旅とグルメ

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荊婦と札幌に遊び、中島公園を訪れた。今から三十年以上も前、まだ幼かった子どもたちを連れて北海道一周旅行をしたことがあった。その折に中島公園を散策したことを思い出し、その旅行には同行しなかった荊婦に、我々が訪れた時の様子を、現場を見せながら話してやりたいと思って赴いた次第だった。

先日、ドイツやロシアへ一緒に旅行した仲間と、神田小川町のイタリアレストランで会った。例の如く、大声を張り上げながら、老人らしい話題に花を咲かせるうちに、大坂なおみ選手の話になった。いまアメリカで起きている深刻な人種差別問題に、彼女が声を上げ、脅迫の恐怖を覚えながらも、人種差別への反対を表明し続けたのはすばらしい。日本では、スポーツ選手や芸能人が、政治的なイシューをめぐり発言することはタブー視されており、アメリカでさえも、一定のリスクを伴うと言われているが、そういう風潮のなかで、毅然として自分の意見を表明したのは、誰にもできることではない。

山子夫妻と川崎でうなぎを食った。本来はこれに落子と松子未亡人が加わるはずだったのだが、二人ともコロナ騒ぎを理由に欠席した。その理由付けが対象的だ。落子はコロナを移されるのが怖いといい、松子未亡人は、もしかして自分がコロナを他人に移すかもしれないのが心苦しいというのだ。

この秋の十月に、先年ロシア旅行をともにした仲間とポルトガル、スペイン方面へ旅行する計画だったが、コロナ騒ぎで、どうしたものかと思案する折合、期限も近づいたこととて、この際どうしたらよいか、戦略的な決定を迫られる段取りとなった。そこで我々は、東京のさるレストランに集り、戦略会議を催した次第だった。我々の世代は、重大な決定をする際には対面で話し合うという癖がついているので、いま流行のリモート会議ですますわけにはいかなかったのである。

毎年の恒例にしたがい、今年も新宿西口の居酒屋であひるの新年会を催した。寒風吹きすさぶ中会場に赴くと、すでにしずちゃんあひるとミーさんあひるが席についていた。簡単な挨拶をして部屋に入ろうとするとしずちゃんあひるに制止された。あなた中国には行ってませんか、と言うのだ。いや、行ってませんよと答えると、では中にどうぞという。いま中国で大流行の新型肺炎を心配しているのだ。その心配は家人もしていて、小生が家を出る時には大きなマスクを二枚も持たされたほどだ。

豊穣たる熟女の皆さんと船橋のスペイン料理店で新年会を催した。今回は是非M女にも参加してほしいと思って何度も電話をかけたのだったが、十回かけても出てこないのであきらめるしかなかった。まだ鬱状態が解けていないのだろう。そこでT女、Y女と三人で船橋駅で待ち合わせたところ、指定の場所に彼女らがなかなかあらわれない。携帯で連絡したところ、別の場所で待っているという。なぜ指定の場所にいないのかね、と小言を言った次第。

旧友K生とは昨年の暮に久しぶりに飲もうと話していたところ、彼の急病で中止となった次第だったが、病気が治ったので新年会を兼ねて飲もうということになった。そこで小生は都内某所の赤暖簾に赴いて、K生と旧交を温めた。もう一人の旧友CGが同座した。

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まつり会館のそばにある駅から秩父鉄道に乗って長瀞に向かう。そこであの有名なライン下りをするつもりなのだ。長瀞駅の正面に切符売り場がある。そこで切符を買おうとしたら、ここで売っているのはBコースだけなので、Aコースを希望する人は、線路をわたって左に曲がってください。そうすれば、そこにAコースの販売コーナーがあるから。言われたとおりに線路を渡って左に曲がり、そこの販売コーナーでAコースの切符を買った次第。

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豊穣たる熟女の皆さんと秩父を歩いた。今回もM女は参加できなかった。小生は先日彼女と電話でやりとりをしたので、その際のことをT女とY女に語って聞かせた。体調が悪くて、いくつかの病気に同時襲来された上に、うつ病の症状が甚だしいのだという。人と話すのも億劫なので、電話がかかって来ても出ないようにしているそうだ。そう言ったところが、道理で何回電話をしても通じなかったわけだわ、と二人はため息をつく。少なくとも今年いっぱいは外出できる見込みはないので、年が改まって調子が上向いたら、どこかで食事でもしましょうと言って、電話を切った次第。来年の新年会にでもまた声をかけてみよう。

四方山話の会七月の例会には、前回に続き赤子が出席し、自分の半生について語るというので、楽しみに出かけて行った。会場はいつもの通り新橋の焼鳥屋古今亭。定刻ちょっと前について見ると、座席が六人分用意されてあり、小生が腰かけると満員になった。ところが幹事役の石子の姿が見当たらない。どうしたことかといぶかる間もなく、その石子があらわれて、全部で七人になった。小生と石子のほか、六谷、梶、赤、浦、小の諸子である。

四方山話の会の六月例会には、赤子が出席したいと事前にメールがあった。赤子の名前は無論憶えているのだが、名と顔が記憶の中で一致しない。なにしろ半世紀くらい会っていないわけだから、無理もない。だけれど、会ってみればきっと思い出すだろう、そんなふうに思いながら新橋の会場に赴いた次第だ。

古い街並みが尽きるあたりの連雀という交差点でタクシーをつかまえ、川越温泉に向かった。この日の散策では時間の余裕があらかじめ見込まれたので、日帰り温泉施設で旅の疲れを癒そうという計画があったのだ。この温泉は、ネットで見つけたのだが、風呂の種類も多くて、なかなかよさそうな雰囲気だったので、いくつかある同種の施設のなかから選んだ次第なのだった。

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豊穣たる熟女の皆さんと今年の新年会の席で、初夏の陽気のよい頃に是非川越の古い街並みを見物しながら歩きましょうよと話し合ったところ、初夏を待つ頃合いには小生から呼びかけた次第だったが、M女が体調不良を訴えてきた。でも是非一緒に行きたいから、日延べをして下さいなと言うので、6月15日に設定しなおしたのだったが、どういうわけかM女とは、そのご連絡が取れなくなったとのこと。いくら電話しても出てこないし、メールにも答えない。残りの二人の熟女は途方に暮れたと言っていたが、M女との連絡は引き続き努力するとして、川越へのハイキングは予定通り決行しましょうということになった。ところが天気予報では、当該の日は全国的に雨の雲行き。そこでメールでどうしたものかと相談したところ、Y女は晴女だから、彼女の神通力で、雨雲を追い払ってくれますよとT女が太鼓判を押す。小生は風邪気味で最悪に近い体調でもあったのだったが、彼女たちを楽しませてやりたいとの一心から、病身に鞭を打つようにして出かけた次第だった。

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六月二日(日)雨もよいの一日。起床後朝風呂につかり、八時に朝食をとる。ビールを飲んだのはいうまでもない。その後山子夫妻は近所のうどん屋に行って、うどんを土産に買ってきた。小生の分も買ってきてくれた。香川のうどんは、地元で食うと非常に味がいいと思うのだが、これを持ち帰って船橋で食ってもうまいかどうかは、他日の愉しみに置いておこう。

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淡路人形館を辞したのは午前十一時頃のこと。ただちに車を飛ばして徳島に向かう。大鳴門橋を渡るに、右手には瀬戸内海、左手には鳴門の海を望む。鳴門の海には、大小の渦のまくのを見た。この海域に渦がまきやすいのは、潮流と地形が独特の組合せを呈しているからだという。狭い海峡に早い潮の流れが渦を作るということらしい。渦の大きさは直径十五メートルに達することもあるという。

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六月一日(土)晴れて暑気を催す。起床後朝風呂につかる。浴室に入ろうとすると、五歳くらいの女の子がひとりでいるのが見えた。小生のことを盛んに気にしている様子だ。さては女風呂に迷い込んだかと思っているうち、露天風呂のほうから父親らしい男が入って来た。そこで得心して湯につかった次第だ。朝飯は、二階の大食堂でとった。旅のこととて、朝からビールを飲む。これがまた、すこぶるうまい。



淡路島には、現在三百匹の猿が生息しているそうだ。その猿を観察する施設があって、我々が訪れたときには、ちょうど餌付けの時間にあたっていて、餌を目当てにした猿が大勢集まっていた。観察施設は、大阪大学と地元の自治体が共同して運営しているという。我々が訪れた時は、男性と女性の飼育員というか、観察スタッフが、色々とここの猿たちについて説明してくれた。

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旧友五人のグループで、毎年ちょっとした旅行を楽しんで来た。松子がベンツを運転し、それに他の四人が同乗するパターンだったが、その松子が昨年の秋に亡くなってしまい、継続が危ぶまれていた。ところが、山子の細君が、運転は私が引き継ぎますから、是非この楽しい旅を継続しましょうと言ってくれた。そこで今年は、山子の細君に運転をお願いし、生き残った他の三人がそれに同乗し、淡路島から四国方面をドライブ旅行しようということになった。折しも時は、五月の末から六月の始めにかけての三日間、梅雨が訪れる前のことであった。

四方山話の会五月例会には、清子が関西から出て来て演説をする段取りになっていたので、その際の参考に読んでおけと言って渡されていた原稿を持参して、早めに会場につき、皆が来ない間に読み終えて、清子が来るのを待ったのだった。清子の書いた原稿は三編からなり、あわせてA4用紙19枚分というボリュームで、日本の政治運動史の一コマについての清子なりの分析が施されていた

四方山話の会今年二回目の例会は、いつものとおり新橋の古今亭で催された。やや早めについて見ると、浦子がひとりポツネンと座席に腰かけ、新聞に眼を通している。用意されている席は五人分だ。今晩は少ないなといいながら席に着くと、やがて六谷子がやってきた。彼、先日大磯の吉田茂邸を見物してきたそうだ。なにか面白いことはあったかねときくと、近くに島崎藤村の墓があったという。島崎藤村は晩年を大磯で過ごしたのだそうだ。細君の墓と仲良く並んでいて、細長い石柱がたっているが、とくに戒名などは書いていないのだそうだ。

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