2021年7月アーカイブ

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これも蝦蟇・鉄拐両仙人をモチーフにした作品。先述の「蝦蟇・鉄拐図」とはまた違った印象の作品である。とくに蝦蟇仙人の描き方がユニークだ。先の蝦蟇仙人は、地上の蝦蟇蛙に話しかけていたが、この蝦蟇仙人は、頭の上に蝦蟇蛙を乗せている。

「妄想気分」は、小川洋子の何冊目かのエッセー集である。同時代の日本人作家としてよく比較される多和田洋子が、ごくわずかなエッセー集しか出していないのに対して、小川は結構な数のエッセー集を出している。その全部に目を通したわけではないので、彼女のエッセー集の傾向をわかっているわけではないが、この「妄想気分」は、自分の創作態度とか自作への言及が多く、また自分自身を回想する文章も多かったりして、いわば自分を語る本という体裁である。

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1860年代の後半以降、コローはリューマチを患うようになって、屋外での写生が困難となり、アトリエで人物画を手がけることが多くなった。「真珠の女(Femme à la perle)」と呼ばれるこの作品は、コローの人物画の代表作である。

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劉浩(リウ・ハオ)の2004年の映画「ようこそ、羊さま(好大一対羊)」は、中国の貧しい農村の人々の生き方を描いた作品である。2004年といえば、改革解放の恩恵は内陸部の農村地帯には及んでいないと見え、とにかくすさまじいほどの貧困振りがうかがえる映画だ。人々は貧困な上に、因習的でしかも無知である。だからといって、必ずしも不幸なわけではない。人々自身が自分を不幸とは思っていないのである。そんな人々の生き方を、叙情たっぷりに描いたこの映画は、実にほのぼのとした気分にさせてくれる不思議な映画である。

笑いについてのベルグソンの説は、かれの主要思想である純粋持続とどのような関係にあるのか。ベルグソンは笑いを、基本的には社会的なものだと定義する。人間というものは社会的な生き物だから、他の人間を無視しては生きられない。社会は個人に対して一定の態度を求める。それは明確な規範という形をとることもあれば、暗黙の期待という形をとることもある。どちらにしても個人はそうした社会の要請に応えなければならない。だから個人がその要請に反したことをすると、社会は何らかの形で制裁を加える。笑いはそうした制裁の洗練されたものだ、というのが笑いについてのベルグソンの定義である。

日中両国は、海によって隔てられているとはいえ、隣国同士としての長い関係を持ってきた。もっとも国家間の公式な関係は意外と少ない。日本が国家として積極的に中国と付き合ったのは、聖徳太子の時代から平安時代の前期100年ほどまでのほぼ300年のことで、菅原道真のときに遣唐使の派遣が停止されてからは、日本が国家として公式に中国の政府に接近することはほとんどなかった。足利義満が日本国王を名乗って中国の王朝にコンタクトしたのは、例外的なことである。徳川時代には、両国間の民間貿易は黙認というかたちで許されたが、幕府が正式に外交の窓口を開くことはなかった。

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陳凱歌の1996年の映画「花の影(風月)」は、辛亥革命前後における中国の伝統的支配層の退廃的な生活を描いたものである。その頃の中国人の多くがアヘン中毒におかされていた。この映画は、そうしたアヘン中毒患者たちの糜爛した生活ぶりを、犯罪組織の暗躍をからめながら描いている。

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曽我蕭白には、双幅の唐獅子図があるが、この「獅子虎図」は唐獅子に虎を組み合わせたもの。唐獅子は口を開いた阿行の姿、虎の方はなにやら情けない表情をしている。「唐獅子図」の獅子達はどちらも情けない表情をしていたが、これは虎が一身にそれを体現している。

小川洋子が「心と響き合う読書案内」の中で藤原ていの「流れる星は生きている」を取り上げ、絶賛に近い褒め方をしていたので、小生も読んで見る気になった次第だ。小川がこの本を読み返す気になったのは、小説「博士の愛した数式」の取材のために数学者の藤原正彦と対話を重ねたことが直接の機縁だったそうだ。「流れる星は生きている」に出てくる藤原ていの次男正彦ちゃんが、今自分の目の前にいる人だと思い重ねたという。それで、小川の「流れる星」の読み方は大分違ったものになったようだ。

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これは「マントの橋(Le pont de Mantes)」を描いた作品。セーヌ川にかかるこの石造りの中世風の橋を、コローは大変気にいり、十数点もの作品が残されている。コローは、若い頃イタリアに旅した折、古代の面影を残す風景に心を奪われ、「ナルニの橋」などを描いているが、そうした古代趣味が、マントの風景によってかき立てられたようである。

日本の禅

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日本の禅は、栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を導入・布教したことから始まる。栄西は比叡山で天台宗を学び、二度にわたって宋に留学した。最初の留学は、密教理解の深化が目的で、禅についてはそれほど力を入れていない。二度目の留学の際に、臨済宗を研究・修行し、それを日本で布教した。臨済宗は、南宗禅系統の禅で、当時の中国では禅の主流であった。

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ココシリとは、チベット北部から青海省南部にわたる大高原地帯。チベットカモシカが生息している。その毛皮が高価で売れるというので密猟が激しく、百万頭もあった個体数が一時一万頭程度にまで減少した。それに危機感を抱いた現地の有志達が、パトロール部隊を編成して取り締まりにあたったが、組織的な武力を背景にした密旅者を根絶することはできず、かえって殺害されるケースがあとを断たなかった。2004年の中国映画「ココシリ(可可西里)」は、そんなパトロール部隊と密旅者たちとのせめぎあいを、ドキュメンタリータッチで描いたものだ。監督は陸川。

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「仙人図屏風」は「群仙図屏風」同様、中国の伝説的な仙人をモチーフにしたものだが、描かれた仙人たちには異同がある。一方、西王母はどちらにも取り上げられている。西王母は、不老不死の薬草を持つ神仙とされ、民衆の信仰が厚かったので、仙人がモチーフの作品には不可欠だったようだ。

「心と響き合う読書案内」は、小川洋子がFMラジオで話した読書案内を一冊にまとめたものである。40篇の小説を、それぞれ四季に沿った形で分類・配列している。それらを読むと、彼女の本を選ぶ基準とか、読み方がよく伝わってくる。

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マントは、パリの西50キロほどにあるセーヌ川沿いの小さな町である。コローはしばしばここを訪れ、風景を写生した。なかでも大聖堂と中世の石の橋が気に入り、繰り返し描いている。

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2014年の中国映画「薄氷の殺人(白日焰火)」は、巧妙な殺人事件の謎を追うサスペンス映画である。どうという特徴もないのだが、ベルリンの金熊賞をとった。主演の刑事崩れを演じた廖凡の、一風変わったウェットさが受けたのだろう。

ベルグソンは、無意識を哲学の主要なテーマとして持ち込んだ最初の西洋人ではないか。東洋では、無意識の問題は馴染みの深いものだった。大乗仏教の唯識哲学などは無意識を正面からとりあげているし、同じくインド思想から生まれたヴェーダンタ哲学なども、無意識を重視していると井筒俊彦は指摘している。井筒によれば、イスラム教シーア派の神秘思想やユダヤ教の神秘思想などにも無意識を重視する流れはあるようだ。小生は、ベルグソンの無意識をめぐる思想は、フロイドのそれと並んで、ユダヤ教の神秘主義思想あたりに根源があると見当をつけている。

2010年に中国は日本を抜いて世界第二の経済大国になった。そのことは中国人のプライドを高めた。中国は長い間西洋諸国によって抑圧され、二流国の扱いを受けてきたが、いまはかつての世界大国としての面目を取り戻しつつある、そのような意識が多くの中国人を捉えた。その意識に支えられたナショナリズムは、日本との間に、ややもすれば敵対的な関係を作り出した。2010年9月に起きた中国漁船の尖閣諸島周辺海域における海上保安庁巡視船への衝突事件は、そうした対立を激化させるものだった。

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王全安は、「トゥヤーの結婚」ではモンゴル人の夫婦愛を描いたが、この「再会の食卓」では、中国人の夫婦愛を描いている。それを見ると、日本人の夫婦愛とはかなり異なるので、小生などは戸惑ってしまったくらいだ。もっともそれは、小生のごく個人的な反応に過ぎないのもしれないが。

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「月下狸図」は異様に細長い画面に描かれている。上部に月を配し、下部にその月を眺め上げる狸を配している。中間に挟まれた部分には、「てる月にうかれたぬきの はらうてばなおもかなでて あそぶかはほり」という狂歌が書かれている。

西洋史学者の堀米庸三が書いた「正統と異端」を、キリスト教神学者の森本あんりは、「出版後半世紀以上を経た今もなお光輝を失わない古典的な名著である」と言って、絶賛している。小生もこの本を読んだ記憶があるが、詳しいことは忘れてしまった。そこで改めて読んでみた次第である。

進退をかけて名古屋場所に臨んだ横綱白鵬がみごとに全勝優勝を果たした。そのこと自体はすばらしいことであり、祝福されてしかるべきだろう。だが、手放しというわけにはいかない。そう感じたのは小生のみではあるまい。横綱の相撲としては、あまりにも情けない内容の取り組みが目立った。たとえば、土俵際まで下がって立ち合いに臨んだり、肘うちや張り手といった姑息ともとれる試合ぶりが目立った。それを横綱らしくないといって非難する人が多かったが、たしかに横綱らしくない態度だといわねばなるまい。

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コローは、1850年代を通じて、コロー色と言われる銀灰色を背景に使った叙情的な風景画を描き続けたが、1864年の作品「モルトフォンテーヌの思い出(Souvenir de Mortefontaine)」はその集大作というべきもの。コローの代表作の一つに数えられる。

中国の禅は、唐の時代の前期、紀元7世紀の後半から8世紀のはじめ頃にかけて、北宗禅と南宗禅の対立を経て、南宗禅が主流となり、9世紀の中ごろに臨済が全盛に導いた。臨済の禅の特徴は、理論よりも実践を重んじることだったが、そういう実践優位の姿勢は、時代が下るにしたがって次第に強まった。それと同時に、生真面目なものになっていった、というのが柳田や梅原の見立てである。臨済録を読むと、ユーモアというか、心の余裕が感じられるが、その後の碧巌録や無門関はユーモアがなくなり、まじめ一辺倒になっていったというのである。

雑誌「世界」の最近号(2021年8月号)が、「サピエンス減少」と題して、地球規模での人口減少について特集を組んでいる。それを読むと、地球規模での人口減少をマイナス・イメージで捉える見方と、プラス・イメージで捉える見方とに分裂している。

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王小帥の2008年の映画「我らが愛にゆれる時(左右)」は、現代中国人の家族関係を描いたものだ。家族関係といっても色々な側面があるが、この映画が描いているのは親子の関係である。難病にかかった子どもを救うために、母親がある決断をするのだが、それがあまりにも常軌を逸しているように見えるので、よほど開明的な人物でも深い違和感を感じざるをえない。

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曽我蕭白といえば、ぞんざいさを感じさせる作品が多いという印象が強いが、一方で、繊細な技術を感じさせる作品もある。この「蓮鷺図」などは、そうした繊細な水墨画の代表的なものだ。蕭白はすでに若い頃に「林和靖図屏風」のような高度な水墨画テクニックを駆使した作品を作っていたが、この「蓮鷺図」も比較的若い頃の作品と思われる。

タイトルにある「小箱」とは、死んだ子どもたちの思い出が詰まった箱のことである。ただ思い出だけではない、死んだ子どもたちはそこで生き続けているのだ。無論、死んでしまっているわけだから、現実の生命を生きているわけではない。かれらが生きているのは、かれらの親であったり、親族であったり、かれらと深いかかわりをもった人々の心の中である。この小説は、そんな、死んだものと生きているものとの、心のつながりをテーマにした作品なのである。

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1851年のサロンに、コローは「バッカス祭」と題した作品を発表。これは後に「朝、ニンフの踊り(Une matinée : la danse des nymphes)」と改題され、国家に買い上げされた。そのことがきっかけで、コローは大画家としての名声を確立する。

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王全安の2006年の映画「トゥヤーの結婚(图雅的婚事)」は、中国映画ではあるが、モンゴル人の家族関係を描いたものである。内蒙古も中国の一部であるから、そこに住んでいるモンゴル人も、少数民族として、中国人には違いないが、その生活様式は全く違っている。だから、普通の中国映画とは、かなり異なった印象を与える。

ベルグソンは、人間の精神の本質的なあり方を純粋持続としての時間性に求めた。ベルグソンはその思想を、学位論文「時間と自由」において展開したわけであるが、「物質と精神」において、更に徹底的な考察を加えた。その考察を通じて、時間というものが人間にとって持つ本質的な意義を明らかにしたのである。

西村大臣が、政府のコロナ対策に非協力的な飲食店に対して酒類の販売をやめるよう酒販売業界に指示したところ、販売協会は大いに反発し、その撤回を求めた。その勢いがあまりにも強烈だったので、さすがの西村大臣も撤回に追い込まれた。それと並行して西村大臣は、銀行業界に対しても同趣旨の指示を出したが、これも大きな反発に直面して撤回を迫られた。

鄧小平のあとをついだ形で中国の指導者になった江沢民は、日本に対して強い批判意識をもっていた。その批判意識が日本国民の前に強く示されたのは、1998年に国賓として日本を訪問したときだった。かれを主賓に迎えた宮中晩餐会の様子はテレビ放映されたのであるが、その場でかれは、子どもに説教するような調子で日本人への説教を繰り返したのであった。それを見た日本人は、これまで何度も謝罪してきたにもかかわらず、宮中晩餐会のような厳かな場で、なおも謝罪を要求する中国指導者に辟易させられたものである。

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2005年の中国映画「孔雀 我が家の風景」は、副題にあるとおり、中国人の家族関係を描いたものだ。中国人の家族関係のパターンは、小生はよく知らないのだが、エマニュエル・トッドの家族関係論が一つの参考になるので、それを紹介したい。トッドによれば、日本の家族関係は父親を頂点にした垂直的な関係で、兄弟のなかでも明確な序列があり、長男が家の財産を相続する。こういう家族類型をトッドは権威主義的家族と言っている。それに対して中国人の家族は、父親が権威をもつことは日本と同じだが、兄弟は平等で、横の連携は弱い。一人ひとりが父親と直接つながっている。したがって父親が死ぬと、家族はバラバラに解体する確率が高い。これをトッドは共同体家族と言っている。

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曽我蕭白には達磨図がいくつか残っている。一番有名なのは伊勢の安養寺に伝わるものだが、この一幅もそれに劣らず迫力がある。

正統と異端の問題は、西洋の神学ではおなじみのテーマなので、キリスト教神学者である森本あんりにとっては、専門分野に属する事柄だといえる。しかし森本がこの本「異端の時代」で取り組んでいるのは、単なる宗教上の問題ではなく、広く社会的な問題としての正統と異端である。そうした問題を森本が取り上げたのは、トランプの登場に象徴される異端の普遍化といった事態だ。森本はアメリカの歴史の底流としての「反知性主義」に深い関心を持っており、トランプもその反知性主義の嫡出子だと捉えるわけだが、その反知性主義が今日では、全体に対する批判というにとどまらず、全体を僭称するようになっている。いわば現代的な意味での全体主義をトランプが体現していると言うのである。そこに森本は民主的な社会にとっての危機を感じ、「正統と異端」という古くて新しい問題を、森本なりの視点から取り上げたということらしい。

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東京八王子市にある村内美術館は、バルビゾン派の作品を集めていることで有名だ。コローの作品としては、この「少年と山羊(Garçon et chèvre)」及び「ヴィル・ダヴレーのカバスュ」がある。

「仏教の思想」シリーズ第七巻は、「無の探求<中国禅>」と銘打って、中国禅を取り上げている。担当は、当時の禅研究の第一人者柳田聖山と哲学研究家の梅原猛。柳田が「禅思想の成立」と題して、中国禅の歴史的展開とその思想的な特徴の概観を示し、梅原が「絶対自由の哲学」と題して、中国禅の哲学的な分析を行っている。そのかたわら二人の対談を通じて中国禅の特色を掘り下げるといった具合だ。

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張芸謀の2000年の映画「至福の時(幸福時光)」は、莫言の同名の短編小説を映画化したものだが、非常に単純な筋なので、莫言を意識せずに、虚心坦懐に見たほうがよい。莫言といえば、壮大な文学世界を想起するので、つい身構えがちになるが、この作品は、どんな身構えも意味を持たないくらい、わかりやすい。

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「山水図」双幅は「月夜山水図屏風」と並んで蕭白山水図の傑作。これは縦長ということもあり、前景と背景との間の遠近感の演出に工夫が見られる。前景部分では墨を濃く塗り、形態を明確に描いているのに対して、背景や中景の部分では、墨を抑え気味あるいは薄く塗って、遠近感が強調されるように工夫されている。

小川洋子の小説「ことり」は、文字通り小鳥に魅せられた男の生涯を描いた話だ。小川には、何かに魅せられた人間をモチーフにした一連の作品がある。「博士の愛した数式」は、数字特に整数に魅せられた人たちの話だし、「ミーナの行進」は、マッチ箱に見せられた少女の話だし、「猫を抱いて象と泳ぐ」は、チェスに魅せられた少年の話だった。そうした、何かに魅せられた人間には独特の輝きがあると、小川は考えているようだ。これらの小説には、劇的な要素はほとんどない。ただ単に、主人公たちの至極単調な生き方を淡々と描いているに過ぎない。そんな生き方に果たしてどれほどの意義があるのかと思えるほどだ。しかし、人間は意義のために生きているのではない。人間が生きているのは、自分がたまたまこの世界に生を受けたからだ。生を受けたからには、それを精一杯生き抜くことが人間として大事なことではないか。どうもそんな、ある種諦観のような、それも非常に静かな諦観のようなものが、小川のこれら一連の小説からは伝わってくるのである。

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コローはサロンで評価されることを重視していて、ほぼ毎年サロンに出展した。だがなかなか高い評価を受けることはなかった。出展作の大部分は風景画であり、なかでもフォンテーヌブローの森を描いたものが多かった。「フォンテーヌブローの森(Forêt de Fontainebleau)」と題したこの作品は、1846年のサロンに出展され、みごと入選した。

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田壮壮は、1993年に作った「青い凧」が毛沢東時代の中国を否定的に描いたことで権力の怒りをかい、当分の間、映画製作を禁止された。2002年の作品「春の惑い(小城之春)」は、その禁止がとけて最初に作った映画だ。テーマは欲求不満の人妻の不倫である。権力としては、不倫もあまり都合のよいテーマではないが、権力批判に比べればましだとして、見逃したようである。

ベルグソンが「時間と自由」の中で展開して見せたのは、精神と物質をめぐるデカルト的な二元論を20世紀に復活させるものだった。物質は延長によって特徴付けられる、それに対して精神は非延長的なものであって、その本質は持続としての時間にある。延長すなわち空間的なものと、持続すなわち時間的なものとは全く異なった原理に立っている。だから混同すべきではない。ところが大多数の人々は両者を混同している。それも時間を空間化するという形で。その結果奇妙なことが沢山起きる。エレア派のゼノンが提出した詭弁はその最たるものだ。そういう錯誤を避けるためには、精神と物質とを、全く異なったものとして峻別せねばならない、というのが「時間と自由」という著作の基本的内容だった。

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田壮壮は、陳凱歌や張芸謀と同じく、いわゆる第五世代に属する映画作家だが、政治的な傾向が強く、共産党政権に批判的な映画を作ったりして、不遇をかこったこともある。かれの代表作「青い凧(藍風箏)」は、1950年代から60年代にかけてのいわゆる毛沢東時代を、批判的な視点から描いた作品。共産党の怒りをかって、以後十年間映画製作を禁じられたという、いわくつきの映画だ。

1989年6月の天安門事件は、中国の改革開放政策の影響と、ソ連・東欧における民主化の動きとが相乗的に作用して起きたものだった。後に鄧小平がこの事件を回想して次のように言っているとおりだ。「この風波は国際的な大気候(和平演変、社会主義体制の平和的転覆)と国内的な小気候(ブルジョワ民主化)によってもたらされ・・・党と社会主義を転覆させ、完全に西側に隷属したブルジョワ共和国を実現しようとしたものであり、遅かれ早かれやって来るものだった」(天児慧「中華人民共和国史」から引用)

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大津市の近江神宮に伝わる「月夜山水図屏風」は、京都の久昌院に伝わる「山水図」とともに、蕭白山水図の代表作というべきものだ。蕭白の山水図の特徴は、やたらと細部にこだわることで、そのためゴチャゴチャとした印象を与えもするのだが、その分ユニークさを主張している。

2016年に刊行された西山隆行の著作「移民大国アメリカ」は、トランプの移民排斥の主張に強く刺激されて書いたということだが、その二年後に刊行された貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」もやはり、トランプの主張に刺激されているようだ。移民をどう見るかについては、肯定、否定色々な見方があるが、いづれにしても今日のアメリカが移民なしで成り立たなかったことは明らかだ。移民と言ってもさまざまな背景や、受け入れ方の相違がある。白人の受け入れはおおむね好意を以てなされたが、アジア系の移民はひどい差別待遇を受けてきた。この本はそんなアジア系の人々の立場からアメリカの移民の歴史を振り返ろうとするものである。

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ヴィル・ダヴレーはパリ近郊の村。コローが21歳のとき、父親がこの地に別荘をたてたので、コローはこの別荘に頻繁に滞在して、多くの風景画を描いた。「ヴィル・ダヴレーのカバスュ邸(Maison Cabassud à Ville d'Avray)」は、1935年から40年にかけて製作したもので、数多くあるヴィル・ダヴレーもののなかでも傑作というべきものである。

「仏教の思想」シリーズ第二巻「存在の分析<アビダルマ>」の第二章は、担当著者の桜部建、上山春平に加え、仏教学者の服部正明を加えて、「インド思想とアビダルマ」という題のもとで、アビダルマの宗教史的な位置づけ、即ちアビダルマの伝統的なインド思想との関係とか大乗仏教との関係などについて解明する。

安倍晋三元総理が、五輪開催へのさまざまな批判にいらだつあまり、「反日的な人が五輪開催に強く反対している」と言って、五輪開催への批判者を反日分子であるかのように攻撃したと伝えられた。これについては、日頃の安倍晋三の本音がそのまま出たものであり、多くの人々が早速その出鱈目ぶりを非難しているので、小生がそれ以上言うこともないのだが、ただ、こうした安倍晋三の態度に、「我はすなわち国家なり」といった幼稚な尊大さを改めて感じたので、一言しておきたい気分になった。

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原田眞人の2015年の映画「日本のいちばん長い日」は、半藤一利の同名の小説を映画化したもの。この小説は1967年にも岡本喜八によって映画化されている。1945年8月15日の敗戦の日を中心にして、陸軍内部の徹底抗戦分子が、敗戦の決定に抵抗してクーデターを起した。その様子をドキュメンタリー風に描いた作品だった。ドキュメンタリー風にと言うわけは、小説にしてはちょっとだらけたところがあり、かといってドキュメンタリーとしても中途半端なところがあるということだ。

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曽我蕭白は中国の伝説上の仙人が好きで、数多く描いているが、なかでも蝦蟇仙人と鉄拐仙人は繰り返し描いている。これはその一つ。双幅の作品で、右側に蝦蟇仙人、左側に鉄拐仙人を配し、丁度向き合うようにしている。

「猫を抱いて象と泳ぐ」は、チェスに見せられた少年の物語である。小川洋子は小説の中にフェティッシュな対象を持ち込むのが好きだと見え、代表作といわれる「博士の愛した数式」は数字がそのフェティシュの役割を果たしていた。小川はフェティッシュを持ち込むについては、徹底的なこだわりを見せており、対象についての深い理解を示している。「博士の愛した数式」を書くについては、数学者の藤原正彦から整数の性質についてのレッスンを受けているほどだ。この「猫を抱いて象と泳ぐ」を書くに当たっては、チェスのルールに関する知識はもとより、広くチェスにまつわる逸話なども徹底的に読んだようだ。

元ブッシュ政権の国防長官としてアメリカの対イラク侵略戦争を主導したラムズフェルドが死んだ。そこで日本のメディアを含め各国のメディアが論評を出しているが、ほとんどが否定的な評価を下している。事実に基づかず、勝手な思い込みで外国を侵略したあげく、その国つまりイラクを破滅的な混沌に追いやったというような評価だ。そうした論評の中には、ラムズフェルドの人間性を疑うものもある。ラムズフェルドは自分の犯した行為の意味を理解できず、したがって反省することもなかった。だから彼は、いわば、「気違いに刃物」ということわざを体現するような男だ、ととりあえず日本人ならそう言うところだろう。気違いは自分の行為に責任を負うことはないから、何でも好き勝手なことができる。だからその気違いに因縁をつけられたイラクは、天災に見舞われたと思うほかはないだろうというわけである。

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コローは、1834年に二度目のイタリア旅行をした。その際には、各地の美術館を訪ねて、精力的に美術作品を見て回ったようだ。フィレンツェのウフィチ美術館にも足しげく通ったことだろう。特別の友好関係を築いたようだ。それは、コローの晩年に、自画像を寄贈してくれるよう館側から依頼があったことに現われている。

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伊藤俊也の1998年の映画「プライド 運命の瞬間」は、東京裁判結審五十周年を記念して作られた。東京裁判を日本側の視点から描いた映画といえば、小林正樹が1983年に作ったドキュメンタリー作品が有名だ。小林の映画は、それまで日本人の間にわだかまっていた東京裁判の正統性への疑問を、裁判全体を追跡することを通じて明らかにしようとしたものだった。伊藤のこの映画は、更に一歩進んで、日本側には裁かれる理由はなく、それを裁こうとする連合国は、法的な根拠をもたない単なる私刑を行ったというようなメッセージを色濃く発している。時代の流れがそうさせたのであろう。この映画では、日本側を代表する東条は英雄に近いような人間像に描かれ、裁く側を代表するキーナン検事はまるで道化のような描かれ方である。

ベルグソンの著作「時間と自由」第三章は、自由についての議論である。自由はとりあえずは意思決定の自由という形をとるが、その自由をどう捉えるかは、自然や人間の精神活動についての考え方を背景にしている。ベルグソンはその考え方を、機械論と力動論とに分ける。機械論というのは、自然や人間の精神活動はある一定の法則によって支配されていると見るもので、したがって人間の意志には自由な決定の余地はないとみなしがちである。それに対して力動論は、自然や人間の精神活動には法則にしばられない部分があり、したがって自由な意思決定の余地が残されていると考える。しかしその力動論といえども、法則性を無視するわけではない。

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