2016年12月アーカイブ

ロシア政府がアメリカの大統領選にかんして所謂サーバー攻撃を仕掛けたことで、選挙結果に重大な影響が生じたと判断したオバマが、ロシア大使館員らを国外追放するなど、報復制裁措置をとった。これに対してプーチンのほうは、いまのところは鷹揚に構えている。大統領がトランプに変れば状況も自ずから変わるはずだから、なにも慌てることはないと判断しているようだ。

四季山水図(秋):雪舟の水墨画

| コメント(0)
ss4903.1.jpg

四季山水図四幅のうち秋図。これも他の三幅同様、高山を背景にした里の風景を描いている。どの山と、どの里をテーマに描いたのかは、全く判っていない。おそらく李在はじめ中国当代の画家たちの絵を参考にして、雪舟が自在に構成したのではないかと思われるが、雪舟が折に触れスケッチしておいた実景をもとに描いたという解釈もないわけではない。

d3321.jpg

ブレイクの「神曲」への挿絵の最後を飾るものは、「栄光の天の女王」と題された一枚である。この絵は、天国編の第三十二曲の内容に対応している。本文ではこの部分は、薔薇の花びらに包まれるようにして、大勢の天使や使徒たちの居並んでいる姿が見え、その中心に聖母マリアが座しているということになっている。ダンテはその様子を、自分の再解釈を交えながら描いた。

ホーキング博士がトランプを批判

| コメント(0)
著名な理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が、テレビインタビューの中でトランプを批判し、彼は「最小公分母にアピールしているようなデマゴーグだ(a demagogue who seems to appeal to the lowest common denominator)」と言った。

m3501.pink.jpg

マティスは、1930年から三年かけて、フィラデルフィアのバーンズ財団の美術館を飾る為の壁画の製作に没頭した。それは、美術館の壁に開いた三つの扉の上の壁を飾るもので、テーマはマティスにとって馴染みの深い「ダンス」だった。三年ものあいだマティスは、自分のすべてをこの壁画の製作に打ち込んだわけだが、彼が注いだ力に見合うほどの名声は、この作品は彼にもたらさなかったようだ。

nv41.cousin.jpg

クロード・シャブロルは、ヌーヴェル・ヴァーグ運動に意欲的にかかわった一人で、ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーとは協力関係にあった。非常に多作な作家だったが、1959年の作品「いとこ同志(Les cousins)」が彼の代表作である。

金ぴか鶏としてのトランプ

| コメント(0)
161202.tramp-rooster.jpg

写真(TIMEから)は、山西省太原市の一角に登場した膨張式の巨大なアイコン。鶏になったトランプをイメージしているそうだ。2017年が酉年なので、このようなアイコンを作り、正月に先立って披露されたのだという。

「啓蒙の弁証法」最終章は、「手記と草案」と題して短いメモのようなものを集めているが、中心となるのはファシズムについての考察である。アドルノらがこの文章を書いたのは1944年以前のことであるから、ファシズムは現在進行形の状態にあった。とくにナチスドイツのファシズム(アドルノらはドイツのナチズムもファシズムと呼ぶ)は人類史上例を見ない残酷さを以て、人間性を蹂躙していた。ユダヤ人であったアドルノらにとって、それをどう受け止め、どう理論化したらよいか、強い戸惑いを感じたに違いない。この章に収められた文章からは、彼らのそういった戸惑いと、人類の敵に対する怒りが込められている。

思い出横丁で思い出にふける

| コメント(0)
旧友数人と新宿で飲んだ勢いで、思い出横丁に寄った。新宿駅西口を出て右に曲がり、青梅街道手前の線路沿いに細長く広がる一帯だ。昔は小便横町といった。戦後の闇市が生き残ったようなところで、個々の店には便所がなく、また共同便所も少ないことから、飲み屋で催した連中がそこいらじゅうに立小便をする。そこで近づくと小便の匂いがするというので、小便横町と呼ばれるようになった。それが、便所の普及で多少清潔になったところで、小便横町では具合が悪いから名前を変えようという声が起り、思い出横丁に変った。そんなことを誰かから聞いたことがある。

秋の歌:西行を読む

| コメント(0)
山家集の四季部の歌の中でも秋の部の歌は最も多く二百三十七首を数える。古今集も同じであって、四季の部あわせて三百四十二首のうち秋の歌が百四十五首をしめる。その古今集の秋の部の冒頭は、藤原敏行の有名な歌である。
  秋きぬとめにはさやかにみえねども風のをとにぞおどろかれぬる(古169)

nv31.dieu.jpg

ロジェ・ヴァディムの1956年の映画「素敵な悪女」の原題は、Et Dieu créa la femme(そして神は女を作られた)である。これが聖書の創世記の記述を意識したものであることは明確である。創世記は、女の誕生を人類の原罪の直接の原因としているが、それほど女というものは、キリスト教徒にとっては、罪深いものなのである。この映画はそうした女のどうしようもない罪深さと、それに翻弄される男たちの愚かさを描いたものである。

四季山水図(夏):雪舟の水墨画

| コメント(0)
ss4902.1.jpg

四季山水図四幅のうち夏図は、李在の山水図(東京博物館蔵)に非常に似ているので、よく比較される。まづ構図だが、画面全体に景物をくまなく配した構図が、両者に共通している。描法も、遠くの山をぼかすことで遠近感を出したり、山の麓に白い霞を介在させることで上下の高低感を表したりするところが共通している。

d3301.jpg

ダンテとベアトリーチェはいよいよ至高天へと上って行く。至高天とは神の座するところである。ダンテはここで神の姿を直接見ようと望むが、それには準備がいる。その最初のものが、光の川から水を飲むことだ。こうして身を清め、神を見るに耐える視力を持たねばならない。

m3101.yd.png

1930年、マティスはアメリカ経由で南太平洋のタヒチに旅行した。動機は、南洋の明るい太陽の光を一身に浴びたいということだった。マティスはそれまでも、明るい太陽を求めて、南仏や北アフリカに拘ってきたわけだが、その拘りが地球的な規模にまで膨らんだというわけだろう。タヒチには数週間滞在し、帰りはスエズ運河経由の航路を取った。

源了円「徳川思想小史」

| コメント(0)
源了円の「徳川思想小史」は、表題にあるとおり、徳川時代に現れた日本の思想家たちの一覧ができるようになっている。これを読んであらためて驚かされるのは、「徳川思想」の単純性である。日本の思想家と呼ばれるものたちは、徳川時代を通じて、全く同じ世界観を抱いていたということだ。それは儒教的な世界観で、多少のバリエーションはあるものの、基本的には互いに相違がなかった。二百年以上にわたって、一つの国民が全く同じ世界観を抱きながら生きていたというのは、世界史的に見ても珍しいのではないか。

五月雨:西行を読む

| コメント(0)
山家集の夏の部は、ほととぎすについで五月雨を歌った歌が多い。この部だけを対象にざっと数えただけで二十四首ある。五月雨は夏のうっとうしさを代表するようなものなので、かららずしも情緒豊かなものではないが、捉え方によっては歌にもなると、少なくとも西行は考えたのであろう。

nv23.piero.jpg

気狂いピエロ(Pierrot Le Fou)というのは、ジャン・ポール・ベルモンド演じる主人公フェルディナンのあだ名だ。このあだ名をつけたのは彼の古い恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)。彼は友人のパーティで偶然この女と五年ぶりに再会し、二人で駆け落ちする。フェルディナンは妻子を捨て、マリアンヌは愛人のフランクを捨て。とりあえず目指したのは南仏だが、別にあてがあるわけではない。彼らはただ退屈しのぎができればよいのだ。この映画は、そんな男女の退屈しのぎの様子を描く。彼らは人生が小説のようであったらよいのに、と考えている。人生の意義とは退屈をしのぐことにあると思っているからだ。

四季山水図(春):雪舟渡明中の水墨画

| コメント(0)
ss4901.1.jpg

現在に伝わる雪舟の作品のうちもっとも早い時期に描かれたのは、東京国立博物館所蔵の「四季山水図」四幅である。この作品は、雪舟の渡明時代に北京で描かれたことが、落款や呆夫良心の「天開図画楼記」などからわかる。雪舟は、応仁元年(馬歯四十八)に渡民し、同三年(五十)に帰国したが、その間に北京でこれを描いたのである。

d3281.jpg

ダンテとベアトリーチェが、恒星天の更に外側に広がる原道天に上ってゆくと、光り輝く九つの環と、その中心で微小に輝く点が見えた。九つの環はそれぞれ九つの天体に対応し、その中心にある光は、これらの天体の運行をつかさどるもの、すなわち神の光であるとベアトリーチェはダンテに説明する。

m2802.turkish.jpg

「トルコ風肘掛け椅子のオダリスク(Odalisque au fauteuil turc)」は、1928年に「二人のオダリスク」と前後して描かれた。マティスはこの絵が気に入っていたようで、友人への手紙の中でも、「勝ち誇ったような輝きのなかに、陽光の明るさが満ち溢れているでしょう」(高階秀爾監訳)と書いて自慢している。

nv22.mepris.png

ジャン=リュック・ゴダールはヌーヴェル・ヴァーグの旗手として現代フランスを痛烈に批判する映画を多く作ったが、たまには伝統的なテーマを取り上げることもあった。「軽蔑(Le Mépris)」はその一例だ。この映画でゴダールは、フランス女の尻軽という伝統的なテーマに挑んだのだったが、彼が出した結論は、フランス女を尻軽にするのは男に原因があるという、いささか陳腐なものであった。

安倍政権が高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」の廃炉を決定した一方で、高速増殖炉の開発そのものは今後とも継続すると表明した。「もんじゅ」を廃炉したあとは、高速増殖炉計画のより高次の段階である実証炉の開発にとりかかるというのだが、専門家ならずとも、これが支離滅裂な考えであることは容易に見分けられる。

雪舟の世界

| コメント(0)
ss00.jpg

雪舟は、日本の美術史上、個人の名が前面に出た最初の芸術家と言える。彼以前には、日本の芸術は、基本的には匿名作品だった。鳥獣戯画の作者とされる鳥羽僧正は、実在の芸術家というより、象徴的な意味を持たされた存在だったといえるし、運慶や快慶は、確かに個人として卓越した技術を持っていたが、歴史的には個人としてよりも、技法の集団を代表するという意味合いで言及されることが多かった。特定個人の名と結びついた芸術が日本に現れるのは、雪舟以後と言ってもよい。

アドルノとホルクハイマーが反ユダヤ主義に着目したのは、直接的にはナチスのユダヤ人撲滅政策に触発されたのだと思うが、それだと反ユダヤ主義とは単にドイツ・ファシズムの一要素ということになってしまう。しかし反ユダヤ主義はなにもナチスだけの専売特許ではない。それは「ドイツ人の役人からハーレムの黒人にいたるまで」あらゆる国の潜在的ファシストたちの心に巣くっている。それ故現代における反ユダヤ主義は、ヨーロッパ文明の不可欠の要素として、ヨーロッパ文明が自己の内部から産み出した野蛮として理解されねばならない。反ユダヤ主義は啓蒙の弁証法の究極的なあらわれなのである。

ほととぎす:西行を読む

| コメント(0)
古今集の夏の部の歌は九割方ほととぎすを歌った歌が占めている。これは、ほととぎすが夏を代表するものとして人々に受け入れられていたことをあらわすと言えないでもないが、逆に、夏にはほととぎすくらいしか思い浮かばない、つまり夏にはあまり風情を感じない、ということを物語るとも受け取れる。

nv21.souf.jpg

ジャン・リュック・ゴダールの1959年の映画「勝手にしやがれ(À bout de souffle)」は、フランソア・トリュフォーの同年の映画「大人は判ってくれない」とともに、ヌーヴェル・ヴァーグの嚆矢とされる作品である。トリュフォーのほか、クロード・シャブロールも製作にかかわっているこの映画は、ヌーヴェル・ヴァーグの特徴をもっとも明瞭に発揮したものとして、記念碑的な作品だとの評価が定着している。

東アジアに広がる中国の影

| コメント(0)
安倍晋三総理がプーチンに色目を使って東アジアから目を背けている間にも、この地域の情勢は確実に変化している。それを一言で言えば、中国の影が地域全体に広がりつつあるということだ。その動きについて、筆者の参照できる範囲の情報をもとに、概観してみたい。

小林清親の花鳥動物画

| コメント(0)
k9501.jpg
(猫と提灯 明治十年)

小林清親は、東京名所図刊行の傍ら、花鳥や動・植物をモチーフにした版画も製作した。それらは、実用的な価値のある東京の名所図とは違って、あまり売れなかったようだが、清親は自分の画家としての矜持から、こうしたテーマも積極的に描いたようだ。

d3252.jpg

聖ペテロ、聖ヤコブの霊に続いて聖ヨハネの霊が現れる。そのまばゆい光に接したダンテの目は一瞬暗くなる。ヨハネは生きたまま天国に上げられたと伝えられており、ダンテはそのヨハネと同じく、自分もまた天国に生きたまま迎えられ、その喜びを分かちたいと思うのである。

m2801.two.jpg

マティスは1925年の夏に、家族を伴ってイタリアに旅行した。その時にミケランジェロの作品を集中的に見て、それを踏まえた多くの習作を生んだ。それらは、いわゆるミケランジェロ・タッチと呼ばれるダイナミックな感じのものだった。マティスもミケランジェロ同様、人体に拘った彫刻家でもあったので、二人の人体の見方と表現の仕方には共通するものがあったのだろう。要するに精神性よりも、肉体性(ボリューム感)を重視するものだ。

司馬遼太郎の軍隊体験

| コメント(0)
司馬遼太郎は二十二歳で敗戦を迎えた。彼は外国語学校在学中に学徒出陣し満州に配属され、その後日本に戻ってきて栃木県の佐野で敗戦を迎えた。ソ連の参戦がもう少し早かったら、ソ連製の徹甲弾で戦車を串刺しにされて死んでいたはずだと本人は言う。また、日本では、アメリカの本土上陸に備えていたが、もしアメリカが関東地方の沿岸に上陸してくれば、「銀座のビルわきか、九十九里浜か厚木あたりで、燃え上がる自分の戦車の中で骨になっていたにちがいない」と言う。だが司馬は骨にならずに、生きながらえることができた。生きながらえて戦争を振り返ると、一体この戦争は何だったのだ、という思いに司馬が捉われたのは無理もない。司馬は自分の体験を踏まえて、日本人をこのような目にあわせた昭和という時代を、日本史の中での異胎の時代だと思ったわけであろう。

ほろ酔い加減で帽子を忘れる

| コメント(0)
鈴生から連絡があって、暇を持て余しているからまた馬鹿話をしないかと誘われ、忘年会を兼ねて船橋で飲んだ。場所は先日入ったシャリ膳という鮨屋だ。カウンターに座ってビールで乾杯すると、鈴生は最近ひどい不心得をやってしまったよと言う。一体何をしたんだねと聞くと、立石界隈で友人と飲んでいてすっかり酔っぱらってしまい、自分を失って警察のお世話になったというのだ。いやあこんなことは生れて初めてだ、面目ない、と言うので、今晩はそれを肝に銘じてハメをはずさないように飲もう、と誓いあった次第だ。

夏の歌:西行を読む

| コメント(0)
四季のうちでも夏は、長雨や耐え難い暑気のためにとかく敬遠され、歌に歌われることも少なかった。古今集では、秋の歌二百三十七首、春の歌百七十三首に対して夏の歌は八十首で、もっとも数が少ない。山家集でも、夏の歌は三十四首で、冬の歌の二十九首とともに数が少ない。日本人はやはり、春と秋を愛し、その時期に多くの歌を読んできたのである。

nv13.jules.jpg

フランソワ・トリュフォーの映画「突然炎の如く(Jules et Jim)」は、例によってフランス人が好きな性的放縦をテーマにした作品だ。原題にあるとおり、ジュールとジムという二人の若者の奇妙な友情を縦糸にして、それにカトリーヌという尻軽女とのセックスを横糸にして、人間の幸福とは何か、について追求したものである。無論フランス人にとって、人間の幸福とは性的な快楽以外の何ものでもないから、この映画の中で展開されるのは、性的快楽の諸相、とりわけ女の性的放縦である。

安倍・プーチン会談を踏まえて、昨日(12月16日)共同記者会見が開かれた。その会見のなかで安倍晋三総理大臣がウラジーミル・プーチン大統領に向かって、しきりに「きみ」と呼びかけていたが、それに違和感を持ったのは筆者のみではあるまい。

k7701.亀戸.jpg
(亀井戸藤 明治十四年)

亀戸天神は十七世紀の中ごろの寛文年間に、菅公の子孫によって創建された。以後関東地方における天神信仰の一大拠点として栄えてきた。いまでも湯島の天神様と並んで、学問の神様として、特に受験生を中心に、広い信仰を集めている。

d3251.jpg

天国編第二十四曲に続き、第二十五曲のためにダンテは二つの挿絵を描いた。両者ともに、「神曲」への挿絵の中で最も気合を感じさせるものだ。色彩も豊かで、構図もしまっている。保存状態もよい。

プーチンがロシアから鳴り物入りでやってきて、安倍晋三総理の地元長州で会談した。これを日本のメディアはこぞって、「率直に議論」したと紹介しているが、何を「率直に議論」したか、その中身は伝わってこない。要するに、国民にわざわざ伝えるほどのことが無かったのだろう、そう思うのは筆者のみではあるまい。

m2501.decorative.jpg

「装飾的身体(Figure décorative sur fond ornemental)」は、マティスの代表作の一つである。彼はこの作品を、20年代に多作していたオダリスク像の延長として描いたのだろう。1926年のサロン・デ・チュイルリに出展したところ、大きな反響を呼んだ。その反響には好意的なものと、非難がましいものとの両方があったが、この作品がマティスにとって新たなスタイルを予感させるという評価では一致していた。

nv12.pianist.jpg

フランソア・トリュフォーの1960年の映画「ピアニストを撃て(Tirez sur le pianist)」は、トリュフォーの名を知らない今日の観客が見れば、凡庸なB級映画にしか見えないだろう。筋書きは三文小説のように退屈だし、映像が大胆な美を演出しているわけでもない。ただひとつこの映画には歴史上の価値がある。それはシャルル・アズナヴール演じる主人公のピアニストが娼婦とベッドにもぐるシーンで、娼婦の巨大な乳房が映し出されるところだ。それまでの映画では、女性の乳房をアップで映し出したものはなかったので、これは当時の観客を大いに驚かせたに違いない。しかし、いまでは女性の乳房をアップで映すのはごく普通のことになっており、この映画のシーンが取り立ててショッキングに映るということはない。

k7502.浅草田圃.jpg
(浅草田圃太郎稲荷)

浅草田圃は吉原の裏手にあった田地である。吉原は、浅草とは反対側の北東部に入り口があったから、その裏手といえば、吉原と観音堂との中間地帯に当たる。徳川時代の古地図を見ると、吉原の周辺一帯が田地として表示されているから、吉原が田圃の中の、いわば水中楼閣のようなものだったわけだ。

アドルノ&ホルクハイマーの文化産業論

| コメント(0)
アドルノとホルクハイマーが「文化産業」という言葉で指し示しているのは、映画、ラジオ、テレビといった大衆的な文化のジャンルである。これらはみな二十世紀になって花開いた。これらがそれぞれ登場したときには、映画産業とか、ラジオ産業とか、テレビ産業というふうに、個々の分野について産業という言葉が使われものだが、アドルノとホルクハイマーはそれらを一括して「文化産業」と言ったわけである。

アレッポの虐殺

| コメント(0)
長い間シリアの反体制派の拠点だったアレッポがアサド政権によって制圧されたことに伴い、大規模な虐殺が起っているようだ。アサド政権は、アレッポの住民全体をテロリストとみなし、成人男性はもとより女性や子どもまで殺している。こうした事態に対して国連などが憂慮を表明しているが、アサド政権による虐殺は一向おさまる気配を見せないようだ。

梅:西行を読む

| コメント(0)
梅の花は万葉集でも萩の花と並んでもっとも多く歌われた花である。万葉集でただ花とあれば、それは梅の花をさすほどに人気のある花だった。ところが中世以降になると、花といえば桜をさすようになり、梅は花の王座を桜に譲る。これは日本人の美意識が変化した結果だと受け取るべきなのか。興味深いことではある。

nv11.otona.jpg

フランソワ・トリュフォーの1959年の映画「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups)」は、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の魁となった作品である。そこでヌーヴェル・ヴァーグ運動とはなにか、ということが問題になるが、厳密な定義はないようである。何となく時代の雰囲気をあらわした漠然とした言葉だが、強いて言えば、社会への批判意識が強いということだろうか。フランスは文明国でも最も洗練された社会と言われているが、それは裏を返せば欺瞞的な社会ということでもある。欺瞞は文明に比例するからだ。そこでその欺瞞をあばき、文明のゆがんだ側面を批判するところが、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の共通の持ち味となった。そんなふうに言えるのではないか。

k7401.浅草.jpg
(浅草夜見世 明治十四年)

浅草は、観音堂の門前町として古くから賑わったが、徳川時代になると、北隣に新吉原の遊郭街が出来、また観音堂の周辺に芝居小屋が出来たりして、庶民の賑わう町になった。その賑わいは明治以降にも引き継がれ、昭和の初め頃までは日本最大の繁華街を形成していた。

d3242.jpg

恒星天の双子宮でダンテらの前に現れた炎のうち、聖ペテロの霊を収めた炎が彼らに近づき、ダンテが果たしてベアトリーチェの願うように、霊たちの喜びにあずかる資格があるかどうか吟味する。吟味の基準は、ダンテがキリスト者としての相応しい信仰を有しているかということだった。

m2401.magnolia.jpg

タイトルのマグノリアとは、木蓮科の花のことである。モデルの背後にある衝立らしきものの模様に、そのマグノリアが使われている。衝立の前に横たわっているのは、アンリエットだろう。白い上着と白いスカートを履き、上半身をはだけているポーズは、「赤いキュロットのオダリスク」と似ている。角度が横向きなところが違っているだけだ。

司馬遼太郎の神道観

| コメント(0)
司馬遼太郎は、今に続く日本という国のかたちがととのったのは鎌倉時代であり、その担い手は農民としての武士であったと考えているようなので、日本史にかかわる彼の想像力は、精々鎌倉時代の初期までしか及ばないのであるが、神道を語る場合だけはそういうわけにも行かず、古代にまで展望を及ぼしている。しかし彼が語る神道は、八幡神社を軸にしたもので、その八幡神社というのが、武士階級と密接なかかわりをもっていたわけで、要するにこの国のかたちを担った武士階級とのかかわりにおいて神道を論じるというのが彼の特徴である。この辺は武士的価値観を以て日本史を裁断するという司馬の姿勢があらわれているところである。

世論の右傾化が世界規模で進んでいることの背景では、インターネットが一定の役割を果たしているようだ。日本では、ネトウヨと呼ばれる連中が極右的な言説を垂れ流しているが、それは安倍政権の登場によって励まされた面がある。ヨーロッパでもナショナリズムの高まりに伴い、排外主義的な言説が広まりつつあり、今回のトランプ政権の登場によって、それが世界規模で増幅する事態が予想される。こうした極右的な言説は、極端な人種差別をその共通の特徴としているようだが、彼らの攻撃の矛先は、ユダヤ人とかイスラム教徒へと向かう。


西行桜:西行を読む

| コメント(0)
世阿弥の能の傑作に「西行桜」がある。西行の次の歌、
  花見にとむれつつ人の来るのみぞあたらさくらの咎にはありける(山87)
この歌をモチーフにして変則の複式夢幻能に仕立てたものだ。変則というのは、普通複式夢幻能ではシテが前後両段に姿を変えて現れるのに、この能ではシテは桜の樹精となって後段にしか現れないからである。ともあれこの作品に世阿弥は大分自信があったようで、「後の世かかる能書くものやあるまじき」(申楽談義)と語っているほどだ。

しとやかな獣:川島雄三

| コメント(0)
kawa05.kemono11.jpg

川島雄三には露悪的なところがあるが、1962年の映画「しとやかな獣」はその露悪趣味がもっとも露骨に表れたものだ。この時代はクレージーキャッツの大流行に象徴されるような軽佻浮薄の時代であって、世の中は伝統とか道徳とかいうものとは無縁な様相を呈していた。そういう時代に川島はすっかり不道徳な感情に染まってしまった日本人を覚めた目で描き出した。あたかも同時代のフランスでは、スペイン人のルイス・ブニュエルがフランス人の不道徳振りをコメディタッチで描き出していたが、川島は日本人として同じ日本人の不道徳振りを笑い飛ばしたわけである。

奇想天外な閣僚人事で世間を騒がしているトランプが、今度は麻薬取締局の長官に、メキシコの麻薬犯罪王で、エル・チャポ(El Chapo ちび)のニックネームで知られるホアキン・グスマンを起用する意向を見せて、これまで最大級のサプライズを引き越している。

k6401.両国火事.jpg
(浜町より写両国大火 明治十四年)

明治十四年の一月に東京では大火があった。神田松枝町から出火し、神田および両国一帯を焼き、火は橋を伝って、対岸の本所側まで燃え広がった。東京の下町を焼きつくした明治期最大規模のこの火災を、神田の大火とも両国の大火ともいう。

d3241.jpg

天国編への挿絵の三枚目と四枚目は第二十四曲に対応している。ダンテとベアトリーチェの二人は恒星天(第八天)の双子宮にいる。彼らの前へ、天使の霊たちが炎の輪になって現れる。その輪に向かってベアトリーチェが、彼らの喜びにダンテも与らせてほしいと願う。

トランプが労働長官に起用したアンドリュー・パズダー(Andrew Puzder)は外食産業のCarl's Jr. and Hardee'sを経営しているが、これは所謂ブラック企業として有名だ。従業員からの苦情を受けて労働省が調査したところ、その60パーセントで最低賃金以下であったり、法の基準を超えたオーバーワークが指摘された。アメリカではブラック企業という言葉はないらしいが、日本のブラック企業も顔負けするほどのブラック振りらしい。それの経営者が労働長官になるわけだから、労働者にとっては笑えない話だろう。

m2102.culottes.jpg

マティスは1920年代に、オダリスクをモチーフにした多くの作品を描いた。オダリスクとは、トルコのハーレムに仕える侍女のことだ。マティスはモロッコに何度も旅をしたが、そのさいにイスラム趣味の一環として、このオダリスクに興味を覚えたのだろう。フランスでは、アングルなどが過去にオダリスクをモチーフにしていたこともあって、なじみのあるテーマでもあった。

雁の寺:川島雄三

| コメント(0)
kawa04.gan.jpg

川島雄三の1962年の映画「雁の寺」は僧侶たちの堕落を描いたものである。筆者が子どもの頃は、親戚中の菩提寺が禅寺だったこともあり、坊さんというものは謹厳実直で、妻帯しないのは無論、仙人のように清らかな生活を送っているものと考えていた。それは言い換えれば退屈な生活ということになるが、世の中には毎日退屈な生活が続いても一向に気にならない奇特な人もいるのだと、子どもながら感心したものだった。その後、宗派によっては妻帯を認めるところもあり、真宗などは毛坊主と言って、頭に毛の生えた坊さんが俗人とほとんど違わない生活を送っているさまを見もしたが、それはかなり成長した後のことで、幼い子どもの頃は、坊さんと言えば欲望とは無縁な尊い人たちだと思い込んでいたものである。ところが、この映画では、坊さんといえども欲望の点では俗人と変らず、かえって他にすることがない分、放蕩三昧に耽っている羨ましい境遇の人たちなのだと暴露したのである。そんなこともあってこの映画は、日本の仏教界から大きな反発を受けた。

TIMEのPerson of the Yearにトランプが選ばれる

| コメント(0)
161201.trump.png

雑誌TIMEが、毎年恒例のPerson of the Yearにトランプを選んだ(写真は当該号の表紙)。紹介のコメントには、President of the Divided States of Americaと記した。これに対してトランプは、これを報ずるテレビ番組に電話出演して、感想を述べた。「選んでもらったのは光栄だが、"分裂"と書くのは嫌味だと思う。私はまだ大統領ではないので、分裂させるようなことは何もしていない」と言ったそうだ。

k5401.常盤橋内.jpg
(常盤橋内紙幣寮之図)

紙幣寮は大蔵省印刷局の前身である。明治四年に役所として設立され、紙幣の発行や銀行の許認可などを所掌していた。だが、役所の設立当時は、技術的な問題があって紙幣の印刷はドイツなどの外国に依頼していた。日本で印刷するようになるのは、明治十年以降のことである。

アドルノ&ホルクハイマーは、啓蒙の歴史的な段階を表現した好例としてホメロスの叙事詩「オデュッセイア」とマルキ・ド・サドの小説「ジュリエット」を取り上げる。「啓蒙の弁証法」の第二及び第三章は、それぞれ第一章たる「啓蒙の概念」への補論として、この二つの例の検討に当てられている。彼らによれば、「オデュッセウス」は、人類が野蛮の状態から文明の状態へと飛躍することで、童蒙(蒙昧)の状態から啓蒙の状態へ進化したことを表し、「ジュリエット」は、啓蒙がその絶頂を極めた時点で啓蒙の反対物たる獣性=野蛮を呼び出したということを主張したものだと言うのである。

浄土と桜:西行を読む

| コメント(1)
  願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃(山77)
これは西行の歌の中でもっとも有名なものの一つだ。生涯桜を愛した西行が、生涯の終わりにも桜を眺めながら死んでゆきたい、と歌ったものだと解釈されるのが普通で、西行の純粋な美意識がこもったものだと受け取られてきた。この歌に、単なる美意識を超えて、西行の浄土信仰が込められていると解釈したのは吉本隆明である(西行論)。

女は二度生れる:川島雄三

| コメント(0)
kawa03.nido1.jpg

赤線地帯や遊郭を好んで描いた川島雄三が、「女は二度生れる」では、泥水稼業の女の生き方に焦点を当てた。時代設定は明示されていないが、公開された1961年のあたりだと思わせる。売春防止法が施行されたあとで、売春斡旋が犯罪になったという認識が、映画の登場人物(料理屋の女将など)の口から発せられるところからそうわかる。そうした売春禁止の時代背景のなかで、一人の不見転芸者の生き方を描く。不見転芸者とは誰とでも寝る芸者という意味だが、そんな芸者が売春防止法の施行後も当分のあいだ生き残っていた、そんな歴史的事実を気付かせてくれる映画である。

k4901.芝増上寺.jpg
(芝増上寺日中)

芝増上寺は、上野の寛永寺と並んで徳川家の菩提寺である。十五代将軍のうち六人がここに葬られた。寛永寺が天台宗なのに対して増上寺は浄土宗である。また寛永寺が江戸城から見て鬼門の方向にあるのに対して、増上寺は裏鬼門にあたる。

d3191.jpg

天国編の挿絵の第二枚目は、第十九曲に対応している。ベアトリーチェとともに木星天に上ったダンテはそこで、地上で正義を実践した例たちが鷲の姿を取ってダンテらの前に現れ、ダンテの質問、それはキリストの出現以前に生きた人々が何故天国へ行けないのか、という素朴な質問であったが、その質問に答える。そして、人間の過去の歴史において、不正を働いたものどもの行為をあげ、それを糾弾する。

プミポン王の死後保留されていたヴァジラロンコン皇太子の王位継承が実現した。皇太子自身の不人気に加え、現王朝は九代で滅びるという予言が広く信じられていたこともあって、ヴァジラロンコン皇太子の即位はないのではないかとも言われていたが、結局彼が即位するということで最終的な決着がついたわけだ。

m2101.screen.jpg

1920年代に入るとマティスは、再び具象的で色彩豊かな絵を描くようになる。今度の場合は、具象的なフォルムは肉感的になり、色彩もそれに応じて感性的なものになった。この背景には、マティスのたびたびのモロッコ旅行がある。モロッコに旅行したことでマティスは、ある種の異国趣味を搔き立てられ、それを絵の中に反映させようとして、このような感覚的な絵を描くようになったのだと思われる。

司馬遼太郎の統帥権論

| コメント(0)
司馬遼太郎は、昭和初期の十数年間を日本史にとって異常で異胎な時代だったと言い、日本にとっては「別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた」と言いつつ、この「わずか十数年間の"別国"のほうが、日本そのものであるかのようにして内外で印象づけられている」のは残念だという気持を強く抱いたようだ。

落花:西行を読む

| コメント(0)
桜は咲くとすぐに散ってしまうものであるから、桜の花の散るさまを歌った歌は多い。万葉集から次の二首をあげてみよう。
  阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらん見る人なしに(1867)
  春雨はいたくなふりそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも(1870)
一首目は、阿保山の桜が見る人もなく散ってしまうのは惜しい、という気持を歌ったものであり、二首目は、桜が見る人もなく散るのは惜しいからあまり強く降らないでくれと春雨に呼びかけている。どちらも桜の花が人知れず散ってしまうのが惜しいという感情を歌ったもので、歌としては非常に素直なものだ。

幕末太陽伝:川島雄三

| コメント(0)
kawa02.taiyoden.jpg

落語は物語性に乏しいこともあって映画化には馴染まないらしく、落語を映画化したものはあまりない。そんななかで目を引くのが川島雄三の映画「幕末太陽伝」だ。これは「居残り佐平次」という古い落語を映画化したもので、当然笑いが命である。笑いの大家川島雄三ならでは、なかなか着目できないところだろう。またこの話は品川の遊郭街を舞台にしている。遊郭も川島の愛してやまなかったもので、「洲崎パラダイス赤信号」では、消滅の危機に瀕する遊郭街を愛惜の年を以て描いていた。「幕末太陽伝」もまた、売春防止法の施行直前(1957年)に公開されているから、川島はここでも消え行く日本の遊郭街に愛惜の念を寄せたつもりなのだろう。

トランプが中印を挑発

| コメント(0)
トランプが台湾の蔡英文総統と電話会談を行い、互いの享協力関係について話し合ったそうだ。1979年の米中国交回復以来アメリカは台湾と外交関係を絶ち、台湾も中国の一部だとする本土の政権に敬意を表してきたが、これはその外交上の先例を破るもので、今後への影響が考えられる。実際本土側から早速反応があって、アメリカと台湾とが直接外交上のやり取りをすることは認められないと反発した。

Post-Truth(脱真実)社会

| コメント(0)
最近欧米のメディアでは"Post-Truth"という言葉がよく目につく。オックスフォード辞典はこの言葉を、今年の流行語に選んだそうだ。意味は、「真実がものを言わなくなった」事態といったようなことらしい。真実を意図的に無視して、あったことをなかったように言い、なかったことをあったように言えば、それはウソになるが、政治の世界ではかならずしもそうではない。政治の世界では、うそも方便なのであって、人々を納得させるうそは、人々をげんなりさせる真実よりも貴い、そういったとらえ方がまかり通っている。そんな事態が例外ではなくなって、恒常化した世界をさして"Post-Truth(脱真実)"社会と言うようになったらしい。

k4701.大川岸一.jpg
(大川岸一之橋遠景 明治十三年)

墨東地区を東西に流れる堀川のうち、本所・深川境界沿いのを竪川と言い、西側から数えて、一之橋から六之橋まであった。この掘割はもともと縦川といったのだが、後に言葉の洒落で竪川と書かれるようになった。

d3141.jpg

ダンテの天国のイメージは、当時のヨーロッパ人の抱いていた天体のイメージを反映している。天体が地球を中心にして、惑星圏と恒星圏からなっているのと並行するように、天国も月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星それぞれの惑星天及びその外側に広がる広大な恒星天からなり、恒星天の更に外側に至高天があると考えていた。

m1691.piano.jpg

1910年代の半ばから末にかけて、マティスはある種の転換期を迎えた。それまでの、装飾的で色彩豊かな技法を一旦ペンディングにして、ピカソのキュービズムの実験に共鳴するような、抽象的で理屈ばった絵を描くようになった。構図がいっそう抽象的になり、色彩的には地味でかつ単調さが目立つようになった。この時期のマティスの絵の評価は、マティス本来の傾向からの逸脱であり、したがって退化だとする見方と、新たな芸術の開発に向けての偉大な実験だったとの見方とに分かれている。前者の見方のほうが有力なようである。

洲崎パラダイス赤信号:川島雄三

| コメント(0)
kawa01.susaki.jpg

洲崎パラダイスとは、昭和三十三年に売春防止法が施行されるまで、東京有数の赤線地帯として栄えたところである。現在の土地勘でいうと、地下鉄の木場駅の千葉方面の出口を出て南へ数歩行ったところに、弁天橋という橋が運河にかかっており、それを渡ると遊郭街が広がっていた。この遊郭街は、徳川時代の初期に根津から移転してきたものを核として形成され、徳川時代の末期から昭和のはじめにかけて、日本有数の赤線地帯として栄えた。戦前は洲崎弁天町と言われたが、戦後洲崎パラダイスと名を変え、男どもの安価な性欲のはけ口として親しまれた。

2016年流行語大賞は「神ってる」

| コメント(0)
今年(2016年)の流行語大賞が「神ってる」に決まったと聞いて、筆者は「神がかってる」の間違いではないかと思った。元気な安倍政権の活躍ぶりに乗じて、日頃「神がかってる」連中が、今年は最大限の脚光を浴びているので、これが国民の注目を浴びても不思議ではないと思ったからだ。なにしろ一昔前までは箸にも棒にもひっかからなかった連中が、今では安倍政権のお墨付きをもらって、言いたい放題のことを言っている。その発言は、「神がかった」連中の「神がかった」色合いのもので、眉に唾しなければ聞けないものばかりだが、この国では政権のお墨付きがあれば、どんな発言でも権威を持つらしい。

カジノ利権を制するのは誰か

| コメント(0)
このところ政府与党が数の力に驕って強行採決を繰り返しているが、今度はカジノ解禁法案を採決する動きがあると報道された。日本のメディアは例によって扇情的な書き方に終始し、法案の具体的内容や、それの及ぼす影響について、冷静な分析をしていない。誰がカジノの胴元をやるのか、日本人にも開放するのか、売り上げへの課税はどうするのか、こういう基礎的な情報が伝わってこない。これでは国民は、この問題をどう受け止めたらよいのか、判断がつくまい。

k4601.佃島.jpg
(佃島雨晴)

佃島は、今では月島と一体化し、近隣の晴海や豊洲などとともに広大な臨海地帯を形成しているが、昭和のはじめころまでは、離れ小島だった。佃大橋が架けられて本土と結ばれたのは昭和39年のことで、それまでは渡し舟で本土と往来していた。

アドルノとホルクハイマーは「啓蒙」と言う言葉を、ほぼ「文明」と同じ意味に使っている。「文明」という言葉には、一方向的な進歩というニュアンスが含まれており、過去の思想家たちがこの言葉を持ち出すときには、つねにそのような(直線的な進歩という)意味合いを持たせていたわけだが、アドルノとホルクハイマーは、そうした慣用的な用法を覆して、文明を直線的な進歩としてではなく、進んだり戻ったりというジグザグの運動を繰り返す、いわば螺旋状の運動なのだと定義しなおす。文明は時には野蛮を生み出すこともあり、そうした野蛮は文明にとっての例外的な逸脱ではなく、文明が不可避なものとして組み込んでいる、文明にとっての内在的なものの現れなのだと考え直すのである。弁証法という言葉には、否定性という契機が含まれているが、その否定性が野蛮となって現れる、と考えるわけである。

最近のコメント

アーカイブ