第三段「解釈分」に続いて第四段「修行信心分」は、信心のための修行について説明する。これはすでに、「解釈分」の最後の部分で触れられていたものだが、それを改めてとりあげ、しかも実践的な方法に言及したものである。「解釈分」における修行の説明は多分に理論的なものだった。それをここでは修業のための実践的な方法について述べ、しかも一般の衆生にもわかりやすいように説明しているのである。

第一次中東戦争によって獲得した占領地を、イスラエルは死守しようとした。そしてその試みは成功した。終戦の翌年、1949年5月にイスラエルは国連に加入するが、それはイスラエルによるパレスチナにおける占領を追認する効果をもった。パレスチナ難民は、国連に見放された形になったわけである。これに勇気づけられたイスラエルは、更なる領土拡大に向けて野心を高めていくことになる。

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瀬々敬久は「菊とギロチン」で権力に立ち向かう個人を描いたわけだが、2019年の映画「楽園」では、伝統的な権力たる村落共同体によって、異質な個人が圧殺されるところを描く。そういう圧殺を、かつては村八分と呼んだものだ。社会の流動化が進んだ現代においては、村八分はほとんどありえないもののようにも思えるが、ある特定な条件のもとでは、容赦なく人を圧殺する、ということがこの映画からは伝わって来る。いずれにしても愉快な現象ではない。

一度は本格化するかと思われた九月入学問題が、なんとなく立ち消えになった。小生はそれでよかったと思っている。子どもの一生にとって深刻な影響を及ぼすこの問題が、拙速な議論で決められるのはかなわないと思ったからだ。だいたいこの問題は、コロナ騒ぎによる学校休止が発端であって、休校による子供の学力低下を補正するための方策として打ち上げられたはずだ。ところがいつの間にか、九月入学は来年からというふうに、すり替わってしまった。来年から導入するという前提なら、コロナ騒ぎとは関係がなくなるわけで、なにもいま議論する必要もなくなるわけだ。

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石神井川が王子を流れるあたりは滝野川といって、多くの滝がかかっているほか、渓流沿いは、今では花見の名所になっているが、戦前は、徳川時代以来の紅葉の名所だった。それも楓の紅葉だから、実に色鮮やかだった。この絵は、その眺めを描いたものである。

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コンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ」のシリーズが大変な評判を呼んだため、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のチェラージ礼拝堂に、聖パウロと聖ペテロをテーマとした同じような作品を作って欲しいと注文された。注文主はティベリオ・チェラージ。チェラージは高位聖職者だ。この礼拝堂については、当時の一流画家アンニーバレ・カラッチが装飾画の作成を依頼されており、正面の祭壇画「聖母被昇天」は完成していたのだったが、アンニーバレの主人であるファルネーゼ家に呼び出されて、残りの作業が中断していた、そのおはちがカラヴァッジオのところへ廻ってきたわけである。

分別発趣道相とは、さとりに向けて発心するということである。その発心には三種ある。第一は信成就発心、第二は解行発心、第三は証発心。第一の信成就発心とは、信心の成就を通じて、さとりに向けて発心することである。この発心は、主に凡夫のためにあると言ってよい。凡夫が発心するためには、自己の力だけでは無理で、仏の力を借りなければならない。それも厳しい修業の果てにやっと仏に出会い、仏に仕えることで信心を養わねばならない。だが、仏にはそう簡単には会えない。通常の場合には、一万劫の時間がかかる。一劫とは人間の一生に相当する期間で約百年に相当する。その一万倍もの時間を生身の人間が生きることはできないが、仏教では、人間を含めて生き物は輪廻転生を繰り返すと信じられているので、その一万劫の間に、何度も生まれ変わるということになる。生まれかわりを繰り返しながら、一万劫たってやっと仏に出会えるのである。これは平均の場合であり、中にはこれより多くかかる場合もあれば、短く済む場合もある。それは生きている間の心掛け次第である。

「経済学・哲学草稿」が思想界に与えたインパクトのうち最も重用なものは「疎外論」であろう。マルクスはヘーゲルの疎外論の一つの応用例として自分の疎外論を展開する。ただし単なる応用ではない。単なる応用では模倣になってしまう。ヘーゲルは自然や人間を含めての世界全体を絶対精神が自己疎外(外化)したものととらえたわけだが、マルクスには絶対精神などという観念はない。そのかわり類的存在という概念を持ち出す。類的存在というのは、対象のもつ本質的なあり方という意味である。マルクスの疎外論は、その類的存在としてのあり方からの疎外という形をとっているので、あるものがその本来のあり方から逸脱しているという意味になる。それが人間の場合には、人間が人間本来のあり方から疎外されているという主張になる。

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瀬々敬久の2018年の映画「菊とギロチン」は、関東大震災後の大正末期の暗い時代を背景にして、女相撲とアナキストの触れ合いをテーマにした作品だ。女相撲とアナキストでは、接点がないように思われるが、どちらも官憲に目の敵にされていたという共通点がある。この映画はその共通点を踏まえながら、権力と庶民との戦いを描いたものである。それに震災直後に起こった朝鮮人虐殺など、当時の日本における異様な出来事をからませている。かなり政治的なメッセージ性の高い映画である。

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昭和初期の鏑木清方は、「築地明石町」を始めとして、人物画を好んで描いた。「三遊亭円朝」もその一点。清方は、円朝とは子どものころから見知っていた。父の経営するやまと新聞が、円朝の人情噺を筆記して、それを掲載していたということもあって、清方はその筆記を手伝ったこともあるようだ。また、十七歳の時には、円朝の旅行に随行して、各地を回ったりしている。そんな誼から、清方は円朝に非常な親しみを抱いていた。

小説の中で動物に重要な役割を果たさせているものを、小生は俄かには思い出せない。例えばカフカのように、犬を惨めな死の隠喩として語った作家はいたが、それはあくまでも一時的な隠喩としてだ。小説の全体にわたって、あたかも登場人物の一員であるかのように、動物に重要な役割を与えているものは、なかなか思い浮かばない。ミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」は、動物を一人の登場人物と同じく重要なキャラクターとして位置付けている。

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聖マタイは「マタイによる福音書」の著者であり、エジプトで殉教したと言われる。その殉教は、国王の恋を邪魔したことで憎まれ、暗殺されたのだという。その前にマタイは、死んだ王女を生き返らせる奇跡を行っていたのだったが、新しく王になったヒルタコスが、その王女の美しさに恋をして妻にしようとしたところ、聖マタイが反対した。そこで怒ったヒルタコスが、刺客を派遣して、マタイを殺させたというのである。

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瀬々敬久の2018年の映画「友罪」は、過去の辛い体験にさいなまれている人々のトラウマ的な感情をテーマにした作品だ。そういう点では、心理劇といってよいが、単なる心理劇ではなく、ドラマティックな要素も持っている。見る者に考えることを迫る作品でもある。

対治邪執とは、誤った見解を克服することである。凡夫はもとより二乗の修行者でも、仏教の教えを曲解するものがある。そうした曲解を克服して正しい理解をさせることが対治邪執の目的である。しかして誤った見解(邪執)はすべて、ものを実体視すること(我見)に基づいている。したがって、ものを実体視することがなければ、誤った見解もなくなる。その実体視には二種類ある。一つは人我見、一つは法我見である。人我見は凡夫が陥りやすい実体視、法我見は修行者でも陥りやすい実体視である。

第二次世界大戦の終了に伴う国際問題の一つとしてヨーロッパでホロコーストを生き延びたユダヤ人の処遇問題があった。特にアメリカがこの問題に熱心になった。理由は明確ではないが、生き残りのユダヤ人をアメリカに受け入れるのがいやだったからだという説もある。ともあれアメリカは、ヨーロッパの生き残りユダヤ人をパレスチナに移住させることを主張した。一方パレスチナの委任統治の主体であったイギリスは、その要求を拒否した。従来アラブ側との間で結んでいた約束(パレスチナへのユダヤ人移民の制限)がその理由だった。だがイギリスは、パレスチナに対していつまでも責任を持つつもりはなかった。そこでパレスチナ問題の解決を、できたばかりの国連に丸投げした。

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瀬々敬久の2010年の映画「ヘヴンズ・ストーリー」は、人間のサガを黙示録的に描き出したものだ。テーマも壮大だが、描き方も壮大だ。なにしろ四時間半を超える大作である。だから劇場公開に際しては、途中で休憩時間を挟んだというくらいだが、当日の観客は、退屈はしなかっただろうと思う。よく作られているので、退屈を感じさせないのだ。

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昭和五年の作品「浜町河岸」は、「築地明石町」、「新富町」とあわせて美人画三部作を構成する。構図も似ており、サイズも同じであることは、清方がこれら三つの作品をシリーズものとして意識していたことをあらわす。浜町河岸には、清方は五年ほど暮らしていたので、町の雰囲気は実感としてわかっていた。その町に相応しいのは、庶民の娘といわんばかりに、この絵のモチーフは平凡な町娘だ。

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デル・モンテ邸に隣接してサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂がたっている。その聖堂のコンタレッリ礼拝堂を飾る絵を、カラヴァッジオは受注した。この礼拝堂は、枢機卿マッテオ・コンタレッリが買い取ったもので、ここを優れた絵で飾ることはかれの念願だった。ところがその念願がかなう前に死んでしまったので、自分の死後その念願を実現せよとの遺言を残した。遺言執行人は、当時ローマで一流と言われた絵師の中からカラヴァッジオを選んで、「聖マタイの召命」及び「聖マタイの殉教」の連作を註文したのである。数ある絵師の中からカラヴァッジオが選ばれたのは、聖堂と近所付き合いのあったデル・モンテの口利きもあったのではないか。

まよい(不覚)とは、心の真実のあり方(心真如)がすべての衆生に平等に備わっていることを知らないために、さまざまな心の動き(心生滅)が現れることを言う。しかし、その心の動きが、さとり(覚)と全く別のものだというわけではない。世間で人が道に迷うのは、方角を立てるからで、方角を決めなければまようことがないのと同じである。さとりもまよいも、同じ一つの心の状態なのだ。

「経済学・哲学草稿」は、マルクスの経済学研究の最初の成果である。もっともこれはマルクスの生前には出版されず、死後かなり経過した1932年に公開された。公開されるや大きな反響を呼び、いわゆる初期マルクス思想をめぐって、さまざまな研究を引き起こした。マルクスがこの草稿で追及しているのは、大きくわけて二つの事柄、一つは資本主義的生産関係の本質、とりわけ資本と労働との関係であり、もうひとつはヘーゲル弁証法の批判を通じて、弁証法を変革の原理にしようとする試みである。その文脈で、疎外とその克服が、否定の否定という言葉で語られるのである。

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