期、というのは他でもない、今どきの若いものには受けないだろうという意味だ。そのほか色々な意味で、日本史の一時期を画する物語だといえる。

能「小鍛冶」を見る

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先日NHKが放送した能番組で宝生流の「小鍛冶」を見た。シテは朝倉俊樹、ワキは福王和幸が演じていた。この能についてのレビューは別稿で書いたところなので、今回は詳しい紹介はやめて、この舞台を見た印象を書いてみたいと思う。

ナ入れ言葉:現代の係り結び?

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「そうであったらいいナと思います」、「ぜひそうしたいナと考えます」といった言葉が何気なく使われているが、これらの表現に含まれている「ナ」は、意味の上ではなくてもよいものだ。こうした表現を筆者は自己流に「ナ入れ言葉」と呼んでいる。この言葉を始めて耳にしたのは、20年以上も前のことで、その折には非常に奇異に感じたものだが、いまでは、日本中に氾濫するようになり、それにともなって奇異な感じも次第に弱まってきた。

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ブランドン・スタントン(Brandon Stanton)はニューヨークを根拠地にしてフォトブログを運営する変わり種の写真家だが、一部の物好きたちから大きな声援を受けている。もともとシカゴで金融ディーラーをやっていたが、金融危機のあおりでクビになった後、ニューヨークに出てきて写真家になった。

ウェヌス:クラナッハの官能美

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クラナッハは、キューピッドを伴ったウェヌスを沢山描いたが、単身のウェヌス像も何点か残している。その中で最も有名なのが、フランクフルトにあるこの絵だ。

コイズミという名の超新星

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安倍晋三氏といえば、今やニッポン原子力ムラの希望の星の感があるが、その星にしてひとつだけ照らしたくないものがあるらしい。コイズミという名の超新星だ。超新星と言うのは、星の生涯における最後の姿で、一瞬きらびやかに輝いて爆発した後、その跡にブラックホールとか中性子星とかいうもの残す。その超新星よろしく、小泉氏は人間としての最後の局面に直面しているが、その期に臨んで激しい爆発現象を巻き起こし、原子力ムラの住人達に深刻な迷惑をかけているということのようだ。

ピロリ菌の除菌に成功す

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先日、自分自身がピロリ菌と戦っている様子を、このブログで紹介したところだが、二度にわたる挑戦の末、ついにピロリ菌の除菌に成功した。その結果、今のところどういう状態が現出したかについて、記録の意味で、書いておこうと思う。

勝っても負けても絵になる男、なんてそうあるものではない。昨年から今年にかけて、ポストシーズンを含めて29連勝中の楽天田中将大投手が、日本シリーズ第六戦の舞台で、敗北を喫した。その負けっぷりが絵になったというので、日頃プロ野球ファンであった人々をうならせたのは無論、あまりプロ野球に興味をもたない人も、思わずうなったのではないか。

コクトーの八つの歌から「仕官学校(École de guerre)」(壺齋散人訳)

  人生は何て退屈なんだ
  この朝の5時半に
  毛布にくるまってるなんて

  伝染性のラッパの音が
  兵営中に鳴り渡る
  まるで疫病のように

  この青銅の雄鶏の悲しげなことよ
  天使が自転車をこいで
  まぐさの中から飛び出してきて
  膨大な電報を運んでいくよ

  しゃがれたラッパの音が
  この巨大な建物に反響する
  起きなよ 寒いけど
  観覧車に乗ってる旅人たちよ

宇宙に漂う魔女の横顔

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上の写真はNASAがハロウィーン向けのプレゼントとして公開したもの。「魔女の横顔」と名づけられた星雲で、オリオン座の膝のあたりに位置しているという。なるほどそう言われてみれば、魔女の横顔に見えないことはない。少なくとも人間の横顔ようには見える。

示兒:陸游の辞世の句

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陸游の辞世の七言絶句「兒に示す」(壺齋散人注)

  死去元知萬事空  死し去りては元より知る萬事空しと
  但悲不見九州同  但だ悲しむ九州の同じきを見ざるを
  王師北定中原日  王師北のかた中原を定むるの日
  家祭無忘告乃翁  家祭忘るる無かれ乃翁に告ぐるを
安倍首相が、国会開催中にわざわざトルコまで出かけて行って原発を売り込んできた、というニュースに接して、大方の国民は唖然としたのではないか。なにしろ、福島原発の事故がまだ収束とは程遠い状態で、また将来の原発政策についての国民の合意ができていない(というより大部分の国民は脱原発の意思を益々強くしている)状態の中で、こともなげに、それも外国に対して、原発売り込みの最前線に立ったわけだから、国民の驚きも大きいというものだ。

軽自動車の保有にかかる税金が増税されようとしている。現在は普通の自動車と軽自動車では税率が異なっており、軽自動車税は(普通)自動車税の4分の1以下に抑えられている(一台当たり軽自動車が7200円に対して、普通自動車は排気量に応じて2万9500円~11万1000円)。それを、軽自動車税を(普通)自動車税並みに引き上げようとするものだ。

ルクレチア:クラナッハの官能美

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クラナッハが同一のテーマで最も多く描いたのは「ルクレチア」である。その数は40点に上る。殆どすべては、全身または半身の女性像で、自分の胸元に短刀を突き立てているか、或は突き立てようとする瞬間を描いている。

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