2019年5月アーカイブ

海北友松は、狩野永徳、長谷川等伯と並んで安土・桃山時代の日本美術を代表する巨匠である。その画風は、永徳の豪放さ、等伯の絢爛さに比べて、繊細な風情を感じさせるもので、しかも装飾的な要素にも富んでいた。従来は、永徳や等伯より低く評価されがちだったが、近年は永徳らに負けない高い評価を受けるようになってきている。

「M/Tと森のフシギの物語」は、「同時代ゲーム」のアナザー・ヴァージョンといえる。「同時代ゲーム」においては、語り手の僕が双子の妹に向けた手紙のなかで、彼らが生まれ育った村、それは村=国家=小宇宙と呼ばれていたのだったが、その村の神話と歴史について語り掛けるという体裁をとっていたものを、この「M/Tと森のフシギの物語」では、語り手である僕は不特定多数の読者に向けて語るという体裁に変わっている。小説としての「同時代ゲーム」では、語り手が語る村=国家=少宇宙の神話と歴史と並行する形で、僕自身の苦い体験やら、僕とその兄弟たちにまつわる話が展開するのだが、そしてその展開の中では、僕とその双子の妹とがセクシュアリティによって強く結ばれていることが暗示されるのであったが、この「M/Tと森のフシギの物語」において語られるのは、僕が生まれ育った村の神話と伝説だけである。その村はもはや「村=国家=小宇宙」と呼ばれることはないが、そこに伝わっている神話と伝説は、「同時代ゲーム」における「村=国家=小宇宙」のそれとほとんど変わらない。

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紀元前四世紀の後半に、マケドニアからアレクサンドロスが登場して、宿敵ペルシャを破ったほか、西アジアから北アフリカ一帯を征服して、ギリシャを中核とした王朝を創出した。アレクサンドロス自身は、若くして死んだが、かれが死んだ後も、かれの遺産としてのギリシャ風王朝は各地に残り、そこに、ギリシャ風の分化が花開いた。この文化を、ヘレニスティック文化あるいはヘレニズムと呼んでいる。ヘレニズムの文化は、紀元前31年に、ローマによってギリシャが属州に組み込まれるまで続いた。

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「浪人街」は、戦前のサイレント映画時代に、牧野省三、正博父子が共同で作った時代劇のシリーズで、三作が作られた。その第一作目を、1990年に黒田和雄がリメイクした。牧野省三の六十回忌記念という名目になっており、戦前の作品を監督した牧野正博が総監修役として加わっている。

大江健三郎の短編小説に「死に先立つ苦痛について」と題されたものがある。ほとんどの人間は死を恐れるが、死そのものを体験することはない。人間が体験するのは死に先立つ苦痛である。その苦痛が我々人間に死についての恐れを抱かさせる。しかし死そのものは恐れる必要はない。何故なら、我々に死が訪れるときには、我々はもはや生きてはいないのだし、我々が生きている間は、我々は死んではいないからだ。

「近代日本の陽明学」と題したこの本は、大塩平八郎に始まり吉田松陰、西郷隆盛を経て三島由紀夫に至る、著者が陽明学的と考える人々を対象にしたものである。おもてづらは陽明学という思想運動を取り扱っているようにみえるが、普通の思想史とは大分違う。第一、水戸学とか山川菊枝とか、陽明学とはかかわりのなさそうなものに多くのページを費やしているし、三島由紀夫に至っては、著者自身、かれは陽明学の精神を体現した革命家というより、むしろ朱子学的精神を体現した能吏タイプの人間だと言っているくらいなのだ。

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黒木和雄の1988年の映画「TOMORROW」は、1945年8月8日の長崎を描く。この日の翌日8月9日の午前11時2分に、長崎では原爆がさく裂した。それに遡る二十四時間における、長崎の人びとの暮らしをこの映画は描くのである。映画に出て来る人々は、ある家族とその周辺の人々だ。かれらはいずれも自分なりに生きている。そして明日への希望やら、明日に持ち越した用事を抱えている。そんな彼らに平常な明日は訪れなかった。ほとんど全員が原爆の為に、消えてなくなってしまったのだ。そのことを、映画の冒頭で、一人の少年がつぶやく。なぜ大人たちはみんな消えてなくなってしまったんだ、と。

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長谷川等伯は龍虎図を何点か手掛けている。桃山時代から徳川時代の初めにかけて、龍虎図が流行ったので、等伯にもその注文が来たのだろう。この作品は、やはり「自雪舟五代長谷川法眼等伯」の署名があり、六十八歳の時のものである。左右両隻に龍と虎とが向かい合っている構図は、互いに視線を交差させているところなど、なかなか迫力を感じさせる。

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スコパスはプラクシテレスと同時代に活躍し、一緒に仕事をしたこともある。プラクシテレスにも感覚的な傾向はあったが、スコパスはさらに強く感覚的な表現をした。かれは、小アジアに旅行した際、ペルシャの提督マウソロスや、その妻アルテミシアの肖像を作ったが、どちらも感情のこもった作風である。

フロイトが無意識の人間に及ぼす深刻な影響を指摘した時、西洋哲学はこれを無視した。その無死の仕方は本能的といってもよかった。何故なら西洋哲学の伝統は人間の意識を舞台に展開されて来たからであって、意識以外のものが人間を動かすなどとは、意識についての学問である哲学を否定するに等しかったからだ。デカルトが「我思う故に我あり」と宣言して以来、意識こそが存在の根拠だったわけだし、存在についての学問である哲学にとっては、意識を除外しては何事も語れなかったのである。そこにフロイトは無意識という概念を発明した。しかもその無意識が人間の行動を左右すると主張した。西洋哲学にとって、これほどスキャンダラスなことはありえなかったのである。

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黒木和雄の1978年の映画「原子力戦争」は、原発事故を絡めながら、日本の原発の問題点を訴えた反原発映画である。それとして明示されてはいないが、福島第一原発が舞台になっている。田原総一郎の同名の小説が原作だと称していて、その田原は福島第一原発に取材して書いたということだが、そこに問題意識として出されていたものが、3.11で表面化したということだ。もっともこの映画は、原作に忠実ということではないらしい。

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「鴉鷺図屏風」は、両隻の両端に「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆」の署名があることから、等伯晩年の作品とわかる。左隻に五羽の鴉、右隻に十二羽の白鷺をあしらったこの屏風絵は、「松に鴉・柳に白鷺図屏風」と比較すると、やや硬直したところを感じさせる。線描を主体として、表現の仕方も様式的だ。

「河馬に噛まれる」を構成する作品群のうち「死に先立つ苦痛について」は他の作品からは孤立した印象を与えるが、しかしまったく場違いとはいえない。というのもこのやや長めの短編は、「河馬に噛まれる」が全体としてテーマにしている連合赤軍事件を、凝縮して表現しているところがあるからだ。いわば、全体としての「河馬に噛まれる」のミニチュア版といったところなのだ。

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紀元前四世紀の前期から中期にかけてのギリシャ美術は、後期クラシック美術と言われる。この時代のギリシャは、ペロポネソス戦争(BC432-404)の後の混乱期にあたり、やがてアレクサンドロスによって統一されるのであるが、そうした政治的混乱をよそにするかのように、美術の分野では、感情表現が豊かな、感覚的な新しい美術が開花した。

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黒木和雄の1975年の映画「祭りの準備」は、四国のある寒村を舞台にしたある種の青春物語である。二十歳くらいの青年を中心にして、そのまわりに暮らす人々の生き方を描いたものだが、映画に出て来る人々はみな貧困ながらも、それぞれ自分らしい生き方をしている。そんななかで、脚本家をめざす主人公の青年も、色々な試行錯誤を経て、自分の夢の実現に向かって羽ばたいていくというもので、いささかゆるい筋書きだが、俳優たちの演技がなかなか見せるものなので、映画としては一応締まった出来になっている。

レヴィナスの<他者>は顔として現われる。それはとりあえずは性別をもたない人間の顔として現われる場合もあるが、神として現われる場合もあるようである。<他者>の絶対的な超越性が、神を連想させるからである。レヴィナス自身は、<他者>を神とは明言していないが、文章の行間からそのように伝わって来る。<他者>はまた女性である場合も当然ある。しかし女性として現われる場合には、<他者>は特別の様相を呈する。それは単なる顔であることにはとどまらない。そこには「顔における<他者>の顕現を前提するとともに、それを超越しているなんらかの次元」がある(「全体性と無限」熊野純彦訳、以下同じ)。そうレヴィナスはいって、女性としての他者の解明に踏み込んでいく。

朱子学と陽明学はとかく対立する面が強調されがちだったが、実は深い絆で結ばれているというのが中国史家島田虔次の見方である。陽明学は朱子学の内在的な展開であり、「朱子学は、必然的に陽明学にゆきつくべき運命にあった」というのである。

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黒木和雄はドキュメンタリー映画作家として出発し、劇映画に転じてからは前衛的な作風で独自の存在感を示していたが、1974年の作品「竜馬暗殺」は商業映画作家としての出世作となったものだ。坂本龍馬の暗殺をテーマにしたこの映画は、黒木のかなり思い切った脚色で、維新史の解釈に一石を投じる形となった。

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永観堂として知られる京都禅林寺に伝わる波濤図は、もともと仏間の南北両側面の襖に描かれていたが、後に掛幅に改装された。古くは狩野元信作といわれたが、特徴的な岩の描き方からして、長谷川等伯作と認められた。

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ポリュクレイトスは、ミュロンより年少で、クラシック美術を更に奥行きの深いものにした。かれの代表作「ドリュフォロス(槍を持つ人)」は、カノン(規範)を体現したと言われたほどだ。カノンとは、人体の理想的な比例を意味する言葉で、かれの著作の題名だった。

自己と他者

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前稿で広松渉に言及した際、他者の問題に触れた。広松の場合、他者の問題は間主観性という形で取り上げられていた。間主観性というのは、複数の人間の間のコミュニケーションから生まれて来る関係をいう。その関係から、人間の認識の枠組みとなるものが生まれて来ると考える点で、広松の間主観性の議論は、人間の認識の社会的起源を強調したものだった。人間は、その本質的なあり方において社会的な存在だとするわけである。

先日のこのブログで、中国における信用スコアの動きを紹介した際に、今は民間のサービスにとどまっているが、将来はそれが政府によって運営される可能性がないわけではなく、そうなった場合には、ディストピアとしての監視国家が生まれる可能性もあると書いた。その時点では、そうなるにしてもかなり先の話だと思っていたのだが、実際はすぐ手前まで来ているということらしい。その動きを、雑誌世界最新号(2019年6月号)の記事「"C"の誘惑」が分析している。

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2012年の映画「ライク・サムワン・イン・ラヴ」は、イラン人のアッバス・キアロスタミが日本にやってきて、日本の金で、日本人スタッフと協力して、日本人俳優を使って、無論日本語で、日本人向けに作った映画である。だからイラン映画とは言わずに、日本映画といってよいはずなのだが、どうもそういうのがはばかられる作品だ。というのも、この映画は、普通の日本映画とは違って、日本らしさを感じさせないからだ。では何らしさを感じさせるかというと、そのらしさがなかなか思い当たらない。不思議な感じの映画である。


このビデオは、昨日(5月18日)に小生の家の付近の水路で撮影したカルガモの親子の雄姿。このヒナたちは5月の2日に生まれたので、まだ二週間ちょっとしかたっていないが、御覧のような結構成長している。よく見ると八羽いるのがわかる。生まれた5月18日には九羽いたので、一羽欠けたわけだ。どういう理由で欠けたのかはわからない。昨年までは、ここで生まれたカルガモのヒナは、一羽残らず無事成長していたので、とても残念なことだ。
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妙心寺の塔頭隣華院は、祥雲寺開山南化玄興の庵居として、慶長四年(1599)に建立された。その客室周囲二十面にわたり、長谷川等伯が襖絵を描いた。等伯六十歳頃のことである。これはその一部で、客室北側の四面。この作品は後に、天保三年(1832)の再建の際に、狩野永岳によって補筆されているという。

大江健三郎は、連動赤軍に思い入れがあるらしく、浅間山荘事件の翌年に「洪水はわが魂に及び」を書いている。この作品は、ストレートな形では連合赤軍をイメージさせるものではなかったが、物語の枠組みとかプロットの組み立て方に連合赤軍を想起させるものがあった。核シェルターを舞台にした青年たちと国家権力の戦いは浅間山荘事件を思い出させるし、仲間の殺害は連合赤軍が引き起こした一連のリンチ殺人事件を想起させる。ただ大江はこの作品のなかに、核戦争の脅威という人類の大きな課題をもちこみ、また精神薄弱な息子を登場させることによって、物語の構造を重層化させていたので、連合赤軍をあからさまにテーマにしたものだとの印象をやわらげてはいた。

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紀元前五世紀の前半に花開いたクラシック美術は、ミュロン、フェイディアス、ポリュクレイトスの三人によって代表される。このうちミュロンは最年長で、一気にクラシック美術を完成させた人と評価されている。ミュロンの原作は残っていないが、その作風を伝えるコピーが二点伝わっている。そのひとつが、この「円盤を投げる人」である。

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アッバス・キアロスタミの2010年の映画「トスカーナの贋作」は、偽の夫婦を演じる中年男女の幻想のようなものを描いた不思議な作品だ。この男女は、「本物より美しい偽物」をテーマにした本を出した男に、女がモーションをかけるという内容なのだが、その挙句に、二人はある老人から夫婦と勘違いされたことがきっかけで、実際に夫婦になった想定で、お互いの関係を演じあう。その結果、女の方が、自分がかつて初夜を過ごした部屋に男を案内して、セックスをせまるまでに至るのだが、そこで男は現実に目覚め、一人立ち去っていくというような内容だ。

トランプが中国からの輸入に対して全面的に関税をかけると言って脅しているのに対して、中国の方も売られた喧嘩は買ってやるといった具合に、最大級の反発を見せている。このままだと、米中が全面的な経済戦争に突入する可能性は極めて高いようだ。そうなれば、米中双方が経済戦争で互いに傷つくばかりではない。日本のような第三国も深刻な影響を受けるだろうし、世界経済もかなりな打撃を蒙るに違いない。

他者にせよ、<私>が~によって生きている始原的なものにせよ、それらは所有されえないものであった。だからレヴィナスには、所有の視点がないかといえば、そうではない。レヴィナスは「全体性と無限」のなかのかなり多くの部分を所有について費やし、所有が<私>つまり人間にとって持つ意味を考察している。

桑原武夫といえば高名なフランス文学者だったが、新井白石を非常に高く評価し、白石の文章のいくつかを現代語訳したり、「荒井白石の先駆性」という小文を書いたりしている。それらを通じて桑原が言いたかったことは、白石が名文家だったということらしい。桑原は言う、「従来の日本文学史家がこうした白石の作品を文学として十分に評価していないことは、まったく遺憾といわざるをえない」と。

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アッバス・キアロスタミの1999年の映画「風が吹くまま」は、イランの農村地帯における日常を淡々と描いたものである。例によって寡黙な映画なので、何が描かれているのか、なかなか明らかにならないのであるが、そのうち、この映画に出て来る連中はテレビ制作かなんかの目的で地方の村落迄やってきたのだが、その目的は、この村落で行われるユニークな葬式を取材することだとわかって来る。ところが葬式が出るために必要な死人がなかなか出ない。彼らは、今にも死にそうな老女がいると聞いてこの村落まではるばるやって来たのだが、その老女が意外と元気で、なかなか死ぬ気配がないのだ。そこでやってきたスタッフたちは、とりあえず老女が死ぬのを待つことにするのだが、待ちくたびれてスタッフは解散し、監督が途方にくれているところに、やっと老女が死ぬというわけなのである。そんなシニカルな筋書きに沿って、このテレビ映画監督の目に映った村落の日常が淡々と描かれていくわけである。

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妙心寺雑華院所蔵の「古木猿猴図」は、前出の「竹林猿猴図屏風」と同様、牧谿の猿の図柄に強く影響された作品である。こちらのほうが完成度が高い。牧谿の模倣を脱して、等伯独自の境地から、猿を描いたためだろう。その完成度の高さは、場面の躍動感となって表れている。

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エレクティオン神殿は、パルテノン神殿完成後に建築された。やはり、アクロポリスに立っていた古い神殿を除却して、新たに建築されたものである。全体がイオニア様式でまとめられている。この時代の神殿の建築様式には、ドリス式、イオニア式、コリントス式の三つの様式があった。ドリス式が一番シンプルで、コリントス式が最も新しく、また装飾的だった。

存在と意味

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西洋哲学の伝統においては、存在するものと存在することとは分けて考えられる。存在するあるものを存在者といい、その存在者が存在することを存在というわけである。存在するあるものは既に存在しているわけであるから、何故ならすでに存在していなければ存在者とは言われないからだが、その存在者とその存在者の存在とを分けて考えるのは意味がないようにも思われる。存在者において、存在する当のものとそのものの存在とは一致しているのではないか。そうだとすれば、存在者と存在とを分けて考えることに、どれほどの意味があるのか。

先日このブログで、ネタニアフが勝利した背景には、イスラエルのユダヤ人コミュニティが右傾化していることをあげた。その右傾化の実態について、雑誌「世界」の最近号(2019年6月号)に寄せた池田明史の小文が分析している。それによればイスラエルは、もはやネタニアフが穏健な中道に思えるほど、全体として右傾化が進んでいるということらしい。

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アッバス・キアロスタミの1997年の映画「桜桃の味」は、それ以前のキアロスタミ作品とは大分趣を異にしている。それまで子どもの世界やイラン地震の被災者たちを描いてきたキアロスタミがこの映画で取り上げたのは、自殺志望者の気持だ。人生に絶望した男が自殺をしたいのだが、自分一人ではうまくいくかどうか不安だ。それで自分の自殺を手伝ってくれて、綺麗な形で死んでいけるように協力してくれる人を捜し求める話なのだ。

四方山話の会五月例会には、清子が関西から出て来て演説をする段取りになっていたので、その際の参考に読んでおけと言って渡されていた原稿を持参して、早めに会場につき、皆が来ない間に読み終えて、清子が来るのを待ったのだった。清子の書いた原稿は三編からなり、あわせてA4用紙19枚分というボリュームで、日本の政治運動史の一コマについての清子なりの分析が施されていた

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「松林図屏風」を等伯は、息子久蔵と一門を連れて祥雲寺の障屏画を制作して間もない頃に描いた。日本の水墨画史上最高傑作の一つのとされるこの作品を等伯は息子の死の直後に描いたのだったが、この作品には等伯の息子を失った悲しみが込められているようである。

大江健三郎は、三島由紀夫に対して屈折した気持ちを持っていたようだ。三島は大江にとっては年長の作家として、デビュー当時は高く評価してくれたが、「個人的な体験」以降は、否定的になった。その理由は、文学論的には、大江の小説には私小説的な甘えがあるということだったが、それ以上に、大江の左翼的な言説が気に入らなかったためだと思われる。そうした三島からの否定的な評価について、大江はそれなりに屈折した気持ちを抱いたのではないか。

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ギリシャは、紀元前449年にペルシャとの長い戦争に最終的に勝って、アテネを中心にして、黄金時代というべき時期に入った。その時期のアテネをリードした政治家が、有名なペリクレスである。ペリクレスは、パルテノン神殿の再興など、美術の興隆にも貢献した。そうして花開いた美術を、クラシック様式の美術と呼んでいる。

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アッバス・キアロスタミの1994年の映画「オリーブの林をぬけて」は、「友だちのうちはどこ」に始まり、「そして人生はつづく」に続く、イランの片田舎コケルを舞台にした青春映画の第三作目だ。この映画でも、キアロスタミは現地の人々を俳優に起用し、イラン大地震でひどい目に遭った人々が懸命に生きるさまを描きだしている。

レヴィナスの思想の核心は、他者をすべての始まりに据えることにあり、その他者との関係を中心にして<私>を考えるところにあった。といってレヴィナスが、<私>の自存性を軽視しているというわけではない。「全体性と無限」の第二部は、もっぱら<私>の自存性の解明にあてられているのである。この個所は、第一部で他者の意義を強調したあとに置かれているので、他者との関係における<私>の分析かと思えば、そうではない。あくまでも、他者を考慮に入れない次元での<私>の分析なのである。その分析のトーンは、ハイデガーを強く意識したものになっている。ハイデガーが現存在の世界内存在としてのあり方を分析して見せたのに対して、レヴィナスは世界を享受する主体としての<私>の存在の仕方を分析して見せるのである。

岩波版日本思想体系新井白石編に、加藤周一が「新井白石の世界」と題する結構長文の解説を寄せている。バランスのとれた解説なので、とりあえず新井白石という人物のプロフィールを知るには適当な文章だと思う。

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アッバス・キアロスタミの1992年の映画「そして人生はつづく」は、1990年に起きたイラン大地震をテーマにしている。この大地震では三万人以上の人が死んだといわれるが、その被害を受けた地域に、映画「友たちのうちはどこ」の舞台になったコケルやポトシュの村も含まれていた。そこでその映画を監督したキアロスタミが、息子をつれて被災地を訪れ、かつて映画に出ていた人々の安否を知ろうとするところを、この映画は描いている。劇映画というわけではないが、完全なドキュメンタリー映画でもない。セミ・ドキュメンタリー映画とでもいうべきか。

かつて漢字が読めないことを、空気が読めないこととか解散のタイミングが読めないこととからめて、3Kが読めないと揶揄された総理大臣がいたが、空気や解散風はともかくとして、漢字が読めない総理大臣がもう一人いた。その総理大臣、ここでは某総理といっておくが、その某総理が、先日行われた前天皇の退位礼正殿の義の晴れ舞台で、国民を代表して、「天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられます事を・・・願っていません」と言ったそうだ。これは「已(や)みません」というべきところを、「已」という漢字の読み方がわからずに、「いません」と読んだようだ。その場面を、小生もテレビで見ていたが、当該の場面における某総理の態度には、どこか不自然な所が感じられた。おそらく漢字の読み方がわからなくて、ちょっとしたパニックに陥ったのかもしれない。

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智積院所蔵の障屏画のうち「楓図」と一対をなすといえる「桜図」は、長谷川等伯の息子久蔵の手になるものである。当時久蔵は満二十四歳という若さであり、その才能が大いに嘱目されたが、惜しいことにこの翌年に死んでしまった。

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デルフォイから出土したブロンズ像「デルフォイの馭者」は、「ポセイドン像」と並んで、厳格様式の傑作である。シシリアのギリシャ人植民都市ゲラの君主ポリザロスが、カルタゴ軍との戦いに勝利した記念に、デルフォイの神域に奉納したものである。ポセイドン像の奉納と同年のことだったと言われる。

存在と意識

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前稿で存在は精神によって基礎づけられると言った。精神は意識として現象する。だから存在がどのようにして基礎づけられ、構成されるかを詳しく知ろうとすれば、意識の働きに注目しなければならない、というのが西洋哲学の伝統的な考えだ。この伝統はそんなに古い歴史を持つわけではない。デカルトに遡るくらいだ。だがデカルトの「我思う故に我あり」のインパクトはあまりにも大きかった。以来西洋の哲学は意識をめぐって展開してきた。意識は、存在を中核としながらも、すべての哲学的な思考がそこで展開する舞台となってきたのである。

今年の統一地方選は、あいかわらず低投票率が目立った。前半の十一道府県知事選こそ47.72パーセントで、前回をかろうじて上まわったが、それでも五割に満たない。そのほかの、道府県義選や市長選、市議選の多くは過去最低だ。これには色々な要因があるだろうが、有権者にとって地方選が活力を感じさせないことが大きく影響しているのではないかとの指摘がある。

新しい元号令和が、時の総理大臣安倍晋三のイニシャティヴで作られたことは、いまや公然の事実だ。元号案の候補収集過程から決定に至るまで安倍晋三の強い意向が反映しているので、安倍晋三は令和という元号の生みの親のように、多くの国民から見なされている。元号は、時の天皇のおくり名となるものだから、その元号の生みの親ということは、天皇の名付け親というに等しい。だから安倍晋三は天皇の名付け親になれるか、という問題設定は正確ではない。ことの性質を踏まえれば、安倍晋三は天皇の名付け親にふさわしくなれるか、といったほうがよいだろう。

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アッバス・キアロスタミの1989年の映画「ホームワーク」は、前作「友だちのうちはどこ」の余韻を引きずっている。「友だち」では、宿題帳が大きなテーマになっていたが、イランの子どもたちが宿題にあれほどこだわる理由が、この「ホームワーク」というドキュメンタリー映画を見ると、よくわかる。この作品は、小さな子どもたちを相手に、学校での宿題について、インタビューをしている模様を、淡々と映し出すことからなっているのである。

昨日に続き今日も長津川へカルガモを見に行った。例のところに直行し、カルガモたちがいるかどうか水面をのぞいてみた。すると二組とも見えない。どこへいったかと思ってあたりを見回すと、大人のカルガモが五羽、一列になって泳いでいるのが見えた。これらのカルガモたちは、どういうつもりでこんなところを泳いでいるのだろうか、と不思議になる。昨年以前にここで生まれたヒナたちの一部なのだろうか。雌雄の区別はつかない。二組のカルガモたちの、母親の同胞かもしれない。その可能性は高い。姉妹が子を産んだのを、同胞として祝福しているのか。それにしてはその同胞たちと彼女らの子供たちの姿が見えない。

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智積院所蔵の祥雲寺の作品のうち「松に秋草図」は、もともと障壁画として制作されたものを、後に二曲一双の屏風に仕立てなおしたものだ。非常に鮮やかな彩色で保存されている。右隻の画面いっぱいに松の巨木を配し、その根方から左隻にかけて、さまざまな秋草を描いている。

大江健三郎には、権力への強い対抗意識、反権力意識ともいうべきものがある。それがもっとも鮮やかな形で表現されたのは、「万延元年のフットボール」であり、「洪水はわが魂に及び」であり、「同時代ゲーム」であった。「万延元年」の場合には、権力に対抗する一揆をテーマにしたわけだが、その一揆が現代に繰り返されると、それは喜劇的な性格を帯びざるをえなかった。「洪水」では、権力に対抗しようとした若者たちの試みは粉砕され、主人公は世界から自分が疎外されていることを確認せざるをえなかった。また「同時代ゲーム」においては、語り手は、あらゆる権力から解放されたユートピアを建設しようとして、ついにそれを果たせなかった。このように大江の小説で反権力が取り上げられるときは、それは挫折せざるをえない道行になるのではあるが、挫折のなかでも、どうして権力に対抗するのかという、その問題意識は徹底的に追及されている。大江は筋金入りの反権力主義者といってよい。

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一昨年から二年続けて、この季節の長津川でカルガモの親子を見かけた小生は、今年も見られることを期待して数日前から注目していたのだったが、一昨日に新しい親子を見かけてほっとした次第だった。そこで今日は天気もいいことだし、カメラを持って現場に出かけた。小さな水路が長津川の本流に合流するあたりだ。ここは水が浅いために、生まれたてのヒナにも安全な場所を提供してくれるとあって、毎年母カモがコガモを伴なって、我々人間にお目見えする場所になっている。

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紀元前六世紀末から同五世紀半ば頃までは、アルカイック美術からクラシック美術への過渡期として、厳格様式の時代とされている。この様式の特徴は、アルカイックの微笑が消えて、男女ともに、重々しい威厳を感じさせる作風になったことである。その威厳を以て厳格様式といったわけであろう。

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アッバス・キアロスタミの1987年の映画「友だちのうちはどこ」は、キアロスタミの出世作となった作品だが、同時に世界中にイラン映画の魅力を発信したものだった。この映画に続く三部作で、キアロスタミは世界映画界の巨匠の仲間入りを果たし、それに刺激させられる形で、多くのすぐれたイラン映画が作られるようになった。イランはいまや、世界の映画界をリードする国の一つである。

ユダヤ人に対する攻撃が世界中で激化している傾向について、イスラエルの研究者たちが憂慮を表明しているそうだ。テル・アヴィヴ大学の研究者たちによれば、昨年一年間で、世界中のユダヤ人を標的にした攻撃は400件にのぼり、前年より13パーセント増加した。そのうちの四分の一はアメリカでおきたもので、その中には昨年ピッツバーグのシナゴーグで11人の死者を出したテロも含まれている。こうしたユダヤ人攻撃は今年に入っても続き、先日はカリフォルニアのサンディエゴのシナゴーグが襲撃される事件が起こったばかりだ。

レヴィナスは真理と正義を一体のものとして論じる。これは一見して奇怪にうつる。西欧の哲学的伝統においては、真理とは認識論上の概念であり、正義とは倫理的あるいは政治的な概念であって、この二つが同じ土俵の上で論じられることはなかったからである。それをレヴィナスは同じ土俵に据えたうえで、しかも一体のものとして論じるのである。

新井白石は正徳二年(1712)すなわち将軍家宣が死んだ年の春から夏にかけて、侍講が終わるたびに、「本朝代々の沿革・古今の治乱」と題して、日本の歴史について進講した。「読史余論」は、その講義録というべきものである。序章に、「本朝天下の体勢、九変して武家の代になり、武家の代また五変して当代に及ぶ総論のこと」とあるように、清和天皇の代から始めて公家の政治の変遷を説き、引き続いて秀吉の代に至るまでの武家の政治の変遷を説いている。この間、公家の代九変のうち、六変以降の内容については、武家の代の五変と重なるが、歴史を語る視点が異なっている。すなわち六変以降の内容については公家の視点からこれを語り、五変については武家の視点から語っているわけである。

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1974年のイラン映画「トラベラー」は、アッバス・キアロスタミの長編第二作であるが、傑作「友だちの家はどこ」と同じようなテーマが扱われている。「友だち」の場合には、友だちの所在を求めて懸命になる少年を描いたのだったが、この映画は、本当のサッカー試合を見たいという少年の執念がテーマだ。その少年は自分の執念を実現するためには、なんでもする。執念の実現に拘ることこそが自分の生きがいなのだ。そのような少年は、今の日本のように、ある意味満ち足りた世界ではなかなか現れない。1970年代のイランのような、社会全体が貧しい環境だからこそ現われるのだろう。

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