日本のメディアは週刊誌を最前線に立てる

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先日親しい友人たちと昨今の日本のメディアについて話していたところ、日本の新聞は、いわゆる西山事件を契機にして権力に対して卑屈になり、権力を刺激しそうな記事を自主規制するようになったという話が出た。あれがきっかけで新聞社全体が権力の攻撃にさらされた上に、経営まであやうくなっていったことを目にして、権力と正面から対立するのはうまいいき方ではない、そういうふうに新聞各社が思うようになった。日本のこれまでの状況からすれば、新聞が権力と立ち向うなど、朝夢のごときものと受け取られてきたわけである。新聞は自ら直接権力に立ち向う代わりに、週刊誌にそれをやらせた。そして週刊誌の報道によってある事件が国民の関心を引くようになったところで、おもむろに権力追求の戦線に加わる。それが自己保身を踏まえた日本の新聞のやり方だった。そんなふうな議論になったものだ。

この議論を裏書きするような事態が起きた。財務事務次官のセクハラ問題をめぐる展開である。財務省といえば、いわゆる森友問題をめぐって省全体が国民の厳しい批判にさらされているその真っ最中に、省のトップである事務次官が、女性記者を相手に執拗にセクハラ発言をしていたということが発覚した。この事実をスクープしたのは週刊新潮だった。ところが、その情報を週刊新潮に寄せたのがテレビ朝日の女性記者だったというのだ。この女性記者は、当初財務事務次官によるセクハラ行為について上司に相談したらしいが、どういうわけかその上司は彼女からの相談を握りつぶした。そこで行き場を失った彼女は週刊新潮に相談したところが、週刊新潮ではこれを取り上げて、財務省相手に断固たる態度で臨んだというのである。

週刊新潮の報道で、財務次官のセクハラが表沙汰になり、国民の広い関心を集めるや否や、テレビ朝日と朝日新聞はやっと重い腰を上げて政府追及の輪に加わり、実はうちの社員がセクハラの被害者ですと言うようになった。これはまさしく冒頭に述べたような、日本の大メディアが長い間培ってきたことなかれ主義を露骨に示した例だ。朝日はこれに先だって森友問題にかかるスクープをヒットしたばかりだったので、この対応の違いはなんだろうと思わせられるところがある。

財務次官は当初週刊新潮の記事に対して横柄な姿勢を示していた。週刊新潮だけなら力でつぶせると思ったのだろう。だがこれに朝日を始め大メディアが戦列に加わり権力への追求を始めるや、形勢不利と悟ったのだろう。財務次官は未練たっぷりな言葉を残しながら辞任に追い込まれた。

この事件が我々庶民に示しているのは、大メディアの腰のひけた姿勢であり、それにあぐらをかいてふん反り返っている役人の横柄さである。こんな光景を見せられると、日本という国は果たして近代国家と言えるのか、疑問に襲われるところだ。近代国家と呼ばれるには、すくなくとも大メディアが言論のイニシャチブをとることに腰が引けていてはいけない。週刊誌を最前線に立てて、自分は背後の塹壕で寝そべっているようでは、近代国家の大メディアとは言えない。





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