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表参道KEYAKIビル、ケリング・ビルは、一区画の敷地を仲良く分け合うように立っています。ケヤキビルが敷地の角に立ち、それをL字型に囲むかたちでケリング・ビルが立っています。通りを隔てた向かい側から見ると、細長い建物が二つ並んでいるように見えます。

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2006年のイギリス映画「アメイジング・グレイス(Amazing Grace マイケル・アプテッド監督)」は、イギリスの奴隷貿易廃止に取り組んだ政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの奮闘ぶりを描いた作品。それに、讃美歌「アメイジング・グレイス」を絡ませている。この讃美歌は、ロンドンの教会の牧師ジョン・ニュートンが作詞したものと言われるが、歌詞の内容は神をたたえるものであり、奴隷解放とは関係はない。映画はそのニュートンを登場させて、あたかもこの曲が奴隷解放を呼びかけたもののように描いている。

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アニヴェルセル表参道は、もともと結婚式場として作られましたが、2023年にリニューアルされて、ファッション・ブランド、ティファニーが入居しました。そんなことで現在は、結婚式場というよりはティファニーのイメージが強くなっています。


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「巨人(El coloso)」と呼ばれるこの絵は、一時ゴヤの真筆であることを疑う説も出されたが、今日では一応ゴヤの真筆という合意が確定されていることになっている。「黒い絵」のシリーズとか、版画「戦争の惨禍」と共通する要素が多く指摘され、ゴヤの真筆と考えてよいのではないか。

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1998年のイギリス映画「アナザーワールド鏡の国のアリス(Alice through the Looking Glass)」は、ルイス・キャロルのファンタジー小説「鏡の国のアリス」を映画化したもの。テレビ放送のために制作されたが、のちに劇場でも上映された。キャロルの作品のうち、「不思議の国のアリス」は多くの国で映画化されたが、「鏡の国のアリス」そのものを映画化した例は他にはないのではないか。その点、この映画は貴重なものであると言えよう。

世阿弥の能楽論「花鏡」は、応永三十一年世阿弥六十二歳の年に成立した。これより四年前に書いた「至花道」をさらに敷衍・展開したもので、世阿弥の中期の代表的な能楽論である。奥書に、前期の能楽論を代表する「風姿花伝」との比較が記されており、それによれば、「風姿花伝」は亡父観阿弥の教えを書き留めたものであるのに対して、この「花鏡」は、四十歳以降時々に心に浮かんだことがらを書き留めたものだとある。つまり「風姿花伝」は亡父から受け継いだ庭訓であるのに対して、これは自分自身の能楽論だというのである。

雑誌「世界」の最新号(2014年3月号)に、今進行中のパレスチナ問題についての二つの投稿がある。一つは「パレスチナ・西岸に生きるということ~あるいは次の瞬間死ぬということ」と題する安田菜津子のルポルタージュ記事、もう一つは「ショアーからナクバへ、世界の責任」と題する高橋哲哉の講演記録で、こちらはイスラエルによるパレスチナ人迫害について原理的な考察を行っている。

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ナポレオンのスペイン侵略にともない、ナポレオンの弟ジョゼフがスペイン国王となった(スペイン語ではホセ)。1808年のことである。マドリード市では、ジョゼフ国王をたたえるための肖像画の制作をゴヤに依頼した。その結果が、1809年の作品「マドリード市の寓意(Alegoría de la Villa de Madrid)」である。

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2010年のイギリス映画「わたしを離さないで(Never Let Me Go マーク・ロマネク監督」は、日系のイギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説を映画化した作品。テーマは臓器提供型アンドロイドである。この映画のなかのアンドロイドは、人間の遺伝子をコピーした人造人間だが、身体も心も人間と全く異なるところはない。だが、生きたまま人間に臓器を提供するように仕組まれており、生後ある一定の年齢になれば、自分の臓器を摘出される。最初の手術で死ぬものもいるが、だいたいは三回の手術を受けて終了を迎える。終了とは死ぬことである。

正法眼蔵第二十六は「佛向上事」の巻。仏向上の向上とは、その先という意味。だから仏向上は、仏の更にその先の境地ということになる。人は仏になることを修行の目的とするが、仏になったらなったで、更にその先を求める、それが仏向上という言葉の意味である。この巻は、そうした意味での「仏向上事」について説く。

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地下鉄表参道駅を出ると、表参道の通りを隔てて見えるのが「One 表参道」です。青山通りとの交差点の北西に面して立っています。結構クラシックな感じがする建物です。設計は隈研吾、竣工は2003年です。ただし、2023年に拡大リニューアルされています。昨年の初夏に訪れた時にはリニューアルの工事中でした。

「差異と反復」の第三章は、「思考のイマージュ」と題されているが、実質的な内容は、哲学の前提に関する議論である。ドゥルーズは、従来の伝統的な哲学はすべて、ある前提から出発していると見ている。その前提とは、哲学以前の世俗的な道徳を反映したものである。したがって臆見とか常識と言い換えられるようなものである。そうした臆見ないしは常識が土台にあるから、哲学はすべての人(といっても西洋的な伝統に属する人という意味だが)にとって共通の議論の対象となるのである。ところで、ドゥルーズの哲学者としての使命は、伝統的な哲学(形而上学)を、ニーチェと共に解体することであった。その解体の主要な武器として、ドゥルーズは、哲学における前提の批判とその否定を打ち出すのである。だからこの章の狙いは、「哲学における前提」を破壊することにある。

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ゴヤは宮廷画家として貴族たちの肖像画を描いたのだったが、晩年には商人の肖像画も描いた。「イサベル・デ・ポルセール」と題されたこの肖像画は、その代表的なものである。モデルは富裕な商人アントニオ・ポルセールの若い妻である。ゴヤは、ゴドイを介してポルセールと近づきになり、たびたび饗応された。これはそのお返しとして制作されたといわれる。

小説「悪霊」の最大の山場は、ピョートルらによるシャートフ殺害だ。小説のモデルとなったネチャーエフ事件がネチャーエフらによる仲間の殺害だったということからすれば、この小説の山場がシャートフ殺害に設定されていることは自然なことだ。ネチャーエフ事件と同様、密告の防止が殺害の原因とされている。だが実際には、シャートフに密告する意志があったようには思えない。ピョートルの勝手な思い込みといってよい。ピョートルは、シャートフが組織から自発的に脱退しようとしていることに腹をたてており、その意趣返しとして密告の濡れ衣を着せ、シャートフ殺害を合理化したように受け取れるような書き方になっている。

雑誌「世界」の最新号(2024年3月号)が「さよなら自民党」と題する特集を組んでいる。今大騒ぎになっている自民党各派閥の裏金問題が、自民党にとってどんな問題を投げかけているのかを批判的に検証するような内容である。最も迫力を感じたのは、佐々木毅と山口二郎の対談。「90年代政治改革とは何だったのか」と題するこの対談のなかで、佐々木は、30年前にも同じような不祥事(リクルート事件)が起き、そのために政治改革をやったはずなのに、その改革の理念がちっとも実現せずに、またぞろ同じような不祥事が起きたと言って、自分たちの対談が失われた三十年を地で行くようなものになるんじゃないかと「恐れている」と言う。

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1993年のイギリス映画「日の名残り(The Remains of the Day ジェイムズ・アイヴォリー監督)」は、日系のイギリス人作家カズオ・イシグロの同名の小説を映画化した作品。小生は、原作を未読なので、それと比較することははばかられるが、歴史家の近藤和彦によれば(「イギリス史10講」)、原作の雰囲気は映画にもよく反映されているようである。

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昨年(2023)の初夏に表参道を訪ねたのは、小生が好きな現代建築の名作が見られると知ったからだ。それまで小生は、東京の街を歩き回り、街のたたずまいをカメラに収めては、「東京風景写真」と称してブログで紹介していたものだ。また、建築遺産と称されるような建築史を飾るような建物の写真を、「東京建築遺産」と称して、併せて紹介した。小生が建築にこだわるのは、一時期建築関係の仕事をやっていたためである。その仕事は、建築を総合的に評価するというものだった。そうした評価は、現代建築について行うものであったが、小生は現代建築をブログで取り上げることはしなかった。ところが、年令を重ね、後期高齢者の仲間入りをすることとなるにいたって、俄然現代建築についても(仕事上ではなく)個人的な関心を抱くようになった。

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「マハとセレスティーナ(Maja y celestina)」と題されるこの作品は、「バルコニーのマハたち」と対をなすもの。ゴヤの財産目録の中に、「バルコニーの若い女性を描いた2枚の絵」とされるものがあることからわかる。どちらも、売ることは考えておらず、自分自身の気晴らしのために描いたものであり、マドリードにあったかれの家の一室を飾っていた。

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2021年のアイルランド・イギリスの合作映画「ベルファスト(Belfast ケネス・プラナー監督)」は、北アイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの宗教対立を描いた作品。この対立は、1969年にカトリック側がIRA(アイルランド共和国軍)」を結成してイギリスからの独立とアイルランドとの統一を求めて戦いに踏み切ったことから始まり、1970年代から80年代にかけて大規模な軍事紛争に発展した。この映画は、その対立の初期の局面を描く。カトリックに反発したベルファストのプロテスタントが、自衛段を結成してカトリックへの攻撃をするところを描くのである。

世阿弥が能楽論「至花道」を書いたのは応永二十七年、「風姿花伝」の別紙口伝を書いた二年後のことである。世阿弥後期の本格的能楽論「花鏡」への序論のようなものと言える。この能楽論の意図も、「風姿花伝」同様、能楽にとっての基本的な事柄を子孫たちに伝えようとするものである。その事柄を世阿弥は、ここでは五つにしぼり、それぞれについて簡単な説明を加えている。その五つとは、二曲三体事、無主風、闌位事、皮肉骨事、体用事である。

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