日露戦争での日本の勝利は、立憲君主制の専制君主制への勝利というふうに中国では受け取られた。というのも、ロシアが負けたのは、軍事力で劣っていたというよりは、革命に伴う内乱の勃発で、対外戦争どころではなくなったからであり、その革命を引き起こしたのは専制政治への民衆の氾濫だったからだと解釈されたからである。ロシアが内乱に陥ったのに対して、日本は国をあげて戦争に臨んだ。それは立憲制のもとで国民の政治参加の意識が高かったからだ。そのように解釈された。そこで日露戦争後の中国では、立憲君主制に向けての政治改革の動きが高まった。その際目標とされたのは日本の明治憲法体制だった。

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2003年の韓国映画「オールド・ボーイ」は、日本の漫画作品を映画化したもの。何者かによって誘拐され、15年間も監禁された男が、その理由を求めて奔走するという筋書きだ。

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「白鵞遊魚図」と題するこの絵を、崋山は文政六年(1823)に田原藩主に献上したと思われる。款記に「臣渡辺登謹写」とあるからである。崋山は、文政二年に和田倉門の修築工事監督を仰せつかって、文政六年にその仕事を終えた。この絵は、その崋山をねぎらう藩主の謁見のさいに、献上されたのであろう。

森嶋通夫の「思想としての近代経済学」は、近代経済学の歴史をわかりやすく、しかもユニークな視点から解説したものだ。その視点には二つの特徴がある。一つは近代経済学を、単なる社会科学の一分野と見るのではなく、思想として見ること、もう一つは、従来近代経済学とは水と油の関係にあると見られていたマルクス経済学を、近代経済学の中に含めていることだ。

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「キオス島の虐殺(Scène des massacres de Scio)」と題するこの作品は、ギリシャの独立戦争の一齣に取材したものだ。ギリシャの独立戦争は1820年に始まったが、それはフランス革命がもたらした自由の精神にギリシャ人が目覚めたからだといわれる。そうした精神は、当時ヨーロッパ社会がある程度共有していたものである、大部分のヨーロッパ人は、ギリシャのトルコからの独立を目指す戦いに共鳴した。みずから戦場に飛び込んだバイロンは、その象徴ともいえる人物だった。

「如来寿量品」第十六は、「従地湧出品」第十五の続きである。「従地湧出品」では、釈迦仏はわずか八十年の間生きただけなのに、無数の菩薩を教化したのはどういうわけか、弥勒菩薩が釈迦仏に問うた。無数の菩薩を教化するには無量の時間を要する。だが釈迦仏が生きて存在したのは八十年間であり、さとりを開いて以降は四十年あまりである。その短い時間に無量の菩薩を教化することができるとは、とても考えられない。弥勒菩薩のこういう疑問に、釈迦仏が答えた内容を記すのが、「如来寿量品」である。

差額地代をめぐるマルクスの議論は、リカードの地代論を踏まえたものだ。リカードの地代論の特徴は、地代の発生を土地の豊度の差に求めるというものだ。どういうことかというと、豊度の高い土地は、低い土地よりも当然多くの収穫をもたらす。その収穫の超過分が地代に転化するという考えである。その場合、すべての土地の基準となる土地が選ばれ、それとの対比によって地代の発生が説明される。基準となる土地は、すべての土地に対してゼロポイントとなるから、それ自体は地代を生じないというふうに仮定される。マルクスとしては、地代を伴なわない借地などはありえないから、リカードの仮定は現実味に欠けると批判するのであるが、当面はその批判を脇へ置いて、差額地代が、土地相互の収益量の相違から生まれるといふうに議論を展開するのである。

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「サマリア」では少女売春を、「うつせみ」では他人の家に勝手に住み着くヤドカリ人生を描いたキム・ギドクが、2012年の映画「嘆きのピエタ」では、消費者金融にからむあくどい取り立てをテーマに取り上げた。いずれも独特の社会的視点を感じさせるが、「嘆きのピエタ」もそうした社会的視線を強く感じさせる。この映画はヴェネツィアで金獅子賞を取ったが、韓国映画がいわゆる三大映画祭でグランプリをとるのはこれがはじめてのことだった。

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佐藤一斎像は、崋山の若い頃の肖像画を代表する作品。細緻な描写に努める一方、陰影を表現するなど、後年の肖像画の傑作に共通する特徴が見られる。

多和田葉子は都市めぐりが好きなようで、しかも世界中を股にかけて歩いているようだ。「百年の散歩」はそうした自分の趣味をエッセーふうにしたものだが、「容疑者の夜行列車」は小説の形で都市めぐりの醍醐味を楽しんでいる。タイトルにあるとおり、夜行列車で都市間の移動をしているのだが、そのタイトルに同じように含まれている「容疑者」という言葉が何を意味するのかよくわからない。この小説に出てくるのは容疑者ではなく、「あなた」と呼ばれる人なのだ。その「あなた」とは語り手の呼びかけの対象でもあり、また小説の主人公でもある。普通小説の主人公は三人称で呼ばれるか、それとも語り手自身であるか、そのどちらかなのだが、この小説の場合には二人称の「あなた」で呼ばれるのである。あまり例がないのではないか。

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近所の公園に植えられている緋寒桜が三日ほど前から満開になった。この桜は例年三月半ばごろに満開になるのだが、今年は二月のうちに満開になった。今年は二月になって暖かい日が続き、三日ほど前には五月半ばごろの陽気になったから、花芽が吃驚して咲きだしたのだった。

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「ダンテの小舟」の通称で知られるこの絵は、正式には「プレギュアスに導かれて地獄のディーテの都市の城壁を取り巻く沼を渡るダンテとヴェルギリウス」という。ダンテの「神曲地獄篇」に取材した作品だ。ドラクロアはこの絵を、若干24歳で制作し、その年のサロンに出展した。大変な話題になり、ドラクロアは一躍時の人になった。作品は現代美術館として開館したばかりのリュクサンブール美術館のために、政府によって買い上げられた。ドラクロアの輝かしい出世作であり、以後かれはフランスの美術界を代表する偉大な画家に上り詰めていく。

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キム・ギドクの2004年の映画「うつせみ」は、台詞がほとんどなく、したがって無言劇を思わせるような映画である。時折台詞が入ることはあるが、それは周辺的な人物の口から、物語の進行上必要な説明として発せられるだけで、主人公の男女は一貫して言葉を発しない。それでいて、巧妙なゼスチャーが、言葉以上に雄弁に語りかけてくる。実験性の強い作品と言える。

目下世間を騒がせている首相の長男がらみの官僚接待問題を、かつて世間を騒がせたノーパンしゃぶしゃぶ接待以来の過剰接待だとする見方が流行っている。ノーパンしゃぶしゃぶ接待というのは、平成10年に起きたもので、大蔵担当の銀行員が大蔵省の役人たちを過剰に接待していたというもの。ノーパンの女性がエスコトートしてくれるというもので、接待される側は皆鼻の下が伸びたばかりか、自分たちの首も寒くなったというものだった。この問題がきっかけになって、大蔵省は金融部門を切り離され、財務省と金融庁に分割された。

マルクスの地代論は、リカードの説を発展させたものだ。リカードの地代論は、マルクスのいう差額時代に限定しているが、マルクスはそれに加えて絶対地代の概念を導入する。絶対地代というのは、土地そのものが所有者に利潤をもたらすことを意味している。リカードの理論によれば、基準となる土地は地代を生まないのだが、資本主義的生産システムにおいては、地代を生まない土地、すなわちただで貸されるような土地はありえない。そんなことを土地所有者がするはずがないからだ。そうマルクスは言って、資本主義的生産システムにおける地代のあり方を、徹底的に議論するのである。

日露戦争は、日本とロシアの戦争であり中国は中立を保ったが、影響を受けないわけにはいかなかった。領土である満州が戦場になり、戦後はその満州に日本の侵略が及んでいくのである。日本は満州を植民地化したわけではないが、実質的に統治したうえ、満州を足がかりにして華北以南にも進出していく。その挙句に全面的な日中戦争に突入する。日露戦争は、そうした日本の対中政策の転機を画したのである。

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キム・ギドクの2004年の映画「サマリア」は、現代韓国社会の乱れた一面を描いている。テーマは女子高校生の売春と、娘の性行為を知った父親の苦悩というものだ。女子高生の売春は、援助交際という名称で、日本でも話題になったところだが、韓国でもそれなりに憂慮すべき事柄として捉えられているようだ。日本では、どんな形であれ売春は違法なので、それ自体が犯罪として検挙されるが、韓国では売春はかならずしも違法ではないという。女性を使役して売春させるのは違法だが、女性が自らの意志で売春するのは違法ではないらしい。この映画は、そうした韓国社会のルールを前提にして見ないと、わかりづらいところがある。

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渡辺崋山が肖像画を本格的に手掛けるのは天保時代に入ってからだが、若い頃にも、求められれば応じていたようだ。「坪内老大人像」は、安政元年(1818)、崋山二十五歳の時の作品である。これは一幅に仕立てあがった正本が存在するが、それよりこの稿本のほうが有名になっている。

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ウジェーヌ・ドラクロア(Eugène Delacroix 1798-1863)は、ロマン主義絵画の巨匠といわれている。そこでロマン主義絵画とはいかなるものかが問題となるが、あまり明確な定義がない。普通は新古典主義との対比において論じられるが、新古典主義の絵画が明確な形をとるのはフランスだけと言ってよいので、国際的な拡がりはもたない。一方文学の分野では、ロマン主義の運動は国際的な拡がりをもっていた。イギリスではバイロンやシェリーの詩がそれだし、ドイツではハイネが、またフランスではユーゴーがロマン主義運動の旗手といえる。絵画におけるロマン主義はそれの変形的なヴァリエーションと言えなくもない。

天台智顗は、法華経二八章を二分し、前半を迹門、後半を本門とし、それぞれをさらに序分、正宗分、流通分に細分して、全体を二経六段で構成されているとした。前半は「序品」から「安楽行品」まで、後半は「従地湧出品」から「普賢菩薩勧発品」までである。「従地湧出品」第十五は、本門全十四章の序文としての位置づけである。

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