2021年2月アーカイブ

差額地代をめぐるマルクスの議論は、リカードの地代論を踏まえたものだ。リカードの地代論の特徴は、地代の発生を土地の豊度の差に求めるというものだ。どういうことかというと、豊度の高い土地は、低い土地よりも当然多くの収穫をもたらす。その収穫の超過分が地代に転化するという考えである。その場合、すべての土地の基準となる土地が選ばれ、それとの対比によって地代の発生が説明される。基準となる土地は、すべての土地に対してゼロポイントとなるから、それ自体は地代を生じないというふうに仮定される。マルクスとしては、地代を伴なわない借地などはありえないから、リカードの仮定は現実味に欠けると批判するのであるが、当面はその批判を脇へ置いて、差額地代が、土地相互の収益量の相違から生まれるといふうに議論を展開するのである。

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「サマリア」では少女売春を、「うつせみ」では他人の家に勝手に住み着くヤドカリ人生を描いたキム・ギドクが、2012年の映画「嘆きのピエタ」では、消費者金融にからむあくどい取り立てをテーマに取り上げた。いずれも独特の社会的視点を感じさせるが、「嘆きのピエタ」もそうした社会的視線を強く感じさせる。この映画はヴェネツィアで金獅子賞を取ったが、韓国映画がいわゆる三大映画祭でグランプリをとるのはこれがはじめてのことだった。

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佐藤一斎像は、崋山の若い頃の肖像画を代表する作品。細緻な描写に努める一方、陰影を表現するなど、後年の肖像画の傑作に共通する特徴が見られる。

多和田葉子は都市めぐりが好きなようで、しかも世界中を股にかけて歩いているようだ。「百年の散歩」はそうした自分の趣味をエッセーふうにしたものだが、「容疑者の夜行列車」は小説の形で都市めぐりの醍醐味を楽しんでいる。タイトルにあるとおり、夜行列車で都市間の移動をしているのだが、そのタイトルに同じように含まれている「容疑者」という言葉が何を意味するのかよくわからない。この小説に出てくるのは容疑者ではなく、「あなた」と呼ばれる人なのだ。その「あなた」とは語り手の呼びかけの対象でもあり、また小説の主人公でもある。普通小説の主人公は三人称で呼ばれるか、それとも語り手自身であるか、そのどちらかなのだが、この小説の場合には二人称の「あなた」で呼ばれるのである。あまり例がないのではないか。

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近所の公園に植えられている緋寒桜が三日ほど前から満開になった。この桜は例年三月半ばごろに満開になるのだが、今年は二月のうちに満開になった。今年は二月になって暖かい日が続き、三日ほど前には五月半ばごろの陽気になったから、花芽が吃驚して咲きだしたのだった。

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「ダンテの小舟」の通称で知られるこの絵は、正式には「プレギュアスに導かれて地獄のディーテの都市の城壁を取り巻く沼を渡るダンテとヴェルギリウス」という。ダンテの「神曲地獄篇」に取材した作品だ。ドラクロアはこの絵を、若干24歳で制作し、その年のサロンに出展した。大変な話題になり、ドラクロアは一躍時の人になった。作品は現代美術館として開館したばかりのリュクサンブール美術館のために、政府によって買い上げられた。ドラクロアの輝かしい出世作であり、以後かれはフランスの美術界を代表する偉大な画家に上り詰めていく。

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キム・ギドクの2004年の映画「うつせみ」は、台詞がほとんどなく、したがって無言劇を思わせるような映画である。時折台詞が入ることはあるが、それは周辺的な人物の口から、物語の進行上必要な説明として発せられるだけで、主人公の男女は一貫して言葉を発しない。それでいて、巧妙なゼスチャーが、言葉以上に雄弁に語りかけてくる。実験性の強い作品と言える。

目下世間を騒がせている首相の長男がらみの官僚接待問題を、かつて世間を騒がせたノーパンしゃぶしゃぶ接待以来の過剰接待だとする見方が流行っている。ノーパンしゃぶしゃぶ接待というのは、平成10年に起きたもので、大蔵担当の銀行員が大蔵省の役人たちを過剰に接待していたというもの。ノーパンの女性がエスコトートしてくれるというもので、接待される側は皆鼻の下が伸びたばかりか、自分たちの首も寒くなったというものだった。この問題がきっかけになって、大蔵省は金融部門を切り離され、財務省と金融庁に分割された。

マルクスの地代論は、リカードの説を発展させたものだ。リカードの地代論は、マルクスのいう差額時代に限定しているが、マルクスはそれに加えて絶対地代の概念を導入する。絶対地代というのは、土地そのものが所有者に利潤をもたらすことを意味している。リカードの理論によれば、基準となる土地は地代を生まないのだが、資本主義的生産システムにおいては、地代を生まない土地、すなわちただで貸されるような土地はありえない。そんなことを土地所有者がするはずがないからだ。そうマルクスは言って、資本主義的生産システムにおける地代のあり方を、徹底的に議論するのである。

日露戦争は、日本とロシアの戦争であり中国は中立を保ったが、影響を受けないわけにはいかなかった。領土である満州が戦場になり、戦後はその満州に日本の侵略が及んでいくのである。日本は満州を植民地化したわけではないが、実質的に統治したうえ、満州を足がかりにして華北以南にも進出していく。その挙句に全面的な日中戦争に突入する。日露戦争は、そうした日本の対中政策の転機を画したのである。

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キム・ギドクの2004年の映画「サマリア」は、現代韓国社会の乱れた一面を描いている。テーマは女子高校生の売春と、娘の性行為を知った父親の苦悩というものだ。女子高生の売春は、援助交際という名称で、日本でも話題になったところだが、韓国でもそれなりに憂慮すべき事柄として捉えられているようだ。日本では、どんな形であれ売春は違法なので、それ自体が犯罪として検挙されるが、韓国では売春はかならずしも違法ではないという。女性を使役して売春させるのは違法だが、女性が自らの意志で売春するのは違法ではないらしい。この映画は、そうした韓国社会のルールを前提にして見ないと、わかりづらいところがある。

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渡辺崋山が肖像画を本格的に手掛けるのは天保時代に入ってからだが、若い頃にも、求められれば応じていたようだ。「坪内老大人像」は、安政元年(1818)、崋山二十五歳の時の作品である。これは一幅に仕立てあがった正本が存在するが、それよりこの稿本のほうが有名になっている。

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ウジェーヌ・ドラクロア(Eugène Delacroix 1798-1863)は、ロマン主義絵画の巨匠といわれている。そこでロマン主義絵画とはいかなるものかが問題となるが、あまり明確な定義がない。普通は新古典主義との対比において論じられるが、新古典主義の絵画が明確な形をとるのはフランスだけと言ってよいので、国際的な拡がりはもたない。一方文学の分野では、ロマン主義の運動は国際的な拡がりをもっていた。イギリスではバイロンやシェリーの詩がそれだし、ドイツではハイネが、またフランスではユーゴーがロマン主義運動の旗手といえる。絵画におけるロマン主義はそれの変形的なヴァリエーションと言えなくもない。

天台智顗は、法華経二八章を二分し、前半を迹門、後半を本門とし、それぞれをさらに序分、正宗分、流通分に細分して、全体を二経六段で構成されているとした。前半は「序品」から「安楽行品」まで、後半は「従地湧出品」から「普賢菩薩勧発品」までである。「従地湧出品」第十五は、本門全十四章の序文としての位置づけである。

資本主義以前の金融業をマルクスが高利資本と呼ぶのは、貸した金が利子を生むことに着目してのことである。資本主義的生産様式のもとでは、前貸しされた金は利子を生む。その利子は、労働者を搾取することで得られる剰余価値を源泉としている。そういう意味では、資本は資本主義的生産様式を前提としており、資本主義以前の金貸しに資本という言葉を適用するのは、厳密には相応しくないのであるが、マルクスはそこを棚上げして、利子を生む金を資本と定義し、資本主義以前における利子を生む金を高利資本と呼んだわけだ。もっと赤裸々な言葉で言えば、高利貸とか金貸し業者ということになる。そのほうが実態に合っていると言えよう。

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イ・チャンドンの2002年の映画「オアシス」は、ヴェネツィア映画祭で銀熊賞を受賞した。韓国映画としては、メジャーな国際映画祭で受賞するのは初めてのことだった。これ以後、韓国映画は頻繁に受賞を重ね、国際的に認知されていくわけだが、この映画はその嚆矢となった作品である。

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若い頃の崋山の絵には、中国風のものが多い。崋山の師匠金子金陵が清の画家沈南蘋の影響を強く受けていたというから、そのせいかもしれない。日本画は、時代時代で大陸絵画の影響を受けてきたものだ。崋山はやがて、西洋絵画の技法をも意識的に応用するようになるが、若い頃にはもっぱら大陸の絵画を模範にしていた。

において、約、九割、犠牲者の、ほとんど、いつも、地面に、横たわる者、としての、必死で持ち上げる、頭、見せ者にされて、である、攻撃の武器、あるいは、その先端、喉に刺さったまま、あるいは、

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フェリペ・プロスペロはフェリぺ四世とマリアナ王妃との間の長男として、1657年に生れたが、生来病弱で、四歳で亡くなった。この肖像画は、二歳のときのものである。

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イム・グオンテクの2002年の映画「酔画仙」は、李氏朝鮮末期に活躍した画家チャン・スンオプ(張承業)の生涯を描いた作品。チャン・スンオプは、朝鮮の絵画史を飾る大画家ということだ。孤児として育ち、まともな教育を受けなかったにかかわらず、歴史に残る大画家になったというので、韓国では人気のあるキャラクターだそうだ。そんなことからこの映画は、韓国では大ヒットになった。日本人にはその良さはなかなか伝わらないかもしれない。

資本論第三部第35章「貴金属と為替相場」は、国際収支と為替相場の関係について主に分析している。そこに貴金属が重要なファクターとして入って来るのは、当時の貨幣が貴金属と深く結び付いていたという事情のほか、国際貿易上の決済が、基本的に貴金属によってなされたという事情を踏まえている。貿易が入超になれば貴金属が流出し、したがって貨幣量も減少する。逆に出超になれば、逆の結果が起きる。当時のイギリスでは、中央銀行の貨幣発行額は金準備と連動していたからだ。ほかの先進資本主義国も、ほぼ同様な事情にあった。

日清戦争の結果、清国は日本に台湾の領有を認めた。日本としては初めて手にする植民地であり、帝国主義列強の一員になったあかしであった。一方清国すなわち中国としては、愛琿条約と北京条約によって、満州の北半分(ヤブロノイ・スタノボイ以南及びウスリー川以東)をロシアに略奪されて以来の領土の喪失だった。その後台湾は取り戻すことは出来たが、満州の北半分はロシアに領有されたままである。

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春香伝あるいは春香歌は、韓国の伝統芸能パンソリの人気演目で、18世紀頃から民衆に浸透し、20世にはたびたび映画化された。2000年にイム・グォンテクが映画化したものは、もっともよく作られており、カンヌではパルム・ドールにノミネートされたくらい質の高い作品である。

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渡辺崋山には、風俗をテーマにした作品もある。文政元年(1818年)の作品「一掃百態」は、その代表的なものだ。これは、鎌倉時代以降の古風俗および当世の風俗を描いたもので、いづれも軽快なタッチを感じさせる。崋山はその頃、行燈の張り紙に絵付けする内職をしていたが、その際に用いた軽快なタッチを、この作品にも生かしているという。

森嶋通夫は、イギリスと日本を比較しながら、日本社会の硬直性のようなものを指摘しつづけた。かれは80歳まで生きたが、死ぬ直前まで旺盛な執筆活動を行い、日本の未来を憂えてみせた。その森嶋が「なぜ日本は没落するか」というショッキングなタイトルで、未来の日本が直面するであろう悲惨な状態を予言して見せたのは、1999年、死ぬ四年ちょっと前のことである。これを読むと、森嶋の日本に対する深刻な危機意識が伝わってくる。

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ベラスケスは、マルガリータ王女の肖像画を数多く描いたが、それは婚約者レオポルド一世への成長報告として描かれたもの。「八歳のマルガリータ王女」は、その最後を飾る作品だ。

「安楽行品」第十四は、直前の「勧持品」とは一体の関係にある。「勧持品」では、授記された弟子たちが、菩薩として生きる決意を語るのであるが、「安楽行品」は釈迦仏が、菩薩としてのあり方を説諭するのである。どちらも、菩薩がもっとも依拠すべきは法華経だと説いている。「勧持品」は、菩薩の立場から法華経への忠誠を誓い、「安楽行品」は、釈迦仏の立場から法華経への勧めのようなものが説かれる。

資本論第三部第33章「信用制度のもとでの流通手段」は、貨幣と実体経済との関係について、主に論じている。今日影響力を発揮しているマネタリズムの見解では、貨幣は実体経済に強い影響を及ぼすとされているが、マルクスはそれとは正反対の見解を持っていた。貨幣の機能は流通手段とか支払い手段ということにあり、したがって実体経済を反映したものだ。実体経済が貨幣の量を決めるのであって、貨幣の量が実体経済を左右するわけではない、というのがマルクスの基本的な見解である。基本的というわけは、多少の偏差はありうると認めるからだ。

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イム・ギョンテクは韓国の溝口健二と呼ばれているそうだ。溝口健二には、日本映画の黎明期を代表した巨匠としての側面と、日本人の伝統的な心情をきめ細かく描いたという特徴を指摘できるが、イム・ギョンテクにも同じようなことがいえる。かれは韓国映画の黎明期を代表する監督と評価されており、その作風は韓国人の伝統的な心情をきめ細かく描くというものだ。

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渡辺崋山は幼い頃から絵が好きだった。また非常にうまかった。最初は自己流で描いていたが、十六歳の時に、儒学の師鷹見星阜のすすめで画家白川芝山に入門した。だがすぐに排斥された。付け届けがないという理由からである。崋山の家は貧しかったので、息子の授業料もまともに払えなかったのだろう。

「犬婿入り」は、芥川賞をとって多和田葉子の名を一躍有名にした作品ということらしい。それなりに強いインパクトを日本の文学界に与えたようだ。小生が読んでみての印象は、言葉の使い方が非常にユニークだということだ。谷崎のもっともユニークな小説「卍」の語り口を連想させる、非情に息の長い文章からなっている。句点(。)が少なく、長々とした文章が続く。谷崎ほど長くはないのは、さすがに今日の読者には重すぎるためだろう。谷崎は、その息の長い文章を、源氏物語を読むことで身につけたようだが、多和田の場合にも、源氏物語の影響が指摘できるのだろうか。

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今日「アラクネの寓話」として知られているこの絵は、20世紀の中頃までは「織女」として知られていた。王立のサンタ・イサベル織物工場での光景を描いたものとされていたのだ。ところが、20世紀中頃に、さる絵画収集家のカタログが見つかって、その中にこの絵を「アラクネの寓話」と記してあることがわかったのだ。

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マイク・リーの1996年の映画「秘密と嘘(Secrets & Lies)」は、現代イギリス人の家族関係の一面を描いた作品。この映画を見ると、イギリス人の家族は基本的に核家族であり、夫婦関係とか親子関係が非権威的だという印象を受ける。この映画にはもう一つ、人種問題というテーマがある。もし家族の一員に黒人が加わることになったら、イギリス人の家族はどう反応するか、それをこの映画は正面から描く。だから人種差別を考えさせる映画という言い方もできる。

貨幣資本と現実資本をめぐるマルクスの議論は、今風にいえば、金融と実体経済の関係論ということになろう。この議論においてマルクスが設定するのは次の二つの問題である。一つは、本来の貨幣資本の蓄積が、どの程度まで現実の資本蓄積の指標であるのか、もう一つは、貨幣逼迫すなわち貸付資本の欠乏は、どの程度まで現実資本(商品資本と生産資本)の欠乏を表わしているのか、ということである。ここで貨幣資本の「蓄積」と言っているのは、おおよそ貨幣資本の増加と同じ意味で使われている。

日清戦争で清国が敗北したことは、列強の清国蔑視を亢進させ、清国への侵略を加速させた。1900年をピークとする義和団事件は、列強の中国侵略を加速するうえでの口実として使われた。というのも、西太后ら清国の王室が義和団に味方して西洋諸国に敵対する行動をとったため、西洋列強は単に義和団を討伐するのみならず、義和団による混乱の責任を清国政府自体にも求め、過酷な要求をしたからである。

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「アンナ・カレーニナ」は、トルストイの最高傑作であるのみならず、近代小説の手本とも言われた。たびたび映画化されている。イギリス人監督ジョー・ライトが2012年に作った作品は七作目ということだ。凝った演出で話題になった。画面のシーンを演劇の舞台のように見せる工夫がなされているので、観客はスクリーンに映し出された舞台を見せられているような気持になれる。

白井聡は「永続敗戦論」を書いて、戦後日本の対米従属と東アジア諸国への傲慢さの根拠を解明し、それを日本が敗戦の事実を十分に清算出来ていないことに求めた。その結果いまだに永続敗戦レジームというべきものが日本を支配している。そのレジームの中で、対米従属と、したがって国家としての無責任体制が蔓延している。それは異常なことだ、というのが白井の見立てであった。

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渡辺崋山といえば、蛮社の獄で政治的な弾圧を受け、それがもとで自殺に追い込まれた不幸な学者として、また、日本の近代化の先駆者といったイメージが強い。たしかに崋山は、政治的な人間としての側面が強かったが、また画家としてもユニークな業績をあげた。崋山が自殺したのは天保十二年のことであり、日本はまだ本格的な開国への動きは見せていなかったが、崋山は諸外国の動きを、蘭学を通じて認識し、かれなりの危機意識をもっていた。その危機意識が蛮社の獄を招き寄せたのだといえる面もある。

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「ラス・メニーナス」と題したこの絵はベラスケスの最高傑作というべき作品だ。五歳になったマルガリータ王女が、沢山の従者に取り囲まれて、ポーズをとっているように見える。だがよく見ると、キャンバスの前でポーズをとっているのは、彼女ではなく、画面の手前にいる人だとわかる。彼女を含めて、絵の中の他の登場人物も、画面にはいない人たちを見ているのである。

「勧持品」第十三は、もともと「見宝塔品」第十一の直後に置かれていたものである。「見宝塔品」は、すべての仏の教えが法華経に集約されていることを教え、釈迦仏の滅後においても法華経を受持することの大切さを強調しながらも、それがいかに大きな困難をともなうかを力説していた。そうした困難を跳ね返しながら、法華経の教えを広め、衆生をさとりに導くのが菩薩の役割であると説かれる。

マルクスは、銀行資本の諸成分として、現金(金または銀行券)と有価証券をあげている。有価証券には、手形と公的有価証券・各種の株式がある。銀行にとってこれらは貨幣資本としての働きをする。この場合の貨幣資本とは、再生産過程の一要素としての、商品資本や生産資本と並ぶ貨幣資本ではなく、利潤を生みだすものとしての貨幣資本のことをいう。この場合、利潤は利子という形をとる。だから、銀行資本は利子生み資本の最たるものである。というより、銀行資本は利子生み資本そのものなのである。

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マイク・リーによる2004年のイギリス映画「ヴェラ・ドレイク(Vera Drake)」は、堕胎をテーマにした作品である。イギリスでは、堕胎は19世紀の半ばに法律により刑事犯罪とされ、1967年に「妊娠中絶法」が制定されて、一定の条件のもとで中絶が認められるまで、厳しく処罰された。この映画は、1950年ごろのイギリスを舞台にして、堕胎の行為によって裁かれた一人の初老の女性を描いたものである。

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(117景 湯しま天神坂上眺望)

湯島天神の歴史は古く、南北朝時代に遡る。京都の北野天満宮から勧請してきたものだ。祭神は学問の神菅原道真。亀戸天神とともに、受験の合格を祈願する学生達が絵馬を献上する姿が毎年見られる。

多和田葉子は、日本の大学を卒業後ドイツのハンブルグで就職し、以来ドイツで暮らして来たそうだ。要するに移民のようなものだろう。ドイツは他の国に先駆けて多くの移民を受け入れてきた。特にトルコからの移民が多かったようだ。それらの移民は、ドイツ社会の中で、ドイツ人がやりたがらない仕事に従事し、ドイツ人社会からは疎外されがちなところがある。トルコ系のドイツ人ファティ・アキンの映画を見ると、そうした陰湿な差別が如実に描かれていて、憂鬱な気分にさせられる。

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フェリペ四世の妃となったマリアナは、1651年の7月に16歳で女の子を産んだ。マルガリータ王女である。マルガリータは生まれながらに、母の実家オーストリアのハプスブルグ家の皇帝レオポルドに嫁がされることになっていた。そのハプスブルグ家への成長報告として、彼女の肖像画が多く作られた。

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1986年のイギリス映画「ミッション(The Mission)」は、18世紀半ばごろの南米を舞台にして、原住民を相手に布教を行なうイエズス会の活動をからめながら、スペイン、ポルトガルの植民政策を強く批判した作品である。わざわざ歴史的な実話と断っているほどだから、この映画の作者が、スペイン人とポルトガル人に強い批判意識をもっていることがうかがえる。

マルクスは信用を、まず貨幣の代替物として考える。貨幣の機能のうち支払い手段としての機能が独立して信用が成立したと考えるわけだ。信用は、いわば観念的な貨幣であるから、貨幣の現物態である貴金属の持つ制約を乗り越える。というのも、貴金属は自然の産物であるので、自然が本来抱えている制約がある。無限に産出されるわけにはいかないということとか、貨幣を媒介にした取引はバーチャルではありえず、リアルでなければならないといったものだ。信用が使えないところでは、ゲンナマがなければ何ごとも進まないのである。信用は、そうした壁を取っ払う。そのことで資本主義経済システムが、無制約に、爆発的に拡大する基盤となる。マルクスはとりあえず、そのように考えたのである。

日清戦争で日本が勝ったことは、清国の有識者たちに深刻な影響をもたらした。かれらは伝統的に日本を二流の国として見下し、自分たちこそが世界の中心だと思い込んでいたのだが、その傲慢な考えが打ち砕かれたのである。一方、西洋列強による侵略も加速している。このままでは亡国の憂き目に見舞われないとも限らない。そんな危機感が清国の有識者たちをとらえるようになったのである。その危機感は、中国の近代化への模索をうながし、その近代化のモデルとして、日本への関心が強まっていった。

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イギリスのBBCは2012年と2016年にわけて、シェイクスピアの一連の歴史劇をもとに七編のドラマを作り、「嘆きの王冠 ホロウ・クラウン」シリーズと題して放送した。また劇場用に作り直しもした。「リチャード三世」はその最後を飾る七編目の作品である。同名の歴史劇をほぼ忠実に映画化したものである。

過日小川洋子女史の小説「博士の愛した数式」を読んで以来、小生も数字とりわけ整数の性質について考えるようになった。頭の体操になるし、なかなか楽しいものだ。そんななかであることに気づいた。3の倍数の下二桁の数字を相互に入れ替えても3の倍数である、ということだ。

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(115景 高田の馬場)

高田馬場の名は越後高田にちなむ。高田藩主となった家康の六男忠輝の生母高田殿が、ここに庭園を開き、そこに家光が馬場を作らせ、馬術の練習所とした。そこから一帯の土地が高田馬場と呼ばれるようになった。

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フェリペ四世のこの胸像画は、ベラスケスによるフェリペ四世の最期の肖像画である。フェリペ四世は、「フラガのフェリペ四世」を描かせたのを最後に、九年間もベラスケスに自分の肖像画を描かせなかった。あまりにもリアルな作風が、王としての威厳をそこなって見せていると、不満を感じたからだともいわれている。しかし、ベラスケスがその後も、王の最側近として仕えたことからすれば、王がベラスケスに強い不満を持ったとは考えにくい。

「提婆達多品」第十二は、法華経が全二十七章として成立した後、かなりな年を経て追加されたものである。法華経本体の成立は二世紀の頃、提婆達多品が追加されたのは天台智顗の頃だと思われるから、四百年ほどの時間差がある。そのため、この章を法華経本体に含めるべきではないという意見もあり、また偽経ではないかとの疑問も出た。確かに、そんな疑問を抱かせるようなところがある。お経の様式が法華経本体のそれとは違っているし、盛られている内容もユニークなものだ。

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