2015年10月アーカイブ

芙蓉双鶏図:若冲動植綵絵

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「芙蓉双鶏図」は、咲き乱れる芙蓉の花をバックに、雌雄一対の鶏を描く。鶏がいるのは、土手のようなところか。そこには芙蓉のほかに、鉄線の花も咲いている。芙蓉といい鉄線といい、初夏を彩る花だ。

中国が一人っ子政策に終止符

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中国が1979年以降行ってきた一人っ子政策に終止符を打つこととなった。来年3月以降、すべての夫婦が2人目を生むことができるようになる。2人目の子どもを産むことを、夫婦のいずれかが一人っ子である場合に許されるよう転換されたのは、わずか3年前の2012年のことだったが、それでも深刻な人口減少傾向に歯止めがかからなかったため、夫婦が望めば無条件で2人目を生むことができるようにしたものだ。

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(来るべきものの悲しき予感)

版画集の冒頭に予定されていたのが、「来るべきものの悲しき予感」と題するこの作品である。これとほぼ同じ構図の宗教画「オリーブ山でのキリスト」を、世俗風に描きなおしたものと言える。この構図でゴヤは、来るべき戦争の惨禍への予感を表現しているものと思われる。

戦場のメリー・クリスマス:大島渚

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大島渚の映画「戦場のメリー・クリスマス」は、日本軍による捕虜虐待を描いた作品である。同じテーマのものとしてはデヴィッド・リーンの傑作「戦場にかける橋」が有名だが、日本軍の残虐さを描いたものとしては大島のほうが徹底している。しかも、そこには人間らしい触れ合いが全く見られない。日本兵はただただ悪魔のように残忍な生き物として、弱者である連合軍の捕虜を、恣意的に虐待するばかりである。とにかく、映画全体を通じて、日本兵による理不尽な捕虜虐待が、これでもかこれでもかというばかりに描かれ続ける。全く抵抗するすべを持たない弱い者を、かさにかかって虐待する日本兵の姿は、見ていて反吐が出るほどグロテスクなものだ。こんな映画を、日本人である大島がなぜ作ったのか。これは日本人による反日映画と言われてもいたし方がないところがある。

老松孔雀図:若冲動植綵絵

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「老松孔雀図」は、老松を背景にして、孔雀を画面いっぱいに描いている。同じようなテーマのものとして、「老松白鳳図」と対をなす。右下に居士若冲製とあり、製作の年月は記さない。

フーコー「臨床医学の誕生」

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フーコーは「狂気の歴史」において、狂気が社会への統合から排除を経て治療の対象となってゆく変化の過程を描いたわけだが、その狂気の歴史における近代的な治療の確立すなわち精神医学の誕生に、身体の病気の歴史においてほぼ対応するものとして臨床医学の誕生を取り上げた。「臨床医学の誕生」という書物は、まさしくその課題に応えるために書かれたわけである。

方丈記(三)

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又治承四年卯月の頃、中御門京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六條わたりまで吹けること侍りき。

愛のコリーダ:大島渚

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大島渚の映画「愛のコリーダ」は、昭和11年に起きたいわゆる阿部定事件を取り上げたものである。この事件は、安倍定という身持ちの良くない女が、情夫を絞殺したうえでその男根を切り取り、警察に捕まるまで後生大事に見につけていたというもので、その猟奇性から当時の世論を大いに賑わした。あの謹厳実直で知られる荷風散人でさえ、日記断腸亭日乗のなかでわざわざ触れているほどである。参考までに記しておくと、当年5月19日(定逮捕の翌日)の記事には、「今朝新聞に出でたる男殺しの噂とりどりなり(中野薬師の待合の亭主その情婦のために絞殺せられ陰茎を切り取られし事件なり犯人の行方未だ知れずと云ふ)」とあり、翌20日には、「昨夜来新聞の紙面を賑はしたる男根切取の女、今夕品川八つ山の旅館品川館にて遂に捕へられし由」とある。その衝撃がいかに強かったかを物語るものである。昭和11年といえば、2・26事件の起きた年、世の中は息苦しい雰囲気に包まれていた。そんな世の中であったからこそ、この事件は一服の清涼剤として、人々の関心を引いたのだと思われる(逮捕直後の写真が残っているが、定を囲む数人の刑事たちはみなニヤニヤ笑っている)。

もうひとつの「にっちゅう」戦争

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「にっちゅう」戦争と言っても、日本と中国との戦争、つまり日中戦争のことではない。「にっちゅう」の「ちゅう」は、中国の「ちゅう」ではなく、沖縄の「ちゅう」だ。「沖」という漢字は音読みだと「ちゅう」と発音するので、「日沖」戦争は「にっちゅう」戦争となるわけだ。

梅花皓月図:若冲動植綵絵

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「梅花皓月図」は、皓々と輝く満月を背景に、咲きほころぶ梅の花を描いたもの。梅の花を描いたものとしては、「梅花小禽図」と対になるものである。若冲には、ひとつのテーマを一対の絵にする傾向があった。

内田樹はマルクス主義が大嫌いだと日頃から公言している。だからマルクス本人も嫌いかと言うとそうではないと言う。むしろマルクスからは大きな影響を受けたと言っている。それでもなおマルクス主義者にはならずに、マルクス主義が嫌いになった。そのへんの心理的機制は部外者にはなかなかわからないだろう。一方石川康宏のほうはマルクスに影響されただけではなく、一人のマルクス主義者たらんとしているようでもある。こんな二人が「若者よマルクスを読もう」と言って、今マルクスを読むことの意義について対話している。

戦争の惨禍:ゴヤの版画

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ゴヤの版画集「戦争の惨禍( Los desastres de la guerra )」は、スペインの対ナポレオン独立戦争を題材にしたものである。この戦争(対仏戦争ともいう)は、1808年から1814年まで続いたもので、ナポレオンの弟ジョゼフのスペイン王戴冠に始まりナポレオンの没落によって終わる。この戦争の様子をゴヤは1810年頃から版画に表現し始めた。

米中戦争は起こりうるか

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南沙諸島を巡って米中対立が深刻化した結果、どうもきな臭い雰囲気が漂うようになってきた。この調子だと米中戦争の勃発もあり得ない話ではない。アメリカのオバマ政権には妙に原理主義的なところがあって、アメリカの正義を貫徹するには戦争も辞さないという姿勢が顕著だ。一方中国の方は、南沙諸島の領有権は核心的利益だと主張し、アメリカに脅かされたからといって、おめおめ尻尾を巻いて引き下がるわけにはいかないだろう。アメリカは近いうちに、中国が主張する南沙諸島の領海内に軍艦を突入させると公言しており、もしその通りのことが起れば、米中間に戦争行為が勃発する可能性は否定できない。

方丈記(二)

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予ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋をおくれる間に、世の不思議を見る事やゝ度々になりぬ。

儀式:大島渚

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大島渚の1971年の作品「儀式」は、戦後日本を総括した映画だと言われたりもしたが、むしろ戦後まで生き延びていた戦前の古い日本が崩壊していく過程をゆっくりと描いた映画だと言った方がよい。「ゆっくり」というのは「自然に」というほどの意味で。要するに外圧によってではなく、惰性によって、腐敗するように滅びて行ったというような意味である。

イタリア旅行の思い出

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今回のイタリア旅行は、わずか六泊の短いものだったが、かなり無理をして歩き回ったせいもあって、結構中身が濃いものになった。風景や文化に触れることができたのは無論だが、イタリア人の人情というか、彼らの気さくな態度が非常に印象に残った。イギリスやフランスを旅すると、かならず一回や二回は、自分が黄色人種の東洋人であることを意識させられるのだが、ローマやナポリではそういうことがなかった。彼らが我々を同じ人間として待遇してくれるのである。そのうえ、ホテルの廊下やレストランなどでイタリア人とすれ違ったりした折、イタリア女性からチャーミングな笑顔を向けられたりして、いい気持ちにさせられたりもした。日本でも、そういうことは滅多にない。また、年をくっているとはいえ、男が二人連れ添って歩いていると、パリなどではゲイに受け取られることがあったが、ローマではそういうことを感じさせられることはなかった。イタリア人というのは、さばけた人だという感じがする。

大鶏雌雄図:若冲動植綵絵

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「大鶏雌雄図」とあるこの絵の鶏が、どんな種類のものかはっきりしないが、色彩が鮮やかなオスと、黒い地味なメスとの組み合わせは、薩摩地鶏を思わせる。おそらく、地鶏の一つなのだろう。若冲は、その大鶏の雌雄一対を画面いっぱいに描いた。

イスラエルのネタニアフ首相が、ナチスによるユダヤ人のホロコーストについて、新しい見解を披露して話題を呼んでいる。このホロコーストは、そもそもヒトラーの発案によるものではなく、パレスティナの指導者がヒトラーに焚きつけたというのだ。ヒトラーが考えていたのはドイツからのユダヤ人の追放に留まっていたのであったが、1941年にヒトラーと会見したパレスティナの指導者アミーン・フサイニーがユダヤ人の殲滅を進言し、それにもつづいてヒトラーの考えが変ったというのである。

束縛:ゴヤの版画

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(我々を解き放してくれる者はいないのか)

この絵は、結婚の束縛を描いたものだとされる。二人の男女が互いに縄で結びあわされ、離れようとしても離れることができない。一羽の巨大なフクロウが飛んできて、女のほうを連れ去ろうとするが、束縛があまりにも強いために、女だけを連れて行くわけにはいかない。

赤坂真理「愛と暴力の戦後とその後」

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作家の赤坂真理は1964年生まれというから、戦後世代という言葉がはばかられる新しい世代の日本人だ。その人が日本という国の戦後のあり方に強いこだわりを持ち続けている。彼女の出世作となった「東京プリズン」という小説は、そんな彼女の戦後日本のあり方へのこだわりを吐露したものらしい。(らしい、と言うのは、筆者はまだそれを読んでいないからだ)

イタリア紀行その十八:帰国

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十一時頃チェックアウト手続をなす。ホテル利用税一人一泊あたり六ユーロ合計七十二ユーロを支払ふ。ややして旅行会社のイタリア人エージェント迎へに来る。マイクロバスに乗せられ他に日本人二名を拾ひ空港に向ふ。途次運転手とエージェント会話に夢中となる。そのため運転手の余所見をすること頻繁なり。余聊か身の危険を感じたれば自発的にシートベルトを着用せり。

紫陽花双鶏図:若冲動植綵絵

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「紫陽花双鶏図」は、紫陽花の花の陰にいる雌雄一対の鶏を描く。画面上部に紫陽花の群れ咲く様子が、画面右にはバラとつつじの花がそれぞれ岩にへばりつくようにして咲いている様子が描かれている。

フーコー「精神疾患と心理学」

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フーコーは臨床心理学者としてキャリアをスタートした。専門領域は精神疾患であった。人はいかにして精神の病に陥るか、どうしからそこから解放されて正常な状態に戻れるか、それが心理学者としてのフーコーの問題領域を形成していた。フーコーが精神疾患にかかわるようになったについては、彼自身の個人的な事情も作用していた。彼は少年時代から自分の同性愛的な傾向に悩んでおり、自分は正常な人間ではないのではないのかと苦しみ続けてきた。心理学の研究は、そんな彼にとって、自分自身の悩みに対して解決の糸口を示してくれるのではないか、そんなふうに思われたのかもしれない。

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(カラカラ浴場)

十月一日(木)夜来雨なり。ネットにて天気予報を見れば日中には晴るべしとある故出発までの間カラカラ浴場を訪ふこととす。外に出んとするにホテルの玄関先に二人の男佇みて傘を売りをりたり。また地下鉄カストロ・プレトーリオ駅にも傘を売る者の姿を数人見る。雨が降るごとに傘を売らんとして出没するものの如し。

方丈記(一)

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくの如し。

絞死刑:大島渚

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大島渚の映画「絞死刑」は、国際的には、死刑制度の廃止あるいは死刑のあり方への疑問をテーマにした作品だという評価が定着しているようだ。それともうひとつ、この作品には、在日朝鮮人への偏見や差別が大きなテーマとして盛り込まれている。とりわけそうした差別を知らず知らず内面化している日本人への問いかけとして。

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(ベリーニ広場)

考古学博物館前のマリア・ディ・コスタンティノーポリ通りを歩み行けばややしてベリーニ広場に至る。ここより南東方向ガリバルディ広場へ至る一体をスカッパ・ナポリと言ふ。ナポリの下町にして同時に歴史地区と言はるる地域なり。庶民的雰囲気がいかにもナポリらしいとて映画にもたびたび描かれ来れるなり。

向日葵雄鶏図:若冲動植綵絵

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「向日葵雄鶏図」は、一斉に咲き広がった向日葵をバックに雄鶏を描いたもの。向日葵は徳川時代になってから日本に渡ってきた花で、その形の斬新さとあいまって、エクゾチックな雰囲気を連想させた。若冲も、向日葵のもつそうした雰囲気を、雄鶏の生命力と対比させて、この作品を描いたのであろう。

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(ナポリ湾沿の散策路)

サンタ・ルチーア通りに面せるマリーナなるレストランにて昼餉を喫す。路上席に座して海風を受けながら食事するは洒落たものなり。店の前を通り過ぎる地元のものと思しき者の中には店員に気さくな挨拶をなして行く者もあり。人情の厚さを感ぜしむるなり。

渡辺京二「北一輝」

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北一輝といえば、2.26事件の思想的指導者として処刑されたこともあり、いまでは、2.26事件が日本の政治史における特異な一事件として片付けられるのと同じレベルで、日本の政治思想史における特異な一思想家として片付けられがちであった。「特異な一思想家」というのは、現代にはほとんど影響力が及ばない忘れられた思想家という意味である。ところが最近、安部晋三政権のもとで国家社会主義的な言説が大手を振って流通してくるという状況が生まれる中で、北一輝の思想が現代的な意義をもって復活してきた。北の国家社会主義的な思想は、岸信介のような日本の権力の中枢を制した政治家にも多大な影響を与えており、その岸を通じて安部晋三をはじめとしたウルトラライトの政治家たちに強い影響を及ぼしていると言えるのである。その政治家たちがいまやこの国の権力を握っているわけであるから、彼等の思考に多大な影響を及ぼしている思想家を軽視するわけには行かない。

妖術の修行:ゴヤの版画

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(美しい女教師)

老婆と若い女が箒に跨って空を飛んでいることから、これは妖術の訓練を描いたものだと、題名からも推測できる。老婆が前で若い女が後と言うことは、若い女のほうが教師なのだろう。題名もそのように仄めかしている。年長者が年少者を教育するというのが普通だから、これはその普通の想念から外れているわけだ。魔女の世界には、このようなことは当たり前だ、といわんばかりに。

イタリア紀行その十四:ナポリ市街

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(ムニチーピオ広場)

九月三十日(水)快晴。この日はナポリに日帰り遠足をなさんとて八時過にホテルを辞し、テルミニ駅より八時四十五分発ナポリ行特急列車フレッチャロッサに乗る。列車は二十分ほどしてフィレンツェ行の時同様田園地帯に入りぬ。緑が心持濃く感ぜらるるは南へと向ひをるためなるべし。ナポリ駅に近づくにつれ高層の建物を目にす。ローマには見ざる光景なり(尤もナポリ都心に高層建築を見ることなし)。

よしなしごと(三):堤中納言物語

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侘しき事なれど、露の命絶えぬ限りは食物も用侍る。妙高合子の信濃梨、斑鳩山の枝栗、三方の郡の若狹椎、天の橋立の丹後和布、出雲の浦の甘海苔、みのはしのかもまがり、若江の郡の河内蕪、野洲・栗太の近江餅、小松・かぶとの伊賀乾瓜、掛田が峯の松の実、道の奥の島のうべあけび、と山の柑子橘、これ侍らずは、やもめの邊の熬豆などやうの物、賜はせよ。 

無理心中日本の夏:大島渚

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ある種わけのわからなさが売り物の大島渚の映画の中でも、「無理心中日本の夏」は、とりわけわけのわからなさを感じさせる作品だ。一人の死にたがっている男と、いつもやりたがっている女が出会い、殺しあいをするつもりのやくざたちと奇妙な共同生活をする。やくざたちの間で、互いに殺し合いが始まると、死にたがっている男はどさくさにまぎれて殺してもらおうとするが、なぜか殺されるのは他の人間ばかりで、自分だけはなかなか死ねない。そのうち、外の世界では、わけのわからない連続殺人事件が発生しているとの情報が、やくざの一人が持っているテレビから伝わってくる。その犯人は「外人」で、自分たちのいる場所から近いところに潜伏していると知ったやくざたちは、その外人と連帯して、警察権力と戦う決意をする。こうして、映画のクライマックスは、死にたがっている男とやりたがっている女が、ついに結ばれあって、警察からの銃弾の嵐の中でセックスする場面で盛り上がると言う、なんとも奇妙な映画なのである。

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ホテルに小憩して後、夕刻いつものチェルナイア通りを歩みてマイバスに至る。ここよりアリアとカンツォーネのディナーショーに赴かんがためなり。余ロンドンにてはミュージカル、パリにてはオペラ、シャンソン喫茶と言ふ具合に海外旅行には必ずナイトショーを楽しむこととしをりしが、ローマについてはガイドブックを検索しても適当なるものを見出すことを得ず。旅行会社推奨のディナーショーにて我慢することとはしたるなり。このショーはどうやら日本の旅行会社が現地のレストランと特約して設けたるものの如くにしてあまりパッとせざるもののやうなれど、一晩の無聊を慰むるに足るべし。

秋塘群雀図:若冲動植綵絵

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秋塘群雀図は、秋の堤に生えた粟に群がる雀を描く。画面上部には、左手下の方向へ向かって一斉に飛んでいく雀の群が、下部には実った粟の実に群がる雀が描かれている。下のほうの雀には、一羽一羽に動きの多様性があるのに対して、上のほうの飛んでいる雀は、みな同じ姿勢をしているのが面白い。若冲には、多くの対象をこのように同じ形に描くという強い習性があった。面白いのは、同じ姿勢をしていながら、色彩だけ違うのを一羽付け加えていることである(白い雀)。

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(サン・タンジェロ城)

ヴァティカン美術館を辞して後ヴィットリアーノ駅より地下鉄に乗りレプブリカ駅に下車してマイバスを訪ふ。文子の遺失物の取扱について相談するためなり。文子マイバスの係員に空港へ電話もて問ひあはしめたるところ該当する遺失物の届出はあらずとのこと。イタリアにては遺失物がもどることは殆ど期待しえぬやうなり。ただし、保険の約款によっては運転免許証の更新費用くらゐはもどる可能性なきにしもあらずとアドバイスせらる。

変身:ゴヤの版画

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(何と勿体ぶった奴らだ)

ゴヤの場合、人間が動物に変身するのは、強欲や怠惰といった悪徳のむくいとしての意義を持たされている。この絵の中では、二人の人物がロバに変身し、それぞれ猛禽類の顔を持った男と豚面の男を背中に担いでいる。彼らは何ゆえに、動物に変身したのだろうか。

内田樹、鈴木邦男「慨世の遠吠え」

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鈴木邦男といえば、良識に富んだ知性的な右翼と言う定評だ。その鈴木が、これは今や日本の代表的な左翼の理論家として知られる内田樹と対談したというので、その対談集を興味深く読んだ。これを読むと、日本の右翼と左翼は互いにわかりあえるのだという確信にまでは至らないが、対話が成立しないことはない、ということは感じさせられる。

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(ヴァティカンの外壁)

九月廿九日(火)晴。朝食を済ませて後八時四十分にホテルを出でテルミニ駅に向かって歩く。駅近くのタバッキにて地下鉄・バス共通二十四時間乗車券を買ひ求めチンクエチェント広場より地下鉄に乗る。オッタヴィアーノ駅に下車。ヴァティカン美術館に向かって歩み行くに、あちこちにダフ屋たむろして闇入場券を売る。この券を持参すれば待たずに即刻入場しうると言ふなり。通行人の中には足をとめてその券を求むる者もあり、余らはあらかじめ同趣旨の入場券を事前に買ひ求めてありしかば無視してそのまま進む。

雪中鴛鴦図:若冲動植綵絵

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雪中鴛鴦図は雪景色の中に鴛鴦を描く。鴛鴦はおしどりのこと。鴛でオスを、鴦でメスをあらわすこともある。オスのほうが色彩豊かである。この絵では、オスは豊かな色彩を誇示しながら水面近くの石の上に立ち、メスは水中に頭を突っ込み、尾羽を外に出している。

ピネルが1793年にビセートルの独房の中にいた狂人を拘束から開放したことによって、大いなる閉じ込めの時代は幕を閉じる、とフーコーは言う。このときに開放されたのは狂人だけではない。狂人とともに一括して非理性の範疇に分類されていたすべての反社会分子が、犯罪者や反革命分子を除いて、開放されたのであった。治安維持のための行政的措置の装置としては、一般施療院=監禁施設は歴史的役割を終えたわけである。

レストランを出でてミケランジェロ広場に向ふ。文子を先に立てて歩み行くに、彼狭隘な坂道を選びて上る。かなり急勾配にて息が切れるほどなれど両側に展開する光景は一見に値せり。暫時して小高き丘の上に立つ。丘の入口に一の門あり。地図にて確かむるにジョルジョ門とあり。門の傍らにはベルヴェデーレ要塞あり。どうやら余らは道を一筋間違へたるが如し。ミケランジェロ広場は別の丘の上にあり、そこへ行くには一旦谷に下りてまた上る要あり。

よしなしごと(二):堤中納言物語

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旅の具にしつべき物どもや侍べる。貸させたまへ。 まづ要るべき物どもよな。雲の上にひらきのぼらむ料に、天羽衣一つ、料にはべる。求めて給へ。それならでは、袙・衾、せめて、なくは、布の破襖にても。又は、十餘間の檜皮屋一・廊・寢殿・大炊殿・車宿りもよう侍れど、遠き程は、所狹かるべし。唯、腰に結ひつけて罷るばかりの料に、やかた一つ。

日本春歌考:大島渚

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1967年の映画「日本春歌考」は、当時ベストセラーになっていた添田知道の同名の俗謡集に、大島渚がインスピレーションを受けて即興的に作った作品と言うことになっている。映画を即興的に作るという点では、大島は「日本の夜と霧」で実験的な試みをしていたが、この「日本春歌考」は、同じく即興的な作品でも、「日本の夜と霧」より完成度が高いと言えよう。完成度と言っても、芸術的な意味での完成度ではない、メッセージのもつ説得性のようなものがより強力だという意味だ。

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(ドゥーモ)

メディチ家礼拝堂より路地伝ひに歩きドゥーモ広場に到れば眼前に突然巨大な伽藍群現る。フィレンツェの象徴たるドゥーモを中心に大聖堂、洗礼堂、ジョットの鐘楼等なり。いづれの建物も意匠といひ規模といひ歴史といひ世界に類稀なる建築物なり。

人が犬になった:内閣法制局の変身

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「人が犬になった」、こう言って内閣法制局を批判しているのは明治大学の西川伸一教授だ。教授は日刊ゲンダイのインタビューに答え、内閣法制局は法律の番人から政府の番犬になってしまったと言うのである。なかなか洒落た表現なので、筆者などは思わず笑ってしまった。

梅花小禽図:若冲動植綵絵

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年期に「宝暦戌寅春」とあることから宝暦八年(1758)の作だとわかる。年期の表示のあるものの中でもっとも古い作品だ。画面の左下から右上に向かって梅の老木の幹を配し、幹から上に伸びた夥しい数の枝に無数の梅花を散らしている、その花の合間からは八羽の小鳥が覗いている。

イタリア紀行その八:フィレンツェ

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(フィレンツェ、シニョリーア広場)

九月廿八日(月)半陰半晴。六時半起床、七時に朝食、食堂からの帰りにイタリア人女性客とすれ違ひざまチャーミングな微笑を送らる。イタリア女は愛嬌づきたるもの多し。

藤田真一「蕪村」

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俳人としての蕪村は、子規によって再評価されたということもあって、とかく子規の見方が蕪村鑑賞を制約してきたきらいがある。子規の見方と言うのは、これを単純化すれば写生ということになるので、蕪村も写生句の名人だったということになりがちだ。ところがそうではない、蕪村の俳句は写生句の枠には収まらぬ大きな広がりをもっていたと主張する人もいる。藤田真一もそうした一人だ。彼の著作「蕪村」は、蕪村の俳人としてのスケールの大きさとともに、画家としても一流の人物だったということを、丁寧に説明している。蕪村についてそれなりのイメージを結ばせてくれる一冊だ。

魔女たち:ゴヤの版画

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(修行)

魔女たちは、ゴヤの版画を彩るアンチ・ヒロインである。アンチ・ヒロインというのは、彼女らには恐怖よりも滑稽のほうが似合っているからだ。ゴヤの版画に出てくる魔女たちは、どことなく憎めないところがある。これは、ゴヤの時代にはまだ魔女の存在を人々が強く信じており、しかもそれが恐怖の対象であったことを考えると興味深いことだ。

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(パンテオンの正面列柱)

クィリナーレ通りの路上タクシを拾ひパンテオンに向ふ。乗り込みし直後文子タクシメータ見当たらずと言ふ。運転手にタクシメータはいずこにありや問ふにバックミラーのあたりを指さす。なるほど通常バックミラーのあるべきところにタクシメータあり。感心するに運転手曰く、モデルノなりと。タクシは狭小なる路地を右つ左つしながらパンテオン広場の手前にて止る。タクシメータには七ユーロ五十セントの表示あり。余十ユーロ紙幣を差し出す。運転手つりは一ユーロでよいかと言ふ。余二ユーロ返すべしと答ふ。運転手さしたる不満も言はず二ユーロを返したり。

よしなしごと(一):堤中納言物語

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人のかしづくむすめを、ゆゑだつ僧忍びて語らひけるほどに、年の果てに山寺に籠るとて、「旅の具に、筵・疊・盥・はんざふ貸せ」と言ひたりければ、女、長筵、何やかや供養したりける。それを、女の師にしける僧の聞きて、「我ももの借りにやらむ。」とて、書きてやりける文の詞のをかしさに、書き寫して侍るなり。世づかずあさましきことなり。唐土・新羅に住む人、さては常世の國にある人、我が國にはやまかつ、みやつこの戀まろなどや、かゝる詞は聞ゆべき。それだにも。

白昼の通り魔:大島渚

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大島渚の映画「白昼の通り魔」は、題名にあるとおり連続通り魔事件の犯人像を描いている。だが、主人公と言うべき通り魔の視線から描いているわけではなく、被害者である女性の視点から描いている。その被害者は二人いて、そのうちの一人シノ(川口小枝)は、他の男と無理心中をして死に損なったところを、失神した状態で強姦される。もうひとりは、角の立ったオールドミスのマツ子(小山明子)が、強姦されたことを逆手にとって男と結婚したということになっている。その男と言うのは、この二人とは同じ部落の人間で、どうやら差別されているように描かれている。この男英助(佐藤慶)がこれらの女たちを強姦したのは、日頃差別されていたことに対する意趣返しだったようなのだ。

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(コンドッティ通り)

コンドッティ通りはカヴール橋方面とスペイン広場を結ぶ通りにして両側にはいはゆるブランドショップ櫛比してあり。西側より歩めば正面にスペイン階段を望む。通りの両側の建物はさして高からずといへど通りの幅狭きゆえに常に日影に覆はれたり。その陰と正面のスペイン階段の明度と著しき対照をなす。スペイン階段の上部には双塔の寺院聳ゆるなれど目下修復工事中にて仮説枠を覆ふやうにしてグロテスク広告掲げられてあり。頗る興ざめと言ふべし。

芍薬群蝶図:若冲動植綵絵

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「芍薬群蝶図」は、「若冲動植綵絵」三十幅のうち、技法上の特徴などをもとに、もっとも早い時期の作品と推定されている。制作年代を確定できる最古の作品が、宝暦八年(1758)の「梅花小禽図」であるから、この作品はそれ以前、恐らく宝暦七年以前ではないかと推定される。

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(ポポロ門)

九月廿七日(日)快晴。朝食後、九時にホテルを辞す。昨日同様チェルナイア通りを歩みてマイバスに至り、眼鏡屋の所在を聞く。老眼鏡を買はんためなり。テルミニ駅ビル内にありと言ふ。

週刊文春の自己弾圧

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日本のイエロージャーナリズムの旗手を自認する週刊文春が、イエロージャーナリズムの不可欠の要素たる露骨な性表現を巡って君子然とした態度をとったと言うので話題になっている。最新号で、目下永青文庫で開催中の春画展を紹介する記事と併せて歌麿や北斎の春画をグラビアで載せたのであるが、どういうわけかこのグラビア写真が「編集上の配慮を欠いた」と言う理由で、編集長を休養という名の謹慎処分にしてしまったのだ。

生への執着:ゴヤの版画

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(死ぬまでは)

人間、いつまでも若々しく、できるだけ長生きしたいという願望は持っている。その願望は、それ自体としては健全なものだが、あまり度を過ぎるとグロテスクさを呈することになる。とりわけ、年老いたものが、年相応に振舞わず、いつまでも若いつもりでいるような場合に、そのグロテスクさは頂点に達する。

宮沢賢治と法華経

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鎌田茂雄「法華経の読む」を手引きにして法華経のことを考えていたら、自然と宮沢賢治のことが思い浮かんだ。賢治は法華経に深く帰依していたことで知られている。その作品の中にも法華経の影響がこだましている。そんな法華経のこだまを、賢司の作品のなかから聞き当ててみると、どんなことになるか。そんなことをふと思ったので、その思ったことをとりあえず文章にしておきたい。もとより単なる思いつきの域を出ない。

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(トラヤヌスのフォロよりフォロ・ロマーノ方面を望む)

フォロ・ロマーノは古代ローマの政治的中心たりし所なり。共和政時代には市民の集会の場として、帝政時代にはローマの偉大さと栄光を讃ふる場として象徴的意義を持たされたりと言ふ。中世の初期に蛮族の侵入を受け一時荒廃の限りを尽くしたれど、近世になりて発掘されて以来古代ローマの貴重なる遺構として今に至るまで大切に保存せられをるなり。その規模はパラティーノの丘と併せて東西三百米、南北四百米ほどなり。

伊藤若冲の動植綵絵

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伊藤若冲は、馬歯四十の年(宝暦五年<1755>)、京都錦小路に構えていた青物問屋の家業を弟に譲って画業に専念することになった。それに先立つこと三年前の宝暦二年に、相国寺の僧大典禅師と知己となり、若冲の号を授かった。若冲の絵が本格化するのは、その頃からである。その若冲にとって、画業のマイルストーンとなったのが、「動植綵絵」シリーズである。このシリーズは、宝暦八年ころから製作に着手され、十数年かけて三十幅の絵として結実した。若冲はこの三十幅に、釈迦三尊の像三幅を加えた三十三幅の絵を、馬歯五十の年(明和二年に二十四幅)とその五年後の明和七年(残りの六幅)の二度にわけて、相国寺に寄贈した。そのことでこれらの絵が、未来永劫に残ることを期待したのだと言われる。その期待通り、これらの絵は、徳川時代を通じて相国寺で保管された後、明治時代に皇室に寄贈され、いまでは皇室の蔵するところである。大事に秘蔵されてきたために、いまだに鮮度の高い状態を保っている。

中世からルネサンスにかけての時代、狂気と正気とは截然と区別されていたわけではなかった。両者の間に対立がないわけではなかったが、それは互いに排除しあう絶対的な対立ではなく、相互に交じり合うような相対的な対立だった。正気の人々は、狂人たちを自分たちとは無縁のものとして排除するのではなく、あちらの世界からやって来た、そういう意味ではこちらの世界にやってくるべく神に選ばれた存在だった。それが、両者の間に絶対的な対立がもたらされ、狂気が排除されるべきものとされるようになるについては、デカルトに代表されるような理性についての見方の大転換があった、とフーコーは考えるのだ。

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(コンスタンティヌスの凱旋門)

コロッセオを入口とは反対側より出るに大いなる広場あり。その一角に凱旋門立ちてあり、すなはちコンスタンティヌスの凱旋門なり。紀元四世紀コンスタンティヌス皇帝在位十周年を記念して建てられたりと言ふ。パリの凱旋門のモデルとなりし門にて、高さ廿一米、幅廿五米、奥行き約七米、三つの通過口を有し壁面には華麗なる装飾を施せり。

はいずみ(五):堤中納言物語

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此の男、いと引切りなりける心にて、 「あからさまに」 とて、今の人もとに昼間に入り來るを見て、女に、「俄に殿おはすや」 といへば、うちとけて居たりける程に、心騷ぎて、 「いづら、何處にぞ」 と言ひて、櫛の箱を取り寄せて、しろきものをつくると思ひたれば、取り違へて、はいずみ入りたる疊紙を取り出でて、鏡も見ずうちさうぞきて、女は、 「そこにて、暫しな入り給ひそ、といへ」 とて、是非も知らずさしつくる程に、男、 「いととくも疎み給ふかな」 とて、簾をかき上げて入りぬれば、疊紙を隱して、おろおろにならして、口うち覆ひて、夕まぐれに、したてたりと思ひて、まだらにおよび形につけて、目のきろきろとしてまたゝき居たり。

日本の夜と霧:大島渚

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大島渚の1960年の映画「日本の夜と霧」は、所謂60年安保をテーマにした作品である。日米安保条約の改定を巡って、この年大規模な反対運動がおきた。この映画は、その反対運動にかかわった人々を批判的な視点から描いたものである。大島の政治的な面が強くあらわれた作品だ。

ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智氏が受賞の言葉の中で、「私自身は微生物がやってくれた仕事を整理しただけ。科学者は人のためにやることが大事だ」と語ったそうだ。大村氏の業績は土などの中に含まれる微生物の力を活用して家畜や人間の病気を治す薬を開発することだったので、「私自身は微生物がやってくれた仕事を整理しただけ」という言葉になったのだろうと思う。

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(レプブリカ広場)

九月廿六日(土)三時頃小便のために目覚めて後熟睡することを得ず、うとうとしをるうち七時頃夜が白み始めたり。日本の夜明と異なり一気に明るくならず、三十分ほどかけてやうやう明るくなるなり。一階のレストランにて朝食。パン、ミルク、ベーコン、スクランブルドエッグ、フルーツの類なり。

歌麿の春画

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歌麿は、おびただしい点数の春画を作った。彼の画家としての収入源は、美人画のそれより、春画のほうがはるかに多かったと思われる。歌麿が徳川幕府ににらまれ、ついには手鎖五十日の刑に処せられたのも、本業の美人画はもとより、春画を大量生産したことにも理由がありそうだ。

イタリア紀行

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(真実の口の前にて)

老いの気晴しに外遊せむとて旧友横田文子を随行せしめイタリアに遊ぶ。平成廿七乙未の年九月廿五日より十月二日までの八日間の旅なり。ローマに宿を定めゲーテのイタリア紀行を懐中にしてローマ市内、フィレンツェ、ナポリを巡覧せり。その折鉛筆にて概略を記し置きたる日乗をもとに紀行文を草し読者諸兄に示さんと欲す。文の拙劣なるは論無し、読者の哄笑は固より免れ難しといへど、忍耐を以て一読せられんことを乞ふ。

鎌田茂雄「法華経を読む」

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筆者は日常的にお経を読む習慣は持たないが、法華経は折りに触れて手にすることがある。初老にさしかかった頃には岩波文庫版の「法華経」全三巻を通読した。その時を含め、筆者の法華経の読み方は理知に傾いたものなので、法華経を、いわゆる教えの本として理解する姿勢はなかったと言える。だから法華経読みの法華経知らずで、法華経をきちんと読んだことにはならない、と言われるかもしれない。

空疎な権威:ゴヤの版画

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(仕立屋のなせる業)

聖職者の格好をした大きな人物の前で一人の若い女性が跪き、その周辺にも沢山の人々が跪いたりお祈りを捧げたりしている。この作品をゴヤは、「仕立屋のなせる業」と題したわけだが、その訳は、人々はこの人物の徳性にではなく、その見せかけに反応しているということを現している。つまり、仕立屋の仕立てた服装のおかげで、人々がありがたく跪いているのである、と言いたいわけであろう。

はいずみ(四):堤中納言物語

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男うちおどろきて見れば、月もやうやう山の端近くなりにたり。「怪しく、遲く歸るものかな。遠き所に往きけるにこそ」と思ふも、いとあはれなれば、 
  住み馴れし宿を見捨てて行く月の影におほせて戀ふるわざかな 
といふにぞ、童ばかり歸りたる。 

太陽の墓場:大島渚

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大島渚の1960年の映画「太陽の墓場」は、同年の「青春残酷物語」に引き続き大当たりを取った。「青春残酷物語」が当時の日本人に受けた理由がなんであったか、いまとなってはよくわからぬが、暴力と悪行を乾いたタッチで描いたことが効いていたとは言えるようだ。後続の「太陽の墓場」は、その暴力と悪行をさらに拡大させた形で描き出した。日本映画には、やくざ映画を典型とする一連の暴力映画の系列があるが、この映画はそのなかの傑作の部類に入るのではないか。

山姥と金太郎:歌麿の版画

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(山姥と金太郎 乳ふくみ)

歌麿は、山姥と金太郎のテーマを繰り返し描いた。山姥も金太郎もそれぞれ、伝説の背景を持っているが、歌麿はそうした伝説に捉われず、母と子の触れ合いという普遍的なテーマとして描いた。そうしたテーマの延長として、ほかに海女と子というのもある。

インドネシアの大規模虐殺から50年

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イタリア旅行中、滞在先のローマのホテルで英字紙 International New York Times を読んでいたら、ジョシュア・オッペンハイマーの投書 Suharto's Purge, Indonesia's Silence が目について読んだ。今年が1965年から翌年にかけて起きた大規模虐殺から50年目の節目にあたることから、この事件の真相とそれがインドネシアの歴史にとって持つ意味を問い直そうという内容だ。

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