b1.1.sess60.hyakuba.jpeg

「百馬図帖」は、雪村が鹿島神宮に奉納したもの。画帳に馬の絵を貼り付けたもので二種類ある。一つは横長の図面を貼り付けたもの、もう一つは縦長の図面を貼り付けたものである。奉納の時期は記されていないので明らかでないが、雪村が小田原に滞在した頃に、北条氏の武運を念じて奉納したと考えられている(鹿島大神宮は武神である)。そうだとすれば、天文17年前後ではないか。

世論調査で定評のあるアメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが、中国の国家イメージに関する世論調査を世界34か国で実施した。それによれば、中国が嫌いだと答えたアメリカ人は60パーセント、同じく日本人は85パーセントだったそうだ。アメリカの隣国であるカナダでも、67パーセントの人が中国を嫌いだと答え、ヨーロッパ諸国でも中国のイメージは悪かった。スウェーデンは70パーセント、フランスは62パーセントの人が中国に否定的だった。

monet22.2.1891.1.jpg

モネは1890から翌年にかけて、ジヴェルニーの家の付近にあった畑の積わらを沢山描いた。モネの晩年の画業を飾るものとして、一連の連作があるが、これはその最初のものになった。作品の数は十点以上にのぼる。それぞれ、季節ごとや、日の移り変わりの特徴をよくとらえており、それらを並べて見ることで、全体としての作品のメッセージを読み取れることができるようになっている。

本質とは、西洋哲学の伝統においては、或るものが何であるかという、その何であるかについての定義というふうに考えられている。それは通常、類と種差という形で表明される。たとえば人間については、人間とは理性的な動物である、というふうに。動物が類で、理性的が種差である。本質についてのこの定義は、アリストテレス以来の西洋哲学の大前提になっている。

nudists.jpg

この写真は、英紙ガーディアンに載っていたもの。ショッキングな映像が印象的だったので、引用した次第。全裸の男女が重なりあうようにして横たわっている。この人たちはこれを通じて、皮を剥がれた動物をイメージしてもらいたいのだそうだ。そう言われれば、人間の裸体に血のこびりついた様子が、皮を剥がれた動物、たとえば鶏やウサギを連想させる。

これまでの対話を通じてソクラテスは、恋の狂気に駆られた者が、狂気の故に悪いことをするのではなく、むしろ良いことをするのだということを、論証したのであるが、次いで、その恋する者と、彼が恋する愛人との間にどのような関係が成り立つのかについて、例の魂の似姿の比喩を用いながら考察するのだ。その比喩とは、魂は三つの部分からなっていて、そのうち二つは馬で、一つは御者であり、二つの馬のうち一つはすぐれた馬であり、もう一つは悪い馬だということだった。

kurosawa22.maada3.JPG

1993年公開の映画「まあだだよ」は、内田百閒の晩年を描いた作品である。内田百閒といえば、漱石門下の文人で、戦時中には文学報国会への入会を拒絶するなど、気迫ある男として知られていた。その百閒の生き方に黒澤は共感したのだろう。この映画の百閒の描き方には、人間としての強い共感が込められている。

a3.1.sess32.yoryu.jpg

「楊柳水郭図」は、中国の画風に倣った初期の作品。江岸の楊柳の陰で、碧水に浮かんだ水郭を描いたこの絵の構図は、伝馬遠作「周茂叔愛蓮図」を基にしていると思われる。構図を借りながらも雪村は、動静と陰影を加え、自分らしさを表現している。

前稿で、「取り替え子」で触れられていたランボーの詩「Adieu」に拙訳を施したところ、同じ小説の中で触れられているオーデンの詩も訳す気になった。これは「Leap Before You Look」という題名の詩で、日本語では「見る前に跳べ」ということになる。この詩を大江は、勇気を鼓舞してくれるものとして引用していたのだが、他の小説のなかでも、もっと本格的な形で取り上げていた。その小説は「見る前に跳べ」というタイトルで、まさにオーデンの詩のタイトルをそのまま用いたのだった。その小説の中でのこの詩の引用のされ方は、何事も見た上でなければ、つまり安心したうえでなければ跳べない日本人の臆病さを揶揄するといったものだった。「取り替え子」のなかには、そうした揶揄の感情はない。年齢の経過が、大江に心境の変化をもたらしたのかもしれない。

monet21.1887.1.jpg

「日傘を持った女」とほぼ同じころ、モネはアリスの娘たちがボートに乗っている絵を何点か描いた。これはその一点。二人の若い女性がボートに乗って、なにやら語らいあっている。その姿勢には、若い女性の屈託のなさが表れている。

kurosawa23.JPG

黒沢明の1991年の映画「八月の狂詩曲」は、長崎の原爆災害が一応のモチーフのようなので、狂詩曲というよりはレクイエム(鎮魂曲)といったほうがふさわしいかもしれない。実際この映画の中では、家族を原爆で失った老婆たちが、般若心経を読む場面が度々流される。土地柄、讃美歌を歌わせてもよいところかもしれない。

あらゆる人々の魂は、かつて一度は真実在を見たことがある。何故なら、「人間がものを知る働きは、人呼んで形相(エイドス)というものによって総括された単一なものへと進みゆくことによって、行われなければならないのであるが、しかるにこのことこそ、かつてわれわれの魂が、神の行進について行き、いまわれわれが<ある>と呼んでいる事物を低く見て、真の意味において<ある>ところのもののほうへと頭をもたげるときに目にしたもの、その物を想起することにほかならないのであるから」

日独両国とも、講和条約締結と主権の回復には、冷戦が強く影響した。冷戦で世界が東西に分かれてにらみ合うという状況の中で、両国ともに西側諸国だけとの講和という形をとった。その結果、日本の場合にはアメリカへの依存・従属を深め、ドイツは国の分裂という事態に見舞われることとなった。

夢:黒沢明

| コメント(0)
kurosawa21.yume4.JPG

黒沢明の1990年の映画「夢」は、日米合作ということになっているが、それは資金の上のことで、中身は純粋な日本映画である。日本ではなかなか映画作りをできなくなった晩年の黒澤に、ハリウッドのワーナーが資金援助して、黒澤の好きなように映画を作らせてやったということらしい。

a2.sess72.jpg

「辛螺に蘭図」は、落款に「中居斎雪村老翁筆」とあるところから、雪村四十歳頃の作品と考えられる。当時は齢四十をもって老人と称するのが普通だったからだ。モチーフは、辛螺の貝殻に植えられた蘭の花。辛螺は田螺に形の似た巻貝で、そんなに大きくはない。そこに欄を植えるというのだから、小さな種類の蘭なのだろう。

monet20.1.1885.1.1.jpg

1883年、モネはオシュデの妻アリスとその子供たちとともにジヴェルニーに移り住んだ。ジヴェルニーはモネの最後に落ち着いた土地である。後年その土地に立派な家を建てたモネは、アリスと正式に結婚し、睡蓮の花を描きながら、幸福な晩年を送るようになる。

これまで、本質実在論の諸タイプについて見て来たが、その本質実在論の対極にあるのが禅である。禅は二つの点で、本質実在論とするどく対立する。禅はまず、本質そのものを認めない。本質の実在どころか、その意義そのものを否定するのである。禅はまた、神の存在を認めない。というか神の問題を回避する。これは禅が仏教の一つの流派であり、したがって宗教であるらしいことを考えると、奇異なことのように思えるが、そもそも原始仏教というものは、神を問題とはしていなかった。原始仏教の問題意識は、輪廻から超脱して存在することをやめることであった。存在することをやめれば、あらゆる煩悩から解放されるからだ。仏教というのはしたがって、自力で以て煩悩から解放されることを目的としており、そこに神が介在する必要はなかった。その原始仏教の問題意識を、禅はもっとも純粋な形で受け継いでいるのである。

北朝鮮外務省の日本担当副局長なる人物が、日本の安倍総理に言及して、雀の電脳水準以下だと罵倒したそうだ。これは朝鮮中央通信を通じて発表した談話のなかで出てきた言葉で、安倍総理が北朝鮮の発射した超大型放射砲を弾道ミサイルと取り違えたことを馬鹿にしたもの。この人物はご丁寧にも、北朝鮮は近いうちに本物の弾道ミサイルを発射するつもりだから、弾道ミサイルがどういうものか、よく見ろとも言ったそうだ。また、「安倍は本当にどれ一つ不足がない完ぺきな馬鹿であり、二つとない希代の政治小人だ」とも言ったそうだ。

derek09.blue.JPG

デレク・ジャーマンがAIDSで死んだのは1994年2月だが、その前年に最後の作品「BLUE」を作った。一応映画ということになっているが、普通の意味での映画ではない。映画とは、活動写真から始まった歴史が示すとおり、映像が不可欠の要素と考えられて来た。ところがこの作品には、一切の映像がない。あるのは、ブルー一色に染まった画面だけだ。その画面の背後から、あるいは手前から、男のつぶやきが聞こえて来る。そのつぶやきとは、おそらくジャーマンその人の声なのだろう。

ソクラテスは魂の似姿を、神と人間とに共通したものとして捉える。ただ完成度の違いがあるだけだ。神の魂の似姿は完成されているので、二頭の馬はいづれも御者の言うことを聞き、スムーズな動きをする。それに対して人間の魂の似姿は不完全なので、二頭の馬のうち一頭は御者の言うことをきかず、そのためにスムーズな動きが出来ないのだ。これら魂の似姿は、折に触れてこの世界の外側に出て、そこで真実の世界を見る。そのさまをソクラテスは次のように描写する。

最近のコメント

アーカイブ