2015年4月アーカイブ

安倍晋三総理の米議会演説を新聞で読んで思わず吹き出してしまった。まるで、ラブレターを読んで聞かされているような気がしたからだ。いい男が、自らの切ない心のたけを諄々と述べ立てる。それは自立していない女がマッチョな男に向って、愛を告白しているようにも聞こえた。いつまでも君と共に歩みたい、と。これはどう見ても尋常ではない。

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「山下白雨」は、「神奈川沖浪裏」及び「凱風快晴」とともに富嶽の「三役」と呼ばれ、北斎版画の中でもっとも人気の高い一枚である。題名の「山下白雨」とは、富士山の裾のほうで白雨が降っている様子を表している、白雨とは明るい空から降るにわか雨のことだが、北斎はその雨の様子を稲妻で表現しているわけだ。

西田幾多郎の小論「論理の理解と数理の理解」(「思索と体験」所収)は、論理学的思考と数学的思考との関係についての、西田なりの考えを述べたものである。西田は、そもそも数学者になるか哲学者になるかについて、選択に迷ったほど数学に興味を抱いていたようなので、それについて突っ込んで考えて見たいという動機もあって、こんなものを書いたのかもしれないが、それ以上に、論理学と数学との関係をどのように考えるかは、哲学にとって重い課題でありつづけた。だから哲学者がこれを取り上げるのは、ごく自然なことなのである。

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むかし、右近の馬場のひをりの日、むかひに立てたりける車に、女の顔の下簾よりほのかに見えければ、中将なりけるをとこのよみてやりける。
  見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮さむ
返し、
  知る知らぬなにかあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけれ
後は誰と知りにけり。

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デヴィッド・リーン( David Lean )の1957年の映画「戦場にかける橋( The Bridge on The River Kwai )」は、日本軍によるイギリス人捕虜の虐待を主なテーマにした作品である。虐待をする日本人は非人間的な獣のようなものとして描かれ、虐待されるイギリス人は、どんな困難に直面しても、人間としての尊厳を失わない。そんな風に描かれている。だから、我々日本人にとっては、決して愉快な映画ではない。今日こんな映画が作られたら、日本の愛国主義を標榜する勢力の標的にされ、日本では上映できないだろう(アンジェリーナ・ジョリーの映画「アンブロークン」のように)。

安倍晋三総理のアメリカ訪問のタイミングを狙ったかのように、日米防衛指針が18年ぶりに改訂された。安倍政権が決定した集団的自衛権の行使を念頭に、自衛隊が米軍と一体となって、地理的条件の制約なしに、世界中で展開しようとするものだ。これはアメリカが日本に対して積年求めていたことに応えるもので、安倍総理としては、訪米の大きな手土産になることだろう。

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「凱風快晴」は「神奈川沖浪裏」とともに北斎の最高傑作といわれており、日本人に最も愛されている作品である。というのも、日本人が愛してやまない富士を、単純な構図をとおして、すっきりとしかも優雅に描き出しているからであろう。

中国語学者の高島俊男が著した「漢字と日本人」という本を、丸谷才一が激賞したということを聞いて、丸谷が激賞するくらいだからきっと有意義な本に違いないと思って、読んでみた次第だ。読んでの印象は、期待を裏切らない有意義な本だというものだった。日本語としての漢字に関心を持っている人は、是非一読の価値があると思う。

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単に「静物(Nature Morte)」と題した、1887年に完成したこの絵は、セザンヌの技術が一層深化したことを物語っている。モチーフを暗い背景とのコントラストに置いて浮かび上がらせることは依然としているが、全体に画面がクリアになっており、しかも暖かい雰囲気を感じさせる。暖色を多用しているためだ。

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むかし、おほきおほいまうちぎみときゆるおはしけり。仕ふまつるをとこ、九月ばかりに、梅の造り枝に雉をつけて奉るとて、
  わが頼む君がためにと折る花はときしもわかぬものにぞありける
とよみて奉りたりければ、いとかしこくをかしがりたまひて、使に禄たまへりけり。

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デヴィッド・リーン( David Lean )の映画「オリヴァー・ツイスト( Oliver Twist )」は、チャールズ・ディケンズの同名の小説を映画化したものである。ディケンズは19世紀イギリスで国民作家と言われた人気小説家で、主に資本主義社会の矛盾をテーマにした小説を書いた。「オリヴァー・ツイスト」は、そのディケンズの出世作というべき作品だ。やはり、19世紀イギリスにおける資本主義の矛盾を、一人の孤児を通じて描いている。

脳学者養老孟司氏の啓蒙的著作「バカの壁」は、「話せばわかるは大嘘」ということから始まるので、のっけからずっこけてしまう。筆者も含めて普通の人は、人間同士というのは「話せばわかる」と何となく思い込んでいると思うのだが、氏はそれを根拠のない思い込みであり、そんなことを主張するのは「大嘘」だと言うのである。

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欧米では、北斎と言えばまずこの絵が言及されるほど有名な絵だ。北斎が初めてヨーロッパに渡った時から、この絵は北斎の代表作として受け取られた。クロード・モネはこれをアトリエの壁に架けて常に楽しんでいたと言うし、音楽家のドビュッシーは、交響曲「海」の楽譜の表紙に採用した。

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1882年に完成した「コンポートのある静物(Nature morte avec compotier)」と題するこの絵は、セザンヌの静物画の流れにとって一つの転機をなす作品だとの評価が高い。それは、セザンヌの中期以降の静物画に特徴的な、画面全体に溢れる色彩の律動感のようなものが、この絵で明確な形をとったからだ。この作品のもつ素晴らしい色彩感は、とりわけゴーギャンに強い影響を与えたといわれる。

漱石が男女の間をテーマに小説を書く時には、一人の女と二人の男の物語という体裁をとるのが常道だった。その関係は、「それから」や「門」にあっては姦通と言う形をとり、「こころ」においては友人を出し抜いての女の略奪という形をとったわけだが、いずれにしても、三角関係をテーマとしたものには違いなかった。漱石の遺作となった「明暗」も、男と女の関係を主なテーマとしているが、それ以前とは多少異なった結構になっている。この小説では、一人の男と二人の女との関係がテーマになっているのである。

富嶽三十六景は、天保元年(1830年、北斎71歳)あるいは文政の末年に描き始められ、天保二年から三年頃にかけて順次板行されたと考えられる。総点数は46枚である。そのいきさつについて、天保二年刊柳亭種彦「正本製」十二編下巻の巻末広告が次のように記している。

西田幾多郎の思考のわかりづらさの要因を「述語論理」に求め、それが正常人の思考と異なる分裂病患者の思考に似ていると看破したのは、洒落た哲学的エッセイスト中村雄二郎である。中村はこのおかげで、西田の崇拝者たちから、日本の偉大な思想家を狂人扱いするのかと非難されたそうである。

インドネシアで開かれているアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の60周年記念首脳会議の席上、日本の安倍晋三首相が行なった演説の全文を、ネットで入手したので、参考のため引用しておく(アジア・アフリカ会議での安倍首相スピーチ全文 )。

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むかし、堀河のおほいまうちぎみと申すいまそがりけり。四十の賀、九条の家にてせられける日、中将なりける翁、
  桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに

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デヴィッド・リーン( David Lean )の映画「逢いびき(Brief Encounter)」は、世界の映画史上最高の恋愛映画という評価が高い。恋愛映画と言っても、若い男女の恋愛ではなく、どこにでもいるような中年の男女の愛を描いたものだ。しかも、この男女は激しく抱擁しあうわけでもなく、ましてセックスをするわけでもない。ささやかなデートを重ねながらお互いの愛を確かめてゆく。だが、お互いに一線を前にして、そこより前には踏み出さない。二人とも配偶者と子どもがあり、ささやかな家庭を持っているからだ。その家庭を破壊してまで互いの愛を貫こうとするまではいかない、愛を貫くか家庭を守るか、その選択を迫られた二人は、別れることを選ぶ。だがその選択は、死にたくなるほどつらい。そのつらさが、二人の愛の深さを物語っている。そんなふうに観客に感じさせる映画だ。

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バタフライ星雲 NGC6302 は、さそり座にある双極性の惑星状星雲である。惑星状星雲とは、超新星爆発を起こさなかった恒星が、消滅の寸前になるもので、飛散した物質が中心核の白色矮星の光りを浴びて、光って見えるものである。惑星状星雲が双極性の形をとるようになるメカニズムは詳しくわかっていない。現象的には、この映像(NASAから)のように、バタフライが羽を広げたような形になる。

北斎

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かつてニューズウィークとかライフといったアメリカの雑誌が、人類史上もっとも偉大な人物100人を選ぶ特集をしたことがあったが、その折に日本人としてただ一人選ばれたのが、版画絵師葛飾北斎だった。こういった特集における視点は、欧米人の価値観に貫かれているので、偉人の基準が欧米の文化へ与えた影響ということになるのはある意味避けられないことだ。そういう意味において、北斎ほど欧米文化に影響を与えた日本人はいない、と彼らが評価したということだろう。

安部政権の与党自民党が、テレ朝とNHKの幹部を呼びつけて、個別の番組について注文をつけた。いままでの日本の言論の歴史の上でも、ちょっとレベルの違う介入というべきだが、今のところ、メディアも含めて、あまり大きな騒ぎにはなっていない。見ているとどうも、メディアはメディアで、権力にやられっぱなしで、まるきり意気地がないように見えるし、一般世論のほうもあまり大きな関心を寄せていないように見える。

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「リンゴとナプキン(Pommes et serviette)」と題するこの絵の最大の特徴は、小刻みなタッチで並行に絵の具を塗っていく画法にある。この画法を、セザンヌは1870年台の後半に意識的に追求したわけだが、静物画においては、この絵がその到達点になったと言ってよいだろう。画面全体にわたってセザンヌは、絵の具を小刻みに、しかも同一方向に平行に塗りつけている。

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むかし、をとこありけり。女をとかくいふこと月経にけり。岩木にしあらねば、心苦しとや思ひけむ、やうやうあはれと思ひけり。そのころ、六月の望ばかりなりければ、女、身に瘡ひとつふたついできにけり。女いひおこせたる。いまはなにの心もなし。身に瘡も一つ二ついでたり。時もいと暑し。少し秋風吹きたちなむ時、かならずあはむ、といへりけり。秋まつころほひに、ここかしこより、その人のもとへいなむずなりとて、口舌いできにけり。さりければ、女の兄人、にはかに迎へに来たり。さればこの女、かへでの初紅葉をひろはせて、歌をよみて、書きつけておこせたり。
  秋かけていひしながらもあらなくに木の葉ふりしくえにこそありけれ
と書きおきて、かしこより人おこせば、これをやれ、とていぬ。さてやがて後、つひに今日までしらず。よくてやあらむ、あしくてやあらむ、いにし所もしらず。かの男は、天の逆手を打ちてなむのろひをるなる。むくつけきこと、人ののろひごとは、負ふ物にやあらむ、負はぬものにやあらむ。いまこそは見め、とぞいふなる。

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セルゲイ・エイゼンステイン( Сергей Эйзенштейн )の映画「イワン雷帝( Иван Грозный )」は、三部構成として構想された。うち第一部は、モスクワ大公イワンがロシア皇帝を名乗り、ロシアの統一に向けて邁進していくところを描き、1944年に公開された。第二部は、イワンが国内の貴族の反乱を次々と打ち破り、権力を確立する過程を描いたが、それがスターリンによる大粛清を揶揄していると受け取られて上映禁止になった。そんなわけで、三部作として構成されたうちの、第三部は作られることがなかった。ここでは、第一部を紹介する。

安倍首相が翁長沖縄県知事との初の対話の場を持った。だが、実のあるある対話とは程遠かったようだ。というのも、安倍総理には翁長知事の要求にまともに答えようとする姿勢が伺えず、翁長知事のほうも、沖縄の人々の思いを一方的に述べたという印象が強い。要するに、話が全くかみ合っていないわけだ。

豊国と写楽

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(歌川豊国、三代目瀬川菊之丞のお石)

東洲斎写楽の活躍した頃と前後して、歌川豊国も多くの役者絵を描いている。当然それらには、同じ役者も含まれる。ところが、同じ役者を描いていても、写楽と豊国とではかなり描き方が違う。ここでは、その一例を紹介しよう。

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「果物とワイングラスのある静物(Nature morte avec fruits et verre de vin)」と題するこの小さな作品は、大きな絵の一部を切りぬいたものだろうと考えられている。たしかに、最初から構想された画面としては多少不自然なところがないでもない。しかしこれはこれで、それなりにまとまっているともいえよう。

「道草」は漱石の自伝的小説とされていることもあって、そこに描かれた主人公の健三とその細君との関係は、実際の漱石夫妻の姿をかなり反映したものと思われてきた。たしかに、小説の中の「細君」の履歴は、現実の漱石夫人鏡子のそれと殆ど同じである。高級官僚の家に生まれたこと、公教育は小学校だけであとは家庭の中で教育されたこと、その結果世間知らずで我儘な女になったらしいことなどだ。また健三が田舎に赴任している間にこの女性と見合い結婚したとなっていることは、漱石が五高の教師として熊本にいる時に鏡子と見合い結婚したことと重なるし、健三が海外留学するについて実家に妻子を預かってもらったというのも、漱石夫妻の間に実際にあったことだ。

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(二代目沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊)

寛政六年の河原崎座の舞台には、切狂言として「義経千本桜」がかかった。この絵は、そのなかから、吉野蔵王堂の評定場面の一齣を描いたもの。評定とは、吉野に逃げ込んできた義経を匿うべきか否かを論じるもので、右手の法眼は匿うべきだと主張し、左手の鬼佐渡坊は捉えるべきだと主張する。その義経一行は、法眼の計らいですでに匿われているのである。

西田幾多郎の場所論のわかりにくいところは、そもそもそれを認識論・存在論との関連において持ち出しておきながら、具体的な説明の段になると、論理学のタームを用いていることだ。論理学というのは、たしかにアリストテレスの時代に存在の範疇を論じたということもあったが、基本的には人間の判断を取り扱うものだ。それを以て、判断とは次元のことなる「場所」というような概念の内実を説明しようとするのだから、論旨にどうも無理が生じる。

先日「外国特派員の目から見た日本の報道の自由」と題して、最近の日本の歴史修正主義的な動きに対する外国人ジャーナリストの受け取り方について、このブログでも紹介したところだ。この記事は、外国特派員協会の機関誌に掲載されたこともあって、日本にいる外国人ジャーナリストたちに大きな反響を巻き起こしているようだ。

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むかし、二条の后につかうまつる男ありけり。女の仕うまつるを、つねに見かはして、よばひわたりけり。いかでものごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ、といひければ、女、いと忍びて、ものごしにあひにけり。物語などして、をとこ、
  彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関をいまはやめてよ
この歌にめでてあひにけり。

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セルゲイ・エイゼンシュテインの1925年の作品「戦艦ポチョムキン(Броненосец Потёмкин)」は、映画史上特別な意味を持つ作品だ。エイゼンシュテインは、それまでに理論的に主張してきたモンタージュ技法をこの作品で大々的に適用、その結果、映画は新たな表現手法を獲得して、独自の芸術として発展する方向を得た。そうした点でこの映画は、その後の映画製作に巨大な影響を与え続けた。いわば、映画史のメルクマールとなる作品なのである。

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オリオン大星雲( Orion Nebula M42 )は、オリオン座三連星の中央の星の下に広がる星雲で、馬頭星雲の右手に見える。星雲としては古くから知られている。明るい散光星雲で、肉眼でも見分けられる。この映像(NASAから)は、ハッブル宇宙望遠鏡のデータをもとに作成したものである。

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(三代目坂東彦三郎の鷺坂左内)

鷺坂左内は捌き役として、鷲塚兄弟ら悪役とは対照的な役柄だ。これを演じた三代目坂東彦三郎は、和事の上手として知られ、時代物の由良之助や菅丞相などが当たり役だった。この絵からは、理知的で冷静な彦三郎の様子が伝わってくる。

表面的には相手を褒めていると見せかけて、その実はけなしているというレトリックを、俗に「ほめころし」という。それなら、その反対、つまり相手をけなしているように見えて、実は褒めている、ということもあってよさそうだが、こちらの方はあまり聞いたことがない。ところが、そういう例を探し出して来て、それに名前まで付けた人がいた。ユニークな文芸批評で知られる斎藤美奈子女史だ。

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1870年代のセザンヌは、ピサロの影響下に印象画風の明るい絵を描くようになるが、静物画にもそうした傾向がうかがえる。光を意識しながら、色の明暗によって対象の形を表現しようとしている。「ビスケットの皿とコンポート(Compotier et assiette de biscuits)」と題するこの絵は、そうした70年代のセザンヌの静物画の到達点を示すとともに、80年代以降の、いわゆるセザンヌらしい静物画への橋渡しのような役目を果たすものとして位置付けられている。

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今年(2015年)は、インドネシア中部スンバワ島にあるタンボラ火山( Tambora )が噴火して200年の年。日本でも、火山の大噴火は他人事ではないので、改めて各方面から様々なコメントが出されている。

安倍政権になってから、日本の対米従属体質がいっそうあからさまになった、と思っている者は筆者のみではあるまい。その象徴的な事例が沖縄だ。安倍政権は、日本人である沖縄の人々の訴えを無視するような形で、米軍の辺野古移転を強行しようとしている。日本人の幸福と安寧よりもアメリカの都合が優先する、そういう姿勢が極端に現れている。これでは、日本がアメリカの属国であるということを自ら主張しているようなものだ。

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むかし、つれなき人をいかでと思ひわたりければ、あはれとや思ひけむ、さらば、あす、ものごしにても、といへりけるを、限りなくうれしく、またうたがはしかりければ、おもしろかりける桜につけて、
  桜花けふこそかくもにほふともあなたのみがた明日の夜のこと
といふ心ばへもあるべし。

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ポーランドは、他の東欧諸国に比べて映画の質が高いと言われる。それには、アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキといった作家が、欧米側から高く評価されたことが働いている。アンジェイ・ワイダが1956年に作った「地下水道」は、ポーランド映画を世界に認識させた記念碑的な作品である。

歴史の否認

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「日本戦後史論」の続き。白井聡は、「永続敗戦論」の中で、戦後日本が一方では対米従属を続けながら、他方ではアジアの国々、とりわけ中国と韓国に対して居丈高な姿勢を取り続けてきた原因を、敗戦の否認に求めたわけだが、敗戦の否認のような歴史の否認現象は、なにも日本に限ったことではなかった、と内田樹は補足する。大きな意味での歴史の否認ということでは、日本が隷従しているアメリカも、行っている。アメリカは、原住民の虐殺と土地の略奪ということろから歴史が始まる。しかし、それをなんとか正当化しないと国が持たない。そこで、なんだかんだといって歴史を歪曲してきた。それは、日本における敗戦の否認という歴史の歪曲が精々70年のスパンしか持たないのと比べれば、もっと壮大なスケールの歪曲だと言いたいようなのである。

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(四代目岩井半四郎の乳人重の井)

重の井は、由留家の家臣伊達与作と密通したが、父親の竹村定之進がその罪を被って切腹したことに主君が感じ、罪を許されたうえに、息女調姫の乳人に取り上げられる。重の井には、与作との間に設けた男子があったが、その子は自分の手を離れ、海道筋の馬子となっていた。

昨日の当ブログで、日本における報道の自由が、「国境なき記者団」によって低く評価されていることに言及した。普通の日本人は、日本を開かれた民主主義国家と思っているだろうから、この評価は意外に聞こえるだろう。何故外国のジャーナリストたちは、そのような目で日本を見るのか。この疑問の一端に答えるような意見を、一人の外国人特派員が述べている。

ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906 )は、生涯に200点以上の静物画を描いた。こんなに多くの静物画を描いた画家は、他にいないのではないか。そんなにセザンヌが静物画にこだわった理由は何だろうか。

「道草」は、漱石の自伝的色彩の強い小説だという評が定着している。それにしても暗い、というのが読者一般の印象ではなかろうか。漱石自身の半生が暗かったからこんな暗い話になったのか、それとも意識的にこんな暗い話を書こうとしたのであって、自分自身の自伝的要素はそれに色を添えたに過ぎないのか、どちらにしても暗い話である。

昨日の当ブログで、日本政府が韓国を名指しして「価値観を共有しない」と表現したことに触れたが、自民党のある幹部の言うところによると、その理由は、産経新聞の支局長の言動に対する韓国側の対応にあるということらしい。この幹部によれば、韓国政府がこの程度のこと(朴大統領に対する名誉棄損ということになっている)で、記者を訴追するのは、報道の自由と言う理念を大きく逸脱するものであり、日本政府としては、そのような国を、日本と価値観を共有する国とは言いたくないということのようだ。

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鷲塚八平次は、兄の官太夫とともに由留木家の乗っ取りをはかる悪党。悪党としての格のうえでは、奴江戸兵衛との二役を演じた大谷鬼次演じる官兵衛のほうが上だが、写楽はこちらの方を選んで取り上げた。それには、二役をした鬼次を重ねて取り上げることを避けたという事情もあったろうが、この役者に対する写楽の好みのようなものも働いているのではないか、との見方もある。

西田幾多郎の思想が、純粋経験に始まり、そこから自覚を経て場所という考えに展開していったことは前稿で言及したとおりである。このうち、純粋経験から自覚への展開には、論理的な必然性というものがあり、比較的わかりやすかった。純粋経験の考え方に内在していた曖昧さを整理する過程で、おのずから自覚という考え方に移行したという流れが見えやすいからである。

昨日(4月7日)公表された「2015年版外交青書」は、尖閣や竹島をめぐる領土問題で中韓の反発を招いているが、それに劣らず重要な問題を含んだものだった。過去の外交青書は、韓国を「価値観を共有する国」と表現していたのだが、今回はその表現を削除している。これは、今後の日韓関係及び国際社会における日本の地位を考えるうえで、非常に重要な変更というべきである。

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むかし、をとこ、津の国、うばらの郡、蘆屋の里にしるよしして、いきて住みけり。昔の歌に、
  蘆の屋のなだの塩焼いとまなみつげの小櫛もささず来にけり
とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ蘆屋の灘とはいひける。このをとこなま宮づかへしければ、それをたよりにて、衛府の佐ども集り来にけり。このをとこのこのかみも衛府の督なりけり。その家の前の海のほとりに遊びありきて、いざ、この山のかみにありといふ布引の滝見にのぼらむ、といひて、のぼりて見るに、その滝、物よりことなり。長さ二十丈、広さ五丈ばかりなる石のおもて、白絹に岩をつつめらむやうになむありける。さる滝のかみに、わらふだの大きさして、さしいでたる石あり。その石の上に走りかかる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府の督まづよむ。
  わが世をばけふかあすかと待つかひの涙の滝といづれ高けむ
あるじ、次によむ。
  ぬき乱る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに
とよめりければ、かたへの人、笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。

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マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の映画「ハンナ・アーレント( Hannah Arendt )」が日本で上映されたのは、一年ちょっと前のこと(2013年秋)だったが、その折には上映館の岩波ホールが毎回満員になるほどの盛況だったそうだ。アーレントといえば、「全体主義の起源」や「人間の条件」などを書いた政治哲学者であり、その名は日本人にもある程度知られていないでもなかったと思うが、そんな彼女の生き方をテーマにした映画が、これほど大きな反響を惹き起こしたというのは、筆者のような、アーレントの読者の一人である者にとっても、ちょっと意外だった。

内田樹と白井聡の対談「日本戦後史論」を読んでいたら、先の敗戦について内田がユニークな説を展開しているところが強く印象に残った。内田は、この敗戦には、しかるべき理由があった、それは薩長藩閥勢力に対する旧賊軍のルサンチマンともいうべき感情が齎したものだという。つまり、この敗戦は、日本人自身が選んだものなのであり、その背景には、明治維新以降、薩長勢力が中心になって築き上げてきた近代日本のシステム全体を壊そうとする反薩長勢力=旧賊軍勢力の怨念が働いていたというのである。

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(市川男女蔵の奴一平)

「恋女房染分手綱」三立目(一番目狂言の序幕にあたる)から、市川男女蔵扮する奴一平を描いたもの。奴一平は由留木家の家臣伊達与作の家来。主人の与作が若殿から預かった三百両の大金の保存を言いつかったが、お家乗っ取りを狙う奸臣鷲塚八平次とその一派によって奪い取られる。これは、三立目四条が原の場面で、一平が悪党たちに襲われるところを描いたもの。

安倍政権の菅官房長官が、沖縄県の翁長知事と話し合いの場を持った。これまで、翁長知事側からの呼びかけに全く答えず、無視し続けて来た安倍政権が、何故突然、自分の方から話し合いを呼び掛けたのか、大方の日本人は奇異に感じたことだろう。だいたい、こういうケースで、政権が急な心変わりをする時には、その影にアメリカ政府の意向が働いているというのが、経験的な法則のようなものだったわけだが、今回もそれに当てはまるようだ。というのも、菅官房長官は、この話し合いで実質的な成果が出ることを期待していたようには見えないからだ。ただ単に、話し合いの場を持って、沖縄の意見も聞いた、ということにしたいという目論見が、透けて見えてくるのである。

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エル・グレコの生涯最後の仕事は、トレドのタベーラ施療院礼拝堂の祭壇画を描くことだった。この祭壇は中央檀のほか左右の脇祭壇からなっており、中央祭壇には聖ヨハネによるキリスト洗礼が、脇祭壇には聖ヨハネの幻視と受胎告知が描かれた。聖ヨハネの幻視はまた「聖ヨハネによる黙示録の第五の封印」とも呼ばれている。このように聖ヨハネの足跡を描いているのは、この病院の正式名称が「サン・フアン・バウティスタ」すなわち、聖ヨハネ病院であることによる。フアンはヨハネのスペイン語の形である。

いわゆる「残業代ゼロ」法案を、安倍政権が閣議決定した。安倍政権は、この法案をなんとか成立させたいようで、法案にまつわるマイナスイメージの消去に躍起になっている。その一つが、この制度を、「成果に応じて賃金を支払う新たな制度」として、あたかもいいことづくめのように言い張るレトリックだ。

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むかし、をとこありけり。童より仕うまつりける君、御髪おろし給うてけり。正月にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。昔つかうまつりし人、俗なる、禅師なる、あまたまゐりあつまりて、正月なればことだつとて、大御酒たまひけり。雪こぼすがごと降りて、ひねもすにやまず。みな人酔ひて、雪に降りこめられたり、といふを題にて、歌ありけり。
  思へども身をしわけねばめかれせぬ雪のつもるぞわが心なる
とよめりければ、親王、いといたうあはれがり給うて、御衣(おんぞ)ぬぎてたまへりけり。

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フォルカー・シュレンドルフが1978年に作った映画「ブリキの太鼓」は、ギュンター・グラスが1959年に発表した同名の小説を映画化したものである。この小説は、20世紀後半の世界文学を代表する傑作だという評価が高い。20世紀前半は、戦争の世紀と言ってもよいほど、血なまぐさい時代だったわけだが、グラスの原作は、その時代の戦争と、戦争の元となった民族の間の愚かしい対立について、抑制のきいたタッチで描いた。まさに戦争の世紀が生み出した、人間の愚かさについての省察、それが原作に相応しい解説だと思う。

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馬頭星雲( Horsehead Nebula )は、オリオン座にある暗黒星雲である。三連星の東端にあるアルタニクのそばに、巨大な暗黒星雲が広がっているが、その一部が馬の頭のように見えるところから、こう名付けられた。

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写楽は、寛政6年5月の河原崎座の舞台「恋女房染分手綱」および切狂言「義経千本桜」から取材して10枚の大判錦絵を制作した。「恋女房染分手綱」は近松門左衛門の浄瑠璃「丹波与作待夜小室節」を歌舞伎狂言に仕立て直したものである。

お笑い芸人爆笑問題の太田光が、ラヂオのトーク番組で、安倍晋三総理をとりあげ、バカだ、バカだ、と連呼したというので大騒ぎになっているらしい。安倍晋三を愛する人々は、これを反日的行為だとして、その売国的犯罪性を大いに非難しているようだ。もしも、安倍晋三総理が、太田光の言うようなバカでないのなら、この非難は一定の意味を持つかもしれない。しかし、安倍晋三という男が、太田光の言うように、本当にバカだったら、どうなのか。そんなつまらないことを考えさせることが、起こった。

朝日が「保守派の論客」のためにコラムを用意した。とりあえずその第一稿が4月3日の朝刊に載ったので、興味深く読んだ。そのコラムは保守思想家を標榜する佐伯啓思氏の「異論のススメ」というもので、デビュー作として「本当に『戦後70年』なのか」と題する小論を起稿している。

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エル・グレコは、1612年から14年にかけて、トレドのサント・ドミンゴ・エル・アネィグォ聖堂の自分自身の墓所を飾る祭壇画を描いた。「羊飼いの礼拝」のテーマによるこの絵は、その中心となるものである。自分自身の墓所を飾るとあって、この作品へのエル・グレコの力の入れ方は相当なもので、他の作品のように工房の手を入れさせることなく、すべて自分の手で描いたと考えられる。

筆者は前稿「『行人』と『心』:漱石を読む」の中で、この二つの小説がともに長い手紙で終っていることに触れ、「心」の場合にはその位置付けに必然性のようなものが見られるのに対して、「行人」の場合には、「なぜここに置かれなければならなかったか、必ずしも必然性があるとはいえず、また一篇を引き締めるような効果にも乏しい。むしろ、小説の構成としては、このような形で終っていることは、中途半端な印象を与えるともいえる」と、とまどいの気持を表明したところだが、その謎の一端を、大岡昇平が解明してくれた。

先日、文芸評論家の斎藤美奈子女史が、八紘一宇を賛美した某自民党女性代議士を叱責したことを取り上げたが、この人の率直な物言いは、筆者の大いに評価するところだ。そもそもは、目下読書誌「図書」に連載している「文庫解説を読む」がきっかけになって、興味をひかれたのだった。そこで、他のものも読んで見る気になって、「名作うしろ読み」とか「それってどうなの主義」といった本を手に取って見たところだ。「名作うしろ読み」は、千字足らずの短い文章で、名作のエッセンスをさらりと紹介するもので、なかなかウィットに富んでいるとの印象を受けた。

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「花菖蒲思簪」は寛政六年五月の桐座の舞台で、「敵討乗合話」とともに演じられた浄瑠璃である。これはその舞台から、駕籠舁の所作事の場面を描いたもの。演じたのは八代目森田勘彌。森田勘彌は、江戸三座の一つ森田座の座元太夫の家柄だったが、この八代目は役者も兼ねた。

西田幾多郎の思想は、「善の研究」で提起した「純粋経験」を基礎として、それを進化発展させる方向に進んでいった。その方向性というのは、「純粋経験」から「自覚」へ、そして「自覚」から「場所」へと進化・発展していくというものである。進化であるから、単純な変化ではない、もとの思想(純粋経験)を土台としてそれをいっそう深くかつ広く推し進めようとする意向が働いている。

中国が主導して世界各国に呼びかけていたアジア・インフラ投資銀行(AIIB)に、48カ国の国や地域が参加することになった。日米を除くほとんどの有力国とアジア諸国が参加する形だ。この構想を中国が打ち上げた時には、日米は冷ややかな視線を送り、色々な理屈を述べて、友好国に不参加を呼びかけていたが、結局その動きは無視され、主要国が雪崩を打って参加したわけだ。

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むかし、水無瀬に通ひたまひし惟喬の親王、例の狩しにおはします供に、馬の頭なる翁つかうまつれり。日ごろへて、宮にかへり給うけり。御おくりして、とくいなむとおもふに、大御酒たまひ、禄たまはむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、
  枕とて草ひきむすぶこともせじ秋の夜とだにたのまれなくに
とよみける。時は三月のつごもりなりけり。親王おほとのごもらで明かしたまうてけり。かくしつつまうでつかうまつりけるを、思ひのほかに、御ぐしおろしたまうてけり。正月におがみたてまつらむとて、小野にまうでたるに、比叡の山の麓なれば、雪いと高し。しひて御室にまうでておがみたてまつるに、つれづれといともの悲しくておはしましければ、やや久しくさぶらひて、いにしへのことなど思ひ出で聞えけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、おほやけごとどもありければ、えさぶらはで、夕暮にかへるとて、
  忘れては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見むとは
とてなむ泣く泣く来にける。

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G・W・パプストが1931年に作った映画「三文オペラ」は、ブレヒトの同名の戯曲をもとにした音楽劇を映画化したものである。もとになった音楽劇の方は、1928年に公演され大ヒットとなった。この作品の成功でブレヒトは、20世紀の演劇史上名を残すことになったわけだが、その理由は、この作品の持つ特別の政治性にある。この作品は、資本主義社会の矛盾を鋭く突いたものとして受け取られたのだが、この作品が公開された時代は、まさに資本主義の矛盾が先鋭化していた時期だったのである。

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