2016年のオーストリア映画「エゴン・シーレ死と乙女(Egon Schiele: Tod und Mädchen ディーター・バルナー監督)」は、数奇な生き方で知られるオーストリア人画家エゴン・シーレの半生を描いた作品。シーレは28歳の若さでスペイン風邪にかかって死ぬのだが、映画は冒頭で彼の臨終の場面をうつし、そこから20歳の時点まで遡るという構成をとる。その八年間に、彼の身に起きた事柄を追っていくのである。
1911年5月、シーレは恋人のヴァリーとともにウィーン西郊の町クルマウに移り住んだ。この町は、母親の生地であり、落ち着いた雰囲気の古い町であった。この町を気に入ったシーレは、町をモチーフにした一連の風変わりな風景画を制作した。「死せる町Ⅲ(Tote Stadt Ⅲ)」と題されたこの絵は、シリーズの中でもっとも有名な作品。
2023年公開の映画「PERFECT DAYS」は、ドイツ人の映画作家ヴィム・ヴェンダースが日本に招かれて作った作品。招いたのは日本財団のプロジェクト「The Tokyo Toilet」である。当該団体は渋谷区の公共トイレの刷新を進めていたが、その活動をPRするための映画を企画し、それにヴェンダースを招いた。当初は短編のドキュメンタリーを考えていたらしいが、ヴェンダースの希望もあって、長編劇映画に変更した。
正法眼蔵第七十四は「王索仙陀婆」の巻。王索仙陀婆とは、「大般涅槃経」巻九「如来性品」において説かれている比喩のこと。王が仙陀婆を求めると、臣下が王の意をくんで求めに応じる品を差し出した。それは塩であったり、器であったり、水であったり、馬であったりしたが、その際の王の求めによく応えたものであった。そのことから仙陀婆とは、相手の求めに相応しいもののことをさす。それを王が求めたので「王索仙陀婆」というのである。
スピノザは神の存在の必然性を強調するあまり、人間の意思の自由を軽視しているという批判がある。スピノザ自身その批判を意識していて反論もしている。その趣旨は、批判者は人間と神の関係について誤った意見を持っているというものである。スピノザは、「デカルトの哲学原理」への付録「形而上学的思想」の第二部をもっぱら神についての考察に当てているが、その目的は「神の存在と被造物の存在が全く異なることをできるだけ明瞭に示す」ことであった。スピノザによれば、必然性と自由との矛盾に関する上記のような指摘は、神を人間と同じ次元で考えることから生じる。神と人間とが全く異なる存在であることを理解すれば、神の必然性と人間の自由意志とは全く矛盾しないのである。
エゴン・シーレには死への強いこだわりがあった。上の姉と父の死がその傾向をもたらしたのだと思う。かれの一連のドッペルゲンガー・シリーズの作品もまた、ドッペルゲンガーを死神と捉えることができる。いつも死神に取りつかれている人間としてシーレは自己認識していたのである。
「大つごもり」に先立つ樋口一葉の習作時代の小説は十一編である。「別れ霜」がやや長い(それでも新聞連載15回分)のを除けば短い作品ばかりで、筋書きは単純だ。短編小説であるから単純な筋書きで差支えはないのだが、一葉は妙に芝居がかった描き方をするものだから、器と中身が調和していないという印象を与える。ほとんどの作品は若い男女の恋、それも悲恋というべきものをテーマにしている。若い男女の恋愛感情は、「たけくらべ」の前半部分のテーマでもあるから、一葉はまず、男女の恋愛を描くことから作家活動を始めたといってよいだろう。それが半井桃水の指導によるものなのか、それとも一葉の本来的な気質に根差すものなのか、なんともいえないが、おそらく若い頃の一葉には、男女の恋愛への強い関心が潜んでいたのであろう。
2023年の日本映画「白鍵と黒鍵の間に~ジャズピアニスト・エレジー(富永昌敬監督)」は、ジャズピアニスト南博の自伝的エッセーを映画化した作品。南を池松壮亮が演じている。池松はかよわくて生き方の下手な男を演じるのが得意だったが、この映画の中ではやや芯の強さを感じさせる男を演じている。
1910年から翌年にかけてシーレは、二重自画像というべきシリーズを手掛けている。これは自分自身とそのコピーである像との関係をテーマにしたもの。コピーである自分が本来の自分を観察しているさまを描いたものだ。まず、「自己観察者Ⅰ」を制作し、続いて「預言者たち」「自己観察者Ⅱ」という具合に、発展させた。どの作品も、本来の自分がコピーである自分から観察されている。その観察という行為にシーレは精神的な要素を盛り込みたいと考えたようである。
松居大悟の2022年の映画「ちょっと思い出しただけ」は、ダンサー志望の男とタクシードライバーの女の不器用な恋を描いた作品。その恋は結局実らなかった。互いに好きだったにかかわらず実らなかったのだから、それはかれらの生き方が下手なことを意味する。いまはやりの生き方の下手な日本人がここにもいたという感じだ。主役の男を演じた池松壮亮は、さまざまな映画で生き方の下手な日本人を演じてきたから、かれにとってははまり役だ。
エドゥアルト・コスマク(Eduard Kosmak)は、前衛的なデザイン誌の編集者。シーレはアルトゥール・レスラーを介してコスマクと知り合った。この作品は、コスマクの注文を受けて制作したもの。コスマクはシーレの描いたレスラーの肖像画に感心して、自分自身の肖像画をシーレに注文したのだった。
2015年公開の日本映画「この世で俺/僕だけ(月川翔監督)」は、さえないサラリーマンと不良高校生の友情を描いた作品。殴り合いの場面が多出するので、アクション映画といってよい。だがアクション映画としては、いまひとつ迫力にかける。主人公たちが、腕力においても知力においても、大した能力を持っていないからだ。
正法眼蔵第七十三は「他心通」の巻。他心通とは、五神通とか六神通とか呼ばれる人間の特殊な能力の一つで、他人の心を読み取る能力をいう。その能力を道元は正面から罵倒し、そんなものでさとりの境地は得られないと説く。他心通の能力があろうがなかろうが、さとりの境地はすべての人が平等に求めるべきものだというのである。
年が明けて小生は満七十七歳になった。これを世間では喜寿と言うそうだ。後期高齢者と呼ばれるよりはましかもしれない。ともあれ例年にしたがい、今年も年頭にあたって一年間を展望したいと思う。この年になると、来年以降まで展望する余裕はない。
時間と空間についてのスピノザの議論(時空論)は、永遠を神の属性と捉える点でアウグスティヌスに似ている。永遠は無限の時間をさす概念だが、空間についても無限の空間の概念がある。両者ともに誤解されやすい。というのも我々人間は、自身が有限な存在であるので、無限を理解することが困難であり、したがって自分で理解できる範囲で、勝手な解釈をするからである。その勝手な解釈とは、時間を持続としてとらえ、空間を延長としてとらえることだ。持続と延長には限りがないという理由で、人間は限りのない持続を永遠と考え、限りのない延長を無限と考える。そう考えることから矛盾に陥る。神が世界を無から想像したというのが、聖書に書かれている疑い得ない真実である。それを前提とすれば、神が世界を創造する以前にはどんな時間が流れていたのか、また、その世界を容れるべきどんな空間が広がっていたのか、という疑問が起きる。しかしそれは偽の疑問だとスピノザは言うのだ。
アルトゥール・レスラー(Arthur Roessler)は画商を営む美術評論家で、1909年の「新芸術集団」の展覧会に批評を寄せたことで、シーレと付き合うようになった。以後かれはシーレにとっての有力な後ろ盾になる。この肖像画は、レスラーの注文に応じて、1910年に制作したものである。
樋口一葉は、短い生涯に26篇の短編小説を書いた。そのうち最初に雑誌に載ったのは「闇桜」である。これは明治25年3月23日刊行の「武蔵野」創刊号に掲載された。一葉19歳のことである。その後、「大つごもり」を書くまでの2年あまりが一葉の習作時代である。一葉は、小説作法を半井桃水に学んだ。だから、初期の習作には桃水の影響を読むことができるようだ。小生は桃水を読んだことがないので、その影響をつぶさに指摘できる能力をもたないが、一葉への指導内容等からして、文体的には西鶴流の雅俗混交体、テーマとしては若い男女の恋愛を描いたというふうにいえるかと思う。一葉は、少女時代に書き始めた日記の文体などからして、王朝風の女性的な和文を主体とした文章を得意としていたようであるが、それでは今風の小説にはふさわしくないので、もっと俗っぽい文体に心がけるようにアドバイスされて、西鶴流の雅俗混交体を書くようになった。それを出発点として、彼女なりの独特の文体を獲得していったと整理できるのではないか。
浦山桐郎の1969年の映画「私が棄てた女」は、遠藤周作の小説「わたしが・棄てた・女」を映画化した作品。タイトルを微妙に変えているほかに、筋書きにもかなりな変更がある。原作は私とみつこという女性の関係を中心にして、みつこの不幸に焦点をあてており、二人の手記を紹介するという形で展開するというが、映画では私という男(河原崎長一郎)の視点に一本化されている。また、原作ではみつこがハンセン氏病の疑いをかけられたりするが、映画はその部分をネグレクトしている。
浦山は、「キューポラのある町」や「非行少女」において、不幸な少女に感情移入するような表現をしていたものだが、この映画もやはり不幸な女を描くものだ。だが前二作には、不幸ながらも自分を心配してくれる若者がいたのに対して、この映画の中のみつこは男にもてあそばれたあげくに捨てられることになっている。男はそのことを多少後悔するが、別の女(浅丘ルリ子)と結婚して、快適な暮らしをする。男は上昇思考なのだ。みつこはそんな男のエゴの犠牲になったわけである。
男が親友と会話するなかで、これからの日本は格差が拡大する。だから勝ち組にならねばならない、と話す場面が出てくる。勝ち組になるためには、弱いものに同情してはいられない。みつこのような女は切り捨てるのがいい、といった勝手な理屈が大手を振る。
みつこを演じた小林トシ江は、吉永さゆりや和泉雅子とはまったく違ったタイプの女性だ。福島出身のあか抜けない女性を演じているが、そのあか抜けない雰囲気を小太りした体つきで表現している。
妹のゲルトルーデ・シーレをモデルにしたこの絵は、「黒い帽子の女」とほぼ同じ時期に制作された。クリムトの影響との格闘が読み取れる。クリムトは、背景を含めて装飾的なイメージを押しだしていたが、シーレはそうした装飾性をなるべく排して、対象をありのままに表現したいという願望を抱いていた。
浦山桐郎の1963年の映画「非行少女」は、前年の「キューポラのある町」につづいて少女の青春を描いた作品。「キューポラの町」では当時17歳だった吉永さゆりが中学生を演じて、貧しいながらもけなげに生きる姿を描いたものだが、この映画では当時16歳の和泉雅子を起用して、やはり貧しいながらけなげに生きる中学生少女の姿を描く。桐山はこういった趣向が得意とあって、主演に起用された吉永も和泉も光って見える。この二人の相手を、浜田光男がつとめたというのも、因縁を感じさせる。
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