フランク・カーモード 終りの意識

フランク・カーモード 終りの意識

配送の方法

1~2日で発送

やや傷や汚れあり

商品の状態

フランク・カーモード 終りの意識

らくらくメルカリ便

配送料の負担

フランク・カーモード 終りの意識

発送元の地域

送料込み(出品者負担)

フランク・カーモード 終りの意識

東京都

発送までの日数

★原書です。2000年刊行のペーパーバック。 文芸批評家のフランク・カーモードは、以下のように言う。 ごく簡単な例、時計の音を例にとってみよう。われわれは、時計は何と言っているかと聞いたり聞かれたりする。するとだれもがそれはチック・タックと言っていると答える。この虚構によって、われわれは時計を人間化し、時計にわれわれの言葉をしゃべらせているのである。もちろん、この二つの音の間に虚構上の差異を与えているのはわれわれである。チックは物理的な始めに対してわれわれが与えた語であり、タックは終りに対して与えた語である。われわれはその二つの音には相違があると言う。その差異を可能にしているのは、特別の種類の中間である。われわれが持続を知覚することができるのは、それが体制化されているときだけである。……われわれが関連し合った二つの音の二番目の音をタックと呼ぶ事実は、われわれが虚構を用いて、終りをして時間構造に体制と形式を与えることを可能ならしめている証拠である。二つの音の間の、すなわちチックとタックの間の間隔は、いまや有意味な持続をはらんでいることになる。私は時計のチック・タックを、われわれがプロットと呼ぶところのもの、すなわち時間に形式を与えることによって時間を人間化する体制のモデルと考える。そしてタックとチックの間の間隔は、われわれが人間化する必要を感じている種類の、純粋に継起的で混沌とした時間を表わしている。(F.カーモード『終りの意識』) 始まりと終りとがある〈直線的時間〉を我々に与える世界観は、悉く終末論的であり、或はそのような世界観はいうまでもなくユダヤ・キリスト教の終末観がほとんど独占するものである(山形1979)。〈直線的時間〉は、時間がこの直線上に継起する点としての瞬間の集積ではなく、始めと終わりをもつものとして、したがって点としての瞬間のすべてが始めから発生し終局に向かって位置づけられ、意味を充填されているものとして提起されている(同前)のであり、それを支えるものは、あらゆる意味において注1「終末論」なのであり、そのようにして持ち込まれた「虚構」なのである。

フランク・カーモード 終りの意識

ネットショップ全体での類似商品の価格比較

この製品をおすすめするレビュー

この製品をおすすめするレビュー

この製品をおすすめするレビュー

この製品をおすすめするレビュー

この製品をおすすめするレビュー