2022年1月アーカイブ

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1907年の「サロン・ドートンヌ」に出展された「蛇使いの女」は、ルソーの代表作と言ってよい。実際この作品が展示されたとき、人びとは沈黙して画面に見入ったと言う。それまでならかならず、ルソーの素朴さを揶揄するような評が出たものだが、この絵に限っては、そういう揶揄は一切聞かれなかった。それほど迫力があったのである。

小乗に比較した大乗の最大の特徴は、あらゆる人に仏になる素質があると考えることだ。小乗では、一部のエリートが凡俗から逸脱して僧侶団体を作り、そこで修行に専念することでさとりの境地に達すると考える。しかしそのさとりは、あくまでも人間としてのさとりである。そのさとりの境地に達した人を阿羅漢というが、阿羅漢は仏とは異なる。あくまでも人間の延長である。ところが大乗では、凡俗は人間であることを脱して仏になれると考える。仏教のいう仏とは、基本的には抽象的な原理なのだが、それはさておいて、凡俗が仏になれるというのは、仏教にとっての激烈な転換であったといえる。その転換を大乗仏教が実現したわけである。

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ロイ・アンダーソンの2014年の映画「さよなら、人類」は、見ていて捉えどころのない映画だ。筋書きのようなものはないに等しいし、いったい何が言いたいのか、よくわからない。映像とタイトルの組合せから伝わってくるのは、どうやら人類への批判らしいということだ。「さよなら、人類」という言葉は、あきれ果てた愚か者である人類とは、今後付き合いたくないというメッセージを込めているようである。

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「春秋」と題した二曲一双のこの作品は、徳川家の依頼で製作された。娘が高松宮家へ嫁ぐにあたり、その嫁入り道具としてであった。製作のための時間が限られていたので、松園は、四年前に聖徳太子奉賛美術展に出展した「娘」を差し出すこととし、それにもう一点を加え、二曲一双の屏風絵に仕立てるつもりであった。ところが、「娘」は海外巡回展からなかなか戻ってこず、松園はその絵をもとにして描き直すことを迫られた。

寺尾隆吉「ラテンアメリカ文学入門」(中公新書)は、木村榮一の「ラテンアメリカ十大小説」と並んで、ラテンアメリカ文学への手ごろな入門書である。寺尾の本の五年後に出た。木村は膨大な数のラテンアメリカ文学作品を日本語に翻訳しているが、寺尾もまたかなりの規模の翻訳を行っている。そんなこともあって、両者とも、作品の詳細についてすみずみまで読み込みながら、かゆいところに手の届くような解説をする一方、ラテンアメリカ文学の特徴を俯瞰するような視点も見せてくれる。

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「平和のしるしとして共和国に挨拶に来た諸大国の代表者たち(Les représentants des puissances étrangères venant saluer la République en signe de paix)」と題するこの作品は、1907年のアンデパンダン展に出展された。大変な評判となり、絵の前には大勢の人だかりができたという。そして見る者はみな腹をかかえて笑ったそうである。たしかに、この絵には、人を馬鹿にしたようなところがあり、それが人々の笑いを誘ったのであろう。

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1992年のスウェーデン映画「愛の風景」は、イングマール・ベルイマンがテレビドラマ向けに書いた脚本をもとに映画化されたものだ。ベルイマンはこれを、自叙伝の副産物として書いたそうだが、たしかにそう思われるフシはある。ドラマの主人公はヘンリク・ベルイマンという神学生・牧師であり、ベルイマンの実の父親も牧師だったから、おそらく自分の父親をモデルにしているのだろう。映画の中ではダグという男の子が生まれて来るが、これはベルイマンの兄だと思われる。ベルイマン自身は次男で、この映画の中ではまだ生まれてこない。

日本にもトーテミズムの風習が残っていることを指摘したのは南方熊楠である。かれは自分の個人名についている熊とか楠といった文字はトーテムをあらわしていると考えた。熊という文字は、彼の家族や親族の成員にもつけられていたから、その親族にとってのトーテムをあらわすのだろうと考えたのである。一方、楠という文字は熊野神社と深いかかわりがあり、そこの信者たちは楠を自分たちのトーテムのように親しみもって扱っていた。神社と特定の動植物との関係は他にも見られる。日枝神社の猿とか、三島神社の鰻とか、金比羅神社の蟹といった具合だ。これらは神社を祀る氏子たちに共通のトーテムだったに違いないと熊楠は考えるのである。

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1987年の映画「ペレ」は、デンマーク人の映画監督ビレ・アウグストがスウェーデン人たちを対象にし、デンマークを背景にして描いた作品である。だからスウェーデン・デンマークの協同制作ということになっている。映画にはスウェーデン人とデンマーク人が出て来るのだが、スウェーデン人はスウェーデン語を話し、デンマーク人はデンマーク語を話すのである。

敗戦後76年たった今日、日本人とくに男たちの間に強く根付いたパンパン・コンプレックスは、どのような状態にあるだろうか。次第に弱まってきたのか、それとも逆にますます強まってきたのか。それを分析するためには、パンパン・コンプレックスの二つの大きな要素たる対米従属と男女のバランスそれぞれについて、具体的に見ていく必要がある。

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「待月」とは、月見の折に月の出るのを待つことを言う。京都では古来庶民の風習になっていた。松園は京都人として、この待月の雰囲気を画面に定着したかったのだろう。

ハインリヒ・ハイネといえば日本では、「ローレライ」や「歌の翼」といった歌曲の歌詞を書いた抒情詩人として知られてきた。かれの詩集を読む日本人は今ではあまりいないと思うが、歌曲のことは今でもよく知られているのではないか。しかし小生のようないわゆる団塊の世代に属する人間にとっては、ハイネは単なる抒情詩人ではなく、きわめて政治的なメッセージを発した革新的な文学者としての名声のほうが高かった。ハイネはマルクスやエンゲルスと親交があったし、マルクス以前に共産主義とかプロレタリアートという言葉を使っていた。要するに黎明期の社会主義者の代表的な人物だった。詩人としての名声があまりにも高いことで、政治思想家としての彼は実像より低く評価されたきらいがある。

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「第22回アンデパンダン展への参加を芸術家に呼びかける自由の女神(La Liberté invitant les artistes à prendre part à la 22e exposition des Indépendants)」は、タイトルどおり1906年の第22回アンデパンダン展の宣伝ポスターのような意味合いで描いた作品。ルソーがなぜこんなものを制作したのか、正確なところはわからないが、アンデパンダン展はルソーにとってほとんど唯一の作品発表の場であり、その名声があがることは、自分にとっても都合のよいことだったので、あえてそれを宣伝して見せる気になったものと見える。

「勝蔓経」の「一諦章」は、四諦のうち苦滅諦こそが唯一絶対の真理「一諦」であると説く。われわれ凡俗が、この真理に到達できるのは、われわれ自身の中にそうした真理を獲得する能力が備わっているからであり、それを如来蔵という。経は続いてこの如来蔵について詳しく語ろうとするのであるが、如来蔵については、別に一章を設けて詳説しているので、その部分を取り上げるときにあわせて触れたいと思う。

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アンジェイ・ワイダの2016年の映画「残像」は、第二次大戦後にポーランドに成立した統一労働者党政権下での、芸術の国家統制を批判的に描いた作品。実在の前衛芸術家ヴワヂスワフ・ストゥシェミンスキをモデルにしている。一貫してポーランドの社会主義政権を批判してきたワイダの総決算のような作品である。かれにとってはこれが遺作となった。

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上村松園は、日本風の美人を描く一方、若い頃から唐美人も好んで描いた。これは円山応挙以来の円山・四条派の伝統を踏まえたものだ。四条派は清から輸入した風俗的な美人画を手本として多くの美人画を製作した。それは商業的な成功を収めた。松園の場合には、商業的な動機はなく、美人画の一ジャンルとして割り切っていたようだ。

木村榮一はラテンアメリカ文学の翻訳者で、数多くの作品を日本に紹介してきた。ラテンアメリカ文学が世界中に本格的に知られるようになるのは、20世紀半ば以降のことで、とくに1967年に出版されたガルシア・マルケスの「百年の孤独」が大きな役割を果たしたようだ。その後、文学の巨匠というべき作家たちが次々と登場し、ラテンアメリカ文学は20世紀後半以降の世界文学を牽引するものとなった。そんなラテンアメリカ文学を木村は勢力的に日本に紹介してきたわけだ。

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ブルターニュ地方は、素朴でおおらかな風景が多くの画家を魅してきた。アンリ・ルソーも魅せられた一人らしく、「ブルターニュ風景、夏(Vue de Bretagne, l'été)」という作品を残している。森林の中に開けた牧草地で、家畜に草を食ませている母子をモチーフにしている。

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アンジェイ・ワイダは、「地下水道」や「灰とダイヤモンド」など、ポーランド現代史に題材をとった映画を数多く作った。2013年の作品「ワレサ連帯の男」は、ポーランド現代史上の英雄といわれるレフ・ワレサの、民主化運動指導者としての半生を描いたものである。

雑誌「世界」の最新号(2022年2月号)が、「クルマの社会的費用」と題する特集を組んでいる。車の社会的費用とは、経済学者の宇沢弘文が1970年代に提唱した概念で、公害や安全などにかかわる費用を、その原因を作っている当事者に負担させるべきだという主張を含んでいた。そうした負担を宇沢は、社会的費用の内部化と呼んだ。その内部化の議論がその後、排ガス規制とか道路計画に大きな影響を与えてきたのであったが、近年は地球温暖化の問題が前景化し、それへの対策としてEV化が一挙に加速するようになった。この特集に収められた諸論文には、そうしたEV化のもたらす革命的な衝撃を取り上げたものもある。

フロイトはアニミズムを主として呪術(魔法とか魔術と呼ばれるもの)と関連付けながら説明している。アニミズムの古典的な定義といえばタイラーのものが有名であり、フロイトもそれを援用しているが、それはアニミズムを霊的存在への信仰とするものだった。その霊的存在は多分に擬人的な特徴を帯びていたので、人間の精神とか霊魂を世界の説明原理として持ち出すものだと言ってよい。この霊的存在は、生きているものについて言われるものだったが、マレットはそれを無機物にも拡大し、あらゆる事物を霊魂によって説明するのがアニミズムだとした。

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2013年のポーランド映画「パプーシャの黒い瞳」は、ジプシー(ロマ人)出身の女性詩人ブロニスワヴァ・ヴァイスの生涯を中心にしながら、ジプシー(ロマ人)の生き方を情緒豊かに描いた作品である。ジプシー(ロマ人)は、東欧を中心にして流浪生活を送ってきた少数民族で、ユダヤ人と同じく厳しい差別に直面してきた。ユダヤ人が早くから定住したのに対して、ロマ人は長らく放浪にこだわり、その生活の実態はほとんど知られていなかったという。ボードレールのような変わり者の文学者が興味を示したり、ジプシー音楽と呼ばれる独特の音楽が注目を集めた程度だ。

パンパン・コンプレックスは、被支配感情としての対米劣等感と、女を征服者に奪われたことにともなう喪失感とを主な要素としていた。このうち、対米劣等感が基本的には対米従属体制をもたらしたことは、上に述べたとおりである。一方、女を奪われたことにともなう喪失感は、より複雑な現れ方をした。それは一方では、なんとかして自分を見捨てた女を取り戻すために、女のご機嫌をとるような方向に働き、他方では、女の前で失われた男の尊厳を回復したいという希求となってあらわれた。つまり、女を求めながらその女を憎むという、両義的なものであった。

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「焔」と題するこの絵も、能に題材をとった作品。この頃松園はスランプ状態に陥っていて、なんとか新機軸を得たいと考えていた。その結果が、伝統的な能に題材をとりながら、人間の激しい感情を表現するというものだった。「焔」とは「瞋恚の焔」と言われ、激しい怒りの感情をあらわす言葉である。

安田浩一は、ノンフィクションライターとして、右翼や日本社会の闇の部分に取り組んできたようである。外国人差別問題についても精力的に取り組んできたらしい。かれの著作「『右翼』の戦後史」(講談社現代新書)は、戦後の右翼の変遷について、非常に分かりやすい俯瞰図を示してくれる。また、戦後右翼史に接続させる形で、戦前の右翼についても説明してくれる。戦前から戦後につながる日本の右翼の流れについて、この本を読めばおおよその認識が得られると思う。

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フランスの美術界は、長いあいだ官選の展示会であるサロンが牛耳っていたが、その保守性を批判する芸術家たちが、サロンに対抗する形であらたな展示会を1903年に作った。春のサロンに対して、秋に行われたことから、サロン・ドートンヌと呼ばれるようになった。

「勝鬘経」の「一乗章」は、三乗をすべて含んだ仏乗としての一乗の意義について説き、また、真実の教えとしての正法とは、無名住地を正しく理解し、それを克服することだと説く。「無名住地」とは全ての煩悩の根源にある煩悩であって、涅槃の境地に達してはじめて超脱できる。声聞や独悟が目指す地では、せいぜい派生的な煩悩が除かれるだけで、根源的な煩悩である「無名住地は」克服できない。大乗の教えたる正法を接受することではじめて「無名住地」が克服できる。

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2019年のロシア映画「T-34 レジェンド・オヴ・ウォー」は、独ソ戦の一齣を描いたもの。ロシア映画であるから、ロシア人の兵士がドイツ軍を相手に勇敢に戦うところを描く。だからロシア人にとっては愛国映画であるし、場合によっては戦意高揚映画にもなる。21世紀の今になって、こういう映画がロシアで作られたわけは何か。いささか時代錯誤を感じさせられるが、今のロシアはある種の孤立状態に陥っており、世界を相手に戦っているといえなくもない。そうした時代閉塞の状況が、このような戦争映画への需要を生んだといえなくもない。

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「花がたみ」と題するこの作品は、松園の画業の転機となったものと言われる。それまでは、浮世絵や徳川時代の美人画を参考に、古い時代の美人のたたずまいを淡々と描いた作風のものがほとんどだったのだが、この「花がたみ」を転機として、能に題材をとったドラマチックな作風へと変化していった。

高樹のぶ子といえば、エロチックな官能小説が得意で、女流ポルノ作家の大御所といったイメージが強かったものだが、老年に近づくにしたがって、淡泊な作風に変わっていった。おそらく、女性にとって宿命的な閉経という事態が、彼女の性的な情熱をさましたからだと思われる。女性の中には、鴎外の母親のように、灰になるまで男に抱かれたいと願う色好みもいるが、たいていの女性は性について淡泊になるものらしい。高樹はしかし、それでは女として生きてきた過去がいじめになると思ったのだろう、人生最後の日々を、再び性愛をもてあそぶことによって、光り輝くものにしたいと願ったように思える。「小説伊勢物語業平」は、そんな彼女の性的なエネルギーを傾倒した作品である。この小説を書いたとき、彼女はすでに古希を大きく超えていた。灰になってもおかしくない年齢で、肉を焼く火のかわりに魂を燃え上がらせる火の情熱をもって、この作品を完成したのであろう。

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「田舎の婚礼(La noce)」と題されたこの絵は、アンリ・ルソーの集団肖像画の傑作である。1905年のアンデパンダン展に出展された。森の中でポーズをとっている人々は、今で言えば結婚式の記念撮影に応じているといった具合だ。

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2017年のキルギス映画「馬を放つ」は、キルギス人の馬へのこだわりをモチーフにした作品である。キルギス人は、もともと遊牧民であり、馬は生活のために欠かせない動物であって、またかけがいのない伴侶として深い愛着をもたれていた。しかし、キルギス人が定住生活に移行するにしたがって、馬への愛着は薄れ、役に立たない馬を殺して食用に供するようにもなった。そんな時代の傾向に強い違和感を持った男が、馬の自由のために戦う、というような内容の映画である。

「トーテムとタブー」は、フロイトが自分で開発した精神分析学の成果を、はじめて宗教・社会理論に適用したものである。結論を先取りして言えば、フロイトがこの論文集のなかで目指したのは、トーテミズムがあらゆる人類のもっとも古い宗教体系であって、それは神経症患者の強迫観念と同じ起源をもっているということを明らかにすることである。フロイトによれば、強迫神経症患者は原始人類と同じような精神構造を持っていて、したがって強迫神経症患者の研究から得られた成果、すなわち精神分析学は、原始人の宗教体系であるトーテミズムやタブーを合理的に説明できるということになる。

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2010年のキルギス映画「明りを灯す人」は、キルギス映画として始めてカンヌの映画祭で上映されたという。それまでキルギス映画の存在はほとんど知られていなかったので、ヨーロッパ人にとっては非常に新鮮に映ったようだ。しかもこの映画は、崩壊しつつあるキルギス人社会を描いており、キルギス人が人間として生きていくことの困難さを訴えていた。そんなこともヨーロッパ人には衝撃的に映ったようだ。

敗戦は、日本人とくに男たちに測り知れないショックをもたらした。そのショックから自己を防衛するための心理的機制として生じたのパンパン・コンプレックスである。敗戦のショックをもたらした原因は外国による征服、及びそれに伴う女の喪失であったから、パンパン・コンプレックスはこれらの原因に対応する内容をもつこととなった。外国人による征服とそれに伴う被支配感情は、強烈な劣等感を日本人に受け付けたが、その劣等感は抑圧されねばならなかった。なぜなら人間は劣等感を抱えたまま生き続けることはむつかしいからだ。それで、外国であるアメリカに一方的に征服されたのではなく、自主的に従属したのだという擬制を作りあげた。戦後日本の対米従属は、基本的には被支配感情を抑圧し、それを合理化するためのシステムなのである。

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上村松園は、簾越しの美人の構図が好きだったとみえて、幾つも描いている。蒸し暑い京都に簾は欠かせない小道具であり、かつ古きよき日本を感じさせる風物詩でもあった。

対談本というのは、だいたい一回限りで、二回出すのは珍しいのだそうだ。内田樹と鈴木邦男は、その珍しいことをやった。よほど相性がいいのだろう。かれらの相性がいいのには理由がある。まず、反米愛国という点で一致している。それに加えてこの二人は、反共でも一致している。これだけ一致していれば、相性が悪いはずがない。内田は左翼で通っているし、鈴木は「新」がつくが右翼で通っている。ふつう相性がよくない左右がここまで仲良くできるのは、やはり以上三つの共通項があるためだろう。

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アンリ・ルソーにはジャングルを背景にした女性の裸体像が数点、現在に伝わっている。「エヴァ」をモチーフにしたこの絵は、その代表的な作品。旧約聖書の創成記から、エヴァにまつわる話を視覚化したものである。

「勝鬘経」は、聖徳太子の「三経義疏(法華義疏、勝鬘経義疏、維摩経義疏)」の一つであることもあり、日本では古代からよく知られたお経であった。大乗仏教の基本的な思想をほぼ漏れなく盛り込んでおり、大乗仏教を体系的に学ぶに適したお経である。古いお経だと思われるが、「法華経」の一乗思想と同じ思想を強調していることから、「法華経」より後に成立したのではないかと推測されている。また、一乗思想の強調と抱き合わせで、声門や独覚などの小乗を厳しく批判しているところは「維摩経」に通じる。「維摩経」は「般若経」と「法華経」の中間に位置すると思われるので、この「勝鬘経」は、「維摩経」が受け継いだ「般若経」の空の思想と、「法華経」の一乗思想とを集大成したものといえよう。

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山田洋次の1993年の映画「学校」は、山田得意の人情劇に社会的な視点を絡ませた「社会派人情劇」ともいうべき作品。さまざまな事情で夜間中学で学びなおす人々と、熱血教師との触れ合いのようなものを描いている。山田はこのテーマを長い間温めてきたというが、あまり長くたちすぎたせいで、映画が公開された頃には、いささか時代遅れの観を呈した。公開された1993年は、日本のバブル経済の絶頂期にあたり、貧困は基本的に過去のこととなり、夜間中学に象徴されるような社会からの落ちこぼれも、大きな課題ではなくなっていた。だからその頃には、夜間中学は日本人よりも外国人を相手とする方向に変わってきており、社会の関心を引くことも少なくなっていたといえる。

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松園は京都人であったから、日頃から舞に親しんでいたようだ。能に取材し作品も多く手がけている。「舞支度」と題したこの絵は、舞や能をモチーフにした作品のなかで初期のものに属する。大正三年の第八回文展に出展して、二等賞を得た。

高樹のぶ子の持ち味は何といっても官能的なポルノグラフィーにある。ところがその官能性は年とともに衰えるらしく、高樹の場合にも還暦を過ぎてからは、めっきり淡泊な作風に変わっていった。やはり生理的な変化が影響しているのだろう。女性には男と違って、閉経という人生のくぎり目がある。閉経を過ぎた女性は女性ホルモンの分泌が激減し、性的な興奮を感じることもなくなるという。高樹の場合には、得意の官能的な描写は自身の体験に根ざしているようだから、そうした性的な興奮がなくなると、官能的な想像力が枯渇するのは無理もない。身体の肝心な部分が乾ききっていては、濡れ場の描写にもさしつかえるということだろう。

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山本薩夫の1975年の映画「金環蝕」は、石川達三の同名の小説を映画化したもの。石川の原作は、1965年ごろに世間を賑わした九頭竜川ダム建設汚職事件に取材している。この汚職事件は、当時の与党政治家をほぼ全面的に巻き込むもので、その規模の大きさから大センセーションをひき起こした。結局事件はうやむやになってしまったが、それに義憤を感じた石川が、まだほとぼりのさめない1966年に小説にして発表したというものだ。映画はその原作の雰囲気をよくあらわしていると言われる。社会派の映画としては、もっとも成功した作品といえよう。

フロイトが「女性の性愛について」を書いたのは1931年のことで、かれの著作活動の最も後期に属している。だから、女性の性欲をめぐるかれの考えが網羅的に盛られていると言ってもよいのだが、その割には体系的な記述にはなっていない。これはフロイトの著作活動全般に通じることで、特定の前提から演繹的に結論を導き出すのではなく、さまざまな事象について実証的な考察を加えるという、かれの学問態度が反映されているのだと思う。

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1988年の日中合作映画「敦煌」は、井上靖の同名の小説を映画化した作品。小説の内容をかなり忠実に再現したということらしい。そこで原作がどのような意図で書かれたかが気になるところだ。これは一応歴史小説ということになっているが、登場人物の何人かが実在した人物だということ以外、歴史を思わせることろはない。ほとんどは井上の創作によるものらしい。井上ともあろうものが、なぜそんな中途半端な小説を書いたのか。ただのエンタメ小説なので、やかましいことはいわない、という手もあるが、井上は一応純文学の大家と言われているので、そういい加減なこともできないと思うのだが。

パンパン・コンプレックスを小論は、フロイトの社会理論を適用して説明しようとした。フロイトの社会理論は、精神分析学の成果を応用したものである。精神分析学は、人間の無意識的な抑圧が個人の人格形成に大きな影響を及ぼすとし、その無意識的な抑圧の代表的なものとしてエディプス・コンプレックスを位置付けていた。エディプス・コンプレックスとは、人間にとって根源的な衝動である性的リビドーが強い抑圧を受けて成立するものである。そのエディプス・コンプレックスは集団においても見られる。まったく同じものではないが、基本的には同じメカニズムにしたがっている、とフロイトが考えた。それはとりあえずは、父親殺しをきっかけとしたものだが、その根底には女をめぐる父親と息子達との葛藤がある。つまり、集団レベルにおいても、性的なリビドーが集団の行動様式を大きく規定しているわけである。

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「娘深雪」と題するこの絵は、人気歌舞伎「朝顔日記」に取材した作品。朝顔日記は、九州秋月家の娘深雪が、恋人の宮城阿曹次郎を慕って家出し、盲目の角付け芸人となって流浪するという話。深雪と宮城がたびたびすれ違うことから、メロドラマの原型といわれ、「君の名」などに影響を与えたといわれる。

鈴木邦男は、右翼としては変わり種で、いわゆる左翼の主張にも理解を示すところから、ふつうの右翼からは煙たがられているようである。だいだい、右翼の定義が曖昧なのだが、鈴木自身は一応民族主義を基本的な要件としている。その限りでは伝統的な右翼との連続性がある。だが、今日の右翼の主流は、自民党政権に迎合して、対米従属に陥っている。そこが鈴木の気に入らない。鈴木は、日本民族の自立という立場から、対米従属を否定する。だから鈴木の政治的な立場は、反米愛国ということになる。愛国とはナショナリズムと言い換えてさしつかえないので、鈴木の右翼思想は反米ナショナリズムということになる。

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「人形を持つ子供」と呼ばれるこの作品は、「ポリシネル人形を持つ」子供と並んで、現存するルソーの子供の肖像画四点のうちの一点。前作同様、人形を持って正面を向いた子どもを描いている。

日蓮は生涯におびただしい手紙を書いた。それらは、相手の能力に応じて法華経の教を説いたものだが、そこには日蓮の人間性が強く感じられる。とくに晩年の身延時代に書かれた手紙には、日蓮の慈愛に満ちた人間性が充ち溢れているものが多い。とくに女性に宛てた手紙に、相手の気持ちに寄り添うようなやさしさがある。そうした人間としてのやさしさが、多くの信者、とくに女性をひき付けたのだと思う。ここではそんな日蓮の女性に宛てた手紙をいくつか取り上げ、日蓮の人間性の一端に触れてみたい。

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伊藤俊也の1985年の映画「花いちもんめ」は、老人の認知症をテーマにした作品。この映画の中では、認知症は痴呆と呼ばれている。認知症という言葉には差別的な価値感覚はないと思うのだが、痴呆という言葉にはそういうトーンが明らかに認められる。じっさいこの映画の中の痴呆老人は、人間でなくなった動物のような存在として見られている。やはり時代の空気だろう。有吉佐和子が1972年に「恍惚の人」を発表したことで、認知症への社会の受け止め方には多少の変化はあったが、この映画が作られた頃には、まだまだ差別の対象であり、医療や介護をはじめ、社会全体で認知症患者やその家族を支えようとする雰囲気には程遠かった。そんななかで、認知症患者を抱えた家族の壮絶な毎日を、この映画は淡々と描きだしたわけで、そのことで多少は社会の認知症理解を広げたかもしれない。

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松園は蛍が好きと見えて、多くの作品に蛍を重要な小道具として登場させている。ずばり「蛍」と題したこの絵は、最晩年の「新蛍」や絶筆となった「初夏の夕」とともに、松園の代表作の一つである。

官能的な作風で好色な読者を魅了してきた高樹のぶ子が、幻想的な作風に一転して読者を惑わせたのが「香夜」である。日常と非日常の区別がなく、現実の出来事が幻想と融和しているところは「幻想的」といえる所以だが、それにとどまらない。人間が動物に化けたり、死んだ者が生きたものを道連れにつれていくところなど、奇妙奇天烈なストーリーを含んでおり、その点では怪奇小説ともいえる。とにかく、多彩な内容を含んでいる。エンタメ作家高樹のぶ子の本領が遺憾なく発揮された作品である。

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あけましておめでとうございます
コロナ騒ぎもいよいよ三年目に突入いたしました
一時期に比べればだいぶ収まってはきましたが
まだまだ油断はできません
オミクロン株が新しい流行を起しそうな気配です
じっさい、欧米諸国では過去最大規模の流行を起しています
日本人は、コロナに対しては慎重に振る舞ったため
他の諸国に比較してひどいことにはなりませんでした
今年も慎重にふるまい、コロナの流行を許さないようしたいものです
いつ死んでもおかしくない年頃になった小生にとって
一年一年を大事に生きていきたいと願っています
読者の皆様におかれても、息災で健康であることをお祈りいたします
今年は寅年ですので、寅のイラストを紹介します
十二年前に描いた水彩画です

壺齋老人 拝

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