2021年10月アーカイブ

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1936年の映画「河内山宗俊」は、山中貞雄の現存するフィルム三本のうちの一本である。他の二本同様時代劇である。河内山宗俊とは、化政時代に実在した茶坊主で、坊主稼業の傍らゆすりたかりを働いたとされる。この男を題材にして、河竹黙阿弥が芝居を作り大当たりした。山中はその芝居を映画化したわけである。

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「古仏龕図」と題するこの作品は、大阪の古書籍商鹿田松雲堂の十三回忌法要のために製作したもの。法要に相応しく、古仏をモチーフにしている。古仏とはさとりを開いたもののことで、死者にはもっとも望まれるところ。これを贈られて心から喜んだに違いない。

桐野夏生には、実在の人物や現実に起きた事件に取材した一連の作品がある。「デンジャラス」もその一つだ。谷崎潤一郎とかれを取り巻く女性たちをテーマにしている。谷崎は多感な男で、数多くの女性とかかわったが、この小説が描いているのは、「細雪」に出てくる女性たちとのかかわりだ。「細雪」四姉妹のうち、三女の「雪子」に相当する女性の視点から描いている。その小説では、彼女は「重子」という名で登場するが、これは彼女の本名である。その他の人物も多くは本名で登場している。

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「画家のアトリエ(L'Atelier du peintre)」は、「オルナンの埋葬」と並んでクールベの最高傑作というべき作品。かれはこれを、1855年のパリ万博に出展したいと思ったが、拒絶されたので、当時彼のパトロンであった画商のブリュイアスの協力を得て、万博会場近くに独自のパヴィリオンをたて、そこで個展を催したのであった。これは、絵画史上初の個展といわれている。

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楊徳昌(エドワード・ヤン)の映画「ヤンヤン夏の思い出」は、2000年に台湾映画として作られたが、台湾で公開されたのは2017年のことであり、まずカンヌで公開された後、日本で一般公開されたといういわくつきの作品である。台湾での公開が遅れたのは、政治的な事情ではなく、取引上の不具合のためだったという。

ロシア旅行の同人たちと久しぶりに、四谷曙橋の中華料理屋「峨眉山」で会った。前回会ったのは去年の9月のことだから、それから一年以上たっている。コロナ騒ぎで外出できる状況じゃなかったからだ。当然昨年十月に予定していたポルトガル・スペイン旅行も中止を迫られた。その騒ぎが一段落して、例の宣言が解除され、一定の行動の自由が認めらる事態になったことで、世間では一気に人の流れが蜜になった。我々もその蜜に貢献したというわけだ。

閉じた社会と開いた社会との関係をベルグソンは、都市から全人類への発展と定義している。ここでベルグソンが都市という言葉であらわしているのは、原始時代の人類の生活単位をさしている。それは共同体社会あるいは部族社会であったり、部族社会の集まりとしての国家であったりするが、全人類を包括するようなものではない。そうした都市のあり方を人類のそもそもの始まりとして位置づけたことには、ベルグソンなりの歴史観が反映しているのだと思う。かれの先祖であるユダヤ人たちは部族社会に分裂していたし、ギリシャもまた都市国家の分立の上に成り立っていた。そうした原始社会においては、個々の人間は、人間である前に都市の構成員だったのである。

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エドワード・ヤン(楊徳昌)は、侯孝賢と同年齢である。かれの1985年の映画「台北ストーリー(青梅竹馬)」は、その侯孝賢を主役にした作品。侯孝賢はこの映画の製作費用を補う為に、自分の家を抵当にいれて資金を工面したという。

「人新世」とは、地球の地質時代区分についての用語で、今の人類が生きる地球が全く新しい地質時代に入ったことを強調するものだ。この時代の特徴は、人類の活動が地球の命運を左右するということだ。命運というのも大げさな表現ではない。環境破壊に代表される人間の経済活動のマイナス面が地球を破壊しつつあり、このまま放置すると、遠からぬ未来に地球は人間の住めるところではなくなる。その地球の破壊を推し進めている元凶は資本主義である。資本主義は人間と自然の搾取の上に成り立っているが、その自然の搾取の行き着く先に地球の破壊が待っている。だから地球を救うためには、資本主義というシステムを否定して、あらたな社会システムを作る必要がある。その社会システムとは、資本主義の本質である経済成長主義を否定して、脱成長を前提とした恒常的なシステムになるべきだ。そういうシステムを斎藤幸平は脱成長コミュニズムと呼んでいる。そしてその考えの基礎をマルクスに求めている。「人新世の『資本論』」(集英社新書)と題するこの本は、マルクス主義の再生に地球の存続可能性を託したものなのである。

本日(令和3年10月26日)、眞子さんと小室圭氏の結婚届が役所によって受理され、お二人は正式に結婚された。一人の人間として、心よりお祝いを申し上げたい。お二人の婚約が発表されたのは3年半前、その後心ない誹謗中傷があって、結婚が延期された経緯は日本人全員がわかっているところだ。そのことで眞子さんは非常に傷つかれたと思うが、その苦悩を乗り越えて、ご自分の信念を実現されたことには心より敬意を表したいと思う。

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東瀛は瀛州といい、蓬莱、方丈とともに東方の海上にある仙境といわれた。具体的には日本をさすともいう。「東瀛仙苑図」と題するこの絵は、その仙境を描いたもの。

姜尚中は在日韓国人二世としての立場から、朝鮮半島問題や日韓関係について発言してきた。その基本的なスタンスは、朝鮮半島の南北が平和的に統一され、その統一朝鮮と日本とが対等で互恵的な関係を結ぶべきだというものだ。「朝鮮半島と日本の未来」(集英社新書)と題したこの本も、そうした立場から書かれている。朝鮮半島における統一政権の樹立について姜はかなり楽観的であり、日本はそれに手を貸すべきだと言っている。というのも、統一された朝鮮は、日本にとってプラスの存在にはなっても、マイナスになることはないという信念があるからだろう。

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クールベは、1855年のパリ万博に合わせて、会場近くで個展を開いた。「こんにちは、クールベさん」と呼ばれるこの作品は、「画家のアトリエ」などとともにこの個展で展示した作品。その際には単に「出会い」と題していたが、会場のものすごい反響を受けて、「こんにちは、クールベさん(La rencontre, ou "Bonjour Monsieur Courbet")と呼ばれるようになった。

岩波書店の「日本思想体系」シリーズの「日蓮」の編には戸頃重基と高木豊による解説が付されている。新書一冊分ほどのボリュームがあって、日蓮へのガイドブックとして手頃である。戸頃が日蓮本人の生涯と思想について、高木が日蓮の後世への影響について述べている。日蓮へのガイドとしては、ほぼ同じ時期に出た「仏教の思想」シリーズの日蓮特集「永遠のいのち」もあり、この両者を読めば、宗派の立場とは別の視点から、日蓮の大まかな姿を捉えることができよう。

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李安の2012年の映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(Life of Pi)」は、李安がハリウッドに招かれて作った作品。2001年に出版された冒険小説「パイの物語」の映画化権を獲得したフォックスが、李安にメガホンを取らせた。だからハリウッド映画といってよい。

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富岡鉄斎は蘇東坡を敬愛し、折に触れて蘇東坡にまつわるエピソードを視覚的に表現した。「東坡帰院図」と題するこの作品は、鉄斎の東坡ものの傑作というべきもの。京都の和菓子屋虎屋の主人、黒川魁亭のために製作した。虎屋は鉄斎の家から近かったこともあって、よく出入りしていたそうだ。

「夜の谷を行く」は、連合赤軍事件に取材した作品。とはいえ、事件を同時的な視点から追うのではなく、事件後39年たった時点から懐古的に語られる。語るのは下級兵士の位置づけで、リンチにあうことなく、何とか脱走に成功した女性である。実話に取材した桐野の小説には、実名で登場する人物が多いのだが、この作品の中の女性主人公西田啓子は桐野の創作らしい。小生はこの事件の内容をほとんど知らないので、主人公以外の人物を含めて、登場人物の現実的な背景は知る由もない。だから、基本的には実際の事件を棚上げして、純粋な創作として読んだ。

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「浴女たち(Les Baigneuses)」と題するこの絵をクールベは1853年のサロンに出展したが、すさまじい反響を巻き起こした。それは否定的な反響であって、スキャンダルと言ってもよかった。裸婦の描き方が、あまりにもあけすけで、下品だと攻撃されたのである。なかには、こんなものをサロンに出させるべきではないという意見もあったが、この頃のクールベは無審査でサロンに出展する資格を持っており、誰もそれをとめることが出来なかったのである。

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李安の2007年の映画「ラスト・コーション(色、戒)」は、中国を舞台にした中国映画である。台湾人の李安についてこんなことをいうのは、かれが自分の国籍にとらわれず、外国人を主人公にした映画を多く作って来たからだ。この映画も、大陸の中国を舞台にしている点では、台湾とは異なった土地の出来事を描いているわけだ。李安は、台湾人でありながら台湾人としてのアイデンティティが希薄な監督である。その点では、台湾にこだわり続けた侯孝賢とは異なっている。

「道徳と宗教の二源泉」はベルグソンの最後のマスターピースであり、ベルグソン哲学の集大成というべきものである。この著作の直接の目的は、道徳と宗教の源泉について明らかにすることにあるが、その前提として、ベルグソンのすべての思想要素が総動員される。それを具体的に言うと、ベルグソンの人間観及び世界観ということになるが、それらを基礎付けているのはベルグソン独特の存在論・認識論である。ベルグソンの存在論は、存在を直観に還元するものであって、その点では唯心論の一バリエーションと言ってもよい。もっともベルグソン自身はそうは思っておらず、自分の存在論は意識の経験によって基礎付けられているというような、控えめな主張をする。ともあれベルグソンは、意識の直接与件から出発し、その与件すなわち直観を哲学の出発点に据えるわけである。その上で、人間の認識の構造を明らかにしていく。ベルグソンの認識論は、カントの認識論を換骨奪胎したもので、カントのカテゴリーに相当するものを、人間の記憶内容に置き換える。人間は自分の記憶内容をもとに、それを対象と関連付けることで、概念的な認識を獲得する、というのがベルグソンの認識論の基本的な構造である。それを支えるものとして、人間の意識の構造についてのベルグソン独自の見方がある。人間の意識をベルグソンは、持続として捉えた。持続というのは、意識の連続性に着目した概念で、人間の意識は過去と現在とが一体として統合されたものだと考える。ともあれ、「道徳と宗教の二源泉」と題したこの書物は、ベルグソン独自の存在論・認識論をもとにして、道徳と宗教の源泉について明らかにしようとする試みなのである。

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李安の2005年の映画「ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)」は、男同士の同性愛を描いた作品。李安は台湾人だが、台湾を舞台とした映画はあまり作っておらず、外国に出かけて行って作ることが多い。この映画もアメリカで作った。舞台設定からキャストまですべての面でアメリカ映画といってよい。

スラヴォイ・ジジェクは、21世紀の今時、共産主義の実現を声高に主張する珍しい人間である。「ポストモダンの共産主義」と題する書物は、そんなかれにとっての「コミュニズム宣言」ともいうべきものだ。ポストモダンという言葉を冠したのは、21世紀にも共産主義は有効だと言いたいからだろう。かれにとってポストモダンとは、21世紀をさしているようだから。

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「寄情丘壑図」と題するこの絵は、おそらく、晋書謝安伝の中の一節「安雖放情丘壑,然每游賞,必以妓女從」をイメージ化したものと思われる。謝安は字を安石といい、東晋の英雄として知られる。淝水の戦いでの勝利は有名である。英雄色を好むの喩えのとおり、つねに妓女を侍らしていたようだ。

「なぜ日本は<嫌われ国家>なのか」と題したこの本は、今の日本の置かれている状況を取り上げているのではなく、第二次大戦を戦った連合国から、当時の日本がどのように思われていたかを問題にしたものだ。要するに過去のことなのだが、そこで指摘されている日本のあり方は、本質的にはほとんど変わっていないので、いまでも何かをきっかけに、同じように嫌われることになるだろうという教訓のようなものを含んでいる。

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1850年のサロンに「石割り」とともに出展した「オルナンの埋葬」は、賛否に渡って大変な反響を巻き起こした。肯定的な評価は、民衆の姿に、1848年の革命における庶民のエネルギーを感じ、否定的な評価は、題材の卑近さが芸術を冒涜していると叫んだ。クールベ自身がこの絵につけた「オルナンの埋葬に関する歴史画」というタイトルが、従来の歴史画の常識を覆したからである。それまで歴史画というのは、歴史上の有名な事件をドラマチックに再現していた。ところがこの絵は、田舎の葬式を描いたに過ぎなかったのである。

日蓮を読む

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日蓮は宗教者であって、われわれ普通の日本人にとっては日蓮宗という鎌倉仏教の宗派を創始した人、つまり教祖という位置づけだろう。日蓮自身は、自分をそんなふうには思っておらず、あくまでも法華経の行者という意識を持ち続けた。もっとも晩年には、蒙古大襲来などもあって、日本の現状に対する危機意識が高じた余り、自分こそがその日本を救うべき人であり、日本人の師、父母であると言い、あげくは上行菩薩の生まれ変わりとしての日蓮大菩薩であると言うまでになった。

雑誌「世界」の最新号(2021年11月号)は、入管問題をサブ特集として取り上げている。先日名古屋の入管施設で、入所者のスリランカ人女性が死んだことがきっかけで、入管問題が世間の関心を呼んだことを踏まえたものだろう。その女性の死をめぐる事実関係の検証を中心に、日本の入管行政の遅れた体質を批判的に検討している文章が寄せられている。

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李安の2000年の映画「グリーン・デスティニー(臥虎蔵龍)」は、女剣士を主人公にしたアクション映画である。よく出来てはいるが、純粋な娯楽映画なので、あまり言うことはない。外的なことでいくつか気づいたことがあるので、それを述べる。

このところ円安が急速に進んでいる。原因はアメリカが金融緩和政策を見直し、利上げに踏み切っていることだ。そのため、ドルが買われて円が売られる事態が起き、それが円安をもたらしている。金利の差の拡大が、為替レートの変動につながるのは、経済の道理であるから、簡単に止めることはできない。止めるためには、日本も金利を上げる必要がある。だが日本には金利を上げることができない事情がある。

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「大江捕魚図」と題するこの絵は、明の文人唐寅の詩の一節をイメージ化したもの。唐寅は生涯仕官することなく市井の文人として生きたが、書画をよくし人々に愛された。その点では、市井の文人を自負して書画に励んだ鉄斎と境遇が似ている。また唐寅は、日本とも馴染みがあり、日本人にあてた手紙(贈彦九郎詩)も残っている。鉄斎は唐寅のそんなところに共感して、この絵を制作したのだと思う。

「奴隷小説」は、タイトルどおり奴隷的境遇に置かれた人間たちをモチーフにした連作短編小説集である。七つの小話からなっている。小話相互には関連性はない。時代もバラバラだが、一応日本人の身に起きたことを描いているようである。奴隷的な境遇は、過去においてはいざ知らず、現代日本においては、表向きは存在しないことになっているから、これらの小話のほとんどは、荒唐無稽な想像力の産物として受け取るべきかもしれない。だが、その割にリアリティを感じさせ、もしかしたらこれは現実に起きているのではないかと思わせることころに、桐野の筆の冴えがある。

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ボードレールが「悪の華」を刊行したのは1855年のことだ。それ以前のかれは、美術批評家として知られていた。サロンの批評を書く傍ら、フランス美術の歴史的な概観などを書いて、一部の美術関係者に注目されていた。そんなボードレールとクールベが、どのようないきさつで仲良くなったのか、よくわからない。1847年には互いに親しく出入りし、クールベはボードレースの肖像も描いた。

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李安の1995年の映画「いつか晴れた日に」は、ジェーン・オースチンの小説「分別と多感(Sense and sensibility)を映画化した作品。小説のタイトルがそのまま原題となっている。それを日本語版では「いつか晴れた日に」にしたわけだが、どういうわけかははっきりしない。

雑誌「世界」の最新号(2021年11月号)が、「反平等」と銘打った特集を組んでいる。「新自由主義日本の病理」という副題をつけているから、新自由主義批判だと思ったら、思想としての「新自由主義」への批判的な分析は見られず、新自由主義がもたらした負の側面が列挙されているといった体裁である。その中には、ジェンダー間の不平等とか、外国人差別といった、今の日本がかかえる深刻な病理現象への言及はあり、それなりに有益ではあるが、新自由主義への原理的な批判が欠けているので、いまひとつ迫力がないという観は否めない。

脳と思考についてのベルグソンの議論(「精神のエネルギー」所収「脳と思考―哲学の錯誤」)は、ベルグソン一流の物質と精神の二元論の一バリエーション、そのもっとも重要なバリエーションである。脳と思考の関係については、この二つのものが平行関係にあるとする考えが支配的である現状を指摘したうえで、ベルグソンはその錯誤を指摘する。こうした考えはデカルトの哲学からまっすぐに出てきたものだが、それはデカルトが、物質と精神を全く異なった二つの実体だとしたにかかわらず、しかもその間に一定の関係があると認めたことに根ざしている。二つの実体の間に特別な関係を認めなければ、精神と身体との相互関係とか、脳と思考の平行関係などという問題が提起されることはないというのがベルグソンの基本的な考えなのである。

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李安が1993年に台湾・アメリカ合作映画として作った「ウェディング・バンケット(The wedding banquet)」は、アメリカを舞台にした台湾人とアメリカ人とのホモ・セクシャルをテーマにした作品。それに台湾人の親子関係をからませている。テーマは深刻だが、描き方はコメディタッチである。

今日ではグラムシは忘れられた思想家として扱われている、と先に述べた。このまま再び取り上げられることなく、忘却の闇の中へと消え去ってしまうのであろうか。それとも復活するチャンスはあるのか。もしグラムシに復活するチャンスがあるとすれば、それは二つの条件を満たす場合である。一つはグラムシが絶対的なものとして設定した社会主義の実現が現実味を帯びて迫って来ること、もう一つはその社会主義の実現主体として労働者階級が役割を果たす覚悟を決めることである。この二つの条件がともどもに前景化して人々の意識を捉えるようになったとき、グラムシの思想は再び脚光を浴びることになるであろう。

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「碧桃寿鳥図」と題するこの作品も、西王母の桃の話をモチーフにしている。漢の武帝が搖池苑に西王母を迎えて宴を催したところ、王母は七つの桃をみやげに持参し、そのうち四つを武帝に贈り、残りの三つを自分で食べた。武帝が種を植えようとすると、三千年に一度しか実を結ばないので、短命の武帝にとっては無駄なことだと諭した。

天児慧は現代中国問題の専門家を自負しており、そうした観点から「中華人民共和国史」(岩波新書)を書いたりもした。その基本的な視点は、中国の体制(国家資本主義とか中国型社会主義とかいわれる)を、世界史の流れから逸脱したものであって、持続可能なものではないと見ることである。中国が今後も持続可能な成長を遂げるためには、資本主義的な要素を大胆にとりいれ、できれば日本のような資本主義社会になるべきだというわけである。天児には、日本を中国の手本として、中国は日本に習うべきだとの、かなり夜郎自大な、上から目線で中国を見下ろすところがある。

雑誌「世界」の最新号(2021年11月号)に、「金学順さんが伝えたかったこと」と題する小文が寄せられている。筆者は元朝日記者の植村隆。従軍慰安婦問題を追及したことで知られる。そのかれが、最初に元従軍慰安婦金学順さんの体験を記事にしてから23年後に激しいバッシングにあった。バッシングの主体や内容については広く知られているところだと思うのでここでは触れないが、この文章を読んで、オヤと思ったのは、朝日をはじめ日本のメディアが、不当なバッシングからかれを守ってくれなかったということだ。かれは、自分自身が誹謗中傷や脅迫を受けたのみならず、娘まで恐怖にさらされたという。

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クールベは、庶民の厳しい暮らしを正面から取り上げた作品を描いたことから、「社会主義絵画」の代表選手のように言われることがあるが、「石割(Les Casseurs de pierres)」と題するこの作品は、クールベのそうした傾向の代表的なもの。

紀野と梅原は「日蓮の思想と行動」と題して、日蓮について語り合うのだが、二人とも熱心な日蓮ファンだから、おのずと日蓮賛美の合唱といった体裁を呈する。日蓮には、人を熱中させるものがあるというように。たしかに、日蓮には人を熱中させるものがあるのだろう。熱中の真逆は反発だが、日蓮ほど強い反発を受けたものもまたない。存命中は度重なる迫害(法難)を受けたわけだし、現代人、とくに日本のインテリには日蓮を嫌うものが多い。それは日本文化にとってよくないことだ、と二人は口を揃えて言う。日蓮を正しく評価することなしには、日本文化の望ましい発展はないというわけである。

豊穣たる熟女の皆さんと1年9か月ぶりに会食した。コロナ騒ぎが落ち着いてきて、例の緊急事態宣言が解除されたので、町には人が繰り出していると、テレビニュースを見るにつけて、日蓮上人の言葉ではないが、互いに「こいしこいし」という思いが積み増して来て、久しぶりに会って食事でもしましょうということになったのだ。けれども、騒ぎは完全に収まったわけではないので、大事をとって、お昼ご飯をご一緒しましょうということになった。

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ベルナルド・ベルトルッチには、変態ポルノへの愛好が指摘できるようだ。1972年の映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」は明らかに変態性欲をテーマにしたものだったし、2003年に作った「ドリーマーズ」もそうした部類のものだ。「ラストタンゴ」は男女間の肛門セックスをテーマにしていたが、この「ドリーマーズ」は姉弟間の近親相姦をテーマにしている。

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東方朔は、漢の武帝時代に実在した政治家だが、奇怪な行動で知られ、ついには仙人になったといわれる。李白は詩中でかれを次のようにたたえている。「世人不識東方朔、大隠金門是謫仙」

桐野夏生は、実在の人物や事件に取材した小説を得意としている。もっとも実話をそのまま再現したわけではなく、桐野流に脚色しなおしたものがほとんどのようだ。ようだ、というのは、桐野の作品を多数読んだわけではないからで、「東京島」や「女神記」などの作品を読んだ印象とか、批評家による作品論などを通じて得た意見である。

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ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet 1819-1877)は、バルビゾン派の画家たちの中では最も若い。コローとは二十三歳の年齢差がある。しかし、1840年代半ばごろにはサロンで入賞を重ねており、他のバルビゾン派の画家たちと、ほとんど同時代人として振る舞った。違うのは政治的な姿勢である。バルビゾン派の画家たちには、庶民の暮らしをありのままに描くという自然主義的な傾向がもともとあったのだったが、クールベはその傾向を前面化し、庶民の暮らしぶりを写実的に描くことで、社会の矛盾を告発するようなところがった。そういった傾向は、1870代にパリ・コミューンにかかわったかどで、政治的な迫害をもたらしたほどである。

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アントニオーニの「愛の不毛三部作」の第一作「情事」は、フェリーニの「甘い生活」とほぼ同時に公開されたので、色々と比較された。テーマも雰囲気も非常に似通っていたからだが、両者の間の影響関係は明らかではない。だがアントニオーニが翌年作った「夜(La notte)」には、フェリーニの影響を見て取ることができるのではないか。

ベルグソンが言う「誤った再認」とは、「或る光景を見ていたり、対話をしているとき」、「いま見ているものはかつて見たことがある、いま聞いていることはかつて聞いたことがある、いま言っていることはかつて言ったことがある」(宇波彰訳、以下同じ)という確信を意味する。その点では、心理学でいう「デジャヴュ」とよく似ている。しかし、デジャヴュが一時的で例外的な体験といえるのに対して、「誤った再認」には恒常的な体験も含まれる。その例としてベルグソンは、三年もかけて、自分のそれまでの生を体験しなおした人をあげている。

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ミケランジェロ・アントニオーニの1960年の映画「情事(Avventura)」は、ちょっとした反響を呼んだし、いまでは映画史上画期的な作品との評価が高い。同じ年に公開されたフェデリコ・フェリーニの作品「甘い生活」と比較され、どちらも男女の関係を全く新しい角度から描いた前衛的な映画だと言われたものだ。以来、アントニオーニとフェリーニは、新しい映画の旗手として一目置かれるようになる。フェリーニのほうは、その後「8 1/2」など、奇想天外な作風にはまっていくのに対して、アントニオーニのほうは、愛の不毛三部作と呼ばれるような、人間の愛の不条理を追求していく。

アントニオ・グラムシは、第二次大戦後の西欧で社会主義運動が高まりを見せた時期に、ソ連型の社会主義とは異なった、西欧型社会主義の魅力的なモデルを提示したものとして、非常に人気を集めたものだ。日本でもグラムシの研究は盛んだった。だが、今日、一部の熱心なファンを除き、グラムシを研究しようとする動きはしぼんでしまった。それには、ソ連の崩壊をはじめ、既存の社会主義体制が有効性を失ったことが働いている。そんな趨勢の中で、グラムシを研究しようにも、なかなかよい手がかりが見つからず、研究予備軍は、グラムシの著作に直接あたりながら、手探りで研究を進めていかざるをえない状況にある。そんな中で、イギリスの歴史学者J・ジョルが1976年に刊行した「グラムシ」は、いまだグラムシ研究の入門書的役割を果たしている。

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「円通大師呉門隠棲図」は、「阿倍仲麻呂明州望月図」とともに六曲一双の図屏風を構成するうちの左隻。円通大師とは、平安時代後期の天台僧寂昭のこと。宋に渡り、皇帝真宗に謁見して、円通大師の尊号を賜った。呉門は蘇州にある寺院の名称。ここを生活の拠点とし、日本に帰ることを願ったが、かなわずして、杭州で死んだ。

保坂正康と東郷和彦の共著「日本の領土問題」は、北方領土、竹島、尖閣についての日本の対処方針について論じたものである。東郷和彦が問題の歴史的背景とこれまでの外交の経緯を振り返りながら、日本として今後とるべき基本的な道筋を、かれなりに提起し、それを踏まえたうえで、保坂との間にディスカッションをしたという体裁をとっている。

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トロワイヨンの動物画家としての名声は、1860年ごろには海外にも聞こえ、ヨーロッパ中に模倣者が出るほどだった。かれの絵は、非常に人気があったのである。

日蓮を取り上げた「仏教の思想シリーズ」の最終巻「永遠のいのち」の第三部を、梅原猛は「日蓮の人生と思想」と題して、日蓮の人生の歩みを梅原なりに振り返りながら、日蓮の仏教思想の展開をたどっている。梅原は、やはり日蓮が好きらしく、その語り方には、日蓮に対する熱い思い入れが込められている。

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ルキノ・ヴィスコンティの1976年の映画「イノセント(L'innocente)」は、かれにとっての遺作となった作品。イタリア貴族社会の腐敗に近い爛熟振りを描いている。ヴィスコンティには、ネオレアリズモ風の、庶民の生活をテーマにした一連の作品がある一方、このように貴族社会を取り上げたものがあるのは、かれ自身貴族階級の出身でありながら、共産主義にかぶれたという複雑な性格によるのだろう。

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「阿倍仲麻呂明州望月図」は、「円通大師呉門隠棲図」とともに六曲一双の図屏風を構成する。これはその右隻。阿倍仲麻呂が唐での留学を終え、日本に帰るにあたり、明州(寧波)で送別の宴が催された。この絵はその際の様子を描いたもの。

桐野夏生の小説「女神記」は、古事記のイザナキ、イザナミ神話を取り入れた作品だ。古事記では二柱の夫婦神が黄泉比良坂を距てて向かい合い、イザナミがイザナキに向って、あなたの国の人間を毎日千人殺してやるといったのに対して、イザナキは、では毎日千五百の産屋を建ててみせると答えたのだったが、この小説はその後日譚という形をとっている。イザナミは予言どおり、黄泉の国の女王として毎日千人の人間に死の呪いをかけつづけ、イザナキは放浪の身になって、毎日多くの女たちに子を授けているのである。

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コンスタン・トロワイヨン(Constant Troyon 1810-1865)は、動物画家として知られる。もともと風景画家として出発し、温和で叙情的な画風が人気を集めるようになっていた。1839年からはフォンテーヌブローの森に通い、バルビゾン派の画家たちと交わった。

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ルキノ・ヴィスコンティの1967年の映画「異邦人(Lo Straniero)」は、アルベール・カミュの同名の小説を映画化したもの。この有名な小説を、小生は学生時代に読んだのだが、内容はあらかた忘れてしまった。だから原作を気にせず、ただの映画として見た次第だが、冒頭部分でマルチェロ・マストロヤン演じるムルソーが「ママン」とつぶやくシーンと、かれがピストルの引き金を引いたのは太陽の光線のまぶしさに驚かされたためだったというシーンは、わずかに原作の雰囲気を思い出させてくれた。この二つのシーンは、原作の内容を象徴するシーンとなっているようなので、ヴィスコンティはその雰囲気を巧妙に演出することに成功したわけだ。

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