映画を語る

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黒沢清の2019年の映画「旅のおわり世界のはじまり」は、日本とウズベキスタンの国交樹立25周年を記念して作られたそうだ。ウズベキスタンの自然や文化を日本人に紹介するような体裁になっている。だから、ウズベキスタンという国に対して、リスペクトの念に満ちているかというと、そうではないように見える。かえってウズベキスタンという国やそこに暮す人々への、軽蔑のようなものが伝わってくる。

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黒沢清の2013年の映画「リアル 完全なる首長竜の日」は、SFタッチのミステリー映画である。SFタッチというのは、二人の人間の間で意識を共有するという設定だからであり、ミステリーというのは、わけのわからぬ怪物(首長竜)が現実世界に登場して大活躍するからである。そういう意味合いでは、純粋の娯楽映画といってよい。肩の凝らない作品である。

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黒沢清の2005年の映画「LOFTロフト」は、黒沢得意のホラー映画である。この作品のホラーの源泉はミイラなのだが、それがすこしも怖くない。怖がっているのは主人公の女性作家だけで、あとはみな怖がっていないし、観客もまた怖がるまでには至らない。ホラー映画としては失敗作なのではないか。

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黒沢清の2003年の映画「ドッペルゲンガー」は、文字どおりドッペルゲンガーをテーマにした作品だ。ドッペルゲンガーというのは、分身とかもう一人の自分と訳されることが多いドイツ語で、幻覚の一種だと考えられる。文学の世界では格好の材料となり、これを扱った作品は数多くある。小生もいつくか読んだことがある。そのドッペルゲンガーを黒沢は、映画のテーマにしたわけだ。

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黒沢清の2003年の映画「アカルイミライ」は、前作の「回路」に続いて幽霊趣味を感じさせる作品である。この映画には、浅野忠信演じる男の幽霊が出てくる。映画のテーマはその男とオダギリジョー演じる男との、男同士の奇妙な友情を描く。その友情に、浅野の父親(藤竜也)がオダギリジョーに寄せる、友情とも父性愛ともわからぬ奇妙な感情がからまる。しかもそうした人間同士の感情の結びつきを、毒クラゲが媒介する。なんとも奇妙な映画である。

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「ドレミファ娘の血は騒ぐ」から十年後、黒沢清は低予算映画のシリーズものを作った。「勝手にしやがれ」と題したシリーズもので、六本からなり、いずれも80分程度のこじんまりした作品だ。正義の味方を気取った二人組みの若者が、やくざ相手に活躍するといったもので、一時期流行ったやくざ映画のパロディと言ってよい。

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坂上順治の2007年の映画「魂萌え」は、桐野夏生の同名の小説を映画化した作品だ。桐野の小説を小生はまだ読んだことがないが、ハードボイルドタッチの推理小説が得意だそうで、いまは最も人気のある作家の一人と言われる。その桐野にとって、「魂萌え」は代表作だそうだ。だが、彼女の得意とするたちの小説ではない。平凡な主婦の嫉妬と恋心を描いたものだ。少なくとも映画ではそうなっている。

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石井裕也の2010年の映画「川の底からこんにちは」は、生きづらい今の日本社会を懸命に生きる女性を描いたものだ。その生きづらさは、21世紀に入ってから顕著になったもので、小泉政権が旗を振った新自由主義的な政治の結果でもあった。その結果日本には深刻な格差社会が生じ、勝ち組と負け組とが明確に分かれた。勝ち組になれたものは大もうけが出来た一方、大部分の日本人は負け組に押しやられて、生きづらい世の中を生きるように余儀なくされた。そういう時代の風潮がよくわかるような映画である。

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2006年公開の映画「かもめ食堂」は、どういうわけかフィンランドのヘルシンキを舞台に、現地で日本食堂を経営する女性の話を描いたものだ。小林聡美演じるその女性に、片桐はいりはじめ幾人かがかかわり、異国で生きる日本の女たちのたくましい姿が印象的な映画である。ヨーロッパを舞台に日本人を描くというのは、アイデアとしては陳腐だが、なぜか印象深い映画はほかに見たことがない。そういう点で、貴重な作品かもしれない。

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2015年の日本映画「ゆずり葉の頃」は、岡本喜八の妻が旧姓中みねこの名義で発表した作品。これが唯一手がけた映画で、主演の八千草薫が企画の段階から協力したという。死期をさとった老女が、少女時代の思い出を探して歩き回るという趣向で、見るものをしてほんのりとした気分にさせてくれる。

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「ミンヨン」は韓国人の若い女性の名、「倍音」はハーモニーのことである。この二つをタイトルに含んだ映画「ミンヨン 倍音の法則」は、ミンヨンという韓国人の若い女性がハーモニーについて語るというような内容である。それだけでは映画にならないから、ミンヨンが戦時中の日本にワープするという物語を絡ませている。ただワープするだけではなく、日本人女性に変身するのだ。

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千本福子はテレビ作家として活躍したそうだ。その彼女が唯一劇場用に作った映画「赤い鯨と白い蛇」は、80歳近くで完成させた作品だ。五人の老若の女性を登場させて、それぞれの生きてきた過去や、またこれから生きていくであろう未来について、淡々とした口調で紹介するといったやり方で、テレビドラマの手法を生かしているように見える。

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2004年の映画「二人日和」は、年老いた男女の夫婦愛を描いたものである。不治の病に冒された妻を、夫が献身的に介抱しながら、互いの愛を確認しあうというような内容だ。内容そのものは、きわめて平凡だが、その平凡な内容が、美しい画面とゆったりとした時間感覚の中で展開されると、心を洗われたような気持になる。

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2005年公開のドキュメンタリー映画「沖縄 うりずんの雨」のテーマは沖縄現代史。沖縄戦から戦後の軍事占領を経て、返還後の米軍基地の存在など、沖縄が抱えてきた苦悩を微視的に、つまり体験者の視点から見ている。監督はアメリカ人のジャン・ユンカーマンなので、多少のバイアスは感じられるが、おおむね問題の本質に迫っているのではないか。それはかれが、沖縄における米軍基地の存在を、日本の主権への侵害だと説明していることからもわかる。だが、米兵による沖縄人への虐待については、あまり多くを語りたがらない。

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石内都は日本を代表する女性写真家だ。衣装に強い関心を持っていたそうだ。その石内が、2011年10月から翌年2月まで、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学人類学博物館で、ひろしまをテーマにした写真展を開いた。展示された写真はみな、被爆者が生前身につけていたものである。それらを見ると、被爆して死んだ死者の姿を直視するに劣らない迫真性を感じる。それが見るものの心を直撃する。

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2009年のイタリア映画「やがて来たる者へ(L'uomo che verrà)」は、ナチスドイツによるイタリア支配の残忍さを描いた作品である。1943年7月にムッソリーニが失脚すると、ナチスはイタリアに介入し、ムッソリーニを復権させて傀儡政権を作り、北部イタリアに進出した。それに対して北部イタリアでは対ドイツ・レジスタンス運動が広範に起こった。ナチスは血の弾圧をもってそれを抑圧しようとした。この映画は、北イタリアを舞台として、ナチスに対抗する人々と、それに血の弾圧を加えるナチスの凶暴さを、一人の少女の視点から描いたものである。

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ナンニ・モレッティの2001年の映画「息子の部屋(La stanza del figlio)」は、イタリア人の家族関係を描いた作品。とくに父子関係に焦点をあてている。その父親役を、監督のモレッティ自らが演じている。映画で見る限り、モレッティはなかなかハンサムであり、しかも知的な雰囲気を感じさせる。

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エルマンノ・オンミの1978年の映画「木靴の樹(L'Albero degli zoccoli)」は、イタリアの貧しい農民たちの過酷な生活を描いた作品である。東ロンバルディアの農村地帯が舞台になっているが、どの時代かは明示されていない。作品の公式サイトには19世紀末ということになっている。その時代のイタリアでは、地主が大勢の小作人を使い、小作人の住まいを提供するかわりに、収穫の三分の二を取り上げたという。小作といっても、全人格で従属していることから、ロシアの農奴とかわらない。そんな農奴的な小作人たちの過酷な生活をドキュメンタリータッチで描きあげた作品である。

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タヴィアーニ兄弟の1977年の映画「父 パードレ・パドローネ(Padre Padrone)」は、サルデーニャ島の家族関係を描いたものだ。イタリアの家族関係は、ヴィスコンティの映画などからは、父権が強力だとは思われないのだが、この映画に描かれたサルデーニャ島の家族関係は、父親が絶対的な権力を振るっている。父親はその権力を振り回して、小学校に入ったばかりの息子を退学させて、羊飼いの手伝いをさせる。息子は20歳になるまで、一切教育を受けることがなく、文盲となる。しかし何とか努力して文字を覚え、しかも大学で言語学を専攻し、有名な言語学者になる、というような内容の話だ。実話をもとにした話だという。

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ジャンニ・アメリオの2004年の映画「家の鍵(Le chiavi di casa)」は、父とその障害を持った子との触れ合いをテーマにした作品。父子関係の意味とともに、障害を持った子どもの生きる意味のようなことを考えさせる映画である。

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