又、ふもとに一つの柴の庵あり。すなはちこの山守が居る所なり。かしこに小童あり、時々來りてあひとぶらふ。若しつれづれなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むること、これ同じ。或は芽花をぬき、岩梨をとり、ぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて穂組を作る。若しうらゝかなれば、嶺によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。歩み煩らひなく、心遠くいたる時は、これより峯つゞき、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は岩間にまうで、或は石山を拝む。若しは粟津の原を分けつつ、蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川を渡りて、猿丸大夫が墓をたづぬ。歸るさには、折につけつゝ櫻を刈り、紅葉を求め、蕨を折り、木の實を拾ひて、かつは佛に奉り、かつは家づととす。
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