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ミュシャの二枚組の装飾パネルは、左右の女性を向かい合わせに描くのが特徴。女性は、全身像の場合もあり、半身像の場合もある。1897年の作品「ビザンチン風の頭部」は、頭部だけを取り出して向かい合わせたものだった。これが大きな成功を収めたので、気をよくしたミュシャは、同じような趣旨のものをもう一組作った。1901年の作品「木蔦と月桂樹」である。

菩薩の十地のうち、第一から第六までと第八以降の間には飛躍的な差異がある。その飛躍を媒介するのが第七地である。第六地までと第八地以降とではどのような差異があるのか。薩の十地はすべて、さとりに導く諸徳を円満に成就することを目的としている。その諸徳の円満な成就は、第六地までは一定の条件のもとで可能になる。ところが、第八地以降においては、そうした条件なしに、菩薩がかくあれと願うだけで成就する。第六地までは修行者の色合いが強いが、第八地以降は、限りなく仏の境地に近づいている。第七地は、その前者と後者と、二つの境地の橋渡しをするのである。

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サタジット・レイの1960年の映画「女神」は、ベンガル地方に生きる人々の宗教的な因習をテーマにした作品。ヒンドゥー文化への強い批判が込められているため、インドの保守的な人々の反発を招いたが、カンヌでは高く評価された。

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「秋のいこい」というタイトルは、夢二自身がつけたものではなく、あとでそう呼ばれるようになったもの。この絵から伝わってくるのは、「いこい」ではなく焦燥感だろう。おそらく田舎から出てきた女がこれからどこへ行こうかと思案しているか、あるいは職を失た女中が途方に暮れているようにも見える。女の傍らに置かれた信玄袋は、旅の品々を入れるためのものなのだ。

ボルヘスは、パスカルの球体についての「パンセ」の中の言葉に異常に拘っている。それは、「至るところに中心があり、どこにも周縁がないような、無限の球体」という言葉なのだが、たしかに無限の球体であるならば、どこにも周縁は見つからないだろうし、したがって中心も定まらず、いたるところにあるということになる。しかし、そんなものが意味を持つというのか。意味をもつとしたら、どんな意味だというのか。そうボルヘスは疑問を持って、パスカルのこの言葉に異常なこだわりをもつらしいのである。

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ミュシャは宝飾品のデザインを手掛ける一方、数は少ないが彫刻も残している。「ラ・ナチュール」と題したこの作品はミュシャの彫刻の代表的なもの。かれはこれを、1900年のパリ万博に向けて制作した。宝飾商ジョルジュ・フーケとのコラボレーションであり、また彫刻技術はオーギュスト・セースの手ほどきを受けた。

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フロイトは1932年に、高名な物理学者で同じユダヤ人であるアインシュタインと書簡のやりとりをした。それは、国際連盟の一機関が企画したもので、まずアインシュタインがフロイト宛てに書簡を送り、フロイトがそれに応えるという形をとった。フロイトのほうが23歳も年上だったし、また、往復書簡のテーマについて深い見識を持っていると考えられたからであろう。そんなフロイトに後輩のアインシュタインが見解を乞うという形になっている。それに対するフロイトの返事は、「何故の戦争か」と題して著作集に収められている。

徳川時代の政治思想についての研究は、長い間、丸山真男の圧倒的な影響下にあった。丸山は若い頃に書いた「日本政治思想史研究」において、徳川時代には朱子学が体制を合理化する理論体系として機能し、その朱子学をめぐってさまざまな言論が展開されたと見た。そのさまざまな言論のうちで丸山がもっとも注目したのは古学の系統である。古学は荻生徂徠によって確立され、やがて本居宣長によって大展開をとげるわけだが、そうした流れの中で伊藤仁斎は端緒的な位置づけをされた。丸山によれば、朱子学への批判としての古学は、仁斎から徂徠をへて宣長にいたる直線的な発展過程をたどったということになる。柄谷はこうした丸山の見方を批判して、仁斎について新しい視点を提示するのである。

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サタジット・レイの1955年の映画「大地のうた」は、かれにとっての監督デビュー作であり、インド映画を世界に認めさせた作品である。インドがイギリスから独立したのは1947年のことだ。当時のインドは、古い文化的伝統を持っていたにかかわらず、映画はじめ新しい文化の面で世界の注目を浴びることは少なかった。映画に描かれることはあっても、それは外国人制作者にとっての異国としての扱いであり、インド人自身がインド人の生き方を描いたものが注目されることはなかった。サタジット・レイのこの映画は、そんなインド映画を世界の舞台に押し出した記念すべき作品である。

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「眼鏡橋」と題したこの絵も、「長崎十二景」シリーズの一点。長崎名所の眼鏡橋をバックに、傘をさしや女性の半身像を大胆に配した構図である。眼鏡橋は、日本初といわれる石造りの橋で、中国から職人を呼び寄せて作ったという。橋を支える二つのアーチが、水に映って眼鏡のように見えることから「眼鏡橋」と呼ばれて親しまれた。

ハイネは、日本では抒情詩人として知られていた。「いた」というふうに過去形で書くのは、いまではハイネを読む日本人はあまりいないからだ。ともあれハイネの抒情詩は、同時代人のメンデルスゾーンをはじめ、シューマンやシューベルトなど高名な作曲家が曲をつけたことで、世界中の人々に歌われることとなった。そういう抒情的な詩はいまでも好まれるようだが、ハイネの詩人としての資質は、むしろ政治的な詩において発揮されているといえる。ハイネは政治意識が非常に高く、そのため官憲ににらまれてフランスに亡命を余儀なくされたのだった。それでもなお、政治意識が鈍ることはなかった。若いころから死にぎわまで、ハイネはやむに已まれぬ政治的な憤慨を詩というかたちで表現し続けたのである。ここでは、そんなハイネの政治詩をいくつかとりあげ、その特徴のようなものを見てみたい。

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「時の流れ」と題したこの装飾パネル・セットは、一日の時の流れを、朝、昼、夕、夜の四つに区分し、それぞれ女性のしぐさに時々の自然を感じさせるように描かれている。ミュシャ得意の女性に擬人化された自然の表現である。

菩薩の十地の第六は「真理の知が現前する菩薩の地」である。その真理の内実は十二因縁及び三界唯心という二つの言葉に集約される。十二因縁は仏教の基本思想であり、すべてのものには固有の実体はなく、ただ因果関係の連鎖に過ぎないと考える。また三界唯心とは、世界のすべての存在は心の生み出したものだとする考えで、これは華厳経の十地品(十地経)が積極的にうちだした思想である。

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篠田正浩の1995年の映画「写楽」は、俳優のフランキー堺が企画総指揮にあたり、自ら脚本を書いた作品。だからフランキー堺の映画道楽に篠田が付き合ったともいえる。篠田は例によって女房の岩下志摩と一緒になって、フランキー堺の道楽の場にはせ参じたわけである。

この年初に二年ぶりに催した四方山話の会は、その後コロナの第七波のためにまたもや停滞を余儀なくされたところだが、ここへきて終息の兆しが見えてきたこともあって、とりあえず例のロシアのメンバーで集まろうということになった。そこで小生は、季節柄旬のかつおを食いたいと全体幹事の石子に申し入れたところだったが、宴会幹事の浦子が言うには、いまは連休の最中で知り合いの小料理屋はどこもやっていない。だからいつもの中華屋でやることにした、あしからずと。そこで小生は、別にかつおに強いこだわりがあるわけではない、食いたくなったら女房に食わせてもらうさ、と応えた。

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大正七年(1918)の八月に、夢二はたまきに生ませた次男不二彦をつれて長崎に遊び、美術コレクター永見徳太郎の世話になった。永見は南蛮趣味を持っていて、夢二の南蛮趣味に共感する一方、芥川龍之介、吉井勇らと親交があった。地方の素封家の道楽のようなものであろう。

ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、アルゼンチンに生きるユダヤ人だが、自分をアルゼンチン人とは意識しておらず、コスモポリタンなユダヤ人として意識しているようだ。アルゼンチンについては、軽蔑というよりも、無視する態度を徹底している。そんなものがこの地球に存在することさえ不可思議だといった露骨な嫌悪感がかれの文章からは伝わってくる。原住民たるインディオなどには、犬とかわらぬ存在意義しか感じていないようである。

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「桜草と羽根」をモチーフにした二枚一組の装飾パネル。それぞれのモチーフを擬人化して女性であらわし、彼女らが向かい合っている構図である。だが、互いに眼を伏せ、見つめあうことはない。モチーフ自体は、女性が手で持った形で表現されている。左側の女性は桜草を持ち、右側の女性は大きな羽根を持つといった具合だ。

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篠田正浩の1972年の映画「沈黙」は、遠藤周作の同名の小説を映画化したものである。この小説は、ポルトガルから来たイエズス会宣教師の棄教をテーマにしたものだ。キリスト教徒の殉教を描いたものとして肯定的な評価があった一方、日本のカトリック教会を中心に大きな反発もあった。原作が公刊されたのは1966年のことで、カトリック側からの反発が表面化したのは1972年ごろというから、原作のほかにこの映画もカトリックを刺激したものと考えられる。とくに映画の中で、パードレが踏み絵を踏む場面が、キリスト教の聖職者を侮辱しているといった感情的な反発を呼んだ。

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