平成廿九年を迎えて

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毎年、新年の御挨拶に際しては、その年の干支を下手な水彩画に描いてご紹介するのを例としていたが、今年は十二年前に描いた鶏の絵を以て代替したい。ということは、筆者が自分のサイトを開設して以来すでに十二年が経過したというわけだ。人間年をとると、時の立つのが早く感じられるというが、小生の場合にも、この絵を改めて眺めると、つい先日描いたように感じられる。それだけ過ごした年月が薄っぺらだったということだ。これを慨嘆すべきなのか、慶賀すべきなのか。

例によって、熊楠先生に鶏由来の話を聞いてみた。「十二支考」中「鶏に関する伝説」の冒頭は、中国の俗説の紹介から始まる。それによると正月一日を鶏の日となし、二日を狗の日となし、三日を羊、四日を猪、六日を馬、七日を人の日となし、しかしてそれぞれの日には対応する動物を殺さず、七日には人を殺さずとあった。だが酉年だけは別で、この年の正月一日には鶏を磔にしたそうだ。その訳は、例によって熊楠先生言及しない。

鶏が金の卵を産んだという話は、方々にあるようだが、その金の卵、つまりキンダマが男子のキンタマと結びついたのは、日本だけではないらしい。梵語でアンダという言葉は、鶏の金の卵にも男子のキンタマにももちいられるそうだ。

古来日本では、陰嚢の垂れ下がったのを心の落ち着いた徴と受け取っていた。それ故武士は、戦場に及んで自分の勇気を確かめるために、下腹を探って陰嚢が垂れているかどうか確かめたという。そういいながら熊楠先生は、自分の陰嚢は垂れ下がっていると宣伝するのを忘れない。

日本を含め東洋では、平等無差別を説く弥勒如来と鶏とを縁あるものとして考えている。それ故日本の自由平等の民権家たちは鶏を徽章に用いていた。これに反して西洋では、鶏を至って不祥な悪魔の表象としている。

鶏を不祥のものと受け取るのは、先史時代に我々人間の祖先が、巨大な爬虫類と共存して、つねに恐怖にさらされていたことが影響しているのではないかと熊楠先生は推測している。

熊楠先生の郷里熊野では、小百姓が耕作終って帰りがけに、烏がアホウクワと鳴くのを聞いて鍬を忘れたことに気付いた。そこでさすがは烏だ、うちんとこの鶏は何の役にもたたぬと罵ったところ、鶏が腹をたてて、トテコーカアと鳴いた、という話があるそうだ。

このあと熊楠先生は、鶏を巡る様々な話を縦横無尽に紹介し、そのなかには処女権のこととか女史の立小便のこととか、鶏とは関係のなさそうな話もあるのだが、そこは熊楠先生のこと、ちょっとしたことを手掛かりにして、話はあっちへ飛び、こっちへ転んで、人を飽きさせることがない。読者諸君も是非一読せられんことを乞う。

昨年は、小生にとってちょっとしたことがあった。学生時代に親しくしていた連中と身近な交友が復活し、ほぼ毎月のように宴会を催しては昔語りの四方山話に花を咲かせるようになった。誰かがその会を四方山話の会と名づけたが、小生のように年老いてボケかかったものには、単になつかしいというにとどまらず、結構頭の刺激にもなる。ボケ防止という観点からも有益なこの付き合いを今年も大事にしたいと思っている。

ところで、冒頭に正月一日には鶏を殺さずという話を紹介したが、小生の家では、家人が鶏肉を用いて雑煮を作るのが毎年のならいになっている。これはまあ、正月一日に殺した鶏ではなく、昨年じゅうに殺した鶏を、年が明けてから食ったのだと理屈をつけて、あまりこだわらずに、家人の作った鶏肉の雑煮を食いながら新しい年を祝いたいと思う。

年をとると、新しい年を迎えるのが、掛け値なしに喜ばしい。たとえどんな年になろうとも。そして今年は悪い年になりそうだという予感がしても。






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