france55.entre5.jpeg

ローラン・カンテの2008年の映画「パリ20区、僕たちのクラス(Entre les murs)」は、フランスの中等教育の現場を描いた作品。公立中学校のクラス運営を巡って、教師が生徒との間で奮闘する様子が描かれている。クラスは規律に欠け、生徒は勝手なことばかりする。それに対して教師が立ち向かい、クラスの秩序を保って、生徒の学習を励まそうとするが、なかなか思うようにならない。教育とはいいながら、実情は教師と生徒との戦いである。ふつうの日本人からみれば、学級崩壊の特異な例ということになるのだろうが、フランスでは珍しいことではないらしい。

r3c.1733.lettre2.jpeg

シャルダンは、静物画とともに風俗画をも得意とした。「手紙に封をする婦人(Femme occupée à cacheter une lettre)」と題したこの作品は、シャルダンの風俗画の初期の代表作である。1940年のサロンに出展したが、完成したのは1933年のことだという。

かつてトランプが大統領だった時に、日本を含めた同盟国に防衛予算の大幅増加を要請したのは、アメリカの負担軽減という意味合いもあったが、もっと露骨にいうと、増加した防衛予算で米軍需産業への注文を増やし,米国経済を潤したいという意向が働いていたと考えられる。その際、日本は聞こえないふりをして、トランプの要請にストレートに応えようとはしなかったものだ。

france47.maree2.jpg

1999年のフランス映画「クリクリのいた夏(Les Enfants du marais)」は、貧しいながら誇り高きフランス庶民のつつましい生き方を描いた作品。監督のジャン・ベッケルは、「モンパルナスの灯」などで知られるジャック・ベッケルの息子である。父親はエンタメ性の高い映画を手掛けたが、息子のほうは、ほのぼのとした人情劇が得意なようだ。

一休といえば、徳川時代に形成された頓智話の主人公としてのイメージが強い。加藤周一は、そうしたイメージには民俗学的関心をひき付けるものがあるといいながら、自分が一休にひかれるのは、詩人としての一休であるという。加藤は一休を「形而上学的詩人」と呼んで、日本の歴史上稀有な人物だと位置づけている。最高の詩人とはいわないで、型破りな詩人であるといい、かれの前後には、ほかに類を見ないというのである。

r3c.1728.rae1.jpeg

ジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin 1699-1079)は、ロココ時代に活躍した画家であるが、いわゆるロココ風とは一線を画し、静物画や風俗画といった卑近な画題について、極めてリアリスティックな画境を追求した。時代の流れとは離れていたわけである。しかしどういうわけか各方面から高い評価をうけた。ロシアのエカテリーナ女帝が、サンクトペテルブルグの宮殿を、かれの作品で飾ろうとしたことは有名な逸話である。

france53.trou.jpeg

ジャック・ベッケルの1960年の映画「穴(Le Trou)」は、刑務所からの囚人の脱獄をテーマにした作品。実際に起きた脱獄事件について、その当事者の一人が書いた文章をもとに映画化したものである。当事者の証言に基いていることもあって、かなりな迫力を感じさせる。

鈴木大拙は、華厳経の三つの重要概念として、菩薩道、発菩提心及び菩薩の住処をあげている。菩薩道とは、声聞や縁覚といったいわゆる小乗の行者と比較した大乗の行者としての菩薩の道をいい、発菩提心は、衆生を救済すべく菩薩たらんとする決意をいい、菩薩の住処とは菩薩が到達した境地をいう。これら三つの重要概念の詳細な説明が、第二篇以下の課題である。

サルトルのボードレール論は、かれの言う「実存的精神分析」を適用したものである。これはフロイトの精神分析に対抗したものであって、その概要については、「存在と無」のなかで触れられている。それをごく単純にいうと、人間とは彼の自由な意思(意識の選択)の産物であるというものだ。フロイトは、無意識とか言語といった、個人の意識のコントロールに服さない要素が個人の生き方を決定づけると考えたわけだが、サルトルはそいいう考えを完全に否定し、個人はかれの自由な意思の産物であり、その自由な意思の担い手である意識の範囲が、かれの人生全体と重なり合うと考えた。そうならば、デカルト的な明晰な意識を分析すればすむ問題であって、なにもフロイトの無意識を思わせる精神分析というような言葉を使わずに済むだろうと思うのだが、なにしろフロイトの影響力はすさまじく、人間の精神を論じる時にそれを無視するわけにもいかない。そこでとりあえず精神分析という言葉を使いながら、それにサルトル得意の実存的という言葉を重ね合わせたわけであろう。

r2boucher1756.1.jpeg

ポンパドゥール夫人は、フランス国王ルイ十五世の公妾として、宮廷サロンを主宰し、学者や芸術家を庇護したことで知られる。フランスのロココ文化の華というべき女性である。もともと平民の出身であり、徴税請負人と結婚したのであったが、美しい女に目がなかったルイ十五世の心をとらえ、夫と別居して、国王の妾となったのであった。

プーシキンの短編小説集「ベールキン物語」は、正確には「故イヴァン・ペトローヴィチ・ベールキンの物語」といって、1830年の秋、ニジゴロド県ボルヂノ村の別荘で短期間で書き上げた。その時プーシキンはナターリア・ニコラーエヴナ・ゴンチャローヴァと婚約したばかりだった。だから精神的に充実していたはずだ。それまでプーシキンは主に詩を書いており、その延長で韻文の作品「エヴゲーニイ・オネーギン」を書いたりしていたのだったが、心機一転して散文の作品を手がけた。とりあえずは短編小説集という体裁をとったが、そこに収められた五つの短編小説は、ロシア文学最初の本格的なリアリズム小説であり、のちのロシア文学の、とくに小説の手本となったものである。

イーロン・マスクがツイッターを買収した後、ツイッターの存続にとって不利益になることばかりやっているので、マスクはツイッターをつぶすつもりだという憶測が流れているようだ。マスクはツイッターを買収するために四百四十億ドル(日本円で六兆円以上)もかけているので、まさかその大金をどぶに捨てような真似をするとはとても考えられないのだが、かれの実際にやっていることがツイッターをつぶす方向に左右するだろうことは確実に言えることである。

france52.casque.jpeg

ジャック・ベッケルの映画「肉体の冠(Casque d'or)」を小生が見たのはまだ若いころのことだが、そのさいには強烈な印象をもったことを覚えている。爾来小生はこの映画を、フランス映画を代表する作品の一つと思うようになった。

r2boucher1751.01.jpeg

「ヴィーナスの化粧(La Toilette de Vénus)」は、かつてポンパドゥール夫人の浴室兼化粧室の壁を飾っていた。「水浴のディアナ」もその部屋に一緒に飾られてあったという。この絵は、三人のキューピッドを従えたヴィーナスをモチーフにしている。ヴィーナスは、ブーシェ得意のモチーフで、繰り返し手がけている。

「クリーンなタカよりダーティなハトのほうがまし」という言葉が、一時メディア界ではやったことがあると聞いたことがある。おそらく田中角栄のような政治家を念頭においたものだと思う。田中角栄は、とかくダーティなイメージがつきまとっていたが、国際関係をめぐっては、平和主義者であって、中国との和解をすすめるなど、国際協調の精神も感じさせた。

france57.ane.jpeg

ジャック・ドゥミの1970年の映画「ロバと王女(Peau d'Âne)」は、シャルル・ペローの童話「ロバの皮」をミュージカル風に仕立てた作品。ペローは、古いおとぎ話「灰かぶり姫(別名シンデレラ)」をもとに、父娘の近親婚とか金の糞をひりだすロバの話を組み合わせた。この映画はそれをミュージカルに仕立てることで、実に楽しい雰囲気を醸し出している。文句なしに楽しめる映画だ。

加藤周一は、世阿弥の能楽論を評して、日本における芸術論の稀有なものだと言っている。日本には、平安朝以来の歌論の伝統があるが、それ以外では、芸術論として見るべきものがほとんどないというのである。しかも、世阿弥の芸術論は、通常の意味での芸術論ではない。通常の意味での芸術論は、一般の読者を想定して、芸術の意義を論じるものだが、世阿弥の場合には、自分の後継者に向かって、自分自身の個人的な体験を語っており、その目的は、家業としての能楽を自分の後継者に身をもってわかってもらうことであった。

r2boucher1742.01.jpeg

「水浴のディアナ(Diane sortant du bain)」と題されたこの作品は、「ヴィーナスの勝利」と並んで、ブーシェの最高傑作というべきもの。1742年のサロンに出展され、その際には「女従者とともに水浴を終えるディアナ」と題されていた。その後、簡略化され、「水浴を終えるディアナ」となった。日本では「水浴のディアナ」と呼ばれる。

france50.cherbourg2.jpeg

1964年のフランス映画「シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg)」は、フランス流ミュージカル映画である。ミュージカルはイギリスが発祥で、英語圏では人気のある演劇分野だが、フランスでは盛んではなかった。そんなこともあってこのミュージカル作品には、なにかとってつけたような不自然さを感じる。それでも当時は世界的な評判となり、カンヌでグランプリをとったほどだった。それにはミシェル・ルグランの音楽が大きな役割を果たしたといえる。

鈴木大拙は自分自身を禅者として認識している。その禅者としての立場から華厳経を研究したものが「華厳の研究」である。大拙が華厳経を禅と結び付けて考えるようになったきっかけは、二つあるように思える。一つは、禅そのものが体験本位のあまり文字を軽視する傾向がはなはだしい結果、ある種神秘主義に陥りがちになるので、その神秘主義が極端に陥らぬよう、ある程度文字による哲学的な支えが必要になる。華厳経は、その支えになる資格があると大拙はみた。もう一つは、大拙自身の禅の体験を、文字によって他人に知らせようとする場合、華厳経に描かれた世界の描写が非常に頼りになる。大拙は、禅定によってある種のさとりの境地に達するのを感じるのだが、そのさとりの境地を言葉で表せば、華厳経の描写する世界となるのではないか。つまり華厳経が描いた世界は、禅者が禅の境地として体験する世界なのではないか。そのように大拙は考えて、華厳経を禅と強く結びつけて考えたようである。

最近のコメント

  • √6意味知ってると舌安泰: 続きを読む
  • 操作(フラクタル)自然数 : ≪…円環的時間 直線 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…アプリオリな総合 続きを読む
  • [セフィーロート」マンダラ: ≪…金剛界曼荼羅図… 続きを読む
  • 「セフィーロート」マンダラ: ≪…直線的な時間…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…近親婚…≫の話は 続きを読む
  • 存在量化創発摂動方程式: ≪…五蘊とは、色・受 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…性のみならず情を 続きを読む
  • レンマ学(メタ数学): ≪…カッバーラー…≫ 続きを読む
  • ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな: ≪…数字の基本である 続きを読む

アーカイブ