「ピエロに扮したパウロ(Paul en pierrot)」は、パウロの4歳の誕生日を記念して描いた作品である。この年にピカソはもう一枚パウロの肖像(闘牛士に扮したパウロ)を描いているが、それを最後にパウロの絵を描くことはなかった。そんなことから、自分の子供といえども、4歳くらいまでのあどけない子どもの姿だけに、ピカソが芸術的な感興を覚えていたことの傍証としてよく言われる。
1910年前後から、ピカソはキュビズムの時代という段階に入る。キュビズムは形態をいったん解体したうえで、再構成するという特徴からして、子どもを子どもらしく表現することが難しく、したがってこの時期には、子どもをテーマにした絵をあまり描いていない。そんななかで、この「輪を持つ少女(Fillette au cerceau)」は、キュビズムの様式で子どもの表現に取り組んだ数少ない作品の一つである。
存在と非存在は一対の対立概念であるが、それを日本語では「ある」と「ない」というように、異なった言葉で表す。一方、英語をはじめとした印欧語族の言葉では、存在は「 be 」、非存在は否定辞の「 not 」をつけて、「not be 」という具合に現す。漢字の場合には、「ある」は「在」とか「有」といい、「ない」は「無」とか「莫」とかいうほかに、否定辞「不」、「没」をつけて、「不在」あるいは「没有」という場合もある。
1906年5月、ピカソは恋人のフェルナンドとともにバルセロナに戻った。フェルナンドによれば、久しぶりにスペインに戻ったピカソは生気を取り戻したかのように、確信に満ちた日々を送ったらしい。この時期にピカソは、バラ色の時代の様式を徐々に脱却し、新たな様式への転換を図った。その転換期を代表する作品が、この「二人の兄弟(Les deux frères)」である。
ピカソは、バラ色の時代に、道化役者と子どもの組み合わせをいくつも描いている。この「道化役者と子ども(Comedien et enfant)」は、それらの中でも最も有名な一枚だ。赤い衣装をまとった道化役者と、青い体操着を来た子供が並んで立ち、道化役者が子どもの肩に手を置いているが、かといって親密な雰囲気は伝わってこない。というのも、二人は別な方向を見ており、それぞれにバラバラなことを感じさせるからだ。
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