先般、元TBS記者山口某が酔った女性をホテルに連れ込み、意識のない彼女を強姦した事件について、民事訴訟で強姦の事実を認定したうえで、加害者に損害賠償を命じる判決があったが、この事件は強姦をめぐる日本人の意識の特異さを見せつけたものとして、実に後味の悪いものであった。加害者の男は、いまだに和姦だったと言いたてているが、意識のない女性とどのように同意したというのか。この男は自分の行為について悪びれる様子を見せず、かえって控訴する意向だそうである。

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雪村は最晩年の七十歳代に、福島県の三春に隠棲した。ここで七十一歳の時に、「竹林七賢図屏風」を制作している。竹林七賢とは、中国の三国時代に実在したとされる人物像で、竹林に集い酒を飲みつつ清談したことから、竹林の賢人と呼ばれるようになった。その賢人たちに、老年の雪村が自分のイメージを重ねたということか。

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1878年の第三回印象派展にルノワールは大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット(la Bal du moulin de la Galette)」を出展した。これはモンマルトルの丘の上にあるカフェで、かつて粉ひき小屋があったことから「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と呼ばれていたところで、踊りを楽しむ人々を描いたものだ。ルノワールは、1873年以来、パリのサンジョルジョ街に住む傍ら、モンマルトルの一角にアトリエを借りており、マンマルトルは日常的に親しんだ土地である。そこで、踊りに興じる人々を描いたこの大作に、ルノワールはかなりの自信をもっていた。この作品は早速カイユボットによって購入され、彼の死後フランス政府に寄贈されることになる。

ヨーロッパ哲学の伝統において、パロールがエクリチュールに優位してきたのは、エクリチュールが表音文字によって書かれてきたからではないか。そんな問題意識を井筒は、「意味の深みへ」所収の「書く」という小論の中で提起している。表音文字というのは、アルファベットのことだが、そのアルファベットは音を表記するための文字である。パロールを通じて語られた言葉の、その音を表音文字であらわすわけだから、それはパロールの(表音的な)コピーということになる。だから本物はパロールであって、エクリチュールは偽物ということになりかねない。じっさいプラトンは「パイドロス」の中で、(パロールとかエクリチュールという言葉は無論使わないが)書かれたことは話されたことのコピーだというような言い方をして、話されたことの優位を主張している。

以上の議論でソクラテスは、魂は肉体とは別に、それだけで独自に存在できるということを、無条件の前提としていたわけだが、その前提は、果たして盤石なものなのだろうか。そういう疑問をケベスが提出する。魂は肉体から離れると煙のように飛散消滅してしまうのではないか。こういう疑問をケベスが出したワケは、かれがソクラテスの意見に同意しておらず、魂の不死・不滅を信じていないからではない。ケベスはピタゴラス派の影響を受けた人として、むしろ魂の不死・不滅を信じているはずなのである。そのかれがこういう疑問を出したのは、魂の不死・不滅についての強固とした証明を、ソクラテスの力を借りながらなしとげたいという魂胆があるからだ。つまりケベスは、ソクラテスの魂の不死・不滅説に異論をとなえ、その異論をソクラテスに反駁させることで、魂の不死・不滅の証明を確固としたものにしたいわけである。この場合、ケベスの異論はアイロネイアの役割を果たす。そのアイロネイアを踏まえて、新たなディアレクティケーが始まるのである。

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阪本順治の2002年の映画「KT」は、1973年に起きた金大中拉致事件をテーマにしたものだ。これは、当時朴正煕大統領のライバルとして知られていた政治家で、後に韓国大統領になった金大中が、東京のホテルから白昼拉致されたというショッキングな事件だった。その事件の概要はおおよそ明らかになってはいるが金大中自身はこのことについて語らないこともあって、微細なことまではわからない部分もある。一番肝心なことは、金大中が韓国に拉致された後で、釈放されたことだ。これには、日本政府からの圧力があったからだとか、アメリカ政府の圧力が働いたとか、色々な説があるが、真相ははっきりしない。しかし日本政府がこの事件を掌握していたのはたしかなことらしい。金大中を乗せた船を、海上保安庁の船が威嚇したことなどから明らかといわれる。

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「花鳥図屏風」は、雪村晩年の60歳代に、北関東の足利、佐野に滞在していた頃の大作。左右両隻に、それぞれ花鳥の様子をのびのびと描いているが、右隻は、早春の頃の生命の躍動を、左隻は、夏の夕暮れ時の静かさをテーマにしている。右が陽、動、剛のイメージを、左が陰、静、柔のイメージと言った具合に、左右対称を意識している図柄だ。

自伝的対談「大江健三郎、作家自身を語る」の中で大江は、「さようなら、私の本よ」を、自分の作家活動の一つの頂点をなす作品だと言ったが、それはかれの作家活動の総仕上げだというような意味に聞こえた。この小説を書きあげた時、大江は七十歳になっていたわけで、おそらく自分の作家人生最後の小説になると考えたのではないか。これが最後の小説としての本になるだろうという予感が、「さようなら、私の本よ!」という題名に込められていたのではないか。実際には大江は、七十歳を過ぎても二本の長編小説を書いたので、これが最後の小説にはならなかったが、そこにはかれの作家活動を最終的に締めくくるというような気迫がこもっているように思える。

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1876年の第二回目の印象派展に、ルノワールは「散歩に出かける子どもたち」とともに「陽光の中の裸婦(Etude ou Torse:effet de soleil)」を出展した。この絵は、批評家たちの度肝を抜いたらしく、「散歩」よりも激しく攻撃された。緑や紫がかった斑点が体のあちこちにあり、まるでおできのようだ、と酷評するものもあった。

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1989年の映画「どついたるねん」は、阪本順治の監督デビュー作である。阪本はこの映画を、難波のロッキーとして一部に知られていたボクサー、赤井英和をフィーチャーして作ったが、自主製作のようなもので、劇場公開のあてがなかったため、原宿に特設テントを設けて上映した。ところが口コミで評判が広がり、それがもとで劇場公開にこぎつけたという、いわくつきのものだ。この映画で阪本はユニークな映画監督として認められたし、赤井の方もタレントとして活躍する糸口をみつけた。


魂の不死・不滅についての議論をソクラテスは、かれ一流のアイロネイアから始める。自殺すること、つまり自分自身を殺すことは許されないと人々は信じているが、それには相応の理由があると言って、その理由を説明してみせるのである。ソクラテス自身は、後に明らかにされるように、死ぬことはよいことだと思っているわけであるが、とりあえずは、世間の人びとに譲歩して、死ぬことはよくないという主張を受け入れ、その理由をあげる。なぜよくないのか。ソクラテスは次のように言う。神々は人間を配慮するものであり、人間は神々の所有物(奴隷)なのである。ギリシャ人としては、これには何らの異存もない。ギリシャ人にとって、神々と人間との関係はそのようなものだからだ。そうだとしたら、所有物が所有主の意向をまったく無視して、自分勝手に自分を毀損することは、道理に反したことだ。我々普通の人間だって、自分の所有物が、自分の意思に反して自分自身を殺すとしたら、腹を立てることだろう。このような理由によって、人間は勝手に自殺してはいけないのだ、というわけである。

アジア・太平洋戦争を含めて、第二次世界大戦は、各国に甚大な災厄をもたらした。そうした災厄は、敗戦国だけではなく、戦勝国も、多かれ少なかれ被ったものだ。自国が戦場にならなかったアメリカでさえ、40万人以上の死者を出している。ドイツの場合には、一説には900万人といい、日本の場合には310万人もの死者を出した。死者だけではない、国土は焦土と化した。そんな厳しい事態は、容易に忘却できることではない。そこで各国とも、それぞれスタイルに多少の違いはあっても、戦争を忘れずに、記憶しつづけたいという国民の願いはあって、その願いを、何らかの形で表現してきた。その表現の仕方は、国によってまちまちである。

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崔洋一の2004年の映画「血と骨」は、一在日コリアンの半生を描いたものだ。原作は、「タクシー協奏曲」(「月はどっちに出ている」の原作)の作者梁石日の同名の小説で、かれの実父の半生を描いたものだ。実録だというから、実際に存在した人物がモデルなのだろうが、映画を見た限りでは、世の中にこんな醜悪な人間が存在するものだろうかと疑問に思うほど、ひどい人間を描いている。利己的で冷酷で、人間的な思いやりは寸毫もないくせに、自尊心だけは異常に強い。その自尊心でもって誰彼かまわず、相手を強制的に服従させようとする。すこしでも反抗の様子をみると、すさまじい暴力に訴える。昔の日本にも、強い家父長権をかざしていばりくさっているものはいたが、こんなに自己中心的な人間はいなかっただろう。同じく儒教文化に染まった人間としても、この映画に出て来る在日コリアンは、化け物のような異様さを感じさせる。

憲法改正を含めたプーチンの政治改革案がさまざまな憶測を呼んでいる。この改革案の骨子は、大統領の三選禁止と大統領の権限の制限だ。これが実現すると、プーチンは今後永久に大統領につけなくなる。現憲法では、大統領は連続して二期以上は出来ないとのみされているので、前回もそうだったように、一旦首相についたうえで、あらためて大統領に復帰するシナリオもありえた。それが出来なくなって、プーチンは今後二度と大統領になれなくなるわけだ。それは何を意味するのか、プーチンなりの立憲意識のなせるところか。それともなにか新たなことを企んでいるのか。

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雪村は山水図をよくしたが、これはそのうちの傑作。雪村の山水図屏風としては、比較的早い時期の作品と考えられる。山水図屏風は、この頃様式的な完成期を迎えていた。それは左右両隻の端に山容を描き、両者の中間に水景を描くというもので、構図的にもっとも安定したものである。雪村は、その構図法に従ってこの作品を描いている。

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1876年に第二回目の印象派展が行われ、ルノワールは数点の作品を出展した。「散歩に出かける子どもたち(La promenade)」と題した1874年の作品もそれに含まれていた。この作品は、当時金持ちの依頼で肖像画を描くことが多かったルノワールが、やはり依頼を受けて描いた作品だと思われるが、詳細はわからない。

エクリチュール(écriture)は、解体(déconstruction)や相異=相移(differance)とともにデリダの思想の中核的な概念である。だがデリダは、この重要な概念を定義しようとしない。定義された術語は、たちどころに硬化して、もはや自由な読み替えが出来なくなってしまうからだ。エクリチュールという述語はだから、明確でかつ固定した内容を持たない。それには不分明性、不定性、曖昧さが纏綿する。そこがデリダの狙いでもある。井筒はそう言って、エクリチュールという述語を、多面的な見地から考察する。

豊穣たる熟女の皆さんと船橋のスペイン料理店で新年会を催した。今回は是非M女にも参加してほしいと思って何度も電話をかけたのだったが、十回かけても出てこないのであきらめるしかなかった。まだ鬱状態が解けていないのだろう。そこでT女、Y女と三人で船橋駅で待ち合わせたところ、指定の場所に彼女らがなかなかあらわれない。携帯で連絡したところ、別の場所で待っているという。なぜ指定の場所にいないのかね、と小言を言った次第。

対話篇「パイドン」は、プレイウスの町にやってきたパイドンを、土地の人エケクラテスが訪問し、ソクラテスの最後の日について、かれがその日にどんなことを話し、どんな様子だったかを尋ねたことがきっかけで始まる。その問いかけに対してパイドンは、自分はソクラテスの最後の日に一緒に居合せたということを認めたうえで、自分が見聞したソクラテスの最後の様子について語るのである。その際に、その場に居合せていた者は、パイドンのほかに十名以上の名があげられる。プラトンは病気でいなかったといわれている。かれらは、普段から牢獄にソクラテスを訪ねては、一日中ともに話すのを日課にしていたが、デロス島から船が返って来たという話を聞くと、その翌日がソクラテスの処刑の日だとさとり、いつもより早い時間に示し合わせて、ソクラテスを訪ねたというのだった。

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崔洋一の1999年の映画「豚の報い」も沖縄を舞台にした作品だ。前作「Aサインデイズ」のような政治的なメッセージ性はない。沖縄の離島につたわる葬儀がテーマだ。この離島ではいまだに風葬が行われているのだが、それは特殊な事情がある場合だ。海で死んだものは、十二年間は埋葬できないので、その間は風葬したまま遺骸は大気に曝しつづけられる。十二年たてば墓に骨を収めることが許される。この映画は、父親を海で失った子が、風葬された父親の骨を拾いに故郷の離島へ戻って来るというような筋書きだ。

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