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萬鉄五郎は、明治四十五年(1912年)3月に、上野の東京美術学校を卒業した。「裸体美人」と題したこの作品は、卒業制作として描かれたものだった。いまでは重文に指定されて、萬の代表作と見なされているが、発表当時教師たちの評価は低く、卒業生19名のうち16番目の成績だった。当時の美術学校は、せいぜい印象派を吸収したばかりであって、まだ西洋美術の新しい流れを消化できるまでには至っていなかったからである。

若竹千佐子の小説「おらいらでひとりいぐも」は、次のような衝撃的な書き出しから始まる。
「あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
 どうすっぺぇ、この先ひとりで、何如にすべがぁ
 何如にもかじょにもしかたながっぺぇ
 てしたことねでば、なにそれぐれ」
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「ヴィトコフの戦闘の後」と題したこの作品も、フス戦争の一コマに取材したもの。1420年に、カトリック教会が組織した十字軍約10万名を、フス派の農民軍が、プラハ郊外のヴィトコフに迎え撃ち、撃退した戦いを描いている。もっとも、戦いそのものではなく、闘いが終わったあとの戦場の寒々とした様子を描いている。

八千頌般若経の主要な目的は、般若波羅蜜とはなにかを明かにすることである。般若とは智慧のことをいい、波羅蜜とは完成されたものという意味であるから、その合成語である般若波羅蜜は完成された智慧を意味する。その完成された智慧とはそもそもいかなるものかについて解明するのが、このお経の主な目的なのである。

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田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)は、陳凱歌や張芸謀とともに中國第五世代を代表する映画監督で、1986年に作った「盗馬賊」は、世界的な評価を受けて出世作となった。もっともその後、文革を批判的に描いた「青い凧」が当局の逆鱗に触れ、中國では映画を作れなくなってしまった。

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竹久夢二は、1931年5月に欧米への旅行に出発した。同年6月にサンフランシスコ着、翌年10月にハンブルグ着、その翌年1933年9月神戸港に戻ってきた。その直後身体が不調に陥り、1934年1月に信州の富士見高原療養所に入院するが、同年9月に死んだ。そんなことから、夢二長年の希望だった欧米旅行は、死出の旅となったわけだ。

「足迹」は徳田秋声の最初の本格的長編小説である。「新世帯」とならんで、かれの自然主義的作風の最初の結実というふうに今日では評価されているが、発表当時は大した反響を呼ばなかった。後年の作品「黴」が当時隆盛をみせるようになってきた自然主義的文学の見本のようにもてはやされるにしたがい、それに先行する自然主義的作風を示したものと再認識されたのである。

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(ベツレヘム教会で説教するヤン・フス)

ヤン・フスは、15世紀初頭に活躍したチェコの宗教家で、ルターの宗教改革の先駆者として知られる。カトリック教会の腐敗を批判し、贖宥状の廃止と聖書のみによる信仰を主張したために、カトリックの宗教裁判で有罪となり、火刑に処せられた。

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陳凱歌の2017年の映画「空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎( 妖猫伝 )」は、弘法大師空海の中国滞在中の一齣を描いた作品。この映画の中の空海は、修行僧というよりは悪戯坊主のイメージを振り舞いている。その悪戯坊主が中国のいたずら者白楽天と組んで、奇想天外な冒険をするというような内容だ。

「人間学」は、カントが74歳の時に書いたもので、カントの著作としては、最晩年のものである。カントは死ぬ直前まで精神活動が盛んで、「人間学」のあとでも「自然地理学」や「教育学」などの著作をものしている。だが本格的な哲学的著作としては、この「人間学」が事実上最後の業績といってよい。この著作においてカントが目指したものは、人間を総合的にとらえるための手引きを与えることであった。この著作の「序文」でカントは、人間に関する知識すなわち人間学は自然的見地における人間学と実用的見地における人間学からなると言っているが、三大批判の書が自然的見地における人間の諸能力を考察したのに対して、この「人間学」は実用的見地における人間学を考察したものといえる。そのことで、三大批判の書とあいまって、人間を総合的・複合的にとらえることが出来ると考えたわけであろう。

大川周明といえば、大アジア主義を唱導し、欧米の侵略に対抗してアジア諸国が一致団結して立ち向かい、日本はその先頭に立って、アジア諸国解放に尽力すべきと主張した、と見なされる。こういう主張はいまも、靖国神社を中心とした日本の民族主義者たちによって唱えられているが、大川はそれを、理論的に洗練した形で提起した思想家ということができる。「復興亜細亜の諸問題」は、そんな大川周明の主著というべきものだ。

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1947年の中国映画「春の河、東へ流る(一江春水向東流)」は、抗日戦をテーマにした作品である。それに中国ブルジョワ層の頽廃的な生き方をからませてある。この映画が公開された1947年は、国共内戦が激しかった頃で、どちらが勝ち残るか、まだ分からなかった。そういう時代背景の中で、この映画は、日本軍の蛮行に苦しむ庶民に寄り添うよう一方、大資本家に支持された国民党政権には距離をおいた姿勢をとっている。

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「旅」と題したこの作品の舞台は、群馬県の榛名山である。夢二は1930年に、「榛名山美術研究所」建設計画をぶちあげ、そのための募金を呼び掛けてもいるから、この作品は、その計画と何らかのかかわりがあるのだろう。

ねじめ正一の著作「認知の母にキッスされ」は、認知症に陥った母親の介護記録である。その母親は、ねじめ正一が63歳の時に認知症の症状が出始め、69歳の時に亡くなったというから、六年間母親の介護を続けたわけである。最初は在宅介護だったが、同居していたわけではないので、母親が弟一家と住んでいる家に赴いて介護した。その後肺炎で病院へ入院し、民間老人施設と公立の特別養護施設を経て、最後は病院で死んだ。その六年間の間、ねじめはほぼ毎日母親のもとに通って、献身的な介護を続けた。この本はそんなねじめと母親の触れ合いを中心に、施設で知り合った人々との触れ合いも含め、人が老いて死ぬことの意味について、著者自身が考えをめぐらせるといった体裁のものだ。

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(クロメジージュのヤン・ミリーチ)

ヤン・ミリーチは14世紀の神学者で、チェコの聖人。ヤン・フスの先駆者といわれる。私財をなげうって貧民の救済につとめた。それに感激した娼婦たちが、売春宿を修道院に回収して、自分たちの罪を悔い改めたという。


般若経はさまざまな経典からなっている。主なものをあげると、八千頌般若経、二万五千頌般若経、十万頌般若経、金剛般若経、大般若波羅蜜多経などがある。般若心経は、般若経の教えを簡潔にまとめたもので、大衆向けのパンフレットのように使われている。これらのうち、八千頌般若経はもっとも古く成立したものと考えられている。金剛般若経とどちらが古いかについて論争がなされたが、両者とも空の思想を説きながら、金剛般若経には空の言葉が使われておらず、八千頌般若経には使われていることから、金剛般若経のほうが古く成立したとする説が有力である。 八千頌般若経を踏まえて 二万五千頌般若経が成立したと考えられる。竜樹の「大智度論」は二万五千頌般若経への注釈として書かれた。

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是枝裕和の2019年の映画「真実(La vérité)」は、是枝がフランスに招かれて、日仏共同制作として作った作品。かつての大女優が、女優としての末路を迎えるというような設定だが、その大女優とは、この映画の主役を務めたカトリーヌ・ドヌーヴであることは、その女優の名がドヌーヴのミドル・ネームであるファビアンヌであることからも、見え見えになっている。だからこの映画は、カトリーヌ・ドヌーヴへのオマージュとして作られたといってよい。この時ドヌーヴは76歳になっており、年齢相応の衰えを感じさせもするが、肉体の衰えを気力でカバーしてなおつりがくるといった演技ぶりを見せてくれる。彼女の娘役を務めたジャクリーヌ・ビノシュは55歳になっていたが、こちらは実際の年より老けて見えた。

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「憩い」と題する作品は、竹久夢二にはめずらしく、二曲一双の屏風絵である。日本画の伝統である屏風絵に、西洋風のモチーフを描いたところが、夢二らしい奇抜なアイデアだ。

「新世帯(あらじょたいと読む)」は、徳田秋声が自然主義的作風を模索した作品である。かれの作風を確立したとまではいえないが、文章に余計な修飾を加えず、事実を淡々と描くところは、その後の彼の作風の原型をなしたといってよい。小説のテーマも、庶民の平凡な暮らしを、如実に描写するというもので、大袈裟な仕掛けは全くない。また、主人公の視線に沿いながら、時折心理描写を交えつつ、平凡な日常を執拗に描くところなども、いわゆる秋声風を先取りしている。

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「プシェミスル・オタカルⅡ世」は、チェコの歴史上もっとも偉大な王といわれる。彼が在位した13世紀の中頃、ボヘミア(今日のチェコ)は、国威がもっとも発揚し、近隣諸国と同盟を結んで、平和な時代を謳歌していた。

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