2021年9月アーカイブ

夢についてのベルグソンの議論は、20世紀初頭における心理学や精神医学の状況を踏まえたものになっており、その点で科学的な外皮をまとっているが、かなり独特の特徴を持ってもいる。夢の精神医学的な解明という分野では、フロイトが有名であり、かれが「夢判断」を刊行したのは1900年のことである。ベルグソンはその翌年に夢についての講演を心理学協会において行っており、その記録が「精神のエネルギー」の中に収録されている。その両者を比較すると、夢を無意識が表面化したものとする点では共通しているが、フロイトがそれを無意識の願望(特に性的な)と結び付けたのに対して、ベルグソンは願望にとどまらず、もっと広い範囲の無意識な記憶内容が表面化したものだとする点で異なっている。

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ルキノ・ヴィスコンティの1965年の映画「熊座の淡き星影(Vaghe stelle dell'orsa)」は、姉弟の近親相姦をテーマにした映画である。実際にそうした近親相姦が行われたのかは明示されていない。またその姉弟が画面のなかで近親相姦を犯すこともない。だから思わせぶりに作られているのだが、観客はそこに近親相姦の糜爛的な雰囲気を実感するのである。

フォーディズムとかテーラー・システムと呼ばれるものは、大量生産時代を迎えた20世紀初頭に、アメリカで生まれた「科学的」経営管理法をいう。基本的には、労働者を合理的・効率的に働かせ、最大限の労働力を引き出すことを目的とする。要するに人間を、生身の生きものとしてではなく、労働力の体現したものと捉え、その労働力をできるだけ多く絞り出すために考案されたものと言ってよい。それが「科学的」という言葉を冠しているのは、人間を科学技術的な操作の対象として、目的合理的に捉えているからだ。

横綱白鵬が引退した。先場所45回目の優勝を果たし、今場所は部屋のコロナ騒ぎで休場していた。だから負けが込んで、追い詰められて引退ということではなく、膝のけがはかなり深刻だったようだが、いちおう余力を残したうえでの引退だった。そういう点では、潔いといえる。

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土佐又平とは、徳川時代初期の大和絵画師岩佐又兵衛のこと。岩佐又兵衛はかならずしも土佐派に分類されないが、土佐派は徳川時代初期の大和絵を代表していたので、そのように呼ばれたのかもしれない。

「天皇の昭和史」(新日本新書)は、日本近代史学者の藤原彰と、かれが指導した弟子三人の共作である。弟子の中には吉田裕も含まれている。藤原は天皇制への批判とともに昭和天皇個人に対しても厳しい批判を行ったことで有名である。その藤原が中心となって、昭和の侵略戦争や戦後の日本の反動政治に昭和天皇が積極的にかかわっていたことを、詳細な資料をもとに解明している。これを読むと、昭和天皇が、普通思われているような立憲制を重んじるタイプの支配者ではなく、かなり専制的なタイプの支配者だったというふうに思わされる。いずれにしても、藤原らの昭和天皇への見方は、全否定といってよいものである。だから、日本の天皇制になにがしかの意義を認めているものにとっては、この著作は噴飯ものだろう。だが、いい加減なことが書かれているわけではない。かれらの言うことには詳細な資料の裏付けがあるので、その資料をもとに議論することが大事なことだろう。

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晩年のミレーは、画家として有名になり、絵も売れるようになったので、生活はだいぶ楽になった。画風も、明るい画面が多くなり、印象派を予想するようなものになった。パステルや水彩を用いた絵を多く描き、また屋外で作業を完結させるのではなく、写生のスケッチをもとにアトリエで完成させるようになった。

「仏教の思想」シリーズ最終巻(第十二巻)は、「永遠のいのち」と題して日蓮を取り上げる。担当は、仏教学者の紀野一義と哲学研究者の梅原猛である。このシリーズでは、仏教学者が当該テーマについて、思想を体系的に語り、哲学研究者が多少文学的に、仏教者の人間像について語るという役割分担であったが、この最終巻においては、紀野が日蓮の人間像を余すところなく語りつくしたので、梅原のほうが日蓮の思想を語るというはめになったという。

若年層を中心にテレビ離れが進んでいるそうだ。NHK放送文化研究所の最新(2020年)の調査によれば、平日に15分以上テレビを見た人は、10~15歳で56パーセント、16~19歳で47パーセント、20代で51パーセントという。この数字からは、若い世代の半数がテレビを見る習慣をもたないことが読み取れる。小生の感覚では、一日に15分ぐらいでは、テレビを見たことにはならないと思うので、若者のテレビ離れはこの数字が示す以上に深刻といえそうである。

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ルキノ・ヴィスコンティの1957年の映画「白夜(Le notti bianche)」は、ドストエフスキーの同名の短編小説を映画化したもの。この小説を小生は昔読んだことがあり、詳しい内容は忘れてしまったが、たしか女に惚れやすい男はバカを見るといった内容で、ある種の警告を込めたものだったというふうに覚えている。女に惚れやすい男は、要するにお人よし過ぎるのであるが、ドストエフスキーにはそうしたお人よしな面があったので、これはドストエフスキーの自戒のための作品だと受け取ったものだ。

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「会稽清趣図」と呼ばれるこの絵は、書聖王羲之が鵞鳥を愛したという故事に取材した作品。その故事を、「蘭亭序」で名高い会稽山にかけたもの。王羲之が会稽山の麓で、宴会を楽しむかわりに鵞鳥と戯れているというわけである。

桐野夏生の小説「東京島」は、戦後実際に起きた無人島集団生活事件をもとにしたということだ。もっとも小説の中では、そのことには触れられていない。あくまでも、ある集団が無人島に孤立して生活するとどういうことになるか、というような、いわば抽象的な問題設定から描かれている。そういう意味では、サバイバル小説と言ってよい。サバイバル小説の古典としては、有名な「ロビンソン・クルーソー」の話がある。クルーソーは個人のサバイバルをテーマにしていたが、この小説では、集団のサバイバルがテーマだ。その集団は、当然出身国の文化を背負っているので、かれらのサバイバルには文化的な色彩がまとわりついている。だから勢い、文化批判的な内容に傾きがちである。

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1864年のサロンに出展した「羊飼いの少女(Bergère avec son troupeau)」は、非常に好意的な反響を受けて、一等賞になった。コローの傑作「モルト・フォンテーヌ」を押さえての優勝だった。この作品によってミレーの名声はいやましに高まり、国民的画家と呼ばれるようにもなった。

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ルキノ・ヴィスコンティの1954年の映画「夏の嵐(Senso)」は、イタリア女の奔放な性愛を描いた作品。イタリア女は、フランス女に劣らず好色で、自分の性欲を追及するためにはすべてを犠牲にするほどと言われるが、そうしたイタリア女の破滅的な性愛を、オペラ的な雰囲気たっぷりに歌い上げた映画である。

ベルグソンは国際的な心霊研究団体の会長を勤めたことがあるらしく、1913年にロンドンで行われた心霊研究協会での会長としての講演記録が、「生者の幻と心霊研究」と題して、「精神のエネルギー」に収録されている。

「国民は、自宅で見殺しにされようとしている」と大書した二面打ち抜きの新聞広告を、出版社の宝島社が、読売、朝日、日経の三紙に掲載した。画面右上には「緊急事態」とあり、薄汚れたぬいぐるみのクマが仰向けに転がったそばに、コロナウィルスと思われる不気味な物質が忍び寄っている。

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ルキノ・ヴィスコンティの1948年の映画「揺れる大地(La terra trema: episodio del mare)」は、イタリア、ネオ・レアリズモの傑作と言われる作品。シチリア島の漁師たちの厳しい生活を描いている。貴族であるヴィスコンティが労働者の暮らしを取りあげたのは、その頃かれが共産党員だったこととかかわりがある。かれは共産党の後援のもとにこの映画を製作したといわれる。

「実践の哲学」という言葉をグラムシは、ほぼマルクス主義哲学と同義語として使っている。それには、獄中ノートへの官憲の検閲をほばかったからだとする見方もあるが、もっと本質的な理由は、レーニンを含めたマルクス主義思想の主流派と目されるものが、人間の認識を反映論によって説明し、その主体的な側面を軽視していることへの批判だと思われる。グラムシは人間の認識における主体的で実践的な側面を重視し、単なる客観主義ではなく、主観と客観とを深い相互関係において捉えようとした。そういう彼の基本的な態度が、マルクスの哲学を「実践の哲学」として位置づけなおすことにつながったといえよう。

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葛僊とは、神仙術の書として有名な「抱朴子」の著者葛洪のこと(僊は、仙人というような意味である)。葛洪は、日頃不老不死の術について研究していたが、不老不死の薬金丹を作るために、羅浮山に家を作って移り住んだ。その移居の様子は古来格好の画題とされ、多くの作品が作られてきた。鉄斎のこの作品もその一環に加わるものである。

失敗の本質

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「失敗の本質」は、副題にあるとおり日本軍の組織論的研究をめざしたものだが、これが出た時にはちょっとした反響を呼んだ。それまで日本軍は負け戦の責任を一身に背負って、大多数の日本人の怨嗟の的となり、まともに相手にされることはなかった。戦争の個々の部分について肯定的な見方をするものはいたが、トータルとしては、あの戦争は負け戦を宿命づけられていたのであり、その責任のほとんどは日本軍が負うべきものとされた。そんなわけだから、日本軍はまじめな研究の対象にはならなかった。ところがこの本は、日本軍はたしかに負けたとはいえ、その行動には、半面教師的なものも含めて教訓とすべきものがないとはいえない。とりわけ企業の経営者にとっては、組織を動かしていくという視点から、学ぶべき点が多い、と主張した。それが当時、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられていい気になっていた日本人に、新鮮に映ったのだろうと思う。小生自身は、これが出た時には読む気にもならなかったが、最近昭和の軍事史に興味を持つようになって、この本の存在を改めて知り、読んでみようという気になった次第だ。

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ミレーは、1860年に画商ステヴァンスと契約を結び、絵も売れるようになって、ようやく生活が安定してきた。だが、画風は以前どおりで、農民の暮らしぶりや田園の風景を描き続けた。金持ちの肖像を描くようなことはしなかった。

法然と親鸞

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仏教の思想シリーズ第十巻「絶望と歓喜」における著者対談のテーマは法然と親鸞の比較である。この二人の関係についての著者たちの見方は、増谷は連続性を重視し、梅原は断絶を重視したと言ったが、ここでは両者の比較が中心となるので、おのずから差異が意識的に論じられる。その差異を通じて、浄土宗と浄土真宗の相違も浮かび上がってくるようになっている。

米英豪の三カ国が新たな防衛協力AUKUSを結び、その目玉政策として米英が豪に原潜の技術供与(原潜の売却を含む)をすることになった。それに伴い、豪はフランスとの間に結んでいた原潜購入契約を一方的に破棄した。これにフランスが激怒し、米豪から大使を呼び戻す事態に及び、今回の米豪の措置は世界の安全保障に深刻な影響を及ぼすと警告した。

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2017年の韓国映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」は、1980年5月に起きた光州事件をテーマにした作品。光州事件とは、朴正熙の暗殺、全斗煥による権力掌握、金大中逮捕と戒厳令施行などを背景に、韓国南部全羅南道の中心都市光州で起きた民主化運動を、全斗煥政権が武力によって弾圧した事件で、光州市民に多くの死傷者を出した。一説には、650人にのぼる死者・行方不明者を含め8000人近くの死傷者を出したといわれる。済州島事件と並んで、戦後の韓国史に汚点を残す権力による国民虐殺事件であった。

自民党の総裁選挙が告示された。四人の候補者が出揃って、マスメディアをはじめ日本中が大騒ぎになっている。この騒ぎが絶大な演出効果を発揮して、国民の関心は自民党に集中している感があり、そのことで野党の諸君はすっかり埋没するありさまである。一時は菅不人気で大ピンチに陥った自民党が、みごとに国民の注目の的となった。さすがに伝統ある自民党だ。

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鉄斎の梅華図双幅は、右隻が「寒月照梅華図」、左隻が「梅華満開夜図」という。どちらも梅花をモチーフにしたもので、右隻は専ら墨で描き、左隻は墨を基調にして、抑え気味の色彩を施している。墨は実に表情に富んでおり、まるで多くの顔料が混ざり合ったかのような、ある種の色彩感を感じさせる。

桐野夏生の小説は、複数の視点を絡ませながら、物語を立体的に展開するという特徴がある。いまでも小説の普通の書き方は、ある一定の(つまり語り手を含めた一人物の)視点から描くというものだが、桐野の場合には、登場人物の幾人かにそれぞれ別途に語らせ、その間に微妙な差異を持ち込みながら、全体としてつじつまのあうような物語にまとめあげる。このような複数の視点を小説に持ち込んだのは、とりあえずはフォークナーだったわけだが、それ以前ドストエフスキーが試みていた。ドストエフスキーの小説の手法は、さまざまな登場人物に勝手なことを言わせるというもので、それをバフチンはポリフォニーと呼んだ。桐野の小説、とくに「グロテスク」には、そのフォリフォニーの要素が強い。ポリフォニーによって構成された小説あるいは小説のポリフォニックな構成と言ってもよい。

トランプの最後の日々に、米軍のトップが踏み出した行動が大きなセンセーションを巻き起こしている。統合参謀本部長のマーク・ミリー将軍が、全米軍に対して、中国への核攻撃を命ずるトランプの命令には、自分の介入なしには一切従うな、と指令していたというのだ。これはワシントンポストへの寄稿者ウッドワードが近いうちに出版する本の中で明らかにしたことだが、その報道が伝わると早速大騒ぎとなった。まず当のトランプが怒りを爆発させ、いまは自分でやれることはないので、共和党の議員達に対して、ミリーを訴追して、反逆罪で裁けと喚きたてた。

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「晩鐘(L'Angélus)」は、ボストンの美術収集家アップルトンの注文を受けて制作した。アップルトンは宗教的な雰囲気を込めるように言ったらしいが、かれはプロテスタントなので、精神的なものを求めたようだ。そこでミレーは、祈りという単純な行為を以て、その精神性を表現しようとしたのだと思う。この絵からは、庶民の敬虔な信仰心が伝わってくるのである。

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2010年のタイ映画「ブンミおじさんの森」は、タイ映画としてははじめてパルム・ドールをとり、タイ映画を国際的に注目させた作品だ。それまでタイを描いた映画としては、ミュージカル映画「王様と私」がある程度で、その中のタイはエクゾチックではあるが野蛮な国民性として描かれていた。「ブンミおじさんの森」は、タイ人自身によって作られたタイ映画であって、タイを肯定的に描いている。

雑誌「中央公論」の最新号(2021年10月号)が、「台湾有事と中国包囲網」と銘打って中国脅威論をあおる文章を掲載している。その中に現職防衛大臣岸信夫へのインタビューがある。それを読むと、中国の脅威は日中戦争の一歩手前まで来ているというような錯覚をもたされる。その責任はひとえに中国側にあり、日本はそんな中国との全面対決に向けて、オールジャパンで、つまり国をあげて備える必要があるといった差し迫った焦燥感が伝わってくる。

ベルグソンはデカルト主義を20世紀に再興した哲学者である。ここでデカルト主義と言っているのは心身二元論のことだ。デカルトは、物質としての身体と自我の意識としての精神をそれぞれ独立した実体だとしたうえで、相互の関係について思索をめぐらしたわけだが、うまく説明できる原理が見出せなかった。デカルトの後継者たちも、うまい説明ができたとはいえない。唯一スピノザは、精神も物質も実体などではなく属性だと言って、この二つを対立させるのはナンセンスだと言ったのだったが、それは問題を棚上げしたに過ぎない。かれは精神と物質を唯一の実体としての神の属性だとすることで、心身二元論を解消したように見せかけたのだったが、説明するのに神を持ち出すのは、説明を放棄しているにひとしい。

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2014年のカンボジア映画「シアター・プノンペン」は、クメール・ルージュによる大虐殺がカンボジア国民の心に残した傷をテーマにした作品。1970年代半ばに生じたこの大量虐殺によって、カンボジア国民の四人に一人が殺されたとされる。当然、生き残った国民には深い心の傷を残したはずで、この映画はそれをとりあげた。結構大きな反響を呼んだ。

マルクスは国家を、基本的には階級支配の道具と考える。だから、プロレタリア革命を経て階級が廃絶されれば、国家は死滅するものと考えた。これに対してグラムシは、国家は単なる道具ではなく、社会が成立するための基盤であると考えていたようだ。だからグラムシは、社会主義国家という言葉を多用する一方、国家の死滅というようなことは言わなかった。グラムシは、社会主義革命を通じての社会の抜本的変革は、一朝一夕でなされるものではなく、気の遠くなるような長い時間を要すると考えていた。そうした長い時間において、プロレタリアートがヘゲモニーを確保するためには、国家を積極的に活用するほかはない。無政府主義者のように、国家を無視しては、政治はなりたたないのである。

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「寒霞渓図」は、「富士遠望図」とともに六曲一双の図屏風を構成する。これはその左隻にあたる。寒霞渓とは、小豆島にある神懸山の渓谷のことで、その優美な眺めを賞されて寒霞渓と言われるようになった。鉄斎は、前年の明治三十七年に、息子の謙蔵をともなって小豆島に遊んでおり、その折の印象をもとにこれを製作した。

中塚明は朝鮮史の専門家で、その立場から司馬遼太郎の歴史観を批判したのがこの本だ。中塚の司馬批判の要点は二つある。一つは、朝鮮は自力では近代化ができず、遅かれ早かれ外国の植民地になる運命にあった、一方日本にとって朝鮮は地政学的な価値が大きいので、それが外国とくにロシアのものになると、国防上ゆゆしきことになる。だから日本が朝鮮を領有することには合理的な理由があったとする司馬の主張への批判だ。二つ目は、明治の日本を理想化し、それを暗黒の昭和と対比させながら、明治時代は若々しくてすばらしい時代だったと称えることへの批判である。こうした司馬の歴史観を批判しながら、日本の国家としての欺瞞性をあばきだすというのがこの本の目論見である。つまりこの本は、司馬批判を通じて、近代日本そのものを批判しているわけである。

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「落穂ひろい(Des glaneuses)」は1857年のサロンに出展された。「晩鐘」と並ぶミレーの代表作である。この頃ミレーはひどい貧窮の中にあった。自殺まで考えたというから、だいぶ困っていたのだろう。子沢山のうえ、二人の弟の面倒まで引き受ける一方、画商との間にトラブルがあって、作品の代金を得ることができなかったためである。

梅原猛が親鸞を、その生き方と思想の両面から考察しているのは、増谷文雄と同じである。ただその視点は梅原らしくユニークだ。増谷はオーソドックスなやり方で親鸞の生涯を振り返り、それを踏まえて著作活動の展開や、そこに盛られた親鸞の思想を追っていくという方法をとっている。それに対して梅原は、親鸞の生き様を聖徳太子と関連付け、親鸞の思想については、「歎異抄」や晩年の著作ではなく、関東時代の「教行信証」をもとに考察している。切り口が狭いのである。

東京五輪の総コストは当初の見込み七千数百億円を大きく上回り、三兆円を超える巨額な規模になりそうだ。一方無観客試合になったことなどもあって、収入は見込みを下回り、巨額の赤字を記録しそうだ。その負担をめぐって、国、都、大会組織委員会との間でさや当てが始まっているそうだ。都は、新型コロナ対策などで財政は火の車、という理由で、国に負担を求めているそうだが、これは都が負担するのが筋だろう。

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トラン・アン・ユンはベトナム人だが、その彼が村上春樹の有名な小説「ノルウェーの森」を日本映画として作った。村上と五年がかりで交渉して映画化権を得たプロデューサーが、ベトナム人のトラン・アン・ユンにメガホンをゆだねた形だ。どういう事情からかはわからない。村上自身はその映画に満足の意を示したということらしいから、彼の起用は成功したということになる。興業的にも成功した。

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富岡鉄斎は、六十歳過ぎまでなにかと多忙だった。各地の神社の神官を勤めたり、美術教育にあたったりで、画業に専念できなかった。もっとも鉄斎自身、己を職業的な画家とは思っておらず、絵を描くのはあくまでも文人の余技であった。それでも世間の評判は高かった。正式な展覧会に出展しないにかかわらず、かれの作品は珍重されたのである。

桐野夏生には、実在した人物や実際に起きた事件をヒントにして作品を構成する傾向がある。「グロテスク」は、1997年に起きた「東電OL殺人事件」をヒントにしたようだ。だが、桐野自身は、「この作品はフィクションであり、実在する個人、団体とはいっさい関係ありません」と断っている。そのへんは、実在した作家林芙美子を本名のまま登場させた「ナニカアル」とは異なった扱い方になっている。じっさいこの事件は、いまだ解決しておらず、したがって容疑者として逮捕されたネパール人は冤罪だということになっている。そんな事件であるから、それをあたかも事実であったように書くことは、いくら桐野でもできなかっただろう。にもかかわらず、この事件を小説のヒントとして使ったのはどういうわけか。おそらく桐野はこの事件に、人間の業のようなものを感じたのではないか。桐野がこの小説で描いているのは、人間の業なのである。


菅首相が昨夜のコロナ延長についての記者会見に臨み、自身の進退問題に触れたうえで、自分なりに功績を誇って見せ、「未来へ道筋を示せた」と胸を張った。だが、首相のその言葉を素直に受け止める人はいないだろう。ほとんどの人は菅首相を、憲政史上最も無能な首相であり、かれのやったことは、コロナを放置して国民の命を危険にさらしたことだと思っているに違いない。そのかれが首相の座を降りると公言したいまでは、もはや死に体同然であり、いわゆるレームダックの状態に陥っていると誰もが思っているはずだ。

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1855年のサロンは、同年に開催された万国博に吸収される形で行われた。そこにミレーは、三点の作品を出展し、うち「接ぎ木をする人(Le greffeur)」が入選した。この作品は、評価は高かったが売れなかった。当時のミレーは生活に困窮していたので、是非売りたかったのである。

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トラン・アン・ユンの2000年の映画「夏至」は、現代ベトナム人の生き方を描いたものだ。これといったストーリーはない。三人の姉妹の、それぞれの生き方が情緒豊かに描かれている。といっても、この映画を通じてどれほどベトナム人を理解できるかは、別の問題だろう。ベトナムといえば、フランスによる植民地支配を戦争を通じて脱却したあと、対米戦争を経て社会主義国になったといういきさつがあるが、そうした歴史的な背景は一切触れられていない。ごく普通の国の、ごく普通の人々を、ごく普通の観点から描いている。

雑誌「世界」の最新号(2021年10月号)に、ジーナリスト西山太吉の「『NHK』に問う」という小文が載っていたのを興味深く読んだ。これはNHKが「渡辺恒雄独占告白」と銘打って、最近二度にわたって放送した番組を批判したものだ。渡辺恒雄は「ナベツネ」の略称で知られ、日本のメディア界に巨大な影響力をもつ。その限りで、NHKが特集番組を組むのはおかしなことではないが、それにしても、合わせて四時間に及ぶ放送内容は、ナベツネ個人崇拝といってもよいもので、公共放送をうたっているNHKとしては、きわめて異例だというのが西山の批評の眼目だ。

「精神のエネルギー」は、1919年に刊行されたベルグソンの論文集で、ベルグソンが折に触れて発表した論文を集めたものである。これは原型では二分冊になっており、一冊目が「心理学と哲学の特定の問題」を取り扱い、二冊目が哲学の「方法」について取り扱っている。このうち「「精神のエネルギー」と題して日本語(レグルス文庫)に訳されているのは一冊目である。

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「青いパパイアの香り」は、日本で始めて公開されるベトナム映画とあって、小生もものめずらしさから、神田の岩波ホールまで見に行ったものである。しっとりとした画面がなかなか印象的だったことを覚えている。四半世紀ぶりに見たところ、記憶の中身と違っているところがあったりしたが、それなりに面白かった。

機動戦といい陣地戦といい、もともとは軍事用語である。機動戦とは短期決戦を目的とした正面攻撃をさし、陣地戦は長期的な戦いのために陣営をととのえることを意味する。これらの軍事的な用語を、グラムシは社会変革を説明するものとして活用した。グラムシのイメージでは、機動戦とはフランス革命に見られたような、ある階級つまりブルジョワジーが、短期間で敵対階級に正面攻撃をしかけ、成功裏に権力を奪取した事態を想定するいる。無論権力奪取に失敗することも考えられる。その場合には失敗した機動戦という言葉があてられるであろう。一方陣地戦とは、戦線が膠着し、局面の抜本的な打開が期待できない状況のなかで、陣営を優位を保つために、継続的になされる戦闘準備行為というようなイメージで語られる。グラムシは、フランス革命後1870年代までのヨーロッパを俯瞰して、革命時の機動戦ののち、1815年以降は長い陣地戦の時代に入ったと考えていた。

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富岡鉄斎は、蝦夷地(北海道)に強い関心を持っていたようで、蝦夷の地図類なども所有していた。それを明治六年(1873)に、日本国地誌と合わせて政府に献上した。そのことで翌1874年に、政府から感謝状を送られた。その年に鉄斎は、北海道へ旅行している。

「司馬史観」の名で知られている作家司馬遼太郎の日本近代をめぐる歴史観は、圧倒的な数の日本人に深い影響を与えてきた。小生は戦後まもなく生まれたいわゆる団塊の世代に属するものだが、学生時代の仲間たちと会うと、司馬史観がよく話題になる。メンバーの誰もが司馬史観に疑問をもっていない。司馬にやや距離を置いている小生などが司馬を批判しようものなら、ほかの連中から総攻撃を食らいそうな勢いだから、あえて司馬の悪口は言わないようにしている。ことほどさように、司馬は多くの日本人を呪縛しているといえる。

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1853年のサロンにミレーは「休息する刈り入れ人(Moissonneurs au repos Ruth et Boaz)」を出展して入賞する。その直前に母が亡くなり、ミレーは八年ぶりに故郷の家に戻った。その際にミレーは、田園地帯の多くのスケッチを描いたが、この絵の図柄もそのスケッチにもとづいているのではないか。ミレーはまた、母の死を契機に、妻のカトリーヌを正式に入籍した。カトリーヌはミレーのために、実に9人の子を生んでくれたのだった。

「仏教の思想」シリーズ第十巻は、「絶望と歓喜<親鸞>」と題して、親鸞を取り上げている。担当は、このシリーズの第一巻を担当した増谷文雄と梅原猛のコンビ。梅原はこのシリーズのコーディネーターだが、仏教では浄土系、仏教者では親鸞をとくに畏敬しているらしく、かれとしてはとりわけ気合が入っている。

先日、自衛隊によるアフガン在留日本人とアフガン人協力者の救出について、たった一人の日本人しか救出できなかったことをめぐって、小生は「自衛隊は子供の使いか」と言って、日本の対応のお粗末さを批判したところだ。その後、詳細が明らかになるにつれて、この思いは一段と強まった。

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「二人大名」は、一応大名狂言に分類されているが、ここに出てくるのは、およそ大名らしくない者どもである。それでも見栄だけは張っていて、通りすがりのものをその見栄に付き合わせようとするが、かえってその者からこけにされて、さんざんな目に合うというものだ。

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ブリランテ・メンドーサは、「ローサは密告された」で警察の腐敗を描き、鋭い社会的な視線を感じさせたものだ。「キナタイ マニラ・アンダーグラウンド」は2009年の作品で、「ローサ」より七年前に作ったものだが、これもやはり警察の腐敗をテーマにしている。警察はやくざまがいのビジネスをするばかりか、殺人も平然と行う。それを見ると、フィリピンの警察組織がいかに腐敗しているかよくわかる。

菅首相が突然総裁選への不出馬を表明したことで、世間は大騒ぎになっている。なにしろ異様な権力欲で知られる菅首相が、自分から政権からの退場を表明したとあって、背景や直接の理由について、ゴシップ屋どもがあれこれ推測しているが、ここではそれについて立ち入ることは差し控えたい。とりあえず、菅政権によって深刻な命の危険にさらされていた日本国民にとって、当面の恐怖から解放されるメドがたったことを喜びたい。

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富岡鉄斎は、明治二十六年(1893)に京都市美術学校教員となり、翌年には京都市展覧会絵画部審査部長となった。その年に描いた「天窟神楽図」は、大和絵風の作品である。大津市にある戸隠神社のために描いた。戸隠神社は、天岩戸神話で活躍するアメノタジカラオノミコトを祭神とする。

「柔らかな頬」は、桐野夏生に直木賞をもたらした作品である。桐野自身は、これに先立って発表した「OUT」で受賞することを期待していたらしいが、それがかなわなかったのは、反社会的・反道徳的なところが忌避されたからだろうと推測している。たしかに平凡な主婦たちが殺人を犯し、あまつさえ死体をバラバラに解体するというのはショッキングだし、しかもその死体解剖をビジネスとするに至っては、いくら想像の世界のことではあっても、やりすぎだと思われるのも無理はない。

米テキサス州議会が、堕胎を実質的に違法化する法律を制定したことについて、連邦最高裁が合憲の判断をした。同じような動きは南部を中心とした各州にもあるので、今後全米的な規模で、堕胎の非合法化が進む可能性が強い。

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ミレーは1850年のサロンに「種まく人(Le Semeur)」を出展した。大きな反響を呼び、賛否両論が入り乱れた。プラスに評価する人は、民衆の生活を芸術のテーマとしたことを称え、マイナスに評価する人は、野卑だとか俗物的だとかいって非難した。どちらも立場にたっていても、この作品が絵画の歴史に一時代を画することを認めざるをえなかった。こんなふうにあけすけに、庶民の暮らしぶりに焦点を当てた作品は、ミレー以前にはなかったといってよいからだ。

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2016年のフィリピン映画「ローサは密告された」は、現代フィリピン社会の闇を描いた作品。現代のフィリピン社会には多くの不条理が蔓延しているといわれるが、この映画が取り上げるのは、麻薬の蔓延と権力の腐敗である。どちらもドゥテルテ政権と深いかかわりがあるので、この映画は、痛烈なドゥテルテ批判ということができる。そんな映画がフィリピンで作られたということは、ある意味すさまじいことだ。

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NHKが定例の番組で能「恋重荷」を放送した。老人の失恋をテーマにしたものだ。身分の低い、しかも老人が身分の高い女性に恋をして、失恋するというのは、いかにも能らしい話で、現実味の高い文芸ではあまり例を見ないだろう。一応世阿弥の作品ということになっているが、世阿弥はすでに存在していた「綾の太鼓」という曲をもとにこれを作ったという。同じような内容の能に「綾鼓」があり、これは作者不明だが、やはり「綾の太鼓」を原作としていると考えられる。「綾鼓」は、自分を悩ませた女を徹底的に責めさいなむのに対して、この「恋重荷」は、死んだ老人の幽霊が恨み言を述べたのちに、女の守護神になることを約束するという趣向になっている。

ベルグソンは、思考を映画の仕掛けに喩えることが好きで、随所で持ち出している。映画の仕掛けというのは、固定した(不動の)映像をつなげて映し出すことによって、動きを演出するものだ。動いているものが不動のものの組み合わせから生まれるというこの仕掛けは、思考に似ている。思考もまた、現象を不動の部分に切り分けたうえで、それらを組み合わせることで連続的な動きを認識する。その不動のものは、とりあえずは現象の一断面だが、それが抽象化されて概念に高まっていることもある。いずれにしても人間の思考は、動きをそのものとしてありのままに受け入れることは苦手で、不動のものの組み合わせとして認識する点で映画の仕掛けと似ているのである。

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2016年のフィリピン映画「立ち去った女」は、フィリピン映画としてはじめて、世界三大映画祭のグランプリ(ヴェネツィアの金獅子賞)をとった作品。四時間近い長編だが、監督のラヴ・ディアスはこれを超える長編映画を幾つも作っており、長編作品が得意ということらしい。

ヘゲモニーは政治的な指揮権の確立をめぐる概念である。ある集団がほかの集団に対して支配的な力を行使する事態を意味する。これをロシアの社会主義者たちが、階級対立に適用した。その場合には、労働者階級の、農民その他の階級に対する指揮権というような意味合いに使われた。レーニンもそのような意味で使っていたが、やがて「プロレタリアート独裁」という言葉をもっぱら使うようになった。レーニンにあっては、プロレタリアートこそが、ほかの階級を指揮、支配して政治的な権力を独占的に掌握しなければならない。それを「プロレタリアート独裁」と呼んだわけである。

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