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岡本喜八の1978年の映画「ダイナマイトどんどん」は、理屈抜きで楽しめる痛快な映画である。一応やくざの抗争がテーマということになっており、その点では菅原文太のはまり役であるが、その抗争というのが、平和で民主的なやり方で行われるというのがミソだ。その平和で民主的なやり方というのが、野球の勝敗で雌雄を決するというから人を食った話である。もっともやくざのやることだから、一貫して平和的というわけにはいかない。時には刀を振り回してやりあうこともある。そこが、野球に興じる場面と並んでこの映画の醍醐味になっている。

正法眼蔵随門記の第三は、心身放下ということから始まる(第三の一)。心身放下は心身脱落と似た概念である。心身脱落は、身も心も超脱してあらゆる事柄に執着しないという境地を現わした言葉である。それがさとりにつながると言っている。というよりか、さとりの境地そのものである。一方、心身放下は、同じく心と体を捨てる(超脱する)という意味であるが、それがすなわちさとりの境地だとは言っていない。悟りに至るために必要な前提だというような位置づけである。この節の冒頭部分の言葉「学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし」とは、心身放下ということは、そういう事情(仏道に入るための前提だということ)を言うのだと説いているのである。

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ルイ・ヴィトン松屋銀座店の北側に、イタリアの高級宝飾ブランド、ブルガリの旗艦店が立っています。ブルガリのショップとしては世界最大規模だそうです。設計は清水建設、竣工は2007年です。もともと三共製薬の本社ビルがあったところで、ビル自体は現在も第一三共が所有しています。

ドゥルーズはニーチェの哲学を、「力への意思」をはじめとしたいくつかのキー概念を分析しながら解明していく。それらのキー概念の中には、「能動と反動」、「肯定と否定」、「高貴と低劣」といった一連の概念セットがあるが、それらは外見から思われるほど単純な二項対立ではない。通常の二項対立を構成する二つの項目は、互いに対立しあうものの、価値的には同等のものであり、より高度な概念のもとでは、相互に置き換え可能なものである。ところがニーチェの一連の対立概念セットは、一方が他方より価値的に高度なものであって、それが反対概念との対立を超越して、それ自身が無条件の存在を主張するといったものだ。その無条件の存在をもとに、存在を無条件に肯定しようというのがニーチェの思想の根本的な特徴である。その存在の無条件の肯定という境位から、永遠回帰とか超人といった思想が生まれてくる。

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ホガース「勤勉と怠惰(Industry and Idleness)」シリーズの第二点目は、「キリスト教徒の義務を果たす勤勉な徒弟(The Industrious 'Prentice performing the Duty of a Christian)」と題する。二人の徒弟は、親方から日曜日を休日にしてもらい、自分なりの時間を過ごす。その時間を、フランシス・グッドチャイルドは、教会へ行くことに費やす。

「罪と罰」は、ラスコーリニコフの犯した殺人をテーマにしたもので、殺人の実行とかその動機については最初からあまさず描写されている。したがって通俗的な探偵小説のような謎解きサスペンスの要素はない。ところが、そこに予審判事のポルフィーリー・ペトローヴィチが一枚からむことによって、サスペンスの雰囲気が生まれてくる。ドストエフスキーは、巧妙なやり方で読者をポルフィーリー・ペトローヴィチに感情移入させ、そのことでポルフィーリー・ペトローヴィチの視点からこの殺人事件のなぞ解きをしているような気分にさせるのである。これはなかなか高度なテクニックである。

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シャネルから北方向へ数歩戻ると、細長いペンシル・ビルのような外観の建物が立っています。銀座トレシャスという名称の複合ビルです。もともとは越後屋という名称でしたが、改築を契機に洋風の名前にかえたそうです。設計は大成建設で、2010年に竣工しました。

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岡本喜八の1967年の映画「日本のいちばん長い日」は、半藤一利のノンフィクション小説を映画化したもの。半藤にとっては、その後かれのライフワークとなる昭和史研究の原点となるものだ。もっとも半藤はこれを、自分の名義ではなく他人の名義で刊行した。当時人気作家だった大宅壮一の名である。なぜ、そんなことをしたか。かれは文芸春秋の社員だったので、営業を最優先する社の方針にしたがったまでということらしいが、それにしてもお粗末な話である。

先日は「人と人との間」と題して、人間は他の人々とのかかわりのなかで自己を形成するという旨のことを書いた。その文章の中では、人と人との関係を論じながら、関係構築の成功例よりも失敗例に焦点を当てて、さまざまな精神病理現象を、人間関係の病理として考察した。だが当然のこととして、人間関係構築の成功例もあるわけで、その成功例は好ましい人間形成にとっての手本となるべきものである。手本という点では、無論失敗例も参考にはなる。というか、人間というものは、成功体験や失敗体験を積み重ねながら自己を形成していくものなのだ。

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ウィリアム・ホガースは、1647年に「勤勉と怠惰(Industry and Idleness)」と題する版画のシリーズを出版した。「娼婦と遍歴」(1631)の延長上にある教訓ものである。「娼婦と遍歴」では、世の中を甘く見たために身を落とし、若くして死んだ女性がテーマだったが、このシリーズでは、勤勉な人間と怠惰な人間の生き方を対比させて、怠惰は身を滅ぼし、勤勉は成功に導くということを、教訓として説教している。いかにも説教好きなホガースらしい作品と言える。ホガースは、これをより多くの人に見てほしいと思い、比較的安い値段で売り出した。評判はよかったようである。

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銀座のデパートの老舗松屋にファッション・ブランドのルイ・ヴィトンが入居したのは2000年のこと。当初は、いかにもデパートの一角に同居していたという感じでしたが、2013年にファサードを全面的にリニューアルして、独立した建物の雰囲気に変貌しました。

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岡本喜八の1965年の映画「血と砂」は、「独立愚連隊」の番外編のような作品。「独立愚連隊」シリーズは、厄介者の兵士からなる混成部隊が、遊軍となって使い勝手よく利用されるという設定だったが、この映画では、少年からなる音楽部隊が、特命を受けて敵陣地を攻略する様子を描く。その部隊を、三船敏郎演じる経験豊かな下士官と、佐藤充演じる古参兵が指導するといった内容である。

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銀座通りの銀座二丁目東側には、ティファニーの旗艦店が入るビルがあります。このビルは、小生が昔水彩画で描いたときには重厚なイメージだったように記憶していますが、いまでは、全面ガラス張りのシュールなイメージに変わっていました。

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ホガースの版画シリーズ「娼婦の遍歴(A Harlot's Progress)」第六点目は「モルの通夜(Moll's wake)」と題する。モルは二十三歳の若さで梅毒のため死んだ(棺の蓋にそう書かれている)。この絵は、棺に納められたモルを悼むために集まった人々を描いている。大部分は娼婦の仲間で、そのほか神父や葬儀屋また家主もいる。

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岡本喜八の1967年の映画「殺人狂時代」は、人口調節と称する人間の生命の間引きというテーマを、冷笑的に描いたブラック・コメディである。生命の間引きは、優勢保護思想と深く結びついていて、生きる価値のない者は淘汰すべきだとするいう考えに立っている。その考えに基づいて、胎児の間引きが行われたりする。ところが、間引きされる胎児の中には、優勢保護以外の理由によるものもあり、輝かしい未来を奪われるものがいる可能性もある。一方、現に生きていて、しかも社会の役に立たず、かえって重荷になっている大人がたくさんいるわけだから、優勢保護の本来の趣旨からしても、役立たずの大人を片付ける方がずっと合理的なのである。そんな怖ろしい考えを実現しようとする者がいて、それに立ち向かう人がいる。映画はその両者の戦いぶりを、コメディタッチで描く。

正法眼蔵随聞記第二の後半は、命をおしまず仏道の修行にはげむべきとする文からなる。その多くは仏道修行のための心得である。まず、十四は、下根劣器の人でも志次第でさとりを得ることができると説く。大宋国では、数百人もいる修行僧の中でまことの得道得法の人はわずかに一人二人といった有様だったが、それは志の深い人が少なかったからである。「真実の志しを発して随分に参学する人、得ずと云ふことなきなり」なのである。「若し此の心あらん人は、下智劣根をも云はず、愚痴悪人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり」。それゆえ、「返返も此の道理を心にわすれずして、只今日今時ばかりと思ふて時光をうしなはず、学道に心をいるべきなり。其の後は真実にやすきなり。性の上下と根の利鈍は全く論ずべからざるなり」。

ハマスに人質になっている者の一部が、イスラエルが拘束しているパレスチナ人と交換で釈放された。この交換は、ハマスが釈放する人質1人に対して、イスラエル側が3人の割合で釈放するという取り決めになっているようで、初回はハマスが釈放するイスラエルの人質13人に対して、イスラエル側は39人を釈放した。ところが、ハマスはそれに加え、10人のタイ人(他にフィリピン人1)を釈放した。これは、交換の枠組とは別途、ハマス側の一方的な措置である。ということは、タイ人の人質は、交換の枠組にそもそも入れられていないということだろう。タイ人をイスラエルが交換の枠組に含めないということは、タイ人を人間として見做していないということを物語っているのではないか。

国策の半導体企業として岸田政権が前のめりになっいるラピダス。政府はその育成に1兆円を投じる方針だそうだ。名目は経済安保というので、反対する者はいない。だが、果たして成功するかどうかについては、懐疑的な見方が多いようだ。半導体産業は、一時は日本が世界をリードしていたこともあって、政府はその復活に執念を持ち、電器産業を結集してエルピーダを立ち上げた経緯があるが、失敗に終わった。今回もその轍を踏むのではないかと危ぶむ見方が多いのだ。

ドゥルーズは、ベルグソン、ヒューム、ニーチェ、カントといった思想家たちと向き合うことから自分自身の思想を生み出していった。なかでも彼に決定的な影響を与えたのは、ベルグソンとニーチェである。ベルグソンについては、差異という概念を彼なりに基礎づけるにあたって大きな手がかりとした。ベルグソン自体には差異という概念を大げさにあつかう気はなかったはずなのだが、というより差異つまり分節以前の現象の全体を主題とした思想家であるはずなのだが、ドゥルーズはベルグソンを差異の思想家として解釈しなおし、それを材料にして自身の差異の哲学を構築しようとした。ニーチェについては、西洋思想の伝統の破壊者として位置づけることで、その破壊の意思を受け継ぐ形で、自分自身西洋思想の破壊者として振舞う決意をしたというふうに言えるのではないか。もう一人、ドゥルーズが大きな影響を受けた思想家としてスピノザがあげられる。そのスピノザをドゥルーズは、ニーチェを通して再解釈した。それを簡単にいえば、キリスト教の否定と唯物論的な快楽主義と道徳的な価値の転倒ということになる。いずれにしても、ニーチェに依拠しながら既成の哲学を批判し、西洋思想の伝統を根本的に解体しようとする意志を、ドゥルーズには感じることができる。そんなことから、ドゥルーズはニーチェの最良の弟子ということができる。かれの初期の著作「ニーチェと哲学」は、かれが解釈したニーチェ思想の真髄を披露したものである。

スウェーデンのクリステション首相の発言が波紋を呼んでいる。国内の集会で、イスラエルとハマスの対立に触れたさい、イスラエルの攻撃に関して、イスラエルにはジェノサイドの権利があるというふうに受け取られたためである。スウェーデン政府はこれを誤認だとして火消しにやっきになっているようだが、どうもそう単純なことではないらしい。クリステション首相の発言は、イスラエルには Volkmord (ジェノサイド)の権利があるというものだったらしいが、これは言い間違いで、首相はイスラエルには自衛権があると言いたかったのだとスウェーデン政府は言いたいらしい.。だが、かりにその通りだとしても、クリステション首相の発言には問題があるといわねばならない。

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