竹久夢二 画集 「東京災難画信」

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竹久夢二 画集 「東京災難画信」

主題

風景・海景

水彩絵の具

絵画の種類...水彩画 形式...その他 主題...風景・海景 主な画材...水彩絵の具 東京災難畫信 大正12年(1923年)9月1日関東は、未曽有の地震に見舞われました。日本災害史上最大級の被害をもたらした「関東大震災」です。 死者行方不明者10万5千人、住宅の全半壊は、25万軒を遥かに超えたといいます。浅草十二階が倒れ、堅牢な帝国劇場、三越日本橋店や多くの官庁の建物なども被害に遭いました。お昼時だったことから各地で火災が発生し、折からの強い風にあおられて45万軒近い家屋が焼失しています。下町の被害が特に酷く、本所の被服廠跡の火事による被害は甚大でした。たった一箇所で3万8千人とも、4万4千人ともいわれる焼死者を出したのです。 夢二は渋谷区宇田川町に住んでいたので、家は無事でしたが、恩地孝四郎たちと始めようとしていた「どんたく図案社」は壊滅してしまいました。 それでも友人の有島生馬と東京の町をスケッチして歩き、「都新聞」(現・東京新聞の前身)に連載しました。それが、「東京災難畫信」です。夢二は災害の中で浮かび上がる様々な人間模様を写し取りました。十二.仲秋名月 「十二.仲秋名月」 新聞復写 外寸:37×45cm 震災の翌日訪れた「被服廠跡」の惨状には深い哀悼の気持ちを示しています。生きるために煙草を売る娘を見ては、それを売り尽くした後の彼女の身の上を憂え、憔悴しきった人々の呆然とした姿を様々な場面に描き続けました。外国人が暴徒化したというデマに踊らされ、自警団を作って警戒をする大人、子供達がそれをまねて、「自警団遊び」をすることには鋭いコメントをつけています。 若いころから社会主義に共感し、弱いものに寄り添って絵を描いてきた夢二のスケッチには、被災者への深い同情と災害に対する警告が込められています。 美人画とは違った夢二の一面を見ていただきたいと思います。

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