2017年5月アーカイブ

江口の君:西行伝説

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能に「江口」と題する一曲がある。観阿弥の作である。西行法師と江口の里の遊女のやりとりをテーマにしたものだ。諸国一見の僧が天王寺へ参る途中江口の里を通りがかり、土地のものに江口の君の旧跡を訪ねる。昔そこを西行法師が通りがかった際に、遊女に一夜の宿りを求めて断られた。そこで「世の中をいとふまでこそかたからめ仮のやどりを惜しむ君かな」と歌を詠んだことなど思い起こし、それを口ずさんだところ、いづくからともなく一人の女が現れ、それは断ったのではなく、出家の身をはばかって遠慮したのだといい、自分こそはその江口の遊女の幽霊なのだといって消える。その話を聞いた僧が、よもすがら読経していると、江口の君が遊女たちとともに舟に乗って現れ、自分らの身の上をひとしきり語った後で、その姿は普賢菩薩となり、舟が白象となって、西の空へ消えてゆくというものである。

阿修羅の如く:森田芳光

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森田芳光の映画「阿修羅の如く」は、1979年から翌年にかけてテレビで連続放送されたホームドラマを映画化したものである。原ドラマ自体がホームドラマとしてかなりゆるいところにきて、10年以上たっての映画化とあって、テーマの時代性も消え去ってしまい、今見ても無論、封切り当時の観客もいまひとつぴんとこなかったのではないか。

祖師三幅対:白隠の禅画

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臨済宗には、禅共通の祖師としての達磨のほかに、臨済、雲門の二人を加え、三祖師の法統がある。臨済は八世紀の唐の時代に活躍し、臨済宗の宗祖となった人、雲門は晩唐から五代の時代に禅の興隆に尽くした人である。白隠は、この三人を並べた祖師三幅対をいくつか描いている。これは、愛知県の定光寺に伝わる三幅対である。

ムンクの不安:絵の鑑賞と解説

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ムンクといえば誰しも、「叫び」と題された一点の絵を思い浮かべるだろう。真赤に染まった空を背景にして、一人の男が橋を渡ってこちらに向かっている。男の顔は大きくゆがみ、両手を耳のあたりに当てている。その表情には恐怖が読み取れる。男が恐怖のあまりに叫んでいる、そういう切迫感がある作品だ。

安丸良夫「神々の明治維新」

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明治維新前後に吹き荒れた神仏分離や廃仏毀釈運動。これは素人目には明治維新という歴史的激動期に現われた「奇妙で逸脱的なエピソード」のように見える。安丸良夫も「神仏分離や廃仏毀釈を推進した人々の奇妙な情熱は、どのように理解したらよいだろうか」と問うている。しかし安丸の考えによれば、この運動にも歴史的な背景と必然性のようなものがあったということになる。「神々の明治維新」と題したこの本は、それを裏付けようとする試みだ。

笑われる西行:西行伝説

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西行には、たてだてしさや奇怪でいかがわしい側面と並んで、人から笑われるようなおどけた一面もあった、と高橋英夫は指摘する。高橋は、柳田国男を引用しながら、日本全国に西行をめぐる伝説が流布し、それらの多くで西行が地元の人に笑われたり、自分の高慢振りを批判されて閉口する話が出てくると言う。それらの話を引用しながら、西行がこのように多くの土地の伝説に出てくるようになったのは、西行が放浪の旅の人だったこととかかわりがあるとほのめかしている。

失楽園:森田芳光

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渡辺淳一の小説「失楽園」が単行本になったのは1997年のことだが、発売されるやいきなり大ヒットした。読者の大部分は所謂団塊の世代の男たちだった。彼らはこの小説の中で描かれた初老の男を自分自身に重ね合わせ、その男の生き方に、よくも悪くも激しく反応したのだと思う。そして、この男と同様不倫に耽っていた連中は、そこに自分自身の分身を見出してニンマリとしただろうし、不倫と縁のなかった連中は、俺もやってみたいと思ったに違いない。

起上小法師:白隠の禅画

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達磨が子供用の玩具あるいは厄除けや必勝祈念のアイテムとして今日のような形になったのは、徳川時代の中ごろだったらしい。それも起上小法師という形で子供向けの玩具として始まったようだ。白隠もそのような世の動きを察知していて、達磨の起上小法師をテーマにした絵を描いている。この作品はその代表的なもので、恐らく最晩年八十歳代の作だと推測される。

なわ、無関係な死:安部公房の短編小説

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安部公房は、本格的な小説を書く合間に、短編小説を書いて、コンディションを整えていたフシがある。特に、1951年の「壁」から1962年の「砂の女」までの約十年間は、長編には力作が無く、短編小説にすぐれた作品が多い。新潮文庫の「無関係な死・時の崖」に収められた十篇の短編小説は、そうした作品を代表するものだ。

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「未開の物語(Contes barbares)」と題するこの絵も、強い精神性を感じさせる。この絵を通じてゴーギャンは、未開であるポリネシアの神話的世界と並んで、アジア的な宗教性とか、ヨーロッパ的な文明とかを併置することで、人間の営みの意味を、見るものに考えさせようとしたようである。

それから:森田芳光

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森田芳光の1985年の映画「それから」は、漱石の同名の小説を映画化したものだ。この小説は日本の近代文学史上初めての大恋愛小説と言ってよい。恋愛小説に「大」の字がつくのは、そこに描かれた恋愛が、男女ふたりだけの出来事ではなく、彼らを取り巻く社会を背景にしての、というより社会全体を敵に回しての、激しい恋愛を描いているためだ。漱石がこの小説で描いた男女の愛とは、当時の社会にあっては許されない愛だった。夫を持つ女を、一人の男が略奪する、いまでいう不倫の愛である。当時の言葉で言えば姦通である。姦通はとりわけ女にとって危険な行為であった。その危険な行為を、女は男の愛にほだされてあえて犯し、男は女が不幸になるのを判っていながら誘惑する。そういう愛を漱石は、近松の時代以来の日本の文芸の伝統とは違った形で、つまり近代的な装いを持たせて描いたわけだ。姦通というテーマは古いものだが、それに近代的な意味合いでの恋愛という形をとらせることで、日本にも始めて本格的な恋愛小説が成立した、そう言えるのではないか。

沙門道元:和辻哲郎の鎌倉仏教論

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小論「沙門道元」は、和辻哲郎なりの日本仏教論である。和辻は、道元の禅と親鸞の念仏を日本で最初の本格的な仏教=宗教ととらえているようだが、それは真宗と禅宗に代表される鎌倉仏教を、日本で最初に民衆的な基盤の上に成立した宗教と位置づけた鈴木大拙の見方と共通するところがある。大拙の場合には、民衆宗教としては真宗のほうを重視したわけだが、和辻の場合には、道元の禅をより積極的に評価する、という違いはある。

西行の反魂術:西行伝説

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高橋英夫は、西行の武士としてのたてだてしさを指摘した後、西行の得体の知れない奇怪さにも触れ、その一例として、撰集抄の一節を紹介している。第十五話「西行於高野奥造人事」である。

家族ゲーム:森田芳光

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森田芳光の1983年の映画「家族ゲーム」は、変容しつつあった日本の家族関係をシニカルなタッチで描いたものだ。1983年といえば、日本は高度成長を達成して分厚い中間層が形成されていた。そうした中間層は、核家族として団地に住まい、子供の教育が最大の目標だった。教育熱心なあまり、親が子どもの反発をくらいバットで叩き殺されるという事件も起った。この映画の中でも、子どもにバットで殺されたくはないが、それでも子どもの教育に熱心にならざるを得ない親と、比較的素直で親の期待に応えようとする子どもが描かれている。

半身達磨(五):白隠の禅画

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静岡県の永明寺に伝わる半身達磨像。白隠四十歳代の作品と推測されている。晩年の達磨像とは明らかに異なった特徴が認められる。だが、ふっくらとしたその表情は、やはり白隠の自画像だと考えられる。

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マルキーズ諸島では、魔法使いあるいは呪術師の社会的な地位が高かった。彼らは神話の神々を呼び出したりするほか、病気の治療も行った。「団扇を持つ女」のモデルであるタホタウアは、そうした呪術師の妻だった。「ヒヴォアの魔法使い」と題したこの絵の中の魔法使いとは、もしかしたらタホタウアの夫かもしれない。

村上重良「国家神道」

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村上重良の「国家神道」は、国家神道研究の古典といってよいだろう。国家神道は、歴史的ないきさつもあって、客観的な視点からの分析がなかなか徹底されなかったきらいがあるようだが、村上のこの本は、国家神道の意義とその歴史的に果たした役割を、なるべく客観的に跡付けようとする姿勢に貫かれているといってよい。最近、島薗進の「国家神道と日本人」という本が出たが、島薗も村上のこの研究を、国家神道研究の足がかりとして、大いに評価していた。

文覚と西行:西行伝説

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西行は、武士として生まれ、若くして出家したこと、出家後仏道のみでなく神道や修験道にも深くかかわったこと、東は陸奥西は九州にいたるまで日本中を歩き回ったこと、多くの恋の歌に見られるように多感なところがあったことなど、さまざまなことが作用して多くの伝説が生まれた。ここではそうした伝説のいくつかをとりあげて、西行の意外な面について見ておこう。

オペラは踊る:マルクス兄弟

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マルクス兄弟は、トーキー時代になって頭角を現わした。サイレント時代の喜劇映画は、身体演技からなっていて、せりふが字幕で示される場合にも、言葉はあくまでも二義的だった。ところがトーキー時代になると、喜劇といえどもせりふをしゃべらねばならない。サイレント映画の人気者だったバスター・キートンやハロルド・ロイドはせりふをしゃべるのが苦手だったが、マルクス兄弟はせりふをしゃべるのがうまかった。そこで彼らがトーキー時代の喜劇のチャンピオンに躍り出たわけである。

達磨横顔図:白隠の禅画

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白隠は数多くの達磨像を描いたが、このように横顔を見せている構図のものはめずらしい。しかもこの絵は、一筆描きを思わせるような、簡略なタッチで描かれている。白隠の達磨像としては破格の描き方だ。多くの場合、白隠の達磨は正面を向いており、薄墨で輪郭線を描いた跡で、ポイントを黒く強調するというのが基本的な描き方だが、これはそれから大きく逸脱している。

安部公房「密会」

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カフカ的不条理を描き続けてきた安部公房が、「密会」では、その不条理を一段と掘り下げようとして、いまひとつ宙ぶらりんな仕上がりになった、ということではないか。この小説で安部は、カフカを越えようとして二つの試みを行っているのだが、それがどうも読者の目には、いかにも作り物めいてしっくりしないところがある。それがこの小説に中途半端な印象を与えるのである。

呼び声:ゴーギャン、タヒチの夢

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タヒチでの自殺騒ぎと、その副産物として「我々はどこから来たか・・」を制作して以後、ゴーギャンの絵は思弁的な雰囲気をたたえるようになったのだったが、その傾向はヒヴォアに移って以降、ますます強くなっていった。彼の最後の作品群には、非常に精神的な要素を感じさせるものがある。

ロイドの人気者(The Freshman)

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1925年の喜劇映画「ロイドの人気者(The Freshman)」は、原題にあるように、大学の新入生をめぐる話だ。アメリカの大学には、新入生を歓迎する様々な仕掛けがあり、毎年その仕掛けを駆使して新入生を大学に迎える。そのことを通じて、新入生が大学のカラーに馴染み、一人前の学生になるよう指導するわけである。

和辻哲郎の平安文学論

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和辻哲郎は「日本精神史研究」の中で、日本の奈良時代以前の古代文化を仏教の受容によって代表させたが、平安時代の日本文化については、清少納言と紫式部によって代表される女流文学を以てその典型とした。ところで、平安時代の女流文学、特に紫式部の「源氏物語」に高い価値を認め、そこに現わされている「もののあはれ」なるものを、日本の文芸のみならず、日本人一般の精神的な本質として称揚した者に、本居宣長が上げられる。それ故和辻の平安文学論が、宣長の所説を大きく意識したものになるのは、ある意味自然なことであった。

トランプはガキか?

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トランプがロシアのラブラフ外相らとホワイトハウスで会談した際に、ISにかかわる機密情報を漏らしたというので大きな騒ぎになっている。例によってオルタナ・ファクトが好きな側近たちが懸命にその事実を否定して、火消しにつとめているが、当の本人がそれを認めている。しかも誇らしげにだ。自分には、非常に貴重な情報が日々入ってくる、その情報をロシアの友人たちと共有したいというのだ。

入寂:西行を読む

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文治六年(1190)二月十六日、西行は入寂した。その前後の様子を記したものとしては、藤原俊成の「俊成家集」がある。
「円位聖が歌どもを、伊勢内宮の歌合とて判受け侍りし後、また同じ外宮の歌合とて、思ふ心あり、新少将に必ず判して、と申しければ、印付けて侍りけるほどに、その年去文治五年河内の弘川といふ寺にて、わずらふ事ありと聞きて、急ぎつかはしたりければ、限りなく喜びつかはして後、少しよろしくなりて、年の終の頃、京に上りたり、と申ししほどに、二月十六日になむ隠れ侍りける。かの上人桜の歌を多くよみける中に、
  願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃
かくよみたりしを、をかしく見給へしほどに、つひに如月十六日望月終り遂げけること、いとあはれにありがたく覚えて、物に書きつけ侍る
  願ひ置きし花の下にて終りけり蓮の上もたがはざるらむ

猛進ロイド(Girl Shy)

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猛進ロイド(Girl Shy)は、理屈無しに笑える映画、それも腹を抱えて笑える映画である。とにかく全編これ笑いの渦にあふれている。喜劇映画でもこんなに笑いに富んだ映画もめったに無い。その笑いは、サイレント映画であるから、基本的には身体の動きから生まれてくる。その身体の動きがサーカスのように正常と異常の境界を極度に逸脱しているので、それを見せられているものは、自分自身の関節がはずされるような感じになる。

カルガモの親子

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先日(五月五日)、筆者の家の近くにある長津川の水路でカルガモの親子を見かけたことを紹介したが、あれ以来筆者は毎日のように彼らを観察してきた。出会って以来たった十日しかたたないが、雛は大分成長したように見える。今日は彼らが草むらで休んでいるところを見て、カメラにその姿を収めた。ご覧のように、母親を囲んで八羽の雛たちが気持ちよさそうに日向ぼっこをしている。

隻履達磨:白隠の禅画

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白隠は隻履達磨の像を数多く描いている。隻履達磨というのは、片方の履物だけを持った達磨のことである。それには達磨にまつわる伝説がある。達磨が中国で没した三年後のこと、西域を旅していた人が達磨に出会った。片方の靴だけを持っているので不思議に思い、訳を聞くと、これから生まれ故郷のインドに帰るのだとのみ答えた。その人が中国へ戻ったあと達磨の墓を暴いてみると、そこには達磨の遺体はなく、履物の片割れだけが残っていた。

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ゴーギャンはヒヴォア島にやってくると早速、十五歳の女性マリー・ローズ・ヴァエオホを妻にして、子どもまで生ませたが、彼女をモデルに絵を描くことはなかった。ゴーギャンがモデルとして選んだのは、トホタウアという女性だった。彼女は医師兼呪術師の妻だったが、まだ若く、魅力的な赤毛をしていて、ゴーギャンの気をそそった。ゴーギャンはこの女性を妻には出来なかったが、モデルに採用することで、いささかの満足を得たようだ。

教育勅語を読む

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教育勅語は、国家神道及び明治憲法とともに明治の天皇制イデオロギーの支柱となったものといえる。この三者の関係について島薗進(「国家神道と日本人」)は、国家神道こそが明治絶対主義のイデオロギー的な中核をなし、明治憲法はその制度的な枠組みとなり、教育勅語は国民の意識にそれを植え付けるについて決定的な役割を果たしたとして、次のように言っている。

宮河歌合:西行を読む

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西行が藤原定家に「宮河歌合」の判を乞うたのは、「御裳濯川歌合」の判を俊成に乞うとのとほぼ同じ時期のことと思われる。俊成は西行より年上で、自分の寿命を考慮したか、すぐに判を加えて送り返してきたが、定家のほうは二年以上たってやっと送ってきた。遅れた理由を定家は、歌合三十六番の判に添えたあとがきのようなものの中で、次のように書いている。

ロイドの要心無用(Safety Last!)

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喜劇映画には、曲芸的な身体演技で観客をハラハラドキドキさせるタイプのものがある。ただ単にハラハラドキドキさせるだけなら、それはサスペンスものとして笑いを伴うことも無いのだが、ハラハラドキドキさせる身体演技にずれのようなものが入り込むと、そこに笑いが生じる。そのずれが、観客の予想を裏切ること大きければ大きいほど笑いの発作も激しくなる。人間というものは、ハラハラドキドキしながら予想していたことが、突然逆の方向に展開するのを見せられると、それまでの緊張が一気にほどけて、それが笑いを引き起こす。ベルグソンの言うとおりである。

半身達磨(四):白隠の禅画

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静岡県の臨済宗寺院清見寺に伝わる半身達磨像。三百点もある達磨像のなかで、顔の部分がもっとも大きく表現されたものだ。左手に縦書きで賛が添えられ、「直指人心、見性成仏」というおなじみの標語の脇にある落款は「沙羅樹下八十三歳老僧白隠叟書」とあることから、白隠最晩年八十三歳の作品とわかる。

「騎士団長殺し」の最終章は、妻と縒りを戻した私の数年後のことを描いている。その数年後の三月十一日、私は「東日本一帯に大きな地震が起った」ことをテレビニュースで知って、ショックを受ける。そのショックは数年前に私がそのあたりをプジョー205に乗って、あてもなく旅していた記憶を呼び覚ます。

浜辺の騎手:ゴーギャン、タヒチの夢

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これは、ヒヴォア島の海岸を疾走する騎手の一団を描いた作品。マルキーズ諸島やタヒチなどポリネシアの島々には、もともと馬はいなかった。ヨーロッパ人たちが船で島に持ち込んだのだ。持ち込まれた馬の一部は野生化して繁殖した。土地の原住民たちは、そうした野生の馬を飼いならして、このように乗馬を楽しむことを覚えたのだ。

豪勇ロイド(Grandma's Boy)

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ハロルド・ロイドはチャップリン及びキートンと並びサイレント時代のアメリカン・コメディを代表するキャラクターだ。日本でもロイド眼鏡が流行歌の文句になったほど人気があった。チャップリンが社会の矛盾をペーソスをまじえて描き、キートンが物語性の強い映画を作ったのに対して、ロイドの映画にはあまり癖がない。無邪気な笑いを楽しんでいる風情がある。

FBI長官解任の波紋

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トランプがFBIのトミー長官を解任したというので、ちょっとした波紋を巻き起こしているようだ。解任というと聞こえはいいが、要するに強引にクビにしたということだ。しかもその理由にいかがわしいものがある。トランプは、もっともらしい理屈を弄しているが、真の動機はFBIの操作妨害にあるとささやかれている。つまり、トランプのロシアスキャンダルを、FBIが追跡する動きを強めていることに対して、危機感を覚えたトランプが、長官の首をすげ替えることで、捜査の動きを骨抜きにしようと企んだ、というわけである。

和辻哲郎「日本精神史研究」

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「日本精神史研究」に収められた諸論文は、1920年代の前半、和辻の比較的若い頃の業績である。キルケゴールやニーチェなど、ヨーロッパの当時の最新思想の紹介者として出発した和辻が、日本の精神的な伝統について考察したもので、いわば日本文化研究家としての和辻の、処女作品のようなものである。多くの思想家の処女作品が、その後の彼の思想を要約しているように、この書物に収められた作品群は、和辻のナショナリストとしての姿勢を宣言しているようなところがある。

御裳濯川歌合:西行を読む

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最晩年の西行は、二つの自歌合集を作った。「御裳濯川歌合」と「宮河歌合」である。「御裳濯川歌合」は、文治三年(1187)に藤原俊成の加判を得て完成した。「宮河歌合」はそれより二年後の文治五年に藤原定家の加判を得て完成した。どちらも同じ頃に加判を依頼したらしいが、俊成はすぐさま返してくれたのに対して、定家のほうはなにかの事情で手間取ったらしい。文治五年といえば、西行の死の前年だが、西行は定家の加判を大いに喜んだと伝えられている。

キートン将軍(The General)

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「キートン将軍(The General)」は、キートン映画の集大成ともいうべきものだ。この映画はキートンの最大の要素である「追われるキートン」とともに、「追うキートン」の要素も含んでいる。キートンという一人の人物が、追われたり追ったり、追いつ追われつの活躍ぶりを見せるわけである。それも、従来のキートン作品では、かよわいキートンが自分の体ひとつで逃げ回ったのであるが、この映画の中のキートンは、巨大な列車を自分の体の延長あるいは一部として、その列車ごと追いかけたり追いかけられたりするのである。原題の「The General(将軍)」とは、その列車の愛称なのだ。

半身達磨(三):白隠の禅画

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三河の臨済宗寺院華蔵寺に伝わる半身達磨像。構図的には、紀州無量寺の半身達磨像と良く似ている。「直指人心、見性成仏」の賛も同じだが、こちらは達磨の顔の上ではなく、斜め左手に配されている。それ故、達磨の視線と賛との間に直接的な対応関係は見られない。

フランスはとりあえず極右を拒んだ

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フランスの大統領選は、マクロンがル・ペンに勝利した。この結果を、ヨーロッパで吹き荒れていた反EUの動きにブレーキがかかったと見るか、あるいはフランス人が極右政党へ権力をゆだねることを拒んだと見るか。いづれの見方をするにせよ、マクロンの圧倒的な勝利とはいえないという点では、一致するのではないか。筆者が見るにはこの選挙結果は、EUへの信認投票というよりは、極右のル・ペンに権力を渡すことの危険性に、フランス人がノーを突きつけたということではないか。

浅瀬:ゴーギャン、タヒチの夢

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1901年の9月に、ゴーギャンはタヒチの北東1500キロにあるマルキーズ諸島のヒヴォア島にやって来た。そこでゴーギャンは白人社会の一部から熱烈な歓迎を受けた。彼らはタヒチの官僚制や中国人社会をゴーギャンが(レ・ゲープ上で)痛烈に批判したことに敬意を表したのだ。

島薗進「国家神道と日本人」

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国家神道についての研究といえば、村上重良の「国家神道」がスタンダードなものになっているようだ。島薗のこの本も、村上の研究を土台としていると言えよう。島薗も村上同様、国家神道は明治維新以降に体系化された、作られた伝統であるとし、それがやがて昭和の超国家主義をもたらしたとする。一方、村上が国家神道を、主に神社神道を中心にして論じており、天皇による宮廷祭祀としての側面をほとんど欠落させていることに疑問を呈している。島薗によれば、天皇による宮廷祭祀こそ、国家神道の中核をなすものだということになる。これもまた、神社神道同様、明治維新以降体系化された、作られた伝統には違いないが、国家神道の中核として国民統合の原動力となり、昭和の超国家主義(日本型ファシズム)を駆動した最大の要因だったとする。この宮廷祭祀は、戦後の神道指令の対象から外されたことで、ほぼそのままの形で生き残った。それ故、日本近代の国家神道は、まだその命脈を絶やされずに、生き続けている、というのが島薗の国家神道についての基本的な見方である。

頼朝との邂逅:西行を読む

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二度目の陸奥への旅の途中、西行は鎌倉で頼朝と会った。西行自身はこのときのことを何も書き残していないが、吾妻鏡はその折の様子を比較的詳しく記録している。

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キートンの映画の重要な要素の一つとして、追われるキートンというものがある。「荒武者キートン」では、宿敵に追われたキートンが原野や急流を逃げ回るのであるし、「キートンの探偵学」入門では、探偵となったキートンが泥棒一味に追われて無人オートバイで逃げ回るといった具合である。こうした追跡劇は、アメリカのスラップ・スティック。コメディには、多かれ少なかれ見られる要素なのだが、キートンの場合には、それが映画の決定的な要素となっている。それ故キートンの映画を、追いつ追われつの追跡劇と特徴づけることができる。

半身達磨(二):白隠の禅画

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これは紀州の串本無量寺に伝わる達磨像。無量寺は東福寺派の禅寺で、長沢芦雪や丸山応挙の作品を多く収蔵しているが、白隠の作もいくつか持っている。これはその一つだ。何時頃の作品か、詳しいことはわからないが、白隠が達磨像を多く手がけるようになった晩年つまり七十歳代の作品だろうと推測される。

車の型式:村上春樹「騎士団長殺し」

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村上春樹には、書き物のなかで自分の趣味を披露するのを楽しむ傾向が強い。彼の趣味といえば音楽を聞くことと身体運動をすることらしく、この二つの分野について、小説やエッセーの中でことこまかく、それこそマニアックなまでに拘っている。「騎士団長殺し」も例外ではないようだ。音楽へのこだわりは相変わらずだし、身体運動についても、登場人物の一人である免色を通じて、細かく言及している。

子連れのカルガモがやって来た

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先日、筆者の家の近くにある長津川調整池公園で一冬を過ごした鴨が、桜の花が散るのを見届けて、北の方へ去っていったことを紹介したが、今日(五月五日)、いつものようにその公園を散歩していたら、いきなり三羽の鴨がけたたましい声を上げながら、小生の目の前を飛んで横切った。三羽のうち一羽は、そのまま目先の溜池に下りて行ったが、残りの二羽は反対方向へ向きを変えて飛び去った。その姿を見た筆者は、飛び去った鴨の一部が舞い戻ったかと思って、それにしても変な話だと思いつつ、散歩を続けた。

タヒチ牧歌:ゴーギャン、タヒチの夢

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1899年から1900年頃のゴーギャンは絵の制作意欲が低かった。その代わりに彼が情熱を燃やしたのはジャーナリズムだった。彼は「レ・ゲープ(すずめ蜂)」という新聞の編集者になって、現地の白人社会の腐敗振りを攻撃したり、中国人への嫌悪感をむき出しにして黄禍論を展開したりと、わけのわからぬことに熱中した。わけのわからぬ、というのは、芸術家としての立場をわきまえず、無意味なことがらに現を抜かしたという意味である。

キートンの探偵学入門(Sherlock Jr)

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「キートンの探偵学入門(Sherlock Jr)」は、キートンが探偵となってどたばた追跡劇を繰り広げるというもので、他愛ないながら、非常に面白い映画である。映画の冒頭で、「二兎を負うものは一兎を得ず」という趣旨の言葉が出てくるが、それはキートンが映画技師でありながら探偵の真似をするのはよくないという意味だ。この映画の中のキートンは、基本的には映画技師で、探偵はその趣味ということになっているのである。趣味とはいえ、大変な騒動を巻き起こして、さんざんな眼に合うので、やりつけないことはやらないほうがよい、という教訓が伝わってくるようになっている。いづれにしてもこの映画は、どたばた喜劇にしては教訓に富んだものなのである。

和辻哲郎の日本礼賛

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和辻哲郎は、日本の風土とそれが織り成す日本の文化、その担い手たる日本人をどのように論じたか。日本が東アジアに位置し、その限りでモンスーン型の風土類型に分類されることは間違いないが、しかし日本の風土は同じモンスーン型と言っても、インドや中国とはかなり違う。その違いをもたらす特殊性を和辻は、やはり日本の自然条件にまず求める。日本はインドや東南アジアとは違って、単調な熱帯・亜熱帯気候ではない。モンスーン型気候として夏の炎暑と湿潤を有する一方、冬には雪が降る。つまり、亜熱帯型と寒帯型とが共存している。そのことが日本の風土に独特の陰影をもたらす、そう和辻は主張するわけである。

文治二年(1186)、西行は伊勢を出て、二度目の陸奥への旅をした。旅の目的は、治承四年に平氏が奈良の諸寺を焼き討ちしたときに焼かれた東大寺の再建のために、砂金の勧進をすることだった。東大寺の重源上人が伊勢神宮へ参拝に赴いたとき、奥州平泉の藤原氏と縁のある西行に、砂金の勧請を依頼したのであった。これに西行は応えた。その時西行はすでに六十九歳になっていた。当時としては大変な高齢である。無事にたどりつけるかどうかもわからない。西行にとっては大きな決断だったと思われる。

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バスター・キートンは、チャップリン及びハロルド・ロイドと1920年代のサイレント喜劇映画の人気を分けた。チャップリンの映画が人間的な温かみを感じさせるのに対して、キートンの映画は徹底的にスラップ・スティック・コメディに拘った。それが今日の視点から見てもなかなか新鮮に映る。山口昌男はかつてキートンの映画を評して、宇宙論的な深遠さを感じさせると言ったが、そんなに大げさに受け取らなくても、彼の映画は実に痛快である。とりわけ見ものなのは、キートンがつねに喜怒哀楽を表に出さず、全く無表情といってもよいのに、そのなすことが仰天動地の猥雑さを示すところだ。猥雑な行為を無表情に行うというのは、どこかしら不気味さを感じさせるものだ。

半身達磨(一):白隠の禅画

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白隠禅画のハイライトは、何と言っても達磨像だ。白隠は夥しい数の達磨像を残した。それらは、他の禅画同様、美術品として描いたのではなく、あくまでも禅画、つまり禅についての自身の境地とか、弟子や信者を導く手段として描いたものだ。偶像を通じて宗教を受容する(神を信じる)ことを禁じたキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教には偶像崇拝禁止の強い動機はなかった。むしろ仏像などの偶像を積極的に用いて人々を強化してきた歴史が仏教にはある。禅画もそうした伝統を踏まえているわけであり、日本臨済宗中興の祖といわれる白隠も例外ではなかった。というより白隠こそ、衆生教化に果たす偶像の威力を最もよく理解していた人であった。

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「三人のタヒチ人」と呼ばれるこの絵は、「おしゃべり」と呼ばれることもあるが、絵を見る限りおしゃべりに興じている感じは伝わってこない。その最大の理由は、三人が互いに視線を合わせていないように見えるところにある。

原武史「昭和天皇」

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天皇を論じる際の視座には色々ありうるが、この本は宮中祭祀の主催者としての天皇に光を宛てている。宮中祭祀というのは、国家神道の行事であって、天皇が天照大神の末裔としての立場で行う宗教的な営みである。本来宗教的な行事であるから、祭政一致が否定された戦後体制では公の行事としては行われなくなったが、天皇家の私的な行事として生き残った。しかし、天皇家の私的な行事として片付けるにはあまりにも政治的な性格を持たされており、昭和天皇自身もそれを自覚していた、というのがこの本の著者の基本的な見立てのようである。

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