米最高裁判事のルース・ベイダー・ギンズバーグの死去にともない、その後任人事をめぐって大騒ぎになっている。トランプと上院共和党は、大統領選の前に指名手続きを終わらせたいのに対して、バイデンと民主党は、大統領選後になすべきだと主張している。じつは四年前の大統領選挙のさいにも、それより数か月前に死んだ判事の後任指名を、選挙後に延ばしたということがあった。その際には、共和党側の強い意向に民主党側が譲歩したのであったが、今回はその共和党が、前例を無視して、早めに指名しようとして動いているわけだ。

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「皮をはがされた牛」は、レンブラントとしては珍しいモチーフなので、その真偽が問題になったこともあるが、今日ではレンブラントの真作と広く認められている。こうしたモチーフを選んだのは、なにごとにも挑戦を惜しまないレンブラントの向上心の現われだと解釈されている。

「知恵のともしび」は、ナーガールジュナの著作「中論」へのバーヴァヴィヴェーカ(静弁)による注釈である。バーヴァヴィヴェーカは、中観派のうちの自立論証派に属する人で、帰謬論証派が論争相手を論駁することで自分の正統性を主張するやり方に対して、自分の意見を積極的に主張するという方法をとっている。その方法とは、六世紀ごろの仏教思想家ディグナーガ(陳那)が確立した論理学を駆使して自分の正当性を主張するというものである。

今日の朝日新聞の朝刊に「ライオン10万円 猫より安い」という見出しを見て、小生はライオンがこの値段で、ペットショップで売られているのかと思ったら、そうではないらしい。日本の動物園には、繁殖した動物を相互に交換する慣習があるようで、その場合にライオンに付けられる値段の相場が10万円だというのだ。

マルクスの経済学研究の成果は、「資本論」という形で現われる計画であった。その全体像のうち、マルクスの生前に公表されたのは、今日「資本論」第一部とされている部分であり、残余の部分については、エンゲルスの手によって、「資本論」第二部及び第三部という形で公表されたことは周知のとおりである。

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フリオ・メデムの1998年の映画「アナとオットー(Los Amantes del Círculo Polar)は、両親同士が再婚した義理の兄妹の恋愛をテーマにした作品だ。兄オットーの父は、妻と離婚してアナの母と結婚した。アナの父は交通事故で死んだのだった。オットーとアナはもともと同じ学校に通っていて、互いに好意を抱きあっていたのだったが、かれらの両親が結婚したのは偶然のことだった。オットーは、父親が母親と離婚したことにわだかまりがあったが、アナと一緒に暮らせるのがうれしかったので、母親と一緒に暮らしながら、週末にはアナのいる父親の家で過ごすのだった。

ジャパンライフ事件はこの国の無軌道ぶりの一端を見せつけた。未曽有の規模の詐欺事件ということもあるが、時の権力者が、その詐欺に何らかの形でかかわったという嫌疑が広くいきわたり、国全体が詐欺劇場の観を呈したものだ。

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(37景 隅田川橋場の渡かわら竈)

橋場の渡しは、今の言問橋のやや上流で、浅草の橋場と向島の寺島を船で結んでいた。荷風散人の小説「隅田川」の舞台となったところ。隅田川の渡し場としては、最も古いといわれる。かの在原業平も、この渡しで舟に乗ったものだ。その折に京を懐かしんで詠んだ歌、「名にしおはばいざこととはん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」。言問橋の名称は、この歌から来ている。

莫言の小説「酒国」にはさまざまなテーマが込められているが、中心となるのは酒と人肉食である。莫言の猥雑で豊穣な世界のなかで、人肉食が正面から取りあげられているのは、この小説の中だけだ。このショッキングなテーマを莫言はなぜ、持ち込んだのか。人肉食といえば、日本では大岡昇平の「野火」が思い浮かぶ。大岡の描く人肉食は、飢餓に迫られての極限的な行為であり、したがって極めて倫理的な意味合いを付与されている。それに対して莫言の描く人肉食は、そうした倫理的な意味合いを持たされていない。かえって祝祭的な雰囲気に包まれている。

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「目をえぐられるサムソン」も劇的な一瞬をとらえた作品。サムソンは旧約聖書の士師記に出て来るユダヤ人の英雄で、ユダヤ人を苦しめていたペリシテ人を相手に、たびかさなる武勇を示したが、それは神の力添えの賜物だった。ところがある時一時的に神の加護が無くなったところをペリシテ人に襲われ、両目をえぐられてしまう。この絵は、その場のシーンを再現したものだ。

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アレハンドロ・アメナーバルの2009年の映画「アレクサンドリア(Agora)」は、古代末期のエジプトで活躍したギリシャ系女性天文学者ヒュパテイアの半生を描いたもの。彼女はキリスト教会の迫害を受けて、無残な殺され方で死んだ。キリスト教史の暗黒面のヒーローといえるので、キリスト教国ではあまり触れたがらないテーマだ。それをあえてとりあげたアメナーバルは、無神論者なのかもしれぬ。

雑誌「世界」の最近号(2020年10月号)が、「攻撃する自衛隊」と銘打って、最近の自民党政権による好戦的な傾向を分析している。その動きの象徴的なものは、イージス・アショアの配置を断念するかわりに、敵基地攻撃能力の獲得を追求しようというものだ。イージス・アショアはもともと、敵からのミサイル攻撃の防御を目的したもので、あくまでも自衛のための措置と言っていたものが、積極的に敵国の領土内の基地を攻撃しようというのは、先制攻撃の要素が強いというべきであり、したがって自衛を逸脱したものと言わざるをえない。

中論は中観派の祖ナーガールジュナ(龍樹)の主著である。般若経の空の思想を詳細に展開している。般若経は大乗仏典の中でもっとも古く成立し、大乗仏教の根本思想を説いたものであるが、その成立にナーガールジュナがかかわっている可能性があると言われる。それは、ナーガールジュナが放浪の末大竜菩薩に出会い、その菩薩から般若経を授与されたという伝説が物語っている。

先日、ドイツやロシアへ一緒に旅行した仲間と、神田小川町のイタリアレストランで会った。例の如く、大声を張り上げながら、老人らしい話題に花を咲かせるうちに、大坂なおみ選手の話になった。いまアメリカで起きている深刻な人種差別問題に、彼女が声を上げ、脅迫の恐怖を覚えながらも、人種差別への反対を表明し続けたのはすばらしい。日本では、スポーツ選手や芸能人が、政治的なイシューをめぐり発言することはタブー視されており、アメリカでさえも、一定のリスクを伴うと言われているが、そういう風潮のなかで、毅然として自分の意見を表明したのは、誰にもできることではない。

吉田孝は、日本の古代史が専攻だそうだ。その吉田が、「歴史の中の天皇」においては、天皇制の歴史を東アジアの政治情勢との関連で論じた。同じ岩波新書に入っている「日本の誕生」は、それより十年ほど前に書いた本だが、ここでも日本の古代史を、東アジアとの関連においてとらえている。標準的な日本の古代史は、中国をはじめ東アジアとの関連を、当然考慮に入れることはあっても、それは付随的な位置づけで、日本という国を動かしてきた要因は、主に日本内部から生じて来たと考えた。吉田はそれに対して、東アジアからの影響こそが、日本の歴史を動かしてきた主な要因だったとらえるわけである。

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アレハンドロ・アメナーバルの2004年の映画「海を飛ぶ夢(Mar adentro)」は、尊厳死をテーマにした作品だ。ホラー映画やサスペンス映画など娯楽性の強い映画を作ってきたアメナーバルとしては、めずらしく社会的な問題に取り組んだもの。

自民党内の、猿芝居を思わせる権力闘争の結果、大方の予想通り菅前官房長官が新しい総裁、つまりこの国の首相になった。国民の多くは、この結果に異議を唱えていないということらしいが、ひとり複雑な気持ちを抱いている人々がいる。沖縄県の人々だ。菅新首相は、安倍前総理とかぶさる期間官房長官を務めてきたし、その立場から、沖縄の民意を無視して辺野古の米軍基地建設を進めてきた。首相になっても、その立場はかわらないだろう。むしろ、安倍前総理以上に、辺野古基地建設の推進に前のめりになるのではないか。沖縄の人々の大部分は、そう受け止めているのではないか。

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(35景 隅田川水神の森真崎)

水神の森は、いまの墨田川神社のことで、もとは浮島神社といった。東京都が整備した白髭東防災拠点の中にある。梅若伝説で有名な木母寺の南側である。浮島神社と呼ばれたわけは、この地が一段と高くなっていて、墨田川が氾濫して洪水になっても、ここだけは水没しなかったからだという。

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「ペルシャザルの饗宴」と呼ばれるこの絵も、ドラマチックな雰囲気を強く感じさせる作品だ。旧約聖書のダニエル書に出て来る逸話に取材したもの。ペルシャザルは、バビロン王ナボニドゥスの子で、次期バビロン王になるはずだったが、ユダヤ人を迫害したことで滅亡したというような話である。

廻諍論は、ニヤーヤ派の実在論批判に続いて、小乗仏教のアビダルマ思想を批判する。アビダルマもニヤーヤ派同様実在論の立場に立っているので、ニヤーヤ批判と同様の批判がなされてしかるべきなのであるが、仏教である点ではナーガールジュナと同じ基盤に立っている。そこでアビダルマ批判は、ニヤーヤ派批判とは多少異なる趣を呈することとなる。ナーガールジュナは、ニヤーヤ派の実在論を、専ら論理的な見地から批判したのであるが、アビダルマについては、仏陀の教えに反していると批判するわけである。

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