知の快楽

笑いについてのベルグソンの説は、かれの主要思想である純粋持続とどのような関係にあるのか。ベルグソンは笑いを、基本的には社会的なものだと定義する。人間というものは社会的な生き物だから、他の人間を無視しては生きられない。社会は個人に対して一定の態度を求める。それは明確な規範という形をとることもあれば、暗黙の期待という形をとることもある。どちらにしても個人はそうした社会の要請に応えなければならない。だから個人がその要請に反したことをすると、社会は何らかの形で制裁を加える。笑いはそうした制裁の洗練されたものだ、というのが笑いについてのベルグソンの定義である。

ベルグソンは、無意識を哲学の主要なテーマとして持ち込んだ最初の西洋人ではないか。東洋では、無意識の問題は馴染みの深いものだった。大乗仏教の唯識哲学などは無意識を正面からとりあげているし、同じくインド思想から生まれたヴェーダンタ哲学なども、無意識を重視していると井筒俊彦は指摘している。井筒によれば、イスラム教シーア派の神秘思想やユダヤ教の神秘思想などにも無意識を重視する流れはあるようだ。小生は、ベルグソンの無意識をめぐる思想は、フロイドのそれと並んで、ユダヤ教の神秘主義思想あたりに根源があると見当をつけている。

ベルグソンは、人間の精神の本質的なあり方を純粋持続としての時間性に求めた。ベルグソンはその思想を、学位論文「時間と自由」において展開したわけであるが、「物質と精神」において、更に徹底的な考察を加えた。その考察を通じて、時間というものが人間にとって持つ本質的な意義を明らかにしたのである。

ベルグソンが「時間と自由」の中で展開して見せたのは、精神と物質をめぐるデカルト的な二元論を20世紀に復活させるものだった。物質は延長によって特徴付けられる、それに対して精神は非延長的なものであって、その本質は持続としての時間にある。延長すなわち空間的なものと、持続すなわち時間的なものとは全く異なった原理に立っている。だから混同すべきではない。ところが大多数の人々は両者を混同している。それも時間を空間化するという形で。その結果奇妙なことが沢山起きる。エレア派のゼノンが提出した詭弁はその最たるものだ。そういう錯誤を避けるためには、精神と物質とを、全く異なったものとして峻別せねばならない、というのが「時間と自由」という著作の基本的内容だった。

ベルグソンの著作「時間と自由」第三章は、自由についての議論である。自由はとりあえずは意思決定の自由という形をとるが、その自由をどう捉えるかは、自然や人間の精神活動についての考え方を背景にしている。ベルグソンはその考え方を、機械論と力動論とに分ける。機械論というのは、自然や人間の精神活動はある一定の法則によって支配されていると見るもので、したがって人間の意志には自由な決定の余地はないとみなしがちである。それに対して力動論は、自然や人間の精神活動には法則にしばられない部分があり、したがって自由な意思決定の余地が残されていると考える。しかしその力動論といえども、法則性を無視するわけではない。

岩波文庫で邦訳が出ているベルグソンの著作「時間と自由」は、学位論文として書かれたもので、ベルグソンの思想活動の出発点となるものである。もともとのタイトルは「意識の直接与件について(Essai sur les données immédiates de la conscience)であった。それが英訳された際に訳者が「時間と自由」と訳し、日本でもそれが踏襲された。この著作の内容は、時間と空間の関係及びそれを踏まえた上での自由と必然性との関係についての誤った考えへの批判に費やされているので、「時間と自由」という題名でも差し支えないといえよう。

哲学の書物には、うんうん唸りながら読むタイプのものと、うきうき楽しみながら読むタイプのものがある。ヘーゲルの書物がうんうん唸りながら読むタイプの最たるものだとすれば、ベルグソンの書物はうきうき楽しみながら読むタイプを代表するものだろう。ベルグソン以外にも楽しく読める書物はある。近代以降に限っても、スピノザやライプニッツは楽しく読める、だがベルグソンの書物はレベルを超えた楽しさを与えてくれる。その最大の理由は、かれの文章の流麗さと感性的な色合いだろう、それを小生は文章のつやとか色気とか言いたいが、その色気に満ちた文章をベルグソンは書く。その色気ある文章を以て、どんな人間にとっても深い関心を持っているようなことについて語ってくれる。うきうきと楽しまないではいられないではないか。

「思想と動くもの」への緒論第二部の主要なテーマは、哲学と科学の関係についてである。このことにベルグソンがこだわるのは、かれの説が反科学主義だとの批判が強く出されたからであった。そういう批判が出るのは、科学と哲学との関係が正しく理解されておらず、哲学は科学を厳密化したものだとか、科学を基礎づけるものだとかいう考えが広まっているからだ。ベルグソンはそうした誤解を解消して、哲学と科学とのあるべき関係を模索するのである。

ベルグソンは「思想と動くもの」を刊行するについて、未発表の二編の小文を緒論として置いた。河野与一訳の岩波文庫版では、三分冊の最後に置かれているが、原著では冒頭に置かれている。また、河野訳では、便宜上「哲学の方法」という総題が付されているが、これは緒論の扱っているテーマを要領よく表現したものといえる。この緒論は、哲学の基礎となるものをまとめたもので、ベルグソンなりの方法序説と言うべきものであるからだ。

ベルグソンの小論「可能性と事象性」は、アリストテレスが提起し、西洋哲学の存在論を彩ってきた問題「可能態と現実態」の対立について、ベルグソンなりの回答を与えたものである。原題はLe possible et le réelとなっており、le réelを訳者の河野与一が事象性と訳したものだが、この言葉には現実性とか実在性といった意味も含まれる。ベルグソンはこの小論を1930年にスウェーデン語で発表した。1927年に受賞したノーベル文学賞への、遅ればせながらの受賞講演の代わりのつもりだったようだ。

ベルグソンとウィリアム・ジェームズは強い友情で結ばれていた。ジェームズのほうが17歳も年長だが、年齢の差を越えて互いに尊敬しあった。それは二人の思想に親縁性があったからだ。ジェームズは意識に直接与えられた感性的なものを自分の思想の土台として、ある種の唯心論を展開したわけだが、ベルグソンにも唯心論的な傾向が強い。ベルグソンの哲学的業績が「意識の直接的与件について」の考察から始まったように、かれの思想も意識に直接与えられた感性的なものを土台としている。そういう共通性が二人を強く結びつけたのだと思われる。もっともこういう意識内容を重視する思想(現象一元論と呼ばれる)は、当時流行していた新カント派にも共通するところで、その影響を受けた日本の西田幾多郎にも見られるところである。

ベルグソンの著作「思想と動くもの」に収められた「哲学的直観」という小文は、哲学と科学を比較しながら、哲学固有の意味について考えたものである。科学はある時代における知を代表しているものであるから、その時代の哲学は科学に対して意識的にならざるを得ない。じっさいどの時代の哲学思想も、同時代の科学の成果を自分に取り込んでいる。そのうえで、哲学はすべての科学を基礎付けるものだと言ってみたり、科学の成果を一段と高い視点から総合したものだと言って自慢したがるものである。しかしそれは思い上がった考えだとベルグソンは言う。哲学と科学とは本来異なったものだから、それぞれが自分の領分を持っているのであり、一方で他方を代用するわけにはいかず、また一方が他方より優れているともいえない、と言うのである。

ベルグソンの意図したことをごく簡略化して言うと、人間の知識についての西洋哲学の伝統的な考えを根本的に批判し、新しい知のあり方を提示することにあった。西洋哲学の伝統的な考えは、これもまたごく簡略化して言うと、プラトンのイデアに代表されるような、概念的かつ理念的なものを基準にして、その抽象的な原理にもとづいて具体的な事象を説明するということになる。事象は我々にとって知覚を通じて与えられるから、その知覚をそのままに受容するのではなく、概念のフィルターを通して知覚を理解するという形になる。これはいわば逆立ちした考えだとベルグソンは批判して、知覚の根源性と概念の派生性を主張するのである。

半世紀ぶりにベルグソンを読み返している。テクストは、学生時代に大学生協で買った岩波文庫。インクが退色して読みづらくなっているが、まだ読めないわけではない。このテクストにこだわるのは、かつての読書の跡が記録されているためで、横線や書き込みを手がかりに、読んだ本の内容を再現しやすいからである。はじめて読むよりは、理解が進みやすい。

マルクスの「ブリュメール18日」への注釈「象徴と反復」の中で、柄谷行人はボナパルティズムについて考察している。かれはファシズムもボナパルティズムの一形態であると考えている。そのファシズムには日本の(全体主義の)例も含まれるとする。かえって日本の例も含んだファシズムを整合的に説明できる原理がボナパルティズムだと言うのである。

熊野純彦は広松渉に学恩があるそうだ。その広松を通じてマルクスに接してきたらしい。哲学的なマルクス論というと、マルクスの初期の文章を手掛かりにして疎外論を展開するものと、資本論によって物象化論を展開するものとに大別される。広松は後者のタイプの研究者だったが、熊野はその広松の学風を受けて、資本論を中心にマルクス論を展開しているわけであろう。

マルクスの思想の哲学的な側面は、疎外論と物象化論に代表される。疎外論は、「ヘーゲル法哲学批判」から「経済学・哲学草稿」にかけての若い頃の思想を特徴付けるもので、人間のあるべき姿を想定した上で、それからの堕落形態を疎外と見るものだった。物象化論は、資本論で確立された思想で、人間同士の社会的な関係が、物と物との関係に見えるという資本主義社会に特徴的な現象を解明したものだった。この二つの思想の間には断絶があると見るのが主流になっているようだが、小生は連続していると見たい。物象化論は疎外論の一つの変奏だと見たいのである。物象化論もまた、人間関係の本来的なあり方を想定し、それからの堕落として物象化を論じているからである。

資本主義が終わった後の時代の政治体制はどのようになるか。マルクスはこれを二段階に分けて考えていた。究極的なあり方としての共産主義社会の政治体制と、資本主義社会から共産主義社会への移行期における政治体制である。共産主義社会における政治体制は、階級が消滅した社会を前提としているので、階級支配の道具としての国家は消滅するというのがマルクスの基本的な考えである。国家が消滅するわけは、共産主義社会においては、経済的・社会的資源が無限大になるので、人々が相互に争う理由がなくなり、したがって利害調整の必要もなくなるから、利害調整のための機関である国家も不要になるからである。ではどのような政治体制が形成されるのか。これについてマルクスは確定的なことは言っていない。おそらく、人々に争う理由がなくなれば、政治そのものが存在意義を持たなくなるから、国家を含めあらゆるタイプの政治的な装置は意義を持たなくなると考えていたのであろう。

20世紀に成立した社会主義諸国は、いずれもマルクス主義を標榜し、マルクスの経済思想を具体化したと主張した。マルクスは、資本主義後の経済システムのあり方を詳細に示したわけではないが、私有財産の廃止と財産の共同的な所有及び協同組合的な経済運営などをほのめかしていた。ソ連型といわれる社会主義経済システムは、マルクスのほのめかした考えを、私有財産の廃止と財産の国有化および国家による計画経済という形で具体化した。しかしそうした経済システムは、一時はうまく機能するように見えたが、結局は破綻して、市場経済システムに復帰する動きを強めた、というのが大方の了解になっている。つまり、国有企業を中心にした計画経済はうまく機能しないという了解が、資本主義諸国を中心にして強化されているわけである。

議会と革命

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ブルジョワ革命としてのフランス革命は、議会を舞台として起こった。革命以前のフランスは、基本的には絶対王政の体制であり、王の臣下たちが専制的な統治を行っており、議会などは存在しなかった。だから、ブルジョワは自分たちの政治的な代理人を持たなかったのである。そのかれらが曲がりなりにも議会を召集させ、そこに自分たちの政治的な代理人を持つことができたことで、自分たちの政治的な要求を実現させる機会を獲得したわけである。その機会は最大限活用され、ブルジョワたちは自分たちに都合のよい統治システムの構築に成功した。それは前の時代からは断絶していたので、革命という名前が相応しかった。

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