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「30枚の銀貨を返すユダ」は、ライデン時代の代表作で、レンブラントの名を広く知らしめた作品。その頃までは、ラストマン塾の同僚で一つ年下のヤン・リーフェンスのほうが評価が高かった。しかしレンブラントは、この作品を通じて、オランダを代表する画家といわれるようになる。「話し合うペテロとパウロ」で進展ぶりを見せていた明暗対比の激しい画風が、この作品では高い完成度に達したと評価されたのである。

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石井聰亙の1995年の映画「水の中の八月」は、少年少女たちが繰り広げるSF風の作品である。人類の不遜が原因で雨が降らなくなり、人々は石化病という奇病にかかって次々と倒れていく。それを見た高校一年生の少女が、自分の身を水にささげることで、再び雨を降らし、人々を救うというような内容である。内容としてはドラマチックなのだが、現実離れしていることと、画面が非常に悠長に流れるので、あまりドラマチックには感じない。

黒い雨訴訟に関して、原告の訴えを全面的に認めた広島地裁の判決を聞いた時、小生はそれを当然のことだと思った。また、国は控訴することなく、この判決を確定すべきだとの原告の思いも理解できた。だが、国は控訴に踏み切った。その理由を聞いて、違和感を抱いたのは小生のみではあるまい。

角川書店版「仏教の思想」シリーズ第六巻「無限の世界観<華厳>」は、華厳経及び華厳宗についての特集。仏教学者の鎌田茂雄と哲学者の上山春平が担当している。かれらによれば、華厳宗は天台宗とならんで、中国的な仏教あるいは仏教の中国化を代表する宗派ということになる。仏教の中国化を簡単にいうと、凡夫でも容易に仏になれると主張するところにある。大乗仏教にはそもそもそういう特徴が内在していて、それが菩薩信仰につながったわけだが、中国仏教はそうした特徴を突き詰めたということになる、というのがかれらの指摘である。要するに仏教の現世化あるいは世俗化を推し進めたのが中国仏教だというわけである。

長らくパレスチナ人の象徴だったアラファトが2004年12月に死んだ。フランスの陸軍病院に入院中だったが、何者かによって放射性物質で毒殺されたという噂も立った。後継者をめぐって多少の混乱があったのち、マフムード・アッバースがパレスチナ自治区大統領・PLO議長に就任した。アッバースは、前年の3月に新設された自治政府の首相に任命されていたが、わずか半年で辞任していた。辞任の理由はアラファトとの齟齬であった。

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石井聰互の1984年の映画「逆噴射家族」は、実に奇妙な映画である。題名にある「逆噴射」というのは、ジェットエンジンの逆噴射から来ている。ジェットエンジンが逆噴射すると、飛行機は後ろに向って飛ぶのではなく、運動が狂いをきたして墜落してしまう。実際にそうした事態がおきたことがあって、この映画が作られた頃には、「逆噴射」という言葉が流通していたそうだ。しかしこの映画が描くのは、ジェット機の逆噴射ではなく、家族の狂気である。

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(15景 日暮里諏訪の台)

谷中から道灌山に伸びる台地の北外れに諏訪神社がある。太田道灌が灌頂したものだ。この神社の名にちなんで、そのあたりを諏訪の台と呼ぶ。東側が崖になっていて、非常に眺めがよい。また、神社の境内には桜が植えられていて、花見を楽しむこともできた。

コロナショックによって日本経済に深刻な影響が出ており、今年度のGDPが大幅に減少することが確実視されている。そこで景気対策としての消費税減税が、野党はじめ各方面から提案されている。それに対して安倍政権は、いまのところ否定的だ。安倍晋三総理自身は、この消費税は福祉施策のための特定財源としての性格を強くもっていることを根拠として、その減税には消極的だ。また財政の自称専門家たちの多くも否定的だ。小生についていえば、期間限定での減税は、景気対策として効果的だと考える。ドイツやイギリスでは、日本の消費税に相当する税目を期間限定で減税している。日本も同じようなことができないわけではない。

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「話し合うペテロとパウロ」と題されたこの作品もライデン時代の代表作の一つ。22歳の時の作品だ。「トビトとアンナ」は、聖書の中から劇的な題材を選んで、人間同士の葛藤のようなものを描いていたが、この作品は、二人の聖人の静かな対話を描いている。劇的とは言えないが、人間同士の関わり合いを描いているという点では、「トビトとアンナ」に共通するところがある。レンブラントは、人間の行動とか考えとかいうものをモチーフにすることを、若い頃から好んでいたということが、しのばれるところだ。

宝積経迦葉品で展開される中道の思想とは、即非の論理を深化・発展させたものである。即非の論理とは、鈴木大拙が金剛般若経の解説において使っている言葉で、大乗仏教独特の論理を指摘したものである。これを単純に定式化すると、「AはAではない、だからAである」というふうになる。「Aは非AであることでAである」とも言い換えられる。これは西洋的な形式論理の立場からは、矛盾率に抵触するものであって、ナンセンスでしかありえない。ところがそのナンセンスが、大乗仏教では真理なのである。

マルクスの「経済学批判」は、商品一般から特殊な商品としての貨幣が生まれ、それが資本に転化していく過程を分析している。その分析を支えるのは労働価値説だ。労働価値説はアダム・スミスやリカードといったブルジョワ経済学者がそもそも採用したものだが、その後継者というべき現代の主流派経済学は、もはや考慮に入れていない。というか不用の仮説として全く採用していない。そのかわりに需給関係のみにもとづいて商品の価格が決定されると想定している。商品に認められるのは価値ではなく、ただの価格だ。価値は実在的な要素だが、価格は単なる徴標にすぎない。なぜそうなるのか、マルクスの「経済学批判」を読めば、その成り行きがよく見えて来る。

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ダビド・トルエバはフェルナンド・トルエバの弟だが、年の差も離れ、別々に活動している。2013年の作品「「僕の戦争」を探して(Vivir es fácil con los ojos cerrados)」は彼の代表作である。原題は「目を閉じれば生きるのはやさしい」という意味で、ビートルズの曲「ストリベリーフィールズ・フォーエヴァー」の一節。この映画は、あるビートルズ狂をめぐる愉快な出来事を描いたものなのだ。

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レンブラントは、18歳の時にアムステルダムのピーテル・ラストマンに師事して、自分なりの画風を確立すると、19歳の時にはライデンにもどり、画家として独り立ちした。それ以来、25歳でアムステルダムに移住するまで、ライデンを拠点に活動した。その頃すでにレンブラントは、新進画家として世間の注目を集めるようになった。

「けものたちは故郷をめざす」は、安部公房の作品のなかでは、ちょっとはずれた系列の作風を感じさせる。安部公房の作風の特徴は、ごく単純化して言うと、カフカを思わせるような超現実的な筋書きと、あらゆる国籍を超脱したコスモポリタンな性格である。ところがこの作品には、いづれの特徴も見られないか、あるいは非常に希薄だといってよい。筋書きは極めて現実的なものだし、登場人物たちの国籍を強く感じさせる。とくに日本人へのこだわりが強い。安部はどうも日本人についてよいイメージを持っていないらしく、そのマイナスイメージをこの小説の中で、ぶちまけているのではないかと思わせられるほどである。これは、痛烈な日本人批判の書といってよい。

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(13景 下谷広小路)

下谷広小路は、上野山下の南側に連続したところ。いまでもその名で呼ばれている。ここは将軍が寛永寺に行くときに通ることからお成道とも呼ばれた。明暦の大火後に、日よけ地として整備された広場だ。

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ベル・エポックといえば、普通は、19世紀末から20世紀初めにかけて、フランスに花開いた文化の香り豊かな時代を指して言う。スペインでは違う意味で使われているらしい。フェルナンド・トルエバの1992年の映画「ベル・エポック(Belle Époque)」は、1930年代のスペインに一時的に実現した共和制の時代を描いている。その時代が一部のスペイン人にとってはベル・エポックつまり「善き時代」だったと言いたいようである。

広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるうえで必要なことだった。もし原爆を投下しないという選択をしていたら、戦争は長引き、地上戦による多くの米兵の犠牲と膨大な数の日本人の死が避けられなかっただろう。そういう意味で、原爆投下は意義あることだった、というのが、いまのアメリカ人の最大公約数的な見解になっている。原爆投下の決断をしたトルーマンは、正しい判断をしたというわけである。

宝積経はさまざまな経典から成り立っている。しかもそれぞれの成立年代にかなりな幅があるようで、統一した経典とはいえない。漢訳大蔵経には「大宝積経」として四十九にのぼる経典が収められているが、その五番目には浄土教の経典「無量寿経」が、また四十八番目には「勝鬘経」が収められている。

2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロは世界中を震撼させた。このテロによって3000人近い犠牲者を出したアメリカのブッシュ政権は、さっそくヒステリックな反応を示した。テロとの戦いへの邁進である。ブッシュはまずアフガニスタンを攻撃し、ついでイラクを攻撃してフセインを殺した。こうしたアメリカのテロとの戦いに対して、世界は反対する理屈を持たなかった。逆にそれを正当化するような論調が支配した。そしてテロとの戦いは、テロリスト=イスラム教徒という図式を通じて、イスラムとの戦いへと転化していった。イスラム=悪という構図が成立したのである。

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1955年制作のスペイン映画「汚れなき悪戯(Marcelino Pan y Vino)」は、聖人の伝記ともいうべき作品。伝記と言っても、この聖人マルセリーノは五歳で死んだことになっているので、伝記というよりは、少年はいかにして神に召されたか、というような設定になっている。この少年マルセリーノは、母親が恋しいあまりにイエスキリストに会わせて欲しいと頼み、それをイエスキリストが受け入れて、少年を天国の母親のもとに連れて行くのであるが、それは信仰深い人びとにとって、感動的に受け取られ、この少年を聖人としてあがめるようになったのである。

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