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セザンヌの80点にものぼるサント・ヴィクトワール山の絵の中で、最晩年(1904)の傑作がこの作品(Montagne Sainte-Victoire)。シリーズの他の絵に比べて抽象度が高いのが特徴である。サント・ヴィクトワール山自体は明確な輪郭で描かれているが、手前の森林地帯はざっくりと表現されている。

井伏鱒二は、比較的長い小説で華々しく登場したタイプの作家ではなく、短編小説をコツコツと書いているうちに、次第に評価されるようになった作家である。多産なタイプではなく、一つの作品を時間をかけて推敲するタイプだった。時間をかけているから、文章には締まりがある。だが、想像力のひらめきのようなものは感じられない。処女作の「山椒魚」はじめ、初期の作品には動物をモチーフにしたものがあり、そこに読者は意外性を感じるかもしれないが、動物はあくまでも作者である人間の視点からとらえられているので、意外性はそんなにショッキングな色彩は帯びない。変わっているといった感じを受けるのが関の山ではないか。

イスラエルの首相ネタニヤフが米議会の幹部に招待され、上下両院の合同会議で演説した。民主党の議員のほぼ半数と共和党の議員一人は欠席したが、ほぼ400人(535人中)の議員を前にネタニヤフは米国とイスラエルの同盟について語った。そのネタニヤフを、出席議員はスタンディング・オベーションで迎えた。それを見たものは、人間的な良心を持っていれば、いかがわしい眺めだと思わざるを得ないだろう。

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綿井健陽の2005年の映画「Little Birds イラク戦火の家族たち」は、アメリカのイラク侵略をテーマにしたドキュメンタリー映画。アメリカとイギリスの軍隊がイラクへの侵略を開始するのは2003年3月20日、その12日前の3月8日のイラク市民の様子を写すところから始めているのは、ブッシュ倅の予告を受けて、あらかじめ現場にスタンバイしたからだろう。侵略が始まると、イラク市民は激しい空爆にさらされ、多くの市民が殺された。このドキュメンタリー映画は、殺される側のイラク人の立場から、米英の侵略を批判的な視点で記録している。なにしろ何の関係もない子供たちが、米英の無法な暴力によって殺されたり、不具にされたりする。家族を失ったイラク人の悲しみは深い。

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「青い服を着た女性の肖像(Portrait de dame en bleu)」と題されたこの絵は、セザンヌ晩年の肖像画のなかでも傑作といえる作品。モデルは、セザンヌが雇っていた家政婦ブレモン夫人であると推測されている。

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2011年のオーストリア映画「ドロホーブィチの最後のユダヤ人(Der letzte Jude von Drohobytsch ポール・ロズディ監督」は、タイトルから連想されるようにホロコーストを生き残ったユダヤ人に密着したドキュメンタリー映画。ホロコーストをテーマにした映画はおびただしい数に上るが、サバイバーに密着したドキュメンタリー映画はそう多くはないのではないか。この映画に出てくるユダヤ人アルフレッド・シュライヤーは、ウクライナのドロホーブィチでホロコーストの嵐を迎え、強制収容所をたら回しされたあと、ドイツ国内の強制収容所で終戦を迎えた。そのかれを、ドロホーブチの町を歩かせながら、そのホロコースト体験を語らせるという構成である。

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晩年のセザンヌは、家から少し離れた地点からサント・ヴィクトワール山を描く一方で、家の近くの森を好んで描いた。ずばり「森(Forest)」と題されたこの絵もその一つ。これは、シャトー・ノワールに向かう野道沿いの森を描いたものだ。シャトー・ノワールは、エクス・アン・プロヴァンスのセザンヌの家から遠くないところにあった。

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1993年のドイツ映画「レニ(Die Macht der Bilder: Leni Riefenstahl レイ・ミュラー監督)」は、ドイツ人の女性映画監督レニ・リーフェンシュタールの晩年に取材しながら、彼女のナチスとのかかわりや映画技術の発展に果たした業績を紹介するドキュメンタリー映画である。これは彼女が90歳のときに制作されたものであるが、それは彼女自身の意思によって実現したということだ。彼女は自伝の執筆と合わせ、自分の伝記映画の制作にも意欲的だった。年をとったまま世間に忘れられるのが無念だったのだろう。

正法眼蔵第四十八は「法性」の巻。法性という言葉は、法華経に出てくる「諸法実相」とほぼ同じ意味の言葉。あらゆる存在の存在たる本質をさす。岩波の仏教辞典には、「事物の本質、事物が有している不変の本性を意味する」とある。道元がこの言葉を使う時には、単に存在の本質といったことだけではなく、すべての存在には仏となるべき資質が備わっていると考えているようである。かれはこの巻の後半を馬祖の批判にあてるのであるが、それは馬祖が法性を単に存在の本質としてとらえ、存在に本来備わっている仏となるべき素質を無視していると考えるからだ。そんなわけだから、道元がいうところの法性は仏性に非常に近い概念である。

ドゥルーズ=ガタリは、精神分析と分裂者分析とを資本主義分析の二つの対立しあう理論体系として捉える。分裂者分析という奇妙な言葉を発明したのはかれらだが、それはフロイトの精神分析に一定の敬意を払っているからだろう。精神分析は資本主義の従僕として、それに帰属し、資本主義の利益のために働く。それに対して、分裂者分析は、精神分析の虚偽性をあばき、精神分析が提示する欺瞞的な概念たるオイディプスに攻撃を加える。分裂者分析の役割は、なににもまして破壊にある、「破壊せよ。破壊せよ。分裂者分析の仕事は破壊を通じて行われる」(市倉訳)。分裂者分析は、「全力をあげて必要な破壊に専念しなければならないのだ。信仰や表象を、劇場の舞台を破壊せよ。そしてこの仕事に従事するためには、分裂者はいかに敵意ある活動をするとしても、決してしすぎるということにはならないであろう。オイディプスと去勢とを破壊せよ」。

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晩年のセザンヌは頭蓋骨に関心を示し、頭蓋骨をモチーフにした多くの絵を描いた。かれの頭蓋骨への関心は、一つには死への向かい方に根差し、もう一つは静物画家としての資格において、頭蓋骨に果物やキューピッド像のような形態的な美を発見したからではないか。

ドストエフスキーは、反ユダヤ主義がよく批判の対象となる。熱心な批判者には当のユダヤ人が多い。ドストエフスキーのような、影響力の大きな文学者が反ユダヤ主義をまき散らしているのを、ユダヤ人としては放置しておけないと思うからであろう。そういう批判者は、ドストエフスキーの人間性そのものに攻撃を加え、世界の文学史から排除することを目指す。だが、そんなことでへこたれるようなドストエフスキーではない。

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ニコラ・フィリベールの2007年の映画「かつて、ノルメンディで(Retour en Normandie)」は、ノルマンディの農村地帯に暮らす人々をドキュメンテリータッチで描いた作品。その人々は、ルネ・アリオが1976年に制作した映画「私ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した」に素人俳優として出演していた。フィリベール自身は助監督としてその映画製作にかかわったのだったが、それから30年を経て、かつて映画に出演した人々を訪ね、映画の思い出とか、現在の暮らしぶりなどを、インタビューという形で話してもらうというような内容である。その合間に、当該映画の断片が紹介される。

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セザンヌは水浴する男女をモチーフにした絵を、1870年代以降数多く手掛けている。ティティアーノやルーベンスからインスピレーションを受けたという。かれの場合、ヌードそのものを描くのではなく、風景にとけあったヌードを描いた。ヌードのいる風景画あるいは、風景を背景にしたヌードといえるものだ。

辻浩和は日本中世史の研究者で、「中世の遊女―生業と身分」などの著作がある。その辻が、今般東京芸術大学大学美術館で開催された「大吉原展」について、「遊女はなぜ描かれたか」と題する批判的なコメントを出した(雑誌「世界」2024年8月号)。この展覧会は、開催前からSNS上で話題を集め、いわゆる炎上を引き起こしたという。炎上した理由は、この展覧会が、吉原が人身売買や性的搾取が行われていた場であったことに無自覚で、買う側に立って遊郭を美化しようとしているのではないかとの疑惑を呼んだことにある。主催者側ではそうした指摘を受けて、「大吉原展の開催にあたってー吉原と女性の人権」と題する声明を出し、吉原遊郭が女性の人権を軽視していたことを認めるにやぶさかではないと弁明したのだったが、辻が実際に会場に足を運んで見た結果得た印象は、「制度の犠牲になった遊女たちなしにはあり得なかった吉原の文化と歴史を再考する機会」にはなっていなかったというものだった。

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ニコラ・フィリベールの1996年の映画「すべての些細な事柄(La Moindre Des Choses)」は、或る精神科診療所の日常を追ったドキュメンタリー作品。その診療所はラ・ボルドといって、精神分析家のフェリックス・ガタリと精神科医のジャン・ウーリーが1953年に立ち上げたものである。独自の方針で患者に接するという。ガタリは日頃、「気違いは病気ではない」と言っていたが、その言葉通り、この映画の中の患者は、ちょっと変わった生き方をしているが、それは生き方の違いであり、決して病気ではないというスタンスが伝わってくる。

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アンブロワーズ・ヴォラールは非常に有能な画商で、多くの画家と付き合いがあった。色々な画家に自分の肖像画を描かせた。ボナール、ルノワール、ピカソの描いたヴォラールの肖像画がよく知られている。セザンヌと古くから交流があったわけではなく、タンギーの店にかかっていたセザンヌの絵を見たヴォラールが、当時プロヴァンスに引っ込んでいたセザンヌを探し出し、多くの作品を買い求めた。それらの絵を、セザンヌの個展という形で世に出した。セザンヌはその個展がきっかけで広く知られるようになる。

正法眼蔵第四十七は「仏経」の巻。仏経とは仏教の経典のことをいう。その経典を道元はここでは仏教修行者がもっとも大事にすべきものだと説く。仏教の修行はまずお経を読むことを優先すべきだというのである。このようなお経優先の思想は、それ以前の道元の姿勢との違いを感じさせる。道元はお経を読むことを看経と呼んでいるが、その看経より只管打座を優先してきたのではないか。仏教修行は只管打坐に尽きるという道元の考えは、弟子の懐奘が隋聞記のなかで繰り返し強調しているし、また道元自身も只管打坐をもって仏教修行の眼目だと言ってきた。それがこの巻では、お経を読むことこそが仏教修行の王道だと断言するのである。われわれはそこに、道元の心境の変化のようなものを見る。道元がこの巻を示衆したのは、43歳の時で、吉峰寺においてであった。この時期の道元は非常に活発な布教活動をしており、正法眼蔵所収の巻の多くがこの時期に書かれている。盛んな布教にあたっては、弟子たちに只管打坐を進めるとともに、仏教経典を読むことも進めたに違いない。そうした事情が働いて、お経の意義をことさらに強調したのではないか。

昨年の7月15に満75歳の誕生日を迎え、いわゆる後期高齢者の部類に入れられることになったのを記念(!)して、「落日贅言」と題するエッセーのシリーズを始めてから一年がたった。まだ、元気で生きている。先日は、野暮用で二人の老人と親しく付き合うことがあったが、二人とも86歳の高齢で、矍鑠としていた。その姿を見て小生は、自分もあと十年は元気でいられるかもしれないと思い、その気持ちを家人に披露したところ、家人はうれしそうな顔をしたものである。

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ニコラ・フィリベールはフランスのドキュメンタリー映画作家。1990年以降ドキュメンタリーの話題作を次々と発表した。作風は、一定の対象に密着して、その日常を淡々と描くというものだ。代表作は「僕の好きな先生」(2002)や「かつてノルマンディで」(2007)などがある。

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