戦後、ドイツの新憲法制定が日本より2年以上も遅れたのは、統一ドイツの姿が見えてこなかったからである。その原因は主にソ連にあった。ソ連(ロシア)は、国境の西側から度々侵略を受けて来たという歴史を持ち、第二次大戦においてもドイツによって侵略されたという苦い記憶があった。それゆえ、統一ドイツが未来のソ連にとって再び重大な脅威となることを嫌った。そんなわけで、統一ドイツに関する協議には加わらなかった(1947年12月15日には米英仏ソの外相会議が決裂している)。それどころか、ソ連が分割占領していた東ドイツを、ソ連の衛星国家として再編し、傀儡政権に運営させようとする意志を露骨に示した。

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「ラスト・オブ・イングランド」は、イギリスの終末という意味だ。終末であるから、イギリスという国の滅亡を意味しているわけだ。世界ではなく、イギリスが滅亡するというのはどういうことか。そこには、デレク・ジャーマンの個人的な事情がひそんでいるようである。ジャーマンは、前作「カラヴァッジオ」の制作を終えた頃、HIVの陽性が判明した。同棲愛者のジャーマンにとっては、宿命的な成り行きだった。ジャーマンは死を強く意識したのだろう。その死の意識がこの映画には反映しているのではないか。ジャーマンにとって、自分が死んだ後も、イギリスが存在し続けることは、ありえなかったのだ。なにしろイギリスは、マクベスを生んだ国だ。そのマクベスは、自分が死んだ後も世界が存在し続けることは絶えられないことだと叫んだのである。ジャーマンにとっては、世界ではなく、とりあえずイギリスが問題だった。そこでイギリスは、自分の死と運命を共にすべきものと考えたのだろう。

トランプ政権のポンペオ国務長官が、イスラエルによるヨルダン川西岸の入植地を容認する宣言を出した。これまでのアメリカの歴代政権が、ヨルダン川西岸のイスラエルによる入植活動は、中東和平にとって障害になるという姿勢をとってきたものを、トランプ政権がそれをひっくり返す形で、イスラエルの入植地を認めることは、将来的にヨルダン川西岸がイスラエルに併合されることを認めたと受け取られる。いうまでもなくヨルダン川西岸へのユダヤ人の入植は、イスラエルによるパレスチナ侵略の中核をなす不法行為である。それを容認することは、強盗に追い銭を与えるようなものだ。

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二天は剣豪宮本武蔵の雅号で、水墨画の印として用いていた。また武蔵の剣法の流儀名として二天一流と称した。武蔵は剣法家ではあるが、絵や彫物にも才能を示し、素人の余技ながら優れた作品を残している。徳川時代初期の人ではあるが、室町時代の墨画の延長として、ここに紹介しておきたい。

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1878年1月、モネはアルジャントゥイユを去り、パリのエダンブール街に数か月仮住まいした。その間に革命記念日の喧騒に遭遇し、それを見た興奮を一点の作品に表現した。「モントルグイユ通り」と題したこの作品は、パリ革命の最初の記念日6月30日の町の喧騒を描いたものだ。

本質に普遍的本質マーヒーヤと個体的本質フウィーヤがあるとして、個体的本質に実在性を認めるのは理解できる。そもそも個体とは実在する個物を想起させるからだ。これに対して普遍的本質に実在性を認めることは、少なくとも西洋哲学的な思惟に慣れている者には、むつかしいのではないか。何故なら普遍的というのは、あくまでも人間の思惟が作り出したもので、したがってあくまでも概念的なものだからだ。概念は実在とは異なった範疇に属するものである。ところが、この普遍的本質に実在性を認める考え方が、東洋思想には珍しくない。というより、普遍的本質に実在性を認める考え方のほうが、東洋思想では主流となっている、と井筒俊彦は主張する。

米誌TIMEが、恒例の Next100(影響力ある100人) に、日本の政治家小泉進次郎を選んだ。理由は、日本憲政史上最長の在任期間を誇る安倍晋三総理大臣の後継者として、これからの日本をリードする存在だということだ。なんといっても日本は、まだ一流国の仲間と認定されているから、その指導者となるべき人物は、国際的に見ても影響力のある政治家と認定されるわけだ。

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カラヴァッジオは、イタリア・ルネサンス最後の巨人であり、またバロック芸術の先駆者といわれる。その陰影に富んだリアルな画風は、近代絵画のさきがけというにふさわしい。そんなカラヴァッジオだが、私生活はスキャンダルに満ちていた。いかがわしい連中と町を練り歩いてはスキャンダルを引き起こし、その挙句に殺人まで犯して、38歳の若さで死んだ。

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室町時代には、相国寺を中心とした禅僧たちによる芸術アカデミーと並行して、将軍の近侍として仕える同朋衆と呼ばれる者たちも、独自のサークルを作っていた。彼らは、もともと将軍の身辺をめぐる雑役に従事していた者たちだが、その中には絵師、工芸師、庭師、能・狂言師など特技を持った芸能人の一団があった。彼らは禅僧と比べて身分は低かったが、将軍の権威を背景にして、一定の勢力を誇っていた。

「取り替え子」は、三人称で書かれている。大江は初期の短編以来「燃え上がる緑の木」に至るまで、基本的には一人称で書いて来た。それが断筆宣言から一転再開した「宙返り」で本格的な三人称を導入したのだったが、そうすることで物語り展開にかなりの自由度が生まれたようだ。一人称だと、どうしても狭い視点から語ることになるし、語ることにはそれなりの利点も無論あるのだが、壮大さには劣る。壮大な物語を展開するには、やはり三人称が有利だ。「取り替え子」というこの小説は、三人称の利点を最大限発揮しているといってよい。

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1877年にモネは、サン・ラザール駅をモチーフにした一連の絵の制作に熱中した。このために彼は、駅付近のモンソー街にアトリエを借りたほどだ。そして描き上げた作品九点をその年に開かれた第三回目の印象派展に出展した。例によって文学者のエミール・ゾラが絶賛してくれた。これらの絵を、「大画面に繰り広げられた近代絵画である」と言って。

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デレク・ジャーマンの1979年の映画「テンペスト」は、シェイクスピア晩年の有名な戯曲を映画化したものだ。筋書きとしては原作にかなり忠実であり、台詞も原作どおりだ。したがって非常にリズミカルに聞こえる。その一方で、ジャーマンらしい演出もある。登場人物がやたらに裸体になることやら、画面が陰惨なブルーに覆われていることなどだ。その陰惨な画面は、室内の人工的な灯りしかないケースにはそれらしく受け取れるが、屋外の光があふれているべき場面でも、同じように陰惨なブルーが支配している。というわけで、この陰惨なブルーは、デレク・ジャーマンのこだわりの色なのだろうと推測したりもする。

パイドロスがリュシアスの著書を読み終わったときにソクラテスが見せた反応は、パイドロスの予想に反して否定的なものだったが、ソクラテスはその否定的な意見を皮肉たっぷりに言う。まずはリュシアスの文章を褒めると見せて、じつはけなすのだ。彼がリュシアスを褒めると見せたのは、リュシアス本人ではなく、リュシアスの言葉を読んだパイドロスを誉めるというやりかたを通じてだ。「どうですか、ソクラテス、すばらしい話しぶりだと思いませんか」というパイドロスの質問に対してソクラテスは、「いや、神業といってもよいだろう。友よ、ぼくは茫然自失してしまったほどだ」と答えるのであるが、じつは「ぼくのこの感動は君のせいなのだ」と言うのである。リュシアス本人の著書ではなく、それを読んだパイドロスに感動したというわけである。つまりリュシアス本人のことはどうでもよいと言っているわけだ。

日本国憲法の制定は、対日占領政策としての戦後改革の総仕上げのようなものとして見えるが、実は、終戦後まもなく、戦後改革が本格化するまえに(1945年10月4日)、日本政府に対してマッカーサーから新憲法制定の指示が出されていた。その趣旨としては、第二次世界大戦における日本の敗北を真剣にうけとめ、今後二度と戦争をおこさないための保証を、憲法を通じて国際社会に約束させることにあったと思われる。そういう意味では、日本の武装解除と、未来に向けての非軍事国家としての歩みを、世界に向って約束させることに主な力点があった。勝者にとっては敗者の武装解除、敗者にとっては勝者の意向にそって未来に向かって不戦を誓うこと、それが新しい憲法に期待されたことだったといえる。

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デレク・ジャーマンは、いまではイギリス映画を代表する監督の一人に数えられている。みずから同性愛者であることを公表し、エイズにかかって52歳で死んだ。かれの作品には、同性愛を謳歌するようなところがあり、そのため男色映画というレッテルを貼られることもあった。

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まつり会館のそばにある駅から秩父鉄道に乗って長瀞に向かう。そこであの有名なライン下りをするつもりなのだ。長瀞駅の正面に切符売り場がある。そこで切符を買おうとしたら、ここで売っているのはBコースだけなので、Aコースを希望する人は、線路をわたって左に曲がってください。そうすれば、そこにAコースの販売コーナーがあるから。言われたとおりに線路を渡って左に曲がり、そこの販売コーナーでAコースの切符を買った次第。

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文清は15世紀半ばに活躍した人で、周文の弟子筋にあたり、松
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豊穣たる熟女の皆さんと秩父を歩いた。今回もM女は参加できなかった。小生は先日彼女と電話でやりとりをしたので、その際のことをT女とY女に語って聞かせた。体調が悪くて、いくつかの病気に同時襲来された上に、うつ病の症状が甚だしいのだという。人と話すのも億劫なので、電話がかかって来ても出ないようにしているそうだ。そう言ったところが、道理で何回電話をしても通じなかったわけだわ、と二人はため息をつく。少なくとも今年いっぱいは外出できる見込みはないので、年が改まって調子が上向いたら、どこかで食事でもしましょうと言って、電話を切った次第。来年の新年会にでもまた声をかけてみよう。

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アルジャントゥイユでモネが借りて住んだ家は、アパルトマン形式だったようだが、庭付きの洒落た住まいだった。この絵はその住まいを背景にして、息子のジャンを描いたものだ。この絵を見ると、モネの家族愛が伝わってくる。

西洋哲学では、本質は普遍者をあらわす概念である。本質とは、或るものが何であるかという問いへの答えであると言ったが、その「何であるか」は、普遍的な概念として与えられる。それは徹底的に抽象的なものだ。西洋哲学とは、個別者を抽象的な概念の枠組みに当てはめることを主な関心事としながら発展してきた。だから、抽象的なものへの偏愛というべきものを、西洋哲学は持っている。東洋ではそうではない。東洋思想の殆どは、普遍者という抽象的なものには満足しない傾向が強い。日本人も例外ではない。その代表者として井筒は本居宣長をあげ、宣長がいかに概念的・抽象的思惟を嫌ったかについて言及している。宣長にとっては、同じ東洋人である中国人の思惟でさえ、概念的・抽象的に映った。宣長は、そうした概念的・抽象的な思惟に代えて、個体的で具象的なものにこだわった。かれが言う所の「もののあはれ」とは、そうした個体的・具象的なものを言語的に言い現わしたものなのである。

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