山子夫妻及び落の諸子と神楽坂で小宴を催した。例年ならこれに松子が加わるところだが、彼は昨年の秋に亡くなった。そこで彼を偲びながらの新年会となった。会場は毘沙門天前の路地を入った世喜という小料理屋。以前なんどか立ち寄ったことのある店だ。

狩野派は、室町時代の末期に出た狩野元信(1476-1559)に始まり、永徳(1543-1590)によって画壇の主流の地位を確固としたものとし、探幽(1602-1674)が徳川政権の御用画師としての地位を獲得し、以後徳川時代を通じて、画壇を支配した。いわば日本におけるアカデミーを主催したようなものである。

ロシア正教といえばイコンが思い浮かぶほど、イコンはロシア人の生活に溶け込んでいる。現在ではその美術的な価値が評価され、美術品としての関心も集めている。しかしイコンはあくまでも信仰と深いかかわりがあるので、その面を無視して美術品としてだけ見るのは片手落ちだ。とはいっても、いまでは教会以外の場所、たとえば美術館でもイコンは収集・展示されており、これを美術的な関心から見ようとする人も増えている。我々のようなロシア正教徒でないものにとっては、なおさらのことだ。

チェーホフが「可愛い女」で描いて見せたのは、ロシア人女性の典型的なタイプということなのだろうか。日頃ロシアと接する機会に乏しい我々普通の日本人にとっては、ロシア理解のカギになるのはロシア文学ということになろうが、そのロシア文学に描かれたロシア人女性というのは、たとえば「アンナ・カレーニナ」におけるアンナのような、自立心の強い女というイメージがある一方、ドストエフスキーの小説、たとえば「罪と罰」に登場する敬虔で、自己主張をしない女たちのイメージもある。どちらがより正確に典型的なロシア人女性に近いのか、筆者などにはわからないが、チェーホフのこの小説を読むと、どうもロシア人女性に多いタイプは、敬虔で自己主張をしない女性なのではないかと、思われたりもする。

イギリスではいまEUからの離脱、いわゆるBREXITをめぐって大変な騒ぎになっている。その騒ぎの陰に隠れてあまり見えないが、長らく低迷してきた労働党がこの問題に大きな影響を及ぼしているのだという。小生は、イギリスの政治とかそのなかでの労働党の存在にほとんど注意を払ってこなかったのだが、ここ一二年のあいだに、労働党が躍進し、イギリスの政治を活性化させているというのである。その労働党の動きについて、雑誌「世界」の最近号が、二つの論考を掲載している。

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ヴィム・ヴェンダースのドキュメンタリー風の映画「東京画(Tokyo-Ga)」は、小津安二郎へのオマージュといってよい。同じような趣旨の映画は、溝口健二へのオマージュである新藤兼人の作品があるが、新藤の映画が溝口の半生を描いた伝記的なものだったのに対して、これは小津の映画作りの魅力について語ったものだ。その魅力を語るためにヴェンダースは二人の人物を登場させて、小津への敬愛を語らせる。

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鈴木其一は若くして酒井抱一の弟子となり、兄弟子で抱一の家扶であった鈴木蠣潭の養子となったことで、酒井家の士分に列した。抱一の付け人として常に身辺に在り、抱一の制作のほう助をした。そんなことから鈴木其一は、抱一の画風を誰よりもよく受け継いだと言ってよい。

「洪水はわが魂に及び」には、アナーキストの夢を描くという面とならんで、核時代の想像力に訴えるという面がある。小説の舞台となるのは核シェルターなのであるし、そこを舞台にアナーキストの夢を膨らませる「自由航海団」の少年たちは、核で地球の大部分が滅んだあとでも、自分たちだけは自らを亡ぼした人間たちの愚かさから逃れて、自由に海をかけめぐることを夢見ている。その少年たちに一体化した主人公の大木勇魚が、白痴の息子じんと核シェルターに隠遁したのは、いつか人類が核の為に亡びた時に、息子が発する「世界の終わりですよ」という言葉を聞きながら、人類の愚かしさに思いをいたすためでもあった。

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最晩年のマネは、病気のために油彩の大作を描くことができなくなり、パステルで人物画を描くようになった。その頃の彼が好んで描いたのは、親しい女性たちだった。マネは病気の為に肉体的に苦しいだけでなく、精神状態もよくなかったのだが、親しい女性が近くにいると、生きがえったような感じがするのだった。

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ヴィム・ヴェンダースといえば、「都会のアリス」を始め、ロード・ムーヴィーの名人という印象が強いが、「パリ、テキサス」も広い意味でのロード・ムーヴィーに入るだろう。ただし、構成はすこし入り組んでいる。映画は大きく二つの部分からなるが、前半では放浪していた主人公の男が弟によって連れ戻される途中の旅を描いており、後半はその男が自分の息子を連れて、離別した妻を求めて旅をするところを描いている。前半も後半も旅をするという点では、ロード・ムーヴィーの条件を満たしているが、ロード・ムーヴィーとして相互に深い関連があるわけではないので、二つのロード・ムーヴィーの物語が併存しているような印象を与える。

まつりには屋台とか神輿がつきものだが、折口信夫はそれらが日本古来の信仰行事に由来していることを明らかにしようとする。折口によれば、こうしたものは、神の依代であるということになる。屋台やだいがくに神が降臨し、その神を人間たちが仰ぎ奉る。この構図は、幣束にもあてはまる。幣束とはもともと、神が目標とする依代だったというのが折口の主張である。したがって日本のまつりは、古代から一貫して、この神をお迎えして、仰ぎ奉るということを本質としていたということになる。

雑誌「世界」の最近号(2019年2月号)に、バーニー・サンダースが昨年九月にある大学で行った演説が紹介されている。バーニー・サンダースといえば、前回の米大統領選で、民主党候補の座をヒラリー・クリントンと争った人物だ。社会主義者を標榜しており、その主張はかなり急進的だとの評判だが、この演説を読む限り、あたり前のことを言っているように聞こえる。

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ヴィム・ヴェンダースは、「都会のアリス」から始まるロード・ムーヴィー三部作では、旅をしているという以外これといったストーリーを持たず、登場人物たちの繰り広げる日常の動きを淡々と写し取ることに映画作りの情熱を傾けていた。その傾向は、ロード・ムーヴィーではない作品では一層強まる。1982年の作品「ことの次第(Der Stand der Dinge)」は、ロード・ムーヴィーのように旅という枠設定も持たないまま、登場人物の日常を淡々と描いているために、作者はいったいそれを通じて、何を主張したいのか、観客には一向にわからない。それでいて退屈なわけではない。二時間に及ぶこの映画を、ヴェンダースは観客を飽きさせることなく見せているのである。

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「葛秋草図屏風」は、「月に秋草図屏風」とも呼ばれている。図柄のなかの葛に重点を置くか、月に重点を置くかの違いによる。月の印象のほうがやや勝っているようにも見えるが、その月に覆いかぶさるように繁っている葛のほうもなかなかの存在感だ。

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フォリー・ベルジェールはリセ通りに面したカフェ・コンセールで、パリでもっとも人気のあるナイト・スポットだった。かなり巨大な空間に夥しい人々がひしめき合い、夜の快楽をむさぼるところだ。マネはそこを、自分の最後の大作のモチーフに選んだ。このカフェには、環状に三つのバーが配置されているのだが、そのうちの一つを描いたのだ。

チューホフの短編小説「イオーヌィチ」は、ロシアのプチブルを描いたものである。どこの国でもそうだが、プチブルというのは独特の心情をもっている。地主や大ブルジョワと違って生活の基盤がしっかりしているわけではなく、ついうっかりすると下層階級に転落しないとも限らない。したがって、プチブルとしての体面を保つためにはそれなりの努力が必要だ。できうれば、上流階級になるべく近づきたい。そのためには始終努力が必要である。また、自分のメンツを保つために、そこそこの贅沢も許されるが、なんといっても肝心なことは、金をためることである。金がたまれば人さまからいっぱしの人物と認められ、美しい女を女房にすることもできる。そんなささやかなプチブルの欲望を、この小説は心憎いタッチで描いている。

ゴーン事件をめぐっては、ゴーンの罪状が次々と明らかにされるにつれて、ゴーン本人の強欲さもさることながら、そうした強欲さが現代の資本主義に内在している動きに根差したものだとの感を強く抱かされる。人間の欲望にはキリがないものだが、その欲望を極端なまでに先鋭化させる勢いが現代の資本主義にはあるということだろう。

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「さすらい」という映画の題名を聞くと、ミケランジェロ・アントニオーニの映画を思い出す。アントニオーニの映画は、妻に捨てられた男が一人娘を伴なって放浪する話だったが、この映画は中年男が二人連れ立って放浪する話だ。彼らはトラックで放浪する。トラックのヘッドには UMZUGE(引っ越し)と大書され、ボディには「メーベル運送」と書かれてあるので、運送車かといえばそうではない。トラックの内部には映画関係のマシンが多数設置され、人が寝るためのスペースも確保されている。このトラックの持ち主は、このトラックでドイツじゅうを移動しながら、映画館に立ち寄って映写機の調整を仕事にしているのだ。

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酒井抱一は、尾形光琳よりほぼ一世紀後の人である。姫路藩主酒井忠以の弟として生まれたが、三十七歳の時に出家、しかしすぐに還俗して江戸浅草,下谷に閑居し、絵を描いて気楽な生涯を送った。当初は狩野派に学び、また歌川豊春について浮世絵も描いたが、その後光琳に私淑して、琳派の再興に尽くした。文化十二年(1815)には光琳の百年忌を行い、「光琳百図」などを記念刊行している。

大江健三郎には、権威に反発するというか、反権力的なところが多分にある。初期の代表作「芽むしり仔撃ち」は、身近な権力である村落共同体の暴力に勇敢に立ち向かう少年を描いたのだし、生涯の代表作と言われる「万延元年のフットボール」は、あらゆる権力から自由なアナーキーな共同体の創造をめざす青年を描いていた。「セヴンティーン」は権力側に一体化した少年の夢想を描いたものだが、これは言ってみれば、権力礼賛を通じての、アンチ権力小説といってもよい。そんな大江が、反権力とアナーキズムへの志向を正面から取り上げたのが1973年の作品「洪水はわが魂に及び」である。

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