2019年4月アーカイブ

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秀吉は、愛児棄丸の菩提を弔って祥雲寺を創建した。その寺のために長谷川等伯は、息子の久蔵とともにいくつかの障屏画を制作した。等伯といえば水墨画を中心に描いて来たのだったが、ここでは、おそらく秀吉の意向を受けた形であろう、きらびやかな極彩色の図柄を制作した。祥雲寺は後に智積院の管轄となり、現在に至っている。天和二年(1682)に火災にあったが、取り外しのきく障屏画は難を逃れた。

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NHKが先日(4月28日)、能のフランス公演を中継していた。出しものは観世流の能「砧」で、シテは浅見真州である。浅見真州は国際的な活躍で知られていて、その功績でフランス芸術勲章をもらっているそうだから、フランスとは縁が深いのだろう。そのフランスと能とのかかわりでいえば、かつての在日フランス大使ポール・クローデルが、能を見て死ぬほど退屈したと言ったことがある。その時にクローデルが見たのは「熊野」だったということだが、「熊野」といえば日本人に最も人気のある曲で、それを芸術家を自認していたクローデルが楽しめないのでは、能が国際的な受容を期待するのは無理かとも言われたものだ。

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紀元前六世紀の、アルカイック美術の時代に、アッティカ地方を中心にして、黒絵式陶器が盛んに作られた。黒絵というのは、壺の側面に施された図柄のことをいう。輪郭線に囲まれた部分を黒い顔料で塗りつぶし、それが乾かないうちに、鋭い筆で線を描くことで、ネガフィルムのような効果を演出したものだ。

存在と無

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この小論の目的は存在と無について語ることだが、サルトルの注釈ではない。一日本人として西洋哲学の伝統に一瞥を加えようというのだ。西洋哲学が存在の探求から始まったことはよく知られている。ギリシャの最初の哲学者たちは、この世界が存在しているのはどういう理由からかについて、思弁を巡らしたのであったし、プラトンは存在者が存在するとはどういう意味か、存在とは何かについて探求したのであった。キリスト教時代の思想家たちは、神と存在との関係について思弁を続け、近代以降の哲学者たちも存在の意味について探求し続けた。彼らのそうした探求を動機づけたのは、何故無ではなく、存在があるのか、という素朴な疑問だった。こういう疑問は、日本人が長らく知らなかったものだ。日本人にとっては、この世が存在しているのは疑問の余地がないことだったし、したがって存在というものについて疑問を差し挟むということもなかった。存在は自明な事実なのであって、かえって無の方が異様に受け取られたのである。

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蚤とり侍は、徳川時代に実在した稼業だったという。侍が猫の蚤をとる商売をやるとみせかけて、実は男の売春をするというものだ。これは女を相手にする場合も、男を相手にする場合も、両方含まれる。そんな蚤とり侍をテーマにした映画が、2018年の鶴橋康夫の作品「蚤とり侍」だ。

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等伯は、禽獣に仮託して家族の情愛のようなものを描くことを好んだが、この「松に鴉・柳に白鷺図屏風」は、その代表的なもの。右隻に鴉の親子を、左隻に白鷺の夫婦の、それぞれ家族愛のようなものを表現している。

大江健三郎は、「個人的な体験」で取り組み始め、「ピンチランナー調書」で中断していたテーマを、「新しい人よ眼ざめよ」で再開した。そのテーマとは、脳に生涯を持って生まれ、知恵遅れとなった息子との共存あるいは共生である。この共生は、息子がまだ小さかった時には、ある種の調和に包まれて、時には厳しい局面に陥るとしても、基本的には幸福な境地にひたることができたが、息子が成長して、やがて親離れすべき時期にさしかかると、幸福な境地にひたってばかりもいられない。親は次第に老いてゆくし、息子は自立しなければならない。その自立に向けての準備を、親なりにしなければならない。そういう切羽詰まった思いが、大江にこの作品を書かせたのだろう。この作品は、世の中の常識で一人前の年齢になりつつある知恵遅れの息子に対する、父親としての向かい方をテーマにしているのだ。「新しい人よ眼ざめよ」という題名は、この小説の最後の部分で出て来る言葉に関連しているが、この言葉を通じて大江は、知恵遅れの息子の人間としての新たな旅立ちを願っているようなのだ。

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コレー像が着衣であるのに対して、若い男性をあらわしたクーロス像は、裸体である。男性を裸体で表現することは、マンティクロスの時代から始まっていたが、アルカイックの時期に本格化した。そのことの背景には、競技によって鍛えられた美しい肉体に、美の理想を認めたギリシャ人の感性が働いている。

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堤幸彦の映画「天空の蜂」は、東野圭吾の同名の小説を映画化したものだ。原子力発電所の危機をめぐって、電力会社の金儲け主義と政府の無責任さを抉り出した作品だ。原作は1995年に書かれており、したがって3.11のクライシスは考慮されていないが、映画のほうは3.11後の2015年に作られたとあって、ある程度3.11の影響を見ることができる。しかし原発の安全性を考えさせることをねらったシリアスな意図はないといってよい。あくまでもサスペンスにこだわった娯楽映画に徹している。

旧優生保護法にもとづいて障害のある人たちに強制的な不妊手術が行われてきた問題で、被害者の救済を目的とした議員立法が成立した。その法律の前文には、「我々」を主語とした反省の言葉が書かれている。そのことについて、被害者やかれらを応援する人の中から、「我々」とは誰をさすのかという疑問の声が起っているという。かれらの考えでは、この問題の本当の責任者は、優生保護法を制定した国であり、また被害者の苦痛を放置してきたのも国であるからして、反省と謝罪の主体は国であるべきだ。したがって「我々」などと曖昧な書き方をするのではなく、国と明記したうえで、国を主語として謝罪と反省の言葉を述べるべきだということになるようだ。

19世紀末から20世紀前半にかけて、ユダヤ人から多くの天才といわれる人々が輩出した。フロイト、アインシュタイン、ウィトゲンシュタインといった人々はその代表的なものであり、また世界のノーベル賞受賞者の四分の一はユダヤ人である。わずか一千万人ほどの人口規模しかもたないこの民族がなぜ、かくも多くの天才・秀才を生み出したのか。さまざまな憶測がなされている。その中には、ユダヤ人の人種的な優秀性を指摘するものもあれば、ユダヤ人の教育システムの効率性を指摘するものもある。そんななかで最も即物的な説明をしているのが、当のユダヤ人であるハンナ・アーレントだ。

西欧哲学におけるレヴィナスの意義は、他者を主題的に論じたことだ。その論じ方は極めて徹底していた。レヴィナス以前にも他者を論じたものはいたが、それらは他者を私によって構成された対象の一種として見ていた。初めて他者を本格的に論じたといえるフッサールにおいてそうだったし、また、他者を共同現存在として、私とともにすでにこの世界に投げ出された所与であるとしたハイデガーにおいても、他者が存在の一類型として、したがって結局は私によって構成されたものとして捉える限りにおいては、やはり他者をそれ自体として絶対的な存在者とはみていない。ハイデガーのいう存在とは、私の思考から生み出されたものなのであり、その限りで私の意識による構成の産物だからだ。

日頃NYTをフェイク・ニュースだといって攻撃しているトランプが、今回は史上最大級といってよい攻撃を、ツイッター上でNYTに加えた。その鼻息は荒い。NYTは、自分を侮辱したかどで、自分に対して二度目の謝罪をすることになる。それは生半可なものではない、我が前で膝を屈して、我が慈悲を乞わねばならない、というものだった。

宝永五年(1708)十月、イタリア人宣教師シドッティが屋久島に上陸し、長崎を経て翌年江戸に移送されてきた。その頃幕府の要職にあった新井白石は、数回にわたってシドッティを尋問し、それにもとづいて幕府としてとるべき措置を上申した。それは三つの選択肢からなっていて、本国送還を上策、監禁を中策、処刑を下策としていたが、幕府がとった措置は中策の監禁であった。シドッティは茗荷谷の切支丹屋敷に監禁され、正徳四年(1714)十月に死んだ。

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上田慎一郎の「カメラを止めるな!」は、ゾンビ映画の傑作だとして内外で結構話題になった。ただのゾンビ映画ではなく、楽しめる工夫がなされている。その工夫がいかにも映画らしい工夫なので、話題性がいっそう高まったのだと思う。その工夫とはメタ映画ともいうべきもので、前半でゾンビコメディのフィルムを紹介しておいて、後半でそのフィルムができるまでのプロセスを公開するというものだ。

先般イスラエルで行われた総選挙で、汚職疑惑などがもとで劣勢を取りざたされてもいたネタニアフが、与党リクードの勝利の結果、五期目の首相を務めることになった。このことの背景には、トランプによるネタニアフの強力な応援とか、経済を始め好調な国内情勢とかが指摘されもするが、根本的な要因はイスラエルのユダヤ人が極右化しているということだろう。ネタニアフはそうした動きを反映しているに過ぎない。これは、トランプがアメリカ国民の右傾化傾向を反映しているのと似たような事態だ。

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この「竹鶴図屏風」も、牧谿の影響をうかがわせる作品だ。鶴の描き方は、牧谿作「観音猿鶴図」のものとほとんど同じである。牧谿の鶴も、竹林を背後にしているが、竹は申し訳程度に描かれているにすぎなかった。等伯のこの絵は、両隻に竹林を配し、鶴がその林のなかにたたずんでいるという風情を描出している。

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アルカイック美術という概念は、クラシック美術との対比から作られたものである。紀元前五世紀に花開いた美術をクラシック美術と呼び、ギリシャ美術の完成された形とする考え方が優位になったときに、それ以前の段階の美術を、一段劣る未熟なものという意味でアルカイック美術と呼んだのである。しかし、今日では、アルカイック美術を未熟な段階の美術とする考えは少数派である。アルカイック美術には、それにふさわしい意義を認めるべきだというのが、今日の主流の考えである。

小生はかつて「日本人とエピステーメー」と題した小論の中で、フーコーのエピステーメー論を日本人に適用したらどうなるかについて、簡単な考察をしたことがあった。そこで小生がとりあえず達した結論は、日本人にはヨーロッパ人のように内発的な知の発展というものは見られず、外国から輸入した知が幅を利かせてきたということだったが、それでも日本人の思考の枠組というようなものは存在しており、それをエピステーメーといってよいかもしれない、と思うに至った。そのエピステーメーのうちで、我々現代に生きる日本人にとって、最も大きな意義を持つのは、儒教に根差した権威主義的世界観であって、我々はその呪縛から未だに完全に脱し切れていない。この儒教的なエピステーメーは、徳川封建体制下の17世紀半ばごろに成立し、明治維新を経て、先の敗戦頃まで強い規範となってきた。要するに三百年にわたって日本人の思考を制約してきたわけである。敗戦後は、それに代わって欧米伝来の自由主義的な考え方が新たなエピステーメーを築きつつあるが、我々はまだ権威主義的な思考様式から抜け出せていないようである。

中国ではいま「ゴマ信用のスコア」というのが流行っているのだそうだ。これはIT企業の大手アリババが四年前に始めたサービスで、個人の信用度をスコアであらわし、金融取引などに役立てようというものだ。このスコアは、目下個人の申し出に基づいて作成され、その個人の資産状況とか返済能力などの信用度を数値化し、それを金融取引等の判断材料にするというものだ。このスコアが高いと、簡単に融資が受けられるし、不動産取引なども有利に進めることができるという。これまでの中国では、信用取引に関しては保証人を立てるのが一般的だったが、このスコアがそれにとって代わりつつあるという。たとえば、賃貸住宅を借りたいと思ったら、大家から、保証人のかわりに「ゴマ信用のスコア」の提示を求められるのだそうだ。

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「恋人たち」というタイトルからは、フランス人ルイ・マルの映画を想起させられる。やはり「恋人たち(Les Amants)というタイトルのルイ・マルの映画は、倦怠せる男女の糜爛した恋のアヴァンチュールを描いていたものだったが、日本人の橋口亮輔が作ったこの映画が描いているのは、いかれた中年男女がくりひろげるかなり崩れた人間関係である。一応「恋人たち」というタイトルがつけられているが、男女の恋が描かれているわけではない。描かれているのは、なにやらあやしげな人間模様である。

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京都相国寺にある「竹林猿猴図屏風」は、中国の画家牧谿の「観音猿鶴図」を意識している。等伯は、三玄院所蔵の牧谿の絵を、同院のために「山水図襖」を描いた際に鑑賞し、それをもとにこの作品を作ったのだと思われる。牧谿の作品は、中央に観音を描き、その両脇に猿と鶴を描いているが、等伯のこの作品は、左隻に竹林を描き、右隻に猿の親子を描いている。

小説集「『雨の木』を聴く女たち」の五番目、つまり最後に位置する中編小説は、先行する四つの短編小説とは多少趣を異にする。というのも、この中編小説は、もともと他の短編小説とは違う問題意識にもとづいて書かれたものだからだ。この中編小説には、小説としてはめずらしく、序文が付されていて、その中で作者は、「雨の木」を主題にした長編小説を書く一方で、それと並行して、いくつかの短編小説を書いていたといい、短編小説はそのままの形で発表できるものとなったが、長編小説は出来が悪かったので、自分はその長編小説から「雨の木」にかかわる細部を削除して、中編小説として書き直し、それに「泳ぐ男」という題名を冠したと書いている。

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腰が極端にくびれた人物像の典型が、このマンティクロスのアポロン像である。テーバイから出土したこのブロンズ像は、先に見た壺の文様における人物のパターンを立体的に表現したものだ。

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2013年の映画「ペコロスの母に会いに行く」は、同名の連載漫画を映画化したものである。ペコロスというのは小さな玉ねぎのことだが、そのペコロスのような形の頭の男が、認知症になった母親を世話する、というか互いに世話しあう関係を描いたものだ。大したストーリーはなく、母親の奇妙な行動に振り回される息子のどぎまぎした反応が見どころだ。

「全体性と無限」の序文を、レヴィナスは戦争への言及から始めている。レヴィナスは、「聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである」としたうえで、その「聡明さは、戦争の可能性が永続することを見てとるところにあるのではないか」といい、「戦争状態によって道徳は宙づりにされてしまう。戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永遠性が剥ぎとられ、かくて無条件な命法すら暫定的に無効となる」という(熊野純彦訳「全体性と無限」から、以下同じ)。「戦争によって道徳は嗤うべきものになってしまう」というのである。もしそうならば、「私たちは道徳によって欺かれてはいないだろうか」。そうレヴィナスは問いかけるのである。問いかけの相手は、読者でもあるし、またレヴィナス自身でもあるようだ。

「東雅」は、語源解釈を中心とした語義解釈辞典というべきものである。古い日本語の成り立ちや特徴が浮かび上がるように配慮されている。いまでも日本語語源辞典としての意義を失っていない。白石がこれを作ったのは、失脚後間もなくのことで、その頃子供相手に学問を教えていたのだが、講義の中心が古い日本語について説き明かすことだった。その講義を集大成したのがこの辞典で、享保四年に現在の形に完成した。この辞典を白石が「東雅」と名付けたのは、中国最古の辞典「爾雅」を意識している。「東雅」とは、東の国、つまり日本の「爾雅」というわけである。

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マルタイとは警察用語で身辺警護の対象者のことをいう。対象者のタイをとってマルタイというわけだ。伊丹十三の1997年の映画「マルタイの女」は、そのマルタイをテーマにしたもの。伊丹自身、「ミンボーの女」をめぐって暴力団から付け狙われ、警察の身辺警護を受けた経験があり、この映画にはその際の経験が生かされているという。なお、伊丹自身はこの映画を作った後で不可解な死に方をしており、これが彼の遺作となった。

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大徳寺塔頭三玄院に、かつて雲母刷りで桐花紋を施した襖三十二面に山水図を描いたものがあった。現在は圓徳院にうつされている。上の写真はその一部。冬枯れらしき山水の佇まいが描かれている。

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紀元前1200年頃をピークに、印欧語族の一分派であるドリス人がギリシャ半島に南下してきて、先住民族のミケーネ文化を完全に滅ぼした。そのことで、ギリシャは一気に野蛮な時代に逆戻りしたといわれる。ドリス人に追われた先住民族のアカイア人たちは、アッティカ地方や小アジアに移動し、そこでイオニア文化と呼ばれる新たな文化を作り始める。ギリシャはこのイオニア文化とドリス文化とが対立しながら新たな時代を作り上げてゆく。
イデオロギーはマルクス主義の用語だったが、広い範囲で使われるようになり、いまでも社会科学や人文科学における基本タームとして流通している。それに対してエピステーメーのほうはミシェル・フーコーが使いだしたものだが、こちらはあまり普及することはなかった。パラダイムと似ているところがあり、しかもパラダイムのほうに強いインパクトがあるので、エピステーメーはごく限定された範囲にしか取り上げられなかったし、フーコーが死に、また構造主義が下火になると、次第に見捨てられていった。

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「スーパーの女」は、スーパーマーケットの経営をテーマにした、伊丹映画らしいコメディ・タッチの作品である。津川雅彦演じるさえない男の経営する落ち目のスーパーを、宮本信子演じる幼馴染の女が立て直しに向けて協力し、ついに店を繁盛させるという人情物語である。

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「牧馬図」は、武人が原野で馬を調教するありさまを絵がいたもの。屏風絵の一般的な慣習に従って、右隻が春、左隻が秋の光景を描いている。上の絵は右隻のもの。春の原野で馬が生き生きとした動きを見せている。

「『雨の木』を聴く女たち」は、相互に関連しあう四つの短編小説と、一つの中編小説からなっている。そのどれもが「雨の木」という言葉をタイトルの中に含んでいる通り、この五つの小説群は「雨の木」をめぐって展開していくのである。

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ミケーネ文明の遺跡はドイツ人シュリーマンによって発掘された。かれは1870年代にミケーネを、1880年代にティリンスを発掘し、ミケーネ文明について多くの知見を得た。ミケーネにおいては、城塞の獅子門を発掘し、その奥に数多くの副葬品を伴なった墳墓を発見した。その墳墓をかれは、ギリシャ神話の中のミケーネ王アガメムノンと、その妃カサンドラのものと信じたが、実際には、アガメムノンの時代よりはるかに古い時代のものとされている。

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伊丹十三の1995年の映画「静かな生活」は、大江健三郎の同名の小説を映画化したということになっているらしい。小生は原作を読んでいないので、何とも言えないのであるが、映画を見た限りでは、どうも忠実な映画化ではないらしい。というのも、この映画には、大江健三郎の様々な小説からの引用と思われるシーンが多く出て来て、単一の作品の映画化というより、大江作品のエッセンスをつまみ食いするような形で映画を作ったと思われるところがある。無論小生は原作と厳密な比較をしているわけではないので、何とも言えないのではあるが。

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ブラックホールの撮影に初めて成功したというニュースが入って来た。いまから百年ちょっと前に、アインシュタインが一般相対性理論を発表したことがきっかけで、ブラックホールの存在の理論的可能性が指摘されるようになり、それを裏付けるような間接的な証拠は集められてきたのだったが、ブラックホールそのものを直接撮影した業績はなかった。だから今回の撮影は、宇宙研究上エポックメーキングな意義を持つ。

レヴィナスは、リトアニアのカウナスに生まれ、フランスで自己形成をした。第二次大戦時にはフランス兵として従軍したが、すぐにドイツ軍の捕虜になり、終戦まで捕虜収容所で過ごした。その間にカウナスにいる自分の親族はすべて殺されてしまった。ユダヤ人であるレヴィナスにも殺される可能性がなかったわけではないが、一応フランス兵としての処遇を受けていたので、なんとか生き延びることができた。しかし、愛する家族が皆殺しにされ、自分だけが生き残ったことに、深い絶望を感じたように思う。レヴィナスの独特の倫理学には、そうしたかれの絶望が反映しているように思われるのだ。かれの倫理学は、二人の人間の間に成立する関係を中心に展開されるものだが、その関係は非対照的なものであり、あたかも神と人間との関係の如くである。そしてその神が、レヴィナスは積極的な定義は控えているが、ユダヤの神であることは間違いない。レヴィナスはユダヤの神に向き合うことで、自分自身の、ひとりの人間としてアイデンティティをつかみ取ろうとしているように見える。レヴィナスにとって神は、どうやら自分自身の自己イメージでもあるようなのだ。

「藩翰譜」は、甲府城主だった頃の徳川綱豊(後の家宣)に仕えていた白石が、綱豊の命を受けて書いたものである。その成立経緯は「折たく柴の記」に詳しい。それによると、元禄十三年(1700)に、俸禄一万石以上の人々のことを調査して書き記せとの命を綱豊から受け、約一年間の下準備をしたうえで、翌年七月十一日に起稿し、十月に至って脱稿したということになっている。内容は、慶長五年(1600)から延宝八年(1680)に至る間の大名三百三十七名について、その事績を記したものである。

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伊丹十三の1993年の映画「大病人」は、末期がん患者の死に方を描いた作品である。人は、生まれ方は選べないが死に方は選べる、とはよく言われる言葉だが、まさにその言葉通り、自分の死に方を自分自身で自主的に選んだ男の物語である。いまでこそ、医療の現場では、患者に延命治療の是非を選択させる風潮が起ってきたが、この映画が公開された頃は、そんなことはあり得ないと考えられていた。医者は、少しでも患者の命を伸ばすために延命治療を行うのが当然だと考えられていたし、患者のほうにも延命治療を拒否する権利は与えられていなかった。「終の信託」という映画のなかで、延命治療を拒んだ患者に協力して、死なせてやった医師が嘱託殺人に問われる話があったが、そんな時代状況だった。そんな状況のなかで、延命治療について考えさせるこの映画は、社会に向って一定の問題提起をしたところがあった。

米国土安全保障長官のキルステン・ニールセンが、事実上トランプに更迭される形で辞任した。理由は、移民に対する彼女の対応が生ぬるいということらしい。とはいっても、移民政策に関する彼女の対応は、米国の移民政策の歴史の上で例を見ないほど過酷で無慈悲なものとして有名だった。なにしろ、物心のつかないような小さな子供まで親から取り上げて収容所にぶち込むようなことを平気でしてきた人間だ。その無慈悲な彼女でも、トランプの眼には生ぬるいと映ったのだろう。

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長谷川等伯の水墨画は、雪舟の強い影響が指摘されるが、「花鳥図屏風」と呼ばれるこの作品は若年期の等伯水墨画の代表的なもの。一見して、雪舟様式と呼ばれる構図を採用し、筆使いにも雪舟の影響がうかがわれる。雪舟様式とは、左右両隻のそれぞれ両端に主要な図柄を配置し、中央部に空間を置くことで、構図の安定を図ろうとするものである。

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クレタ人の美術は、明るく開放的で、海のように流動的だと言われる。その点では、陰気で重厚さを重んじるギリシャ人とは正反対だと指摘される。実際、クレタ美術を見ると、非常におおらかな感じを受ける。一方、そこには彼らの信仰が込められてもおり、牡牛や蛇などのイメージを、美術の中に盛り込んでいる。

一時期世界観という言葉が流行った。世界観と漢字で書くと、文字通り世界についての見方と言う意味になる。ドイツ語でも Weltanschauung と書いて、やはり世界についての見方というような意味合いを持たされている。しかし英語圏では、こうした言葉はあまり使わないようだ。フランス語圏でも積極的には使われない。そうしてみると、この世界観という言葉は、ドイツ語圏とその影響を強く受けた日本の哲学業界においてもっぱら使われているとも言えそうだが、しかしだからといって、他の国の思想界で世界観に相当するような考えがなかったかといえば、そうでもない。どんな民族であっても、世界についての基本的な捉え方というものはあるものだ。それがないと、自分が生きていることの意味がわからなくなるだろう。何故なら人間は一人で、しかも裸の状態で生きているわけではなく、世界のうちで他の人間とかかわりあいながら生きているからだ。

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チャールトン・ヘストンがマーク・アントニーを演じた1969年版の「ジュリアス・シーザー」は、原作の雰囲気がよく生かされているわかりやすい作品だ。アメリカ映画なので、無教養なアメリカ人でも理解できるように作られていながら、肝心な部分では原文を生かすなど、心憎い演出がなされている。

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長谷川等伯は、若年期には多くの肖像画を描いた。伝名和長年像として伝わるこの肖像画はかれの若年期肖像画の代表作である。武将の直垂に名和氏の家門である帆掛船があしらわれていることから、名和長年の肖像だとされてきたが、異論もある。名和長年は、等伯にとってはすでに過去の人であり、等伯がわざわざ過去の人の肖像を描くとは考えにくいというのが、その理由だが、等伯は別に武田信玄の肖像画も描いており、信玄同様過去の人である名和長年を描いても不思議ではないという反論もある。

双子の妹に向かって、村=国家=小宇宙の神話と歴史を、手紙という形で語って来た僕が、最後の手紙で、いまや行方が知れなくなった妹に向って語るのは、自分自身が人々から「天狗のカゲマ」と呼ばれるようになった原因となる出来事についてだった。その出来事というか、体験は、僕が真にわれわれの共同体の一員となったことを自覚できるようなものだった。その体験が僕の記憶の基層にいつまでもわだかまっていたからこそ、僕は父=神主への反感から一度は、といっても数十年にわたる長い間にわたることだが、村=国家=小宇宙の神話と歴史を語ることを拒絶したにかかわらず、ついにはそれを語る決意を僕に起こさせたわけなのだった。

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クレタ文明の一端は、クノッソス宮殿の遺跡を通じて垣間見ることができる。この宮殿は、ギリシャ神話の英雄テーセウスの怪物退治の舞台となったところだ。神話によると、この宮殿は迷路のような複雑な構造で、その一番奥の部分に、牛の頭をもった怪物ミノタウロスがいた。テーセウスはこのミノタウロスを退治するわけだが、それはギリシャ人たちによるクレタ文明破壊を象徴しているものと考えられる。

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リア王の映画化には様々なヴァージョンがあるが、オーソン・ウェルズがリア王を演じた1953年の作品が、とりあえずはもっとも原作の雰囲気を生かしたものと言ってよい。もっともこの映画は、75分という長さなので、かなり思い切ったカットを行っている。その結果、リア王に特化したメーン・プロットのみからなっており、サブプロットは、グロスター泊が目玉を繰りぬかれる場面をのぞいては、ことごとく省かれている。それでも、原作の雰囲気をほとんど損なっていないのは、映画作りのうまさもあるが、オーソン・ウェルズの演技の賜物だろう。

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ここしばらく陽気の進み具合が足踏みしていて、折角開き始めた桜がなかなか咲き広がらなかったが、今日は朝から気温があがり、すっかり春めいた陽気になたので、さぞ桜の開花も進んだろうと思って、付近の公園に出かけてみた。すし屋で寿司を握ってもらい、コンビニで缶ビールを買って、いそいそと出かけた次第だ。

エマニュエル・レヴィナスはフィリップ・モネとの対話「倫理と無限」のなかで、彼の最初の著作「実存から実存者」に触れながら、この本は「ある」について語っており、自分はそのことを Il y a という言葉で表したのだったが、その時には「Il y a」と題されたアポリネールの有名な詩のことは知らなかったと言った。知っていたとしても、どうということもないようなのだが、フランス語で「Il y a」というと、どうも人はそれに存在への賛歌のような気持ちを感ずるようなので、存在からの超越を究極的に目指している自分としては、誤解されやすい恐れはあるかもしれない、ということらしかった。

「折たく柴の記」は新井白石の自叙伝として知られている。上・中・下の三巻からなるが、自叙伝としての要素がもっとも大きいのは上巻である。この部分は、白石自身やその父親の生き方について述べたもので、白石の人間像が鮮やかに浮かび上がって来る。それを読むと、新井白石という人間は、なにはともあれ古武士的な心情を生涯失わなかったことがわかる。

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数あるシェイクスピア劇のなかでも「ロメオとジュリエット」はもっとも多く映画化された作品だ。その中でもジョージ・キューカーによる1936年の映画化作品は、原作の雰囲気をもっともよく再現したものといえる。多少の省略はあるものの、ほとんど原作に忠実であり、台詞もなるべく原作そのものを採用している。その結果、やや荘重すぎるきらいに流れないではないが、シェイクスピア劇としての雰囲気はたっぷり味わえるように出来ている。この映画を見ただけで、「ロメオとジュリエット」という芝居を語る資格ができそうである。

長谷川等伯は狩野永徳と並んで桃山時代を代表する画家である。永徳のように家門の後ろ盾を持たず、能登の片田舎から身を興したが、たぐいまれな精進ぶりを発揮して画境を深め、独自の画風を確立した。一時は、大勢の門人を抱え、永徳の狩野派に対抗する実力をもったが、長谷川派は等伯あっての長谷川派で、等伯亡き後は、次第に衰えて行った。

今日ギリシャ美術と呼ばれているものは、古代ギリシャに花咲いた美術だ。古代ギリシャは、美術のみならず、哲学や科学技術を含めて、さまざまな方面においてめざましい功績をあげ、ヨーロッパ文明の揺籠として、また理想的な手本として、ヨーロッパ人に重んじられて来た。

前稿「時間について」では、西洋哲学史における時間論の変遷と、日本人による時間の捉え方について簡単な考察を加えた。そこから浮かび上がってきたのは、時間というものは世界の有限性に根差しているという認識であった。ユダヤ・キリスト教文化において、世界が有限であると認識されているのは見やすいことであるが、日本人は世界を有限だとは考えていなかった。世界には始まりもなければ終りもなく、永遠に存在し続けると考えた。そういう考え方においては、時間の観念は成立しないはずなのだが、日本人にも時間の観念はある。それは日本人が、世界は永遠・無限と考えながら、そこに生きている人間は基本的には有限な存在と考えたことに基づく。人間の生命が有限なら、その人間を軸とした時間の観念が成立する。

新元号が令和に決まった。某官房長官が例の仏頂面で令和という文字を書いた紙を掲げた姿がテレビに写されたのを、小生は実況中継の画面で見たのだった。その際に官房長官が、出典は万葉集にあると手短にコメントしたので、小生は聊か思うところがあった。今回の改元にあたっては、従来のような漢学者ばかりでなく、日本史の学者も加わっているという噂だったので、日本語の文献から出展されるのではないかという予測をしていたのだったが、その予測があたったということだ。

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