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「樹木のある風景(Wooded Landscape with a Peasant Resting)」と題されるこの絵は、トーマス・ゲインズバラの初期の風景画。彼が20歳の時の作品だ。ゲインズバラは、肖像画家としてまず名声を博したのだが、好みとしては風景画に傾いていた。だから、肖像画を描く時にも、かならず自然の風景を背景に描いた。かれは、風景の中の人間を意識的に描いた最初の画家と言える。

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1975年のオーストラリア映画「ピクニックatハンギング・ロック(Picnic at Hanging Rock)」は、寄宿制女学校の生徒たちの謎の失踪事件を描いた作品。生徒たちが学校近くのハンギング・ロックという岩山にピクニックしたさいに、三人の生徒と一人の教師が謎の失踪をする。そのため、学校は無論、地元の警察や住民も大騒ぎをする。生徒のうちの一人は生きて見つかるが、他の三人はついに見つからない。一方、この学校の校長は、生徒の命より学校の経営のほうを大事に考え、貧しくて授業料を払えぬ生徒を追い出そうとする。それに絶望した生徒は自殺し、校長もまた事故死する、というような内容だ。

正法眼蔵第三十は「看経」の巻。看経とは経を読むことをいう。経を読むことの修行上の意義は何か、また、実際に看経の儀式をするときはどのように行うべきかについて説かれる。道元は、看経そのものにはたいした意義を認めていないというふうに、普通は受け取られている。しかしそれは、お経の字面だけを読んでも意味がないので、お経の真に意味するところを感得すべきだということを意味している。お経に込められた仏祖たちの真の教えを体得することが看経の意義だというのである。

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表参道を、山通との交差点を渡ると、その延長上に東側に伸びるやや狭い道が伸び、それを「みゆき通り」と言いますが、この通りの外れ近くにフロムファーストビルができてからは、フロムファースト通りとも呼ばれるようになりました。フロムファースト自体は、総合生活提案産業ですが、ビルの中にはさまざまな商業施設が入っています。この建物を設計したのは山下和正。竣工は1975年です。

ドゥルーズは、西洋の伝統思想である形而上学を根本的に批判し、それを解体したうえで、全く新しい思想の原理を提示しようとする。それは自分自身の反復の思想を、ニーチェの永遠回帰の思想と融合させたものだ。永遠回帰としての反復というべきものが、ドゥルーズの掲げる新しい哲学の原理なのである。とはいっても、ドゥルーズの解釈するニーチェの永遠回帰は、ニーチェ本人が考えていた永遠回帰とはかならずしも一致しない。ドゥルーズは、自分自身の反復についての考えを、ニーチェの永遠回帰に無理に接合しようとして、永遠回帰の思想的な含意をゆがめて捉えなおしているフシが見える。もっともそれが悪いというわけではない。先人の思想の読み替えは、哲学の歴史ではめずらしいことではない。むしろ読み替えによって、思想が新たな命を吹きこまれることもある。

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トーマス・ゲインズバラは、英国の絵画史上初の本格的画家である。その前にホガースが出現して、イギリスの最初の国産画家と言われたものだが、ホガースは版画のほうが有名で、彩色画は平凡だった。ゲインズバラは、油彩画を得意とし、人物画や風景画に優れた作品を残した。

ドストエフスキーの小説「未成年」は、いわゆる五代長編小説のうち四番目の作品である。「悪霊」と「カラマーゾフの兄弟」の間に位置する。ドストエフスキー研究で知られる寺田透はこの小説を、ドストエフスキーの第二の処女作と言っている。どういうつもりでそう言ったのか。処女作というと、その後の作品世界にとっての手がかりを示したものということになる。もしこの小説を処女作と言うならば、それを手掛かりとした作品は、「作家の日記」を別におけば、「カラマーゾフの兄弟」ということになる。だが、「カラマーゾフの兄弟」が「未成年」から生まれたとはなかなか考えがたいのではないか。

「未成年」はむしろ「悪霊」との関連において論じるのが理にかなっているのではないか。その関連において重視すべきは二つある。一つは語り口であり、もう一つは人物像である。語り口については、「悪霊」では基本的には小説の一登場人物の語りという体裁をとりながら、それがいつの間にか第三者の語りと混交するというような不思議なスタイルをとっていた。小説の構成にある程度の客観性を持たせようとする配慮がそうさせたのだと思う。それは読み手にとって、筋の進行がわかりやすくなるという効果をもたらした反面、なにか作り物めいたしらじらしさを感じさせないでもなかった。そのしらじらしさについて反省したのか、ドストエフスキーはこの「未成年」では、完全な一人称のスタイルに徹している。そのことで、小説の構成は厳密でかつシンプルなものになった。だがそのかわりに、客観的な描写を犠牲にせねばならなかった。この小説は完全な一人称で進行するので、語り手の意識に現れたもの以外は語られないのである。しかもその語り手は、未成年であって、したがって人間として未熟である。その未熟な人間の意識にのぼったことだけが語られるので、語り方は稚拙にもなり、また感情的になったり、誤解も多かったりする。そういう語り方は、語り手の個人的な心理的事実を語るには適しているが、複雑な事態を描写するには適していない。それをあえてドストエフスキーが行ったのはどういう理由からか、ということが問題となる。

人物像については、「悪霊」に登場するのは、ロシアに現れつつあった新しい世代の若者たちが中心である。かれらは、ナロードニキであったり、無政府主義者であったり、社会主義者であったりする。そんな若者たちにドストエフスキー自身は批判的である。それゆえ、語り手を通じてそういう思想を批判させたり、また、ロシア主義を主張させたりする。そんなわけで「悪霊」という小説は、きわめて政治的なメッセージを含んでいる。それに対して、「未成年」に出て来る人物像は、基本的には利己的な人間ばかりで、政治的な野心はほとんど感じさせない。ワーシャという人物や、かれの関係する若者たちが登場し、政治的な議論をする場面もあるが、かれらのそうした行いはあくまでも刺身のツマのような扱いであり、小説の前景になることは一度もない。その点は、「悪霊」と「未成年」とは、まったく違う世界を描いているといってよい。「悪霊」は、新しい世代のロシアの若者たちの政治的な行動をテーマとし、「未成年」のほうは、利己的な人間たちが繰り広げる世間話のようなものがテーマになっている。

世間話といったが、この小説にはたいした筋書きはないのである。一応クライマックスはあり、それに向かって様々な事態が展開していくという体裁にはなっているが、そのクライマックスというのが、基本的には金をめぐるごたごたなのである。この小説は、ソコーリスキー老侯爵の遺産をめぐる争いが基本的なテーマなのだ。それに主人公の父親ヴェルシーロフの狂気だとか、カテリーナ・ニコラーエヴナとアンナ・アンドレーエヴナの確執とかがからんでくるが、それらはサブプロットいってよく、メーンプロットは遺産つまり金をめぐるごたごたなのである。ドストエフスキーの小説としては、めずらしく世俗的な内容である。

この小説の語り手は、アルカージー・マカーロヴィッチという未成年者で、かれが一年余りの間に体験した出来事を回想するという体裁をとっている。小説はそのアルカージーの回想録(本人は記録とか手記と呼んでいる)なのである。その回想録を語り手は一年前の九月十九日を起点にして書いたと言っているが、その九月十九日というのは、クラフトという若者から書類を受け取った日で、その書類というのが、老侯爵の遺産にまつわることが書かれていることからも、この小説が遺産相続争いをテーマにしたものだということができるのである。

遺産相続は、昔のロシア人にとっては深刻な問題で、したがって大きな関心の的ではありえたかもしれぬが、偉大な小説のテーマとしてはいかにもこまごましい印象を与える。そこで、ヴェルシーロフの狂気だとか、彼とカテリーナ・ニコラーエヴナとの不思議な愛憎関係とか、語り手のアルカージーとヴェルシーロフやそのほかの家族との関係とか、老侯爵をとりまく人間模様とか、幼馴染でならずもののランベルトとか、ワーシンを中心とした新しい青年たちとか、ドストエフスキーが大好きな不幸な女とかを登場させて、小説の展開に色を添えてはいる。だが、それらはあくまでサブプロット扱いであり、メーンプロットは老侯爵をめぐる遺産争奪の争いなのである。

第一、語り手のアルカージー自身が、遺産相続の行方を左右する重要な文書に始終こだわっているのである。この小説はそのアルカージーの意識のなかにあらわれたものだけを記録するという体裁をとっているので、そのアルカージーが遺産相続の行方に関心を集中しているかぎり、そのことが小説のメーンテーマであり続けるわけだ。

そんなわけで、この小説は、アルカージー・マカーロヴィッチの意識の範囲を展開の場としている。かれの意識にうつった世界を、多少の解釈を交えながら記録するという体裁をとっている。その結果、描写は極めて主観的にならざるをえないし、解釈の中には誤解も含まれているようなので、どれが事実でどれが誤解なのか、客観的に判断するすべがない。事実の判断基準がないのであるから、読者は語り手の言っていることを、眉につばしながら受け取らねばなるまい。「悪霊」の場合には、事実を自然に見せるための工夫として、ときたま第三者的な描写が行われ、それが事実の展開に自然なイメージを付与するのであるが、「未成年」には、そうした工夫は一切なく、あくまでもアルカージーの体験したことを聞かされる。それゆえ、語りの内容にはかなりな混乱も生じる。その混乱をドストエフスキーは楽しんでいるフシがある。


過日、「アルチュール・ランボーとわが青春」と題して、小生の青春がアルチュール・ランボーにかなり影響された経緯を披露した。ランボーはなにしろ型破りな男であるから、接するものを夢中にさせずにはおかない。まして少年においてやである。だが、ランボー一点張りの少年時代を送った人間は、かなりいびつな生き方をすると思う。小生の場合には、ランボーにかぶれた度合いが強かったために、性格的にいびつなところが身についてしまったが、しかしランボー以外にも心酔するものはあったので、ランボー一点張りというわけでもなく、パッチワークのようないい加減なところもある。そこで今回は、ランボー以外に小生の心酔したものを紹介したいと思う。

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2014年のノルウェー映画「バレエボーイズ Ballettgutteneケネス・エルベバック監督」は、プロのバレエダンサーを目指す少年たちを追跡したドキュメンタリー作品。同じダンススクールに通っていた三人の少年たちの成長する様子を、四年間かけて記録したものを編集した。男子がバレエダンサーを目指すというのは、おそらくノルウェーでも珍しいのであろう。だから、その少年たちに注目して、時間をかけてドキュメンタリーに仕上げようというアイデアが出てくるのは、不自然ではない。


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プラダ青山の東側に小道を挟んで隣接するのは「ザジュエルズオブアオヤマ」です。ファッションブランド数店などが入る複合商業施設です。きわめてユニークな外観のこの建物を設計したのは光井純&アソシエーツ建築設計事務所。竣工は2005年です。

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1824年6月に、ゴヤはボルドーに移住し、死ぬまでその地にとどまった。一応休暇名目で国王の許可を得ていたが、実際にはフェルディナンド七世による自由主義者の弾圧を逃れるための亡命のようなものだった。その年ゴヤはすでに七十八歳。死ぬのはその四年後である。

ハーバード大学の学長辞任騒動について、これは米国内での親イスラエル勢力の圧力によるものと、小生などは思っていたが、実はもっと複雑な事情があるらしい。その事情の一端を、雑誌「世界」の最新号(2024年4月号)に寄せられた一文が解き明かしている。「大学不信と多様性へのバックラッシュ」と題されたこの小文(林香里)は、米国内における保守派による大学の多様性へのバックラッシュがこの事件の真の要因であり、反ユダヤ主義云々という保守派の主張は、多様性への敵対を糊塗する言い訳のようなものだというのである。

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2011年のノルウェー映画「15歳、アルマの恋愛妄想」は、思春期の少女の性衝動をテーマにした作品。15歳のアルマが、性衝動に駆られて、マスターベーションに耽る一方で、好きな男子とのセックスを妄想するというような内容である。少女の性衝動の現れは常軌を逸しているように見えるので、母親は娘が色きちがいになってしまったのではないかと心配する。また、その色情が学校の同級生にも疎まれ、アルマは孤立を感じる。日本人にはちょっと考えにくい設定だが、発育が速い大柄なノルウェー人には珍しいことではないのだろう。

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表参道と青山通りの交差点を渡った先に、通称フロムファースト通りがあり、その通りを少し進むと、左手にファッショナブルな建物が見えます。イタリアのファッションブランド、ブルネロ・クチネリの旗艦店です。石造を思わせる重厚なイメージのファサードが印象的です。設計はイタリアの建築家ロレンツォ・ラディ。世界中のブルネロの店舗設計を手掛けているそうです。竣工は2021年です。

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「闘牛(Suerte de Varas)」と題するこの絵は、「狂人の家」や「異端審問」などとともに同じシリーズを構成するとみられもするが、ほかの作品よりかなり後の1824年に制作されており、また、ゴヤ自身闘牛に深い関心があり、1816年には闘牛をモチーフにした版画集も制作しているので、独立した作品ととらえることもできよう。

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2002年のノルウェー映画「キッチン・ストーリー(ベント・ハーメル監督)」は、ノルウェー人とスウェーデン人との奇妙な関係を描いた作品。スウェーデン側が、ノルウェー人を実験材料につかって商売上の研究を進めることに、材料にされたノルウェー側が複雑な反応をする。その反応ぶりを見ていると、ノルウェーにはスウェーデンへのコンプレックスがあるのではないかと感じさせられる。スウェーデンはデンマークに対しては劣等感を抱いているようなのだが、ノルウェーに対しては優越感情を持っているようである。そんなことが伝わってくる映画である。

正法眼蔵第二十九は「山水経」の巻。その趣旨は、さとりの境地を山水にたとえたもの。さとりを自然にたとえたところは「渓声山色」に通じる。冒頭で「而今の山水は、古物の道現成」なりと言って、われわれを取り巻いている山水つまり自然こそ、仏道が現成した姿であると説く。

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原宿駅から表参道を引き返して、青山通りとの交差点を右に行くと、ひときわ高いビルが見えます。AO(あお)という複合施設のビルです。高層の建物と中層の建物がセットになっています。高層の建物は、下に向かって幅が狭くなっていて、いかにも不安定に見えます。設計は日本設計。竣工は2009年。名称の「あお」は、「青山で会おう」と語呂合わせをしているのだそうです。

「差異と反復」の結論部分のタイトルは、ずばり「差異と反復」である。このタイトルを用いることによってドゥルーズは、この書物の目的を改めて確認しているわけである。その目的とは、西洋哲学の伝統を形成してきた形而上学を根本的に批判し、それに代わるものを提示するというものだった。形而上学の根本的な批判は、「表象=再現前化批判」という形をとり、新しい哲学は「永遠回帰」の思想という形をとる。そうすることでドゥルーズは、ニーチェこそが新たな時代の哲学にとっての導きの星であると位置付けるのだ。

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ゴヤは、1819年にマドリード郊外のマンサレナス川の岸辺に「つんぼの家」と称された別荘に移り住んだが、その年に腸チフスにかかって死に損なうという目にあった。その際に、友人の医師アリエータが献身的な看護をしてくれたおかげで、ゴヤは一命をとりとめた。この絵(Goya curado por el doctor Arrieta)は、自分に献身的な看護をしてくれたアリエータへの感謝の気持ちをこめて翌1820年に制作したものである。

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