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円山応挙は動植物の写生図を数多く残したが、これは「百蝶図」と題して、夥しい数の蝶を、同じ平面に並べたもの。個々の蝶をよく見ると、同じ時期に見られないものも含まれているから、厳密な写生ではないことがわかる。応挙は日頃描きためていた蝶の写生図を、ここに一同に集めて披露したのであろう。

「暴力に逆らって書く」は、大江健三郎の往復書簡を集めたもの。1995年1月から2002年10月にかけて、11人の海外の知識人との間でかわされた往復書簡である。大江は1994年にノーベル賞を受賞して、世界的な名声を得ていた。その名声をもとに、朝日新聞が高名な知識人との往復書簡を計画したということらしい。それらの書簡は朝日の夕刊紙上で公開された。

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「浴女たち Les baigneuses」と題するこの大作は、ルノワールの遺作となったもので、かれはこの絵を、死の直前まで描いていたという。雄大な自然の中で、豊満な裸体をさらす裸婦のテーマは、最晩年のルノワールが好んだもので、この作品は、そんなルノワールの集大作といってよい。

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2013年公開のドイツ映画「おじいちゃんの里帰り(Almanya - Willkommen in Deutschland)」は、ドイツに移住したトルコ人家族の生活ぶりを描いた作品だ。監督のヤセミン・サムデレリはトルコ系のドイツ人であり、自らの家族の体験をもとにこの映画を作ったという。一家の長である祖父が、1960年代にドイツにやってくる。ゲスト労働者としてだ。その頃のドイツは、日本同様高度成長の只中だったが、深刻な労働力不足に悩まされ、多くの外国人労働者を招いた。ゲスト労働者とはそうした外国人労働者をさした言葉だ。ゲスト労働者の中で一番多かったのがトルコ人。そのトルコ人として、ドイツ社会で生きてきた祖父と、その家族の物語である。

コロナに関して隔離のガイドラインを出す一方、トランプは今の自分を過去の自分から隔離すると発表した。厳密に言えば、過去の自分の発言から、自分自身を隔離する、つまり過去の自分の言動には縛られないということを言いたいらしい。

スピノザの「エチカ」は、神についての説明から始め、以下精神、感情、知性の説明へと移ってゆく。なぜこのような構成をとったか。スピノザは、自分たち人間が生きているこの世界を、実体とその属性及び変容と考えており、それにしたがってこのような構成をとったものだ。実体が神に相当し、その属性及び変容が、我々人間が自分の生きている世界と解釈しているところのものにあたる。したがってスピノザによれば、「エチカ」の構成は、世界を説明するモデルとして、これ以外にあり得ない必然的なものだったわけである。

コロナウィルスが猛威を振るって、世界中が大騒ぎだ。こんな大きな騒ぎになったのは、欧米諸国が直撃されたからだろう。始めは中国にとどまっていたものが、イタリアを皮切りにヨーロッパ諸国に広がり、更にアメリカにも広がった。いまや感染者数ではアメリカが最高であり、それにイタリアやスペインなどヨーロッパ諸国が続く。今回のコロナウィルス騒ぎは、欧米の問題となっているわけである。

本書はアメリカ経済におけるユダヤ人の力について分析したものである。ユダヤ人はアメリカの人口の2パーセント余を占めるに過ぎない。にもかかわらずアメリカ経済を実質的に牛耳っているといわれることがある。それは本当か。というような問題意識から書かれたものだ。結論としては、ユダヤ人はアメリカ経済を支配するほどの実力までは持っていないが、一定の分野では圧倒的なシェアを誇っており、全体的に見てもかなりな力を発揮しているということだ。著者は、アメリカのユダヤ人とイスラエル国家との関係についてはほとんど触れていないが、アメリカ経済におけるユダヤ人の実力が、アメリカの政治に影響力を及ぼし、それがイスラエルのユダヤ人国家を中東の大国にしているのだろうと推測できる。

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フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの2006年の映画「善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen)」は、ベルリンの壁崩壊以前の東ドイツにおける、シュタージ(国家保安省)による国民監視の実態をテーマにしたものだ。オーウェルの「1984」を思わせるようなディストピアが、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツでは市民生活を暗黒なものにしていたというような、政治的なメッセージが込められた作品である。その割には、筋書の展開に無理なところがある。この映画の主人公はシュタージの将校なのであるが、その将校が自分の仕事に疑問を持つようになる、というのが一つの無理、もう一つの無理は、彼が命じられた仕事(監視)の意味だ。一応は、反体制の疑惑がある芸術家を監視するということになっているが、実際にはシュタージ長官の私的な思惑がからんでいた。その長官は芸術家の恋人に横恋慕していて、芸術家を消して女を獲得したいと思っているのだ。それをシュタージの将校は知っていて、自分のやっていることに誇りが持てなくなったというのだが、これはあまりにも観客を馬鹿にした設定ではないか。

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氷をモチーフにしたこの図柄は、まるで抽象画のようである。というのも、氷を数本の墨の線だけで表現しており、これを氷と認識するには、かなりの想像力がいるからだ。

やまゆり園事件は、障害者は生きる価値がないという身勝手な思いが引き起こしたといわれ、その異常さが人々を不気味にさせたものだが、実はそんなに異常な出来事ではなく、ある意味現代日本に蔓延している価値観を反映したものだと言えなくもない。それは、新自由主義的な発想にもとづく格差社会容認論だ。格差を容認する思想は、人間を勝ち組と負け組にわけ、勝ち組は努力したのだから報われて当然、負け組は努力が足りないから自業自得だ、というふうに発想する。その発想が極端化すると、障害者のような役に立たない人には生きる価値がないという考えにつながる。

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「ほどけた髪の浴女(Baigneuse aux cheveux dénoués)」と呼ばれるこの絵は、ルノワール晩年の傑作である。ルノワールは、1890年代に画家としての名声がとどろきわたるようになり、それに伴って経済的にも豊かになったので、自由に自分の好きな創作に身を打ち込むことができるようなった。そんなルノワールがもっとも熱心に打ち込んだのが裸婦の表現だった。

子安宣邦は、「徳川思想史講義」の一章において、中井履軒と懐徳堂との興味あるかかわりについて語っている。中井履軒は、大阪の町人学校として知られた懐徳堂を象徴するような人物である、というのがその趣旨だ。

スピノザが「エチカ」を書き始めたのは、「知性改善論」を書いている最中だった。「知性改善論」の執筆を中断して「エチカ」に取り掛かったのには、それなりの動機があったようだ。「知性改善論」は、よりよい認識を実現するための方法論的な考察であったのに対して、「エチカ」のほうは倫理的な、つまり世界観にかかわる考察である。スピノザにはだから、自分の世界観なり倫理的な立場を至急明らかにする必要があったのだろう。

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ゼーンケ・ヴォルトマンの2003年の映画「ベルンの奇跡(Das Wunder von Bern)」は、戦争によって引き裂かれた家族の絆、特に父子の絆を、ドイツ人のサッカー熱を絡めながら描いた作品である。だいたいヨーロッパの諸国民はサッカーが大好きのようだが、ドイツ人もその例にもれず、子どもから大人まで、男も女もサッカーに夢中、という様子が、この映画からは伝わって来る。ましてこの映画は、1954年のワールドカップを背景に取り上げている。ドイツはこのワールドカップで強敵を次々と破って優勝した。その優勝をドイツの人々は「ベルンの奇跡」と呼んで、喜びあったそうだ。

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「保津川図屏風」は寛政七年というから、応挙が死んだ年に描いたもの。応挙の絶筆というべき作品だ。応挙はこの前年に三井家の注文で瀑布図を描いているが、この図はその延長上にあるもの。やはり保津川の瀑布とその先の水の流れをモチーフにしている。そのことから応挙を瀑布の画家とする呼び方もある。

大江健三郎には敬愛する人物が何人かいて、かれらを小説の中に登場させる癖があった。音楽家の武満徹はそのなかでも最も多く登場させている。本名ではなく、篁という名前をつけて。篁とは密集した竹の林という意味だから、武満とは、(音の上で)親和的だ。また日本史上の怪人といわれる小野篁を想起させたりもする。小野篁は、時空を自由に往来する能力があったといわれるが、武満の音楽にもそんな雰囲気が指摘できる。

新型コロナウィルス騒ぎが拡大する一方で、アメリカが最も多い感染者を出すに至った。おそらくその勢いは止まらず、今後感染者と死者の爆発的な増加が予想される。その原因は外でもない、アメリカ大統領のトランプが、この問題を甘く見て、それへの対応を未だに真面目に考えていないことにある。先日もテレビインタビューの中で、4月の12日にはすべてが解決されていると言うような発言をしたが、その根拠を問われると、そうなればいいからだというような、全くのナンセンスを言ってはばからない。そんなわけだから、アメリカはいまや絶望的な状況にあると、まともなメディアはみな深刻に受け止めている。

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「眠る女 La dormeuse」と題したこの絵は、ソファによたれかかって転寝をしている若い女性を描いている。ルノワールの絵の中の女性は、あまり露骨な官能を感じさせないのだが、この絵の中の若い女は、例外的に官能を感じさせる。

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ヴォルフガング・ベッカーの2003年の映画「グッバイ、レーニン」は、ベルリンの壁崩壊前後の東ドイツ人の暮らしぶりの一端をテーマにしたものだ。ベルリンの壁崩壊に続く東西ドイツの統合は、西側による東側の吸収という形をとり、多くの東ドイツ市民にとって過酷な面もあった。とくに体制にコミットしていた東ドイツ人にとっては、自らのプライドを揺るがされるものでもあった。この映画は、東ドイツの体制にこだわる家族の物語である。

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