雑誌「世界」の最新号(2024年10月号)に、「ドイツ『罪の克服』とはなんだったのか」と題する駒林歩美の小文が掲載されている。これは「イスラエルへの『偏愛』が生むレイシズム」という副題がついており、ドイツの異常なイスラエル贔屓の歴史的な背景について論じている。いま世界中を震撼させているイスラエルによるパレスチナ人の大虐殺(ジェノサイド)について、ドイツはアメリカと並んでイスラエルを支持し、パレスチナ人を殺すための兵器の提供を続けている。何がドイツをそれほどまでにイスラエル贔屓にするのか。
「断髪の自画像(Autorretrato con pelo cortado)」と題されたこの絵は、ディエゴと離婚した直後に描かれた。おなじみのテワナをぬぎ、男物のスーツを着て、男のような髪型になったフリーダが、じっと我々を見つめている。これは、フリーダの中にあったバイセクシャルの傾向のうち、男性的な面を強調した作品である。
想田和弘の2020年のドキュメンタリー映画「精神0」は、同監督の2008年の映画「精神」の続編である。「精神」で出ていた山本医師の10年後の姿を追っている。山本医師は、高齢を理由に現役引退を決意し、患者たちにその旨を話し、別の医療機関に引き継ごうとしている最中である。カメラは、そんな山本医師が、患者たちと向き合い、今後の治療方針を相談する姿をとらえている。一方、認知症に陥ったと思われる夫人の姿にもカメラを向けている。山本医師と夫人のやりとりを見ていると、夫人の世話をせねばならなくなった事態が、彼の引退の決意を早めさせたというふうに伝わってくる。
正法眼蔵第五十五は「十方」の巻。十方とはもともと方角をあらわすことばで、東西南北の四方と東南、西南、東北、西北の四維に上下を加えた十の方角をさす。十の方角とはあらゆる方角という意味である。そのあらゆる方角に衆生が住んでいる。その衆生が住むあらゆる方角を十方世界とか尽十方界という。要するに十方とはすべての世界のことをいう。そのすべての世界はまた仏国土である、というのが、道元のこの巻のテーマである。
「千のプラトー」の第七のプラトーは「零年―顔貌性」と題される。ゼロ年という年次はキリスト生誕の年だ。ここでの顔貌性についての議論はだからキリストと深い関係があるように思える。じっさい、キリストの顔が、顔貌性の議論を象徴しているようなのである。キリストの顔とともに顔貌性が生産された。キリストの顔が生まれるまでは、顔貌性というようなものはなかった。キリスト以前にも人間は存在していたわけで、それら古代の人間たちにも顔と呼ぶべきものはあったはずなのだが、それは真の意味での顔ではないとドゥルーズらはいう。キリスト以前の人間たちにも、頭の一部としての顔はついていたが、それは顔貌性を伴わない、出来そこないの顔である。真の顔ではない。真の顔はキリストが代表するような顔なのである。キリストの顔は白人の顔を代表している。白人の顔こそが人類の基準となるべき顔なのであり、その他の人種の顔は、多かれ少なかれ出来そこないの顔である。そうした人種差別的なニュアンスが、ここで議論の対象となっている顔貌性という言葉には込められている。
「森の中の二人の裸婦(Dos desnudes en un bosque o La tierra misma o Mi nana y yo)と題されたこの絵は、副題に「大地あるいは乳母と私」とあるように、大地に横たわった乳母とフリーダをイメージした作品。フリーダはこれ以前に「乳母とフリーダ・カーロ」と題した絵を描いており、そこでは乳母との表面的なつながりが強調され、二人の間には深い愛情を感じることはなかった。この絵の中の二人は、親密とはいえないまでも、よそよそしい関係にも見えない。
井伏鱒二の小説「多甚古村」は、昭和14年に雑誌に分載したものを一冊にして同年のうちに刊行したものだ。二年前に本格的な日中戦争が始まっており、欧州では第二次大戦に向かってきな臭い空気が漂っている時期、つまり日本も世界も戦争の影に覆われている時代だ。そんな時代だから、この小説にも戦争の影がさしている。だいたい出征兵士にかかわることから始まっているのだ。だが、戦争の影はせいぜい出征兵士への言及にあらわれるくらいで、そんなに大きな影を投げかけているわけでもない。この小説は、戦前の権威主義的な日本社会における、人々の行動のパターンみたいなものに焦点をあてている。そのパターンとは、住民はなにごとにつけてもお上の指導を仰ぎ、お上のほうも良民を適切に指導するのが自分らの天職だと思っているような態度に裏付けられたものである。
想田和弘の2013年の映画「選挙2」は、2007年公開の映画「選挙」の続編である。前作は、2005年の川崎市議会補欠選挙に立候補した山内和彦の選挙運動を追ったドキュメンタリー映画だったが、続編は、2011年に行われた川崎市議会の選挙の様子を追う。この選挙に山内は無党派で立候補した。立候補の理由は「怒り」である。日本の地方政治への怒り、起こったばかりの福島原発事故に川崎市議会が見てみぬふりをしていることへの怒り。そこで山内は反原発を掲げて戦う決意をしたというのである。
フリーダ・カーロは、1939年の11月6日に正式に離婚した。その年の夏には、フリーダはコヨヤカンの両親の家で別居を始めたのだが、秋に離婚に合意、11月に書類上離婚したのだった。離婚を言い出したのはフリーダではなく、ディエゴだったという。フリーダは、自分がディエゴに捨てられたと思い、絶望したそうである。「ふたりのフリーダ(Los dos Fridas)」と題されたこの絵は、離婚直後に描かれたものである。
想田和弘の2012年の映画「演劇1」は、劇作家平田オリザと彼が運営する劇団青年団に密着取材した作品。想田一流の観察映画第三弾と銘打っている。実際は四作目だが、三作目の「Peace」は番外扱いだ。この映画は、以前の三作にくらべて非常に長い。しかも第二部が控えている。一部二部をあわせると五時間半にもなる。
「水の中に見たもの、あるいは水がくれたもの(Lo que vi en el agua o Lo que el agua me dio)」と題されたこの絵は、フリーダ・カーロの自伝をイメージ化したものといわれる。バスタブの中にさまざまなイメージが描かれているが、それらのイメージのそれぞれが彼女の人生のある時期をあらわしているというのである。なかでも、水の上に飛び出した両足先とその水面への反映が、画面を支配しているので、この絵には「足の自画像」という別名もある。
想田和弘の2011年公開の映画「Peace」は、想田の妻柏木規与子の両親の生き方を追ったドキュメンタリー作品。両親は岡山で暮らしている。父親は養護学校の教員をやっていて、定年退職後は障害者を対象にしたボランティア活動に従事している。障害者を車に乗せて移動する仕事である。福祉タクシーのようなものだが、普通のタクシー料金の半額以下でなければならない。そのため、売り上げがすべて経費で消え、自分の所得にはならない。だからボランティア活動なのだ。母親のほうは、障害者や病人の日常の世話をしている。夫婦でボランティアなのだ。
正法眼蔵第五十四は「洗浄」の巻。洗浄とは文字通り心身を洗い清めること。それを道元は不染汚と言っている。この巻は次のような言葉で始まるのである。「佛祖の護持しきたれる修證あり、いはゆる不染汚なり」。心身を洗い浄めるというテーマは、「洗面」でも説かれていた。洗面では顔や手を洗うことや歯を磨いて口腔内を清潔に保つことが強調されていたが、この「洗浄」の巻では、手足の爪を切ることと大小便の後始末が強調されている。大小便をしたあとに、その部分を清潔にすることや厠(便所)における礼儀などがことこまかく指示される。その説くところは微細をきわめ、大小便に対する道元の異常なこだわりを感じさせる。
「器官なき身体」という奇妙な言葉は作家のアントナン・アルトーが使った言葉だ。アルトーは分裂症を病んでおり、自身の分裂症的な体験をこの言葉であらわした。通常の医学的な説明では、分裂症は自我の統一性が破壊される病気である。だから分裂症者は、確固とした自我の自覚をもてず、外界と内界の区別ができない。自我と対象とが区別できないために、主体性の感覚をもてない。そういう事態は、普通の言葉では病気というほかはないが、アルトーはそれに積極的な意義を与えた。かれにとって器官なき身体とは、さまざまな器官に分節化される以前のただの肉のかたまりとしての身体をイメージしていた。その肉の塊として生きるというのが、アルトーにとって望ましい生き方だった。
「ドロシー・ヘイルの自殺(El suicidio de Dorothy Hale)」と題されたこの絵は、雑誌「ファニティ・フェア」の編集者クレア・ブース=ルースの依頼を受けて制作したもの。モデルのドロシー・ヘイルは、ニューヨーク社交界の花形で女優志望だったが、1831年に夫が死んだあと経済的困窮に陥り、1938年10月に、ニューヨークのハンプシャー・ビルの窓から飛び降り自殺した。ドロシーの親しい友人だったクレアが、ドロシーの生前の肖像画を母親に贈ろうと思ってフリーダ・カーロに制作を依頼したのだった。
「ジョン万次郎漂流記」は、昭和13年の直木賞受賞作品であり、井伏の作家としての地歩をゆるぎないものとした。この作品はもともと河出書房の「記録文学叢書」シリーズの一冊として、昭和12年に刊行され、その際には「風来漂民奇譚ジョン万次郎漂流記」というタイトルであった。井伏には、漂流民への関心があったとみえ、若い頃の作品には「無人島長平の墓」といったものがあり、また、戦後には「漂民宇三郎」のような作品を書いている。
立件民主党の代表選に、かつて同党の代表をつとめ、かつ首相をつとめた野田某氏が立候補するそうだ。野田某氏といえば、首相在職中に消費税増税を画策し、それがもとで政権を失った男だ。消費税の増税自体はたいした政治的な問題とは言えない。問題なのは、消費税を増税しないことを公約して選挙に勝ったにかかわらず、一旦政権を担うとその公約を反故にし、平然と増税に踏み切ったというその無節操な姿勢である。当時の大方の世論は、そのやり方を評して、平気でウソをつくといっていたものだ。
エリック・ロメールの1987年の映画「友達の恋人(L'ami de mon amie)」は、「喜劇と格言」シリーズの第六作。男にもてない女の恋人探しを描いた作品。自分の力では男を見つけることができないので、友達に協力してもらって男をみつけようとするが、なかなかうまくいかない。引っ込み思案だからだ。そのうち、事態は急転し、友達の恋人だった男とくっつく。もっともその男は友達が愛想をつかして捨てた男だった。だから彼女は、友達のお古を払い下げしてもらった形だ、というような内容。
瑞江葬儀所の次の職場は教育庁所管の東京体育館であった。これは昭和31年から33年にかけて整備された大規模体育館で、アジア大会や東京オリンピックの競技会場として活躍、日本有数の屋内体育施設であった。老朽化のため昭和61年12月に全面改修工事が始まり、令和2年4月にリニューアル・オープンを予定していた。小生が赴任した時にはまだ完成しておらず、オープンに向けて開設準備の最中であった。開設準備という仕事はハードなものだと聞いていたので、小生は心を引き締めて臨んだものであった。
アンドレ・ブルトンの企画により、1939年にパリで「メキシコ展」が開催された。リベラとフリーダの夫妻は、トロツキーを通じてブルトンと親しくなった。ブルトンは、フリーダの描いた「トロツキーに捧げる自画像」に感銘を受け、彼女のためにもなると思って、この展覧会を企画したのだった。フリーダはこの展覧会に「ザ・フレーム(Autorretrato"The Frame")」と題された自画像を出展した。それをルーヴル美術館が買い求めた。ヨーロッパ以外の美術家の作品を、メジャーな美術館が買収するのは初めてのことだった。もっともルーヴル側では、フリーダ自身を高く評価していたわけではなく、ディエゴ・リベラの妻と認識していたようである。
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