イランの核科学者モフセン・ファフリゼデが殺害された事件は、状況証拠からしてイスラエルの仕業と思われている。なぜそんな無法なことをしたのか。イスラエルはイランの核開発に脅威を感じており、それをマヒさせるために、イランの核開発をリードしてきたファフリゼテを殺害したのだろうとする見方が流通している。この殺害に対して、イラン側がすくさま報復を声明するなど、過剰な反応を示したことがそれを裏付けていると見られてもいる。

著者は中国史の専門家のようだが、中国は嫌いだという。ではなぜ中国を専門にするかというと、それは中国が面白いからだという。我々日本人は、長い歴史的な背景から中国を理解したつもりになっているが、じつはわかっていない。中国人の発想がわからないのだ。だから不気味に感じたり、著者のように嫌いになる日本人が多い。今の日本に充満している中国嫌いは、そんなことが原因で起きている。だから、中国と付き合おうと思ったら、中国人の発想の仕方と、それにかかわる論理を理解しなければならない。どうもそんなことを著者は言いたいようである。

jap86.tizu1.JPG

柳町光男の1979年の映画「十九歳の地図」は、中上健次の同名の短編小説を映画化したものである。小生は原作を未読だが、中上の代表作は何篇か読んでおり、その印象からすれば、この映画は中上的な雰囲気をよくあらわしていると思える。中上の小説の特徴は、日本社会の矛盾を一身に背負ったような男が、自分の宿命をクールに受けとめるといったものだ。そういう中上的な特徴が、この映画にはよく出ているのである。

edo079.sinmei.jpg
(79景 芝神明増上寺)

増上寺は浄土宗の関東大本山だが、徳川家の菩提寺でもあったので、江戸市内では上野の寛永寺と並んで繁栄を誇った。その増上寺に隣接して、大門の向かって右側に芝神明神社がある。毎年九月に行われる祭礼は、十日間も続くので、だらだら祭と呼ばれた。また、この時期には秋の長雨と重なるところからめくされ祭とも呼ばれた。

vela30.3.jpg

「ヨセフの長衣を受け取るヤコブ」は、「ウルカノスの鍛冶場」と並んで、ローマ滞在中に制作した二つの大作のうちの一つ。旧約聖書の創世記に取材した作品だ。ギリシャ神話と聖書との違いはあるが、どちらも物語を視覚化したもので、ボデゴンや肖像画を描いていた初期のベラスケスからの飛躍を感じさせる作品である。

法華経「譬喩品」第三は、その題名が示唆するとおり、仏の教えを、比喩を用いて説いたものである。お経には、比喩を用いたものが多い。最古の大乗経典といわれる般若経などは、その主張するところの理由として、大部分の場合譬喩を持ち出しているほどである。理由のかわりに比喩を示されても、人間というものはわかったような気持ちになるように出来ているらしい。

資本論全三巻のうちマルクスが生前に刊行したのは第一巻のみで、残された部分は盟友のエンゲルスの手によって編集・刊行された。第二巻の刊行は、マルクスの死後二年目の1985年、第三巻の刊行は更にその九年後の1894年のことである。第二巻の刊行にあたってエンゲルスは序文を付し、マルクスの残した草稿をどのように編集したかとか、資本論全体についてのマルクスの構想などについて説明している。

jap84.okan5.JPG

呉美保の2010年の映画「オカンの嫁入り」は、母娘の情愛を中心にした人情劇である。監督の呉美保は在日韓国人だが、日本で育ったこともあり、日本人の人情をよくわかっている。この映画はそうした呉の目から見た日本人の人情のあり方に、それへの多少スパイスをきかせた批判を込めて、日本の庶民、それも関西に暮らす庶民の生き方を、ウェットなタッチで描いたものだ。

edo077.teppozu.jpg
(77景 鉄砲洲稲荷橋湊神社)

八丁堀が隅田川に注ぐ河口のあたりに細長い洲があって、鉄砲洲と呼ばれた。ここで大砲の演習をしたことに基づく。鉄砲洲の一角に稲荷神社があって、別名を湊神社とも波よけ神社ともいった。現在でも存在する。

小説「白檀の刑」は、孫眉娘の独白から始まる。彼女には三つの綽名がある。大足仙女、半端美人、犬肉小町である。大足というのは、彼女はあまり育ちがよくなく、当時の中国人女性にとっては両家の子女のあかしであった纏足を施されることがなかったために、足が天然のまま育ってしまったからだ。纏足で委縮したサイズが標準だった当時の中国女性としては、天然の足はみっともない大足に見えたのである。

vela30.1.jpg

ベラスケスは、1629年7月頃から約一年半の間イタリアに旅した。フェリペ国王の裁可を得たもので、国庫の援助を受けていた。目的は、ベラスケス本人の美術研修と、現地における美術品の買い付けであった。ティントレットやティツィアーノの作品など20点あまりを買い付けている。

jap82.achi1.JPG

山崎貴の2019年の映画「アルキメデスの大戦」は、三田紀房の同名の漫画を映画化したもの。戦艦大和を象徴とする日本海軍の末路をテーマにしたものだが、山本五十六はじめ実在の人物をまじえながらも、内容的には全くのフィクションといってよい。その点は、ゼロ戦の開発をめぐる宮崎駿のアニメ映画「風たちぬ」のほうが、現実の話に近い。

今回のアメリカ大統領選挙では、現職の大統領であるトランプが、根拠もなく選挙の不正を訴え、なかなか敗北を認めなかったが、ついに敗北を認めたようで、バイデンへの政権移行に妥協する旨を表明した。その言い方には玉虫色の所もあり、不正の追及は引き続き行うなどと強気なことも言っているが、事実上の敗北宣言だと大方には受け取られている。それを踏まえて、今回の事態はアメリカの民主主義が機能した証拠だとする意見が圧倒的だ。だが、中には否定的な意見を言う者もいる。今回の事態は、アメリカ民主主義の脆弱性を衆目の前にさらしたと言うのだ。

資本論第一巻の最終に近い部分、それは実質的には第一巻の総まとめと言ってもよいが、マルクスはその部分を「資本主義的蓄積の歴史的傾向」と題して、資本主義の行き着く先としての、資本主義の否定の必然性の分析にあてている。非常に短い部分だが、ここに我々は、資本主義がいかにして共産主義社会を生み出すのかについての、マルクスの基本的な展望を見いだす。もっともその展望は、あまり実証的な分析には支えられておらず、多分に予言的なものではあるのだが。

毛利和子の近著「日中漂流」は、タイトルにあるとおり、21世紀に入って漂流する日中関係に大きな懸念を投げかけている。日中関係は、戦中戦後の不幸な時期を経て、日中国交正常化によって、一時期きわめて良好な関係を築いたかに見えたが、それも束の間のこと、21世紀に入ってからは、険悪な状況に陥り、政府関係はもとより国民感情のレベルにおいても、相手方への不信が高まって、かえって史上最悪の関係に陥っている。その関係は、近い将来武力衝突にも発展しかねない危うさを抱えている。そういう不幸な事態に陥らないために、両国、特に日本は何に心掛けねばならないか、そういった切羽詰まった毛利の問題意識が、この本からは切々と伝わって来る。

jap80.cha7.JPG

石井克人の2004年の映画「茶の味」は、ホームドラマをアニメ趣味で味付けしたような作品だ。アニメでなら不思議ではないようなことが、現実の出来事として語られるといった具合なのだ。筋書きらしいものはない。家族の成員それぞれの身に起こる出来事が、雑然と描写されるのである。

edo075.konnya.jpg
(75景 神田紺屋町)

徳川時代の神田一帯には職人町が形成されていて、職域ごとに住んでいた。町の名は、その職業を反映したもので、紺屋町には紺屋の集団が集まっていたのである。この他、鍛冶町(鍛冶屋)、大工町(大工)、白壁町(左官)、雉子町(木地師)、須田町(果物)などがあった。

vela29.1.jpg

24歳で宮廷画家になったベラスケスは、29歳で王室画家に抜擢された。王室画家というのは、王の身近に仕える身分で、側近といってもよかった。実際ベラスケスは、以後王の側近として、さまざまな宮廷行事に関わる一方、王の美術コレクションの監督役をもつとめることになる。つまり、画家であるとともに、役人でもあったわけだ。ベラスケスの作品が120点ほどにとどまっている理由は、役人としての時間をさかれ、画業に専念できなかったことにある。

法華経のうち最初に成立し、しかも中核部分ともいうべき「方便品第二」から「授学無学人記品第九」までの八章のうちで、「方便品第二」は、この中核部分の総論にあたるものである。法華経の中でも最もポピュラーな章であり、日蓮宗の寺では、法要の席上かならず読まされる。

資本主義的生産は、商品生産者たちの手の中に相当の資本と労働力とがあることを前提としている。資本とは生産のための手段とか材料のことであり、労働力はそれに結合されることで剰余価値を生みだす源泉である。この両者がなければ資本主義的生産はなりたたない。経済学は、神学が原罪を論じるのと同じような具合に、これらの起源を無限の過去の物語として論じる。ずっと昔のそのまた昔に、一方では勤勉で賢くてわけても倹約なえり抜きの人があり、他方には怠け者で、あらゆる持ち物を、又それ以上を使い果たしてしまうクズどもがあった、というわけである。

最近のコメント

アーカイブ