東京オリンピックのマラソンと競歩の種目を、札幌で開催する案がIOCで真剣に検討されているそうだ。名案といえるので、おそらくその方向で実現する可能性が高い。開催都市たる東京都の知事は強く反発しているそうだが、選手の健康第一という名目の前では、その言い分は通らないだろう。小生は、基本的にはIOCの案に賛成だ。

藤沢令夫はプラトンを、ギリシャ文化の大きな伝統の中に位置づける。一つは対話を重視する伝統、もう一つはイオニアの自然哲学をはじめとするギリシャ人の宇宙観だ。この二つの伝統がプラトンにおいて融合し、壮大な思想体系が作られたというのが藤沢の見立てである。対話の伝統についてはともかく、自然哲学については、プラトンは物質的な自然よりも精神を重んじたという理解が定着しているので、藤沢の見立てはユニークと言えよう。

連合国側には、終戦以前からすでに、ドイツの戦争責任を犯罪として追及しようとする動きがあった。その動きには二つの流れがあって、一つはドイツという国家を戦争犯罪の主体として裁こうとするものであり、もう一つは、国家ではなく、戦争を実際に遂行し、その過程で戦争犯罪を実行した個人を、個人として裁くべきだというものであった。前者は、アメリカの政治家モーゲンソーによって代表されるもので、「モーゲンソープラン」とも呼ばれており、戦時中はこれに共鳴するものが多かったのだが、戦後は、その影響力を弱め、代わって、後者の流れが有力になった。ニュルンベルク裁判を頂点とする、対独戦争犯罪追求裁判は、基本的には個人の犯罪を追及するという形をとったのである。

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2001年のイラン映画「柳と風」は、少年同士の友情と少年のあふれるような使命感を描いたものだ。そう言うと、アッバス・キアロスタミの名作「友だちのうちはどこ」が想起されるが、それもそのはず、この映画を監督したのは当時かけだしのモハマド・アリ・タレビだったが、脚本を書いたのはキアロスタミだ。こういうタイプの映画が繰り返し作られるのは、イラン人の嗜好を反映しているのか。

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黙庵は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての禅僧で、嘉暦(1326-28)頃に入元し、至正五年(1345)彼の地に没した。かれの入元の目的は、当時人気のあった禅僧古林清茂に師事することだったが、古林はすでに死去していたので、その弟子の了庵清欲に師事した。禅を体得するかたわら、水墨画を楽しみ、かれの死後それが日本に輸入された。日本では長らく黙庵を、中国人の高僧と思い込んでいたが、大正時代に日本人と判明し、以後可翁と並んで、日本の初期の水墨画を代表する画家という位置づけが与えられた。

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1869年の秋、モネは友人のルノアールとカンバスを並べてラ・グルヌイエールと言われる行楽地の光景を描いた。この行楽地はパリの西、セーヌ川沿いの町ブージバルの近くにあり、パリから日帰りで行ける行楽地として人気があった。かのナポレオン三世も、妻とともに遊んだと言う。

井筒俊彦という人を、筆者はこの年(古希)になるまで知らなかったが、たいへん迂闊なことだったと思っている。イスラーム文化に造詣が深いほか、インド仏教や中国思想にも通じており、それらを土台にして、東洋思想として共通する要素を探求した人らしい。その業績については、追々読み進んで行こうと思っているが、とりあえず「イスラーム文化」と題した著作(岩波文庫)を取り上げたいと思う。

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ジャファル・パナヒの2015年の映画「人生タクシー」は、アメリカン・ニューシネマの傑作「タクシー・ドライバー」のイラン版といってよいような作品だ。タクシー・ドライバーの目を通して、その国の同時代のさまざまな側面が浮かび上がって来るということになっている。おのずから批判的な傾向を帯びがちだが、この作品の場合も、それとは明確に意図しないままに、反体制的な内容になっている。パナヒはその反体制ぶりで、なんども権力の弾圧を受けて来たが、そうした弾圧をものともしないというメッセージが、この映画からも伝わって来る。

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可翁は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した。我が国の水彩画の伝統の先駆者ともいえる存在である。初期の水墨画は禅寺を舞台にして展開されたが、可翁も東福寺所縁の禅僧だったと思われる。その画風は禅味を感じさせるもので、我が国初期の水墨画が、それ以前の白墨画と呼ばれるものから、本格的な水墨画に移行していく結節点のような位置付けがなされている。

「燃え上がる緑の木」という題名は、アイルランドの詩人イェイツの詩からとられている。イェイツについて大江は、「懐かしい年への手紙」のなかで度々言及していたが、この「燃え上がる緑の木」では、小説の大きな原動力としてイェイツを位置付けている。というのも、ギー兄さんを中心とする宗教的な運動は、イェイツの詩の精神によって鼓舞されているからだ。キリスト教の福音にあたるものを、イェイツの詩が果たしているといってもよい。

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1868年の春、モネはパリの百キロ以上西のセーヌ川添いの町ボニエール・シュル・セーヌ近くのベンヌクールに滞在し、そこでセーヌの水辺の光景を描いた。「水辺、ベンヌクール(Au bord de l'eau, Bennecourt)」と題するこの絵がそれである。この絵を通じてモネは、水の表現に夢中になった。やがてモネは、水の表現を完璧のものにして、晩年の一連の睡蓮の絵を描くわけだ。

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ジャファル・パナヒの2006年の映画「オフサイド・ガールズ」は、イランの熱狂的なサッカー少女たちを描いたものだ。イラン人のサッカー好きは有名で、少年たちは街頭でサッカーを楽しむのが生き甲斐だ。そんな少年を、アッバス・キアロスタミが「トラベラー」という映画の中で描き、イラン人がいかに少年時代からサッカーに熱中しているか、世界中にメッセージを送った。その熱中ぶりは、日本の野球少年に勝るとも劣らないようだ。

ソクラテスに対して有罪の評決がなされ、それについてソクラテスから自分に対する刑罰への意見が述べられたあと、いよいよその刑罰が下されるのだが、それは死刑だった。これをソクラテスは予期していたようであったが、自分に相応しい刑罰とは思わなかったようだ。というのもソクラテスは、「あなたがたは知者のソクラテスを殺したというので、非難されるでしょう」と言っているからである。そして自分が有罪で死刑になったのは、厚顔と無恥が不足したためだと言う。つまり、自分には何も悪いところはないが、法廷の裁判官たちの愚かさのために殺されるのだと強調するのだ。そんな裁判官たちには、ソクラテスの死後懲罰が下されるだろう。その懲罰は、ゼウスに誓って言うが、もっとつらい刑罰になるだろう。かれらを吟味にかける人間がもっと多くなり、彼らを悩ますことだろう。というのも、今までは自分に遠慮して吟味を控えていた者たちが、自分の死後は遠慮なしに吟味するようになるからだ。

連合国の対日占領政策は、ドイツの場合とは大分趣が異なっていた。まず、事実上アメリカの単独占領であったこと、それに対応するかのように、日本に対して懲罰的な意図を露骨にもった国が存在せず、比較的温和な占領政策がとられたことだ。温和といっても、相対的な意味合いであって、日本を完膚なきまでに叩きのめし、二度と連合国の脅威にならぬように弱体化しようとするような露骨な意図を振りかざさなかったという意味であって、日本を再び軍国主義国家としてよみがえらせないようにしようとする配慮は働いていた。その配慮が、一連の戦後改革につながり、その総仕上げとして日本国憲法が生まれたわけだ。それをどう評価するかについては、日本国内でもいまだに意見の相違があり、一方で日本の戦後改革を、日本が欧米並みの民主主義国家になるうえで、必要でかつ望ましいものだったと積極的に評価するものがある一方、戦後改革によって日本は伝統的な国体を毀損されたとし、その象徴としての憲法に敵対する勢力もある。

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ジャファル・パナヒによる2000年のイラン映画「チャドルと生きる」は、現代イラン社会における、女性たちの境遇を描いたものだ。この映画を見せられると、現代の地球の一角に、女性がかくまでひどい抑圧を受けている社会が厳然としてあることに驚かされる。女性への抑圧ということでは、タリバーンとかISとかが思い浮かぶが、これは一応大国と言えるイランでのこと。イランはイスラームの社会ということだが、イスラームというのはどこでも女性に抑圧的なのかと、思わされてしまう。イスラーム映画でも、アッバス・キアロスタミの映画は、女性への抑圧はほとんど感じさせなかったので、どちらがほんとうのイランの姿なのか、考えさせられてしまうところだ。

日本の水墨画は中国の影響を強く受けながら発達した。鎌倉時代には、白画といって、線描主体の絵が中心だったが、室町時代に入ると本格的な水墨画が描かれるようになり、雪舟において芸術的な頂点に達する。安土桃山時代には、狩野派や長谷川等伯のような名手を出し、徳川時代にも綿々とその流れは続いた。そうした日本の水墨画の歴史にあって、室町時代は大きな転換期といえる時期だ。

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「サン・タドレスのテラス(Terrace à Sainte-Adresse)」は、海辺の自然の中に人物を配したもので、自然と人物との調和をテーマにした一連の作品の一つである。この絵でモネは初めて海景を表現したが、海辺の日光はきわめて強烈なので、モネは光の効果を最大限表現することができた。

井筒俊彦は、日本人としてはスケールの大きな思想家だ。活躍の舞台が日本に限定されておらず、それこそ世界を股にかけた活躍ぶりを見せたというだけではない。思索の対象が全人類をカバーするほど広範囲だ。こういうタイプの思想家は、井筒以前には日本にはいなかった。国際的な名声という点では、鈴木大拙などは先駆者といえるが、大拙の場合には、ほとんど禅の領域に特化し、禅が国際的な関心を高めるのに乗った形で名声を高めたというような具合である。ところが井筒の場合には、彼の達成した学問が国際的な関心を高めることにつながったという点で、自ら名声を呼び寄せた。じつにユニークでかつスケールの大きな思想家だといえる。その井筒を小生は、最近になって読み始めたのだが、なにせ古希を過ぎて頭が固くなってきている頃合いなので、どれほど正確に井筒の主張が理解できているか心もとないが、井筒は噛んで含めるような、わかりやすい文章を書くので、小生のように頭の悪い老人でも、なんとかついていけた。

関西電力の幹部が、不明朗な金品を受領していた問題が大きな騒ぎを引き起こしている。金の出どころは原発立地自治体の元助役で、その金の大本の出どころは関西電力の工事を請け負っていた企業だ。つまり工事代金の一部がキャッシュバックの形で関西電力の幹部にわたっていたということで、これは古典的な汚職の構図と同じものだ。

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アスガル・ファルハディは離婚のモチーフが好きと見えて、「別離」に続く作品「ある過去の行方」でも離婚を描いている。こちらは、イラン人の夫とフランス人の妻との離婚がテーマだ。この夫婦は、互いにエゴイストが結びついたらしく、自分たちの離婚によって周囲の人間が傷ついていることを意に介しない。その周囲の人間の中には、自分にとってかけがいない人も含まれるのだが、それらの人への人間的な配慮は、この元夫婦、とくに元妻には全く感じられない。「別離」で出て来た夫婦も、自分のことしか頭にないエゴイストの男女だったが、この映画の中の元夫婦は、それ以上にエゴイストである。そのエゴイストのうち、イラン人の男よりフランス人の女のほうがひどいエゴイストであることに、監督であるアスガル・ファルハディの意趣を読み取ることができよう。

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