2016年1月アーカイブ

物怪の沙汰:平家物語巻第五

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(平家物語絵巻より 物怪)

福原に遷都した後、平家の人々の夢見が悪くなり、奇怪なことどもが続いた。なかでも清盛の身辺には、不可解なことが続いて起きた。だがさすがは豪胆な清盛、怪物変化に取り付かれても少しも騒がず、かえって睨み返して退散させるほどである。平家物語巻第五「物怪の沙汰」の章は、そんな清盛の豪胆ぶりについて語る。

単騎、千里を走る:張芸謀・降旗康男

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「単騎、千里を走る」は日中合作の映画である。中国側がイニシャティブをとり、日本が協力する形で作られた。中国側の監督は人気作家の張芸謀である。張芸謀は、出世作となった「紅いコーリャン」で、日本軍の残虐非道振りを描き、反日的な映画監督のように思われていたと思うのだが、それが親日的ともいえるこんな映画を作ったのは、彼の高倉健にたいする特別な思いが働いているようである。日頃高倉健の映画を愛していた彼は、是非とも高倉を主演にした映画を撮りたかった。そんなわけだから、高倉にふさわしい、格調の高い映画でなければならない。そういう思いが、張に国境を越えたヒューマンドラマを作らせたのだろうと思う。

灌園便:池大雅の十便図

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池大雅の十便図から「灌園便」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十便」のうち「灌園便」は次のとおりである。

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ダンテらはさらに先に進んで、城の麓に至り、城をめぐる流れを渡って緑さわやかな草原へと進んだ。するとそこには、キリスト以前に死んだ偉大な人々が、群をなしているのが見えた。その人々を、ダンテはひとりずつ確認してゆく。

あひるたちの新年会

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あひるの仲間たちと西新宿のいつもの店で新年会を催した。六時頃に六羽が揃った。みーさんあひる、オーさんあひる、横ちゃんアヒル、あんちゃんあひる、いまちゃんあひる、それにえかきあひること小生を合わせた六羽である。少尉あひるは急病で来られなくなり、静ちゃんあひるは遅れるというので、とりあえず六羽で乾杯した。

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「アダムの創造」に続いて「エヴァの創造」の場面が描かれる。ミケランジェロはこの部分も、創世記第二章の記述に依拠している。その部分は次のとおりである。

第26師団は、満蒙に配置されていた独立混成第11旅団を再編して作られた。独立歩兵第11連隊、同12連隊、同13連隊を中核とし、およそ13,000人の兵力を擁していた。師団長は山県中将、山県有朋の一族である。戦いぶりに臆病なところがあるというので、死地に追いやられたのだろうと大岡は推測している。「大本営は敗北を知った軍人を内地へは帰らせないのであった」というわけである。

浣濯便:池大雅の十便図

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池大雅の十便図から「浣濯便」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十便」のうち「浣濯便」は次のとおりである。

パノプチコン:フーコー「監獄の誕生」

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パノプチコンをテーマに取り上げた「一望監視方式」の章は、「監獄の誕生」の中でもっとも有名になった箇所である。「監獄の誕生」といえば、パノプチコンの誕生とパラレルに論じられるほどだ。パノプチコン(一望監視装置)というのは、効率的な監視の装置としてベンサムが推奨したものだったが、それは監獄のみならず、社会全体にも適用可能である。というか、ヨーロッパ近代社会と言うのは、パノプチコンがもっとも効果を発揮する社会なのである。ヨーロッパ近代社会は、規律と訓練によって運営されている社会なのであって、そのような社会だからこそ、効率的な監視装置たるパノプチコンはもっとも効果を発揮するからである。このように、フーコーの議論は、効率的な監獄のありかたとしてのパノプチコンから、社会全体を監視する装置としてのパノプチコンの議論へと発展する。彼のパノプチコン論はだから、監視社会論の一バリエーションだと言える。

月見:平家物語巻第五

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治承四年(1180)の六月、清盛は都を福原(今の神戸市)に移し、安徳天皇、高倉上皇、後白河法皇も福原に移し奉ったが、後白河法皇は引き続き幽閉した。この遷都について都の人々は、京の都は平家の祖先桓武天皇が造営したところで、すばらしい場所であるのに、平家はそこを捨てて荒れ果てさせてしまったと非難した。

ホタル:降旗康男

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降旗康男の映画「ホタル」は、鹿児島の知覧にあった陸軍の特攻基地を舞台にした映画である。この基地は、いまでは「知覧特攻平和会館」という形で受け継がれ、特攻で死んでいった1300人余りの若者の写真や遺品を保存している。筆者もこの会館を訪ねたことがあるが、深い感動なしに接することはできなかった。死んだ若者一人ひとりの声が聞こえてくるようであった。

プーチンがレーニン批判

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ロシア大統領ヴラヂーミル・プーチンが、21日にクリミアのスタヴローポリで開かれた学術会議の席上、ロシア革命の指導者レーニンを厳しく批判したそうだ。その理由は、レーニンが掲げた民族自決主義が、ソヴェート連邦の解体をもたらし、今日またロシアにおける民族対立の火種を植え付けたというもので、プーチンはレーニンのそうした立場が、ロシアにとっては国家解体の「時限爆弾」となったと言いたいようである。

汲便:池大雅の十便図

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池大雅の十便図から「汲便」図。もとになった李漁の漢詩「伊園十便」のうち「汲便」は次のとおりである。

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眠りから目覚めたダンテは、自分たちが三途の川を渡り終えて、地獄の淵に立っていることに気づく。ダンテはヴィルジリオに導かれて地獄の第一圏に立ち入った。地獄は漏斗状になっていて、上から順に九つの圏に別れており、次第に底のほうへ下降していくというイメージになっている。

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創世記の記述は、天と地及び天体の創造のあと生き物の創造を挟んで、いよいよ人類の祖先たるアダムとエヴァの創造に及ぶ。この二人がどのように創造されたかについて、創世記の記述はいささか混乱している。第一章では、神が男と女を同時に創造したということになっているのに対して、第二章ではまず男(アダム)を創造し、その後でアダムの体の一部から女(エヴァ)を創造したということになっている。

丸谷才一・山崎正和「日本史を読む」

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丸谷才一と山崎正和の対談「日本史を読む」は、日本史についての様々な著作を二人で読みながら、それを手がかりにして、日本の歴史の面白さを解きほどいていこうという試みである。カバーしている時代は、古代から近代までと幅広く、それぞれの時代についてユニークな歴史記述をした本をいくつかとりあげて、それらを材料に、各時代の特徴のようなものを浮かび上がらせようとしている。たとえば、院政時代については、角田文衛の「椒庭秘抄 待賢門院璋子の生涯」を材料にして、この時代が性的乱倫とサロン文化の花開いた時代であったと断定したり、足利時代については、林屋辰三郎の「町衆」を材料にして、この時代が都市化を背景とした日本のルネサンスと呼ぶべき時代だったと確認する、といった具合である。

鵺:平家物語巻第四

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敗軍の将源三位頼政は、武勇ならびなきは無論、歌道にも優れていた。そんな頼政が、武勇と歌の道とふたつとも発揮した場面を、平家物語は頼政敗死の後に記す。あたかも武将の功績をたたえるかのように。

鉄道員:降旗康男

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降旗康男の1999年の映画「鉄道員」は、生涯を鉄道に捧げた男の、職業へのこだわりを描いた作品である。職業にこだわる余りに、自分のプライバシーを犠牲にするような生き方は、かつての日本人に多く見られた。というより、そういう生き方のほうが人間らしい生き方として称揚されたものだ。今でも、一部の日本人には、仕事をプライバシーに優先させる人がいないでもないが、そういう生き方は少数派になってきつつある。この映画が公開された1999年というのは、仕事とプライバシーのバランスが逆転する分水嶺というべき年だったような気がする。

耕便:池大雅十便図

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十便十宜図のもととなった李漁の詩「十便十二宜」のシリーズには、全体の序文と言うべきものがある。この小文を大雅は、「耕便」図の右端に掲げており、それに接して、「耕便」の詩文を書き入れている。

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ダンテらは亡霊たちとともに渡し船に乗る。カロンは亡霊に向って櫂を振り回し、自分のいうことを聞かせようとする。その様子を見ていたダンテは、恐ろしさの余りに身に汗し、ついには意識を失ってしまう

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「天体の創造」に続いて「大地と水の分離」が描かれているが、この二つの話の順序が原典の創世記とは逆になっていることは、前回言ったとおりである。「天体の創造」に対応する創世記の箇所は第一章6~13、神の創造行為のうち二日目と三日目にあたる部分である。そこには次のように記されている。

レイテ戦は緒戦から、地上・海上で米軍に敗退し、その後の展望には暗澹たる陰がさしていた。大岡は、これ以上の戦いは無謀であって、中止したほうがよかったとする立場に立つが、日本軍はこの無謀な戦いを継続させた。そのために、死ななくてもすんだはずの大勢の兵士たちが死ぬことになった、として大岡は日本の当時の指導者を批判するのであるが、当時の日本の軍部はレイテ決戦をゆるぎない前提として考えていたようなので、そう簡単には引き下がれなかったのだろう。いわば軍部の意地が、レイテ島の悲劇を拡大したのである。

十便十宜図:池大雅と与謝蕪村

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池大雅と与謝蕪村は、徳川時代の文人画を代表する二代巨匠と呼ばれる。この二人はどちらも武士の出身ではなく、また生涯を通じて画風が変化したことなどを踏まえると、彼らを文人画家とするにはためらいがないわけではない。だが徳川時代中期を代表する画家には違いない。二人とも、大名や大寺院のお抱え画師ではなく、独立した職業画家として成功した日本最初の画家だったと言ってよい。そんなわけで、出自や経歴、画風などに共通点があり、互いに意識したであろうことが想像される。実際、彼らは同一のテーマで、絵の連作を試みている。「十便十宜図」と呼ばれる、一冊の画帖の製作がそれだ。

フーコーは「監獄の誕生」を、フランス国王暗殺未遂犯ダミアンに対する1757年3月2日の判決を引用することから始める。それは以下のような内容だった。

橋合戦:平家物語巻第四

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(平家物語絵巻から 橋合戦)

高倉の宮及び宮を守る頼政以下の部隊が、奈良へ向かう途中宇治の平等院で休息した。そこへ平家が追っ手をかけて、迫ってくる。宮側は、宇治川にかかった橋の一部を破壊したりして、平家方を向こう岸に釘付けにしようとするが、平家は平家で、なんとかして河を渡って対岸に進出し、一気に宮方の部隊を殲滅しようとする。

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スティーヴン・スピルバーグの1993年の映画「シンドラーのリスト(Schindler's List)」は、1000人以上のユダヤ人をナチスによるホロコーストから救ったあるドイツ人をテーマにした映画である。したがって映画の主人公は一応シンドラーというそのドイツ人であるし、実際映画も彼を中心にして作られているのだが、彼はナチスドイツによるユダヤ人虐待の現場におり、自分の目でつねにユダヤ人が殺されたり虐待されたりするさまを見ているということで、映画全体がナチスによるユダヤ人虐待を記録しているようなところがある。三時間十五分に及ぶ長大な作品にもかかわらず、全編が緊張感にあふれ、冗長さを全く感じさせないのは、この映画の持つ記録的な性格から来るのだろうと思う。この映画は、ドラマであると同時に、ホロコーストを記録した映画でもあるのだ。

鷲図:若冲プライス・コレクション

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「鷲図」は、海に突き出た岩の上にとまっている鷲を描いたもの。肩をいからせた鷲の表情は精悍そもののであり、鶏や小禽類とはまた異なった趣を感じさせる。白黒の明暗対比がはっきりしていることも、この絵の峻厳なイメージを強めているようである。

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地獄の門をくぐると早速、大勢の人々のうめき声や叫び声が聞こえてくる。彼らは天国へ行くことができず、とりあえず地獄の門へと落された人々である。ここから三途の川を渡って地獄の中へと入って行き、それぞれ自分に割り当てられたところに向かっていくのである。

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「光と闇の分離」に続いて「天体の創造」のイメージが描かれる。創世記では、光と闇の分離に続いて水と天、及び陸地と海の創造が語られ、それに引き続いて天体の創造について記されるのであるが、ミケランジェロはその順序を逆転させて、「天体の創造」を先にして描いたわけである。

石川淳の本居宣長論

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中公版「日本の名著」の本居宣長編は石川淳の責任編集という形になっていて、石川が「宣長略解」なる文章を序文として寄せている。内容は、石川による本居宣長論といってよいものだ。石川淳といえば森鴎外論が思い浮かぶが、こちらはまた違った切り口から日本の偉大な文章家を論じている。そこからは、鴎外を論じるときのような、感情移入的な態度ではなく、きわめて冷めた感じが伝わってくる。

豊穣たる熟女たちと新年会をやった。場所は船橋にある豆腐料理屋のチェーン店「梅の花」。五時過ぎにJR船橋駅の改札口前で待ち合わせ、四人揃ったところで店のある東武デパートのエレベータ乗り場に向かう。筆者を先頭に人込を掻き分けて進み、エレベータ乗り場に近づいて後ろを振り向くと誰もいない。はてどうしたことかとあたりを見回したが、なんの痕跡も見当たらない。たった数十秒の短い間に、成熟した女性が三人も忽然と姿を消してしまったのだ。

競:平家物語巻第四

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(平家物語絵巻から 競)

嫡男重盛の死後諌めるもののいなくなった清盛はますます横暴になり、ついには後白河法皇を幽閉するという暴挙に出た。そんな清盛に対して、公家をはじめさまざまな方面から反発の動きが出てくる。後白河法皇の第二皇子高倉の宮が平家打倒に立ち上がったのは、そうした動きを代表するものだ。

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サム・ペキンパーの1977年の映画「戦争のはらわた(Cross of Iron)」は、第二次大戦末期のドイツ軍の退却戦を、ドイツ側の視点から描いたものである。それまで第二次世界大戦を描いた映画といえば、ドイツ軍は加害者として描かれるのが普通で、ドイツ軍の視点に立ったものはないに等しいとされていたという(当のドイツ国内でもそうだったのかどうか、事情に疎い筆者にはよくわからないが、どうもドイツにおいてもドイツ軍を英雄視する映画ははばかられていたらしい)。そんなところに、ドイツ軍寄りの視点で戦争映画が作られたというので、この映画は結構話題になったようだ。

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伏見人形とは、京都伏見稲荷大社付近の土を焼いて作った焼き物の人形。下地に胡粉を塗って白くし、その上から泥絵の具で模様を描くのが特徴である。この絵は、七人の布袋の人形が縦に並んだところを描いたもの。これを横に並べた絵も残っている。

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ダンテとヴィルジリオが地獄の入口にやって来ると、門の上には銘文が掲げられていた。その銘文は、この門の先には永遠の地獄が控えていると告げていた。その銘文を読んだダンテとヴィルジリオは、一層意を強くして地獄へ向かって進んで行く。

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システィナ礼拝堂天井の縦軸に沿った中心線沿いに、ミケランジェロは創世記から選んだ九つの場面を描いた。そのうち、「最後の審判」が描かれている祭壇側、すなわち東側の壁に最も近いところに、「光と闇の分離」を描いた。これは、創世記の冒頭部分に記されている、神による光と闇の分離をイメージにしたものである。

神風特攻:大岡昇平「レイテ戦記」

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神風特攻が始めて実施されたのはレイテ海戦たけなわの1944年10月25日である。栗田艦隊以下の日本海軍を空から援護する目的で行われた。このときの出撃で、関行男中尉が米護送空母「セイントロー」を撃沈するなど、大いに戦果を上げたため、その後日本軍は特攻重視に傾いていったわけである。その特攻の発案者や出撃を命令した連中に、大岡は厳しい目を向けているが、特攻に従事した兵士たちについては、深い尊敬の意を表している。曰く、特攻は「民族の神話として残るにふさわしい自己犠牲と勇気の珍しい例を示したのである」と。

松鷹図:若冲プライス・コレクション

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「松鷹図」は、松の枝に止まった一羽の鷹を描いたもの。鷹は、背景の部分を墨で薄く塗ることで、白く浮かび上がらせるようにしている。一方、羽や腹の部分は、細い線や点でアクセントをつけており、若冲のほかの動物たちとは、かなり違った印象を与える。

フーコー「監獄の誕生」

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フーコーは「監獄の誕生」を書くに当たって、二つの目論見を果たそうとした。一つは、先行する諸作品の中で「歴史的アプリオリ」と呼んでいたもの(それは「言葉と物」の中ではエピステーメーと呼ばれ、「知の考古学」の中では知と呼ばれていた)を一層概念的に掘り下げ、その系譜学的な由来を徹底的に解明することであり、もう一つは、19世紀以降の西欧近代社会を、ブルジョワジーの支配する社会と規定することによって、それを階級闘争の舞台として描きなおすことであった。

八丁堀でおでんを食う

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学生時代に仲良くしていた連中と久しぶりに顔を合わせた。場所は八丁堀のおでん屋レイテンという店。集まったメンバーは、福、石、浦、岩、谷、小、田、柳に筆者を加えて九人。店に入ってみると、そこはこじんまりとした空間で、すでに、福、石、浦の諸子が席についていた。随分久しぶりだな、と声をかけ合う。筆者がこの連中と会うのは、あの3.11の年以来5年ぶりのことだ。彼らは互いに連絡があるらしく、三年ほど前から定期的に飲み会をやっているという。筆者も今回その輪に入れてもらったという形だ。

有王:平家物語

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平家物語巻第三「有王」の章は、鬼界が島に一人取り残された俊寛の後日譚である。俊寛がかつて召し使っていた有王という童が、鬼界が島に流された三人のうち二人が許されて戻ってきたのに、我が主人俊寛がいまだ島に取り残されたままだと知り、意を決して会いに行く。会いに行ったとて、展望が開ける見込みもないのだが、会わずにはいられないのである。そこで、俊寛の娘から手紙をことづかり、それを大事に持って鬼界が島に向かう。

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シェイクスピアは、巨大な名声のわりに実生活に不明な部分が多いので、とかく作家たちの想像力を刺激してきた。映画作家の場合もその例外ではなく、シェイクスピアの「実生活」に題材をとった作品が多く作られてきた。1995年の映画「恋におちたシェイクスピア」は、そうしたシェイクスピア物の中でも、最も優れた部類に入る。

GOP内の階級闘争

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米大統領選の共和党(GOP)の候補者選びが面白い様相を呈している。ドナルド・トランプが相変わらずトップを走り、それにクルーズやルービオが追い打ちをかけている状況だが、こうした候補者は、いままでのGOPの政治的な伝統からすれば、異端的と言ってよい。というのも、これまでのGOPの政治的なアジェンダは、減税、歳出カット、規制緩和、自由貿易を柱とした「小さな政府」路線だったわけだが、以上の候補者は、かならずしも小さな政府にこだわっていない。ある程度の社会保障の必要性を容認しているし、強いアメリカの実現のためには増税もあり、といったスタンスをとっているようである。

鯉魚図:若冲プライス・コレクション

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「鯉魚図」は、水面から出て飛び跳ねる鯉を描いたもの。全身ではなく半身なのは、鯉の動きの躍動感を強調するためと思われる。鯉は頭を上に持ち上げ、前鰭を前方に伸ばして、大きく跳躍しようとしている。鯉の下の水面は、鯉の動きによって波しぶきを立てている。そうした躍動感が如実に伝わってくる。

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第二曲では、地獄へ向けてのダンテとヴィルジリオの出発に当たり、ヴィルジリオが何故ダンテを迎えに来たか、その理由を語る。つまりヴィルジリオに託されたミッションの内容が語られるわけである。

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システィナ礼拝堂が現在の形に建てられたのは1477年から1480年にかけてのことである。それ以前には、14世紀半ばに建てられた大礼拝堂があった。それが構造上の問題で大改築を必要としたので、時の法王シクストゥス四世の命によって建て直されたのである。システィナという名称は、この法王にちなんだものである。

高倉健「あなたに褒められたくて」

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高倉健といえば、ヤクザ映画のヒーローだし、その他のジャンルの映画でも寡黙でこわもてするタイプの役者という印象が強く、一時期流行ったCMの文句「男は黙ってサッポロビール」を地で行く生き方をしているのかと思ったが、素顔の本人は意外とさばけて、話好きなのだそうだ。この本(「あなたに褒められたくて」)を読むと、そんな高倉の話好きな雰囲気が伝わって来るような気がする。

諸王朝と原理主義の対立

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サウディ・アラビアとイランの対立が激化している。発端は、サウディがシーア派の指導者を処刑したことにイランのシーア派が激怒し、イラン国内のサウディの大使館を襲撃したことだ。これにサウディが国交断絶を以て対抗すると、バーレーン以下の湾岸諸国もサウディに追随し、一気に緊張が高まった。

足摺:平家物語巻第三

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(平家物語絵巻から 足摺)

成親の子成経及び康頼、俊寛の三人は薩摩の沖の絶島鬼界が島に流される。成経と康頼は、島に熊野権現を勧請して帰京を祈ったが、不信心な俊寛はその祈りに加わらなかった。康頼は熊野権現に祈りを捧げる一方、自分の思いを書き付けた卒塔婆を千本も海に流した。その一本が安芸の厳島神社に流れ着いたのだったが、それには康頼の望郷の思いを込めた切ない歌が書かれていた。

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ジョナサン・デミの1991年の映画「羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」は、シリアル・キラー(連続殺人犯)をテーマにした作品である。こういう映画は事柄上サイケデリックになりやすい傾向がある。このジャンルの映画の代表作と言われるヒッチコックの「サイコ」は、連続殺人よりも犯人の異常な人間性のほうに焦点が当てられていたし、今村昌平の「復讐するは我にあり」も、殺人の動機がはっきりしていないと言う点で、非常な不気味さを感じさせる。動機と言えば、人を殺すことそのものが快感だからというほかはない、というのはかなりエクセントリックなことだ。

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「芭蕉雄鶏図」は、芭蕉を背景にして雄鶏を描いたもの。筋目描きといって、面と面の間を白抜きすることで、線の部分を筋目のように浮かび上がらせる手法を用いている。岩絵の具ならば胡粉で白い筋をつけるのが可能だが、水墨画ではそういかないので、白抜きの技法が有効なわけである。

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第一曲の後半部は、三匹の獣におののくダンテの前に現れたウェルギリウスが、ダンテに向って、自分の素性をあかし、ここから逃れ去るには別の道をゆかねばならぬと語る。その道とは、地獄を通り抜けて、その先にある煉獄を上りつめ、天国へと至る道だという。

飛翔:ゴヤの版画「妄」

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(飛翔法)

レオナルド・ダ・ヴィンチが「飛行する機械」を構想して以来、人類が鳥のように飛翔するイメージが人々の心を捉え続けた。ゴヤもまたそのイメージを共有した一人だったようだ。

比島沖海戦:大岡昇平「レイテ戦記」

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「この戦記の対象はレイテ島の地上戦闘であるが、十月二十四日から二十六日まで、レイテ島を中心に行われた、いわゆる比島沖海戦は、その後の地上戦闘の経過に、決定的な影響を与えているので、その概略を省くわけにはいかない」。大岡は、レイテ戦記の第九「海戦」の冒頭をこのように書いて、所謂比島沖海戦の模様を、かなり詳しく書いている。

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図屏風は多くの場合、六つの面(扇という)で一組のものを、二組作って一対とする。それを六曲一双と称した。しかして向かって右側を右隻、左側を左隻といった。この絵は、「鳥獣花木図屏風」の左隻である。

フーコー「知の考古学」

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「知の考古学」は、フーコーにとってそれなりのメルクマールとしての意義を持つはずであったと思うが、実際にはどうも座りの悪いものに終わった、というのが大方の読者の持つ印象だろう。この本は、題名から察せられるとおり、フーコーの哲学的活動の前半期を貫く系譜学的・考古学的視座の延長にあるものととることができるが、またその意味で、彼の方法論を掘り下げたものという意義を持つものととれるが、彼はここで掘り下げた方法論と、それまでの系譜学的・考古学的方法論との間に、意味のある架橋をしたようには見えないし、また、ここで展開した方法論を、その後の自分の思想を展開する際の機軸に据えることもなかった。後期のフーコーの哲学は、考古学的分析から、権力論へと大きく傾いていくのである。こんなわけでこの書物は、フーコーの業績の中では中途半端な色彩を帯びており、メルキオールの言葉を借りれば、「奇妙な作品」なのである。

教訓状:平家物語巻第二

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(平清盛像 六波羅蜜寺)

清盛打倒の陰謀が発覚し、自分に災厄が及ぶのを恐れた多田蔵人行綱が、清盛に密告した。怒った清盛は、成親を監禁し、西光を拷問の末虐殺した。西光の子、師高、師経兄弟も惨殺された。清盛は成親も殺そうとするが、嫡男の重盛が教訓して成親の命乞いをした(小教訓の章)。重盛は成親の妹を妻にしていたのである。

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1982年のアメリカ映画「ランボー(First Blood)」は、ベトナム帰還兵の不幸を通じてベトナム戦争で蒙ったアメリカの傷を描いたなどと評されているが、筆者などにはそれ以上に、アメリカ警察の暴力的体質を描いたものだという印象が強い。この映画は、警察官がベトナム帰還兵である主人公を、流れ者だと言う理由で排除しようとしたあげく、手ごわい抵抗にあうと見るや、警察の総力を挙げて相手を抹殺しようとするところを描いている。その過程で見せる彼等のやり方は、暴力団と全く変わらない。変わっているのは彼等が権力を持っているということだけだ。こういう映画を見せられると、アメリカの警察と言うのは、基本的には、権力を持った暴力団に他ならないという印象を強く持たされる。

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プライス・コレクションにとどまらず若冲の画業全体の中でももっとも光るのがこの「鳥獣花木図屏風」一対だ。この図屏風を若冲は、桝目描きという特殊な技法で描いた。桝目描きというのは、画面を一センチ四方の枡に区分けし、その一つ一つを絵の具で塗っていくというものである。織物の図案である正絵の技法を取り入れたとも、朝鮮半島の紙織絵の影響だとも言われている。詳しいことはわかっていないようだ。

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ブレイクは、1824年にダンテの「神曲」への挿絵制作にとりかかり、1827年に死ぬまでその作業を続けた。スケッチまで含めると、現在確認できる点数は102点である。これらの作品は、ダンテの晩年のパトロンであったジョン・リンネルの依頼にもとづいて作られた。しかし、ダンテの生前にも、また死後にも、一冊の本として出版されることはなく、リンネルがそれぞれバラバラの形で保有した後、1918年にオークションにかけられ、現在では、大英博物館はじめいくつかの機関によって分割保有されている。

結婚:ゴヤの版画「妄」

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(結婚の妄)

この絵は、男女が背中合わせにくっついていることから、「結婚の妄」と呼ばれるようになったが、それはゴヤ自身の指示によるものではない。この題名で納得するためには、不具合な要素が多い。

四方田犬彦「映画史への招待」

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「映画についての言説が、はっきりと過去の作品を対象とし、それを歴史的なものとして認識しようとする姿勢に転じたのは、映画が考案されてかなり時間が経過したのちに、ようやく現れた」と、「映画史への招待」の著者四方田犬彦は言う。それまでは映画の歴史が語られることはなかった。ということは、映画は歴史の厚みをもたない薄っぺらなエンタテイメントであり、その映画についての語り方も、相応に薄っぺらなものだった。たまに映画の「歴史」について語るものが現れても、それは本物の歴史家にとっては、「好事家のディレッタント趣味に満ちた印象の寄せ集めであって、どこまでも日曜仕事の域を出ないものであった」というわけである。

頭のよくない善人が頭のよい悪人を批判

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民主党の野田前首相がTBSのテレビ討論番組に出席して、自民党の安倍政権が進めようとしている軽減税率を"厳しく"批判した。その理由は、私は軽減税率に反対だ、というから、要するに結果を以て前提にとりかえることをしているわけだ。野田前首相が何故軽減税率に反対かと言うと、それを埋める財源がないからだという。"財源なくして政策なし"と言う鉄則に照らして、安倍政権のやろうとしていることは無責任だと言いたいらしい。

鹿谷:平家物語巻第一

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(平家物語絵巻から 鹿谷)

清盛は、娘の徳子を高倉天皇の后にすることで天皇家の外戚となり、その地位はますます高まる一方だった。清盛はその地位を利用して、官位の授与も思うがまま、平家の一族を重要なポストにつけた。それに反感を抱く人々が、平家打倒の動きに出る。巻第一「鹿谷」の章は、そんな動きを伝えるもので、やがて平家物語の前半をかざる僧俊寛たちの運命の序曲となる部分である。

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「クレーマー、クレーマー(Kramer vs. Kramer)」は、離婚大国アメリカでの、子供の親権をめぐる争いをテーマにした映画である。世界的な反響を呼び、日本でも評判になった。というのも、この映画が公開された1979年当時は、日本でもようやく離婚が小さからぬ社会問題となってきていたからである。アメリカ人ほどではないが、日本人のなかでも離婚を経験するものが増えてきていた。離婚した夫婦に子供がいれば、当然親権をめぐる問題が生じてくるわけで、この映画を見た当時の日本人も、今すぐと言うわけではないが、いつか経験することになるかもしれない、離婚とそれに伴う子供の親権の問題について、この映画を通じて考えさせられるところがあったに違いない。

石橋:浄土欣求の能

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最近は、NHKテレビが能の舞台を放送することがめっきり少なくなり、正月も、かつては三日間通しで放送していたものが、元旦だけに限られるようになった。同好者の数が少なくなったためだろうから、致し方がないといわれればそのとおりだが、筆者のような謡曲好きとしては、やはりさびしいことだ。

群鶴図:若冲プライス・コレクション

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「群鶴図」は、七羽の鶴が重なりあって立っている様子を描いたものである。かなりもつれあっているので、頭と胴体や脚との関連がよくわからないところがある。頭を数えるとかしかに七羽分あるのだが、見えている脚は九本しかない。五本あるはずの残りの脚は、持ち上げられて隠れているのだろうか。

大阿呆:ゴヤの版画「妄」

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(大阿呆)

スペイン語の阿呆という言葉には道化という意味もある。阿呆=道化は、スペインの民俗誌的なキャラクターとして、長い歴史を通じて愛されてきた。イタリアのアルレッキーノ、フランスのピエロのようなものだ。だが、その人気の割には、芸術的な表現の対象とされることは、あまりなかったようである。ゴヤは、阿呆をテーマに取り上げた数少ない芸術家の一人である。

レイテ島に米軍が上陸したのは昭和19年10月20日である。その時島を防衛していた日本軍は第十六師団の18600人であった。16師団はもともとルソン島の南部を担当していたが、レイテ島に米軍が上陸する可能性が高まったことを受けて、急遽レイテ島に転進したのだった。師団長の牧野四郎中将は、同年3月に着任し、同年9月には師団と共にレイテ島に移った。早速現地を視察した中将は、米軍の上陸は島東部海岸のドラグ付近だろうと予想し、そこに師団の兵力の大部分を配置した。米軍は、中将の予想通り島の東部海岸に上陸したが、まずドラグよりずっと北にあるタクロバンとパロ周辺に上陸してきた。続いてドラグにも上陸した。

平成廿八年を迎えて

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平成廿八年を迎えるに当たり、今年は申年だというので、猿の絵を描いて家人に見せたところ、悪くはないけどお猿さんの表情がもうちょとかわいらしくてもいいわね、との批評を受けた。昨年は羊の絵を描いたところが、たまごのおもちゃみたい、などと言われたのに比べれば、よしとせなばなるまい。

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