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1860年代の後半以降、コローはリューマチを患うようになって、屋外での写生が困難となり、アトリエで人物画を手がけることが多くなった。「真珠の女(Femme à la perle)」と呼ばれるこの作品は、コローの人物画の代表作である。

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劉浩(リウ・ハオ)の2004年の映画「ようこそ、羊さま(好大一対羊)」は、中国の貧しい農村の人々の生き方を描いた作品である。2004年といえば、改革解放の恩恵は内陸部の農村地帯には及んでいないと見え、とにかくすさまじいほどの貧困振りがうかがえる映画だ。人々は貧困な上に、因習的でしかも無知である。だからといって、必ずしも不幸なわけではない。人々自身が自分を不幸とは思っていないのである。そんな人々の生き方を、叙情たっぷりに描いたこの映画は、実にほのぼのとした気分にさせてくれる不思議な映画である。

笑いについてのベルグソンの説は、かれの主要思想である純粋持続とどのような関係にあるのか。ベルグソンは笑いを、基本的には社会的なものだと定義する。人間というものは社会的な生き物だから、他の人間を無視しては生きられない。社会は個人に対して一定の態度を求める。それは明確な規範という形をとることもあれば、暗黙の期待という形をとることもある。どちらにしても個人はそうした社会の要請に応えなければならない。だから個人がその要請に反したことをすると、社会は何らかの形で制裁を加える。笑いはそうした制裁の洗練されたものだ、というのが笑いについてのベルグソンの定義である。

日中両国は、海によって隔てられているとはいえ、隣国同士としての長い関係を持ってきた。もっとも国家間の公式な関係は意外と少ない。日本が国家として積極的に中国と付き合ったのは、聖徳太子の時代から平安時代の前期100年ほどまでのほぼ300年のことで、菅原道真のときに遣唐使の派遣が停止されてからは、日本が国家として公式に中国の政府に接近することはほとんどなかった。足利義満が日本国王を名乗って中国の王朝にコンタクトしたのは、例外的なことである。徳川時代には、両国間の民間貿易は黙認というかたちで許されたが、幕府が正式に外交の窓口を開くことはなかった。

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陳凱歌の1996年の映画「花の影(風月)」は、辛亥革命前後における中国の伝統的支配層の退廃的な生活を描いたものである。その頃の中国人の多くがアヘン中毒におかされていた。この映画は、そうしたアヘン中毒患者たちの糜爛した生活ぶりを、犯罪組織の暗躍をからめながら描いている。

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曽我蕭白には、双幅の唐獅子図があるが、この「獅子虎図」は唐獅子に虎を組み合わせたもの。唐獅子は口を開いた阿行の姿、虎の方はなにやら情けない表情をしている。「唐獅子図」の獅子達はどちらも情けない表情をしていたが、これは虎が一身にそれを体現している。

小川洋子が「心と響き合う読書案内」の中で藤原ていの「流れる星は生きている」を取り上げ、絶賛に近い褒め方をしていたので、小生も読んで見る気になった次第だ。小川がこの本を読み返す気になったのは、小説「博士の愛した数式」の取材のために数学者の藤原正彦と対話を重ねたことが直接の機縁だったそうだ。「流れる星は生きている」に出てくる藤原ていの次男正彦ちゃんが、今自分の目の前にいる人だと思い重ねたという。それで、小川の「流れる星」の読み方は大分違ったものになったようだ。

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これは「マントの橋(Le pont de Mantes)」を描いた作品。セーヌ川にかかるこの石造りの中世風の橋を、コローは大変気にいり、十数点もの作品が残されている。コローは、若い頃イタリアに旅した折、古代の面影を残す風景に心を奪われ、「ナルニの橋」などを描いているが、そうした古代趣味が、マントの風景によってかき立てられたようである。

日本の禅

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日本の禅は、栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を導入・布教したことから始まる。栄西は比叡山で天台宗を学び、二度にわたって宋に留学した。最初の留学は、密教理解の深化が目的で、禅についてはそれほど力を入れていない。二度目の留学の際に、臨済宗を研究・修行し、それを日本で布教した。臨済宗は、南宗禅系統の禅で、当時の中国では禅の主流であった。

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ココシリとは、チベット北部から青海省南部にわたる大高原地帯。チベットカモシカが生息している。その毛皮が高価で売れるというので密猟が激しく、百万頭もあった個体数が一時一万頭程度にまで減少した。それに危機感を抱いた現地の有志達が、パトロール部隊を編成して取り締まりにあたったが、組織的な武力を背景にした密旅者を根絶することはできず、かえって殺害されるケースがあとを断たなかった。2004年の中国映画「ココシリ(可可西里)」は、そんなパトロール部隊と密旅者たちとのせめぎあいを、ドキュメンタリータッチで描いたものだ。監督は陸川。

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「仙人図屏風」は「群仙図屏風」同様、中国の伝説的な仙人をモチーフにしたものだが、描かれた仙人たちには異同がある。一方、西王母はどちらにも取り上げられている。西王母は、不老不死の薬草を持つ神仙とされ、民衆の信仰が厚かったので、仙人がモチーフの作品には不可欠だったようだ。

「心と響き合う読書案内」は、小川洋子がFMラジオで話した読書案内を一冊にまとめたものである。40篇の小説を、それぞれ四季に沿った形で分類・配列している。それらを読むと、彼女の本を選ぶ基準とか、読み方がよく伝わってくる。

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マントは、パリの西50キロほどにあるセーヌ川沿いの小さな町である。コローはしばしばここを訪れ、風景を写生した。なかでも大聖堂と中世の石の橋が気に入り、繰り返し描いている。

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2014年の中国映画「薄氷の殺人(白日焰火)」は、巧妙な殺人事件の謎を追うサスペンス映画である。どうという特徴もないのだが、ベルリンの金熊賞をとった。主演の刑事崩れを演じた廖凡の、一風変わったウェットさが受けたのだろう。

ベルグソンは、無意識を哲学の主要なテーマとして持ち込んだ最初の西洋人ではないか。東洋では、無意識の問題は馴染みの深いものだった。大乗仏教の唯識哲学などは無意識を正面からとりあげているし、同じくインド思想から生まれたヴェーダンタ哲学なども、無意識を重視していると井筒俊彦は指摘している。井筒によれば、イスラム教シーア派の神秘思想やユダヤ教の神秘思想などにも無意識を重視する流れはあるようだ。小生は、ベルグソンの無意識をめぐる思想は、フロイドのそれと並んで、ユダヤ教の神秘主義思想あたりに根源があると見当をつけている。

2010年に中国は日本を抜いて世界第二の経済大国になった。そのことは中国人のプライドを高めた。中国は長い間西洋諸国によって抑圧され、二流国の扱いを受けてきたが、いまはかつての世界大国としての面目を取り戻しつつある、そのような意識が多くの中国人を捉えた。その意識に支えられたナショナリズムは、日本との間に、ややもすれば敵対的な関係を作り出した。2010年9月に起きた中国漁船の尖閣諸島周辺海域における海上保安庁巡視船への衝突事件は、そうした対立を激化させるものだった。

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王全安は、「トゥヤーの結婚」ではモンゴル人の夫婦愛を描いたが、この「再会の食卓」では、中国人の夫婦愛を描いている。それを見ると、日本人の夫婦愛とはかなり異なるので、小生などは戸惑ってしまったくらいだ。もっともそれは、小生のごく個人的な反応に過ぎないのもしれないが。

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「月下狸図」は異様に細長い画面に描かれている。上部に月を配し、下部にその月を眺め上げる狸を配している。中間に挟まれた部分には、「てる月にうかれたぬきの はらうてばなおもかなでて あそぶかはほり」という狂歌が書かれている。

西洋史学者の堀米庸三が書いた「正統と異端」を、キリスト教神学者の森本あんりは、「出版後半世紀以上を経た今もなお光輝を失わない古典的な名著である」と言って、絶賛している。小生もこの本を読んだ記憶があるが、詳しいことは忘れてしまった。そこで改めて読んでみた次第である。

進退をかけて名古屋場所に臨んだ横綱白鵬がみごとに全勝優勝を果たした。そのこと自体はすばらしいことであり、祝福されてしかるべきだろう。だが、手放しというわけにはいかない。そう感じたのは小生のみではあるまい。横綱の相撲としては、あまりにも情けない内容の取り組みが目立った。たとえば、土俵際まで下がって立ち合いに臨んだり、肘うちや張り手といった姑息ともとれる試合ぶりが目立った。それを横綱らしくないといって非難する人が多かったが、たしかに横綱らしくない態度だといわねばなるまい。

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