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海北友松の網干図屏風には、佐野美術館蔵のものと、皇居三の丸収蔵館所蔵の皇居御物がある。上の図柄は、皇居御物の右隻。青々と茂る芦を配して春夏の景色を描く。一方左隻のほうは、秋冬の景色を描いている。

古い街並みが尽きるあたりの連雀という交差点でタクシーをつかまえ、川越温泉に向かった。この日の散策では時間の余裕があらかじめ見込まれたので、日帰り温泉施設で旅の疲れを癒そうという計画があったのだ。この温泉は、ネットで見つけたのだが、風呂の種類も多くて、なかなかよさそうな雰囲気だったので、いくつかある同種の施設のなかから選んだ次第なのだった。

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ラオコーン像は、1506年にローマ皇帝ネロの宮殿跡近くから出土した。その際には、ラオコーンの右腕と、息子たちのそれぞれの右手は欠けた状態だった。その後、ラオコーンの右腕と思われるものが出土したので、それをもとに復元したものが、現在の形である。

デカルトが意識から存在を導き出して以来、西洋哲学は意識を舞台に展開してきた。中にはマルクスのように存在が意識を規定すると言ったり、ニーチェのように西洋哲学の枠組みそのものをひっくり返そうとしたものもいたが、それらは例外と言ってよく、西洋哲学の主流を歩く者は、意識という道を踏み外すことはなかったのである。その意識の問題をもっとも先鋭的な形で突き詰めたのは現象学であった。

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豊穣たる熟女の皆さんと今年の新年会の席で、初夏の陽気のよい頃に是非川越の古い街並みを見物しながら歩きましょうよと話し合ったところ、初夏を待つ頃合いには小生から呼びかけた次第だったが、M女が体調不良を訴えてきた。でも是非一緒に行きたいから、日延べをして下さいなと言うので、6月15日に設定しなおしたのだったが、どういうわけかM女とは、そのご連絡が取れなくなったとのこと。いくら電話しても出てこないし、メールにも答えない。残りの二人の熟女は途方に暮れたと言っていたが、M女との連絡は引き続き努力するとして、川越へのハイキングは予定通り決行しましょうということになった。ところが天気予報では、当該の日は全国的に雨の雲行き。そこでメールでどうしたものかと相談したところ、Y女は晴女だから、彼女の神通力で、雨雲を追い払ってくれますよとT女が太鼓判を押す。小生は風邪気味で最悪に近い体調でもあったのだったが、彼女たちを楽しませてやりたいとの一心から、病身に鞭を打つようにして出かけた次第だった。

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1995年のパルム・ドールをとった「アンダーグラウンド」は、バルカン半島現代史ともいうべき作品である。これを作ったエミール・クストリッツァはユーゴスラヴィア人を自称しているが、出身はサラエヴォで、父親はセルヴィア人、母親はムスリムである。ユーゴスラヴィアの要素を大方体現しているわけである。その彼が、どの民族の視点にも偏らず、ユーゴスラヴィア人としての視点から描いたというのが、この映画の一つの特徴となっている。しかし、もはやユーゴスラヴィアにかつてのような実体性はないと言ってよい。その実体を持たぬ、いわば架空の視点から映画を作っているわけで、そういう意味でこの映画は、空想のなかのユーゴスラヴィアを描いたといってよい。事実この映画は、舞台をユーゴスアヴィアとは言っておらず、「むかしある所にある国があった」というような言い方をしているのである。

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「楼閣山水図」は、六曲一双の屏風絵であるが、それぞれ細字で款記が施されており、左隻には是古寺之廊門緑樹図依御好染玄墨者也と、右隻には惟高亭之麻柳蓬舟承御望穢白楮者也と記されている。いづれも晋奉亀井武蔵守様との添え書きがある。亀井武蔵守茲矩は戦国時代末期の武将で、秀吉の覚えが目出度かったといわれる。友松には庇護者として接していたのだと思われる。

「懐かしい年への手紙」は、自伝的な要素が強い作品である。大江健三郎自身がそのことを認めている。この小説の初版付録に収められたインタビューのなかで、かれは次のように言っているのだ。「確かに僕がこれまでに書いたすべての小説のなかで、もっとも自伝的な仕事といえば、この作品だと思います。それは四国の山間の小さな村で生まれ育った、しかも戦争の間に少年期を過ごした人間の、戦後から安保闘争をへて高度成長にいたる、個人的な同時代史ということにもなるでしょう」

安倍晋三がトランプの特使としてイランを訪れたことは、昨日のこのブログでも紹介したとおりだが、その訪問の最中に、こともあろうか日本の貨物船が、ホルムズ海峡において二度にわたり砲撃を受けるという事態が起きた。この攻撃はイランに責任があるとアメリカのポンペオ国務長官は言っているから、おそらくそうなのであろう。もしそうだとしたら、イランはどんな意図に基づいてこの攻撃を行ったのだろう。日本のメディアは例によって、自分たちの想像を超える事態にアタフタしているかのように、いまのところ報道・解説を自制している。

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ミロのヴィーナスは、1820年にエーゲ海のメロス(ミロ)島で、一農夫によって発見された。その後、オスマントルコ政府による没収を経て、フランス人の手にわたり、ルーブル美術館に収められた。東京に一度来たことがあるが、日本以外の外国に渡ったことは、ほかに一度もないという。

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エミール・クストリッツァの1989年の映画「ジプシーのとき」は、ヨーロッパのロマ人をテーマにした作品である。ヨーロッパのロマ人は、厳しい差別の対象だが、この映画のなかのロマ人もそうした差別されるべき人々として描かれている。なにしろ冒頭で出て来る人物が、神がこの世界に下りてきても、そこにロマ人を見たら、いやになって天上に戻るだろうと言うくらいだから、この映画を作ったクストリッツァもそのように思っているのではないかと、思われるほどだ。それほどこの映画の中のロマ人たちは、否定的に描かれている。

日本の総理大臣である安倍晋三が、わざわざイランまで出かけていって、ホメイニやロウハニなどイラン側の指導者たちと一連の会談を行っているそうだ。これは、安倍晋三の自発的な意思からしたことではなく、アメリカの大統領であるドナルド・トランプに急き立てられてしたのだというふうに伝わって来る。安倍晋三自身も、そうした観測を否定していないから、事実としてそうなのだろう。だからこれは、日本の総理大臣が、外国の政府のために特使をつとめているのだといえよう。

レヴィナスは一ユダヤ人として、ヒトラーにひどい目にあわされたわけだが、自分のそうした運命を予感するかのように、比較的早い時期からヒトラーの危険性を認知していたようだ。1934年に書いた小論「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」は、レヴィナスのそうした予見を表明したものだ。1934年といえばヒトラーがドイツで政権を奪取した直後であり、その政治的な存在感が圧倒性を増しつつあった時期である。ユダヤ人に対する攻撃はまだ本格化してはいなかったが、人種差別的な政策は公然のものとなっていた。その人種差別主義にレヴィナスは、ヒトラーのきな臭い意図を嗅ぎつけたことだろう。

政談の巻二を徂徠は次のように書きだす。「太平久く続くときは漸々に上下困窮し、夫よりして紀綱乱て終に乱を生ず。和漢古今共に治世より乱世に移ることは、皆世の困窮より出ること、歴代のしるし、鑑にかけて明か也。故に国天下を治るには、先富豊なる様にすること、是治の根本也」

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エミール・クストリッツァの1985年の映画「パパは、出張中!」は、カンヌのパルムドールを獲得し、エミール・クストリッツァの名とともに、ユーゴ・スラビア映画に国際的な注目を集めた作品だ。この映画が公開された時には、ユーゴ・スラビアはまだ解体前だったが、この映画には国家に対するシニカルな見方が強く感じられ、近未来の解体を暗示するようなところがある。

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建仁寺本坊の障壁画のうち最も迫力を感じさせるのが「雲竜図」だ。玄関に最も近い礼の間を飾っており、北面には咆哮とともに雲間から姿を現した龍(上の図)が、西面にはそれを待ち構えるように対峙する龍が描かれ、両者あいまって並々ならぬ緊張感を醸し出している。どちらの図も四面づつの襖に描かれているが、北面のもののほうが上下の比率を大きくしている。

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ヘレニズム時代にも、アッティカの伝統は絶えることはなかった。スコパス派の人々がクラシック風の彫刻を作り続けていた。この「サモトラケのニケ」像は、スコパス派の人によって作られた、クラシック風の美術の傑作である。

精神と身体

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デカルトが精神と身体をそれぞれ別個の実体として分裂させて以来、人間はもっぱら精神的な存在として捉えられて来た。「我思う故にわれあり」という言葉には、人間は精神としての存在だという意味が込められている。人間にはたしかに身体が付随しているが、それは本質的に重要なことではない。身体と精神とは、それぞれ全く別の次元に属するのであって、したがって身体と精神との関係は、必然的なものではなく、偶然のものでしかない。身体は精神とは分離して存在することができるし、精神は身体なしでも活動できる。精神の働きは意識という形をとるが、意識はとりあえず身体とは別のものである。

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1989年のアメリカ映画「メジャーリーグ」は、ある種のアメリカン・ドリームを描いたものだ。夢の舞台となるのは、タイトルにあるとおりメジャーリーグだ。メジャーリーグはアメリカ最古のプロスポーツであり、しかもアメリカの国技とも言える野球の舞台なので、数々の夢を育んできた。この映画が描いた夢もその一つ、しかも正夢となった夢だ。

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六月二日(日)雨もよいの一日。起床後朝風呂につかり、八時に朝食をとる。ビールを飲んだのはいうまでもない。その後山子夫妻は近所のうどん屋に行って、うどんを土産に買ってきた。小生の分も買ってきてくれた。香川のうどんは、地元で食うと非常に味がいいと思うのだが、これを持ち帰って船橋で食ってもうまいかどうかは、他日の愉しみに置いておこう。

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